第83回1000字小説バトル



エントリ作品作者文字数
01(作者の希望により掲載を終了いたしました) 1000
02真説ドッペルゲンガーのぼりん1000
04きみにあいにいこう。れおん760
05煙突のある風景藤田 岩巻1000
06鳥かごTommy マルボ1109
07烏奇譚瓜生遼子1000
08ファミリー・クエスト1000
09○○殺人事件の怪十的十須1000
10妹の血ロヨラ1000
11旋回ぼんより1000
12受験スパイラルごんぱち1000
13急告ながしろばんり1000
14キャプチャウェブ キャプチャネットるるるぶ☆どっぐちゃん1000
15ハイキックマンアナトー・シキソ1000
16菜の花摘んでとむOK1000
17ターザン越冬こあら1000
18王様はみんな手探りで棗樹1000
19フラッシュバック弥生1000
 
 
【おしらせ】エントリー番号3は、3000字バトルあてにお送りいただきました作品が編集のミスで掲載されたものであり、また3000字バトルのページにも掲載されておりますので削除いたしました。ご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。


バトル開始後の訂正・修正は、掲載時に起きた問題を除いては、バトル終了まで基本的には受け付けません。

QBOOKSでは、どのバトルにおきましてもお送りいただきました作品に
手を加えることを極力避けています。明らかな誤字脱字があったとしても、
校正することなくそのまま掲載いたしますのでご了承ください。

あなたが選ぶチャンピオン。お気に入りの1作品に感想票をプレゼントしましょう。

それぞれの作品の最後にある「この作品に投票」ボタンを押すと、
その作品への投票ページに進みます (Java-script機能使用) 。
ブラウザの種類や設定によっては、ボタンがお使いになれません。
その場合はこちらから投票ください→感想箱








エントリ02  真説ドッペルゲンガー     のぼりん


 出鱈目博士が、広瀬の下宿に慌しく飛び込んできた。
「時間がない、すぐに来るんだ!」
「…とおっしゃいますと…あいつが見つかったんですか!」
「そうだ、今、私の研究所に逃げないように閉じ込めてある」

 あいつとは何か、ここで少し説明しておこう。
「ドッペルゲンガー」という現象がある。もうひとりの自分が現れるという不思議な現象だ。しかも、それを見た者は必ず死ぬといわれている。
 広瀬は数ヶ月前に、自分のドッペルゲンガーを街角で見かけた。本来なら、彼の死は確実であるはずだった。
 だが、出鱈目博士は、広瀬を救ってみせるという。
「ドッペルゲンガーは、肉体がまだ生きている時に起こる、きわめて珍しい幽体離脱現象である。何万に一つの奇跡で、肉体と霊魂が一時期、この世で共存してしまうのだ。だから、肉体が死んでしまう前に、霊魂を肉体に戻す事によって、死を免れる事ができるはずである」
 それが、出鱈目博士説の概要である。
 まず、ドッペルゲンガーを探し出す事が先決だ、と博士は広瀬にアドバイスした。
 そして、今、そのドッペルゲンガーは出鱈目博士によって捕獲され、監禁されているという。

 さて、ここは出鱈目博士の研究室。
 広瀬たちは金庫のように分厚い鉄板で出来たドアの前に立っていた。
「この中に、君のドッペルゲンガーを閉じ込めてある。エックス線も通さないほど厳重に密閉された部屋だ」
 自信たっぷりに説明する出鱈目博士に、広瀬が尋ねた。
「ドッペルゲンガーを僕と合体させるのはどうするんですか?」
「二人が重なることで一つになるんだ。肉体と霊魂が、自然に引かれあうことだろう。では、扉を開くよ」
 博士が壁のスイッチを押すと、密室の扉が重厚な音を出して少しずつ開いていった。
 中にもうひとりの自分、広瀬のドッペルゲンガーがいるはず。広瀬の胸は高鳴った。
 そこに、確かにいた!
 ……ところが、あいつはうつ伏せになって倒れている。
「ありゃりゃ!」
 一目見るなり、出鱈目博士が叫んだ。広瀬は泣き顔になった。
「何日目ですか」
「三日目だな」
「こんなところに三日間もいたら、そりゃ死んでしまいますよ…」
 恨めしそうな言葉を残して、突然、広瀬が空間の中にかき消えた。出鱈目博士が、その霊魂の尻尾を掴もうとしたが手遅れだった。後に一条の霧が立ち上るだけである。
 博士は歯軋りした。
「なんてことだ。金庫に閉じ込めていたほうが、肉体の方だったとは…」






エントリ04  きみにあいにいこう。     れおん








会いたい。







じゃぁ、会いに行こう。        今。











き み に あ い に い こ う 。











「今日はちょっと早く上がれたな・・・」







夜は夜だが、珍しく少しだけ早い時間に帰宅ができた。

彼女と僕は仕事柄生活時間帯が離れているのだが、これ位ならアズサも起きているだろう。

まぁでもお互い仕事後だし、疲れているだろうと思って彼女の最寄り駅を過ぎて家に帰ってきた。

だってすっごく会いたかった訳ではないし、正しい選択だと思う。

全然平気だった。     さっきまでは。







冷蔵庫をがぽっと開けると、中がひどく整っていた。







「・・・・・・・・・あ」







来てくれたんだ、アズサ。

確かに部屋を見回してみると、床に放置してあった雑誌が本棚にあった。

・・・・・しかもいつも置いてある位置に─ きちんと入ってるし、 そのままにしてあった布団も整っている。

先月合鍵を渡した時の、戸惑いと喜びが入り混じって赤くなってしまった顔が脳裏に甦る。

たちまち、体中の細胞が彼女を欲し始める。

今すぐにアズサを、 がっ と抱きしめたい。

時計をちらりと見る。多分、ちょうど布団に入ったくらいの時刻。

どうしよ。今日は会う約束してないし。







会いたい。会いたい会いたい会いたい!!!!!!







冷蔵庫をがぽっと閉め、10分前脱いだ上着をもう一度着る。

ついでに、彼女が選んでくれた帽子を被って。

彼女が一番気に入っているスニーカーに足を突っ込みながら鏡で自分の全身を見る。

何でちょっとだけ気合入れてるのかな、俺?

くすくす笑いながら、そんな自分もちょっと悪くないかもな、とか思い玄関を出る。

冷たくなり始めた空気に顔が包まれる。

いきなり会いに行ったら、どんな顔するかな?







途中で彼女の好きなプリンを買っていこう、と決めた俺は、景気付けに踵を強く打ち付けてマンションを出た。



※作者付記: きみのえがおがみたいから。きみにあいにいこう。







エントリ05  煙突のある風景     藤田 岩巻


 町の真ん中には一本の煙突が立っている。
 誰がそこを真ん中と決めたのかは知らないが、確かに私は幼いころから、その煙突こそが真ん中だと、町のと言わず、世界の真ん中と言ってもいいほどの真ん中だと信じている。子供たちもそこを指して、『真ん中の煙突』と言う。誰もが確かにそこを真ん中だと意識しているようだ。世界の中心で何とかと言う映画が流行った時には、やたらと中高生が『真ん中の煙突』の下で何か叫んでいた。私はあれこそがサルバドール・ゴリ言うところの『青春のウホウホンス』ではないかと感じている。
 煙突は何か建物に隣接しているのではなく、巨大な存在感を放ちつつただ1本立っている。
 『真ん中の煙突』から出てくるのは、『真ん中の煙突のおじさん』だ。『真ん中の煙突のおじさん』は、『真ん中の煙突』から降りてくることはない。ただ、『真ん中の煙突』から出てくるのである。
『真ん中の煙突』の下に立つと、煙突を見上げる、と言う格好になるが、見上げているときに『真ん中の煙突のおじさん』が降りてくることはない。ただ、遠くの高台から『真ん中の煙突』を眺めていると、必ず『真ん中の煙突のおじさん』が出てくる。
だから誰も『真ん中の煙突のおじさん』が本当におじさんなのかどうかを間近で見て確認したものはいない。あるいはそれはただの『真ん中の煙突のおじさん』的な何かであるのかもしれない。
 時々気の強そうな子供で、「おれ『真ん中の煙突のおじさん』に会ったことあるよ」なんて豪語するやつもいるが、そういうのはまず間違いなくよくある子どものほら話か、ただの勘違いであるので、その子にワシントン少年の桜の木のエピソードを語って、「私は正直な子供が好きだ」と言って露店の綿アメを買ってやれば良いと思う。なぜなら綿アメという物は、類稀なる無垢の象徴として、数多くの芸術家がその幼年時代に愛したはずのものであるからだ。
 『真ん中の煙突』と『真ん中の煙突のおじさん』の正体についてはいろいろな折にいろいろな所で取り沙汰されるが、誰もその核心に近づいたものはいない。ただ私は、『真ん中の煙突』が何の目的で存在するにしろ、『真ん中の煙突』が私の人生にはじめから『真ん中の煙突』としてあるということ、そして多分これからも、『真ん中の煙突』は真ん中に存在し続け、『真ん中の煙突のおじさん』も『真ん中の煙突』から出つづけるのだと、静かに確信するのみである。



※作者付記: 初めて投稿させていただきます。稚作に目を通していただいて有難うございます。







エントリ06  鳥かご     Tommy マルボ


楽な体勢で座って、ボーっと空を眺めていたら顔見知りの友達がやってきた。隣に並んで挨拶を交わすと、彼は不思議そうに訊いた。
どうして、いつもここにいるの?
答えるのは面倒くさいけど、無視するわけにもいかないので僕はベンチに座った女性を指差した。
「見てごらん、彼女を。大してよくも知らない男とくっついてさ、必死に誤魔化そうとしているんだ」
誤魔化す?
友達は目を丸めた後、難しい顔をしながら小首を傾げてそのままバタバタと去っていってしまった。
それからどれくらいしただろうか。彼女は立ち上がり、ポケットから粒状の何かを取り出して足元にバラ撒いた。そしてあっけに取られている男と腕を組んで走っていってしまった。
僕は大好きなこの公園が綺麗なままであって欲しいから、仕方なくため息混じりに掃除した。
 
心地よい昼下がり、久方ぶりの別の友達がやってきた。
まだこんな所にいたのか。親も心配しているだろう?もしかして、体調が悪いのかい?
「そんなことないよ。でも関係ないんだ、僕は自由なんだもん。あそこの彼女とは違ってね」
するとこの友達は目線をなぞる様に彼女に行き着くと何故か、小馬鹿にした口調で背を向けたまま、
フン、どっちが不自由なんだか・・・オマエ、みっともない身体してるぜ
と、捨て台詞を吐いてから風のように消えていった。
 ・・・なんだよ、アイツ・・
 
相変わらずの快晴の空の下、怖いものなんて何もない。
だけど・・
変にプライドが高くて、顔で相手を選ぶからすぐに捨てられる。悲しむフリして自己満足に浸るとまた、ケロッとした様子で周りを見下しながら闊歩する。そんな彼女が滑稽で、いつからかここで暮らしている。
寂しいなら口にして、身近なやつに弱さを見せればいいのに彼女は親しければ親しい程に意固地になってしまう。だから、彼女の心の内は誰も知らない。
毎日、この公園に来てはお決まりのベンチで休んで、暗くなる前に何か甘い粒を撒き散らして公園を汚す。
「あ〜あ、どうしてあんなに不器用なんだろう。あそこまで酷いヒトは初めてだよ。バッカみたい」
不意に、疲れた眼をしたまま、それでも微笑む彼女と目が合った。
手招きをされたが、断固として近づいてはやらない。
「見くびらないで欲しいね、僕は自由なんだ。公園を綺麗に保つ為に、君の撒いた甘ったるい何かを食べているだけで、別に餌付けなんかされていないんだからな。自給自足しようと思えばできるんだ。勘違いしているみたいだから、君になんか近づいてやらない」
諦めて、手招きをやめた彼女は足元を汚して帰っていく。
ただ、後姿を見送る。
「あ〜あ、僕がヒトだったら・・・」
結局、いつも通りに青空を見上げながらやせ細った両手を羽ばたかせた。


※作者付記: 鳥かごの意味が解っていただければ幸いです。







エントリ07  烏奇譚     瓜生遼子


 チャイムが鳴ったのは、午前二時半を過ぎたころだった。第四志望の大学まで皆落ち、晴れて浪人生となった俺は驚いてびくりと体を震わせた。
 非常識な人間もいたものだ。両親が不在でよかったと心底思う。もしいれば母親のヒステリーに閉口しただろう。
 頭を掻きながら、階段を下りる。部屋着のままだが、こんな夜分に押しかけてくるやつにそう気を使うこともあるまい。
「はい」
 チェーンをかけたまま、ドアを開く。
「夜分遅くに申し訳ありません。隣に引っ越してきたものですから、引越しのご挨拶に参りました」
 若い女の声だった。暗闇に溶け込み、顔を見ることはできないが、玄関から漏れる光が和服の模様が照らしている。
「はあ」
 わざわざ挨拶をしに来るような時間でもあるまいに、とは思うが、これから否が応でも近所付き合いをしなくてはならない相手だ。邪険にもできない。
「何も持ってきておりませんで、気が利かず申し訳ありません」
「いえいえ、お気を遣わずとも……」
 チェーンを外しながら彼女を見やり、ひっと息を呑んだ。
「どうかなされましたか?」
 女の怪訝そうな声で我に返る。そこには長い黒髪の若い女性が立っているだけだ。
「い……いえ」
 目の錯覚か。それにしても気味の悪いものを見た。
 さて、どのようにして帰ってもらえばいいのか。女は一向に立ち去る気配を見せない。
 息苦しい沈黙が流れる。
「そろそろ子供が生まれます。五月蝿くなるでしょうが、ご容赦くださいませ。ではそろそろお暇させていただきます」
 いやに冷ややかな声だった。
 こちらこそ何もお構いできませんで……と口の中でごにょごにょと言い、女のほうを見ると、そこには誰もいなかった。

 朝になって、ふと気がつく。あれは夢だったのではないか。証拠に俺は机の前で勉強しているときのままで座って寝ていた。それに、近くに最近新しい家が建ったとも、空き家があったとも聞いていない。隣は相変わらず田んぼだらけだ。
 カーテンを開き、背伸びする。あくびをして窓からみえる柏木に目をやると、そこにはあの女の着物を着た、人面烏ともいうべき生き物がいた。猫のように丸まって、木にしがみついている。
「ひっ」
 小さく悲鳴を漏らす。そいつが俺のほうを見てにやりと笑った気がした。あの時見た化け物の姿だ。夢ではなかったのか。一歩後ずさり、ぎゅっと目を閉じる。
 しかし目を開けてみると、そこには卵を温める烏がいるだけだった。






エントリ08  ファミリー・クエスト     葱


 雨の日、何となく気分が落ち込んで、介護の仕事のプレッシャーとも平行して弱気になっていた僕は、諦めるよ、と言ってしまった。失言だ。タスケはそれから、会ってくれなくなった。行きつけの中古ゲーム店にも行かなくなった。
 タスケは大人びた奴だから、そんな僕ともオンラインゲームでは遊んでくれた。
 仕事を終えて、パソコンをつけた。ゲームにログインして十秒もたたないうちに、いきなりタスケがチャットしてきた。
「コズエちゃん、見つけた!」

 2ヶ月後、真っ白な車からコズエちゃんとタスケが現れた。空は雲って薄暗い。今にも雨が降りだしてきそうだった。気さくに声をかけてきてくれたコズエちゃんを真っ直ぐ見れない。久しぶりにあったタスケは、成長期だからか、少し背が伸びているように感じた。そう言うと、サッカーを始めたんだと言って、彼は喜んだ。
 コズエちゃんの運転で、僕らは少し都会な隣町に行った。車の中で、喋らない僕の代わりにタスケが狭い空間を和ませた。
 僕らは、ジブリの『ゲド戦記』を見た後、マクドナルドに行った。映画の感想を皮きりに雑談した。ようやく少し僕も慣れた。
 コズエちゃんは以前の明るさを取り戻していた。ゲーム店では人間関係がうまくいかなかったものの、やっぱりゲームは好きだったらしく話は盛りあがった。今は、看護師の勉強をしているという。
 僕が介護をしているというと、彼女が食いついた。僕らが二人で話し出すと、タスケは何とかゲームやアニメの話題に持っていこうとした。

 やがて僕とコズエちゃんが二人で遊ぶようになると、タスケと連絡が取れなくなった。オンラインにも現れない。子供のくせに、と思った。
 タスケに黙って、サッカーの試合日を調べようと小学校に問い合わせた。もちろんコズエちゃんに電話は任せた。
 よく晴れた日に、必死になってボールを追いかけるタスケはお世辞にも上手とは言えなかった。校庭の隅にいる僕らに気づきもしない彼をコズエちゃんはいとおしそうに見ていた。
 試合後に声をかける僕らを見て、タスケは最初驚いた顔をしていたが、すぐに笑顔になった。
 タスケを誘い、僕の家で最近買った『wii』というゲーム機を見せた。三人でスポーツゲームをした。ゲームのコントローラーをテニスのラケットのように振って、勢い余ってタスケがこける。タスケがコズエちゃんにからかわれ、僕にやつあたりした。
 僕は一人が本当に寂しくなった。






エントリ09  ○○殺人事件の怪     十的十須


私は世界有数の名探偵である。
私は今、ある孤島へとやって来ている。
この孤島で昨夜、殺人事件が起こったというのだ。警察も日本列島から遠く離れたこの孤島には、思うように人員を向かわせる事ができずに困っているらしい。そこでこの私に白羽の矢が立ったという訳だ。

孤島には小さな村が一つだけ存在している。鶏ケ村と書いて「けいがむら」と呼ばれているこの村は、現代日本の匂いなど感じさせない辺鄙な所だ。まず私は、事件のあらましを聞くために村長の家へと向かった。
村長の家は流石にたいしたもので、広い敷地をぐるりと竹垣が囲んでいる。立派なものだと思ったが、家屋自体はそう大きなものでも無い様だった。むしろ家屋に隣接して庭に建てられている鶏小屋の方が相当に大きい。おそらくここで取れる鶏卵は村の重要な蛋白源なのだろう。もしかすると、これが鶏ケ村という村名の由来なのかもしれない。
玄関口に辿り着くと女中さんらしき人が出迎えてくれた。
「へえ、探偵さんなんですか。まあどうぞどうぞ」
愛想は良いが、少しとぼけた感じの女性だ。このようなのんびりした所に住んでいると無理も無いのだろうか。
村長は床の間に居るという事で女中さんの案内で床の間へと向かう。どうも本当にとぼけた人らしく、途中何回か「あら?今からどこへ行くんでしたっけ?」などと言っていたが、そうこうする内に何とか床の間に辿り着いた。
床の間の中心には白髪の老人が一人、こちらに背を向けて座っていた。
「あの、東京から来た探偵ですが、村長さんでしょうか?」
そう声をかけると、老人はぴくりと肩を震わせ、ゆっくりとこちらに向き直った。老人は私の顔を見るなりおお、と目を見開いた。
「あなたが探偵殿ですか、よく来てくださった」
そう言って老人はすっくと立ち上がり、両手を差し出しながらこちらに歩み寄る。どうやら握手を求めているようだ。

一歩

二歩

三歩

ようやく老人の手と私の手が触れようかというところで急に老人の動きが止まった。
そして老人は改めて私の顔を見る。
「おや?貴方様はどなたかな?」
「はあ?」
思わず私は声をあげてしまった。
しかし次の瞬間、私の脳細胞は恐るべき速さで回転を始めた。
先ほどの女中の態度。今の村長の言動。そうだ、この村の名前は―――
私に出来る事はもう無かった。村民も、恐らく殺人を犯した犯人さえ、既に事件の事は憶えてはいないのだから。

『鶏は三歩歩くと全てを忘れる』

鳥頭殺人事件 完






エントリ10  妹の血     ロヨラ


「お兄ちゃん、捨てて」
 朝、部屋のドアが散々に叩かれ、その騒音で覚醒し、開けて出てみれば妹がストアーの袋に入ったゴミを寄越してきて、今日は可燃物収集日だと思いだし、俺の部屋の窓からゴミ集積場所へゴミを投げ捨て収集車到着の時間にぎりぎり間に合わせるプランだと諒解し、ゴミの詰まった袋を受け取り、や、と窓から放り投げた拍子に何かが窓際のプランターに落ちた。血塗れのタンポンだった。なぜ袋から転げたかは分からないが、まさしくそれは白い細いソーセージ状の端に紐を付けた挿入型であり、しかも使ったばかりで剥きだしのそれには経血がべったりと付着していて、妹のどす黒い血の幾らかはプランターの腐葉土に染みこんだ。
 マンドラゴラなる伝説上の植物を思いだし、確かあれは経血と精子を混ぜあわせて地面に放置すると芽を出すのではなかったかと曖昧な知識がもたげ、そしてあれは根が人類の形をしており、地面から引きぬく時に悲鳴を発しそれを聞くと死に至るのではなかったか。理髪店でのうぶ毛剃りに似た恐怖を味わう。
 妹は幼少のみぎりに近隣の変態に誘拐されたことがあるほど可愛い顔をしており、ちやほやされて育てられたのであり、チヤというよりかは次亜で、消毒に使う次亜塩素酸ナトリウムのことで、ホヤとは貝のホヤで、要するに清潔な性器なのであり、そのマンコを誇り、結果として大学入学以来、氾濫する性情報に惑わされて妹は言い寄る若い男どもの陰根をむさぼり、高校のころはあんなに真面目だったのにセックスを覚えてからは頭を悪くする一方で、だからあのタンポンに、生理中だからと避妊具無しに接合したがった男の精子が残存していて既に妹の血と混ぜあわさっているかもしれない。
 朝食を摂った後のダイニングで煙草をふかし、想像力を勇躍させて窓際のプランターからマンドラゴラが生える様子を思い浮かべていると、妹が洗い物をする母親に云った。
「妊娠しちゃったからお金ちょうだい」
 なぜかその時俺は、俺が妊娠させた訳ではないよな、と自分に言い聞かせ、そんな記憶もないしそんな欲望もなかった筈だが俺の子かもしれない、俺の子だ、という罪悪感が居たたまれないほどにこみあげ、いや確かに俺ではないが、少なくとも母親は近親相姦の副産物であろうと勘繰っている、と思えてきて、息苦しい。
 しかし妊娠した女にはそもそも生理が来ないのであり、これは、妹なりの金の無心の隠喩に違いない。






エントリ11  旋回     ぼんより


 海岸線を走る。ひた走る。風が吹く。頬撫でる。オープンカーとはいかないけれど。
 小雨の中FMを聴きながら、海を横目に見ながら時折お茶も飲みながら、約束を思い出す。潮干狩りに行こう、今が時期だからね。数日前に自分で言ったくせにちっともきちんとした計画を立てようとしないから、私が下見に行く事にしたんだった。海は穏かで、遠く沖に一隻、船が揺蕩っている。
 FMから流れるポップスはがちゃがちゃとやかましくて、何を歌っているのかわからない。対向車のデコトラも騒々しい。もうさっきから何台の冷凍車が私の右を通り過ぎたか。ぺちゃんと潰されてしまいそうなデコトラの圧力。いっそ潰してくれればいい。奇跡的にスポーツカーのように変形を遂げて、ありふれすぎにありふれたセダンがこの海にマッチするかもしれない。本当はビクついているのだけれど、そんな風に考えないと車の一つも運転なんて出来やしなくなっているのだけれど。
 約束なんてしてしまうから、だ。約束の朝に私はあなたの大好物だったフレンチトーストを二枚焼いた。食塩を微量にまぶし、グァテマラ産だのコロンビア産だののストレートで、苦味の強いユーロスタイルを嗜みながら読めない経済新聞片手に、ああ、いけないいけない、堤防にまたこすりそうになったわ、そうそう、そうやって美味しそうにほうばっていた。今思えば憎らしいわ。あのフレンチトーストはせいぜい72点がいいところなのに、出てきた言葉が潮干狩りだなんて。
 まだ外は明るい。明るいが、生憎の天気のせいで太陽はその影さえ行方知れずだ。この広く、白く、長く、重い空に、その姿を捉えるのは容易じゃない。ちょっとちょっと、危ないじゃないの、何考えてんのよ今のワンボックス。カーブだってこと頭に入れておきなさいよ、私まで死んだらどう責任とってくれるのよ、もう。あ、でも私も今上向いてたから一概に相手のせいにはできないわね。
 FMの耳障りなポップスが緩やかなクラッシックになって、5時間が過ぎた。競艇で言えば1マークどころか2マークも回って、3周以上走っている。ぐるぐるぐるぐる旋回している。思考も時間も放つ言葉も、脳裏に浮かぶ約束の日のフレンチトーストも、ぐるぐる、ぐるぐる、と。スタートは抜群だったのにこれじゃあ転覆なんかと変わらないわ。なんならフライングしてたみたい。
 お茶がもう切れた。でも車を降りて買いに行くのは億劫で仕方ない。






エントリ12  受験スパイラル     ごんぱち


「あー、四谷君?」
 職員室で、進路指導の用紙を受け取った木田廉太郎は、眉をひそめる。
「はい木田先生、何か?」
 四谷京作は首を傾げる。
「私の視力が確かならば、第一志望欄には東西南北の『東』に大文字焼きの『大』という文字が書いてあるように見えるよ。もっと字は綺麗に書かなきゃいけない」
「いや、ちゃんと意図して東京大学の意味で東大って書きました」
「はははははははははははは、冗談はさておき」
「いえ、冗談じゃなくてマジですけど」
「ええとだね」
 木田は茶をすする。
「東海大学は東大と略さないよ」
「ええ、東海大学じゃありません」
「東北大学も、君の成績では百パーセント落ちるよ」
「東北大学でもありません」
「トンキン大学の学力は今一つ知らないな」
「いえ、中国の大学とも違います、日本の東京大学です」
 木田は黙って立ち上がり、ポットから急須にお湯を注いで湯飲みに注ぎ、ゆっくりと飲む。
「まさかとは思うが、東京大学の事じゃあるまいね?」
「いや、一分前にはっきり東京大学って言いました」
「無理だよ」
「な、なんで、そうきっぱりと言い切るんですか!」
「だって、君は全然頭が良くないじゃないか。記憶力は並しかないし、物事を理解するという能力も欠けているから、視野が狭くて応用問題がさっぱりだ」
「そんな事ありません、ドラゴン桜全巻読みました!」
「いや、あれ読んだだけで東大に行ける訳じゃないから」
「頑張りますから大丈夫です」
「頑張れば何でも出来るというのは、頑張り続けられるだけの素質と希望がある人の台詞だよ?」
「無理は先刻承知です! 男には、絶対に無理だと分かっていてもやらねばならぬ時があるんです!」
「なに?」
 木田はじぃっと四谷を見つめる。
「すると君は、頑張るとか大丈夫とか言いながら、内心無理だと思っている訳だね」
「え?」
「口では強がるが、内心では絶対に無理だと思う。そんな及び腰では、当然失敗するに決まっているだろう」
「いや、これは、言葉のあやというか」
「失敗を確信して、投げやりな態度で事に当たって、結局失敗して。君は何かね、ダメだったけど頑張ったね、と、褒めて欲しいのかね。これ見よがしに頑張って、その過程をのみ評価して欲しくて東大受験をする訳かね」
「……オレが」
 四谷は肩を震わせる。
「オレが、間違っていました!」
 木田を真っ直ぐ見つめる。
「受かります、絶対受かります、東大に!」
「いや、だから君じゃ無理だってば」






エントリ13  急告     ながしろばんり


 ネコは「お宅の奥さんの乗る電車が事故になるよ」という。まあまあどこにでもいるクロネコで、無性に毛並みがいいとか、栄養がいいとかそういうことはなかったけど、彼は人の声で忠告してさっさと塀の向こうに逃げ込んでしまった。塀の向こうは他所の家だから、踏み入ってくわしく訊くわけにもいかない。
 そういえば最近自分でワクワクすることってねえな、とも思うのだ。一番最後にドキドキしたのっていつだったかな、と考える。大学のときに前の彼女をひっかけて錦糸町で映画を見て、ホテルを探してウロウロした挙句に上野まで歩いたものの、こっちも童貞だったのにいきがってコトを終えて「なんか、すごい心臓がドキドキしてるよ(笑)」っていわれたとき以来かな。か、(笑)ってなんすか自分。普段だったら絶対に使わないけれども、でも、あの細かいニュアンスをかいつまんで説明するには(笑)しかないと思うんだ。そういういみでは記号って便利だな、と思う。まぁ、ともあれネコの急告の話だ。
 嫁さんの話をすれば、ろくでもない嫁だったなぁ、と今になって確信する。昔から何を気に入られたんだかさんざんの押しの一手で、こっちだってそれだけ好かれたら悪い気がしないから、っていうのが人情でしょ。頭は悪いしこっちが怒ったことはすぐ忘れるし、料理だって刺身切って「アタシ料理うまい」て言い切るようなヤツです本当に。で、気も利かないし空気読めないから「出てけー!」っていっても「あたしはやっぱりあなたが世界で一番好きだったー!」って云われるとやっぱり悪い気はしない。駄目です。駄目なんです。それでうっかり一緒になっちゃった。
 その嫁さんは婦人雑誌の編集だか記者だかで、朝10時半ごろに家を出るらしいです。らしいです、って本人から聞いた話。もしかすると嘘かもしれない。でも夜は終電まぢかに帰ってくる。これは間違いない。
 駅につくと8時前で、通勤ラッシュは相変わらず。定期はいいけれどもスイカってのはどうも慣れなくてね、いまだに自動改札機にカードをすべらせてる。カードをシュッ、回収してホームまでの階段を下りる。一杯の人が電車を待っていて、ふと思い立つ、カバンの奥から黒い携帯電話を取り出す。
 ネコの鼻にかかったような声が思い出されて、どうもあの声、なにかの楽器、そうだなぁ、ちょっと豆腐屋のラッパに似ていなかったか? というところで電車がきて、やっぱり携帯は、しまう。






エントリ14  キャプチャウェブ キャプチャネット     るるるぶ☆どっぐちゃん


<前回までのあらすじ>

 崖の上に立つ一軒家へ男は遂にアザラシを追い詰めた。炎上するボルボ。男はあらかじめミス・ミントが考案してくれた作戦(巨大な捕獲用の網の取っ手部分を持って頭上に掲げ腰をくねらせて踊り、つまり取っ手部分を踊りの一部にすることにより(バーダンス)アザラシに捕獲用の網を気取られず近づく)により、見事捕獲に成功。しかしここからアザラシは脅威の粘りを見せる。持久戦である。アザラシはノートパソコンを持ち出し、負けじと男はポテトチップスとコカコーラを準備。
 持久戦である。


「コロニーは結局助からないみたいですね」
「ああ」
「あれだけ期待されて。けど駄目ですね。皆燃えてしまう。皆助からない」
「ああ」
「燃えていく。燃えていきますね」
 アザラシはモニターに宇宙コロニーを映し出す。ネット中継されている宇宙コロニーの映像である。南の空に赤々と光る宇宙コロニーの、その拡大映像だ。コロニーは全世界の人々が見守る中、ゆっくりと燃え尽きていく。
「コロニーはそんなに人々の憧れの的じゃなかった。お前は知らないだろうけどな。裏で色々汚いことも行われた。技術競争。それから技術の盗みあい。宗教上の理由で非難する団体も多かった。本格的な宇宙生活の為の、初めてのコロニーだったから」
「人間は大変だったんですね。でも今は全世界の人が彼らについて悲しんでます」
「そうだな」
「人は死にますから」
「そうだ。しかし、あれだ。こういう話がある」
「はい」
「俺の親戚のおじさんは行方不明なんだがそのおじさんは不老不死の薬を開発したんだ。それを飲んでおじさんは俺達の前から消えた」
「へえ。で、彼は今どうしているのでしょうね」
「思うんだが」
「はい」
「何ていうか。落ち続けているのじゃないかと思う」
「それはこういうことですか?」
 アザラシは動画編集ソフトで映像を作り上げた。
 永遠に落ち続ける男がモニターに映し出される。
「わからん」
「そうですか。ところで私達がこうしている間に500年が経ったようですよ。私はずっと私達をビデオに撮っておきました。見ますか?」
「ああ」
「早送りで見ましょう。なにせ500年ですから。ふふ、早いですね。500年なんてあっという間だ。すぐに追いつかれ、そして追い抜かれるのでしょうね」
 燃え尽きていく宇宙コロニー。落ち続ける男。早送りされていく男とアザラシの500年。
 それらがモニターに並んで表示されている。






エントリ15  ハイキックマン     アナトー・シキソ


俺にはハイキックがある。
蹴り技。脚で、こう蹴る、蹴りだ。
当たると痛いし、決まれば相手は失神する。
ハイキックで大切なのは、蹴り脚よりも軸脚だ。あと、腰も大事だ。
要するに、体の軸を安定させることが肝心だ。
そうしないと、いくらがんばっても威力は半減だ。
能書きはまあいい。
本番だ。
場所はいつもの廃工場。
今日の相手はバックドロップマン。
チョロい相手だ。

先に来てた。
訊いたら、2時間前からいたらしい。
バカだ。
2時間前って言やあ、俺、『いいとも』の増刊号見てたよ。
こんな何もないところで、2時間も一人で何してたんだろ?
DSで『マザー』か。
こいつ、こんな所で一人『マザー』してたらしい。
よし、今日の戦利品はDSと『マザー』だな。
あ、ヤツのスカジャン。
あいつのモットー、座右の銘、生き方、存在の全てが書いてる。
〈へそで投げろ!〉
しかし下手くそな刺繍だ。
自分でやったのか?
あいつンち女手ないはずだから、自分でやったんだろな。
マメだよね。
ま、そういう俺だって、ロングコートの背中に〈一閃〉の二文字を背負ってるけどな。
けど、俺はちゃんと仕立て屋にやらせたから、見栄えが全然ちがう。
ヒーローランキング4位(俺)と9位(ヤツ)とじゃ、まあ、その辺に違いが出るよな。

よし、いくぜ。

いきなりハイキック!
空振り。案外素早いヤツだな。
やべ、後ろ取られたぜ。
来た!
へそで投げるバックドロップ!
ヤツの必殺技だ。
下はコンクリートだから、決まればそれでおしまいだ。
俺はとっさに体をひねりつつ、両手で後頭部をカバーした。
体制が崩れたおかげで、KOはされずに済んだ。
とは言ってもコンクリートに叩き付けられて、スゲー痛い。
痛いけど、痛いだけだ。やられたわけじゃない。
しかし危なかったな。いきなりハイキックはナメ過ぎか?
まあ、結果オーライさ。
さて、バックドロップは仕掛けた直後に隙ができる。
俺は、ヤツより先に跳ね起き、立ち上がろうとしているヤツの頭に狙いを付けた。
ヤツが振り向く。
今だ!
必殺のハイキック一閃。
……キマッタ。

『マザー』かあ。昔ファミコンでやったなあ。
機械が変わると雰囲気違うもんだね。
けど、電車の中でロープレはちょっと無理。気が散る。
と思ってたら、もう着いたよ。
まっすぐ帰って大河ドラマでも見よ。
バックドロップマンは次の駅で降りる。
ゲーム取られてちょっとかわいそうなんで、降りがけにガムをやったら、黙って食ってたよ。
そのガム、高いんだぜ。


※作者付記: 次回は、“不死身”のエレキマン対“カタログに載らない男”ミサイルマンだ!
じゃあ、また来週!







エントリ16  菜の花摘んで     とむOK


 いつのことだったか、しつこく馴れ初めを聞くので「幼馴染だ」と答えたら鼻で嗤いやがった息子が今日、家族ぐるみの付き合いをしていた隣の娘を挨拶につれて来た。少し憮然とした息子の表情に、俺は笑いをこらえるのに必死だったが、いつも息子の後ろを歩いていた涙顔の幼な子が、穏やかさと芯の強さを笑顔の奥に感じる、どことなく妻に似た娘に成長していたのは素直に嬉しかった。ままならぬもまた人生の味。そのうち息子もわかるだろう。
 二人の去った居間はどこかよそよそしく、気分を換えて街歩きでもしようと、つっかけを履いて河川敷へ足を向けてみた。
 すっかり色づいた新緑が、長く延びた午後の日を浴びてゆるやかにそよいでいる。思ったより強い日差しに汗がにじむ。そう言えば退職するまで近所の散歩などしたことがなかった。
 一歩後ろを黙ってついて来ていた妻の依子が、ふと俺の手を握った。年甲斐のない、と思ったが振り払うのも大人気ない。
「昔よくこうして手を繋いで歩きましたわね」
「嘘つけ。そんなのしたことないぞ」
 俺は思わず依子の手を振り払った。
 高卒で地元の会社に入り、脇目も振らず働いてきた。アンポだのヒッピーだのと騒がしいのは遠い都会の話で、ジユウレンアイの意味を知ったのも地方新聞の社説だった。
「あなたが初めて私に気持ちを打ち明けてくれたのは確か…」
「おい、話を作るなよ」
 同じ野山に遊んだ仲でも、結婚話は親戚筋の見合いでまとまったのだ。甘酸っぱい恋の思い出などあるわけがない。
 家にいる時間が長くなって以来、虚実混淆したこんな思い出話を依子に聞かされるようになった。仕事人間だった俺への不満かとはじめ訝しんだが、曇りのない笑顔は心底そう信じているらしい。よくわからないが仕方ない。思いながらも時折質してみるが、依子はいつもふふ、と笑って「私は覚えていますよ」という。
 土手を登ると急に景色が開け、細雲のたなびく淡い空の下、川岸を菜の花の黄色が埋め尽くしていた。何十年ぶりだろうか。田畑は小奇麗な住宅に変わっても、ここは全く変わらない。
 依子は鮮やかな黄の一房を手折って俺にさし出した。
「あなたがここで、こうして花をくださったのよ」
 俺は思い出していた。依子はいつもこんな風に、俺が置き忘れた小さなかけらを、拾いながらついて来てくれたのだ。
「私は覚えていますよ」
 俺の手を握って依子は笑う。あの日から少しも変わらない笑顔だった。






エントリ17  ターザン     越冬こあら


「供述調書。氏名ターザン。三十八歳独身、出身地アフリカ、職業フリーター。私は、五月二十九日午後十時二十分頃、武蔵○○駅前アフリカンショーパブ『ジャングル』店内において、女給アルバイト、ジェーン(仮名)と口論となり、割って入った客二名と同店店員他三名を持ち合わせたコブシ大の凶器(石)にて殴打し、重軽傷を負わせました。その際、店内の装飾品他に多大な損害を与えました……と、これで間違いないね」
「ターザン、フリーターない。百獣の王。ジャングルの平和守るが仕事。ターザン、ジェーン守る。悪と戦うが仕事」
「また、そうやって混ぜっ返す気かい。何回も言ってるでしょう。警察はそういう喋り方や外見には騙されないんだって。ただ、これは供述調書だから、あなたの言った通りのことを書くんだけれども、ね。一般的、常識的に理解できる事実だけを書かなければいけない規則なの。その醤油顔とヒヨワな体型で、ターザンを名乗るのは許すとしても、職業『平和を守る』は一般的に受け入れられないでしょう。厳密に言えば、出身地だって、アフリカはおかしいんだよ。大陸でしょう。せめて国名くらい特定してくれないと、検事さんも納得しないと思うんだけれど、そこは大目に見てるんだから……」
「ターザン、アフリカ来た。これ本当。ジャングルの動物、皆、知ってる」
「わかった。アフリカはいいよ。店員と客をいてこまして、店を壊したことだけ認めてよ。動機の特定とかは、後でどうにかするから。この場は、被害届に相当した常識的な調書が取れれば、良いんだから。この内容で認めなさいよ」
「お前、ターザン侮辱するか。ターザン雄叫び上げる、動物さん達来る、お前ら懲らしめる。因果応報、報いを受けるぞ」
「ほらぁ、結構難しい言葉知ってんじゃん。本当は出身地日本なんでしょ。そこら辺だけでも正直に書いたほうが、良いと思うんだけどなあ。印象違うよ、検事さんの……」
「何言うか。ターザンはターザン。雄叫び上げるぞ。ライオン、象、キリン、シマウマ、チンパンジーのチータ。御一行様来るぞ。恐いぞ。お前ら泣くぞ」
「わかった、わかった。じゃあ、職業百獣の王、勤務地ジャングル、今回は、業務上過失傷害ということで、調書を作り直すよ。それでいいね。で、凶器(石)だけど、どこから持ってきたの」
「ああ石か、家から持ってきた。ズボンに入れておくとブラブラしないね。『ターザンの石以て玉を攻むべし』ね」






エントリ18  王様はみんな手探りで     棗樹


 薄曇りの朝。大通りから離れた旧街道沿いの道筋を、どこかに向かって歩いている人たちがいる。年齢、性別(性別は二種類しかないか)、服装もまちまち。歩幅も、歩き方も、道路脇の商店の看板や町内会のポスターに目を留めるそのやり方さえ、はかったようにばらばらなのだよ。
 彼らの向かう方向には、何もない。神社仏閣公的機関、町内会の催し物、葬式の受け付けテント、パチンコ屋、超特売のスーパーさえ。
 二キロ先の幼稚園まで息子を送ってきた帰り道だ。この道筋の二キロ先まで延々と何にもなかったことを、わたしは知ってる。でも、彼らは歩くのだ。歩いている。目も合わさずに。ほどけそうでほどけない、ばらばらな行列を作って。
 乳白色の雲を透かして、太陽がのぞく。そこだけ鈍く丸く光って、のぞき窓みたいだ。首筋を、肩を、汗が伝う。太陽は雲に包んで世界を蒸し焼きに。

「どこ行くんですかあ?」

 大声で叫びたくなる。でも叫んでしまったら、絶対に列を乱してしまう。足をつき、重たい電動アシスト自転車をぐいっとUターンさせる。つかず離れず併走し、先頭を探す。ようやく、道半ばで右に折れ、曲がって数軒目の店の前まで続いていることを突き止めた。二畳ほどの店先にところ狭しとジューサーが並ぶ店だ。柱にくくりつけられたパラソルが、路上の椅子とテーブルに涼しげな陰を落としている。

 ジューススタンドか。なあんだ。

 胸なで下ろすわたしの傍らで、しかし、行列は続くのだ。立ち止まってジュースを注文する人も、メニューを品定めする人もない。みな、サンバイザーとキュロット姿の店番のおばちゃんの横をむりむりとすり抜け、狭い店の奥へ奥へと、肩をぶつけながら入っていく。

 (どこ行くの?)

 キュロットのおばちゃんと目が合う。微笑まれてしまう。仕方なしにメニューを探す。ジューサーに視線を移す。灰色っぽいどろどろしたものが撹拌されている。隣のジューサーには粘つく黄色の液体、さらに隣にはところどころ鮮紅色のものの混じるピンク。豚の臓物色のものがぐちゃぐちゃと。

「何にいたしましょう」

 おばちゃんはキュロットでサンバイザーだけど、ものすごく感じがいい。のろのろと財布を取り出す。つかみ損ねた百円玉がほろほろと店の外に転がってゆく。泥にまみれた白銅貨をつまんでふと看板を仰ぎ見る。
 何度も塗り替えられた気配の看板。現在の店名はMS明朝体黒いペンキでくっきりと、「脂屋」。






エントリ19  フラッシュバック     弥生



「先輩、袴汚れますよ」
 
 弓道場の隅でノラ猫とじゃれあう後ろ姿に掃除の邪魔です、なんて言えないから、ほうきを持ったまま入っていく。ちょうど桜の木の陰で日当たりの悪いこの場所にほんの少しだけ黄色い光が降り注ぐ、先輩のためだけに用意された空間に。猫は確かに猫で、それ以外の何者でもないはずなのに、それを少し乱暴に撫でる彼の方がずっと猫みたいだ。弓を射る時の的を睨む表情とは違う穏やかな顔で、彼は確かに自分の意思で太陽を浴びていた。
 その日の世界はいつもと色が違うと思ったのは気のせいなんかじゃなく、先輩の視線の先に新しい色が一色、増えていた。さっきまで降っていた雨の、割れそうなしずくが乗っかって、輝いていて、揺れていて、私は一瞬、それが今まで見た事のない植物だと思った。

「結構綺麗だと思わない?」

 普通は思わないか、と呟いて、緑色の、私たちを映す小さな鏡を指で撫でる。一瞬歪んでから地面に吸い込まれたそれを目で追ううちに、私は先輩と同じ目線になっていた。倒れて泥だらけになったほうきが2メートル後ろに転がっている。

「綺麗だと、思います」
「棒読みじゃん」
「いや、本当に」
 本当に、ともう一度言ったら彼は小さく頷いた。
「なんでそう思う?俺が聞くのも変だけど」
 特に理由はないです、と答えながら、私は一つの場面を思い出していた。

 畦道にしゃがんで揺れる稲穂を見ている。少しずつ近づいてくる煙草の匂いに、抱きつく瞬間を待っている。今日もまた一日の終わりがいつもと同じだということに安心しながら皺くちゃの手に頭を撫でられる。その頭の上では昼と夜の間の空が紅く紅く染まり始めている。
 今、確かにここで生きている私にはもう出会うことが出来ないあの人を、あの目線を、あの時間を、彼が蘇らせてくれた。

「あの」
 私はほうきについた泥を拭きながら、彼は汚れた袴の裾を気にしながら、ほとんど同時に立ち上がる。いつもの的前に立つ時の表情に戻り始めた彼に一番聞きたかった事を、聞いた。 

「なんでネギなんですか」
 少しだけ期待しながら。何に、と聞かれたらうまく答えられないけれど、あえて言うなら、彼も私と同じ気持ちだということ、に。

「カップラーメンにトッピングして食おうと思って」
 
 私の期待はふわりと中を舞って、そして消えた。でも、そう言って笑ったくしゃくしゃになった顔とか丸っこい背中が、ちょっと涙が出そうなくらい懐かしかった。