≪表紙へ

3000字小説バトル

≪3000字小説バトル表紙へ

3000字小説バトル stage3
第32回バトル 作品

参加作品一覧

文字数
1
サヌキマオ
3000
2
夕都
2167
3
蛮人S
3000
4
島屋政一
3389

結果発表

投票結果の発表中です。

※投票の受付は終了しました。

  • QBOOKSでは原則的に作品に校正を加えません。明らかな誤字などが見つかりましても、そのまま掲載しています。ご了承ください。
  • 修正、公開停止依頼など

    QBOOKSインフォデスクのページよりご連絡ください。

コミュニケーション

QSHOBOU掲示板

菠薐
サヌキマオ

 目の前で土鍋が煮えている。こうしてビールを差し出すところは新婚家庭のようだが、場所はバイト先の乙坂ヱデン商会のレジ裏だし、携帯コンロは床に直置きだし、相手は店長である。もっといえば叔父である。レジカウンターの裏は三畳ほどの板の間なので暇な時は寝転がったりコンビニ弁当を食ったり出来るのだが、鍋というのは流石に初めての経験だ。
 建物の二階にある店長の住居から持ってきた土鍋はいかにも時代がついている。「昔さ」店長はなんだかわからない肉の塊を箸で摘んで鍋に沈めている。
「『美味しんぼ』で、鼈屋さんで散々使った土鍋には鼈のエキスが染みているから、ただの米と水を炊くだけで美味しい鼈雑炊が出来る、というのをを見たことがあって」
「あ、これ、鼈なんだ。鼈って美味しいの?」
「食べてみればいいじゃん」店長は鍋の底をかき回すと、あらかじめ突っ込んであった、肉塊のよく煮えたやつを取り出してきた。
「鼈」私は取り皿に置かれた塊をしげしげと眺めた。確かによく見ると、亀のパーツだ。亀の前脚、で思い出すのはEテレか何かの番組で、池の中を必死に泳ぐ亀の様子だ。水の中を泳ぐのに、なんであんなに立派な爪をしているのだろう、と思った記憶と目の前の塊がリンクする。
「やめときます」
「え、だめか、鼈」
「鼈がだめというよりも、亀を食べるというのがちょっと」
「そうか。じゃあ、鶏だ。鶏を食べたまえ」店長は「これは坂の下の業務用スーパーで買った、百グラム五十八円の胸肉だから」と付け加えて鍋の底から肉の塊を引き出した。鼈の肉と違って輪郭がしっかりしているので信用してもいいだろう。
「しめじと水菜もあるし」
 肉と一緒にずるずるとついてきた水菜や菠薐草を一緒にすすり込むと湯気で鼻水が出てくる。ただでさえ寒いのだ。高校には二時間目の途中から出て(移動教室だったのでずっと教室で寝ていた)、午後イチから体育だというのに雪が降って来たので面倒になって学校を出た。家に帰ると面倒なのは目に見えているので、予定にもないのにバイト先に来て現在に至る。夜まで客は一人も来なかった。雪は降り続けた。
「今日は独りでこの鼈をやっつける気だったんで、援軍がいて助かった」
「それはどうも。でも、アタシが食べないと踏んだからこそ『鼈だ』って云わなかったでしょ」
「まぁ、そうか。そうかも」店長は手づかみで菠薐草を鍋に押し込んだ。鍋が沸くまで、と鍋に蓋をする。
 さっきの続きだけど、美味しんぼで観て「うちもやってみよう」って思うじゃん。で、自分の家の鍋でもさんざんやった鍋の味が出るんじゃないか、とか思うじゃん。そうしたら親が止めて。結局やらなかったけど。あれ、素焼きの鍋じゃなきゃだめなんだよね。家庭用の鍋だと鍋そのものには染み込まない――
 鍋が開かないのでアタシは取り皿に残った鍋のつゆを飲んだ。詳しいことはともかく出汁はとてもおいしい。亀のスープだがおいしい。亀の残り湯だと思うことにする。
「この鼈はどこで手に入れてたんすか」
 ああ、駅からの道に幼稚園、あるだろ。あそこの池に三十五年生きた鼈だ。
 またそんな。
「ああ、少なくとも三十五年前には『生存が確認されていた』鼈だな。正確には」
 そういう問題ではなくて。
「それをこの期に及んで、殺したんですか?」
「いや、死んだ、というから引き取ってきた――昨日連絡があったんだよ。園児たちには刺激が強すぎますから、あとでお墓だけ園庭の隅に作っておきます、って」
「いや、そういう話ではなくて」
「だって軽く百キロあるんだぜ? 朝の四時に行ってなんとか軽に積んで持ってきた」
 だからどんどん食べないと、と店長が鍋の蓋を開ける。蓋を持ち上げるほど入っていた菠薐草がすっかり熱で縮んで、くつくつと煮えている。
「鼈本体がだめならスープといっしょ菠薐草をお上がりよ。菠薐草なら低カロリーだしワンサとある」
 そういえばここ最近葉物野菜を食べていない。母親に買い物を頼まれて白菜を四分の一買って帰ると「この高いときに」と詰られた。
「あの」
「ん?」
「やっぱりなんでもないっす」
「いや、察した。この菠薐草にも何らかの曰く因縁があるのか、という話だろ?」
「……話だろ、ということは何かあるんすね?」
「いや、ないことにしたほうが食べやすいのであれば、ないことにしておいたほうがいい」
 ううう。
「……少なくとも食べられる、ということを前提で」
「うん」
「なにかあるんなら聞いておきましょう」
「因縁も何も、そこの幼稚園が呉れたんだよ。引取料みたいなもんだ」
「へぇ」
「裏庭に結構な畑があってね、園児たちに色々植えさせてるんだよ」
「あ、じゃあこれは園児が育ててるやつですか」
「おかしいでしょ」
 おかしいと思わない? と店長が言い直した。
「この冬の最中に、これだけの量の菠薐草をポンと呉れる」
「あ」
 そういえば外は雪であった。
「園長の先代――私立だからね。園長の先代が今の園長のお母さんで、先々代が園長のお母さんの旦那さん、つまり、今の園長のお父さんだ」
「文字にするとややこしいけど、園長(男)がいなくなって、奥さんが継いで、娘が継いだってことっすね」
「そう。そのお父さんが死んだときに、奥さんであるところの先代園長が遺骨を畑に撒いた」
「は?」
「その結果、菠薐草はすくすくと育ち、それはそれは根本の真っ赤な菠薐草が育った」
「……これ?」
 いや、違和感があるなぁとは思ってたんですよ? そうか、真っ赤なんだ、茎が。
「それから数十年、菠薐草は毎年毎年園児の家庭に惜しみなく配られている――事情を知っている家庭は断るところもあっただろうが、恐るべきことに、夏が来て冬になっても一向枯れる様子がない――と。ここまで説明すればいいか?」
 急に口の中に残っていた植物の筋に舌を絡み捕られたような気がする。頬の下から湧き上がってくる不快感に味のする唾がこみ上げてくる。
「ただ、菠薐草の品質に関して言えば、当店の保証をもって安全であると言える――そもそも先代が幼稚園から相談を受けていなければ、そんな私立幼稚園とうちの間になんか関係が出来るわけ、ないでしょ?」
 それもそう……そうなのか?
「だいたい動物というのはそういうもんだ。口に入れたものに少しでも不安があれば不味くなるし、欲も失せる。菠薐草だって、亡くなった園長が善意で菠薐草をすごくしていると思ったほうが功徳になろうってもんだよ」
 どっかで折り合いをつけたほうが色々楽しめる、と店長は鼈の肉を追加で鍋に入れ始めた。
 結局雪が止まなかったのでその日は店に泊まり、翌日は珍しく早朝から目が覚めたので学校に行く気になった。店から駅に向かう間に件の幼稚園がある。園の入り口では自転車で連れられてきた園児たちが三々五々活動を始めようとしているところだ。鼈がいたという池は見えないが、園舎の裏だろうか。
 あんまり柵の向こうを凝視しているのも怪しまれるので駅に向かおうとすると「おはようございます」と声を掛けられた。雪かきのスコップを持ったおじさんだ。園の周りを掃除しているのだろう、用務服にコートを着たその姿はがっちりとしていて、背はアタシより低い。反射的に「はざーす」と返事をして立ち去ったが、背後から「昨晩はありがとうございました」と聞こえた気がする。ぎくりとして振り向いたが、あれだけの巨体が一瞬の間にすっかり消え失せていた。
菠薐    サヌキマオ

ロシアンルーレット
夕都

港の外れにある廃工場…
剥き出しになったトタン屋根の隙間からは、夜深い闇のなかにポツポツと星が見えた。何の星座かなんて知りもしないが。


座り心地の悪いおんぼろのソファの対面には、こちらを見て口角をあげてニヤリと笑うもう一人がいる。何時もは見たことがないのにサングラスなんてかけている。濃紺にストライプのスーツ。見たこともないぐらい今の相手はおしゃれだ。気がつかなかっただけで案外美形だったのかもしれない。

「目は覚めましたか?」とニヤリ笑いのまま問われた。
此方は途切れる前の記憶をボンヤリ思いだし、精一杯の不機嫌な顔で「お陰さまで」と応えた。

飲み会の途中で意識をなくした。
お酒は強い方だし、特別疲れてもいない。
酔いが回ったんじゃない、あれは何か特別なもので眠らされたんじゃないか。

手足は縛られず自由だったので、目の前の机をダン!と叩いて抗議した。

机の上にはアタッシュケースが広げられていて、丁寧に同じような無機物が幾つか納められている。

「暴発してしまうかもですよ?」
「もうこうなりゃどうでもいいわ」

小型拳銃が並べられていた。
微妙に型が違っていて、妙に凝っている。


「是非、アナタにロシアンルーレットのお誘いを申し込みたくて、手荒な真似をしてしまいました」
すみません、と頭を下げる様は、悪役らしくない。

「…ロシアンルーレット?」
「はい、趣味なんですよ!」

サングラスの奥の笑顔が輝く。
目立つタイプの存在ではなかったので、こんな笑顔も出来るのかと初めて知った。


「当方が気に入った方を時折御招待してるんですよ」
向こうに一番近い拳銃を、あちらは取り出した。
シルバーで小さな、おもちゃみたいだ。


腕を上げて銃口を天空に向ける。
「いきますよ」
カチカチカチカチ…
「バァン!!!」


何の準備もしてなかった鼓膜が正常ではないことが分かった。あちらの声が聞こえづらい。途端に冷や汗がつーっと流れる。流石にパニックで頭が混戦だ。


「…ということで、各一発しかこめていませんが、実弾が入っていますので、逃げたりしたら撃ちます」

使い終えたシルバー拳銃を横に置いて、私に向き直った。

「これを、私とあなたで、やるの?」
「はい、ワンゲームで構いませんので」

本当に何とも思ってなかった存在。
顔を合わせても挨拶ぐらいで。
今回の飲み会だって、たまたま誘った…はず。


にんまりと、笑うこの人を。

「銃はそちらが好きなものを選んで下さい。その銃をかわりばんこで撃っていく。どの銃も全6発ですので、そのうち1つをランダムに入れています。」


ああ、死ぬのかあ。
腕時計はあと数分で日付が変わる頃。
よりにもよってこんな日に。
泣くより変な笑いが出てしまった。

「何か、面白いことでも?」
キョトンと首を傾げる向こう側。
「非日常すぎて笑えてきた」
「はは、怖がらせているのに笑われているとは」
あ、やっぱり美形だ。何で普段隠してるんだろこの笑顔とか。

「死んだら綺麗に処理して貰えるの?」
「はい、死体とこちらの証拠に関しては」
「しっかりしてるのね」
また、笑ってしまう。死の瀬戸際なのに。

さて、ならばさっさと終わらせよう。
逃げられないのだから。
こんな日なのだから。

右奥にあった拳銃が、昔好きだった刑事ドラマのものに似ていて、それにした。

安全装置は向こうが外してくれて渡してくれた。

ソファに座り直して、こめかみに銃口を当てて、深く息を吸う。
止めて、ぐっと言いながら引き金を引く。
空振りだった。

「そんなに力まなくても…笑ってしまいました」
ひー、とお腹を抱えながら私からあちらに銃が渡り、
「カチン」銃口を眉間につけてさっさと引き金を引いてしまった。


ぽかん、としていると
「そちらの顔も魅力的ですね、ふふふっ」
と、また銃が戻ってきた。


カーッ。恥ずかしい気持ちが足先から頭のてっぺんまで昇ってきた。
これは、人を殺す道具。
でも、もう恥ずかしさとバカにされてる気分と恐怖とその他諸々で、勢いよく引き金を引いた。


パン…っ!
あ、終わった。と思った。
…思った?


銃口からは紙吹雪。そしてパステルカラーのフラッグ。そーっと開いてみると


「誕生日おめでとう」

「すみません、自分人間関係とかよく分からないものでして」

美形がちょっと見慣れた顔になる。

「た、誕生日当日は二人きりで言いたかったんで」

ちょうど0時過ぎ。
当方が気に入った人を招待する、と言っていたか。

「こんな犯罪的なのはよくないよ」
銃を握りしめ、此方はあちらの顔を見つめる。
「…ごめんなさい」
「うん、許す」


「…え?」
崩れかけの美形がすっとんきょうな声になる。

銃を構え、メッセージを横に広げて脅してみる。

「伝わったけど、直接言ってもらってないぞ」
誕生日おめでとう。誕生日、休みなので昨日は飲み会で祝ってもらったのだ。拐われたが。

3秒経って真っ赤になり口をパクパクさせている。
金魚みたい。
「お誕生日…おめでとう…ございます…」
言えました、と下を向いた。さっきまでと同一人物か?

今度はしっかり銃を構える。実弾のない後日談。
「君は、気に入った人を招待すると言っていたな!」
「は、はい!」
両手を挙げている。形勢逆転しているが何度も言おう、向こうが言うとおりならば、拳銃は空だ。


「…私の事が、好きなのか?」
今度はこちらがニヤリと笑ってみた。
引き金をキリキリ引いてみる。
引き終わる前に、答えは聞けるのだろうか。
ロシアンルーレット    夕都

欠損
蛮人S

 土曜の午前、いつもの床屋へまた足を運んでみた。
 先週までと同様、店は営業していないようにも見えたが、窓のカーテンは開かれていた。今日は人が来てるのかと思いつつ、入り口ドアの硝子越しにそっと中の様子を窺った。
 店内は、すっかり時間を止めていた。国道沿いにある店舗は、田舎とはいえ、日中はそれなりに車の通う喧騒のうちにあったが、店はただ、窓から差し込む光の中で、静かに時間を終えていた。鏡に向かって据えられていた理容椅子は、今や少し斜めに場所をずらして、横を向いている。洗面台は店の壁面にまだそのままであったが、並んでいたシャンプーや整髪料のビンはなく、ただ汚れたタオルか雑巾かが投げ出されているのが見えた。段ボール箱や、大きなゴミ袋が、五つ、六つ、床に置かれて、中には雑多なものが雑然と詰められているのが窺える。それにしても、何の音も聞こえない。左に視線を移すと、いつも順番を待ちながら漫画を読んでいた革張り風のソファーには、やはり幾つかのダンボール箱が載っている。本棚はない。入り口脇に置かれていたレジが、テーブルの上にあった。電源のコードが、力なく床に垂れている。開かれたままのドロアーの上に、口を縛った小さなビニールの袋が二つ載っていて、それぞれ一円玉、五円玉と分けて入っているようだった。
 ああ、もう駄目なのだ、と知った。
 諦めて帰ろうとした時、レジの置いてあったカウンターの奥に、店主の座っている事に初めて気付いた。店主はこちらに横顔を見せたまま、膝の上に置かれた小袋から何かをつまみ出しては口へ運んでいた。砕いたチキンラーメンだった。右手にはアルミ缶を持っている。気配に気づいたのか、店主は緩慢にこちらを向き、私の顔を見ると微かに笑って、会釈をした。ここで初めて彼の顔は、私の見知った店主の顔と一致したような気がした。店主は缶とラーメンの袋をカウンターに置くと、苦労しながら立ち上がり、戸口の方へと回って来た。私はもう、そのまま帰りたかったのであるが、いまさら店主を無視して立ち去るわけにも行かなかった。ドアを開いて中に入り、黙って会釈を返した。ドアを閉めると、店内は途端に静寂に呑まれ、時々走り去る車の音の漏れ入る以外、何も聴こえない。リノリウムの床に鳴る足音が、妙に響く。ふと、壁に掛かっているテレビの方を見たが、そこには吊り棚しかなかった。顔を戻すと、店主も私の視線を追っていたように壁を見ていたが、すぐこちらへ向き直って言った。
「ああ、どうも……すいませんね……せっかく来ていただいたのに、こんな有様で……」
「店、お閉めになるんですねえ」
「ええ、腰がね、もう……駄目なんでね」
 店主が腰を傷めている事は従前より知っていた。ここ半年ほどは立っているのが辛いらしく、私の髪を切っている最中もしばしば高い椅子に腰掛けていた。
「すっかり、もうね……」と店主は笑った。
「そうですか」
 そう言って、そこから何と続けたものか分からず、私はついと目を反らすと、そのまま改めて店内を見廻したが、だから何だと言うべき言葉もなく、窓の外へと視線を流した。店の外には何かの木が、白い花をつけている。
「あれね、◯◯◯◯ウメだけど、あれも抜かなきゃいけないんだ」尋ねもしないのに、店主は答えた。「今年に限って、よく咲いてるんだよね」
「……残念ですね」
 答えて再び店内に視線を戻す。店主も、その先を見る。まるで私の見る方向を追う事で、そこに何かを求めているかのようだった。いっそう居たたまれぬ思いがした。
「……一人で片付けてるんだけどね、なかなか進まなくって」
 ここ十年ほどのうちに何回、何十回と訪れたにもかかわらず、私はこの初老の店主の名前も知らなかった。
「……ここは引き払うんだけどね、なんとか、食っていかなきゃ……」
 店主は独り言のように語り続けた。もはや店も無いのに、その語り口は、私の髪を切っていた時とあまり変わらなかった。私が話嫌いなのを意識していたのだろうか、店主はいつも熱のない口調で、ハサミを動かしながら、ラジオの遠い放送のように、勝手に話しては静かになり、黙ってはまたどうでも良い事を訥訥と話し始める。そして私は堪らなく眠くなっていくのが常だった。
「……駄目なんだよね」
 と、店主は笑った。私にはどうしようも出来ない。

 電動バリカンを買おうと思った。この十年ばかり、あの床屋で髪を切ってもらっていたのは、当然ながら、他に性に合う店が近所に無いからだ。今さら新しい店を捜し回るよりは、いっそ家で好きな時に自分で刈ってしまえと、そう思えた。ネットで調べると、◯社の製品が手頃な値段で、綺麗に仕上がると評価も高い。電話が鳴り、妻が出た。実家からのようだ。先週、父親の具合が悪いという事で、飛行機に乗って三日ほど帰って、こちらへ戻ったばかりである。私がネットショップで各社のバリカンを比較している間、妻は、おそらくは彼女の妹たちと、父親に関する、長い、不穏な会話を続けていた。
 受話器を置いた妻は、キッチンへ向うと、黙って換気扇のスイッチを入れ、煙草に火を点けた。私も隣に立って、煙草を取り出した。
「膵臓ガン、なんやて」と、唐突に妻は言った。「余命一ヶ月なん」
「一ヶ月って……早すぎるでしょ」
「そういうもんなんじゃと、膵臓ガンは」
 妻は横を向いたまま言った。
「こないだ帰った時はな、まだ、歩きよったり、ご飯食べよったにな、急激に悪うなってしもてな、ほなけんな、私、いったんまた徳島へ帰ってみる事にするわ。ごめんな」
 妻は淡々と、一気に説明すると、煙草をふかした。煙が換気扇に吸い込まれていく。
「わかった」
 私は答えると、結局煙草には火を点けないまま、その場を離れた。さしあたって私のやるべき事と言えば、電動バリカンの購入なのだった。陽の少し傾いた頃、私は自転車に乗って、駅前近くにある広く閑散とした電器店へと向かった。求めていたバリカンはすぐに見つかった。ネットに比べれば決して最安ではなかったが、ポイントを含めれば割安な方と言えた。ついでに携帯のカタログを貰ってきた。妻は電話を持ち歩かない人間だったが、こういう状況では必要になる場面もあろうかと思われた。考えた結果、娘の持っている古い携帯を新しいものに替えてやり、妻には古い方を持たせるのが良かろうと結論する。きっと娘も喜ぶことだろう。明日の日曜日は、家族でショッピングモールへ行こう。妻も帰省の準備として、服と靴を買いたいと言っていた。

 その夜、私は一人で酒を呑みながら、バリカンで髪を刈った。畳に広げた新聞紙の上に、上半身裸になって胡座をかく。刈り高さをセットし、スイッチを入れるとバリカンはぶうんと唸り出す。伸びたサイドの髪へとバリカンを差し入れるたび、刈られた毛が心地よく新聞紙に落ちていった。
 三十分以上もかけてさっぱりと刈り終わり、改めて鏡で確認する。初めてなのでうまく行かない部分もあったが、概ね良好な結果と思えた。床屋の仕上がりには及ぶまいが、そんなに悪くもなかろう。襟足の方はよく見えないので様子が分からない。手でそっとなぞり上げると、短い毛の感触を通して、いびつな地肌の凹凸が指先に感じられた。店主が、櫛とハサミで執拗なまでに仕上げていたところである。
 酒を一口呑み、肩や背中に落ちた毛を払う。
 妻は静かに風呂に入っている。
欠損    蛮人S

現代的日本語
今月のゲスト:島屋政一

 おい佐藤、君ボーナスがどっさりあったと見え、近来すっかりブル的だね。
 おや誰かと思えば白石君か、これは失敬! ブル的って君のことじゃないか。ボルサリノを被ったり、なんだベルメル喫ったり、全く贅沢だね、おれは相も変らず例のプロさ。
 君久し振りだ、シエターにでも行こうか、サッパーは済んだか。
 もうやったがね、どこだ一体行き先は……、うム、あすこか、デモ俳優、すこぶる拙いオーケストラ、不調和なフートライト。オーライと云いたいが僕一寸ちよつと御免をこおむろう、近頃マチネーを見つけたせいか、夜間はモひとつだねー。
 はハァ、君は近来マチネーばかしと見えるね。
 いや、限った事はないがマチネー、ぺエジーエントなんか見馴れると、夜間はネー君。
 時に君の社ではウォークメンがサボタージュやったとかで、ロックアウトを喰ったと云うじゃないか、今朝のニュースで知ったよ、形勢はどうかね。
 うム、あれか、ありゃ誤報だよ、おれの社ほど、デモクラシーな社はないよ、サボやストライキなど薬にしたくもないよ。
 なる程、セーフチーファストの方だな。
 そうとも、テーラーシステムで、エフイシェンシーの上がる社だ、その心配は更にないよ。
 然し君行かないか。
 同行したいが失敬するよ、実はこれからダンスに行くところなんだ、練習日だよ。
 そうか、ダンスをやってるか、どこでやって居るんだ。
 イムペリアルホテルだよ。
 大分上達したかね。
 なァに、まだツーステップにかかったところだ、せめてワルツを早く覚えたいなァ。
 何でもないさ、パブロワのトーダンスを思えば。
 兎に角、カフェチェーにでもつき合い給え、よいとこへ案内するよ。
 ではおごって貰おう……(両人とあるカフェチェーに入る)
 おィ、どうだ、くだらないレストランよりいィだろう。
 なる程ねー。
 コクテールでもやるかね。
 僕は実はこの頃ドライなんだ……(一寸考えて)しかし何もつき合いだ、いィともいィとも。
 居るよ君、向こうに七三が。
 うム、あの耳隠しか、ありゃ何ものだ? タイピストにしちゃ、もの過ぎるし、ビリヤードのゲーム取りには勿体ないし、とにかく素敵なビューだね。
 ありゃ、オペレットのアクトレスさ、フェスも好いが、スタイルが馬鹿にいィだろう、しかしね、あんな奴に限ってネオマルサシズムだよ。
 はハァー、サンガー党と云うところだね。
 時に、話が変わるが、クーリッジはなかなかやるね。
 やるとも、アイ・ダブリュ・ダブリュの本家本元だ、まごまごしていた日にゃ困ってしまうからね、英国ではシンフェーンに手を焼いているが、伊太利のファッシストと来た日にゃ非常の勢力だね。
 そうとも、日本で云えば国粋会だ、大いに頼もしいねー、ムッソリーニも時々党員のごたごたには困る場合があるらしいが、アナーキズムでないだけ始末がよいよ、ダヌンチオも大いに喜んで居るだろうよ、ソビエットのレーニン見給え、近来さっぱり振るわないじゃないか、こうなると反マルキシズムも考えものだよ、ミリタリズムに限るってな論者が露国のポルシェビーキの中にも現れたんだから面黒いじゃないか……
(この時隣のテーブルより一老人声をかける)
 白石さん、これはお珍しい所で。
 やァ、先生で御座いますか、誠にこれは失礼いたしました。
 いャいャ、あなた方お若いだけに、なかなかの御気焔ですな、要するに、世界の建て替えは迫って居りますぞよ、お筆先のお力で鎮魂帰神が是非必要でありますぞよ……
 おいおい白石、あの髯いったい誰だ。
 シッー、例の大本教さ。
 面白くもない、早く出ようよ。
 先生一寸お先き失礼いたします、連れがありますから。
 おや、そうですか、お父様によろしく申して下さい、何れそのうち一度お伺いは致しますが……
(二人街頭に出る)
 白石、来たよ来たよ、ローマンスのヒロインが。
 うムあれか、社会面を賑わした、三角関係。
 そうだよ、自由恋愛高唱者の英子様だ、ハッハァハ……
 佐藤さん、どちらへ。
 おや英子さんですか、これはこれはお母さん、久しくご無沙汰致しました、御壮健でお目出とう……英子さんどちらへ。
 あたし神楽坂まで、あなたは。
 僕もその方角です。
 あらそう、では御一緒に参りましょうね、此の間は御本を拝借して有り難う、もう読んでしまったわ、キップリング、もう少々時遅れよ、モーパッサンは却々なかなか面白いわ、ゾラのは長くてあきあきしましたわ、アインスタイン却々難しくて首ひねったわ、バートランドラッセルは全く現代的だわね、気に入ったわ、あたし今度エレンケーのもの何か見たいわ、あなた持っていらっしゃらないこと! あったらまた貸して頂戴ね。
 いィですとも、エレンケー、最近ものではトーマス・ハーデイその他いろいろお目にかけましょう、僕も大分読みました、いろんなのがありますよ。ローレンスのアーロンスロッドかイフウインターカムスかが英子さんには面白いでしょう。
 そう、是非ね。
 時にこれは僕の親友白石君です。アーチスト中のオーソリチーです、どうぞ僕同様にフレンドシップを願いますよ。
 あらマ、そう! 初めまして……私、山田英子です。(と小さい横文字の名刺を出す)白石さん、どうかよろしく、アトリエはどちらでございます、はハァー………で御座いますか、閑静で、いィ所ですわね! あたしあなたのマスターピース拝見したいわ、ヒューチュリズム? あァ、ポストインプレッショニストでいらっしゃるの、あたし後期印象派大好きですよ。
 いや、ほんのホビーにやってるんですから、お目にかけるようなものはありませんよ、しかし、是非お遊びにいらっしゃい、ソプラノーでも拝聴しましょうか。
(今度は英子、佐藤の方に向かって)
 佐藤さん、一昨日はオートバイでどちらへ行らっしたの、また例のスポーツなの?
 いや、この頃はゴルフですよ。
 まァ、ゴルフ? 運動は何でもおやりね、だから男性的肉体美をますます発揮するのね。でもよくエネルギーが続くことね。
 英子さんはあの時どちらにいらっしたの、コダック御携帯で。
 あらいや、コダックじゃなくってよ、あれはオペラバッグよ。
 そうですか、しかし英子さんフォトなかなかお上手ですね、今度アルバムを拝見しましょう。
 なァに、ホンのアマチュアよ、アルバムに挿すなんてのは、ほんとに出来やしないわ。
 でも先日のシスターがオバースエッターでベランダに立ってる処などエキスパート跣足の出来栄えじゃないですか。
 あれ全くまぐれ当たりよ。ほんとにフォトなんて気分ものね……(この時神楽坂へ来て、英子はふと気付いたように)お二方さようなら、ここで失礼します。
 あァー、もうお別れですか。
 あたしムービイに行くのよ、母が大変なファンなの、いつも一緒に行くのよ……ではグードナイト。(二人に握手する)

 佐藤君、英子ってあの女かい?
 うム、どうだい、アップツーデートの女だろう、あれでピアニスト兼ヴァイオリニストなんだよ。
 しかし、いやにセンチメンタルな所があるが、エキゾチックな点が面白いね。彼女のアドレスは?
 田町のナンバエイトだよ、ほら、角に大きなショーウインドーのある横丁だよ、彼奴あいつピアニストとして、なかなかプロパガンダがうまいから、パトロン沢山で、恐ろしい贅沢な暮らしをしている、たった母子二人でね。

 英子、今の方だれ?
 御友達の佐藤さんなのよ。
 サトウさんって何処の?
 いつもお噂してるでしょう、ほら赤城下の!
 おやまァ、あの方日本人? 話し振りが余り変なので日本語を少し知ってる異人さんかと思いましたよ。
 お母さんいやですよ、あれ皆日本語よ。
 あれがかい、わたしにはちっとも判らなかった、何と云う日本語なの?
 母さん、そんなことを仰って、人に笑われますよ、困っちまうわねー。あたし人に恥ずかしいわ、まだあの方など古い部類よ、あたしのほんとのお友達なんか、もっと新しい言葉を使うわ……
 母は不思議そうな、そして一種いうに言われぬ面持ちで、我が子の顔を覗き込んだ、地震以来小屋掛けのことをバラックと云い、可愛い子供を殺すことをアマカスと云うのだと、やっと聞き覚えたくらいのこの母は、今この若い男女の会話を側で聞いていて、殆どうんざりしてしまったのだ、そしてなんだか恐怖に襲われたかのような表情で、ただとぼんやりと娘について行くのであった。
Content-type: text/html