第42回1000字小説バトル全作品
#作者題名文字数
1alumaa family1000
2さゆり震える指1000
3フラワー・ヘッド俺とキリコ@〜事件編〜1013
4道人冷たき、その深海に漂う915
5立花聡旅立ち713
6narutihaya僕はネジを締めている973
7旅幸まりあ薬剤師エリカの独り言(トラブルメーカー)1000
8佐藤ゆーきイタリア語で電飾という名の祈り829
9青野 岬蝦蛄1000
10棗樹胎内樹型1000
11小山ユキ部屋と壁810
12林徳鎬内側からの追跡1000
13橘内 潤『音』928
14さとう啓介未知標(みちしるべ)1000
15日向さち身勝手なオタク1000
16ごんぱち食いしん坊の条件1000
17太郎丸住民1000
18アナトー・シキソどうせ、水なんかじゃ流れない。1000
19るるるぶ☆どっぐちゃん人間の条件1000
20カピバラ限りある資源1000

訂正などによる作品投稿の重複が多く、誤掲載や漏れなどの怖れがあります。訂正、修正等のお知らせは、掲示板での通知は見逃す怖れがありますので、必ずメールでお知らせください。

バトル結果ここからご覧ください。


Entry1

a family

aluma
文字数1000


 ダイニングの椅子に座って瑞菜さんは単語帳をめくっている。
 時折口が軽く開いて、そこからカタカナ読みの発音が小さく聞こえた。すごい勢いでページは進む。パラパラパラパラ。
 半開きになった窓から夕日が差し込んで、脱色し尽くした瑞菜さんの髪の色が更に薄く輝く。
 僕の位置からは後ろ姿しか見えない。ひょろりと細長くて、だから思いっきり猫背で、クリーム色みたいな髪をいつもツンツンに立ててて、そして僕にはやさしくない瑞菜さん。
 突っ立っている僕の足元を、あたたかくてふわふわしたトラ猫が擦り寄ってきた。僕は彼を抱き上げて、ヒゲをチクチクして、そして瑞菜さんを一緒に見る。
 元気のない瑞菜さん。
 いつになれば、また、大きな声で僕を怒鳴りつけるようになるのだろう。ねえ、たま。
 たまの咽元をゴロゴロしてあげながら、やっぱり夕日の中にいる瑞菜さんを見てる。
 僕とたまと瑞菜さん。三人でこの家に暮らしている。
 ・・・・・・家族と呼んでも、いいんだろうか。

 買い物に行こうとして、でもやっぱり宿題が先だと思いついて、そういえばたまのトイレの掃除は忘れてた。
 いっぱいやることがあるから、全てを後回しにして、いつの間にかウトウトしてた。

 ふと目を開けると、真っ暗い部屋に瑞菜さんが立っていた。
 白い顔が闇に溶けて、そこにはなんにもないみたいに見えた。
「コガネムシって、英語でなんていう?」
 唐突な声は、かすれてた。
「コガネムシ? あー、えーとわかんない」
 僕の声も負けずにかすれてる。
 瑞菜さんはフルスイングで単語帳を投げつけ、
「私は知ってる。だから、あんたより偉いの」
 そう叫んだ。
 僕は起きた。でもどうしようもなくて、叩き付けられた単語帳をめくる。

『LOVE.LOVE.LOVE.LOVE』

 この単語を訳せ。

『愛する。愛する。愛する。愛する』

「私はあんたより、ずっと大人なのっ!」
 瑞菜さんが僕を睨む。僕は瑞菜さんを見る。
 たまが、ダイニングの入り口でそんな僕達を眺めてる。
 そう、僕らはいつの間にか三人なんだ。
「父さんは・・・・・・」
「しゃべるな! あんたは、あの人なんかじゃない」
 僕は口をつぐんだ。
 でも、言いたい事が、あるような気がした。
 言わなければならないことが。
「あの人じゃない。あの人はいない。じゃあ、ここはどこなのよ・・・・・・」
 僕は言葉を探しながら、単語帳をめくる。パラパラパラパラ。

 次の単語を訳しなさい。

『family』

『家族』

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Entry2

震える指

さゆり
文字数1000


 眠れない一夜を過ごした智子の足は、実家に向かっていた。実家といっても 両親は他界して今は兄夫婦が住んでいる。親が健在だった頃は頻繁に訪ねていたが、今は盆暮れの挨拶程度だ。それも物の十分もしたら帰りたくなる。「ほんとに」智子は苦笑する。「女三界に家なしだわ」だがどんなに気が重くても今日は行かなくてはならない。この所の不景気の煽りを受け夫の商売が不振なのだ。手形決済が迫っていた。今、不渡りを出したらどんな結果になるか、聞かずとも分かっていた。この春教職を辞した兄には、退職金があるはずだ。恥をしのんで兄に頭を下げよう。「死んだ方が楽やな」冗談に紛らせ薄く笑った昨夜の夫を、智子は切なく思い出していた。

 玄関に女物の草履が揃えてあった。「智子です」声をかけながら居間に入ると、兄と妹の妙子が話し込んでいた。妙子は上等の大島紬を着込んでいる。「あら、お姉さん、久しぶり!」そう言って差し出した指には、大ぶりのダイヤの指輪。妹の夫は、家業の八百屋を継いだのだが、スーパーに改造したのが大当たりし大層羽振りがいいのだ。
「いい所に来た。妙子が旦那と別れると言って聞かないんだ」兄は困惑した顔を智子に向けた。

 妙子の夫は、仕事も出来るが艶福家だ。経済的には恵まれた妙子の、それが唯一の泣き所だ。女性問題が発覚する度に、妙子は泣き喚き大騒ぎしてきた。すると妙子の夫は、着物だ宝石だと買い与え機嫌をとるのであろう。妙子の傍らにある鰐皮のバッグも一見して高級品だと分かる。これも戦利品だろうか。姉妹のなんと言う境遇の違い。智子は声もなく、ぼんやり妙子を見詰めた。

「嫌よ兄さん。あたし今度という今度は絶対別れる。そのつもりでレジからお金盗ってきたのよ。ううん。旦那に文句なんて言わせない。ねぇ、いいでしょ。今晩からここに泊めて」
 妙子は一気にまくし立て、バッグの留め金を開け閉めした。
「まあ、落ち着いて。とりあえず腹もすいてきたし何か食べようよ」兄は苦笑しながら立ち上がった。「あたしも手伝うわよ」妙子も後に続いた。

 その拍子だった。
 鰐皮のバッグが口をパックリ開けたのは。
 中には無造作に放り込まれた数個の百万円の札束があった。

 瞬間、智子の脳裏に金策に失敗し項垂れる夫の顔が浮かんだ。
 それは酷く悲しげで青ざめていた。
  
 あなた、死ぬなんて嫌です。
 
 お金なら、ほら!
 智子は震える指で、バッグの中をまさぐった。

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Entry3

俺とキリコ@〜事件編〜

フラワー・ヘッド
文字数1013


俺とキリコは、駅前のカフェで、空虚な「最後」のランチを終えた。
店の奥からは、ピンク色の制服を着たウェイトレスが、食後のコーヒーを持って来ようとしている。
コーヒーが来たらキリコに別れを告げよう、俺はそう思っていた。

「どうぞ」微笑むウェイトレス。
「どうも」俺は静かに言った。
「キリコ、大事な話がある・・」
そう言い掛ると突然、キリコが席を立った。

「畜生!どうせアタシは弄ばれて捨てられる女よぉ!」
何!?
食事の雰囲気から俺が別れを切り出すのを悟ったのか?
「死んでやるぅぅ!」
キリコはそう叫ぶと、店内から走り去った。
「待てよ!」すぐに俺は追いかけた。

キリコは向かいのデパートに駆け込み、エレベーターに乗り込んだ。
「はぁはぁ、しまった!乗り遅れた。くそ、どこへ行く気だ。」
キリコのエレベーターは最上階で止まった。
「はっ!まさか、本気で死ぬと考えているのでは!?」
俺もすぐに最上階へ向かった。

案の定、最上階から屋上への通路を抜けると、キリコは落下ぎりぎりの所にある鉄柵に寄りかかっていた。
「おい、やめろぉ!」
「何よ今さらぁ!!」
「俺が悪かった、こっちへ来てくれ!」
「謝るだけなら猿でもできるわよお!!」
そう叫ぶと、キリコはポケットから右手でナイフを取り出し、傍に設置されていたアドバルーンの固定用ロープを左手で握り締め、それを人質だと言って絶叫し始めた。
「こいつの命が欲しければぁ、金を払いなぁ!あたしに慰謝料払えよぉ、300万払えばぁ、こいつの命は救ってやるわよおおお!」

狂っている、キリコは狂ってしまった。

今さら何を言っても始まらない、誰にも救えない。もうお手上げだ。付き合って3ヶ月、別れを切り出したらこの始末。俺にも悪いところはあった。
だが、キリコをここまで狂乱させる付き合いはしていない。ああ、俺はこれから、世間に最低な男という烙印を押され生きていくのか?
俺は絶望し、その場に座り込んだ。

そのとき!!
ピンク色の人影が俺の横をものすごいスピードで駆け抜けた!

「とぅりゃあああ!はあっ!」
鋭い手刀がナイフを払い、ズンと重い音がキリコの「みぞおち」を捉えた。

「このタダ食い野郎め!『金を払え』はあたしのセリフよ、押忍!!」
えっ!さっきのウェイトレスが、なぜここに?

そ、そういえば食事代金払ってなかった・・。

「助かったよ、ありが・・。」

ぐはっ!
こ、こいつは。

「このタダ食い野郎め!押忍!!」

キ、キリコより、ぶち切れてやがる・・バタッ。

続く

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Entry4

冷たき、その深海に漂う

道人
文字数915/文字数は自己申告してくださいね(Q)


魚は決してその肌に、太陽の陽が刺さり焼ける事はない。
本能に印刷された行動パターンに海中という生活圏内から飛び出すという命令文章はないのだ。
海中での生活は仕合せだ。食うにも困らず。漂い、揺らめき、体に伝える力も要らない。
悲しみで伝う涙は海水に混じり、誰にも知られることはない。
高鳴る興奮の熱は冷まされ、握る手の振るえは波に消される。

魚は漫然とした生活に疑問を覚えた。ストレスのない生き方に絶望的な苦しささえ感じた。
魚は海面を見上げた。そこにはゆらゆらと光る物があった。魚は群れを離れ衝動的にその光に近づこうとしたが波が大きく揺れその意思を妨げた。しかし魚は引っ張られるような見えない力に導かれ、海面から顔を出し、違う世界を見渡した。その瞬間、今まで感じたことのない痛みが目を刺し、魚は気を失って海底に沈んだ。

海の外は開かれた異質の空間だった。攻撃的な光で粘膜は乾いた。
光の源は威勢を誇り自由という粒子が大気に充満していた。
魚は海の外で生きて行けないと瞬間的に感じてはいたが、しかし、匂いたつ優しい風を忘れる事が出来なかった。

その風を、その風を…、深く、深く、魚は遺伝子に刻みつけた。

その魚の子孫は同じ行動をとり続けた。心地よい風を感じたいがために海を出ようとした。
数万年後、その魚の遺伝子を受け継いだ別の生き物が陸に上がり、爆発的に種は進化した。

それから数十万年後。
鬱積したイデオロギーに支配された社会に生きる孤独な生物が海を見る。知性を持った人間という生物が海に生命の根本を見る。
一部の人間は人口の光に生理的な嫌悪を感じていた。しかしその人間達は真の闇を見た事は無はなく、同時に闇を恐れていた。
人間は海中に思いを馳せる。怒りも苦しみも、悲しみも淋しさも、欲望を駆り立てる太陽の光も全て中和させ溶け込ますその海中に思いを馳せる。
意識は平等に隔てなく彷徨う。
ある者の意識は悦楽と怠惰の温い海へ。
ある者の意識は正しき進化の辿る冷たい海へ。

幸いにも漂う、冷たく、音の無い冷たい海中を。
深海の闇から湧き出る胸を震わす恐怖は正しき人間の遺伝子に刻まれる。
そこに、その深海の圧力に壊れた後、真の勇気を持った人間だけが新たな光を得ることができる。

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Entry5

旅立ち

立花聡
文字数713


 タツ、タツ、タツ。
 どこかの蛇口が閉め忘れられているみたい。冷たい音が部屋を満たしていく。もしこのまま、水がぼくの部屋を満たしていったらどうなるだろう。
 きっとぼくは、ゆっくりと眠って気が付くといつのまにか魚になっている。大きな尾ひれ。頑強なうろこ。ちょっぴり小さめな口。水に満たされたぼくの部屋はいろいろなものが舞っている。なぜだかついている蛍光灯の月の光で周りがみんな輝いている。テレビは煌めく万華鏡。置き時計は素敵な貝殻に変わってる。ペットボトルや空きかんは、見たことないほど鮮やかな魚に変わってぼくの部屋の高いところで泳いでる。
 外は雨。激しい豪雨の音が近くの駐輪場のトタン屋根を忙しく揺らす。ずっとこのままいたい気もするけれど、今ならぼくは、川に出て広い海に出ていくことができる。夏の海の中から、突き刺す日ざしを浴びる海面にキスすることができるだろう。海の奥の、ずっと奥、微笑むクラゲと握手することもできるはず。
 こうしてぼくは旅に出る。
 持つべきものはなにもない。必要なのは直径三センチの小さな夢。三センチの球体を胸ビレに抱えてキッチンの窓から雨降る道にでる。土砂降りでできた小道を渡って水で満ちた排水溝を右に曲がっていく。生えてる雑草がまるで本物のような海藻みたいに右に左にワルツを踊っている。水面では誰かが喋っているみたいだ。黄色のカッパを着た子供が不思議そうにぼくが川に向かっているのを眺めている。布団屋の前を通って、路上で雨に震えている猫を。まるで空から甘い飴でも降ってきているように空を仰ぐ八百屋のおじさんを。音もなく散った桜が咲いていた公園を走り抜けて。
 そうしてぼくは川に出た。さよなら、ぼくのまち。

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Entry6

僕はネジを締めている

narutihaya
文字数973


 僕はネジを締めている。右手につかんだ電気ドライバーの先が、時計回りに回り、そして止まる。朝の9時からきっちり8時間。毎日、4000本のネジを締めて、それで7200円。これが、僕の仕事。目の前のコンベアラインを、1000台の電子レンジが、右から左へ流れていく。毎日、毎日。変わることなく。

 ここで働き始めてもう2年になるが、僕はこのコンベアの動きにいまだになじめない。じっとコンベアの流れをみているうちに、自分の体が左から右へ流れていく様な錯覚に陥ってしまうのだ。作業中ふと気づくと、右の脇の背中側のあたりになにか違和感を感じる。体の内側からくすぐられている様なかんじだ。次いで首が右に引っ張られ出したら、僕の体がゆっくりと歪む様に流れ始める。一度そうなってしまうと、僕は僕の体が流されていく事にじっと耐え続けなければならない。

 そうした時、僕はいつも僕の属する時間と空間について考える。僕が立つこの地球は自転し、地球は太陽の周りを公転し、さらに太陽系は回転する銀河系の中を動いている。つまり、僕の体は一時として同じ空間に留まっている事はなく、コンベアとの位置関係において相対的に止まっている様に見えているに過ぎない。僕は常に膨張する空間と時間の中で、流され続けて生きている。

 僕は頭の中にどこまでも動き続ける惑星達の楕円軌道を思い浮かべた。それは、宇宙という精密なからくりの中で、太陽系や銀河系という名の歯車が規則正しい運動を続けている様に見えた。恐らく時間とは、この歯車なのだ。そして、僕はその歯車を組み立てる為の、数多くのネジのひとつなのだろう。

 僕の手からネジが一本こぼれ落ちた。それはコンベアの下のいつまでも光の届く事のない場所へと吸い込まれていった。僕は代わりのネジを手にとる。

 この地球には、人というネジだけで61億もあるのだ。人の世界には毎日35万本のネジが生まれ、15万本のネジが死んでいく。その一本が世界よりも重いかけがえのないものだなんて、そんな無責任な事がなぜそんなに簡単に言えるのだろう。世界にネジは捨てるほどあるのだ。そして、事実、日々捨てられ続けている。

 僕は流される事を受け入れた。途端に僕の体はコンベアになじんでしまって、それ以来、コンベアはただ電子レンジを右から左へ運ぶだけで、二度と僕を流そうとはしなかった。

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Entry7

薬剤師エリカの独り言(トラブルメーカー)

旅幸まりあ
文字数1000


新年早々、薬局へやってきた男は、処方箋を手にしていた。
見ると、処方箋には

トラブルメーカー50mg 朝食後 1錠 30日分 国外

と、書いてある。
「パスポートと旅券、厚生省の許可証はお持ちですか?」
「はい。これです。」
「行き先は、ハワイ、今から出発。書類は、全部そろっていますね。それでは、朝食後に、1錠飲んでください。お分かりになっていると思いますが、くれぐれも国内では服用しないように。」
「わかってます。ありがとうございます!」

トラブルメーカーは、最近開発された抗ウツ薬で、重症のウツ患者にも効果があるとして、人気が高まっている。しかし、やっかいなお薬なので、服用許可の申請が大変なのだ。それに、いろいろとめんどくさいことが多いので、薬剤師もこの薬を出すのは嫌がる。

2日後。
そのめんどくさいことが、現実になってしまった。
ハワイへ行ったはずの男が、薬局にやってきたのだ。
「いったいどうしたんですか?」
「飛行場まで行くはずのバスがエンストして、タクシーに乗ったら運転手が車酔いで運転できなくなり、電車に乗り換えてやっと飛行場に着いたら、乗るはずの飛行機がハイジャックされて、とうとう出発できなかったんです。」
「もしかして、あなたお薬飲みましたか?」
「す、すみません・・早く試してみたくて。」
「もう!トラブルが起こるのは、そのせいですよ。この薬はトラブルを起こして、アドレナリンの放出を促すんです。ウツ患者さんはアドレナリンの分泌が悪いから、これで改善されるんです。しかし、」

私が薬の説明をしていると、薬局の入り口からちょうど覆面をした男が入ってきた。
「静かにしろ!金を出せ!」
強盗だ。手にはナイフを光らせている。ちょうどいいわ。私は説明を続けた。
「でも、この薬の特徴はですね。いろんなトラブルが起こるけれど、ケガなどはしないように作られているんです。」
私は、強盗に、にこにこと歩みより、あっけにとられる強盗からやすやすとナイフを取り上げた。
強盗は、何も取らずに薬局を後にした。
「ほらね。でも、もう絶対に明日からお薬飲まないでくださいよ。」
「今日も飲んでいないんですが。」

その言葉を聞いて、頭が真っ白になった。
そして、一番に浮かんだのは明日の朝刊の見出しだった。

強盗のナイフを素手で取り上げた勇敢な女性!

やだやだ!この薬の副作用は、こうやって周りに迷惑がかかることなのよぉ!
どうやら今年も、彼氏はできそうにない。

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Entry8

イタリア語で電飾という名の祈り

佐藤ゆーき
http://www.d2.dion.ne.jp/~syuki ORGANIC MACHINE
文字数829


 あちこちの路地から現れた人々が次々と合流し、大通りを埋め尽くす巨大な人の流れとなる。暗闇に鎮座するビルの谷間を僕達は、聖地へ向かう巡礼者のごとく、災いから逃れる難民のごとく、ただ前の者に付き従い進んで行く。数歩進んでは立ち止まり、数歩進んでは立ち止まり、その行軍は永遠に続くのではないかと思わせる。ふと空を見上げると、禍禍しいような、神秘的なような、オレンジ色の大きな月がビルの横に浮かんでいて、本当にここが異世界なのではないかと不安になる。
 しかし、しばらく進むと、両側に巨大な壁のように建ち並ぶビルの明かりの点いている窓からこちらに手を振る人々がいて、この行軍も日常の中の単なるお祭りにしか過ぎないんだと自分に言い聞かせることができる。時間が経つにつれてこの行列の長さに対して毒づき始める人々や、携帯電話で約束の時間に遅れることを誰かに伝える人々が、僕に日常の煩わしさや安心感を取り戻させてくれる。
 そして、目的地が近づいていることを知らせ、目的地での注意事項を、ハンドスピーカーで叫ぶ警備員のいる場所を通り過ぎたあたりから、人々のざわめきは大きくなり、列の進む速度も速くなる。最後の曲がり角を曲がったところで、僕の回りで歓声が上がる。赤や青や黄色や緑の光が夜空に溢れ、それがどこまでも続き、僕達を照らす。
 その美しさは、六千三百八の魂の輝き。そのまぶしさは未来への希望。それは初めて目にする祈りというもののかたち。たとえ僕達は一生自分の宇宙から抜け出すことができなくて、誰かと本当に分かりあえるということはただの幻想に過ぎないとしても、今この瞬間、この場所にいる人々は同じものに感動し、同じように微笑み、同じ宇宙を共有していると言える。僕達がこんな気持ちになれるのなら、この悲しみの溢れる世界を、誰もが良いと思える方向に、一歩ずつでも進めていけるだろうと思う。その希望に感動して僕の目に涙が溢れる。
 そして僕は、ルミナリエせんべいを買って家路につく。

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Entry9

蝦蛄

青野 岬
文字数1000


 夫婦で回転寿司屋に行った。ベルトの上をぐるぐる回る寿司ネタを見ていたら、やけに蝦蛄(しゃこ)の乗ったお皿が多い事に気付いた。
「へい、らっしゃい!今日は東京湾で捕れたいい蝦蛄入ってますよ」
 風呂上がりっぽい清潔感を漂わせた若い職人が、誰に言うともなしに寿司を握る手を休めないまま言う。
「蝦蛄うまそうだな。どれ、ひとつ」
 それを聞いた夫がすばやく蝦蛄の乗ったお皿を取る。海老に似ているようで実はかなりグロテスクな容姿をしている蝦蛄が、私は苦手だった。
 私が高校生の頃、バイト先に『蝦蛄おばさん』と呼ばれている女性がいた。 昼休憩にお弁当を食べる為に従業員の控え室に行くと、おばさんは蝦蛄がびっちり詰まったパックをテーブルの上に置き、それをおかずに白い御飯を食べていた。おかずは蝦蛄だけ。その隣には、醤油の入った小皿。おばさんは箸で蝦蛄をつまむと軽く醤油皿の上を泳がせて、無表情のまま口に運ぶ。ぺろり、一枚。ぺろり、そしてまた一枚。パックの中の蝦蛄が全て食べ尽くされた時点で、おばさんの食事も終わる。それが毎日、繰り返された。
「そう言えば、蝦蛄って汚い海の方がよく捕れるんだってさ」
 夫が口をもぐもぐさせ蝦蛄を咀嚼しながら話し掛けて来た。
「……知ってる。水死体なんかが上がると、それを餌に群がってるらしいね」
「やめろよ、食べてる時にそんな話」
 私も自分で言って気分が悪くなり、口をつぐんだ。さっきから何度も何度も蝦蛄の乗ったお皿が、私の横をすり抜けて行く。夫は活きのいい蝦蛄がたいそう気に入ったらしく、すでに蝦蛄ばかり三皿めに突入している。
 蝦蛄おばさんの存在があまりにも無気味だったので、私は他の従業員にこっそり歳を訊いてみた。おばさんは六十歳を越えていた。どう見ても四十代の後半くらいにしか見えなかったので、私はとても驚いた。肌だってツヤツヤしていたし、歳の割にはかなりスタイルのいい方だったと思う。
 海水でふやけて柔らかく膨らんだ人間の肉を食べて育った蝦蛄は、どんな味がするんだろう。もしかしたら蝦蛄は、おばさんの若さと美しさの秘けつだったのだろうか。
「蝦蛄、新鮮で美味しいよ。ママも食べなよ、ほら」
 夫はそう言うと、親切にも蝦蛄のお皿を取って私の目の前に置いてくれた。気を取り直して夫の顔を見て、私は言葉を失った。そこには、あきらかに入店時よりも肌の色つやのいい、活き活きとした夫の笑顔があった。

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Entry10

胎内樹型

棗樹
文字数1000


 富士山に行った。
 高速にのって河口湖を目指し、着いたらとりあえず湖の周りをうろうろしたものの、山にも湖にもすぐに飽きて、車に戻ってガイドブックを拡げた。
 割と近くに「船津胎内樹型」なるものがあるとわかった。
 すでに日は傾き、時計も五時を回っていたから連れは反対したけれど、「胎内」と「樹型」という字に魅せられた私は、強引に車を走らせた。
 目指すものは、河口湖フィールドセンターという施設の敷地内にあった。
 案内板によると、樹型とは、富士山が噴火した際に、火口から流れ出した溶岩が立ち木を薙ぎ倒して飲み込み、やがて冷えて固った時に、中に樹木の形そのままの空洞の出来たものをいうそうだ。正確には「溶岩樹型」だが、船津のものは、溶岩の熱で融けた木肌の痕や岩の色が人の胎内に似ているため、「胎内樹型」と呼ばれているらしい。
 中は人が立って歩けるほど広く、また、倒木が上手い具合に重なったせいで、七十メートルも続く洞窟になっているという。それはそれで見応えがありそうだと思ったが、実際目の当たりにしている樹型への入り口は狭く暗く、周囲に人気がないこともあって、とても入ってゆく気にはなれなかった。
 夕陽の名残は完全に消え、空を飛ぶ鳥もいなくなった。閉めきった車内にいてダウンジャケットまで着込んでいるというのに、急に肌寒さを感じた。
 その時、連れが案内板の根元に中ががらんと空いた大きな炭のようなものが転がっているのに気づいた。若い樹か巨木の枝の部分を取り込んでできた、小型の溶岩樹型らしい。
 穴の直径を十センチ、と見当をつけながら、何かひっかかる気がして考えたことを辿り直し、新生児の頭の直径だ、と腑に落ちた。ああ、この岩は産道そのものだと考えて、ふと、ガイドブックにあった「胎内巡り」という儀式を思い出した。樹型の中を歩いて戻ってくることを母の胎に還って再び生れてくることになぞらえた、再生の儀式。
 私は車を降り、岩の中の暗い穴をしげしげと眺めた。
 指先でそっと触れた。
 千年以上前、この岩の内側で熱く融けて消えた樹を思った。はじけるように蒸発する樹液と自らの影を岩に捺して激しく燃え上がる樹皮を、その痛みと叫びを思った。
 
 それは遠い昔の出来事なのだろうか?

 血液と胎脂に塗れ、灰色に近い紫色の肌をして暗い穴の中から押し出され世界に触れた最初の瞬間を、その痛みと叫び声を反芻しながら、私は立ち尽くした。

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Entry11

部屋と壁

小山ユキ
文字数810


冷たい朝の空気に身を震わせる自分がいる。
遠い空を眺めて将来に不安を感じる自分がいる。
暗く静まり返った部屋に戻る自分がいる。
気がつくとくだらない愚痴をこぼす自分がいる。

その部屋に人を信じるのを怖がる人が入った。
お互い求め合いぬくもりを感じるはずだったが、心が触れ合えない壁を作っている。
その壁に必死に体をこすりつけてるみっともない自分がいた。
壁の向こうから微かに聞こえるモールス信号を頼りにしてる。
冷たく聳え立つ壁、支える時は壁ごと支えなくてはいけなくなった。 
こすりつけた顔が擦り切れて、脚や手の指の先から徐々に冷えていく。
自分を支える手や腕はなく姿勢を保つのが疲れてきた。
それでもモールス信号を頼りに、
微かなぬくもりを感じようと聞き耳を立てる。

自分の部屋はずいぶん殺風景で暗く冷たい。
目に見える景色は毎日同じで変わりようがなく、
昔と比べると壁ができたぶん狭くなり窓の光をさえぎった。
必然的に外への道も閉ざされ部屋は安全になり
空を眺めて不安になることもなくなった。
だけど私の日課は壁の音を聞くことだけになった。
壁の向こう側には外へのドアがある。
聞き耳を立てると微かにドアを開け閉めしたり賑やかな話声や音が聞こえるようになった。
気がつくとそこには見ることができないぶんその音に不安になり言葉のドリルで壁を激しく叩き削る自分が居た。

壁を削ると自分の部屋は徐々に広くなっていったけど壁は薄くならずさらに厚くなっていき
壁の向こう側の部屋はどんどん狭くなっていった。
まるで磁力が強くなっていく磁石の同極同士が反発するようだ。
そのうちこの部屋は一人になり壁によって厚く閉ざされた部屋の酸素を吸い尽くす自分が居る。
息が詰まる。
いつのまにか見知らぬ色をした壁を見つめながら、
壁を削り続けるか、壁ごと背負うか、どっちにしても体力の限界と難しさと虚しさに気付き
いつまでも体が冷たいままの自分が居た。
壁をどうこうするよりこの部屋を捨てようか?

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Entry12

内側からの追跡

林徳鎬
文字数1000


あと三歩足を進めていたら、幸運を逃がすところだった。
走りながら両脇に広がる闇に目を光らせていたのだ。
鍵穴は、太い柱にピストルで打ち抜かれたようにポッカリ空いていた。
喜びよりも先に圧倒的な安堵に満たされ、膝に手をつく。
暗い廃墟には照らすものなんてないはずなのに、凍った地面が鈍い光を放っている。走っている時よりも息が荒い。胸にはゆっくりと喜びが込み上げてきたが、肺が破れてしまいそうだった。

左手に握り締めた鍵を震える親指と人差し指で挟む。
追っ手はじきに来る。
柱には鍵穴以外に何もない。ただの柱だ。
それがどうやって天国と繋がるのかは考えずに、というよりも考える前に鍵穴にそれをさし、右に回した。それから左に回す。

柱はただ一本、凍った地面に立っている。鍵を回してもなんの感触もない。
じわりと汗が噴出す。後ろを振り返る。
鍵穴を間違えるはずはない、それは一つしかないはずだし、鍵も本物のはずだ。
そうでなければ誰もおれを追いかけたりはしない。

闇の奥から犬が地面を蹴る音が聞こえ、なす術もなく柱の裏に身を隠すと、音はあっという間に近づき、速度を落とし、断続的に、ぱしぱし、ぱし、ぱしぱし、ぱし、という足音になる。
柱は肩幅よりもわずかに狭い。
目線の高さに鍵穴があった。鍵はこちら側からさすのではないか?という言葉が頭をよぎる前に素早く鍵をさし、右に回す。それから左に回す。

犬はとっくに匂いをかぎつけて柱に近づいてくるが、その後ろに続いてやってくる追っ手は、柱の後ろの深い闇に目を凝らしているかもしれない。
言葉に追いつかれている。言葉をゆっくりと頭に浮かべるのは、もう諦めてしまったからだろうか?それ以上は考えずに鍵を右に回す。それから左に回す。
感触がない。

追っ手が長い槍を持って、柱に近づく。
地面に目をやると、凍った地面に薄い影が出来ている。ああ、おれの影だ。
身を硬め、鍵を何度も素早く回す。それから二度同じ方向に回すことを思いついた、思いついたというよりも、それが考えとしてまとまる前に既に鍵を二度同じ方向に回していた。
感触はなく、完全に諦めた。
鍵を鍵穴から抜き、何か最後にこころに思い浮かべるべきことを探したが、なにかを探しあてるまえに、鍵穴の闇から長い何かが伸びてきて、おれの喉を深く突き刺した。槍は右に一度回り、それから左に二度回る。
激しく血を吹きながら、ああ、これを試していなかった、と思い、おれは旅立つ。

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Entry13

『音』

橘内 潤
文字数928


 カチッ。
 音がした。スイッチが予備タンクに切り替わった音だ。
「……ねえ、聞いてるの?」
「ああ、聞いてるよ」
 睨みつけるような恭子の語調に、おれは反射的にそう答えた。だが恭子は、これでは納得できないようだ。
「だったら、ちゃんとわたしの目を見てよ」
 ヒステリーという単語がおれの脳裏をよぎる。もちろん、口にはださないが。
「顔を見て話すの、苦手なんだ。癖なんだよ。知ってるだろ」
 テーブルの上できつく握りしめられていく恭子の手拳を見つめていう。
「知らないわよ……知らないわよ、そんなこと!」
 ダンッ。
 握り拳を叩きつけられたテーブルが乾いた悲鳴をもらす。
 我侭、無知――こんどはそんな言葉が喉もとまで込みあがる。
「でも、いま知っただろ」
「そんなことを言ってるんじゃないわよ! わたしはあなたに、わたしの目を見て話して欲しいっていってるのよ」
 チッチッチッチッ……。
 タイマーの控えめな自己主張。
「いやだよ」
「え?」
「なんで、おまえにおれの行動まで指図されなくちゃいけないんだよ。そんなに気に食わないのだったら、いますぐ出て行くよ」
 カチッカチッカチッカチッ。
「わたし……そんなこと、いってないじゃない。ただ……」
 うっと泣き崩れる。
 イライライライラ。
 いままでは、そうやってすぐ泣くところが可愛らしいと思っていた。でもいまは、イライライライラ。
「もういいよ。これで終わりにしよう」
 恭子がはっと顔を上げる。おれと目が合う。そして沈黙。
 ビービービービー。
 警告音が声高に、予備タンクもじき空になることを知らせてくる。
「じゃあ、もう行くから」
 鍵をテーブルに置いて立ちあがる。恭子のわきを振り返らずに通りすぎる。すれ違いざま、立ち止まらずにいう。
「さよなら」
 ビィー。
 残量ゼロの合図。回路停止。
 結局、いったん減りだした恋愛エネルギーが補給されることなどないのだ。停止音だけが空しく響きつづけ……。
「――え?」
 ふいに警告音が止んだ。なんだか、背中が熱い。
 振り向くと恭子がいた。
「わたしを捨てるなんて、許さないんだから」
 包丁をいっそう深く刺しこみながら、おれの耳もとでささやいた。

 どうやらこの音、おれの恋愛回路じゃなくて、恭子の堪忍袋の音だったようだ。

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Entry14

未知標(みちしるべ)

さとう啓介
http://8504.teacup.com/hikaru/bbs 光のトンネル
文字数1000


 店長、今日早引きしてもいいですか
 はぁ? 何言ってんだ。まだ来たばっかじゃねーか
 母さんが病気で――

 揺れる電車の吊り革を掴み、窓の外を見つめる。店長の訝しげな顔が思いだされる。
『代りは幾らでもいる。やめちまえ!』
 駅を出て薬局で薬を買う。携帯のメールをもう一度見た。
『熱で動けないよ。早く来て』
 俺は日溜りの公園を抜けて彼女の所へ向った。俺は一体何処へ行くんだと不思議な感覚が頭を過る。
(今一番大事なのはマリか?)もやもやとした心中が、低い陽射しに見透かされた気がした。
 玄関を入るとマリはソファーにもたれうたた寝をしている。その額に手を当てると、甘える様に俺の手を引き寄せ唇を重ねた。
「俊にうつれ……」
 微かな声で言うとマリは力なく微笑んだ。マリに薬を飲ませベッドへ寝かせる。
(一番大事なもの……)窓に集まった日溜りが枯れ葉の影を揺らし、静かな時が流れる。

――いつの間にか俺は暗闇の草原を歩いている。足元の草が俺に踏み潰されていく。
『君は何処から来て何処へ行くんだ? 足跡も何にも残って無いけど』
(何も?)後ろを振り返ると道標が立っていて俺に言う。道標の言う通り足跡も道も何も無かった。
 不意にお袋の姿が浮かぶ。悲しい瞳、俺を送り出してくれた時の母だ。
『しっかりな、しっかり頑張るんよ。お前が決めた道じゃから、母ちゃん何も言わんから……』
 そしてあの時の俺がいる。夢を追いかけて家を出た、俺がいる。
 道標はまた聞いてきた。
『どうする? まだ寄り道でもする?』
(どうすればいい。このままじゃいけないのか……)
 風が足元をさらうと、心に何かが小さく耀く。
「教えてくれ、どうすれば歩いた道を取戻せる」
『半端じゃ無理だよ。戻れるだけの体力があるの?』
 俺は戸惑いながらも頷く。
『では教えるか。その風に向って走るのさ。後ろを振り向かずにね』
 そう言うと、嵐の様な風が俺の背中を押した。
「マリも連れて行けるのか?」
 道標は軽く微笑むと嵐の中に消えて行く。そして風に千切れながら声がした。
『君次第だよー。君の心の体力次第さー』

 ふと日溜りの中に戻ると、彼女の声がする。紅い顔を火照らせ、俺に何かを言っている。
「大丈夫だよマリ。俺が連れていく」
 マリの安らいだ微笑みが、嵐に向う俺の足元を静かに照らし始める。
 俺はマリを抱いて駆け出す。
 風に倒れそうになりながら、歩いて来た足跡を見つける為に、俺は駆け続ける。

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Entry15

身勝手なオタク

日向さち
http://www9.ocn.ne.jp/~sachi-h/index.htm 幸-さち-
文字数1000


 K駅で乗り継いだ電車には、ちらほらと立っている人がいたので、私も左側の降り口辺りに立つことにした。目的地の手前まで、ずっとこちら側のドアが開くことになるのだけれど、私はそこまで考えておらず、ずんぐりとした体型の男がいたので、その男に背を向けて立った。
 K駅の次の駅に着くと、男は、乗ってこようとする人がいるのを見て、車内の温度を保つために少しだけ自動で開いたドアを全開にした。そしてみんな乗り込んでしまったのを見ると、私は、自分から近い方のドアを閉めようと振り向いて、ドアを少し横へ引いた。すると、男は私の手を振り払うかのように、強引に自分の手でドアを閉めて、何か呟いた。私には、勝手に閉めるな、という内容に聞こえたので、少し腹が立った。私の頭の中には、親切を押し売りするタイプの人間なのではないか、という想像が浮かんでいた。
 ドアが閉まるというアナウンスが流れた時、不意に目の前を男の腕が横切った。腕を伸ばして、車両の後方を指差したようだ。何だろうと思って見ると、1人、車内を歩いている女性がいた。男の連れなのだろうか。
 次の駅では誰も乗ってこなかった。また男が何かブツブツと言っている。そういえばイヤホンをしているけれど、何か関係があるのかもしれない。後方の女と、何か連絡をしているような気がする。
 電車が動き出し、次の駅名を告げるアナウンスが流れると、男はそのアナウンスをブツブツと繰り返した。さっきから何か呟いていたのは、これだったのか。そうすると、イヤホンも女も全く関係なかったということか。
 その次の駅では、割と大勢の人たちが乗ってきて、私たちの傍にも大勢の人が並ぶ形になり、その中の、女子高生2人組が私と男の中間に立った。イヤホンを外した男の声がブツブツからハキハキへ変わっていたので、興味半分でまた振り返ると、女子高生たちの表情は引きつっていた。当然の反応だ。
 私の頭の中に、“イカレてる”の5文字がグルグルと回り始めた。なんて身勝手な鉄道オタクなのだ、自分の車両でもないだろうに。それに、車内で指差し確認をする姿は、何とも異様だ。
 ようやく私の下りる駅に到着して、少しドアが開き、それを手で開けて客が降りはじめた。その時、ドアは手で開けるように、と後ろから男の声が聞こえた。
 ホームに降りた私は平静を装ってみたけれど、頭の中では例の5文字がビュンビュンと高速回転を繰り返していた。

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Entry16

食いしん坊の条件

ごんぱち
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/4587/ 小説屋やまもと
文字数1000


 きーんこーんかーんこーん……。
「今日はここまで。復習を忘れない様に」
 初老の教師が出て行くと同時に、教室は賑やかにざわつき始めた。
「さーて、ごっはん、ごっはん」
 藤原恵美が、バッグから弁当箱を出す。
「雪ちゃん、ちーちゃん、一緒に食べよ」
「うん」
「おう」
 野原雪枝が、風間千歳が、手に手に昼食を持って恵美の机に寄って来る。
「あれ、ちーちゃん、今日はお弁当じゃないの?」
 恵美は千歳の手のコンビニの袋に目を留める。
「あはは、寝坊しちまってな」
 彼女の袋からは、手巻きおにぎりが出てきた。
「ええええっ! 千歳ってお弁当作ってたっけ?」
 サンドイッチのパックを開きながら、雪枝が驚いた顔をする。
「リアクション大きすぎだっつーの」
「でもわたしも驚いたわ。嘘よね?」
「別に弁当作ってるなんて言ってねえだろう」
「え?」
「あれ? でも今」
「寝坊したから、朝飯を食いそびれて、弁当を朝飯替わりに喰ったんだ」
「ああ……納得したわ」
「……言っとくが、弁当箱埋めるぐらいの料理のレパートリーはあるからな」
「あはは。でもちょっと意外。千歳、朝飯だけは食べて来そうなイメージじゃん」
「朝飯に弁当にコンビニのおにぎりってか? そんなに喰えねえって」
 笑いながら、千歳はおにぎりを手に取る。
「そうよね。雪枝じゃあるまいし」
 塩昆布を食べながら、恵美が笑う。
「えー? みんなと別に変わらないじゃん」
 雪枝は心外そうな顔をして、サンドイッチを食べる。
「いやいや、大食いだろ?」
 おにぎりのパックを外しながら、千歳は雪枝をまじまじと見る。
「確かに、太ったりしてねえけど」
「でしょ? だから大食いなんかじゃないんだよ」
 雪枝はサンドイッチのパックを小指で指す。
「あたしの今日のお昼、これだけだし。別に、他にお菓子とかも食べてないし、飲むのも烏竜茶ばっかりだし」
「あれぇ? そういやぁそうだな……」
「おかしいわね。大食いっていうか、食いしん坊って言えば、雪枝よ?」
 千歳と恵美が首を傾げる。
「昨日だって、おにぎり二つ、四〇〇キロカロリーだよ」
「言われてみればそうね」
「ええと、ああそうだ、鮭と梅干しの食べてたっけ。でも、何だか凄く食べてたイメージあるな」
「そうよね。そういうイメージが定着してるわよね」
「一体何を根拠にそう思うのか、あたしにゃ分からないよ」
 少々不機嫌そうな顔で、雪枝は両手に一つづつ持ったサンドイッチを、交互に食べ始めた。

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Entry17

住民

太郎丸
http://www.toshima.ne.jp/~takuto_k/index.html 太郎丸の落書き
文字数1000


 改札を抜けると、目の前に広がるロータリーの中央には噴水がある。結構大きいが、噴水の周りには柵があるから、公園の様に人が入れるわけではないらしい。夜中にでもなればどこかの学生などが、憂さを晴らしにやってくるくらいだろう。
 ロータリーはタクシーや買い物客のものらしい車で埋まっていて、少しの隙間を車が行き交っているし、周辺はファーストフード店が軒を連ね、学生や若い家族連れを忙しく飲み込んでは吐き出していた。都内近郊の駅前商店街といったところだろうか。
 アーケードをくぐり、スウェット上下で千円(税込み)と張り紙した商店の角を曲がると、少し開けていて周りとは一線を隔した近代的なビルが出現する。大きな石に彫られた「○△市役所」という文字は、この真新しいビルが本当に住民の為の建物かと思わせるが、私はそこへ足を踏み入れた。
 受付けで番号札を受け取ると、長椅子で順番を待った。

「13番の方どうぞ」
 金曜日で13番という番号もどうかとは思うが、私は準備してきた書類を抱え、番号が点滅している部屋へと入った。
「13番の方ですか? 番号札は…、はい結構です。それでは書類をお願いします」
 番号札を差し出した私は、ずっしりと重い書類を係員の前にあった机に乗せ、その前の椅子に腰掛けた。
「それでは拝見します。うーん、そうですか。斉藤さんは落語ですか。何題くらいお出来になるんですか?」
「はぁ、十ほどなら人に聞かせられると思います」
「ほお、十ですか…。それでそれは古典ですか、それとも新作ですか?」
「一応新作です」
「そうですね。今は古典は流行らないですからね」
 大学の落研時代には古典を随分やっていたが、やはりここでは新作でないと駄目だという噂は本当だったようだ。
「それでは、2週間後の午後3時に公会堂の方で第一次審査を行ないます。遅れないで来て下さい」

 その後私は一次二次と審査を順次通過していき、とうとう最終審査である本選に出場する事になった。本選は公開番組としてテレビ放映され、全国からの投票になる。いよいよ私の実力が試され、ここの住民になれるかどうかが決まるのだ。
 ここの住民になれば、年に一度のお笑い番組出場が義務付けられるだけで、生活は全て保証される。だからここの住民になるのは大変だ。げんにここまで来るにも3万組からの応募者がいた。受験料は審査毎に払っていくが、それが何だ。住民にさえなれれば取り返せる。

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Entry18

どうせ、水なんかじゃ流れない。

アナトー・シキソ
文字数1000


洋式便器の中に、赤ん坊が仰向けに寝ていた。
男の子だ。裸なので見ればわかる。男だ。
さっき生まれたと言うほどでもないが、まあ、生まれたてだ。
髪の毛は薄いし、両手はグーだし、それになんと言っても、ほんのり赤い。
そいつが、モゾモゾと洋式便器の中で動いている。
ほんの一瞬、レバーを【大】に捻って、流してしまおうと思う。
でも、やめる。
どうせ、水なんかじゃ流れない。
それに、生まれたてでも赤ん坊は便器の排水口より確実に大きい。
詰まる以前に入らない。
が、当の赤ん坊がそれを望んだ。
「流してくれないかね?」
首もすわってない、その、生まれたばかりの人間が言った。
「いっそ、ひと思いに。きれいさっぱり」
俺は、なぜ、自分がトイレに駆け込んできたのかも忘れる。

そりゃ、そうだろう。

俺は、ベルトを締め直す。
シングルマザーになることを拒否した女が産み捨てて行ったのか?
「母のことは、もう、どうでもいいのだよ」
そんな、悟ったようなことを、その、生まれたばかりの赤ら顔の人間が言う。
「無論、父について語ることなど……」
そう言って、フッと笑う。
「今はただ、下水に流され、この身をバクテリアの分解されるに任せたい」
まだ首もすわってないくせに、聞いたふうなことを言う。
「ところで、君が裸足なのには理由があるのかい?」
そんなもんあるかよ!
「私が裸なのには理由がある」
へー、そうかい。
「私は生まれたばかりだ」
やっぱり!
知ってるよ!
「にもかかわらず、ココでは、私が、君より先輩なのは何故かな?」
俺は、ふと、自分の情況を思い出した。
モタモタしてちゃ間に合わなくなる。
が、小さい人間は、そんなこと、全然お構いなしだ。
「君、ちょっと、水を流してみてくれないか? 試しに【小】の方で」
俺は、タンクのレバーを【小】の方に少しだけ捻る。
水がジョロジョロ出て、小さな頭と背中を濡らす。
当の本人は、一瞬、ヒョッと、変で楽しげな声を出す。
「冷たいな。思ったより冷たいよ」
そりゃよかったな。
と、その時、ドアを叩く者がいた。
「すいません! ここ、ダメなんです」
俺は反射的に便器の蓋を閉め、ちょっと迷ってから、返事をし、外に出た。
「まだ、使ってませんよね?」
俺は頷く。
「よかった。上にもありますから、そちら使って下さい」
そりゃ、助かる。
「でも流れない訳じゃないんですよ」
男はそう言って、タンクのレバーを【大】の方にグイッと捻った。
水が勢いよく流れる音がする。
「ほら、ね」

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Entry19

人間の条件

るるるぶ☆どっぐちゃん
文字数1000


 人間の条件を書いておいた紙を無くしてしまった。
「どうしたの?」
 声に振り返る。
「ああ」
 妻が心配そうな顔をして俺を見ていた。
「ちょっと、な」
「ちょっと?」
「いや、人間の条件をね」
「うん」
「人間の条件を書いておいたのだけど、その紙を何処かに無くしてしまったんだよ」
「もう、馬鹿ねえ」
 妻はため息をしてそう言った。
「うん。馬鹿だ」
 俺は反省してそう返事した。
「でも人間の条件ってなあに?」
「さあ」
「なんなの?」
「俺も良くは解らない。でも良いじゃないかそんなことは。とにかく一緒に探してくれよ」
「良いけど」
 妻はそこら辺をひっくり返し始めた。
 ばさばさと書類や世界地図や卓上カレンダーが宙に舞う。
「どんな紙に書いといた?」
「再生紙」
「再生紙かあ。あ」
「どうした」
 妻が窓の外の青空を指差している。
「あれ。違うの?」
 そこには色の悪い小鳥が空を飛んでいた。その色の悪さは、明らかに再生紙のそれだった。
「しまった」
 俺の知らない内に人間の条件は小鳥になって空に飛び立ってしまっていた。
「追いかけよう」
「うん」
 俺達は家を飛び出した。
「待て」
「待ってえ」
「待て人間の条件」
「待ってえ人間の条件」
 人間の条件は空高く飛んで行く。あんなに空高く飛べるものなのかというくらいに、人間の条件は何処までも、本当の鳥よりもずっと高く空を飛んで行く。
「はあはあ。待て」
「ねえ」
「なんだ」
「それ、使ったら」
「それ?」
「そう。それ」
 いつの間にか俺は弓矢を握っていた。
「これか」
「うん」
「でも使ったこと無いな」
「良いから。あなたならきっと初めてでも使いこなせるわ」
 妻にそう言われてその気になってしまって、それで俺は弓矢をつがえた。
 ぎりりと弓を引き、空を行く小鳥に狙いを定める。
 人間の条件に、弓矢のことは書いてあっただろうか。何か一行書いてあった気がする。
 そのことを思い出しそうになった瞬間、弓は音を立て、俺の手を離れていった。
 そして。

「美味しいね」
「ああ」
 矢は狙い通りに命中し、小鳥は地へと落ちていった。
 人間の条件は、地へと落ちてしまった。
 人間の条件を俺達は焼鳥にして食べた。
「美味しいね」
「ああ、でも」
「でも?」
「もう無くなってしまった」
「そうだね」
 妻は手に付いた油を舐めながらそう言った。
「でも美味しかったよ」
 見上げた空は何処までも高かった。
「そうだな」
 俺はそう返事をして空に背を向け、家路へと着いた。

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Entry20

限りある資源

カピバラ
文字数1000


「イラクがここまでやるとは思ってもみなかったな」
秘書官の報告を聞き終わると、大統領は眉間に深いしわをよせた。
「まさかの全面戦争ですからね」
「読みが甘かったとしかいえんな」
そう言って、二人は入れたてのアメリカンコーヒーを一口すすった。

「それで、現況はどうなっとる」
「海上封鎖には成功していますが、これで手一杯です。今、本格的に交戦が始まれば、我軍は確実に叩かれます」
「向こうがすぐに仕掛けてこないのは何故だ」
「軍備の増強を待っていると思われます。裏に兵器の提供者がいるとの情報が」
「例のテロ組織か」
「おそらく。こちらも軍備を増強しなくてはなりません。当てはあります」
「言ってみろ」
「日本の駐留軍を全て投入しましょう」
カップに口をつけていた大統領は、一気に咳き込んだ。
「ばかな! 北朝鮮も一触即発なんだぞ!」
「だからですよ」
秘書官は身を乗り出した。
「長年の平和で低下した極東駐留軍の士気と軍規を、実戦に臨ませて回復するのです。このままでは使い物にならんでしょうしね。同時に、日本に対してもいい牽制になります」
「ほう?」
「我軍が日本を守っているというのに、日本人にはその自覚がありません。ちょいと気晴らしにイエロージャップを殴ったり犯しただけでも大騒ぎです。他国の脅威が現実問題となりつつあるこの時期に軍を引き払えば、われらの軍隊のありがたみを実感するでしょう」
「そう聞かされると、なかなか妙案のようだな。しかし、その間に北朝鮮との間に事が起これば、大変なことになるぞ」
「それは、日本の対応にかかっていますね。政府だけではなく、マスコミをはじめ国民全体に、北朝鮮に穏便に対処するよう呼びかけなくては」
「そうだな……。ならば新聞広告でも打つか」
大統領は軽いジョークのつもりだったが、秘書官は大真面目で同意した。
「それはいい考えです。つい先日、東京の新聞に似たような広告がありました。アレを参考にしましょう」

 数日後。国内の全ての新聞に、こんな全面広告が打たれたのだった。

『この度、一時的にではありますが、日本に駐留する我軍をすべて中東に派遣することにいたしました。その間は、貴国の有事の際にも十分な安全保障をお約束できません。通常より貴国がアジアの平和に心を配られていることは十分に存じ上げておりますが、我国の戦争が終るまで、よりいっそうの平和維持に励まれますようお願い申し上げます。

限りある軍事力を大切に』

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