第91回 1000字小説バトル

参加作品
1 豆を撒(きに行)く サヌキマオ1000
2 ギリシャにて 小笠原寿夫1000
3 休憩室にて ごんぱち1000
4 川柳と短歌の修業 石川順一1005
5 狐つかい 只野真葛1124

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豆を撒(きに行)く
サヌキマオ

 デパートだった瓦礫の崩れる音がする。反射的に木刀の先を向けたが、崩れたビルの角に留まった烏だった。
「烏だって。珍しいね!」
 烏は嘴から桃色の切れ端をぶら下げている。コンドームだろうと察しがついた。見ていても得るものがないと思ったのか、烏はわさわさと羽音だけ力強くして飛び去っていく。「ばいばーい」と縞尾が暢気な声を上げた。
「そろそろ飯にするか」
「別にいいけど」
 では、と荷物を下ろそうとするが、縞尾はてくてくと歩いていってしまう。
「飯にするんじゃないの?」
「だから『別にいい』って云ったじゃん」
「腹、減らない?」
「もっと減らさないと」
 荷物を背負い直して慌てて追いかける。縞尾は私の背後の膨れ上がったバックパックに侮蔑の視線を向ける。
「あたし、納豆嫌いなのよ」

 神様は人間に越えられないハードルを与えないとは云うが、飲まず食わずで二日ぶりに手に入れた食料が納豆工場の納豆だとはギリギリに過ぎる。
「徳川家康か!」
「なにそれ、ドユコト?」
「いや、徳川家康が『農民は死なないように生きないように年貢取れ』みたいなことを云ってて」
「どういうシチュエーションで云ったの? それ」
「ん?」
「ん?」
 水で薄めた納豆を一気飲み、という罰ゲームのような昼食を終えた縞尾が倒れている。
「もしかして、徳川家康、知らない?」
「知らない。偉い人なんだろうけど」
「日本をおさめて神様になった人だよ」
「そーか、それで年貢を取るってシチュエーションなわけだ。で、今は神様なんだ?」
「日光の山奥にあるんだよ、神社が」
 縞尾が起き上がると日光はどちらかを訊いてくる。大体北の方を指差す。砂と瓦礫ばかりになった平野の遠くには首の取れたスカイツリーがぼんやり見える。
「もしかして、この世界をぶっ壊したのは、その神様だったりする?」
「そうかもね、だとすると神様じゃなくて鬼かもしれない」
「鬼かぁ」
 不意に思い出すことがあって、私は納豆のパックを開ける。
「おにはーそと!」
「えっなにそれ」
「豆まきだよ。古い風習」
「てっきり気が狂ったのかと思った」
「鬼は豆を嫌うから、すこしは利くかもしれない」
「あ、ね、じゃあこうしようか」
 縞尾は何もない休みの予定を思いついたかのように明るく云った。
「この納豆さ、食べないでおいて日光の神様だかにぶっかけてやろう」
 ひょんなことからとりあえずの目的が出来上がる。
 納豆を食べきる前に日光にたどり着くだろうか。

ギリシャにて
小笠原寿夫

 まず、人間として、どうあるべきかを考える。それが、学問の発端だったようだ。
 哲学しか、まだこの世に存在していなかった時代。そんな頃のお話である。
「ねえ、ヘラクレス。どうしてこの世には、善悪が存在するのかな。」
ヘラクレスは、少し考えた挙句、
「神のみぞ知る術なしじゃないかね。」
それを受け、ギルバーナは、その言葉を噛み締めるように、
「神のみぞ知る。じゃあ、神に善悪はないのかな。」
ヘラクレスは、
「ある。」
とだけ答えた。
「しかし、人間の知る術ではない。」
そう答えたヘラクレスを、見てギルバーナは、微笑んだ。
「あなたも人間でしょう。」
「如何にも。」
そう答え、ヘラクレスは、眉間に皺を寄せた。
「ならば、人間の人間たる所以は、どこにあると思うかね。」
ギルバーナは、首を傾げた。すかさず、ヘラクレスは、
「火を使うことさ。」
と言った。人間は、火を使うことにより、文明を創り、それを文化に変えてきた。確かに火を使うことは、人間にとっての起源だったのかもしれない。しかし、戦争は、いつもどこかで起きている。
「人間ほど醜い生物もいないと思うけど。」
皮肉混じりに、ギルバーナは、笑った。怪訝そうな顔をするヘラクレスに、
「一理あると思うけどね。」
と、ギルバーナは、言葉を取り繕った。
「あの空をごらん。あの星とあの星を結ぶと、水瓶に見えてこないかね。」
ギルバーナには、そうは見えなかったが、空気を読んで、
「そうね。」
と、だけ答えた。羊たちは、小屋の中で寝静まっている。ギルバーナは退屈そうにしている。
 ヘラクレスは、あらゆる星を繋げては、白鳥に見えるだとか、神々の姿に似ている、だの言っている。そう言われている内に、ギルバーナも、そう見えなくはないような気になってきた。ヘラクレスの星空談義は尚も続く。
「あの星とあの星は、カシオペアかもしれない。」
ギルバーナは、少し話に、乗ってみた。
「あの七つの星は、柄杓に似ていない?」
ヘラクレスは、水を得た魚のように、話し始めた。
「もっと繋げると、大イヌにも似ているね。」
「柄杓とカシオペアの椅子を繋げると、真ん中に全く動かない星がある。」
ギルバーナもいつしか、退屈な夜が、楽しくなってきた。
「ほんとだね。あの星を中心に、夜空が回っているぞ。」
二人は、夜の退屈など、忘れて、夜空を見上げながら、話し更けた。
 夜も明け始めた頃、ヘラクレスとギルバーナは、羊たちの群れを起こしに、鞭を取った。

休憩室にて
ごんぱち

「おう蒲田、何読んでるんだ?」
「『近代麻雀』だよ、四谷。誰かが置いてったみたいだ」
「縁のない漫画誌だな。なんか知ってるのあるか?」
「アカギしか分からんかった」
「ああ、アカギってその雑誌だったっけか」
「うむ」
「これも連載長いなぁ、一晩をどれだけかけてやってるんだか」
「一晩の引き延ばしとは言え、きちんと何かしらの中身を伴って書かれ続けているところが凄いな」
「ああ。中身がある事が重要だ。世界一長い曲とか言って、一年に一音とか馬鹿な楽譜を書いてるヤツは猛省すべきだと思うね」
「全くの同意だ、四谷。あれは別に曲じゃなくて、音が転がってるだけみたいなもんだからな」
「あれを曲扱いする奴らが本当嫌だね。あれを曲と認めるのだったら、五〇億年分ぐらいリピートで休符書いて、最後にドミソの和音でも鳴らして『太陽のレクイエム』とでも名付けておけば良い。だが、それはどこまで言っても音楽とは違うただの言葉遊びだ。そこに感動する人がいたとして、音じゃない、説明に反応しただけだ。芸術は芸術たる手法と主張が適切に融合するからこそ芸術なのであって、それが乖離した時点で、だだの主張のないゴミだ! 大根旨いという気持ちを主張をするために、人を撲殺する事を手法に表現したというヤツがいたとして、本人以外の誰もそこに繋がりを見いだせないし、実際の所本人だって繋がってるとは思っていないだろう。つまり、そこには何の芸術も成立してはいないという事だ! 表現していると言い張ったところで、実際には自分自身すら騙せていない、こけおどしに過ぎない! 芸術の手法とは主張すべき事象が適切に伝わる最短を模索するが故に生ずるものであって、決して奇抜を競うものではない!」
「となれば、我々は何をすべきなのだろうな?」
「決まっている、悪しき物の否定よりも良きものの徹底した肯定だ! 叱る教育より褒める教育! この場合、質の伴った長期連載をもてはやす事だ。アゴ、アゴ凄いよ、凄いとんがってるよ! 悪魔的だよ! 髪白いよ! 双方白髪だから、墨が少なくて済むかと思いきや、服が黒いから結局同じぐらいだよ!」
「閻魔小物過ぎるよ! 鷲津を強く見せる為に、周りを小物にする手法は下策だけど、よく考えたらこいつ悪役だからそれで良いのかも知れないよ!」
「がんばれ福本!」
「呼び寄せろ福!」
「黄金の幸運はすぐそこ!」
「そいつは榎本だ!」
「思ったよりフツーの人らしいぞ!」

川柳と短歌の修業
石川順一

展開が早い政治を読みきれぬ
整理する速度を越えて広がれり
昼食の肉まんはやも秋に食べ
駅からが意外と遠く汗をかき
検定の無意味文字列打ち難し(キータッチ検定2000)
 以上私の川柳修行であろうか。2007年10月10日(水)コピーとある

 時事句の修業もある

解散のドラマが今年見られるか
デモ隊に銃撃命令みなもとは
アウンサンスーチーさんの行く先は
 以上の川柳も同じ日付のようだが次のようなコメントが付いて居た

「小生電話でメールで今まで応募して居りましたところ、本年(2007年)8月31日を持ちまして日本テレコムの電話でメールのサーヴィスが終わってしまいました。なるべくパソコンにてメール環境を整えたいと思って居りますが、しばらくかかりそうです。つきましては当分の間は郵送のみで通して頂きたくお願い申し上げる所存です」
と、ある。

 苦しい川柳修行であったが、なにがしかえるものはあったような気がします。

 2015年5月18日(月)15時15分印字「小林久美子続き」とあるのは短歌修業の一端のようだ。性海寺へ行った前後によく読んだような気のする、「現代歌人ファイル」のサイトの「小林久美子」の項である。確かビラロボスの音楽と共に記憶に残って居る。印象的な短歌を幾つか挙げて見よう。

 発熱のあなたをつれだし今世紀最後の皆既日食みせる
 のんのさまがふっくらてっておいでです内気な椰子をはげましながら
 とてもいいできごとのあとかけだしてなきむしジャネッチ行ってしまっ
 た
 地下鉄の小窓を軍靴またとおる ほんとうはかれ絵描きだそうだ
 胸のうち告げてきた こい紫のぶどうのしずく眼におちてくる
 いつもこたえをほしがってといかけることばかりするほほあつくして
 白色の発光ペンで しんみつ とあなたの胸のくぼみに書いて
 突風におどろいただけふたりともつないでた手をぽいとはなして

 以上は小林久美子さんの短歌である。最初の川柳は私の自作句であるが、今読み返すと何かしらの構造を感じる様な気分である、ホーこんな句を詠んで来たのかと、言う感慨もある。
 
 もう少し彼女の短歌を挙げて見よう。

 この街と話をしたいこの街と寝てこの街に溶けていきたい
 つなぐ手をちょっとはずしてはめてみるさそり・がいこつ・こぶらのゆ
 びわ
 大聖堂は午(ひる)をアルトでつげおえて乾季の雨(シューバ)になめ
 られていく・・・
 
 こうやって他人(ひと)の短歌を読んで居るだけでも短歌修業に成ると思うのだ。

狐つかい
今月のゲスト: 只野真葛

 清安寺という寺の和尚は、狐使いにて有りしとぞ。
 橋本正左衛門、ふと出会いてより懇意となりて、おりおり夜ばなしに行きしに、ある夜五六人寄り合いて話し居たりしに、和尚の曰く、
「御慰みに芝居を御目にかくべし」
 と云いしが、たちまち座敷芝居の体(てい)と変わり、道具立ての仕懸け、鳴り物の拍子、色々の高名の役者どもの出でて動(はたら)く体、正身の歌舞伎にいささか違(たが)うことなし。客は思いよらず面白きこと限りなく、居合わせし人々大いに感じたりき。
 正左衛門は、例の不思議を好む心から分けて悦び、それよりまた習いたしと思う心おこりて、しきりに行き訪(とぶら)いしを、和尚、その内心を覚りて、
「そなたには飯綱(いづな)の法、習いたしと思わるるや、さあらば先ず試みに三度(みたび)試し申すべし。明晩より三夜続けて来たられよ、これをこらえ続くるなら伝授せん」
 と発言せしを、正左衛門飛び立つばかり悦びて、一礼のべ、如何なることにても耐え凌ぎて、その飯綱の法習わばやと、勇み勇みて、翌日暮るるを待ちて行きければ、まず一間(ひとま)に籠めてひとり置き、和尚出(い)で向かいて「この三度の責めの内、耐え難く思われなば、いつにても声を上げて許しを乞われよ」と云いて入りたり。
 程なくつらつらと、鼠の幾らとなく出で来て、膝に上り袖に入り、襟を渡るなどするは、いと五月蝿く迷惑なれど、まことのものにはあらじ、よし食われても傷はつくまじと、心を据えてこらえし程に、やや暫く責めて、いずくともなく皆なくなれば、和尚出でて「いや、御気丈なることなり」と挨拶して、「明晩来(きた)られよ」とて帰しやりしとぞ。
 明くる晩も行きしに、前夜のごとく一人居ると、この度は蛇の責めなり。大小の蛇いくらともなく這い出でて、袖に入り襟に纏い、悪(わる)臭きこと耐え難かりしを、これも贋物と思うばかりに、こらえ通して有りしとぞ。
 いざ明晩をだに過しなば伝授を得んと、心悦びて翌晩行きしに、一人ありて待てども待てども何も出で来ず。やや退屈に思う折しも、こは如何に、早く別れし実母の、末期に着たりし衣類のまま、まなこ引きつけ小鼻落ち、唇乾き縮み歯出でて、弱り果てたる顔色容貌、髪の乱れそそけたるまで、落命の時分(じぶん)身に浸みて、今も忘れがたきに、少しも違(たが)わぬさまして、ふわふわと歩み出で、ただ向かいて座したるは、鼠蛇に百倍して、心中の憂い悲しみたとえがたく、すでに詞(ことば)をかけんとする体(てい)、身にしみじみと心悪く、こらえかねて「真っ平御免くださるべし」と声を上げしかば、母と見えしは和尚にて、笑い座して有りしとぞ。
 正左衛門面目なさに、それより後ふたたび行かざりしとぞ。

※作者付記:
・(『例の不思議を好む心から』不思議大好き侍の橋本正左衛門は、この話の前回にも別の寺へ押しかけ不思議の法を教わろうとして失敗している)
・『奥州波奈志』より。本作品は古谷知新編「女流文学全集第三巻(大正8年、文芸書院刊)」収録版より1000字小説バトル向けの改変を加えています。