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第2回3000字小説バトル
Entry11

年の瀬

作者 : 鮭二 [しゃけじ]
Website : http://members.aol.com/Shakeji/papyrus.htm
文字数 : 3000
 真夜中の境内に、どこからともなくわらわらと人々が集まって来
て、11時50分を過ぎる頃になると、狭い参道が大方うめつくさ
れる。神主をはじめ、白い装束を身にまとった人々の顔つきには、
神妙な中にも年に一度の書き入れ時といった興奮がうかがえる。
 12時を回ってしばらくしても、列はなかなか前に進まなくて、
脇から照りつける焚き火の炎がいつまでも熱い。それでも私はじっ
と、赤いうごめきを見つめている。ムツキの存在が火の熱さよりも
くすぐったく思えたから。
 ようやく列が動き出すと、ムツキは「タケヒコさん、小銭を」と
言って5円玉を私の手に握らせた。炎が一瞬遠ざかり、肩のそばに
あるムツキの横顔が目に入る。
 「ああ」と私は呟く。それが5円玉への返事であることを分かっ
てもらうために、「神様とご縁がありますように、か」と付け足し
てみる。列が少し進んで、ムツキは黙って丸い足を石畳の上に置い
た。
 みかんの皮が奥歯に引っ掛かってなかなか取れない。紅白歌合戦
を見ながら、私たちはみかんを17個食べた。駅前のスーパーでみ
かんと一緒に切り餅を買った。元旦には、ムツキが雑煮でも作って
くれそうな気がした。それにしても、みかんの皮を歯にくっつけた
まま神様の前に進み出るのは、なんだか不謹慎な気もした。

 12月29日の朝、見知らぬ女がベッドの中にいた。私は驚いて
起き上がり、激しく息をついた。カーテンを開け放ち、白い陽の光
浴びてもびくともせず、女は陽だまりにいる猫みたいにやすやすと
寝息を立てている。
 私はひとまず台所に退却し、エコーをふかしながら女の寝姿を眺
めた。確かに昨夜はしたたか酔っていて、どうやって家に帰って来
たのか覚えていない。だからといって、そう簡単に見知らぬ女と一
緒に寝ているわけにもいかない。商売女があんなに無防備に寝てい
るはずもない。
 何か思い出せないものか。そう言えば鼻の奥がしみるように痛い。
昨夜もいつもの芸をやってしまったのか。それは煙草を鼻から吸っ
て煙を両耳の穴から吐き出すというシンプルな芸だが、誰にでも真
似のできるものではない。
 何とかそれが手掛かりにならないかと痛みを堪え、鼻の穴に煙草
を詰めてみた。耳から煙が立ち昇ってもなかなか思い出せない。仕
方なく、もう一方の鼻の穴にも煙草を詰め、火をつける。そして目
をつぶり、暗い意識をさかのぼっていく。鼻と耳の両穴から煙が立
ち昇り、目からは涙が流れ出た。見た目の壮観さにもかかわらず、
記憶は一向に蘇らなかった。

 今となっては、ムツキとだいぶ前に出会っていたような気がする。
子供の頃。いつの時代の子供の頃かは分からない。「かもめかもめ、
かごのなかのとりは」で始まって、「うしろのしょうめんだあれ」
とみんなが声を合わせる。確かに4、5人の子供たちが私を取り囲
んでいたはずだった。しかし、目を開けると誰もいない。真後ろを
振り返ると、そこにムツキだけが立っている。
「みんな、どこへいったの?」
「わかんない。でもほんとうははじめから、私たちしかいなかった
の」
 ふと辺りを見渡すと、のどかな田園だった場所が、暗い森の中に
なっている。道もなく、生きるものの気配もなく、私たちはその場
所にとり残されている。

 女は目を覚ますと、上半身をもっさりと起こし、右、左、右と虚
ろに周囲を見回した。何ひとつ衣は着ていない。ベッドの下に、光
沢のある小さな布が落ちてる。おそらく、布団に隠された下半身も
すべて裸であり、そういう状態の女と私は一緒に寝ていたのだ。や
やあって女と目が合った。女の表情にも、裸の上半身にも、そうし
た状況に有って然るべき緊張感が欠落していた。
「あなた、だれ?」と女は言った。
 私は、仮にも30年近く生きてきた私という存在について、何を
どう説明すればいいのか分からなかった。とりあえず現実的になろ
うと思った。
「君は昨夜のこと、覚えてる?」
「下北沢で友達と飲んでた」
「その後は?」
 女は首を振り、投げ出されたままの乳をようやく布団の中にしま
った。
「ここは青梅だ」あくまで厳格に。「そして、下北沢からは遠い」
「そんなこと知らないわ。それより」と言って女は布団から片手を
出した。「ねえ、昨夜あたしに変なことしたでしょ?」
 私は鼻の穴から吸い殻を抜き取った。
「ここは青梅です」私は早口になった。「僕は新宿、君は下北沢で
飲んでいて、今は青梅にいる。ただそれだけじゃないのかな。君は
裸のようだけど、自分で脱いだのかもしれないし」
 女は即座に、落ち着いた口調で言った。
「それくらい分かるのよ。いつ、どこでが分からなくても、誰と寝
たのかくらい、ちゃんと分かるの」
 朝に鳴く鳥が、チチチチと時を刻んだ。
「避妊してくれた? 昨日はだめな日だったんだけど」
 私は女の顔をじっと見つめた。部屋に差し込む光が少しずつ濁っ
ていく。朝に鳴く鳥は、1日に1度しか鳴かない。
 女は別段腹を立てている風でもなかった。私がベッドの下に散ら
かっていた衣類を手渡すと、じつにのんびりとそれらを身に付けた。
そして枕元の鏡を覗き込んで無造作に短い髪を整え、あくびをひと
つした。不意に窓の外で、チチチチと鳴き声がした。私は慌てて鳥
の姿を探す。女が私の財布の中身を確かめている。
「何とか正月は迎えられそうね」と言って女は現金をシーツの上に
並べた。「このクレジットカードは使えるのかしら、ツダ・タケヒ
コさん」
「きみ、ここに泊まるの?」
「大丈夫、ちゃんと生理がきたら出ていくから」
 ガゴノナカノトリハ、イツイツデヤル? 私は記憶の糸を辿り続
けていた。どこかにヒントがあるような気がしたのだ。もう一度、
気を入れて煙草を鼻に詰め込み、目を閉じる。
 しかし、女の言葉が糸を混線させる。掃除用具はどこにある、朝
ご飯は何にする、近所にスーパーはあるのか云々、現実を突き付け
る。私はほどなく、有り合わせの材料で作った朝食を女と一緒に食
べている。
「ムツキって呼んでね。正月だから、ムツキ。いい名前だと思わな
い? タケヒコさん」
 私は引き込まれるように「ああ」と頷いていた。

 5円玉を投げて、いちおう神妙な顔を作ってみる。ムツキはもう
目を閉じて神様に手を合わせている。切れ長の目の縁にやや力が入
って、微かに震えている。
 背後に控える忙しないざわめきに押されて、私も目を閉じる。し
かし、暗い目蓋の中に祈るべき言葉が浮かんでこない。とりあえず、
何でもいいじゃないかと思っても、その取りあえずが浮かばない。
何だか神様に試されているようで、辛くなって目を開けると、ムツ
キがじっと私の横顔を見つめていた。
「後ろが、つかえてるから」
 ムツキの手に引かれて、また焚き火の前までやって来た。
「タケヒコさん、ずい分長いこと祈ってたのね」
 私たちは冷えきった両手を炎にかざした。
「あたしのことも祈ってくれた?」
「ああ」
「子供のことは?」
「子供?」
 私はムツキとのいきさつがよく分からなくなっている。わずか数
日のうちに、それは私の日常になっていた。いや、もしかしたら、
ずっと昔から、「かもめかもめ」の昔からムツキと一緒に暮らして
いたような気もするのだ。
「子供のことも、もちろん祈ったよ」
 その続きは聞かずに、ムツキはふふ、と笑った。私もまた、紅く
染まったムツキの頬に、ふふ、と笑った。
 すっかり暖まって、何となくいい気持ちになって、私たちは暗い
道を歩き始めた。