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第1回3000字小説バトル
Entry13

双子伝

作者 : 夜啼き鳥
Website : http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Kouen/7854
文字数 :
 双子というものは、常に周囲の注意を惹いてしまう。その点気の
毒にも思うが、好奇の眼で見てしまうのはどうしようもない。記憶
のメカニズムとして、他の人間の出来事であればとっくに忘れてい
るようなことでも覚えていてしまう。やはり気の毒だ。
 私の最初の双子との出会いは、幼稚園の頃だ。女の子の双子で、
顔の区別は辛うじてついたが、仕種や目付きが尽く似ていた。瞬き
少なく、眼を細めたり戻したりする仕種が老婆じみていて、私はあ
まり近づかなかった。
 彼女達は話し掛けられても言葉を容易に発さない性格だったが、
不幸なことに、名字が野呂といった。これがその年頃の子供達の揶
揄に発展しないわけはなく、いつも、のろ、のろ、のろ亀、と囃し
立てられていた。
 しかし、彼女達は悪がきどもの悪口にも無言で通した。こうなる
と子供ながら、沈黙の威厳というべきものが現れ、双子の並んだ相
似の顔も威圧を伴って存在した。そのうち、誰も彼女達を構わなく
なった。それは双子にとっても幸せなことだった。
 私の幼稚園時代は、六十年代後半で、検便がマッチ箱で行われた
最終時期だった。ぽっとん便所に跨り、便漕との間に新聞紙を挟ま
れ、最初の一放りをその上にさせられた記憶がある。それをマッチ
の軸に取り、箱に入れ持参するわけだが、検便のその日、双子が登
園してこない。電話などなく、園長が心配そうにしていた。
 数時間後、双子は悪びれる風もなく二人だけでやってきた。園長
が何を話し掛けても返事はない。対外折衝担当の姉の方が、無言で
差し出す新聞紙の包みは、大人の掌にも余るほどのずしりと重い物
だった。
 園長は、あらあこんなに、の後が続かず、その重い物を大事そう
に奥へ持っていくばかりだった。
 双子番外編として、三つ子プラス年子というのがある。小学校低
学年の頃だ。正確には一人目の翌年に三つ子が生まれたという状況
なのだが、これは似ていた。まったく見分けがつかない。私は炭坑
町に育った。炭坑住宅は規則正しく等間隔に並んでいる。子供達は
そのあらゆる場所を遊び場にしていくわけだが、そこでこの四人の
内の一人と会うのだ。そしてしばらくすると、広場や露路の角で再
び会ってしまう。その度、僅かながらはっとするのだが、すぐにさ
っきの奴とは限らないのだ、と考え直すのだった。繰り返すが、四
人は――実質的には四つ子だった――よく似ていた。四人纏まった
時は、一人が年長の役に合った素振りを見せる為、わかるが見た目
はまったく区別がつかなかった。
 四人が揃うと、どうしてもそこが、臨時の舞台と化してしまった。
見る物は誰も中途半端な笑いを口元に泛べ、眼の色に輝きが増して
しまうのだった。四人の腕白は、アニメの登場人物を思わせた。私
より一つか二つ年長だった為、その言葉を口にすることはできなか
ったが、大人達からは随分言われたに違いない。
 私は小学校高学年から、ボーイスカウトに入っていた。その中の
一つ下に男の双子が居た。中学に上がって、私が上級班長となった
時、二人を見分けるのに苦労した。同じ階級の制服を着ていて、い
つも以上に見分けがつかないのだった。
 それが思いがけない事情で簡単に見分けがつくようになった。
 記録会の走り高跳びの練習時、二人が揃ってバーの高さを調節す
る役で支柱の両側に立っていた。それだけでも多少、おかしな絵だ
が、一人の選手が正面跳びに失敗して、足をバーに引っかけてしま
った。普通に落としてくれれば何の問題もなかったものを、上から
力が加わってしまい、バーが限界までしなった。その溜まったエネ
ルギーが支柱を横方向に跳ね飛ばした。高さを調節する螺子が双子
の片割れの顔の高さに突出しており、鈍い音と共に皮膚を破った。
 埃っぽいグラウンドに赤黒い血が滴った。
 それ以降、彼の顔には盛り上がったかぎ裂きの傷ができ、容易に
見分けがつくようになった。しかしそれで却って気を遣ってしまう
ことになった。すぐに正確な名を呼ぶのはその傷痕をなぞるようで、
心苦しいのだった。
 高校に入ると、そこにも男の双子がいた。船の艫とみよしに、由
来した名の二人だった。犬の顔を見るとその狂暴さが、不思議な程
精密に知れる。彼らは似ているが故に、狂暴さを数値に換える働き
をしてしまった。概ね彼らの顔は、類型として人々が頭に泛べる孫
悟空の顔をしていたが、艫の方が温和の性格を現わすとすると、み
よしの方は顔の部品一つ一つが少しづつきついのだった。目尻は上
がり、鼻翼は鋭角で、頬は削げていた。私が何かの用事でみよしの
クラスを訪れると、意味もなく遠くからねめつけていた。
 幾つかの私に多少なりとも関わりのあった双子を見てきた。いず
れも私と同年代であるから、多分家庭を既に持ち、子供もいるであ
ろう。双子それぞれ配偶者と共にヒエラルキーを下方に伸ばしてい
るだろう。
 ところで、私の家系のヒエラルキーを二つ溯ると双子に当たる。
父方の祖父は双子で、付けも付けたり、鶴吉に亀吉である。私は鶴
吉側の孫に当たる。
 父によると、この二人が瓜二つであったそうだ。
 元々、私の家の出は岩手県で、盛岡の在の百姓だったらしい。詳
しい事情は知らないが、家は亀吉が継ぎ、鶴吉は一人北海道に渡っ
た。
 父が予科練へ志願し、実戦にまみえることなく終戦を迎えた時、
こんな機会は二度とないと岩手の本家に寄ったそうだ。広い敷地の
玄関先に立っているのはまさしく自分の父親で、それ以外の何者で
もなかった。
 父は亀吉叔父に、何でも喰っていいぞ、と農園を示され、かぼち
ゃ程もある林檎をむさぼり食べた。亀吉叔父に、それは馬の餌だ、
と笑われた。父は一晩の寝床を得て帰路に赴いた。
 鶴吉は北海道に渡り、飯場を転々とした後、材木の伐採で大儲け
をした。その金で道央の山間地を買って農業を始めた。今でいうと
行政区丸ごとの広さである。
 それ以降、衰退の一途を私まで続けている。
 双子は何故あるのだろう。時折、亀吉の孫という人に会ってみた
くなる。