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第1回3000字小説バトル
Entry15

ハヤリとスタレ

作者 : 川島圭 [カワシマケイ]
Website : http://www03.u-page.so-net.ne.jp/yb3/k-k/
文字数 : 2833
「オレはね、このぐらいでいいのよ。このね、どっちつかずの微妙
な立場。人間細く長く生きなきゃ。いっぺん火が勢い良く燃えちゃ
ったらね、ろうそくなんてすぐ溶けて無くなっちゃうんだよ、ホン
ト」
 行き付けの居酒屋「はる」のカウンターに座って、コップにつが
れた日本酒をちびちびとあおりながら、柴健史は誰にともなく呟い
た。柴の独り言を耳にした店員や周りの客たちは、「そうだな」
「いいこと言うよ」などと適当に相槌を打った。
 カウンターの奥にあるテレビでは、人気テレビ番組「ぼくは人気
者」の司会、室井俊平が華麗なダンスを披露し、スタジオにいるら
しい女性客たちにキャーキャー言われていた。
 室井俊平、通称シュンペイはつい先頃アイドルグループ「X・フ
ランシスコ」を脱退し、今や飛ぶ鳥を落とす勢いだ。多くの若者た
ちが彼のファッション、発言、そぶりをまね、街にはシュンペイも
どきがあふれた。彼が主演するドラマは常に高視聴率をあげ、歌を
歌えば大ヒット。まさに彼はハヤリだった。
 けれどみんなうすうす気付いていた。彼がいずれはスタレになる
だろうこと。いったんハヤリになってしまったが最後、とことん消
費し尽くされ、そのあとは誰にも見向きされないスタレになる。
 柴健史は誰よりもそのことを意識していた。だから彼はハヤリに
はなりたくなかった。負け惜しみではなく、本当に怖かったのだ。
ハヤリにもスタレにもならず、細く長く生きていければそれでいい、
彼はそう思っていた。
 彼はコップに残った酒を一気に飲み干し、勘定を済ませて店を出
た。

 自分のアパートに戻った柴は、床に散乱しているゴミを足でどか
し、テレビの前に腰を下ろした。スイッチを入れチャンネルを合わ
せると、ブラウン管の中で彼はあきれるほど美味しそうにきゅうり
を食べていた。
 彼がはじめて主演した深夜ドラマ「きゅうり」は、深夜にしては
それなりに高い視聴率をあげ、カルト的な人気を誇っていた。番組
では毎回、彼がきゅうりを一気に食べきるシーンがあるのだが、そ
こが特に人気で、やけに美味しそうにきゅうりを食べる彼の姿は、
静かなブームを巻き起こしつつあった。
 本当はきゅうりが嫌いな彼は、無理やりに笑顔を作る自分の姿に
嫌気がさして、テレビを消した。

 深夜ドラマ「きゅうり」が惜しまれつつも最終回を迎えようとし
ていたころ、柴にCMの依頼が舞い込んだ。依頼主は食品会社。新
商品である「もろもろきゅうりU」のCMで、ぜひ彼にきゅうりを
美味しそうに食べてほしいということだ。「またきゅうりか」と彼
は少々うんざりしつつも、本当に美味しそうにきゅうりを食べ、そ
の仕事を見事にこなした。
 ろうそくの炎が、勢いを増しはじめた。


 柴健史は、今や時代の寵児だった。「もろもろきゅうりU」のC
Mは大ブームになり、その勢いに乗って、深夜ドラマ「きゅうり」
の続編「きゅうりたち」が夜の連続ドラマとして作られた。「きゅ
うりたち」は大ヒットし、彼には続々と仕事の依頼が舞い込んだ。
彼は週に6本のレギュラー番組を抱え、ドラマもバラエティも見事
にこなす彼の評判は上がる一方だった。まさしく彼はハヤリになっ
た。
 誰もが彼の成功をうらやんだが、この熱狂は彼を不安に陥れるば
かりだった。彼が恐れていたことが現実になってしまったのだ。ハ
ヤリはスタレの前段階でしかないと彼は信じていた。現に、少し前
までハヤリであった室井俊平は、もはや以前の勢いがなく、スタレ
へと向かう坂道を転げ落ちていた。
 柴もいつそうなるか分からなかった。

 崩壊はちょっとしたきっかけから始まる。
 彼は昼の人気バラエティー番組にゲスト出演した。司会の熟年タ
レントは彼にきゅうりを食べることを求めた。彼は嫌がったが、会
場には大拍手と共にきゅうりコールが湧き起こった。その強引さに
うんざりして彼は言った。
「実はオレ、きゅうり嫌いなんスよ」


 柴健史は、スタレた。


 週に1本だけになってしまったレギュラー番組の収録を終え、柴
は居酒屋「はる」に久々に顔を出した。ハヤリだったころは、周囲
があまりに騒ぐため、とても出入りできなかった。スタレてしまっ
た今なら誰も騒ぎはしない。
 彼の顔を見てひそひそ話をはじめる客たちには目もくれず、コッ
プいっぱいの日本酒を一気に飲み干して彼は言った。
「だから言ったろう、オレは全部分かってたんだ!」
 ふらふらになった足で何とか自分の家まで戻ると、1通の封筒が
来ていた。封をあけると、丁寧な字で書かれた手紙が入っていた。


世の中は移ろいやすく
人の心もまた然り
悲しむなかれ
それが世の常
どうせ誰もが燃え尽きる
それなら派手に燃えましょう


あなたと、わたしの、マッチ箱   スタレ倶楽部


 いささか盛り上がりに欠ける商店街の、さらにさびれた裏道にそ
のバーはあった。
 スタレ倶楽部。
 扉に書かれた名前を確かめると、柴はゆっくりと扉を開け、中に
入った。暗い照明のもとでカウンターに座っていた数人の客がこち
らを振り向いた。皆かつて一世を風靡した有名人ばかりだ。「ナイ
ジェリア・ラブ」のボーカル、リョウ。「はだしのメグ」の主演で
一気にスターダムにのし上がった斎藤めぐみ。「あンたのせい」で
高橋賞を受賞した小説家、服部茂。そして、シュンペイこと室井俊
平。
 空いている席に座ると、隣にいた室井俊平が声をかけてきた。
「残念だったね、君はもう少しいけると思ったんだけど」
 柴は日本酒を注文し、室井を見て首を振った。
「オレは分かってたよ。あんたがスタレることも、オレがスタレる
こともね。ハヤリになったってどうせ結局はスタレるんだ。無意味
だよ。周りがいくら騒いでても、オレは辛いだけだった」
「そうか。けどね、僕はたとえ一時のことであっても楽しかったな。
ハヤリになれる人間なんてそうはいないんだ。たいていの人は静か
に死んでいくのに僕らはちょっとだけでもスポットライトを浴びら
れたんだ。それでいいじゃない。細く長く生きるなんて、何の魅力
も感じないね」
「オレには理解できないよ。ダメになるのが分かってて楽しむなん
て、オレには到底無理だ」
「けどね、誰だって結局は死んじゃうんだよ」
 確かにその通りだった。柴は何も言い返せず、ぼんやり天井を仰
ぎ見た。
 その日を最後に、室井俊平はスタレ倶楽部に現れなくなった。

 半年後、スタレ倶楽部にいるのは柴健史だけになった。


 ジョニー佐々木は疲れきった体でマンションに戻った。デビュー
シングル「マッハ3」で一世を風靡したのはつい1年前。しかしそ
の後はどの曲もデビュー曲を越えられず、女子高生には「そんな人
いたねー」と笑い飛ばされる始末。自分でも才能の限界を感じ、も
うどうにもならなかった。
 郵便受けを覗くと、封筒が入っていた。彼は封を切り、中に入っ
ている手紙を読んだ。


世の中は移ろいやすく
人の心もまた然り
悲しむなかれ
それが世の常
どうせ誰もが燃え尽きるけど
せめて静かに燃えましょう

あなたと、わたしの、心の隠れ家   スタレ倶楽部