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3000字小説バトル

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3000字小説バトル stage3
第10回バトル 作品

参加作品一覧

文字数
1
緋川コナツ
3000
2
植木
3000
3
サヌキマオ
3000
4
名無しの噺家さん
2614

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コミュニケーション

QSHOBOU掲示板

パンをふんだ娘【汚部屋バージョン】
緋川コナツ

 遥香は今日も鏡の前でひとり、ため息をついていた。
 ドレッサーの上には山のようにモノが置かれている。遥香はそれを特に気にする風でもなく、狭い面積の鏡に自分の顔を無理やり映しては夢中で見入っている。
 フローリングの床はモノに覆われ、ほとんど見えない。部屋のあちこちに出現した洋服の山は蟻塚の如く高く積み上げられ、もはや天井に届きそうだ。
「ハルカー!」
 階下から母の呼ぶ声がした。
「忙しいのよ! ちょっと手伝ってちょうだい!」
 遥香の両親はパン屋を営んでいる。安全で美味しいと近所でも評判の店だ。店舗は離れにあり、遥香の部屋は店舗から少し離れた母屋の二階にあった。
「うるさいなぁ……こっちは合コンの準備で忙しいっつーの」
 二年前に短大を卒業した遥香は就職もせず、合コン三昧の日々を送っていた。目指すは玉の輿。両親は、いずれは店を継いでもらおうと考えているみたいだけれど、しがないパン屋なんて真っ平ごめんだ。
 お金持ちのイケメンと結婚して優雅に遊んで暮らしたい。それが遥香の人生の目標であり、夢だった。
「ハルカー! 聴こえてるのー?」
 遥香は小さく舌打ちして、やっとの思いで部屋から這い出た。これだけモノが溢れていると、部屋の外に出るだけで一苦労だ。
「はいはい。で、あたしは何を手伝えばいいの?」
 しぶしぶ工房のドアを開けると、パンが焼ける香ばしい匂いに包まれた。
 店では自家製の天然酵母と国産小麦を使った、ヘルシーで豊かな味わいのパンを売りとしている。特に一番人気の山型食パンは、焼き上がる時間に合わせて行列ができるほどだ。
「ああ遥香。これを駅前のレジェンドさんのとこまで届けて欲しいのよ」
 母が指し示したのは、焼きたての山型食パンだった。
「えー配達ぅ?」
 遥香は、いかにも面倒だと言いたげに唇を尖らせた。
「どうせこれから駅まで行くんでしょ? そのついででいいから届けてちょうだい」
「しょうがないなぁ……」
 遥香は自分の部屋に戻ると、すぐに預かった食パンを放り投げた。
 まだメイクの途中だったことを思い出し、モノをかき分けて再び鏡の前に座る。今日の合コンは医者しばりなので、いつもよりメイクにも気合いが入っていた。
「あれ? つけまつげがない」
 右目だけ装着したところで、もう片方のつけまつげが見当たらないことに気がついた。
「どこいっちゃったんだろう?」
 つけまつげは、なかなか見つからない。遥香は立ち上がって半径一メートルくらいの場所を徹底的に探し始めた。
 そのとき、遥香の足が温かくて柔らかいものを思い切り踏んだ。
「やばっ、パンふんじゃった!」
 さっき母から預かった焼きたての山型食パンが、遥香の足に無残に踏みつけられていたのだった。
 その瞬間、ゴゴゴゴゴゴと汚部屋全体が轟音をたてて揺れた。
 散らかり放題のモノとゴミが大きな渦を巻いている。遥香の体は食パンを踏みつけた状態のまま、ものすごい勢いで渦の中心に飲み込まれた。
「え……なにこれ。地震? 竜巻?」
 遥香は、ゆっくりと目を開けた。その瞳に映ったものは積み上げられて地層のようになった、モノとゴミだった。遥香の体は汚部屋の底に、深く深く、沈められてしまったのだった。
 どのくらい時間が経ったのだろう。
 耳元でカサカサと音がする。その音は右の耳元で聞こえたかと思うと、ものすごいスピードで左の耳元に移動する。時おり「チュウ」と鳴き声らしきものが混ざるので、どうやら部屋の中をネズミが縦横無尽に走り回っているらしかった。
 けれどもネズミが這い回る音が止むと、後は押しつぶされそうな静寂と長い沈黙が遥香を襲った。
「もう最悪……なんなのよ」
 体はピクリとも動かない。ここから一生、出られなかったらどうしよう。遥香は心の底から絶望した。自分が散らかしたゴミに埋もれて死ぬなんて嫌だ。でも、どうしたらいいのかわからない。
 遥香は身動きの取れない体で途方に暮れた。

「遥香、いるの?」
 母がドアの前に立ち声を掛けた。遥香の部屋の中からは、なんの応答もない。
 夜になってからレジェンドに電話をしてみたら、パンは届いてないと言われた。遥香の携帯に電話をしてみても応答がない。心配になって様子を見にきたのだった。
「開けるわよ」
 ドアが開いて中の異様な様子があらわになると、母は絶句した。ここ何年か忙しくて遥香の部屋の掃除まで気が回らなかったけれど、まさかここまで酷い惨状になっているとは思ってもみなかった。 
 壁のように立ちはだかるモノの山。遥香の姿どころか、家具や床、天井さえもよく見えない。しかも中からは饐えた強烈な異臭が漏れ出ている。
 母は左手で鼻と口を塞ぎながら恐る恐る足を踏み入れた。部屋の中は薄暗く、どこに何があるのかさっぱりわからない。電気のスイッチさえも、モノの壁に遮られて探し出すことは困難だった。
 ……ケテ……タス……ケテ……
 最初は気のせいかと思った。もう一度耳を澄ませてみる。すると部屋の奥からかすかに、くぐもった小さな声が聞こえた気がした。
「遥香、この中にいるの?」
「お母さん……助けて」
 助けを求める遥香の声が、今度ははっきりと耳に届いた。遥香は、この部屋のどこかにいる。
「すぐに助けてあげるから」
 母は手あたり次第にモノを部屋の外に出し始めた。雪崩の危険を感じながら、黙々と作業を続ける。すぐに廊下はモノでいっぱいになった。
 やがて暗かった汚部屋に少しずつ光の当たる空間が見え始めた。恥ずかしそうに姿を現す窓や壁、そして家具たち。その一番底の部分に、山型食パンの上に乗ったまま佇む遥香の姿があった。
「遥香! 大丈夫!?」
 遥香はドサリとその場に崩れ落ちた。足には全粒粉を練りこんだ店自慢の山型食パンが、しっかりとくっついたままになっている。
「まさか部屋の中が、ここまで汚かったなんて……ところでなんなの? このパン」
 母が怪訝な表情で、遥香の足の裏に張り付いたパンを見つめた。
「パンを踏んじゃったの……そしたら取れなくなっちゃって、部屋が揺れて、なんだかよくわからないまま部屋の中に吸い込まれて……」
 ためしに、とばかりに母がパンに手を伸ばした。両手でパンを掴み剥がそうと試みたけれど、パンは遥香の足の裏にぴったりと張り付いてびくともしない。
「ダメだ、取れないわ」
 母は大きなため息をついた。
「ごめんなさい。これからは絶対に食べ物を踏みつけたりしません。店の仕事も手伝います。そして……部屋も片付けます。もう汚しません」
 遥香の瞳から大粒の涙が、ぽろぽろとこぼれた。涙は頬を伝い、久しぶりに日の目を見た床の上に落ちて一瞬、淡い輝きを放った。
 そのとき、驚くべきことが起きた。あれほど力ずくで引っぱってもびくともしなかった食パンが、遥香の足からポロリと落ちたのだ。
「あ、取れた」
「ありがとう! お母さんのおかげだわ」
 遥香は嬉しさのあまり母の体に抱きついた。母は流れる涙を拭おうともせず、娘の頭を何度も優しく撫でた。

「いらっしゃいませー!」
 パン屋のレジに、はちきれんばかりの笑顔で対応する遥香の姿があった。
 合コン三昧の日々から足を洗い、店の仕事も積極的に手伝うようになった。ゆくゆくはオリジナルのパンも販売したいと夢は膨らむ。
 それと同時に遥香は掃除能力検定士の資格を取得した。あれほど汚かった部屋も、見違えるほどの清潔さを保っている。
パンをふんだ娘【汚部屋バージョン】    緋川コナツ

黒い信号機
植木

 ゴトンゴトンゴ<曇天の一日だった>トンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴ<気分も晴れぬまま得意先を回る>トンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴト<作り笑い、おべっか、この卑劣漢>ンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトン<直帰が許されるわけもなく、事業所に戻り上司に報告をする>ゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴト<小言、小言ばかり>ンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴト<私は声を大にして言いたい「お前とは流れている血が違うんだよ」と>ンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴト<帰り路に本屋に寄り、ゴーギャンの画集を買う>ンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴ<生命力にあふれた不気味さ>トンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴト<どこをどう歩いたか定かでない>ンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴト<最終電車に乗り、幸運にも座ることができた>ンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴト<ギギギギギギギギ>ンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴトンゴ<「極楽寺、極楽寺です」>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<こんな辺鄙な無人駅でもテロ対策と称して>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<くず籠さえ撤去されている>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<改札口から蟻の長い行列が街灯のまばらな黒い道を>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<闇に溶け込むが如くまっすぐに伸びている>mmm<巨人>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<雲が低い夜は禍々しい>mmmmmmmm<なにごとか呟いて足を踏み出す>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<一足ごとの靴裏の感触>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<じゃりっじゃりっじゃりっじゃり>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<じゃじゃりじゃりっじゃりじゃり>mmmmmmmmmmm<蹂躙>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<非常階段を歩く身は辛い>mmmmmmmmmmmmmmmmmm<しかしながら私は昇降機を使う豚野郎ではない>mmmmmm<鼓動>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<少しばかり夜を足早に歩いたところで>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<朝が近づく訳ではないだろうが気付けば腰の辺りまで蟻に浸かっている>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<まるで底なしの泥沼だ>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<ずっじゃりずずずっじゃりずず>mmmmmmmmmmmmm<忌中>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<ようやく辿り着いた我が家が>mmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmmm<引火してしまいそうな程の黒い粒子で覆われている>。
黒い信号機    植木

ミスドなど食い散らかし
サヌキマオ

「長いこと友達だと思ってた相手であっても、案外と知らなかった事実ってありますよね? あると思います――あると! 思い! ますっ!」
 タバコの自動販売機前の灰皿に股間を押し当てながら喚いているちょっとアレなおっさんを横目に、あたしはミヌドに入った。入る前からミントと白のストライプのワイシャツに革のジャケット、銀色にキラキラのカチューシャを着けたクロシェはよく目立つ。すでにドーナツを二、三個食い散らかしたような顔をしている。
「いやあご明察だよ。でもこれからまた追加で食べるから正解とも不正解とも言えませんよイヒヒッ」
 そういうとあたしの横に並んでドーナツを物色し始めた。人の持ったトレイに自分のドーナツを載せてくる。この野郎、と思ったがレジではいち早く自分の財布から千円札を出した。こいつ成長してやがる。
「で、思い出した?」
 二人分のコーヒーを持って席につくと、先に到着していたドーナツがすでに数を減らしている。
「ミミミんもわかってないなぁ、そうそう簡単に思い出せたらわざわざ呼び出さないってばよ」
「だからさっきも書いたでしょ、一日の行動を思い出せ、って」
「朝家を出て病院にいって、本屋に寄ってうちに帰ってきた。以上!」
「その合間合間になんかいろいろありそうだね」
「いろいろ、って?」
「途中でネコを見つけて追いかけていったらひとんちの庭で変な花を見つけて、スマホ打ちながら歩いてたら車に轢かれかけたんだけど百円玉拾う、みたいな」
 クロシェは感心した顔をして左手で握手を求め、右手で食いかけのドーナツを差し出してきた。要らねえっての。
「途中でネコを見つけて追いかけていったらひとんちの家の壁でトカゲを見つけて、すげーってスマホで写真を取ろうと思ったらバイクに撥ねられかけたんだけど特に何も拾わなかった。すげえ! だいたい合ってる!」
「で、それはいつといつの間の話なの?」
「うちを出て病院に行く間。ほら、なんか真っ赤な家あるじゃん! なんか漫画家のおじいちゃんの家。向かいの家に訴えられた!」
「じゃあ、そこは違うじゃないよ、だって、病院はちゃんと診察を受けてきたんでしょ?」
「あ、それはそうだ」
「ちゃんとお金払ったんでしょ?」
「払った払った」
「保険証は受け取った?」
「うん?」
 クロシェはまだ口の中に残っているらしいドーナツを嚥下すべくコーヒーを口に含んだ。ムウムウ唸りながら記憶の糸を辿っている。
「受け取っ、た」
「間違いない?――まぁ、だいたいは受付で診察券と保険証は返してくれるけど」
「そう、そうそれだよ。診察券はあるの」
 クロシェは財布に詰まったレシートの束から「がごぜクリニック」と書かれた水色のカードを引き抜いた。
「あんたね、レシートは、捨てるかなんかしなさいよ」
 ぼやきながらなんとなく診察券を受け取る。ひょい、と見ると「日下デボゲレアクロシェンモ・ヤマダ」とある。面から手書きの文字が零れ落ちそうだ。
「うん?」
「ん?」
 あたしがきょとんとしたので、クロシェも目を点にしてこちらを見る。
「ん?」
「んん?」
「なにか手がかりが見つかりましたか、ミミミ先生」
「……あんた、この『ヤマダ』ってなにさ」
「え、私の名前だよ」
「『ヤマダ』って苗字?」
「ああ、違う違う。ママが日本国籍なんだから日本らしい名前を、ってアタシにつけてくれたのよ」
「ヤマダって、苗字やんけ!」
「そうなのよ。うちは昔からママが何でも決めちゃうからね、パパが変だって気づいた時にはおじいちゃんが区役所に出生届を持ってっちゃってたんだよね」
「じゃあその、これ、デボゲレアクロシェンモ・ヤマダが名前。ファーストネーム」
「そう。クサカ、がファミリーネーム。書きやすくて助かるよねー、これ」
「知らなかった! あんたとは随分長い付き合いな気がしたけど知らなかった!」
「じゃあついでに、ママの名前はゴーンムト、パパの名前はチカオ。ゴーンムトは母方の実家の言葉で『長老の森で一番古い樹木の耳に響く霊の声に生かされる』って意味。パパは周夫。周りにいる夫って書いてチカオだよ! 覚えてね!」
「カタカナで五文字しか無いのにそんなに意味が圧縮されてるの!?」
 とかなんとかいう会話がしばらく続いたのであるが、とても埒が明かない。お察しのとおりです。しかたない、実際に歩いてみるしかない。保健証は家族三人で一枚のカードを使い回すシステムだとかで、「無いとママに何を食わされるかわからない」と本人は殊勝に身を縮めて震えるもので。
 クロシェの家から左手にずっと行くと丁字路で、一方は行き止まりになっている。行き止まりには件の真っ赤な家があり、向かいにはその真っ赤な家を訴えたという妙に花だらけの家がある。ほほう、こっちの家だってずいぶん美意識が高い系なんじゃん。
「で、そこの隅っこでネコを見つけて、ここの隙間をずーっと」
「完全に私有地やん!」
 仕方ない、乗りかかった船だ、人の家のブロック塀と庭木の間をずーっと行くとまた道路に出る。陽の差さない路地を歩くと個人経営の小さな売店が見える。なるほど。頭のなかで地図がつながった。ここに出るということは、そこのポストを曲がるとがごぜクリニックだ。がごぜ、妙な名前だとは思っていたが、院長・元興寺利幸とある。なるほど、これでがごぜと読むのかしらん。
 がごぜクリニックから駅前商店街の本屋までは道なりに直線。
「あ」
「何よ?」
「トカゲのいた家を通り過ぎちゃったんだけど、もういいかな?」
「お前はまじめに探す気があるのかッ!」
 とは言えど、百メートルほど戻ったところで何が出てくるわけでなし。
「あ」
「何よ?」
「落ちてたんでここに掛けておいたボタンが無くなってる」
「なに、そんなことしてたの?」
「うん、三日くらい前だったかな。ジッパーに入れて『釦オチテマシタ』って書いて貼っておいたの」
「じゃあ、持ち主がちゃんと拾ってったのかもね」
「あ」
「うん?」
「下ばっかり見てないで、『保健証オチテマシタ』って張り紙を探したほうがよくないかな?」
 結局書店までの道のりには何もなく、書店員に聞いても届けはなく、残りの道のりはクロシェの家までのUターンだ。
「保健証って失くすとどうなるの? 罰金とか払ったりする?」
「いや、そういうのこそ調べたら判ると思うけど、再発行料とか取られるんじゃないかなぁ」
「うわぁ面倒くさい。お金はどうでもいいけど再発行とか面倒くさい。パパがいないからすべての手続はみーんな週末。あーあー」

「で、さっき本屋から電話があってね」
 クロシェと別れてまもなくだ。自分の家に帰り着くやいなや携帯に電話がある。
「どっかのお客さんが買っていったマンガに私の保健証が挟んであったらしいんだよねえ」
「つまりそれってどういうこと? あんたが本屋で立ち読みしてて、あとで読む気になってしおり代わりに挟んだとか?」
「いや、知らんけど」
「知らんけど、ってアンタがやったんやろがい!」
 本人が目の前にいれば容赦なくツッコミを入れているところだが、仕方なく電話を握る手に力が籠もる。
「あ、そうなっちゃいますか」
 ごめんね、と屈託なく笑ったかと思いきや、電話線の奥の空気が不意に固まったのが判った。
「ちょっと待ってママ! なにその真っ黒で足のいっぱい生えた――無理無理無理! そんなの食べられなアァッ!」
 あたしは通話を切る。さて、なんか食べよう。
ミスドなど食い散らかし    サヌキマオ

活弁志願
今月のゲスト:名無しの噺家さん

 商売往来に出ていない新しい職業も沢山ございますが、活動の弁士なんかはその中でももっとも気の利いたものだそうで、年中礼服を着用に及んで、天麩羅の眼鏡を光らしながら、すこぶる非常のご喝采などと言ってると結構な月給にありつくんだそうで、おまけに女には不自由しないと言うので、自惚れの強い先生方はひとつ活弁になって女の子の血を狂わせてやろうなどと、怪しからん非謀むほんを起こすもので……

△『若旦那、若旦那、もうおやすみになりましたか』
若『寝んだというわけではありませんが、只今ちょっと枕を担って横に立ったばかりで』
△『相変わらず呑気なことを言ってられますな、あなたの事でお話がありますから、ちょいと階下したまで下りてください』
若『はい、只今……よう置き候君お帰んなさい、しかし大変ごしっぽりで』
△『実はこの間からあなたに頼まれている一件で、心当たりの方へ回って来ました』
若『アア、なるほど、活弁の一件。どういう要領でげしたネ』
△『とにかく本人に逢った上でという事でげすから、あなたこれから番町の演芸館へ顔を出してはいかがなもので』
若『なるほど、行って参りましょう』

 進んで活弁になりたいという自惚れ家でげすから、夜道を遠しともせず番町へ泳ぎ出す、こういう人に限って話の纏まらない先から、はや一流の活弁に成り澄ましたような気になって、いろいろ勝手のいい空想を描きながら歩くもので……

若『有難いね、これでようやく積年の宿老が達しられるというわけだね、親父に勘当されて金太の家で厄介になってるよりは、活弁になって雄飛する方がいくらましだか知れたもんじゃない、第一こういう男振りは活弁には少ないから、いよいよ舞台に現れたとなると、うるさいほど女が出来るだろうな、番町と来ると客種きやくだねがいいからしめたものだよ、僕の理想とする女は年齢二十七、八才という中年増で、色の白いのよりはやや小黒い方が汚れ目が見ぇなくっていいな。中肉中背の細面で、どちらかと言えば少しは浮世の波に揉まれた女がいいな、と言って芸妓ではいけないし、むろん処女むすめでは無し、まァそうだ、軍人の未亡人だナ、こういう奴が演芸館へ来て僕を見染める、アァなんて好い男だろう、容子ようすが好くって優しそうで、写真の説明も親切な事を見るときっと女にも親切に違いない、貞女両夫にまみえずと言うが、あの人なら世間でとやかく言われても苦労のし甲斐があるだろう、なんてね事からちょいと先方むこうからあじな目付きをする、敵に戦いを挑まれてオメオメ後ろを見せるような僕でないから此方こつちも目から電気を通わせる、やがて目と目がカッキリ合うのが縁の端で、チョイチョイ先方へ遊びに行くことになる、こうなる〆子の兎しめこのうさ的だ、先方には両親はなし下女と二人暮しだから気兼ねは要らない、ずるずるべったりに入り込んで金太の家へなんか帰らない、そこから演芸館に通ってる内にまた新しいのが出来る、しかし俺はいくら新しいのが出来たからッて、その未亡人を振り捨てるような不実な事はしないが、たまにはチンチン喧嘩の一つもしないと、どうも夫婦の情が乗らないから、わざッと二晩三晩家を明ける、すると多少浮世のアラを食った奴だから黙って納まらない、あなたは一体どこへ行らっしたのだよどこの化物に鼻毛を読ましていたのだよなんて鼻息がすこぶる荒い、ここで俺がその鼻息に辟易するようでは亭主としての威厳が無いから、何を言やァがるんだ、俺にゃァ女が降ってんだ、たまさか二晩や三晩やそこらぃ出たからッて、グズグズ言やァがると叩き出してしまうぞッと嚇しつける、すると奴もいよいよ黙っていない、アラ叩き出すッて、ヘン、叩き出せるなら出してごらん、ここを誰の家だと思ってるのだえ、何だ、誰の家とは何だい、俺が亭主になれァ俺の家だ、何を生意気な事を言やァがるんだ、と頭の三つもぽかぽかぽかと食らわすと女というものはすぐメソをかく、オヤ殴ったね、オオ殴ったらどうしたんだい、どうせお前はんに任した体だから、殴って事が納まるならさァ思う存分殴りなさい、何を殴ってやらいで、ポカンポカン、さァ殴りやがれ、殺しやがれ、殺しやがれェ……』
巡査『おい、こらッ、どうしたんだ。加害者はどうした、オイ、しっかりせんか』
若『へっ』
巡『どうかしたのか』
若『いぇ、別段何も……』
巡『でもいま本職が横町を通っていると、殺しやがれェという悲鳴が聞こえたから駆けて来たんじゃが、貴様どうもしやァせんか』
若『へぇー、殺しやがれェと言ったのは私で』
巡『では相手はどこへ行った、どの方角へ逃げたか』
若『相手も実は私なんで……』
巡『分からんじゃないか、今まで確かに争っている二人の声がしておったじゃないか』
若『その二人とも私なんで、実は夫婦喧嘩の下稽古をしておりました所なんで……』
巡『馬鹿ッ、貴様はどうかしちょうるな』
若『いぇ、別段どうもしておりません』
巡『どうもしておらん者が、夜中悲鳴をあげたり高声を発したりしては罰金に処せられるくらいは知っておるじゃろう』
若『へへへへっ、罰金くらいは知れたもんで、いずれあいつから出させます』


(おまけ)『チンチン』

『たぬき寝入りを狐が起こす、起きて騙そか騙されよか』お茶屋へ行って娼妓さんの来るまでチンと座って待ってる人はすけないもので、大抵は横になって空寝入りというやつ、グゥーグゥー鼾をかきながら、もう来そうなもんやどうしよったやろと眼をパチつかして足音に耳を澄ましてるもんで、来る娼妓さんもその辺はちゃーんと心得たもので。

『今晩は……おや、寝んねしてなはんの……モシ、お客さん、起きィしなはれ、モシお客さん、あっ、ほんまに寝んねしてなはんのかいな、きらい、モシお客さん、起きなはれェな……まぁほんまによう寝やはったこと、きらい、よだれくって鼻からポンペン出してやわ、しかしこの人、何する人やろう、洋服着て髭生やしてるとこ見ると会社員かいな、それとも巡航船の舵取りか、学校の先生のようでもなし、活動の弁士にしては汚いし、何する人やろ……もしお客さんお客さん』
『次はァ~四ツ橋、四ツ橋でござります……』
『きらいやよ、この人電車の車掌やわ、まあ勉強して寝言にまで言うてはるわ……お客さん起きなはらんか』
 と言うのと、下で時計が鳴るのと一緒、チンチン。
『動きまァ~す』