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第18回1000字小説バトル
Entry31

作者 : 一之江
Website : http://www05.u-page.so-net.ne.jp/qd5/s-kumiko/
文字数 : 1000
 夏の終わり。夜中にバンッと、ベランダに出るガラス窓に何かが
ぶつかる音がした。わたしはおそるおそる窓を開けて、薄闇に目を
凝らした。
 大きな蝉がうずくまっていた。
「あああ」と蝉はこちらを見上げた。「痛かったよお」
 そんなの知るか、とわたしは思った。なのに蝉は、まるでわたし
に何か落ち度でもあったかのように恨めしそうな目を向けた。わた
しは窓を閉めかけた。
「待って下さい」と、か細い声をあげる。
「何よ」
「せめて水を一杯」と蝉は言った。「喉がかわいて、ふらふらなん
です」
 まあよかろうそれぐらい、とわたしは台所からコップ一杯水を持
ってくる。と、蝉はちゃっかり居間に上がり込んでいた。
 わたしはコップを叩き付けるようにテーブルに置いた。「これ飲
んだら早く出てってよね」
 蝉はちょっとシュンとして、おとなしく両手でコップを口に運ん
だ。こくんこくんと微かに何かが軋むような音が遠慮がちに響いた。
「おいしかった」と唇をぬぐいながら小さな声で言う。「ほんとお
いしかった」
 わたしは何だかいらいらしてきた。なのにどうも、出てけとは言
いづらくなる。そして蝉はそれに乗じたように、ぐずぐずと腰をあ
げないでいた。
「もう一つだけ、お願いがあるんです」
 果たして蝉はわたしの顔色をうかがいながらも、はっきりとそう
言った。どうせろくでもないことだろうと思いながら、「何よ」と
訊く。
「させて下さい」
「は?」
「一発させて下さい」
 わたしは立ち上がってベランダに向かった。
「ああだって」と蝉はあわてた様子で声をあげる。「僕の命、あと
どのぐらいか知ってますか?」
 思わずわたしは蝉を見下ろす。
「たぶんもう一日か二日。やっと明るい世界に出たと思ったら、も
うそれだけ。で、僕、恥ずかしいけどずっと彼女もできなくて。ほ
ら、ちょっと標準サイズじゃないんです、だから」
 蝉は土下座をしていた。
 わたしは屈んで蝉の顔を見つめた。なかなかかわいかった。
「ねえ、まだ帰らないの?」
 もう夜明けが近いころ、隣に寝そべっている蝉にわたしは言った。
「ああじゃあ、おしっこしてから」と蝉はトイレに行ったが、出て
きてもへたり込んだままだった。そして「一服でもすんべ」と内ポ
ケットらしきところから煙草を取り出す。
「ねえちょっと」とわたしは不安になって訊いた。「帰ってくれる
んでしょうね」
「えへへ」と蝉は笑った。
 秋になってもまだ蝉はいる。一発どころではなくなっていた。






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