第78回 1000字小説バトル

参加作品
1 元旦風景 サヌキマオ1000
2 雪のなみだ 緋川コナツ1000
3 処世術 小笠原寿夫1000
4 ぼくの力とストレスと エルツェナ1000
5 かわらないもの 深神椥1000
6 大盛り ごんぱち1000
7 かちかち山 芥川龍之介1000

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バトル結果発表
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元旦風景
サヌキマオ

 元旦、遥か山の端より初日の出です。
「うわぁ、しわっしわやん! しわっしわやんけ!」
 人が勝手に決めた境界とはいえ、大晦日に沈むおひさまはきっといつもの黄昏だったはずです、なのに誰も覚えていない。十二月三十一日に沈む夕日のことなんぞ誰も覚えていない。もしかすると昨日からどこかが悪かったのかもしれない。目に見えるものが真実であるのならば、今眼の前に映る太陽はしわっしわでありました。
「おいしそう」
「おいしそうやね」
「見とるとつばが湧いてきよるのう」
「白飯が欲しくなりますねぇぃ」
 それ以外の言説というのはいくらでもありましたが、大体は「正月から縁起でもない」「日本オワタ」「他の国はどうなっているんだ」の三つに収束されたので割愛します。全体の九十八パーセントを割愛して、残りの二パーセントを百とした時のさらに二パーセント。
「もうおせちとかいいから白飯炊こうぜ白飯」
 おせちは昨年十月末、中野駅の北口を歩いていたら、回転寿司屋さんが早々と予約を受け付けていたので酔狂にも頼んでおいたやつです。紅白を観ていたら知らない電話番号から山のように電話がかかってきて思い出しました。電車を乗り継いで取りに行きました。そういえば紅白面白かったですね。会場に犬が入ってきて。小林幸子が艦娘化してて。
 特製おせちはいくつかにぎり寿司の付いた、値段の割にはそこそこ豪華なものでしたが、何も温かいものがついていないのがいただけない。普通付けるだろう、カップの味噌汁とかお吸い物とか。寿司はおいしいけれど、三つ四つと食べ進めていくうちに、胃の底から冷えてくる。
「何かないのかい」
「出来ますものは白湯かお湯か、ホットウォーターとなっておりまして」
「なんで緑茶さえないんだよ。ここは日本か」
「お茶っ葉を洗うのが面倒だったのでひと夏放っておいたら、急須ごと腐っちゃったんだ」
「しょうがねえなぁ」
 こたつから出るのも面倒なので白湯で我慢していると、窓から差し込む陽の光がゆらゆらしています。
「ずいぶん揺れるね」
「しわっしわだからね」
 テレビでは元旦そっちのけで太陽のことばかり。そんなもの観なくてもわかっています。家の前をバイクが通り過ぎていった気がするので玄関に出ると、郵便局と眼鏡屋、それに「今年は歳男ですね! 三男が生まれました」という高校時代の友人からの年賀状が着ておりました。
 碌でもないことを思い出させてくれたもんです。

雪のなみだ
緋川コナツ

 控室のドアを開けると、純白のドレスに身を包んだ娘が少し緊張した面持ちで立っていた。
「お父さん……。ドレス、どう?」
「おめでとう、美花。とてもよく似合っているよ」
「本当に? 良かった」
 わたしの言葉に安堵したのか、ヴェールを指先で軽く押さえながら淡く笑う。そんな娘の何気ない表情がビックリするくらい若い頃の妻に似ていて、思わず目頭が熱くなった。
 妻は娘の美花が小学三年生のときに癌で他界した。それ以来、わたしと美花は二人寄り添い励まし合いながら生きてきた。
 幼い一人娘を残して旅立たなければならなかった妻は、さぞかし無念だっただろう。今更ながら胸が締めつけられる。
「あ、雪だ。お父さん、雪が降ってきたよ」
 美花が大きな窓に歩み寄り、空を見上げる。鉛色の雲から、ちらちらと白いものが舞い降りているのが見えた。
「初雪か。どうりで朝から冷えると思った。積もらないといいけどな」
「お母さん、やっぱり私のこと見ていてくれているんだ!」
「えっ?」
 積雪の心配をする私を尻目に、娘が嬉しそうに呟いた。
「あのね、お母さんが入院していたとき私に言ったの。もし、お母さんが死んでも冬になったら雪になって美花に逢いに行くからね、約束するからね、って」
「そうか……それは初耳だ」
 母と娘の間でそんな約束をしていたなんて、全く知らなかった。
 妻が息を引き取ったのは大雪が降った明け方だった。夜中じゅう降り続いた雪がぴたりと止んだ、神秘的なくらい静かな朝だった。分厚い雲の切れ間から差し込む澄んだ光に誘われるように、妻は空へと召されていった。
「お父さん、もしかして泣いているの?」
 思えば娘が生まれたときも雪が降っていた。嫁ぎ行く娘と、その娘を雪となって見守ろうとする妻の心情を想い、涙が溢れた。
「ああ、すまない。せっかくのおめでたい日に涙は禁物だな」
 わたしは照れ臭くなって、あわててハンカチで涙を拭った。
「ううん」
 娘が小さく首を横に振る。
「嬉し泣きだもの。だってほら、お母さんも泣いてる」
 娘も目を赤くしながら、窓の外を指さした。白いものに雨が混じり、いつしか雪は霙に変わっていた。
「雪の涙か……そうだな。きっと、お母さんも喜んでいるんだろうな」
 そのとき背後から式場のスタッフに名前を呼ばれた。そろそろ両家親族の顔合わせの時間らしい。
「行こうか」
「うん」
 わたしは娘と二人、霙の気配を感じながら会場に向かって歩き出した。

処世術
小笠原寿夫

バニリンって知ってる?バニラの香料に使われる分子なんやけど。今はwikipediaで何でも調べられる時代やもんね。実は、アレ僕が、構造式解析して、論文発表するはずやってん。自慢話じゃないよ。中退したわけやし。バニリンの構造式解析して、何が楽しいの?って聞かれることもあったかもしれへん。だけどね、学校で勉強することって社会に出て、役に立つことばかりじゃないけど、何かの時に、この業績を残しましたって言えるもんね。それってとても重要なことやと思うねん。人がやらなかったことを成し遂げたっていうか。何て言ったらいいのかな。論文発表するやん。その時点で、世の中の非常識やったことが、常識に変わるわけやん。あっ、バニリンの話やったね。バニラの原料なんて知りたいと思う人、そこら中にはいないよね。お金が儲かるわけでもないし、それやったら、バニラアイス食べたり、バニラエッセンス使って、お菓子作ったり、バニラオイルでいい香りさせたり。そっちの方に目が行くよね。だけどね。何でもそうやと思うんやけど、人が目につかないところに、目を向けてやるって、実はすごく大事なことなんよ。少数派の意見は参考にならんって切り捨てるのは、簡単な話やけど、実際、世界を変えたのは、少数派の人間やもん。理屈やけど、理屈じゃないねん。すごいのよ、バニリンっていう小さな分子を解析するのに、どれだけ多くの知識と技術が凝縮されているかって。夢の世界じゃないのよ、実際にあるものなんやから。バニリンの構造式が重要なんじゃなくて、それを解析する知恵を持っているっていう事が、どこかで役に立つねん。偉そうなことは言われへんけどね。結果出してない訳やから。みんな、それが何の役に立つの?ってまず聞くよね。常識としては。バニリンって言われたって、はぁ?って感じでしょう。バニラは食べるもんでしょう、ぐらいにしか思ってくれないよね。、本当にわかっている人っていうか、ちゃんとしてる人は、目を輝かせて聞いてくれるのよ。それでそれで?って。そしたら、こっちも話したくなるじゃない。バニリンっていうのは、有機物質でそれを構造解析するのに、こんな機材を使って、それをコンピュータに計算させて、とか。そこで話が盛り上がって、楽しい時間を過ごせたな、ってなるやん。貴重なお時間をありがとうございました。とか、そういう処世術も身につけて、綺麗に帰れる。あっ、もう時間ですか?

ぼくの力とストレスと
エルツェナ

 やっとのことで用事が終わって。

「…ああ、よくあの場を我慢し通せたなあ…」
 思い返すだけでも腸が煮えくり返る程の出来事を乗り越え、人が倒れそうなほどに睨んでしまいそうなほどの怒りを抱えた状況で、本当によく我慢出来た…。
「早くこの怒りを発散して、お菓子でも貰お…」
 外せない用事だからこそ我慢出来たんだ、そう思いつつ家まで戻ってくると、ボクシングジムに道場破りがいた。
 窓越しに所属プロのトレーナーをしている父親と目が合い、プロに挑まれる前に食い止めてくれ、と目で訴えられる。

 丁度怒りの発散場があることにニイッと笑うと、父が怯えた様な顔をしたようだった。

「ただいまー」
 わざと間延びした挨拶をしながら入り、
「お客さんにしては、凄く荒れてるね」
 そのまま一瞥し、道場破りの実力を測る。

 ジム内はまさに屍累々といった状態で、立っていたのは父親と、道場破りに睨み合っている所属プロだけ。 だけど、近々試合を控えているためプロは手を出すわけにも行かず、しかし相手にならなければ看板を持って行かれるところだっただけに、父の真剣な目も頷けた。

「今日は機嫌が悪いから、聞こえる内に言うよ」
 さっさとグローブを着けて紐を素早く結んで貰い、リング下からロープ最上段を手も使わずに飛び越えて道場破りの前に現れて戦闘態勢を取る。

「死んだら、ごめんね」
 道場破りがあたしを一瞥だけしてプロに視線をやった瞬間その胸骨ど真ん中に全力を叩き込むと、ロープ同士の間を抜けて窓ガラスを背中から突き破り、面した交差点から15m位離れた所から転がり始め、やがて道路の真ん中に大の字になる。

「うわ、こんな所まで飛んで来た!」
「まーた、せなの嬢ちゃん新記録か…」
 そんな感じで隣近所がざわめき出し、手早く救急車が呼ばれ、事情聴取に来るだろう警察より先に石で路面に線を引いている…それは、大体月に一度の風景だった。

「…ねえお父さん、丁度良いスクラップ、ない?」
 一撃で終わってしまって全然フラストレーション発散も出来ていない事を悲しむ背中を見せながら問うと、

「ありがとう、せな、助かったよ。 そう言えば支柱が1本、中までさびたから廃棄するつもりなんだ、良かったら手伝ってくれないか」
 宛てがあったのか、良い返事が返ってきた。
「また小さくしていい?」
 こう問うたあとに帰ってきた、頼むよの声に、やっと遠慮なく全力で殴れる、と心から上機嫌になれた。

※作者付記:
 主人公「せな」の家は、両親が所有している五個一の長屋を改造し、端に母親が師範代を務める空手道場を、逆の端に父親が面倒を見ているボクシングジムを置き、その間の一階部分をフィットネスクラブ、二階部分を住居として使っています。
 第73回と第77回に投稿した物語は、今回の舞台とは逆側の、二階まで吹き抜けになっている空手道場での話です。

 なお、筆者が1000文字バトルに投稿させて頂いている稿は、この稿を投稿した現在、すべて同一シリーズです。
 気まぐれで全く別のシリーズを投稿する可能性がありますが、その時は区別できるよう何らかの措置を講じる予定です。

かわらないもの
深神椥

 負けた。またあいつに負けた。
あいつ、青木とは、高校時代、同じ写真部だった。
 仲が良いのか悪いのか、喧嘩するほど仲が良いというのか、変に意識し合う「ライバル」のようなものだった。
 当時から、フォトコンテストではお互いしのぎを削っていたが、結果はいつもオレの負けだ。
 青木は、グランプリなど上位入賞したことがあるが、オレはせいぜい佳作どまりだ。
 青木と競う為にコンテストに応募しているわけでは決してないが、自分の撮ったものが人の目にはどう映るのか、どう評価されるのか、知りたいと思うのは人の常だ。
お互い、写真を生業としているわけではなく、趣味の範囲に留まっている。
 そして、どういうわけか、何の因果か、青木と同じ写真サークルというものに所属してしまった。
といっても、そんな大層なものではなく、六名そこそこの写真好き同士が集まって、日帰りや泊りがけで写真を撮りに行ったり、互いの写真を披露し合って語り明かしたり、といった具合だ。
 青木とは、サークル内でも、憎まれ口を叩くくらいで、それ以上でもそれ以下でもなかった。程良い距離感を保っていた。
 そして、今回のコンテストは、入賞者千名以上という大きなものだったが、青木は特選、オレはまたしても佳作だった。
 あいつがいいものを撮るということは勿論認めている。
 人の心を動かす何かが、あいつの撮るものにはあるのだ。悔しいが。
 あいつに負けたのか、あいつに負けたくない自分に負けたのか。
 もしかしたら、オレの方があいつを意識しすぎなのかもしれない。
――そういえば、同じサークルの黒田が教えてくれた。
「青木、急性胃腸炎で入院だって。コンテストの表彰式にも出られないらしい。運悪いよな、あいつ」
 へぇ、あいつでも、青木でも、体調崩したりするんだ。
 所詮、あいつも「人間」ってことか。

 憎まれ口を叩いても、あいつに負けたくなくても、お互い目指しているところは同じだ。
 好きな写真で何かを感じ取ってもらいたい、人の心を動かしたい。
 その結果、いい成績を残せれば、本望だ。

「青木、KS病院に入院してるって。お前、見舞い行ってやれば?」
「えっ何でオレが……」
「あいつ、あれで結構脆いとこあるし。似た者同士のお前が行けば、案外喜ぶかもよ」

――柄じゃないけど、あいつの為に時間を費やすのは惜しいけど、見舞いにでも行ってやろうかな。
 あいつの好きなポインセチアの鉢植えでも持って。

大盛り
ごんぱち

 引き戸が開き、会社帰りのサラリーマンが二人、入店して来る。
「ううっ、寒っ」
「うわー、眼鏡曇るー」
「……いらっしゃいませ」
 二人に気づいた店主が、カウンター越しにから挨拶をする。
 カウンター席が六席、テーブル席が二席の狭いラーメン屋だった。夕食時も過ぎた時間、客は彼らの他に誰もいない。
 カウンター席に並んで座った後、二人はメニューを開く。
「てと……どれでも大体うまいんだったよな?」
「ああ。ただ……」
「よし、決めた!」
 背の低い方の男がメニューから顔を上げ、指を一本立てる。
「大将、大盛りラーメン一つ!」
「待て! ちょっと待て」
 眼鏡をかけた方の男が、慌てたように言う。
「ここのラーメンの大盛りはやめとけ!」
「なんでだよ?」
「だから……」
 眼鏡の男は声を潜めて言う。
「とにかくやめとけ、全部喰えない」
「ふふん、多すぎるってのか? 下らない、多すぎたら残せば良いじゃないか。腹が減ってるんだ、普通盛りなんかで足りるもんか」
「そうじゃない、そうじゃあないんだ!」
 声を抑えたまま、眼鏡の男はもどかしげに言う。時折、店主の様子を伺っている。
「詳しくは後で言うから」
「値段もそんなに変わらないしどって事ねえって!」

「――お待たせしました」
 店主がカウンター越しに丼を置く。普通盛りよりも一回り大きい丼の中のスープに、麺がたっぷり入っている。
「来ちゃった……」
「なんだよ、大げさだな。おれ、こう見えても結構喰うんだぜ? ラーメン三杯やった事あるし、これぐらいどって事ねえよ」
 背の低い方の男は、箸を口で割って麺をつかみ、持ち上げる。麺が二、三本ちぎれた。麺を口に入れ、すする。
「――う、む、むぐぐ?」
 引っかかりながらすすり込まれる麺を一息大きく吸い込んでから、かみ砕いて飲み込む。
「……むぅぅ、ぬたりとした舌触りと粉っぽかったりぬちゃぬちゃだったりする麺、これはまずい、まずいぞおおおおお!」
「……この店の大盛りはな、元々かなりちっこい鍋に余分に麺を入れるせいで、まともに茹で上がらずに、多い少ない以前に、凄くまずくなるんだ。そのため完食率ゼロを誇る、絶対喰えない大盛りとしてその筋で有名なのだ」
「どうして大盛りを採用した!?」
「貧乏な人でもお腹いっぱいに食べられるようにとかだそうだ」
「えへへ、当たり前の事をしているだけです」
「褒めてねえよ大将! 当たり前でもねえ! 貧乏な人をどんだけ見下してるんだ!」

かちかち山
今月のゲスト: 芥川龍之介

 童話時代の薄明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、舌切雀のかすかな羽音を聞きながら、静かに老人の妻の死を嘆いている。遠くに懶い響を立てているのは、鬼ヶ島へ通う夢の海の、永久に崩れる事のない波であろう。
 老人の妻の屍骸を埋めた土の上には、花のない桜の木が、ほそい青銅の枝を、細く空にのばしている。その木の上の空には、あけ方の半透明な光が漂って、吐息ほどの風さえない。
 やがて、兎は老人をいたわりながら、前足をあげて、海辺に繋いである二艘の舟を指さした。舟の一つは白く、一つは墨をなすったように黒い。
 老人は、涙にぬれた顔をあげて、頷いた。
 童話時代の薄明りの中に、一人の老人と一頭の兎とは、花のない桜の木の下に、互に互を慰めながら、力なく別れをつげた。老人は、蹲ったまま泣いている。兎は何度も後をふりむきながら、舟の方へ歩いてゆく。その空には、舌切雀のかすかな羽音がして、あけ方の半透明な光も、何時か少しづつひろがって来た。
 黒い舟の上には、さっきから、一頭の狸が、ぢっと波の音を聞いている。これは龍宮の燈火の油を盗むつもりであろうか。或いは又、水の中に住む赤魚の恋を妬んででもいるのであろうか。
 兎は、狸の傍に近づいた。そうして、彼等は徐に遠い昔の話をし始めた。彼等が、火の燃える山と砂の流れる河との間にいて、厳かに獣の命をまもっていた「むかしむかし」の話である。
 童話時代の薄明りの中に、一頭の兎と一頭の狸とは、それぞれ白い舟と黒い舟とに乗って、静かに夢の海へ漕いで出た。永久に崩れる事のない波は、善悪の舟をめぐって、懶い子守唄をうたっている。
 花のない桜の木の下にいた老人は、この時ようやく頭をあげて、海の上へ眼をやった。
 曇りながら、白く光っている海の上には、二頭の獣が、最後の争いを続けている。徐に沈んで行く黒い舟には、狸が乗っているのではなかろうか。そうして、その近くに浮いている、白い舟には、兎が乗っているのではなかろうか。
 老人は、涙にぬれた眼を輝かせて、海の上の兎を扶けるように、高く両の手をさしあげた。
 見よ。それと共に、花のない桜の木には、貝殻のような花がさいた。あけ方の半透明な光にあふれた空にも、青ざめた金色の日輪が、さし昇った。
 童話時代の明け方に――獣性の獣性を亡ぼす争いに、歓喜する人間を象徴しようとするのであろう、日輪は、そうして、その下にさく象嵌のような桜の花は。

※作者付記:
・本作品は青空文庫収録版より1000字バトル向けの編集を加えています。
・ゲストの作品は投票の対象外となります。