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第18回1000字小説バトル
Entry36

洗礼

作者 : ショート・ホープ
Website :
文字数 : 1000
   5歳のときだった。
 僕は生まれてはじめて自分の力だけで雪だるまを作った。
 バケツの帽子、みかんの目、人参の鼻、海苔の口はへの字でどこ
かしら挑発的だった。

  その晩、僕は蒲団の中で重く圧し掛かる瞼に耐えていた。雪だる
まに命が吹き込まれる瞬間がどうしても見たかったからだ。
 暮のクリスマスは睡魔に負け、サンタクロースの姿を目にするこ
とができなかった。起きたときには枕元にリボンの付いた絵本が置
いてあった。
 その絵本は雪だるまが冒険する話で、春になると溶けてしまうと
いう落ちだった。
 
 母親の寝息と父親の鼾を確認し、ゆっくりと蒲団から出た。電気
毛布の温もりが名残惜しかった。
 
 襖を慎重に開け、廊下に第一歩を踏み入れる。寒気が電流のよう
に走り渡った。
 目の前の曇った窓ガラスは、ステンドグラスのように月の光を乱
反射させる。
 僕は小さな手で露を払い外の世界を見た。巨大なミニチュアのよ
うに静止し、雪だるまが動いた形跡はなかった。少し目線を上げる
と丸い月がある。
 そして僕は月に導かれた。
 
 玄関に掛けてあるスキージャケット、長靴、手袋、毛糸の帽子を
無意識に纏う。恐怖はなかった。

 雪だるまに一瞥もせず、消雪パイプが湯気を立てる車道を横切り
農道に入った。
 狭い農道は踏み固められ、田圃に積もった雪は肩まである。
 目線は月へ固定され、感情は徐々に光の粒子に支配されていく。
 僕は立ち止まり記憶は途切れた。
 
 僕を最初に見付けたのは新聞屋だった。
 新聞屋の話では、最初僕を見て地蔵だと思ったらしいが、地蔵の
口から白い息が出る筈はない。声を掛けても立ったままでピクリと
も動かないので凍ってしまったのではないかと思ったそうだ。新聞
屋は近付き、恐る恐る手を伸ばして頬に触れた。その瞬間僕は倒れ
た。
 
 僕はそのときの感触を覚えている。新聞屋の手は冷たく、インク
の匂いがした。あと脳裏に僅かながら月の目映い光と雪の泡立つ光
が残っていた。僕は40度近い熱を出していた。気付いたら蒲団の
中で、額には濡れたタオルがあった。不思議なことに風邪などの病
気の症状はなく、ただ体中が熱かった。そして一晩寝ると熱は下が
り、何もなかったように日々の生活に戻った。
 
 僕は戻って来た。都会の哀れむような月の光は僕の心を癒しては
くれなかった。
 僕は空を見上げる。雲が空を覆い、粉雪が浮遊する。月はまだ姿
を見せない。
  僕はあのときの洗礼を待っている。






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