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3000字小説バトル

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3000字小説バトル stage3
第27回バトル 作品

参加作品一覧

文字数
1
咲本らら
2762
2
サヌキマオ
3000
3
蛮人S
3000
4
河合裸石
2856

あなたが選ぶチャンピオン。

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コミュニケーション

QSHOBOU掲示板

Knife
咲本らら

セミの鳴き声がうるさい。
 彼らは何を思ってそんなに鳴くのだろう。七日しかない命への慟哭か、今を全力で生きることへの歓喜か。まるで周りの音をかき消さんとするかのように、ずーっとずーっと、鳴いている。
 耳をふさいでも消えない、ノイズみたいな音の洪水。
 そのノイズを切り裂くように、カーン、と金属音が響いた。きっと野球部のバットが球をとらえた音だ。近くの芝生にはテニス部の練習姿。日蔭の渡り廊下から見るその光景は眩しくて、全然違う世界みたいだ。
ちらりと、隣にいる希を盗み見る。希は舌先でアイスをつつきながら、気だるげな様子で遠くを見つめていた。
今は委員会活動の休憩時間。普段はそんなに活動しないこの委員会だけど、文化祭前ともなると、休日も活動しないと作業が間に合わないらしかった。
「ねえ」
 希が口を開いた。
「何」
「飽きた」
「は?」
「委員会の仕事、地味すぎ。もうやりたくない」
「仕方ないでしょ。これ終わんないと生徒会に怒られるんだもん」
「怜ちゃんまっじめー」
「まっじめーって、あんたねえ」
 はあ、とため息をついて見せる。希はどこ吹く風といった様子で再びアイスをかじりだす。私もそれ以上は何も言わなかった。
 こんなこと言うような子だけど、任された仕事は最後までこなす性格なのだ。
 怜ちゃんさあ、と再び希が口を開く。
「いつも私と一緒にいて楽しいわけ?」
「なによ突然。楽しくなかったら一緒になんていないわよ」
「私思うんだけどさあ、怜ちゃん付き合い良いし、性格も良いし、もっといろんな人と仲良くできると思うんだよねえ」
「冗談。あたしがめんどくさがりなの知ってんでしょ」
「でも結局付き合ってくれたりするんでしょ。怜ちゃん結構人気者なんだから」
「はあ?」
「知らないの? 男子にモッテモテなんだよ怜ちゃん。高嶺の花らしいよー」
「そんなのデマよ。あんた男子に聞いて回ったわけ?」
「ヒューヒュー」
「こら、冷やかすなそしてごまかすな」
 なんだろう、この違和感は。希の様子が変だ。いや、変なのはいつものことなんだけど、何というか、今日は特に絡んでくるというか。
 セミの鳴き声がうるさい。
 不意に、強い風が吹き抜けた。希の黒髪がぶわりと舞い上がる。
「怜ちゃん」
 ざあっと一際、セミの鳴き声が大きくなった気がした。
「好きな人とかいないの?」
 ああ、と納得がいった。なるほどね。これが聞きたかったのね。
「どうして?」
 笑いをこらえながら、問う。希はどうってことない様子で、
「別にー。聞いてみただけ」
 そう言った。
 自分が危うくなるとすぐに会話を切り上げる。常套手段だ。
 卑怯者め。
 そう心の中でつぶやく。聞こえてるはずないのに、希はちらりと私の方に視線を向けた。
 まあ、私も言えた立場ではないけれど。
 だって、私たちはお互いに気付いている。
 私たちには、好きな人がいることを。そしてそれは恐らく、同じ人だ。

 私と希は似ている。プライドが高いのだ。何かに本気になっている自分を知られたくない。私たちは自分をさらけ出すのがどうしようもなく怖いから、自分を守ることに手段を択ばない。
 ほしいものだって、できる限り傷つかずに手に入れたいのだ。でも、これは誰だってそうじゃないかしら。地位や名誉や財産や誇り……それらを失わずして手に入れる方法を、人間はいつだって血眼になって探しているじゃない。私や希の場合は、自分の本音を守りながら手に入れたい。それだけのこと。
 女子高生は特に、そういう方法を幾万通りも知っている。
 彼女たちはいつだって殺気立っている。小さいけれど、殺傷能力に長けたナイフを、プリーツスカートの裾に、胸ポケットの中に、襟元の内側に隠し持っているの。誰もいない教室で、すれ違う廊下で、放課後の下駄箱で、言葉とともに刺し殺そうとする。そうして自分が汚れないようにしながらほしいものを手に入れるのだ。
 それは恋人だったり、友情だったり、信頼だったりさまざま。女の子はいつだって貪欲なのだ。
 私たちは仲が良い。いわゆる親友というものなのかもしれない。学校に来れば昨晩見たテレビの話で盛り上がるし、授業後には先生への不満も言い合う。休日には二人で遊びや買い物に出かけるし、お泊りだってする。
 けれど、欲しいものの前ではそんなのは関係ない。
 好きな人とかいないの?
 これは、希からの先制攻撃だ。自分も好きなくせに、その本音を守りながら私の本音を探ろうとしている。
 そして、それは私も同じ。
「好きな人がいるって、どんな気持ちなんだろうねえ」
 挑発。私は絶対に本当のことを言ったりはしないという、遠回しな釘さし。希には伝わったはずだ。
 私はみんなに思われているほど良い子じゃない。むしろ最悪だ。誰にでも好かれるような性格を作って、女の子たちの戦争を高みの見物できるようにしているの。泥で汚れるのは好きじゃないから。で、ほしいものはちゃっかり手に入れてしまう。そういう位置にいたいだけ。
 そう、私は誰よりも貪欲で、誰よりもプライドが高い。
 セミの鳴き声が弱くなっている。これから雨が降るのかもしれない。
「気になるねえ」
 あえて「希こそ、好きな人いるの」なんて聞かない。仕掛けてきたのはあっちで、私は今回は受け流すだけ。
 ああ、わかっているよ希。あなたはせっかちだから、早く私の本音を引きずり出したいんでしょう? そうして私を恋する女の子に仕立て上げて、協力するふりしてチャンスを窺いたいんでしょう? でもそれはだめ。そんなおいしいポジション、渡すわけにはいかない。
 ポツ、とコンクリートの柱に黒いシミができた。それは徐々に数を増してきて、見上げれば暗雲が立ち込めていた。
 スポーツ部が慌てて道具を片付け始める。その間にも雨は激しさを増し、空気が湿っぽい匂いを帯びだした。
「そろそろ戻ろうか」
 希にそう声をかけ、歩き出す。これ以上会話を続けたら危険だ。遊んでばかりじゃ、本当に刺されかねないもの。
 その時、
「私もさあ」
 言葉を、投げかけられる。それは刃物のように鋭い響きで、私の頬を掠めていった。
「気になるわ。その、好きな人がいるっていう気持ち。怜ちゃん、もし分かったら教えてよ」
 私たち、親友じゃん?
 思わず振り向く。希は、笑っていた。いつもと変わらない、いたずらっ子のような笑みだった。
 それはきっと宣戦布告。
 私はあきらめない、覚悟なさい。
 そのとき、私は確かに、希の中にぎらぎらと光るナイフを見つけたのだった。
 思わず笑む。
 そうね、こんなの、あなたのプライドが許すはずないものね。いいわ、受けてあげる。
 言っておくけれど、私はあなたが思うより、ずっと酷い性格なんだからね。
 そんな思いを込めて、わたしも言葉をふりかぶるのだった。
「そうね、その時は教えてあげるわ」
Knife    咲本らら

文烏
サヌキマオ

 寝転がって鼻毛を抜いて卓袱台の裏に植え付けていると八十吉が上がってきて文烏をお飼いなさいと云う。飼っても良いと答えた。そう来ると思っていましたよ、と八十吉は勝手に冷蔵庫から牛乳を出してきてコップに注ぎ、一息に飲み干した。ついでに大きな屁をした。部屋中がびじりと揺れた。八十吉は巨漢の老婆なので遠慮がない。ああらごめんあさぁせ、と更に牛乳を注いで飲んだ。わたくしはふと気づいた。ばあちゃん通じがないのかい。あぁらわかるゥ、さすがセンセイだ。人の家の牛乳で通じをつけようというのだから莫迦にしている。
 果たして文烏は翌朝の九時過ぎにやってきた。四足で、体中に突き出た管からぷうぷうと煙を吐いている。背丈は地面から三尺もあるだろうか、こつこつとくちばしで地面をつついている。噂通り、頭の天辺が赤く禿げ上がっている。通の方はここに帽子をかぶせて差し上げるんざぁすよ、と突然よそ行きの声で八十吉が云うので驚いた。さいざんすか、と答えているうちに八十吉はドタドタと居なくなってしまう。文烏の両の前脚には革紐がかけられていて、このまま散歩に出かけられそうである。出かけることにする。家の戸口まで出ると八十吉が知らない丁稚風の男を連れて戻ってきていて「三十円です」と云う。文烏の代である。払うことにする。

 小春日和のいい天気となった。往来から人気の居ない路地に入り、静かになると、途切れなくぶーんと音がする。虫の羽音にしてはずいぶんと長いなぁ、と思って音の出処を探すと文烏の背中から聞こえてくる。よく見ると背中の肌に穴が空いていて、いたずらに指を差し入れるにはおっかない速さで硬そうな羽根が回っている。
 なんでこんなものが文烏と呼ばれているのか甚だ謎であったが、このことでおそらくは、蚊を蚊と呼ばわるが如き理由なのであろうと合点がいった。文烏はしばらく土の道をのしのしと歩いていたが、不意に立ち止まったかと思うとぼとぼとと糞をした。糞の処理の支度など用意してあろうはずもなく、そのままにして急ぎ去る。
 しばらくして路地を抜けると墓地に出た。文烏はまた立ち止まると、墓地の入口の人の出入りでへこんだところに溜まった水をぺちゃぺちゃと舌を出して飲んでいる。遠くの空に飛行船が飛ぶのを見つけてはさも悲しそうな様子でくおーんくおんと鳴く。
 これは随分しつけが必要だ、と思うに至った。

 文烏にお手を仕込んでいると八十吉が上がってきて奥さんをお貰いなさいと云う。貰っても良いと答えた。とうとうその気になってくれましたか、と八十吉は勝手に冷蔵庫から牛乳を出してきてコップに注ぎ、一息に飲み干した。ついでに噎せて咳き込んだ。部屋中がびりびりと揺れた。
 見合い写真を二十も持ってきたという。実際に八十吉が背負ってきたアルバムは五枚ばかりで、この老婆は若干話を大きくする癖がある。さぁてどれからいきますかねぇ、と手をこすって身構えるので、どれでもいい、と一番上の深緑の革のものを取るとよく洋食屋にあるようなメニュー表である。「ヴーフステキー」だの「謹製ラーヌン」だのの文字列が並んでいる。だんだんこの老婆のことが信じられなくなってきた。ああらやだ、と八十吉はメニューをひったくり、別のアルバムを押し付けてくる。今度は歴とした、近所の写真館の名前が金地で書いてあって、見慣れた顔に文島櫻子とある。なんだ、文島の妹じゃないか。ご存知ですか。ご存知も何も友人の妹だよ。小さい頃は一緒になって遊んだものだ。
 実際に文島櫻子とあったのはいつ以来だろうか。高校の時分に文島のところに遊びに行って以来、いや、大学生になって酒を飲んだ挙句駅からの帰りしなに文島を家まで送っていったときだったろうか。どうも判然としない。しかし写真を見ると、どうも文島に似ず随分と可愛らしくなっているなぁと思う。文島の兄は徹頭徹尾一重瞼だったのに。
 残りの三枚は新興の宗教の教組の娘である六十二になる生娘と、中身が十七歳の令嬢だというウサギの着包みの写真と、乃木大将の肖像であったために割愛する。残った相手は文島の妹だけである。昔通りの彼女であれば文烏のようなものでも面白がってくれるに違いない。八十吉を家に返して、文烏とともに夕間暮の往来に出る。文烏は長い尻尾とばたばたさせながら歩く。散歩となると機嫌が良いのだ。夜が来るのを知っているのだろう、この時間になると頭の先からにょっきりと一対の触覚が出てくる。触角の先は光るようになっていて、寄ってきた虫を片っ端から舌で絡め取って捕食する。最近は蝙蝠釣りを覚えたようである。
 蝙蝠釣りというのはちょっとした芸当で、虫のいっぱいついた文烏の舌を頭上に伸ばしてひらひらと待つことしばし、虫の匂いを嗅ぎつけたコウモリがばたばたと舌の方に寄ってくる。やっこさんが射程範囲に入ったが運の尽き、目にも留まらぬ早業で蝙蝠そのものも引っ掛けてしまうという技である。
 馬車の停留場から商店街の場末、布屋の路地を入ると住宅街に入る。文島の家は路地の坂を一町ほど登ったところで、振り返ると商店街を底に、町が谷に出来ているのがわかる。谷底が都会への街道になっていて、往来に沿って商店が立ち並ぶ。文島の家は谷の中腹にあって、自転車では却って難儀する有様だ。
 文島の家の前では彼のお母さんが洗濯物を取り込んでいるところだった。お母さんはこちらの気配に気づいて――といっても、おおよそ文烏が最近気にいって歌っているバリトンボイスのトロイメライのせいだったが、ハッとした顔を見せた。そりゃあそうだろう。見合い写真を送った相手が直接来たんだもの。
「あら、夏目さんの坊ちゃん。お珍しい」屈託のない笑みだ。晴彦と何かお約束ですか。いえ、こいつの散歩のついでに通りかかったまでで。晴彦でしたら帰りが遅くなると思います。今は横濱でしょう。通勤に二時間もかけて通っているのよ。
 何か変だなぁ、と思わなくもなかった。視線を外して文島家の佇まいを眺める。子ども部屋のあった二階の電灯は一つも点いていない。
 あの、差し支えなければ教えていただきたのですが、櫻子さんは今どちらに? あぁ、櫻子でしたら一昨年嫁ぎました。今は碑文谷の弁理士さんと一緒になりましてね。半年ほど前でしたら里帰りして息子を産んでいたんですけれども。
 それはおめでとうございます。知っていたらお祝い差し上げるところでしたが――挨拶もそこそこに街道への坂を降りながら考えた。そういえば櫻子はおろか、晴彦ともここ三年は会っていなかった。きっと忘年会の時だ。いや、年末だというので忘年会という体で二人で飲んだのだった。あの時は「妹が結婚する」みたいな話はしていなかったはずだ。その、弁理士という男とも見合い結婚だったのだろうか。きっとそうに違いない。彼女もたしか、今年で三十になる計算だ。でも弁理士。弁理士?

 熱を出して寝込んだ文烏の看病をしていると八十吉が上がってきて文晁をお買いなさいと云う。買っても良いがそうおいそれと買えるほどの額なのかね、と答えた。いくらくらいしますかね、と返事をくれながら勝手に冷蔵庫を開けている。牛乳はないよ、というと、ではお茶で結構です、と鉄瓶で湯を沸かし始めた。しきりに戸棚をあさっているので訊くと、この前あった甘納豆を探しているという。それならば文烏の頬袋に仕舞ってある。
文烏    サヌキマオ

庭の憂鬱とか断絶
蛮人S

 帰宅してドアを開くと、見覚えのある小さなボールが四個、足元に置かれている。
「あれ」
 ピンポン玉より少し大きな、派手な蛍光色の薬剤を固めたボールは、何かのお供えのように積まれて、チープな芳香を漂わせていた。
「おーい、とぅ
「ああ、お帰りなさい」妻が奥から出てくる。俺はお供えを指差した。
「これさあ、どうしてここに置いてあるの。俺、外に置いといただろう」
「て言うか、どうして防虫剤が庭にあるの。私、片付けたんだよー」
 趾和子は頬を膨らませた。膨れる前に、まず質問に答えて欲しいものだ。あと、それは防虫剤じゃない。
「それ防虫剤じゃないぞ。それは……えっと」何て言うんだっけ、これ。「ほら、あの、トイレの。小の便器の、底とかによく転がってる。匂い消しの、ほらトイレのボールだろ」
「何それ! これって、トイレのやつなの?」
「ひょっとして、女は、これ知らないとか?」
「私、手で触っちゃったじゃない! 汚ねぇー」
「トイレから拾って来るわけないだろ」
「でもトイレのやつでしょ。私、手で触っちゃったじゃないー」
 買ってきた新品だから汚くはないのだ。しかし、それを彼女に納得させるまで約三分の非生産的な時間を費やした。そのあげく、彼女の言葉は、
「て言うか、どうして防臭剤が庭にあるのよ。私片付けたんだよ」
 ループしている。まるで話が進んでいない。
「用があるから置いてたんだよ。分かるだろ。で、どうしてここに持ってきたの」
 趾和子は急に冷静な声で言った。
「トイレのボールは……庭に並べるものじゃないから」
 お前、さっきまで何だか知らなかったじゃないか。
「だから用があったって……」そう言いながらようやく靴を脱ぎ、部屋に入った。上着をハンガーにかける俺に趾和子が言った。
「なんか話が進んでない気もするけど、結局、何の用で置いたの、これ」
 俺は投げやりに答えた。
「猫」
「は?」
「ほら、よく庭に猫が入ってきて、フンとかするだろ、イヤじゃん。臭いし」
 趾和子は呆れ顔を作りながら言った。「えっと、それで……匂い消しを置いたってわけ?」相変わらず、彼女は察しが悪い。
「いや、そういう意味じゃなくって。ほら。まあ、いや、少しはそれもあるけどさ」
 趾和子は、キッチンに戻るとコンロに向かって立ち、味噌汁の鍋を温める青い炎を見つめながら両手の人差し指を立てると、黙って左右の側頭あたりをくるくるとなぞり始めた。
「何してるの」
「こうすると、エスパー能力が高まるの」
 洞察力って事だろうか。高まるも何も、俺は今まで彼女にそんな高度な能力を感じた事など一度もない。居間のテレビでは浜田雅功がキツめのツッコミを入れている。ボケすぎるゲストを相手になおも暴れる浜田を横目に、俺は服を着替えた。趾和子は「ゴハン食べるよね」と言いながら、すでにレンジでオカズを温めていた。
「前さ、お前言ってたろ、庭にハーブ植えてた時は、猫があまり来なかった気がするって」
「そんな事、言ったかな」
「ああ。だから、匂いの強いのを庭に転がしとけば、猫除けにいいかもと思って、置いてみたのに、どうして勝手に回収するかなあ」
「そんなの勝手に置かれても、私に分かるわけないよ。猫だって、何の意味だか分かってないよ絶対」
 言いながら、趾和子は温めた皿からラップを剥がして、テーブルに置いた。今日はお昼にアジの塩焼き定食を食べたのだが、置かれたのはやはりアジの塩焼きだった。「なんか焼き魚にしたいなって思ったの」と得意げに趾和子は言った。そしてホウレン草のお浸しが並んだ。これも昼に食べた気がする。
「別に、猫に意味とか分からなくていいだろ。ただ、匂いを嫌がって避ければ良いと思う」
 趾和子は味噌汁を入れにキッチンに戻りながら言った。
「今日、猫、あのボール転がして遊んでたよ。嬉しげに」
 俺は庭の方にそっと目を逸した。浜田が馬鹿声で大笑いしている。
 別に猫が憎いというわけではない。罪を憎んで猫を憎まず。むしろ俺は猫好きなのだ。特に、あの小さな頭が好いと思う。短い顎の下、狭い額、ぷんと立ち上がった耳、庭に来る猫たちをきゅっと捕まえて、侵入した順に首を刎ね、にゃあとした小さな頭を数珠つなぎにして門柱に掛けてやりたいくらいだ。きっと二度と近寄る馬鹿もいるまい。
「また馬鹿な事を考えてる?」
「……別に」
「ねえ、思うんだけど、猫を無理やり追い出そうとするからいけないんじゃないかな」
「どういう事だ」
「逆に考えましょう。猫がフンをしてもいいさ、って考えるのよ」
「いいわけないだろ」
「どこが良くないと思う?」
「いつ、どこにフンをされるか分からんからな。知らない内にあっちこっちフンが転がってて、匂いは漂ってるのにどこにあるやら分からん。踏んだら地獄だし、芝の中で乾いてたりすると掃除も大変だし、どうして猫はあんな事してくれるんだろう」
「なるほど、色々と大変ですね。そう、そもそも、猫はどうしてあんな事をするんでしょうか。答えは、猫だからですニャ」
 趾和子は、両手で頭の上に猫耳を作りながら言った。俺がキレるかキレないか、スレスレの線だ。
「そこで趾和子さんは考えたんですね。つまり、猫には、トイレが、必要という事なのです」
「何を言ってるんだ?」
「結局、快適なトイレがあれば、誰でもそっちを使うと思うの。だから、庭にトイレを置くのよ。そうすれば、辺り構わずフンをされる心配もないしー、片付けをするのも簡単になるでしょ? ほら、これで問題はぜんぶ解決ね!」
「いや、どうして他所の猫の世話なんかしなきゃいけないんだよ」
「じゃ、猫を飼ってる家は、どうして猫の世話なんかしてるの?」
 俺は目が一瞬泳ぐのを自覚した。
「そりゃ……可愛いからじゃねえの?」
「じゃ、トイレを提供してあげた分くらい、私たちも可愛がらせてもらえば良いかなーって思うのよ」
 俺はそっと彼女から目を逸した。

 明けて土曜日の朝、俺は近所のコンビニで猫の砂を買ってきたのだった。コンビニは地域で需要がありそうなものしか置かないと思うのだが、よほど猫が多いのだろう。とりあえず有り合わせのもので、とダンボール箱を切って浅いトレイを作り、ゴミ袋で包んで中に猫の砂を入れた。まずは、これで様子をみる事とする。
 箱を雨のかからぬ軒下に置いて、俺がふと顔を上げると、ブロック塀の上で茶色の猫が、すでに様子を覗っていた。ニッコリ笑って友達アピールをしたにもかかわらず、猫は一瞬、ぴくりと背を震わせ、塀の向こうへ消えてしまった。
 さて、結論としては効果は有ったと言えた。利用者が居たからだ。庭に転がるフンは少し減った。そして何より、掃除が楽になった事は認めようか。
「最近メルツェデスが、余裕で触らせてくれるの」と趾和子が嬉しげに言う。メルツェデスというのは彼女が勝手に名付けた黒白の猫で、その命名の根拠は知らないが、食べ物で買収したらしい。
 趾和子が何やら遠い目で語るには、トイレを屋根付きにして、数も増やしたいと。行く行くは水飲みや餌台、プレイルームを完備、集会から宴会までサポートする猫リゾートを目指すのだと。
(そんなに猫を集めて、ご近所はどう思う)
 と案ずるも、近所の事は俺には分からない。トイレの砂を掃除しながら、ふと顔を上げると、塀の上に黒白の猫がいた。
「おいで~」
 と呼んでみたが、猫は一瞬、ぴくりと背を震わせ、塀の向こうに消えてしまった。
庭の憂鬱とか断絶    蛮人S

サビタ沢教育所
今月のゲスト:河合裸石

   (上)

 秋も中旬なかば過ぎ、山葡萄の葉が日々に凋落してく頃、サビタ沢簡易教育所の先生がふいと居なくなった。
 平常ふだん釣魚つりきの先生の事だから、また例の毛布けつとを肩に捲いて、谷また谿たにを越えて深くヤマベの沢へでも遠征を試みたのであろうと、初めの二三日は村の人も別段気にも止めなかった。
 然し先生は五日経っても七日経っても帰校かえって来なかった、約三十名ばかりの生徒はかえってそれを喜んで、毎日学校に集まって来ては日の暮れるのも忘れて、大騒ぎを働いて帰って行った。
 学校の前は直ぐヤマベ川の支流に臨んでいて、針一本落としても判るような清い水が、蜿蜒えんえんたる鬼の子やまの裾を縫って流れている川の畔は起伏の多い新開地で焼け残った老樹の切株が所々しょじょに熊の子のように立っている、それを囲んで、蕎麦だの大豆だのが秩序もなく植え付けられていた、何処を眺めても、無趣味な谿間けいかんで、家らしい家は一軒も見当たらない、ただ学校の隣……隣と言っても約三ちょうもある……の虎之丞さんの家だけは、屋根がまさで葺かれていた、虎之丞さんの家の前には旧式の郵便函がブラさげてある、三日に一遍づつこの村から二里西のトコタン村の郵便局から、妙な中折帽をむった集配人がノソノソやって来ては、ポストを開いて去るのであった。
 村田先生は、うした寂しい山家やまがに赴任して来られてから、はや足掛け一年にもなるのだ、村田さんは何でも中学を卒業してから農科大学に入学はいったが、ある事情の為に二年目の春して、それからはただブラブラしていたが、ふと小学校の先生に化けて見たいような気になり、恰度ちようど欠員のあったを幸い、此のサビタ沢に代用教員として舞い込んで来たのであった。それ以来、
『あんでもはあ、こん来なはれた先生様はドエライ学問のある先生だちうにのう』
なごって下さればよいになも』
 と、五十戸にも足らない山口県の移住団体の父兄は、寄るとさわると恁麼こんな話をして、只管ひたすら村田先生に望みをしよくしていた。

   (中)

 先生は学校の教室の隅を仕切った六畳の一室に住居すんでいた、村の人は先生が若いのに唯一人なのを気の毒に思って、折々種々な御馳走を持って来る、秋の夜長の頃にはソット教室の窓を開け、牛の吼えるような声を出して、
『蕎麦が打てたけんにのう』などと言って置いて行くのであった。
 殊に万事につけ親切にして呉れたのは、お隣の家であった、主人の虎之丞はう五十に近く、頭の綺麗に禿げた温順おとなしい人だ、その妻君さいくんは以前左褄ひだりづまを取ったとかいう噂のある能弁な婦人で、二人の中に二十さいになる下膨れの愛らしいお松ちゃんという娘があった、何時もオドケたような廂髪ひさしがみを結っていた。虎さんは村の草分けなので、山や畑を多く持っていて、その上がりを取っている幸福な身の上である、だから是れという仕事もないので、毎日豚やとりの世話などに気を使っていた。松ちゃんは毎晩学校に遊びに来ては、村田さんから文字を教えて貰っていた。初めの程は若い男の処へ、若い女が来るのは良くないからと、村田先生は松ちゃんの父母にも注意をして見たが、成程言った時は二三日、足も停まったが、やがて五七日を経つとまたやって来る、何分なにぶん衣服の洗濯や、食物の世話までも焼いて貰っているので、そうそう八釜やかましく注意もし兼ねるので、それからは、村田さんも黙許していた。
 春と過ぎ、夏と暮れ行くままに、物りの先生、親切な先生、えらい先生との評判は、父兄や児童の間に喧伝された。虎さんの家では、痒い所へ手の届くほど親切の限りを尽して呉れた、山家やまがの人は、
『我が子でも、あんげえにゃ世話が出来ぬもんだにのう』と言い合っていた。
 その頃から、お松ちゃんは時とすると朝早く学校の方から、自宅うちへ帰って来るようなことがあった、寝衣ねまきの上に紅い細紐を締めたダラシのない風姿なりをして――。
 恁麼こんなに親切にして貰っていた、果報者の村田さんが、ふいと居なくなったのだ。
 今日も相変わらず生徒が集まって来て、朝から教室の中で大活劇を演じている、ボールドに楽書らくがきをする、角力すもうをとる、ベビーオルガンを乱奏する、机を転覆ひつくりかえす、喧嘩をする、泣く、わめく、喧々騒々としてほとんど手の付けようもない。蒼ざめた顔に、例のひさしを大きく結った、お松ちゃんは教室の内から外を眺めてキョトンとしている。
『見んさい、餓児がき共がいろう騒いでいるわい』と、馬鈴薯じゃがいもの俵を馬につけて来た、鼻の大きい男が校門に佇んで道連れの女を顧みた。
『まだ先生は帰らんのけえ』
『帰らんちゅう話や、あんでも與太よたの言うがにゃ、もういでしもうた言うけん、来なはらんじゃろうよ』
『あんげえに、良い先生がのう、什麼どうしてんでつら?』
 二人はうした話をしながら、白樺の沢へ去った。何か面白い事件が湧いたものと見えて、ワーという児童の声が、校舎を震わして聴こえた。

   (下)

 農家では収穫とりいれが済んで、楽しい冬のシーズンに入る準備したくがすっかり整頓した。葉をがれた冬木立に囀っているカケスは、折々吹き渡る木枯の音に耳をそばだてるようになった。がくれに銀色の背を見せていたヤマベ川の清流も、此頃はその流域の全部が見えて来て、平素ふだんは緩やかであった流れが、黄色になった虎杖いたどりの葉や熊のたなぞこのようなタランポの葉などを乗せて、せわしげに流れて行くようになった、畑には馬鈴薯じゃがいもを埋蔵して置く小さなピラミットが幾個いくつも出来て、世は争われぬ初冬の色に満ちた、けれども村田先生は未だ帰って来なかった。
 此頃は生徒も騒ぎ疲れたものと見えて、学校に来る足もメッキリ少なくなって、二日に一遍か、三日に一遍ぐらい、尋常六年生は級長がやって来て、下駄を穿いたまま、馬のような長い顔で、教室の中をソソクサと見廻って帰るのみであった。お隣のお松さんは、村田先生が去られてから、約一ヶ月ばかりは毎日学校の境内に見えていたが、その後は什麼どうしたものか姿を見せぬようになった、何でも近所の人の話によると、自分の家にも居らぬと言うことだ。村の人も先生の噂をせぬようになったがただ虎さんの妻君かみさんだけは、
『村田さんも不実な人だわねえ』と訪ねて来る人ごとに、この村唯一の東京弁で噂していた。
 斯くてその年も暮れて、新しい四十四年の春は、恁麼こんな山家やまやにもおとづれて来た、村の人は炉辺ろへんを囲んで、屠蘇を汲み交わしながら、様々な浮世話に花を咲かせた。
『村田先生は何処へんでつら?」
故郷くにへ去なれた言う話もあるがのう、真実ほんまとは受け取れんがや』
『だけんど、先生の所有物ものは学校にゃ何も無い言うけん、真実ほんまやろう』
んでなら去んでもいけんど、手紙の一本ぐらいは寄越してもよかろうにのう』
『手紙は虎さんとこへ来た言う話や』
『そうけえ、什麼どんげえな事が書いであったつら?』
『年始状の端に、ちょっくら書いて来た言うけん、くわしゅうは判らんけんどのう、居られぬ理由わけがあって、済まんけんど無言だまって村を出たちゅう』
『あれ見んさい! やはり此方こつちで察する通り、お松坊のことだんべえや』
 斯麼こんな話をして、山家やまがの人達は松の内を消していた。今日きようう村田さんが見えなくなってから四箇月も経った、先生は帰らぬのかしら?