第12回3000字小説バトル
Entry10
 
すとまっく
虹男
 
 
「ん〜 こりゃあ一本取られた。胃炎か胃潰瘍だと思っていたのだが……」
 医者はレントゲンを見ながら複雑な表情をしていた。
「どうやら胃癌のようですな」
 医者は患者である私の目の前で、はっきりと断言した。情け容赦ない。
「い、胃癌のようですなって! そりゃ酷い、あんまりだ」
 余りにも突然すぎる医者の告白にうろたえまくった私は、恨めしそうに医者を見つめる。
「なんだね君は。そんなに目を潤ませたりして。ひょっとして君は私に気があるのかね? いかんよ君ィ。確かに私の趣味は常人には理解できないだろうが、残念ながらホモやゲイとはワケが違うのだよ」
「な、何を言ってるんですかあなたは。私はノーマルだ。男になんかに興味はないし、結婚して以来妻一筋。浮気一つしてませんよ!」
 誇らしげに私は断言した。そうだ、私は断じてホモではない。
「なんだ違うのかね。しかし君もホントつまらん人生を送っておるのう。妻一筋? つまりは恐妻家だろう? そりゃあストレスも溜まるだろう。胃癌になって当然だよ」
 なんだる暴言。なんたる言い草であろうか。
 医者は生あくびをかみ殺しながらそう言ったのだ。さも興味なさげな口調で。
 こんな奴に自分は命を預けているのかと思うと、なんだか胃の辺りが差し込む様に痛み出す。イテテテ……
「ほ〜ら発作だ。言わんこっちゃない。痛いかね? 痛いだろうなぁ。胃癌の痛みは癌の中でも群を抜いて格別に堪えるからなぁ クククッ」
 医者がそれみたことかと大ハシャギで指摘する。こんな目茶苦茶な医者の言う事なんかとてもじゃないが信用できないし、したくもないっ!
「ご、誤診だ。誤診に決まってる。そうやって患者を脅して高い医療費を払わせて、金が無くなれば『御臨終です』とか言って患者を始末してきた。ああそうだ。あんたらはいつだってそうだ。もう沢山だ。オレは認めん。胃癌など断固として認めんぞ!」
 これまでの医者の横柄な態度に、我慢の限界に達した私は、憤然として怒鳴った。
「フン。君が認めなくとも、胃癌である事実に変わりない。私のカルテは絶対だ。教養のなさそうな君にドイツ語が分かるか? カルテってのはドイツ語で書くんだぞ」
 ついに悪辣な本性を表した医者は、学歴教養とドイツ語をカサに反撃に転じた。もちろん私だって負けてはいない。
「フハハハ、馬鹿め! そんな時の為に診断書があるんじゃないか。あれは紛れも無く日本語だぞ。そうだ。良い事を思い付いた。移ってやる。転院だ。あんたの誤診だらけの診断書を持って、若くて美人の女医さんがいる病院に転院して診て貰うんだ。そこであんたは恥をかくんだ。誤診だった事を若くて美人の女医さんに知られ、学会で偶然会った時なんかに嘲笑されるがいい! わははは、それがいい。いい気味だ」
 それを聞いた医者は、わなわなと震えだし、烈火のごとく怒鳴り出した。
「ゆ、ゆ、ゆ、許さんっ! て、転院など、だ、断じて許さんそ! きき、貴様はここで、この病院で末期ガンの患者として朽ち果てるんだ! ああそうだ死ぬんだ。抗ガン剤の副作用で髪の毛はボロボロ、他の合併症の誘発。挙げ句に術後は転移と、お決まりのコースで助かる見込みはゼロ。100%確実にあの世行だ。ケケケッ」
 ゲラゲラと狂ったように医者は高笑いする。
「ええいやかましい!」
 医者の傲慢な態度に耐え兼ねた私は、つい空手チョップをお見舞いしてしまった。いくらなんでもやりすぎたか。
「ぐはぁ! や、やりおったな若造!」
 だが医者は、かぶりを振って立ち上がると白衣を脱ぎ捨てた。
「なっ!」
 私は驚きの余り目を見張った。
 医者の出で立ちは、黒タイツを纏った上半身裸の中年男性であり、見ようによっては、プロレスラーのコスチュームを連想させた。
 というか、そういう風にしか見えないっ!
 更に驚くべき事に、いつの間に現れたのか、ナースが4〜5人やってきて、てきぱきと辺りを片付け始めた。
 診察室の隅には長テーブルが置かれ、その上にゴングや、実況マイク等が次々と並べられる。その余りの手際の良さに、私はしばし呆然と見とれていた。
「なんだ。なんだ。なにが起こっているのだ!」
「フフフッまさか君が私と同じ趣味だとは思わなかったよ。苦労して挑発した甲斐があったというものだよ」
 医者が舌なめずりしながら近づいてくる。
「挑発だと。という事はまさか!」
 なんと言う事だろうか。医者のアプノーマルな趣味とはこの事だったのか。私が事態を把握した瞬間、アナウンサー役のナースが吼えた。
「青ッコーナー 142ッパウンド〜 ゲーリー岡野〜」
 手術ライトを浴びた事により、ゲーリー岡野というのが、私だという事が分かる。ゲーリーはともかく岡野っていうのはなんなのだろうか? 私の名字とも違う。だが躊躇してもシラけるだけなので、私は紹介されるがまま両手を上げる。
「赤ッコーナー 231ッパウンド〜 WHO国際ヘビー級王者ぁ〜! ストマックゥ〜阿・多・口〜」
 ナース達の黄色い声援を受け、医者は悠々とアピールポーズを披露する。まるで私など眼中にないといったパフォーマンスだ。なんだか無性に腹が立つ。
「60分1本勝負! ファイッ!」
 戦いのゴングが鳴った。


「くたばりやがれっ!」
 デカイと言ってもただの肥満である。敏捷性は皆無だろう。私はヒット&アウェイの戦法を取った。
 その作戦が功を奏し、私の攻撃は面白いように医者を捕らえた。
「ああっと! ゲーリーラッシュ。猛攻です。対するストマック、ゲーリーの奇襲に戸惑っています!」
 そうだ。所詮は老いぼれよ。まだ若く、体力のある私に敵うわけがない。
「おおっとストマックダウン! これはピンチだ。ゲーリーとどめを刺すのかっ」
 そうとも。こんな茶番、一刻も早く終わらせてやる。
「くたばれジジィ!」
 私は情け容赦無く医者にヤクザキックをお見舞いした。一発、二発、三発目の蹴りで、奴はゴロゴロと転がり薬品棚の中に突っ込んだ。
「どうしたーっ! もう終わりか! これがストマック阿多口とやらの実力か? 片腹痛いわっ!」
 事実。胃癌だか胃潰瘍かなんかで、今も私の胃はキリキリと痛む。
「フッフッフ、ぬるいわ若造!」
 突如として医者が突進してくる。しかも手には何か得体のしれない薬品のビンを持っている。なんか危険だ。嫌な予感がする。
 案の定医者は薬品を私に投げつけた。私は避ける暇も無くその薬品を浴びた。
「ぐぎゃああぁ!」
 てっきり硫酸とかそういった類だろうと思っていた私は、思い切り喘いだ。だが、どうやらこの薬品はそんな生易しいものではないようだ。
 身体が動かない! 手足が痺れて動けないのである。それに眠い。猛烈に眠い。
「にゃ、にゃにぼ、づがっだんば!」
 何を使いやがった。と言いたかったのだが、ロレツも上手く回らない。
「フハハハハハハハッ 恐れ入ったかこのバカ造めが。これが医学の力だっ!」
 医者が奇声をあげて勝ち誇る。どう考えてもこれは反則である。こんなので勝った気になっている医者の気が知れない。
 ともあれ、私はもう意識を保つことが難しかった。薄れゆく視界の中、医者がフォールしている姿が網膜に焼きつく。無念だ。
「ディフェンディングチャンピオン、ストマック阿田口! 今回も勝利です!」
 ナースのアナウンスが空しく響く。


 ――この日を境に、私の闘病生活が始まった。 ファイッ!

 
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