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3000字小説バトル

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3000字小説バトル stage3
第16回バトル 作品

参加作品一覧

文字数
1
サヌキマオ
3000
2
蛮人S
3000
3
織田作之助
1597

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ピーマン in English
サヌキマオ

 朝の四時きっかりに目が覚めた。空はもう明るくなりかけている。パジャマは寝汗でじっとりと濡れていた。
「つかぬことを聞くけど、ちえほ先輩って、合宿にいたっけ?」
 青子が親友とはいえ流石にこの時間に連絡を取るのは憚られたので、六時きっかりまで待って送信ボタンを押した。五分もしない間に「ババアか!」という返信があった。
「どういうこと?」
「朝の六時からわけのわからないこと送ってくるから」
「そう? で、どうかな、ちえほ先輩」
「いたに決まってるでしょ、安東先輩、虹子演ってたんだから」
「いや、いたに決まってるはずなんだけど。大会に出た記憶はあるから」
「ババアか!」
「え、そのババアか!、は何についてのババア?」
 返信がかえってこなくなった。あとで八時くらいに電話しよう。
 記憶の中の(もう四年も前だ)合宿には六人がいたはずだ。伊武先生と、青子と、聖と、鯨出先輩と、智恵穂先輩。あ、で、私。俵村曲。あの時は「樋物語」を演ってて、地区大会では三位のなんとか賞と、演出賞かなんかをもらっていたはずだ。で、脚本は講評でボロクソに言われてた。いや、演出も脚本も顧問なんだけど。
 山の手のお嬢様・虹子と樋の職人・謙吉がよくわからない事情で恋に落ちる話だった。私は地球を征服しようと企むアマダレウサギ星人の役で、結果としてアマダレウサギ星人の悪逆非道が二人の仲をとりもつことになってしまう。
 四年経ってみて、ようやくなんだかとんでもない脚本だったことに今更気がついた。
「たわむらさんは『ピーマン』って英語でなんていうか知ってる?」
 あ。
 これは、ちえほ先輩の声だ。でも、合宿の時の話だっけ?
 先輩、あの答え、結局教えてもらったんでしたっけ?

「お、出たー!」
 部屋の電気を暗くしている。
 我が家では隅田川の花火大会をテレビで観るときは部屋を暗くして、夕飯はそうめんに天ぷらと決まっている。
 今年はスーパーのかき揚げなのがやや気に食わないが、めんつゆに浸してしまえばみんな同じだと云われるとそれ以上は何も云い返せない。
「だったらアンタが作れ」と云われるのも面倒だし。
 ややあって、「出たって、何? ゴキブリ?」と母が台所から帰ってくる。
「違うわ! ホラだから、ちぇほ先輩。安東先輩」
「ああ、この前云ってた人ね」
「そうそう、演劇部の」
 今日が初仕事、という安東智恵穂アナがヘリコプターに乗って上空から花火を中継している。テレビで観るとさほどでもないが、きっと風切とエンジンの爆音の中で、自分の声も聴こえないに違いない。
「もう一人の先輩もなんか芸能の方に行ってたよね?」
「ああ、鯨出先輩もそう。なんか舞台俳優」
 どうもテレビに出ていないと有名人でないような気がするのだが、鯨出先輩はインターネットで調べるといくつか出演情報が出てくる。ただ「自分で調べれば」というのと「テレビを観ていると自然に目の前に現れる」というのは大きく違うのだ。
 テレビの中のちぇほ先輩は新人アナらしからぬ落ち着きを見せているように観えた。司会の俳優の問いかけにも淡々と答えている。
「新人じゃないみたいね」
 母が私の代わりに呟いてくれると、「お、今日は花火だったか」と警官をやっている方の兄が仕事から帰ってきた。
 それ以降、安東智恵穂アナはテレビ画面に出てこなかった気がする。花火そのものも長々と観ていると飽きてくるので、私の観ていない数秒に出ていたのかもしれない。
 食卓上では鯨出先輩の話から「テレビに出る」ということについてのあんまり進展のない話を続けていた。
 振っておいてなんだが、正直全く好きな話ではない。
 こういう話になるたびに「で、曲は将来、女優とか芸能人になりたいの?」という話に行き着いてしまうからだ。
「そんなものわかるか」という結論にたどり着くからだ。
 かといって、別に社会に出ても、したいことなんてないものなぁ、とあとで自分一人で悩んでしまうからだ。
(そういえば)
 鯨出先輩(の思い出)に邪魔されてすっかり吹っ飛んでしまったけれど、けっこうはっきりした違和感があったのだ。
「ちえほ先輩って、あんなんだったっけ?」

 携帯の着信音で目が覚めた。すっかりぐっすり眠っていたのにどこの誰だろう。
「ふあい」
「今、いい?」
「よくない。寝てた」
「じゃあいいや、またね」
「ヤダよ、人のこと起こすだけ起こしといて要件はナシとか、そんなのってひどい」
「えー、だって寝てたんじゃ」
「その寝てるのを起こしたんだから、ちゃんと責任を取ってよぅ」
 私は一瞬受話器から耳を話すと携帯の画面を凝視した。目がしばしばする。
 十一時十分かよ。夜行性の生き物か!
「じゃあ、あのさぁ」
「あ、ちょっと待って。アンタ、誰?」
「アンタって……墨家ですけど?」
「ああ、青子か」
「……いい? ちえほ先輩から連絡があったのよ」
「おお、そういえばさっきまでテレビに出てたんだよ。ちえほ先輩は」
「そうなの?」
「さっきまで隅田川の花火大会で中継をしてたんだ」
「じゃあその流れかぁ。アタシ、ずっと大学にいたんだけどね『今から飲みに来られないか』っていうんだけど。先輩が」
「飲みぃ?」
「無理、ね?」
「だってすげー夜中じゃん。夜中だよ?」
「やっぱりババアか! アンタは!」
「……なんだか、この流れをつい最近体験した気がする」
「今日の朝だよ!――とにかく、アンタはいいや。またね。今度ね」
「ふぁい、ああそうだ、あお」
 慌ただしげに電話が切れてしまった。あ、これきっと夢に出るな、と思いながらまたどんどん意識が遠のいていく。
「たわむらさんは、きっといい役者になると思うよ」
「いけますかね」
 あ、これは夢だけど夢じゃない。記憶だ。
「幸があんなことになっちゃったけど、私はたわむらさんのほうが純粋に役者をしてると思うもの」
「純粋に役者をしてるだけで有名になれるかっちゅーとそうでもない気がするけどねえ」
 あ、そうだ。この場には鯨出先輩もいたんだ。
 これは、合宿の時の記憶だ。
「で、女優になる気はないの?」
「いやそりゃ、伊武先生もいつも云ってるじゃないですか。演劇部は演劇をしやすいように大人たちがお膳立てをしてくれているだけで、高校演劇部を卒めてから演劇するのは険しいって」
「そういうことじゃなくて」
「そう。そういうことじゃなくて」
 二人ならんだ鯨出先輩とちえほ先輩の声が揃う。
「やりたいことのために努力する気があるか、という話」
 完全に思い出した。朝の四時きっかりに目が覚めた。じっとりと汗をかいていた。
「あ、やっぱりいたわ。ちえほ先輩、合宿にいたわ」
 なんだか昨日怒られた気がするが、怒られることよりも大事なことがある。
 すぐに電話がかかってくる。
「おはようババア」
「あ、起きてたんだ」
「今から寝るところよ。さっきまで安東先輩に付き合わされてて」
「先輩は?」
「また会社に戻っていったわ。サウナで寝てからそのまま仕事だって」
「へえ、すっげぇな」
「アンタのこともずいぶん云ってたわよ、役者になればいいのに」って。
「そうかな」
「知らないけど」
 青子は臆面もなく大きなあくびをして続ける。
「アンタにその気がないんなら無理だと思うわ」
「そうだよなぁ」
 どんどんと受け答えが雑になっていく(わりにはなかなか電話を切らない)青子との通話を切って検索をかける。
「ピーマン」は英語で「green pepper」というらしい。
 納得する。
ピーマン in English    サヌキマオ

宇宙人ナニィ
蛮人S

 ナニィは九〇年代に活動した漫画家・宇宙人である。宇宙人らしい外見だった。いつどこから来たか分からないが、ある時期から漫画家兼宇宙人と認知されていた。発表作品は『軍師サドンデス』『箕作駅九千五夜』『浴衣準特急』。他に小冊子『カダベリンにございます』、さらに数点の小作品が存在すると「信者」らは主張する。
 作品は難解で、漫画家としての評価は困難である。漫画評論家Aは、かつてナニィの作風について「常に何かのエッジを歩む。でも何のエッジか誰も知らない」と述べた。ナニィ作品研究で知られたAは作品の最大の理解者とも呼ばれたが、A自身はこれを否定し続けていた。

 デビュー作『軍師サドンデス』は各話読み切りの不条理ギャグ漫画である。作品には連載当初から地球文化との齟齬が見られる。これは後のナニィ作品に比べれば軽微な乖離だが、ギャグ漫画のスパイスとしては過激に作用した。本作でナニィ作品に初めて触れたAはこう述べた。
『脳が左右じゃなく上下前後に分かれてる感じ』
 これは作品評だが、奇しくも後に判る作者の生体構造を言い当てていた。ナニィの死後これを知ったAは無言で目を伏せたと言われる。
 作品の質は不安定という他ない。各話は面白くないというより理解不能な話の方が多かった。しかしファンにとっては面白い回の印象が痛烈なため、一回二回は外しても次への期待が上回ったのだ。早くからファンの尖兵的存在となったAは、ナニィへの批判に対し「打率四割の本塁打王でも六割方は凡退する」と詭弁じみた反論を返している。実際はナニィの「打率」は下向きで、終盤には(一般的なギャグの範疇で言えば)概ね解らない話と化していたが、これは逆にファン達の「ナニィの作品は解る者にしか解らない」という奇妙な自意識を強めた。本当に解ろうが解るまいが。

 続く『箕作駅九千五夜』は商業的に成功した。連載時の誌面では「田舎駅が舞台の人間ドラマ」と銘打っていたが、読者からはギャグとも恐怖漫画とも呼ばれた。Aは『見る者の位相が意味を決定づける万華鏡作品』と定義づけ、ファン達はこぞって「万華鏡」というワードでナニィの賞賛を始めた。
 作品は前作以上に不安定だったが、最大の問題は前作の感想が「面白い」「解らない」の二極端だったのに対し、本作はこれに「怖い」が加わった点である。作品を生理的に嫌悪する一派と、恐怖漫画として評価する一派が現われ、彼らは感情的に対立した。その一方で両派は、前作同様に全く作品が解らない読者や、依然として多数派だったギャグ漫画としてのファン層に対しては奇妙な共闘を見せた。これらの読者層は(霊の存在が見えぬように)何が怖いのかさえ認識できなかったからである。
「万華鏡」という言葉は対立の沈静化に一定の役割を果たした。作品は読者各々の反映であるという説明が相手への憎悪を緩和し、また作品を生んだナニィへの崇拝に近い敬意がファンの共通認識として残ったのだ。だが作品に何の理解もない一般人に対する選民意識的な優越心は、より強まる結果となった。Aがナニィ作品の最大の理解者という合意が生じたのもこの頃で、当時のAが「啓蒙」に注力したのも事実である。ファンの数は数万に及んだとも言われ、メディアは彼らをナニイストと呼び、もて囃したのだった。

『浴衣準特急』は商業誌に掲載された最後の作品となる。感想に「旨そう」という新しい位相が加わった以外、特筆すべき点は少ない。だがこの時期、重要な出来事が二つあった。一つは新連載にあたってAがナニィの担当として迎えられた事、あと一つはささやかな、かつ重大なアクシデントである。
 それはあるイベントで企画された漫画家合同サイン会での事だった。ナニィは他の作者らとは別の専用ブース内にいた(作品同様にナニィの外見はファン以外の者が見れば特異な感情を催しうると運営サイドに判断された結果である)。ここで一人のナニイストが(彼らの間の禁を破る形で)作品が与える奇妙な印象について質問したのだ。ナニィの答えは率直だった。
「わからない。君たちは僕の漫画に様々な感情を抱くらしい。でも僕にはまったくわけがわからないよ」
 この発言の噂がナニイスト内に広まると混乱が起きた。自らの崇拝したナニィとその作品には、実際には何ら高尚な意図も趣向も無かったと解釈した者が、その失望を怒りへ転化したのだ。
 同じ頃から『浴衣準特急』の内容もファンの精神状態を反映するかのように混迷していった。最期には絵さえ理解不能に陥り、作品はそのまま連載終了に至る。Aも出版社を辞した。

 多くの人々がナニィから離れ、世間のナニイストへの反応も冷淡になる中で、先鋭的に過ぎる「信者」ばかりが残っていった事は不幸である。彼らは彼らの理解でナニィを信奉し作品世界を原理主義的に実践してみせる過激派で、ナニイストの間でさえ反社会勢力とみなされた存在だった。メディアは次第に彼らの言動を犯罪的に扱い、ナニィをタブー視するようになる。
『カダベリンにございます』は信者の手で少部数印刷された非売の冊子で、実際は多くのコピーが流布している。内容は八〇ページにわたって絵とも記号ともつかぬ不規則な図形が続くもので一般には狂気の経典と噂され、一人で読み続けると三日目の夜に信者が窓辺に立つという都市伝説まで生んだ。
 ナニィが作者であるのは事実と思われる。Aは関与していない。この頃にAは書籍『ナニイストの弁明』を上梓し、担当となって知ったナニィの内面を語った。
「ナニィが人の感情を理解できないとしても、彼に感情が無いと断ずるのは誤りである。彼は常に苦しんでいた。彼にとっての感情の発現たる作品が全く理解されないまま、人気は先走り、彼には理解できぬ実績を重ね、神の如く祀り上げられる事を」
 この本はメディアには黙殺され、話題に上らなかった。片や信者は真理を歪曲する背信者としてAを弾劾した。Aは反駁しなかった。

 その夏、ナニィは自宅で急死したとされる。発見者はAである。Aは語らなかったが、警察の発表によれば外傷はなく死因は病死とされた。ただ地球人の死の定義を宇宙人に適用すべきか否かは分からない。
 学術的名分によって司法解剖の結果がある程度公開され、ナニィの構造、例えば彼の脳が上下前後に分割されていた事、その分割面の集まる左右の部位が耳になっていた事などといった情報が知れわたった。人々は非常に生々しい印象を受けた。それまでテレビや雑誌の中の存在であり観念的存在だった宇宙人や漫画家を、まるで捌いた魚を眺めるように実感したのだった。
 一方、信者らはこれを死と認識しなかった。彼等の解釈では信者とナニィの存在は互いの意識の反映であり、ナニィは肉体の棄却によって個々との同化を果たしたと主張していた。
 人々の噂はAにも及んでいた。Aはナニィの病気や死期を予め知っていた、或いはAこそナニィを殺害したのだという声さえあった。Aが公衆から姿を消した事も疑惑を強めたが、警察はAへの嫌疑は特に無いと異例の表明を出した。Aが遺体で発見されたのは一ヶ月後である。自殺と発表されたが、人々は信者らの犯行を噂した。こちらは実際に捜査されたが犯罪を確証させるには至らなかった。

 以上が全てである。ナニーの作品は信者の手で今なお「新作」の発表が続く。それが本物なのか否か、誰にも分からない。
宇宙人ナニィ    蛮人S

馬地獄
今月のゲスト:織田作之助

 東より順に大江橋、渡辺橋、田簑橋、そして船玉江橋まで来ると、橋の感じがにわかに見すぼらしい。橋のたもとに、ずり落ちたような感じに薄汚ない大衆喫茶店兼飯屋がある。その地下室はもとどこかの事務所らしかったが、久しく人の姿を見うけない。それが妙に陰気くさいのだ。また、大学病院の建物も橋のたもとの附属建築物だけは、置き忘れられたようにうら淋しい。薄汚れている。入口の階段に患者が灰色にうずくまったりしている。そんなことが一層この橋の感じをしょんぼりさせているのだろう。川口界隈の煤煙にくすんだ空の色が、重くこの橋の上に垂れている。川の水も濁っている。
 ともかく、陰気だ。ひとつには、この橋を年中日に何度となく渡らねばならぬことが、さように感じさせるのだろう。橋の近くにある倉庫会社に勤めていて、朝夕の出退時間はむろん、仕事が外交ゆえ、何度も会社と訪問先の間を往復する。その都度せかせかとこの橋を渡らねばならなかった。近頃は、弓形になった橋の傾斜が苦痛でならない。疲れているのだ。一つ会社に十何年間かこつこつと勤め、しかも地位があがらず、依然として平社員のままでいる人にあり勝ちな疲労がしばしばだった。橋の上を通る男女や荷馬車を、浮かぬ顔して見ているのだ。
 近くに倉庫の多いせいか、実によく荷馬車が通る。たいていは馬の肢が折れるかと思うくらい、重い荷を積んでいるのだが、傾斜があるゆえ、馬にはこの橋が鬼門なのだ。鞭でたたかれながら弾みをつけて渡り切ろうとしても、中程に来ると、轍が空まわりする。馬はずるずる後退しそうになる。石畳の上に爪立てた蹄のうらがきらりと光って、口の泡が白い。痩せた肩に湯気が立つ。ピシ、ピシと敲かれ、悲鳴をあげ、空を噛みながら、やっと渡ることができる。それまでの苦労は実に大変だ。彼は見ていて胸が痛む。轍の音がしばらく耳を離れないのだ。
 雨降りや雨上りの時は、蹄がすべる。いきなり、四つ肢をばたばたさせる。おむつをきらう赤ん坊のようだ。仲仕が鞭でしばく。起きあがろうとする馬のもがきはいたましい。毛並に疲労の色が濃い。そんな光景を立ち去らずにあくまで見て胸を痛めているのは、彼には近頃自虐めいた習慣になっていた。惻隠の情もじかに胸に落ちこむのだ。以前はちらと見て、通り過ぎていた。
 ある日、そんな風にやっとの努力で渡って行った轍の音をききながら、ほっとして欄干をはなれようとすると、一人の男が寄ってきた。貧乏たらしく薄汚い。哀れな声で、針中野まで行くにはどう行けばよいのかと、紀州訛できいた。渡辺橋から市電で阿倍野まで行き、そこから大鉄電車で――と説明しかけると、いや、歩いて行くつもりだと言う。そら、君、無茶だよ。だって、ここから針中野まで何里……あるかもわからぬ遠さにあきれていると、実は、私は和歌山の者ですが、知人を頼って西宮まで訪ねて行きましたところ、針中野というところへ移転したとかで、西宮までの電車賃はありましたが、あと一文もなく、朝から何も食べず、空腹をかかえて西宮からやっとここまで歩いてやって来ました、あと何里ぐらいありますか。半分泣き声だった。
 思わず、君、失礼だけれどこれを電車賃にしたまえと、よれよれの五十銭銭(ぜに)を男の手に握らせた。けっしてそれはあり余る金ではなかったが、惻隠の情はまだ温く尾をひいていたのだ。男はぺこぺこ頭を下げ、立ち去った。すりきれた草履の足音もない哀れな後姿だった。
 それから三日経たった夕方、れいのように欄干に凭れて、汚い川水をながめていると、うしろから声をかけられた。もし、もし、ちょっとお伺いしますがのし、針中野ちうたらここから……振り向いて、あっ、君はこの間の――男は足音高く逃げて行った。その方向から荷馬車が来た。馬がいなないた。彼はもうその男のことを忘れ、びっくりしたような苦痛の表情を馬の顔に見ていた。