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第1回3000字小説バトル
Entry10

ハンガーマン

作者 : 鮭二
Website : http://members.aol.com/Shakeji/papyrus.htm
文字数 : 2999
 Gホテルといえば、ハンガーマンなら誰でも一度は憧れる仕事場
である。私は大手都市銀行のハンガー長を辞めた後、もう一度この
仕事を見詰め直すために約1年間欧米を渡り歩いた。いささか会社
首脳と問題を起こして辞めた以上、しばらくはどの業界でも仕事を
干されるはずだった。
 しかし、帰国するとすぐにGホテル総ハンガー長から直々のオフ
ァーが届いていた。私は旅の疲れを感じる間もなくマイハンガーを
手に大鏡の前に立った。ハンガーマンの仕事は、その立ち位置です
べてが決まると言っても過言ではない。客がドアを開けた瞬間から
上着を脱いで部屋を出て行くまで、一般には114の立ち位置があ
るとされている。しかし、国家試験に合格したインターンたちの多
くは、実務研修をする中で、それを150前後にまで増やしてしま
うのだった。確かに人間の動きは教科書が教える通り一様ではない
のだが。
「それが素人の陥りやすい間違いなのさ」
 ニューヨークで30年以上もハンガーマンを養成し続けているジ
ョン・リー・フッカー氏はそう言って苦笑いを浮かべた。
「グリーンボーイ達(キャリア10年のハンガーマンに対しても彼
はそう呼んだ)は皆、やる気に満ちているものだ」と言って彼は熱
いコーヒーカップを両手で包み込んだ。「それは確かに悪いことじ
ゃない。だがね、自己顕示欲に満ちたステップは、お客を鬱陶しい
気分にするだけなのさ」
 苦笑せざるを得なかった。私もかつて銀行で、新人達に同じこと
を言い聞かせていたのだ。立ち位置を増やし、私に言わせれば見せ
掛けの濃密さをサーブすることが善しとされていた日本のハンガー
マン業界において、私の存在は明らかに異端だった。結果的に、そ
の特異な考え方が、銀行内で私を敵視する人々にとって格好の攻撃
材料となったのである。

 Gホテルが私に指定してきたスイートには、翌日にタイトルマッ
チを控えた黒人ボクサーが宿泊していた。思うように体重が落とせ
ず苛立つ姿は、帯同してきた夫人でさえ近づけないほどだった。
 ハンガーマンはもちろん、脱いだ上着をハンガーに掛けるのが仕
事である。しかし、例えばある社長の専属ハンガーマンとなると、
「おいちょっとそこの上着」と声を掛けられ、思わず上着をハンガ
ーから取ってしまうことがある。そういう奴等は自分でも気づかな
い内に平気でズボンまでハンガーに掛けるようになってしまうのだ。
 シャドーボクシングを続けるボクサーが視線の端に私の姿を捉え
ると、「貴様は誰だ。マザーファッカーめ」と怒鳴り、中指を立て
た。私は静かにワードローブの前で第1の立ち位置に構える。マネ
ージャーが「あの人はハンガーマンだよ。そろそろ記者会見だから、
着替えないと」と恐る恐るスウェットスーツの肩に手を置いた。ボ
クサーはもう一度「マザーファッカーめ」と怒鳴り、ワードローブ
に近づいてきた。私は2から5までの立ち位置で相手との距離を調
節し、6から13までの立ち位置でワードローブの扉を開け、相手
がスウェットスーツを脱ぐタイミングを待った。夫人がそろそろと
ボクサーの背後に近づき、「オー、ハニー」とため息を漏らす。ボ
クサーの大胸筋がわなわなと震え、ワードローブの中の赤いスーツ
を指差した。夫人が私に目配せをする。しかし私は動かない。何を
しているんだ、という目でマネージャーが私を睨む。しかし、私は
ハンガーからスーツを取るつもりなどない。すると、その瞬間、渾
身の右フックが私を襲った。ハンガーマンとしては無用な14番目
のステップで身を躱すと、ワードローブの蝶番があえなく損壊した。
わなわなと褐色の拳が震え、ボクサーの目にはうっすらと涙が浮か
んでいた。ボクサーが夫人に付き添われてベッドルームに消えると、
マネージャーはこの世の終わりといった表情で天井を見上げ、私に
向かって、「何なんだ、お前は」と怒鳴った。
 私は一番目の立ち位置に戻って背筋を伸ばし、「私はハンガーマ
ンだ」と答えた。

 Gホテルへの採用が内定した夜、私は「ハンガージャーナル」の
吉村を誘い出した。1年も浪人していた私に最高のオファーが掛っ
た裏には、何者かの動きがあるはずだった。
 しかし、吉村はそれには答えず、隆造の名前を口にした。
「あいつ、この辺で流しのハンガーマンをやってるらしいよ」
 どの組織にも属さず、酒場やビジネスホテルを転々としながらチ
ップを稼ぐ者を我々は「流し」と呼んでいた。
 私と隆造がインターンだった頃、上場企業ともなれば百人を超す
ハンガーマンを抱え、その3倍のインターン達がひしめき合ってい
た。逆にハンガーマンの数が70人を切ると「あの会社はそろそろ
危ない」と兜町界隈で囁かれたものだった。
 しかし、バブルが弾けると様相は一転した。経費節減が叫ばれ、
「上着くらい自分でハンガーに掛けるべきではないか」という考え
が急速に広まったのだ。
「馬鹿なことを言うもんじゃない」と隆造は言った。それは隆造が
2年に及ぶ在仏日本大使館での勤務を終えて帰国した時のことだっ
た。
「ハンガーマンの数はまだ足りないくらいなんだ。例えば日本の首
相が外遊する時に帯同するのはたった3人だぜ。欧米では中小企業
の社長だってそれくらい雇っているんだ。『会社に1人、自宅に1
人、そして愛人の家に1人』というのが彼らの常識なのさ」
「日本がいくら経済的にのし上がっても、一向に一流国として認め
られないのは、正にそこなんだ」と吉村も同調した。
「大使館では悔しい思いをしてきたよ。『日本の大使は自分で上着
をハンガーに掛けているらしい』というジョークが陰で囁かれてい
たものさ」
 その後隆造は首相官邸のハンガーマンとなり、その立場を利用し
て派手に動き回った。「ハンガージャーナル」にも援護射撃となる
活字が連日躍った。そして、従業員数に対して5%以上のハンガー
マンを雇用することを義務付ける法案が成立し、彼らの運動は成功
を収めたかのように見えた。
 しかし、それは高校卒業後、専門課程をわずか2年履修したに過
ぎない「準ハンガー士」の登場でもろくも崩れる。隆造たちはハン
ガーマンの数を確保することにとらわれるあまり、経費増加を危惧
する経済界との間で、準ハンガー士制度を作ることで折り合いをつ
けてしまったのだ。その結果、一部の高級ホテルを除くほとんどの
業界は既存のハンガーマンをリストラする一方、準ハンガー士でそ
の数を埋め合わせることになった。
「たかが、上着をハンガーに掛けるだけじゃないか」と銀行の首脳
は言った。その銀行に対する海外格付け機関からの評価が落ちたの
は、ベテランハンガーマンを大量に解雇したからだと私が力説して
も彼らは聞く耳を持たなかった。

「その立ち姿を見ただけで、すっと上着を預けたくなるようなハン
ガーマンは本当に少なくなってしまったよ」
 そう言って吉村は背中を丸めた。私は立ち上がり、肩のラインが
崩れかかった吉村の上着を簡略なステップでマイハンガーに掛けた。
「うん、さすがだ。でもね……」と言って吉村は大きくため息を吐
いた。「まあいいか。少なくとも世界に誇れるハンガーマンがこう
して一人生き残った訳だからな」
 私はその言葉を逸らかして窓の外に目を向けた。誰もが肩をぶつ
け合うようにして足早に通り過ぎて行く。
 私はいつの間にか、その人ごみの中に隆造の姿を探していた。