表紙へ

3000字小説バトル

3000字小説バトル表紙へ

3000字小説バトル stage3
第21回バトル 作品

参加作品一覧

文字数
1
サヌキマオ
3000
2
アレシア・モード
3000
3
葉山嘉樹
2588

結果発表

投票結果の発表中です。

※投票の受付は終了しました。

  • QBOOKSでは原則的に作品に校正を加えません。明らかな誤字などが見つかりましても、そのまま掲載しています。ご了承ください。
  • 修正、公開停止依頼など

    QBOOKSインフォデスクのページよりご連絡ください。

コミュニケーション

QSHOBOU掲示板

古研のようす #1
サヌキマオ

 古本屋研究会といえば日本でもそこそこ名を知られた市ヶ谷藝術大学・通称イチゲー内でもその名を知られない非公認サークルである。古本研究会なのか、古本屋研究会なのか、現役の部長も同SNS上で表記を間違えるほどであるが、要は出来れば全国津々浦々、主に都内にある古本屋を訪れては古書を漁り、夜は駅前の居酒屋で休憩ののち解散するという、藝術学部の中でもさらに肩身の狭い文藝学科を中心とした集団である。
 市ヶ谷藝大のある猫田は地名としては「ねごた」私鉄各停の駅名としては「ねこだ」近年できた都営地下鉄の駅は「しんねごた」と一貫しない姿勢を貫いている。この辺を深く掘り上げると、市藝のあったあたりは昔は「ねこだ」であり、隣接する区が「ねごた」だったため、地元の寄合相談の末「ねこだ」は旭丘に改称したということがWikipediaに書いてあったが、そういったことは本編とあまり関係がない。
「でも猫田って妙な名前ですよね。猫ばっかりいたんですかね」
「今、本編と関係ないって言ったばっかりだ!」
 昼休みも始まったばかり。カフェ・ノルマンディの低いソファにふたりで座っている。ふたり、というのは僕こと円宗介と、同じく文藝学科2年の逆瀬川さんだ。ノルマンディは猫田銀座と呼ばれる商店街の建物のテナントにある店で、角地を世界各種の豆を取り扱う店と学生向けに揚げ物に力を入れている肉屋に挟まれている。間に壁がないのでずっと揚げ油の臭いが漂っている。
 逆瀬川さんは慎重に目の前のティーカップからティーパックを引き出して脇においた。慎重に引き抜こうがどうしようが器の外にティーパックから紅茶は滴るのだが、そういうところにこだわりがあるらしい。
「そういえばティーパックとティーバックも一瞬迷いますよね。まぁちょっと考えてみればわかるんですけど」
「いま、口に出てた?」
「え、円先輩はTバックのことを考えてたんですか? やだ」
「いや」意味もなくたじろいだ。「ネゴタだったら、根が古い田んぼの可能性もあるじゃない」
「そっかそっか」逆瀬川さんはカップにクリームだけ入れると混ぜずに持ち上げた。立てかけてあったティーバックがぱたりと倒れる。「古い根っこの田んぼ、いい絵ですね。それだったらネ・ゴ・タで切れるわけです。いいところだと思います」
「……ネコザネ」
「なんです?」
「いや、猫実、って浮世絵かなんかで観たことがある。たしか浦安とかあっちの方の海辺の地名だったと思うんだけど」
 しばらく猫実の話をする。どうしても猫の生る木のイメージになりますよね、と笑い合う。逆瀬川さんが笑うと、細面のところに切れ込みのようなエクボが出来る。
「やっ、ご歓談のところまことに面目ない。遅くなりました」
 トレードマークの御用袋に本をみっしりと下げてやってきたのは古本屋研究会の顧問である故林先生である。六十は軽く過ぎているだろうが堂々とした体躯の持ち主で、市藝では主に文芸批評の講義を持っている。故林先生の指摘で猫実の絵は安藤広重のものだと判る。
「服部部長は?」
「服部ならサンココですよ」
「なに、アイツ単位、取れてないの?」
「らしいですね。一限の体育だけって言ってましたから、そろそろ来ると思いますけれども」
「逆瀬川くんは……心配ないか。そこは服部と一緒にしたら失礼かワハハハ」
「出席ギリギリでした。なんで必修の体育って一・二限なんですかね」
「そりゃあアレだよ。サンココしてもちゃんと卒業できるように、だろう」
 面倒でもサンココの話をせねばならないだろう。読者各位も市藝といえば猫田校舎というイメージをお持ちだろうが、あれは三四年生だけの話で、一二年は埼玉の奥地こと心沢の校舎でキャンバスライフを過ごさねばならない。中でも心沢でしか受けられない必修科目を取り逃すと、三年四年になって猫田と心沢を往復する生活が待っている。たとえば一限は駅からバスで十五分かけて校舎に向かい、着替えて九〇分間バドミントンで汗をかき、終わるやいなや着替えてバスに乗り込んで黄色い私鉄特急に乗ること三十分で猫田に着く。当然二限の講義には出られず、昼を挟んで三限の授業に出ざるをえない。この無意味無感動な時間の浪費をサンココなりヨンココなりと呼んでいるわけである。
 服部はなかなか現れない。ガラケーにメールをしても返事がない。じゃ、始めちゃおう、というので僕は資料を取り出した。
「春祭は例によって五月の最終週土曜日、二十七日。それまでに、GW中に第一回散策を神保町で、と」
「毎年恒例、例によって例の如し、という感じだがね」
「それとも何か、変わったことをしてみます?」
「やりたきゃやるがいいさ。こういうのは学生諸君たちの志が、ハートが動かすんだがね。顧問なんざぁ『おやんなさい』としか云えんわけだから」
「変わったこと、って、なにかあるかな?」
 さっきから黙りこくっている逆瀬川さんに話をふるが、うすら首を振るだけである。
 結局服部からの返信に気づいたのは四限が終わってからで「ごめん寝てた」の六字だけ表示されていた。

 五月一日月曜日十一時。神保町の交差点、岩波ホール前にはばらばらと人がいる。もともと待ち合わせスペースではあるが、サラリーマンと老人を覗いても二十人もいるだろうか。地下鉄の出口からゆっくりと袖のないジャケットにパナマ帽の老人が出てくると、そのうちのほとんどがわらわらと集まってくる。文藝学科のみならず、演劇学科に放送学科、美術学科の学生、加えて故林がほかに講義を持っている武蔵川大学や莫迦田大学の学生、どこの浮浪者かと思ったらOBだった、みたいなものもぞろぞろぬったりと現れてくる。黒縁眼鏡に短髪の服部の顔も見える。市藝内会員五名、その他学外会員百名という古本屋研究会の一部がここに集結する。
 一行はぞろぞろと古本屋街を練り歩く。途中立ち止まったかと思うと故林先生の書店紹介がある。白い本と黒い本、研究所のたぐいは箱入りで装丁もそっけないから白い本、それ以外は比べて黒く見えるのが黒い本。玉楼堂書店は白い本のオーソリティ、観漢舎は中国書籍の大家、文藝文庫本において無いものは無い狛江書店。二、三軒の紹介が終わると二十名に近い部員は三十分ほどかけて物色にかかるのである。古書店の方も慣れたもので「また今年も古研の季節か」などと思うらしい。
 好天である。古本屋研究会というと非常にインドアな印象を受けるかもしれないが、こうして日がな一日五月の太陽に晒されながら、夥しい数の本の中から自分の直感に当たる本を探し続ける。実に修行的である。参加した当初は、どうせ参加した以上一冊の本も見逃すまい、という心意気で書棚に向かうのであるが、二三回ではたしてそれは間違いであることに気付かされる。日に焼けていくうちに体力が持たなくなるからだ。
 本の海をざっと眺め続けているうちに自分の欲しがっていた本はいやでも目に入る。手に取った本は手放すと殆どまた出会えない。最近はメモさえとっておけば全国の古本屋からネット経由で手に入るようになってしまったが、一冊の本も買わなかった、という状況も含め、目の前の一冊にである偶然性を楽しむのが古本屋巡りなのではないだろうか。
 逆瀬川さんが靖国通りのガードレールに寄りかかってプラスチックのカップのカフェオレを飲んでいる。つばの広い、白い帽子がすごくいいな、と思う。
古研のようす #1    サヌキマオ

オバケの修羅場(Sさんの話)
アレシア・モード

 少し前の話です。
 つきあってた女がいたんですけど、ちょっとやらかしてしまって。その時の話をします。
 彼女が新しいマンションに引っ越したんです。ええ、一人暮らしで。ところが何日かした頃から、何か変な感じがするって言いだして。部屋に何か気配があるとかって。まあ私は、ポーズとしては真剣に聞いてましたが、気のせいだろうと思ってました。
 でも彼女がだんだん本気で怯えるようになって、で、物が動くとか言うんです。留守の間にソファの位置がずれているとか。そんなの覚えてるんですかね。あと何か匂いが残ってるとか。
 その時も私は精神的な問題と思ってました。何だこいつ危ないぞって。そのうち、ついに見たとか言って。夜中にクローゼットの扉が少し開いて、中から誰か覗いてたと。後は布団をかぶってしまったから知らないと。本当に誰かいたらどうするのって言ったら、人が入るスペースとかないからって。朝見たら、扉は閉まっていたそうです。
 一度、部屋に泊まって様子を見て欲しいと言われました。ええ、彼女とはいつも外で会う事にしていて、部屋で一緒に過ごした事はありませんでした。え、私の部屋。ダメですよ。住所も教えません。面倒の元です。
 その夜、仕方なく彼女の部屋に行ったんですが、今にすると私は不思議なほど苛立ってましたね。彼女に対しても、部屋に着く前から少しきつく当たってました。私は女性には優しいつもりですが、予感があったのでしょうか。
 部屋に入った時には、もう嫌な空気に満ちていた。私は霊感なんかありません。でも自分に対する誰かの悪意とか敵意とかは敏感に分かる。直感です。そういう相手が居るならやっつけるだけです。とりあえずクローゼットとか開けましたが何もいません。でも分かる、この部屋は敵が居るって!
 すみません、いま興奮しても仕方ないですね。で、明かりを暗くして、酒を飲みながら待ちました。彼女は黙って傍らにいましたが、こんな息苦しい二人の時間は初めて、もう最低です。もういい寝るぞって思った時、出たんですよ。
 クローゼットの扉が、すっと開きました。で、中から出たのが、おかっぱ髪の小さな女の子なんです。ええ意外でしたよ。でも、もっと意外なのは隣の彼女の反応でした。
『あ、かわいい』
 何言ってんだ、こいつ。驚きました。姿は子どもでも、悪い霊だと一目で判りますよ。何しろ顔とか、目が吊り上がって、口なんか、この、こめかみくらいまで、そう、そんな感じです。しかも敵意むき出しの。それでいきなり『かわいい』ですか。見て何も感じないんですか。そこまでアホとは思いませんでしたよ!
 私は黙って立ち上がりました。
『どうするの』
 私は右手を構えました。笑わないでくださいね、早九字を切ろうと思ったんです。ええ、そう、早九字は悪霊を祓う力を持つ呪法で、簡単な割には強力なんだそうです。抜き身の刀みたいなもので、みだりに使ってはいけないとか、ハハ、漫画か何かで読んで何となく覚えてたんですがね、まさか実際試す時が来るなんて思いませんでしたがね。ハハ……
 女の子は気味悪い笑みで私を見つめています。猫が獲物を狙うような目つきです。もう絶対ぶち殺すと決めました。みんな彼女のためですよ。
 私は腕を振り上げました。
『ねえ、どうするの』
 私はすがりつく彼女を払いのけ、手刀を振って叫びました。
『臨!』
 いったん声を出すと、後は夢中でした。
『兵、闘、者……』
 横で彼女が何か叫んでいます。私は構わず呪文を唱え続けました。
『……在、前!』
 最後の一文字を叫び、手刀を横に振りぬきました。
 鋭い悲鳴が上がりました。女の子の顔の、おかっぱの前髪から下が、ざくりと裂けたのです。血がほとばしり、女の子は火のついたように泣き出した。
『おおっ』
 思わず声が出ましたね。すごい効果です。
『ひどいよ!』
 と叫んだのは横の彼女です。ひどいのはお前だろうと。確かに私は逆上していたかもしれない。でもあの場で他にどうします。違いますか?
 幽霊が泣く、彼女がわめく。やめてやめてと泣きわめく。こんなわけの分からない修羅場はご勘弁です。うるさい、と幽霊を蹴り飛ばしました。怒りも頂点に達すると、こんな攻撃も効果をあげるんですね。
 幽霊は壁に向かって飛んでいき、ぶつかるかと見えて、ふっと消えてしまいました。

 その後ですか? 彼女とはすぐに別れました。て言うか、会ってもらえませんでした。
『帰って、帰ってよ!』
 夜も明けぬうちに私は追い出されました。彼女に呼ばれて頑張ったのにこの態度。私が悪いんですか。世の中、力でしか解決できない事だってある。相手は人間じゃないんですよ。
 翌朝、彼女に電話しました。謝る気はありませんでした。ただ急に追い出されてスマホを置いて来たんです。
『取りに来てよね』
 彼女は吐くように言いました。
『でも、すぐ帰ってね!』

 部屋のドアがわずかに開きました。私はドアを開け放とうとしましたがチェーンに阻まれました。大きな音だけ廊下に響きました。
『ほら』私のスマホを押しやるように手渡す彼女、その声は別人のようだった、そしてその顔の形、眼や口の角度も、明らかに歪んで見えました。
 そしてドアが閉じられる直前、彼女の肩越しに、睨む顔が覗いたんです。あのおかっぱの女の子。
 つき合ってられませんよ。こっちから願い下げです。彼女は私よりオバケが大事なんです。女は彼女一人ってわけでもないし。だいいち私は、本来、現実主義者なんですからね……


「いやあ、まさに修羅場でしたねえ。参考にさせていただきます」
 私――アレシアは笑って言った。取材の謝礼は薄いけどね。この店のコーヒー代として何杯分くらいだろ。
「こんな話、信じるんですか」
「そりゃもう。そう思われたから詳しい話をお願いしたわけで」
「プロの勘、ですね」
 まあな。実は見たまんまの判断だけど。
 男は爽やかに笑って席を立ち、私は改めて彼の背中を見る事になる。私以外には見えまい、その有様ときたら。
(ああ……)
 業の積もったその肩から背には厄介な影がびっしり、層となって蠢いていた。
 何体かの人影は、おおむね若い女と思われた。顔も定かでないのに、その表情は明白な憎悪を放っている。絡んだ髪の毛と混じってべったり重なり合って貼り付いている。赤子の影が繋がれたように後を漂う。何やら小学生くらいの女の子まで膨れた顔でくっついている。頭のない猫っぽい影が七つ八つほど纏わり付く。色んなモノを引き連れて去って行く、その姿はさながら百鬼夜行で、会ったのが日の高い時刻で本当に良かったと思う。
(あいつ、いったい今日まで何をやらかしてきたんだ)
 オバケより彼の方がよほど怪しいと思わざるを得ない。おかっぱの子も、そこを感じとっていたんじゃないの?
 私は溜息をつき、冷めたコーヒーを飲むと、メモしたばかりの取材ノートを読み返す。
 彼の話は、フェイクはかけてるだろうけど、大筋は実話だろう。いずれにせよ、聞いた話をそのまま載せるわけにはいかない。そして私が見たモノについても、だ。
(気になる所は山ほどあるけど)
 これ以上の詮索は無用だ。自分は三流ホラーコミック誌のクソライターであって、現代の闇と向き合う社会派ルポライターとかじゃないのだ。ましてや心霊探偵ごっこなど始める気は微塵もない。私は本来、現実主義者なのだから……
 ダメ、絶対。
オバケの修羅場(Sさんの話)    アレシア・モード

セメント樽の中の手紙
今月のゲスト:葉山嘉樹

 松戸与三はセメントあけをやっていた。外の部分は大して目立たなかったけれど、頭の毛と、鼻の下は、セメントで灰色に蔽われていた。彼は鼻の穴に指を突っ込んで、鉄筋コンクリートのように、鼻毛をしゃちこばらせている、コンクリートを除(と)りたかったのだが一分間に十才ずつ吐き出す、コンクリートミキサーに、間に合わせるためには、とても指を鼻の穴に持って行く間はなかった。
 彼は鼻の穴を気にしながら遂々(とうとう)十一時間、――その間に昼飯と三時休みと二度だけ休みがあったんだが、昼の時は腹の空いてる為めに、も一つはミキサーを掃除していて暇がなかったため、遂々鼻にまで手が届かなかった――の間、鼻を掃除しなかった。彼の鼻は石膏細工の鼻のように硬化したようだった。
 彼が仕舞時分に、ヘトヘトになった手で移した、セメントの樽から小さな木の箱が出た。
「何だろう?」と彼はちょっと不審に思ったが、そんなものに構って居られなかった。彼はシャヴルで、セメン桝にセメントを量(はか)り込んだ。そして桝から舟へセメントを空けるとまたすぐその樽を空けにかかった。
「だが待てよ。セメント樽から箱が出るって法はねえぞ」
 彼は小箱を拾って、腹かけの丼の中へ投り込んだ。箱は軽かった。
「軽い処を見ると、金も入っていねえようだな」
 彼は、考える間もなく次の樽を空け、次の桝を量らねばならなかった。
 ミキサーはやがて空廻りを始めた。コンクリがすんで終業時間になった。
 彼は、ミキサーに引いてあるゴムホースの水で、ひと先ず顔や手を洗った。そして弁当箱を首に巻きつけて、一杯飲んで食うことを専門に考えながら、彼の長屋へ帰って行った。発電所は八分通り出来上っていた。夕暗に聳(そび)える恵那山は真っ白に雪を被っていた。汗ばんだ体は、急に凍えるように冷たさを感じ始めた。彼の通る足下では木曾川の水が白く泡を噛んで、吠えていた。
「チェッ! やり切れねえなあ、嬶(かかあ)はまた腹を膨らかしやがったし、……」彼はウヨウヨしている子供のことや、また此の寒さを目がけて産れる子供のことや、滅茶苦茶に産む嬶の事を考えると、全くがっかりしてしまった。
「一円九十銭の日当の中から、日に、五十銭の米を二升食われて、九十銭で着たり、住んだり、箆棒奴(べらぼうめ)! どうして飲めるんだい!」
 が、フト彼は丼の中にある小箱の事を思い出した。彼は箱についてるセメントを、ズボンの尻でこすった。
 箱には何にも書いてなかった。そのくせ、頑丈に釘づけしてあった。
「思わせ振りしやがらあ、釘づけなんぞにしやがって」
 彼は石の上へ箱を打(ぶ)っ付けた。が、壊われなかったので、此の世の中でも踏みつぶす気になって、自棄(やけ)に踏みつけた。
 彼が拾った小箱の中からは、ボロに包んだ紙切れが出た。それにはこう書いてあった。

 ――私はNセメント会社の、セメント袋を縫う女工です。私の恋人は破砕器(クラッシャー)へ石を入れることを仕事にしていました。そして十月の七日の朝、大きな石を入れる時に、その石と一緒に、クラッシャーの中へ嵌りました。
 仲間の人たちは、助け出そうとしましたけれど、水の中へ溺れるように、石の下へ私の恋人は沈んで行きました。そして、石と恋人の体とは砕け合って、赤い細い石になって、ベルトの上へ落ちました。ベルトは粉砕筒へ入って行きました。そこで鋼鉄の弾丸と一緒になって、細かく細かく、はげしい音に呪いの声を叫びながら、砕かれました。そうして焼かれて、立派にセメントとなりました。
 骨も、肉も、魂も、粉々になりました。私の恋人の一切はセメントになってしまいました。残ったものはこの仕事着のボロ許(ばか)りです。私は恋人を入れる袋を縫っています。
 私の恋人はセメントになりました。私はその次の日、この手紙を書いて此樽の中へ、そうと仕舞い込みました。
 あなたは労働者ですか、あなたが労働者だったら、私を可哀相だと思って、お返事下さい。
 此樽の中のセメントは何に使われましたでしょうか、私はそれが知りとう御座います。
 私の恋人は幾樽のセメントになったでしょうか、そしてどんなに方々へ使われるのでしょうか。あなたは左官屋さんですか、それとも建築屋さんですか。
 私は私の恋人が、劇場の廊下になったり、大きな邸宅の塀になったりするのを見るに忍びません。ですけれどそれをどうして私に止めることができましょう! あなたが、若し労働者だったら、此セメントを、そんな処に使わないで下さい。
 いいえ、ようございます、どんな処にでも使って下さい。私の恋人は、どんな処に埋められても、その処々によってきっといい事をします。構いませんわ、あの人は気象の確かりした人ですから、きっとそれ相当な働きをしますわ。
 あの人は優しい、いい人でしたわ。そして確かりした男らしい人でしたわ。未だ若うございました。二十六になった許りでした。あの人はどんなに私を可愛がって呉れたか知れませんでした。それだのに、私はあの人に経帷布を着せる代りに、セメント袋を着せているのですわ! あの人は棺に入らないで回転窯の中へ入ってしまいましたわ。
 私はどうして、あの人を送って行きましょう。あの人は西へも東へも、遠くにも近くにも葬られているのですもの。
 あなたが、若し労働者だったら、私にお返事下さいね。その代り、私の恋人の着ていた仕事着の裂(きれ)を、あなたに上げます。この手紙を包んであるのがそうなのですよ。この裂には石の粉と、あの人の汗とが浸み込んでいるのですよ。あの人が、この裂の仕事着で、どんなに固く私を抱いて呉れたことでしょう。
 お願いですからね。此セメントを使った月日と、それから委しい所書と、どんな場所へ使ったかと、それにあなたのお名前も、御迷惑でなかったら、是非々々お知らせ下さいね。あなたも御用心なさいませ。さようなら。

 松戸与三は、湧きかえるような、子供たちの騒ぎを身の廻りに覚えた。
 彼は手紙の終りにある住所と名前を見ながら、茶碗に注いであった酒をぐっと一息に呻った。
「へべれけに酔っ払いてえなあ。そうして何もかも打ち壊して見てえなあ」と怒鳴った。
「へべれけになって暴れられて堪るもんですか、子供たちをどうします」
 細君がそう云った。
 彼は、細君の大きな腹の中に七人目の子供を見た。