第12回3000字小説バトル
Entry13

生贄の家は蘇る

 この街では毎年夏になると一軒家が燃える。

 人々はそれを生贄の家と呼んでいた。





 8月になって暑さが本格的に人を蝕むようになったころ、どうに

も火元が特定できない火事が起こる。

 僕は小高くなった丘の弧を描く道沿いに立って街を眺めていた。

「今年の贄は達也さんとこか」

 隣のじじが盆地に広がる街の中の東のはずれを眺めて言う。

 じじの見るほうへ目を向けると赤い点のようなものが見え、そこ

から濃い灰色の煙が立ち昇っていた。

「湿気の多いわりにはよく燃える」

 肌にまとわりつくようないやらしい水分を感じながらじじに答え

る。

「神さんの火にはそないなこと関係ないが」

 じじの顔を見ると深く刻まれた皺の奥に瞳が小さくなっていた。

 どちらかといえばなにかしらの崇高な気持ちになっているようだ。

 去年の生贄の家は僕の住んでいる家の隣の家だった。

 そこには僕よりも2つ年上の大学生のお姉さんが住んでいて、お

姉さんは形も残らないほどきれいに焼けてしまった。

 一昨年は僕の全く知らない家が生贄の家になったけれど、そこの

一家はちょうど旅行に出かけていてみんな助かった。

 僕は小さな骨になってしまったお姉さんを眺めて、ほんの少し悲

しい気持ちになったことを覚えている。

 東京出身だったらしく、道で会うと綺麗な標準語で挨拶をしてく

れた。

 全然お姉さんのことを知らなかったけれど、なんとなく好感を持

っていたように思う。

 近くで見る生贄の炎は刹那的な快楽に身を任す男女のように官能

的で、普段目にするガスの青白い炎なんかと根本的に違っていて、

僕はその幻想的な光景に不覚にも目を奪われてしまった。

 そんな僕の見ている前でお姉さんは小さな骨になってしまったの

だ。





「しゅがぁ」

 じじが僕の名前を呼んだ。

 入れ歯にしてから唇の隙間から息が漏れるようになってしまって、

正確な発声ができないらしい。

 僕の本当の名前は「しゅがぁ」ではないが、まあそれでいいやと

思っている。

「なに?」

「贄の家見てきてくれ」

「わかった」

 僕は頷いて丘をゆっくりと降り始める。

 じじは相変わらず生贄の家のほうを仏壇でも拝むような眼差しで

眺めていた。

 僕はふと考える。

 去年お姉さんの家が生贄になってしまった後、僕には不思議な力

が宿った。

 不思議な力といっても漫画などにでてくるような具体性のある、

例えば指から火がでたり空が飛べたりするような能力ではない。

 僕の力はもっと漠然としていて捕らえどころがない。

 この力のことを力と認識できるのはひょっとして僕の頭がおかし

いからなんじゃないか、と思うこともある。

 でも、僕にとってはその力は『走る』『泳ぐ』『ご飯を食べる』

などと並んで一つの生得的な技能のように思えるのだ。





 僕が生贄の家に着いたころには、すっかり焼け落ちて炭化した木

材の残骸が残っているだけだった。

 辺りは日も暮れかかっていて、何人かの野次馬がおり中には焼け

跡を拝むものもいる。

 この地方に古くから伝わる民間伝承の一つなのだ。

 問題はそれが伝説の中だけでなく、現実の世界にまで影響を及ぼ

すということ。

 僕ら若い世代には信仰の仕組みはよくわからないが、それでも生

贄の家が燃えるという現象に敬意を払うものも多い。

 両手を合わせて頭を垂れていた買い物帰りの主婦が、僕のほうを

見て驚いた顔をする。

 それが波及して僕の周りから人が離れていく。

 みんな触れてはいけないものを見るような目で僕を見る。

 中には「憑き物筋がでかい顔してるんじゃねえよ」と声高に言う

ものもいる。

 僕は黙って焼け跡に向かって歩を進める。

 まだ空気が熱く揺らいでいる。

 そこここに小さな煙が燻り、火山口に立っているようだ。

 僕は地面に片膝をついて目を瞑り、頭を下げた。

 どうやら死傷者はいないようだ。

 僕にはそれがなんとなくわかる。

 同時に僕は胸を撫で下ろした。

 ここに住んでいる住人とは面識がなかったが、誰かが傷を受ける

というのは特に気持ちの良いものでもない。むしろ、それが知らな

い人であればあるほど可哀想な気がしてしまう。

 僕は暗闇の中を睨んで、小さな光を探した。

 瞑った瞼の向こうにぼんやりと光を感じることができる。

 それは日の光でもなく、電気の明かりでもない、およそ現実のも

のではない光だ。

 目を開けているときには見えない。感じることもできない。

 だけれども、目を瞑るとそれが確かにあることがわかる。今、こ

の場所に。生贄の家の焼け跡に。

 白と黄色の中間のような色をしているそれを探し出して、それを

しっかりと胸に抱く。

 僕は一言「ヒギリミネミネニ」と呟いた。

 意味はわからない。なんとなくそう言ったほうがいい気がするの

で言うだけだ。

 するとその光は僕の中に入り込み、僕の体を通って頭から抜け、

ゆっくりと空に向かって昇って行く。

 僕はこうして光が闇に形を与える如く、漠然とした何かに形を与

え、それをどこかにカテゴライズして放り込む力を去年手に入れた。

 カルシウムになってしまったお姉さんの隣で。

 僕は呆けたように目を開け、立ち上がると誰とも視線をあわせず

その場所から立ち去った。





 家に戻るとじじが夕飯の仕度をしていた。

 焼き魚の匂いがぷんとする。

「美味しそう」と僕が言うと、じじは「どうだった?」と問い返し

てきた。

「うん。問題なし」

 僕が無表情で答えるとじじが頷いて茶碗にご飯をよそってくれた。

 僕はそれから立ち上る湯気を眺めて小さくため息をついた。

 どうしてため息って意味もなくでてくるのだろう?





 その夜は僕の胸の内で生贄の炎が燃えつづけているように、体の

中が暑くて酷く寝苦しかったので、僕はパジャマと下着を全て脱い

で裸でベッドに横たわった。

 仄かなベッドの冷たさを胸とお腹と脚全体に感じて、僕はようや

く眠りにつくことができた。

 こうして今年も生贄の季節が過ぎていく。











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