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1000字小説バトル

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1000字小説バトル stage3
第70回バトル 作品

参加作品一覧

文字数
1
青野 岬
1000
2
小笠原寿夫
1000
3
叶冬姫
647
4
サヌキマオ
1000
5
石川順一
1095
6
ごんぱち
1000
7
アレシア・モード
1000
8
宮本百合子
1000

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コミュニケーション

QSHOBOU掲示板

夜桜心中
青野 岬

 月が雲に隠れたのを見計らって、私は走り出す。サンダル履きの足に夜露がからみつき、素肌をしっとりと濡らす。ざわざわと、風の音。
 早く、もっと早く走らなければ月がまた雲の影から姿を現して、私を照らしてしまう。誰にも見られてはいけない逢瀬へと、向かう私を。
「ごめんね……なかなか出て来られなくて。待った?」
「ううん、さっき着いたところ」
 誰もいない満開の桜の樹の下で、私たちは落ち合う。再び月の光が世界を照らし、巨木のシルエットを地面に浮かび上がらせた。
「逢いたかった」
「私も」
 彼が私の体をきつく抱きしめる。私も彼の背中に腕をまわし、それに応える。
 桜の樹の下には死体が埋まっている、と言ったのは誰だったか。胸元をまさぐられながら考える。頭の中に浮かんだ曖昧な思念は、這い上がってくる快感に負けて、像を結ばずに消えた。
 彼の唇が乳首を捉える。尖らせた舌先でさんざんいらった後、口に含んで軽く噛んだ。思わず声が洩れる。痺れるような甘い快感が広がって、お腹の奥がじくじくと疼く。
「体の向きを変えて、後ろを向いて」
 私は彼に促され、両手を太い樹の幹につき腰を突き出すような格好をした。彼は私のお尻に自分の固くなったものを何度も押し付けながら、両手で乳房を強く揉んだ。ごつごつとした手が下を向いた柔らかな乳房をすくい上げる。
 下着越しに彼の指先が割れ目をなぞる。その指先が何度も溝に沿って動くたびに体が魚のように跳ねた。
「あっ、駄目……そんなふうにしたら、もう……」
「もう……どうなるの?」
 私の反応を楽しみながら、彼がからかうような口調で訊く。
「もう……死にたくなる」
 その言葉を合図に彼の動きは突然荒々しいものになる。果物の皮を剥くようにつるりとと私の下着を剥いで、直接濡れ具合を確かめる。普段、体の奥でひっそりと眠っている「そこ」は、冷たい外気に晒されて一気に花開いた。
 やがて彼のそそり立ったものが、性急に私の体を貫いた。
 もはや我慢なんて、不可能だ。
 私の体の一番柔らかい部分をかき回されて、立っていることさえままならない。愛と罪の狭間で獣のように叫んで、もっともっと激しく動いて。やがて訪れる絶頂のときに、私が私でなくなるまで。
「逝く……」
 彼のものをくわえ込んだまま全身を硬直させて、私のたましいは月夜に放たれる。白い花びらが雪のように舞い、がくがくと震える足元は夜露に濡れたままで乾く暇もない。
夜桜心中    青野 岬

関節クイズ
小笠原寿夫

サングラスをかけ、リーゼントカットの司会者は言う。
「第1問.ここはどこ?」
早押しで、相手パネラーのボタンが付く。
「肘!」
不正解の効果音が鳴り、解答権は、私に移る。
「神戸!」
また、不正解の効果音が鳴る。

司会者は言う。
「第2問.ピザを10回行ってください。」
相手パネラーのボタンが付く。
「ひさ、ひざ、ピザ、美人、朝日、ピザ、プロ、プリン、ラピュタ、ホリプロスカウトキャラバン。」
再び、不正解の効果音が鳴る。
続いて、私の解答権になる。
「痛っ!なんか痛い!ピリピリする!なんかめっちゃ美味しい!膝!」
不正解の音と共に、次の問題が出され、緊張感は増す。
パネラーが、司会者を睨みつけている。

「第3問.答えは?」
次は、私のボタンにランプが光る。
「わかりません。」
勿論、不正解だった。
相手パネラーに、解答権が移る。
「ちょっとおかしくないですか。さっきから、問題の趣旨が、わかりません。もう少し、ちゃんとしませんか?」

「第4問.誰やねん、お前。」
解答者は、相手パネラーになった。
「いや、誰やというか。お前さっきから、喧嘩売ってるやろ。」
不正解の音が聞こえる。
解答者は、私に移る。
「小笠原寿夫です。」
不正解の音が聞こえる。
司会者は、「惜しい!」と言った。
「ヒントを出しましょうか?」
私は、
「お願いします。」
と言ったが、相手パネラーは、ブツブツ言っている。
「今の状況を伝えてください。」
「理不尽な問題に解答させられています。」
「それを、端的に言うと?」
「ツッコミ。」
相手パネラーは、言う。
「なんでやねん!」
再び、不正解の音声が鳴る。

「第5問.金のなる木は、あくまで空想に過ぎませんが、空想上の生き物で、空を飛ぶものを100個答えてください。」
パネラーは、私に回る。
相手パネラーは、何か下を向いて、文句を言っている。
「ファルコン、ペガサス、天狗、孫悟空、……。」
「問題は、最後まで聞きましょう。100個答えてください。と言いましたが、その内、空を飛ばないものを答えてください。」
私は、考えた挙句、
「蜘蛛。」
と答えた。不正解だった。
相手パネラーに、解答権が移る。
「ペンギンか?」
司会者は言う。
「真面目に答えてください。正解はありますので。」
再び、私に解答権が移る。
「電波少年。」
正解音が鳴り響き、くす玉のようなものが、頭上で割れた。
「おめでとうございます!これからも頑張ってください!」
私は、礼を言い、汐留にあるスタジオを後にした。
関節クイズ    小笠原寿夫

黒猫
叶冬姫

 黒猫が前を横切って路地に消えていった。視線が下に向き自分のストッキングに伝線が入っていることに気が付いた。
 仕方がないのでコンビニエンスストアに入り新しい物を買う。お手洗いを借り穿き替えればよいのだが、買った店で借りる気にはなれない。今、穿き替えているのだと思われるのが嫌だ。
 確か黒猫が入って行った路地の先にも、普段は利用しないコンビニエンスストアがあったはずだ。
 お手洗いで昨日のことを思い出した。個室から出られない程の自分への罵詈雑言。嫌なことなら既に起きたわよと思いつつ、女性は黒猫が入っていった路地に足を踏み入れた。

 黒猫が前を横切って路地に消えていった。その様子を見て前を歩いていた二人が大声で笑う。
「一人だけ黒猫に前通られるとか」
「お前ぜってー、一生不幸」
 ランドセルを背中と前と右手に三つ。左手には三人分の他の荷物。これでよたよた歩いていたら、一人だけ黒猫に前を通られた。一生不幸だって?今でも十分不幸だ。
 ふと全ての荷物を持っているのは自分で、これがなければ彼らも困るということに気が付いた。仕返しされるだろうけど、いつものことだ。回れ右では気付かれるからと、子供は黒猫が入っていった路地に滑り込んだ。

「今日は二人か。優秀だね。お前は」
「心配しなくても自殺にしか見えないよ。この路地に入ってきた時点で不幸な人間なんだから」
 この路地はこの付近では珍しく温かい餌が手に入るので、黒猫は気に入っていた。
 餌を食べ終えると、黒猫は「にゃあ」と一鳴きし、また別の路地へ向って行った。
黒猫    叶冬姫

インラ
サヌキマオ

 出産する女に気づかれていいものかどうか、迷いながらも光景から目が離せなかった。本来ならば、自分はいてはいけないはずの存在に違いなかったが、とうとう女の上気した目と目があってしまった。女は美しかったが巨大であった。
 お前、ここをどこか解っていてやってきたのか。女は鎖に絡めていた両腕を解くと、手の平を地につけた。女の肘の高さに私の全身長があった。こうして比較するものがあると、大きさが歴然とする。華奢な腕の奥に、懶惰に熟れてさがった乳の暗がりがある。知らないなら言わずばなるまい、ここは海宮である。生きとし生けるものの生が皆皆川を下って集うところじゃ。するというと何ですか、人の命は河に落ちる。そうだ、ゆえに人は彼岸に渡ると戻って来られぬ、そうして妾は集めた命の古びを改め、遍歴を拭い去り、新しく産み出して此岸に返す。ここまで書いてきて、ようやくそういった結論にたどり着きました、おめでとうございます。ありがとうございます。
 ここが海の中心なのだとすれば、三百六十度どっちに向かっても海から外に出る行為となる。もうよかった満足した。満足したなら良かった、だったらお前もさっさと何処かへ去んでくれるか。あの、去ぬ、と申しますと。ここにいつまで居ても、お前がすべきことはひとつもないのだ。妾はこうしてほら(ほら、といったかと思うと女の腹はみるみる孕んでいった)また産まねばならぬ。古びて死んで還って産む、だ。これ以上のことは何もないぞ。
 女は私への興味を失ったようにやおら鎖に掴まると、元の形に収まって股を開く。ふっ、ふっ、と短く呼吸を整える音がして、鎖を引く手に青筋が立った。ごぼ、ごぼと音がして女陰(ほと)から勢い良く乳白色の泡が吹き出した。火山のようであると思って、それで火門(ほと)であると理解した。もちろん勝手に故事付けただけである。
 泡の大きさは実にまちまちである。きっと象やくじらの泡、バクテリアや微塵子の泡もあるだろう。そういえば、すっこっこはこいつらの仲間であったということに思い当たる。
 もう三途の川については自分の中で納得してしまったので、流れる泡の帯を追いかけることにした。他にすることもなかったのである。泡をかき分けかき分け海面へと上昇していく。それにしても、水の中なのに女の言うことがちゃんとわかったのは一種の不可思議であった。だが聞こえたし、会話が成り立ったのが実際である。
インラ    サヌキマオ

高得点の坊主
石川順一

「師匠どうなされました」
「どうもこうもない。鐘をごんごん突いとったら腰痛が再発しても―たのじゃ。前にもそんな様な事があったじゃろ。でも高得点句を呟くのだけは止められんのじゃ」
と言ったかと思うと師匠であるお坊さんは深く座禅を組み深く息を吸い込んだ・・かと思うと高得点句を呟き始めた。
「筒にして覗く通知簿山笑ふ 右左義 牛あまた散らして阿蘇の風光る かささ和 前掛を外して花の客となる 風々子 一村の風を集めて鯉幟 昌司 すかんぽやじわりと進む物忘れ 六甲虎吉 花粉症らしき隣の試着室 菊鞠潤一 おとうとの背丈また伸ぶ豆の飯 醇子 枝折戸の風の開け閉め竹の秋 よつみ 菜の花や僧も流人も石ころに 万里子 口笛で返す囀り渓の宿 恋怒 満足が駄賃で買えた昭和の日 風々子 たんぽぽや貧も明るき子沢山 凡鑽 春耕と言へど二坪ほどのこと 田圃 雪柳やさしい嘘を知った夜 益子そぼろ 幼子が赤子に唄う雛の歌 マッチ 剃刀のほどよくすべり春の水 元貞 鶯の高音一山統ぶるかに 昭生 永き日や悠々自適といふ無聊 大津英世 筍やとんがっている十五歳 伊藤涼景 スキップをそっとしてみるレンゲ畑 益子そぼろ 多分このむず痒きとき蝌蚪に足 青野草太 途中から伴奏だけの卒業歌 吹留宏風・・」
「しかも出典を示せとか古代俳句協会から脅しが・・」
「それは脅しでは無くて常識の範疇では・・」
「それだけなら許せるがわしの飼って居るこの黒くてでかい犬、こやつまで高得点句を呟くようになって仕舞った。飼い主に似たのか。こやつが呟いた高得点句がわしを通じて呟かれるぞよ・・」
「古書店に春連れ入るや女学生 曖永魑 少年の感情線へ蝌蚪落とす 猫団子 咲く日より散る日を探る桜かな 景月 宇宙にも散らせてみたき花吹雪 旭 目黒川一万隻の花筏 のらくろ 無心なる花を無心に仰ぎをり 玉緒 陽をためて咲くたんぽぽの黄色かな 少年画芳 春うらら電子レンジへ返事する 中村青潮 おやすみと言ふ人のゐて夜半の春 道子 花びらを袂にしまひ茶会席 渡部磐空 食卓は二人に戻る桜餅 多事 菜の花も 乗り込んで來る 海の駅 そら この胸の内知られしや春の宵 舵写洛 お願いがあります夜のさくら見て 石 和 白雲を喰(くら)ふがごとし鯉幟 柴田婆娑羅 仕舞風呂見遣る出窓の朧月 竹庵 一と言を言ひそびれたり春の虹 北浦日春 思い出はちぎり絵の中春霞 猪甘劉 踊場のピンクの電話おぼろ月 猫団子 永き日を沈殿物として暮らす 糸川草一郎 たんぽぽがぽぽぽと並ぶ大通り ひの 横面の牙のにやりと鰆かな 葛生淳一 たらの芽の命を二度に食べにけり 草人・・・・」
高得点の坊主    石川順一

孫兵衛と赤子
ごんぱち

 夕暮れ間近の雨が、山合の陣に累々と並ぶ武者の死骸の血を洗う。
 遠野孫兵衛は、くしゃみを一つしてから、死体の間から身体を起こした。太刀は古ぼけ、胴丸と小具足の拵えもちぐはぐだった。
「……先に行った殿様の隊に……加勢に行くか……じゃが、命あっての物種――」
 呟きが止まる。
 微かな、けれど、人が最も気付きやすい声。
 赤子の泣き声だった。
 いつからいたのか。
 焼けた樹の根元に、白い着物を着けた女が一人座り込んでいた。女は無言で手に抱いた赤子を差し出す。一瞬躊躇いかけた孫兵衛だが、すぐに手を出し赤子を受け取った。
 女の脇腹には、深々と矢が刺さっていた。
「……帰りの路銀の足しぐらいには、なるじゃろ」

 孫兵衛が麓で最初の家を見つけ、戸を叩いた時、既に日はとっぷりと暮れていた。
「戦で傷を負い、帰らされた者じゃ。軒を貸して欲しい」
 戸の向こうで心張り棒を外す音がした。
「途中で赤子を拾った。これ以上一緒にいても死なせるだけじゃ。買い取ってくれ」
「赤子?」
 戸が開き、白髪交じりの家主が出て来る。
「大人しい子じゃ、邪魔にはならん」
「どこにおるのです?」
 背負い紐には草の束が入っているだけだった。
「確かに赤子が?」
 男は草の束を手に取り、鼻を近づける。
「これは……頂いて宜しいですかな?」
 孫兵衛が頷く間に、男は草の束を刻み、薬缶に入れて囲炉裏で煎じ始める。
「――二月ほど前、狼の群に追われていた狐を、女房が追い払い申したが、その時の傷が膿みましてな」
 男は、薬缶の中身を混ぜながら話す。
「薬草を取りに行くにも、薬を買いに行くにも、この戦で道がふさがってしもうて」
 薬缶から立ち上る臭いは、部屋中に立ち込めている。青臭さをずっと強くしたような、決して良いものではないが、吐き気を催すようなものとはまた異なる。
「畜生なりに、恩義を感じたのでしょう。化かされたお侍樣は腹立たしいでしょうが、どうか許してやって下され」

 翌朝。
 仕度をした孫兵衛は男の家を出る。
「世話になった」
「こちらこそ。しかし、殿様の軍を追ったところで……」
「決めた事じゃ」
「……お気を付け、下され」
 歩き始める孫兵衛の背に、男は声をかける。
 孫兵衛は、振り向かずに片手を挙げて軽く振り、山道を登って行った。

 半月後、田植え時期となった事で、戦は孫兵衛側の軍の撤退で幕を閉じた。下級の武士に過ぎない孫兵衛の消息は、どの文献にも記載されていない。
孫兵衛と赤子    ごんぱち

これはこの世の事ならず
アレシア・モード

 これはこの世の事ならず
 死出の山路の裾野なる 賽の河原の物語
 聞くも哀れな物語

 空は茫漠と白く、眼下は果てない石の河原。
 死んだ幼い子供らが賽の河原に集まって、父母を呼び泣き続ける。骨身を通す叫び。やがて子供らは石を拾い、塔と積み始める。

 一つ積んでは父の為 二つ積んでは母の為

「ねえ、何してるのかな」
 私――地獄のお姉さん、アレシアは優しく声をかける。子供らは手を止め、少し年上の男の子が答えた。
「僕たち悪い子なんだ……子供なのに死んだから。でも塔を積めば功徳になるって」
「そう、誰に聞いたか知らないけど、みんな偉いよ」
 私は微笑みながら、石塔を蹴り崩した。子供らの表情がみるみる歪み、泣き声がほとばしった。
「ハンッ、お前らの現世に残る父母は、追善供養もろくに無く、ただ毎日悲しい哀れと泣くばかり。ひいてはそれがお前らの苦行の種と――」
「うわあ、うわあん」
「話を聞け!」
 私は金棒を振り上げ、塔の残りを打ち砕く。
「お父ちゃん、お母ちゃーん」
「お前の親ね」私は検索した。「あー、お前の父母もうすぐ死ぬわ。お前を殺した罪でな!」
 裂いたような泣き声が私に刺さる。
「うるせ!」
 お前など此処に来てまだ七年なのだ。時々リセットするから分かるまいが。
「恨むなよッ。さあ解散、解散!」
≪お待ちなさい≫
「あや? 地蔵様」
 救いのハゲが、やっと来やがった。子供らは地蔵に取りすがった。
≪哀れな子らよ。さあ私と極楽浄土へ参りましょう。私を父母だと思って……≫
「あの、地蔵様」
≪何ですか?≫
「私はどうしましょう」
≪此処に残って、今まで通りで≫
「地蔵様、私なぜ此処に居るんでしょう。ただ毎日子供を泣かせて、崩しては積まれ崩しては積まれ」
≪そういう存在ですから、あなたは≫
 地蔵と子供らは天上へ、私の知らぬ極楽へと昇り消えていった。

 (了)



(……何だよ、それ)
 私は金棒を振り上げた。
「ふざけんな!」
 叫んで石を打ち砕く。石を砕き続ける。全部砕けば塔も積めまい。そう私は馬鹿だ。でも私は手を止めない。金棒に血が滲んでも止めないのだ。こんな河原、壊してやる。ざまあみろ、ざまあみろ。
「アレシア~、ねえ、ちょっと来てよ……」
 同僚の地獄のお姉さん、マリの気怠い声が聞こえる。
「何か用? 私むっちゃ腹立ってるんだけど」
「焦熱地獄で、亡者が大量入荷で……鬼が足りないんで応援来てって……」
「うぉお、行く行く♪ 亡者だ亡者だー♪」
これはこの世の事ならず    アレシア・モード

心配
今月のゲスト:宮本百合子

 静かな町から来た私には駿河台と小川町の通りはあんまり賑やかすぎた。駿河台で電車を下りるとすぐ一つの心配が持ち立った。それは自分のつれて居る爺やが田舎出だからと云う事であった。電車をおりるとすぐ彼は私とあべこべの方へ行ってらした。そうして私に袖を引っぱられて変な顔をして又私の後についた。電車の線路を横ぎる時に彼はあんまりあわてたので職人にぶつかって眼をあいて歩けとどなられて大きい目を一層大きくした。そして「東京の暮を田舎の者に見せてやりたいなあ」と大きな声で一人ごちて道のまん中に突っ立って提灯や幕の華やかに飾ってあるのを見まわして居る。人力が来た。リンをチリンチリンとならして走って来た。彼はつんぼだから聞こえないのだろう、まだぼんやりと見まわして居る。私は大急ぎで駆けつけて彼の手を引っぱって人道の方に引き入れた。私はもうがっかりしてしまった。こんな爺やをつれて来てどうしてよかろうと。
 私は尚心配が増して来た。今のようでは一人放して歩かせればきっと死んででもしまうだろうと。
 それは耳は遠いし足はよく動かないし、見とれるとどこでもお構いなしに立ちすくんでしまうから。
 私は彼の鬼のように大きくそうして硬い手を逃がさないようにしっかりつかまえて又歩き出した。彼は今度は自由に歩けないから黙って私のあとをついて来る。私は歳暮大売出しと大きな門をつくった内の三省堂に本を買いに寄った。私はしかたがなくて彼の手を離した。まさか本屋にまで手を引いて入れないから。本を見ている間に彼はもう唐物店の飾り窓の前に吸いつけられて居た。私は袖を引っぱってまた手をつかまえた。こんどは同じ通りの中西屋に入って本をきいた。手を離したもんだからまた彼は回り灯篭のように一つところをぐるぐる回りして居る。私はもう気が気ではない、まだ訪ねたい所はたくさんあったが心配でしょうがないからきりあげて巣鴨行の電車に乗った。
 電車はあいにく混んで居た。私と彼とは車掌台の上につみ込まれた。電車がツーツー走って居る間に彼はいくども転がりそうになったかわからない。その度に私は心配した。道を歩く時にも車にぶつかりはしないかと心配した。心配のしつづけで家に帰って日向のいい椽側に長くなった時始めてほっとして生きかえった心地がした。自分の部屋に入って炬燵にあたった彼もほっとしたようにスパリとたばこを一服してホットしたように溜息をした。