第13回 1000字小説バトル

参加作品
1 日記 石川順一1014
2
3 小笠原寿夫1000
4 鴨汁と、吉四六さん ごんぱち1000

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バトル結果発表
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日記
石川順一

 2010年7月7日私は一つの命が逝った事を知った。93歳の大往生であったそうだが、命に軽重は無い。少し心が重くなった。
 母は町内会に関わる者として通夜と葬儀には参加するそうだ。当然だろう。私は少し心が軽くなった。
 私はその日午前中は、庭で育てて居る、枝豆や西瓜、、メロン、胡瓜などに水を遣ってから、最近種を蒔いて発芽して勢いを増したポットの小豆を植え替える為、庭に穴をしっくはっくしながら掘って居た。柿の木の周辺は柿の木の根っこにぶつかって断念した。結構柿の木から離れた所を掘ったつもりだったが、こんな所まで細い根が伸びて居るのかと驚いた。
 庭の土は畑の土と違って堅くて掘るのに苦労する。掘ると石がたくさん出て来た。まるで発掘作業をして居る様な気分だった。
 午後からは政治演説を聞く為に、電車に乗って名古屋駅へと向かった。12時15分からと12時50分の2回場所を変えてやるのだった。参院選の立候補者の応援演説だが、現職の大臣の為か人がたくさん集まって居た。1回目の演説はほぼ時間通りに始まり12時30分ごろ終わった。私は急いで2回目の演説の地へと急いだ。場所はあらかじめネットで確認してあったが、距離感がつかめず、歩いて行って少し間に会わなかった。5分ほどの遅刻だが、2回目の演説は1回目とは違い5分ほどで終わろうとして居た。丁度先程の1回目の演説の終わりにやった「頑張ろう」連呼で片腕を突き出すパフォーマンスにだけぎりぎり間に合った。その後退場にともなって1回目の退場時にはやっていなかった握手セレモニーを大急ぎで、大臣が車に乗り込むまでの短期間やって居た。私も参加するべきであったが、何しろ群衆の多さに圧倒された。
 私はその後丸善本屋へ急いだ。だが久しぶりに来た為か素通りして居た。資格試験の予想問題集を4冊買って名古屋駅へと戻った。

 2010年7月8日私は、休耕田である畑へ行って、発芽して密集して居る、小豆の双葉の苗を植え替えて来た。種の上に土を乗せ過ぎた為か発育不全の苗もある様に見受けられた。

 2010年7月9日、畑の土をポットに入れて、家の庭で発芽させた小豆の双葉の苗を畑に植え替える事にした。朝早く2つのポットを持って行って植え替えた。午前中はぽつりぽつりと降って居た雨が昼から本格的に降り始めた。しかし私は行かねばならぬ。発泡スチロールの中にポットを入れて自転車の前カゴに置いた。それから私は家を出発した。

(本作品の掲載は終了しました)

小笠原寿夫

 人生はよく川に例えられます。大きな川と小さな川。どちらも川は川ですが、大きな川の流れに小さな川は逆らえません。
 源流は小さくてもいずれ大海原に辿り着くことに変わりありません。たとえあなたが小さな川の源流にいるとしても、大きな川を流れているにしても、所詮、川は川です。大海原に出れば、どんな川にいたとしても、そんなこと忘れてしまうくらいの荒波が待ち構えているでしょう。
 海には魚もたくさんいます。時化の時もあれば、凪の時もあるでしょう。堂々と押し寄せる荒波に方角すらもわからなくなってしまうことだってあるでしょう。けれども焦ることなかれ。海に泳ぐ魚の殆ど全ての魚が、鰓呼吸をしています。鰓呼吸。あまり聞きなれない言葉ですね。人間が肺によって呼吸しているのと同じように、魚は鰓という呼吸器官で海水から酸素だけを取り入れる構造を持っています。ここが人間と魚の決定的な違いです。もしも人間が鰓呼吸を覚えたら……。
 答えは簡単。飛行機です。飛行機はジェットエンジンと呼ばれる車のエンジンの何倍ものエネルギーを持った動力源と揚力という力を利用する翼によって、大空を飛行します。
 飛行機の事故が比較的、少ないのは、司令塔から送られる情報をパイロットが聞き、それに基づいて、操縦されているからです。機内で携帯電話類の電子機器が規制されているのも、その為です。
 計器と高度計により、左右される飛行機はあまり空を飛ぶ機会が少ないから、事故が起きにくいんだという説もあります。
 同じことを繰り返すようですが、空には事故がありません。空中で飛行機が正面衝突したなんてニュースは、どこにもないでしょう。空の便は、陸の便より安全なんです。
 さて、話を一旦、社会に戻しましょう。社会というのは、大海原に例えられますが、その荒波に耐え、男は強くなります。男の荒波に耐えてこそ、いっぱしの社会人が出来上がって行くのです。
 話は終盤な差し迫りましたが、空から見た雲の上には、天使の遊び場を思わせる風景がありました。
 それはそれは素晴らしい風景を私は、インスタントカメラでバッチリ押さえておきました。
 社会という大海原に出る前に、例え小さくても余力を残しておくことが肝心です。勉強、スポーツ、クラブ活動。何でもいい。一番を取ってください。
 何か堅いものを持っておくとそれは糧となり、あなたに素敵な何かをプレゼントしてくれることでしょう。

鴨汁と、吉四六さん
ごんぱち

「吉四六どん、ええか?」
 ある日の朝、庄屋どんから吉四六さんのところに人が寄こされた。
「おお、庄屋どんのところの彦兵衛どん。おはよう、どうされた?」
 朝飯前の畑仕事をしておった吉四六さんは、大きく育った大根を抜きながら答えた。
「昨日、庄屋様が、鴨を沢山撃っただ。鴨汁をしこたまごちそうするから、晩に家まで来いっちゅう事じゃ」
「ほほぅ、鴨とは豪勢じゃな!」
 この頃の時代の食べものは、野菜や芋ばかり。たまに魚は食べられても、肉ともなると、ひと月に一度食べられるかどうかじゃ。
 吉四六さんは、朝も昼も抜いて庄屋どんの家に行ったそうな。

「おお、よく来た吉四六。さあ、おかわりは一杯ある、存分に食べてくれ」
 庄屋さんはにこにこしながら、吉四六さんにお膳を勧めた。
「やあ、いただきます。もう腹がグウグウ言っておりますで」
 吉四六さんはお椀の蓋を取った。
 ところが、鴨汁の筈が、汁の中には大根ばかり。
(……これじゃあ鴨汁じゃなくて、大根汁じゃ)
 どんなに探しても鴨の肉の一切れも見つからんかった。
(庄屋どんは、間違えたんじゃろうか?)
 吉四六さんは何も言わずに、考えた。
(いや、そんな訳はない。だとすれば、わざわざわしを呼びつけて、騙して笑いものにしようと思ったという事じゃ。庄屋どんとは、仲良く付き合っていると思ったんじゃが、どうやら庄屋どんの方は、そうは思っておらんかったようじゃ。こんな嫌がらせをする程に嫌われていたなんて、ちっとも気付かんかった。いや待て、それどころじゃない、ひょっとしてわしは、自分の気付かんところでこんな風に嫌われていたんじゃろうか? そうじゃ、そうに違いない。なんという事じゃ、頓智の冴えがあって、村人に一目置かれつつも愛嬌者として人気があると思っておったのに、とんだ独り相撲だった訳じゃ。なんという事! なんという事じゃ……ふふっ、滑稽じゃな、恥ずかしいと言ってこれ程恥ずかしい事があるじゃろうか。もう村の者に顔向け出来ん。村に居場所はどこにもない、ははっ、そうか、そうじゃったのか……)

 その日より後に、その村で吉四六さんの姿を見た者はおらんかったそうじゃ。
 庄屋どんは残された吉四六さんの書き置きを見て、自分がしでかした事を思い知ったが、今となっては後の祭りじゃった。
 それ以来、この村では「大根汁」の事を「鴨汁」と呼ぶ事は決してなくなったそうじゃ。
 まあ、フツー呼ばんがな。