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第18回1000字小説バトル
Entry4

水のない水槽の中で、

作者 : 岡さやか
Website : http://www02.so-net.ne.jp/~sayaka/
文字数 : 968
僕が窓を見上げた時、彼女は向かいの窓から僕を見下ろした。
お互いの眼をとらえた。
曇りの日、煙と空の境がなくなるように自然に。
約束をしたのだったら、おそらくその時だろう。
まるで当然の事のようにロビーの椅子に彼女がいた。

糸のように細い銀の指輪は彼女の手でひっそりと輝いていた。
「指輪をはめて左にまわすとね、願い事がかなうの。
そう、信じていた時期があった。小さい頃ね」
「君は何を願った?」
「何も」
何故、と言いかけてやめた。

小さい頃通っていた理髪店に行ってみたくなった。
僕は昔の場所にたまらなく行きたくなるのだ。
懐かしさだけではなく、何かもっと別の事……
帰巣本能、とは少し違うけれど。

薄暗い店内からは柔らかい音がたえず聞こえていた。
石鹸を泡立てる音。

やがて雨が降ってきた。

それはしばらく降り続き、僕の呼吸を楽にしてくれた。
やがて日の光が差し込んで、5月の街を鮮烈に映し出した。
優しい雨の後、緑はいつもより輝きを増す。
おそらく宇宙から見た地球も。

金魚鉢の中の夢
鳥かごの中の宇宙
ガラス玉の中の風景

いつからか思い浮かぶようになった3つの言葉。

犬小屋の中の骨……
それはちょっと違うと思う。

僕はホテルの部屋に戻り、向かいの彼女の部屋の窓を見上げた。
カーテンは閉まっていた。
疲れきった足をテーブルに載せた。

テーブルの上にあるはずのない物が置いてあった。
大量の鳥の羽毛で作られた球体だった。
それは手のひらの上で確かな存在になった。

部屋は西日を沢山取りこんでいた。
明るいのか暗いのか分からない不思議な時間帯は、
夜に向けて徐々に変化していった。

混乱した頭を休める為に目を閉じた。

部屋が青に沈んだ頃、僕はやっと目をあけた。
どこかで時刻を知らせる音楽が流れていた。
エリック=サティの''犬のためのぶよぶよした前奏曲''だった。

僕は羽毛を丁寧にほぐした。
それを窓からそっと吹き飛ばした。
まるでその場に静止していたいかのようにゆっくりと、
揺れながら拡散して落ちていった。

ベットに仰向けになって眠りの訪れを待っていた。
車が外を走るたび、光の帯が天井を移動した。
それがなんとなく嬉しかった。

そして鳥の羽毛を思い浮かべる。
彼女が何の為にここに置いたのか分からないけれど。

水のない水槽のようなこの世界。
息はできるけど囲いから出る事はできない。
水が満ちた時、僕は外の世界に泳ぎ出て行くだろう。






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