≪表紙へ

3000字小説バトル

≪3000字小説バトル表紙へ

3000字小説バトル stage3
第35回バトル 作品

参加作品一覧

文字数
1
サヌキマオ
3000
2
石川順一
3000
3
蛮人S
3000
4
国木田独歩
2424

結果発表

投票結果の発表中です。

※投票の受付は終了しました。

  • QBOOKSでは原則的に作品に校正を加えません。明らかな誤字などが見つかりましても、そのまま掲載しています。ご了承ください。
  • 修正、公開停止依頼など

    QBOOKSインフォデスクのページよりご連絡ください。

コミュニケーション

QSHOBOU掲示板

ハミルトンの鯨――柿
サヌキマオ

 地下牢への扉が開いている。柿はため息をついて台所の方に歩いていった。きっと燭台を取りに行くのだろう。
 扉の向こう、石段を降りるとかつては広い地下牢があった。かつて、というのは、いまはないということだ。一世紀も前に目地の古びたところから地下水が流れ込んできて、段を降りたところからすっかり水に浸かっている。今となっては地下水洞とでも呼んだほうがふさわしかろう。地下牢! ここが乃公の住処だ。なんせ、乃公の元の体はまだこの水底に沈んでいるのだから。石と石の間から噴き出した水に溺れ死んでも、罪人を救う法なぞあるわけがないのだ。
 あれから百年以上も経った。ずいぶん昔は歴史の勉強もしたのだが、栄枯盛衰をまさにこの目で見ることになることになろうとは思わなんだ。ハミルトン家、かつてはこのあたりを治めていた公爵であるが、我々を牢に繋いだポラール九世からダーゼン一世、甥に家督が移ってパイルズ公。パイルズ公というのは非常によく出来た人で、司祭を呼んで慰霊の祭事をしてくれた。これで乃公と同じように牢につながれたままで溺れ死んだ連中の大半は天に召されていった。当人たちにゃわかりっこないだろうが、ここに残ったものも含め、みんなパイルズの旦那にゃ感謝しているんだ。だが、人が良すぎた。やつらが水底の事情を知らないのと同様に、俺達も外の世界の移り変わりなんぞわかりゃあしないんだ。ただ、あれだけ城を飾っていた調度や絵画が少しずつ、少しずつ運び出されていくのは知っている。引っ越しにしては悠長だし、風化にしては早すぎる。
 柿が燭台を持って帰ってきた。どういうわけか女は「persimmon」と呼ばれている。本名だとも思えないから、きっと偽名か何かだと思う。名前には似つかないほっそりとした体つきをしている。骸骨というよりも「こうもり傘」といった風情。この館にはパイルズの孫――三世とその奥方、お姫様に件の柿、それにコックのマッソが出入りしている。マッソは館付きのコックだったが、給金の出ないのに困って山の下に料理屋を作ってしまったそうだ。朝昼晩と山の下から料理を運んでくるだけだから、元・住人というのが正しいだろう。
 柿は地下牢の扉を開けて石段をおりていく。明らかに人の体に悪い発酵臭が渦巻いていて、降りた先にはうずくまった姫様の小さな背中が見える。蝋燭に照らされて、ただでさえ透けるような白い肌と金髪が輝いて揺らめく。髪の先は地面についている。背中の先には波風立たぬ水面が広がっていて、静謐な闇をたたえている。
「またいつにも増して間の悪いところでやってくるわね」
「それは失礼いたしました」
「ちょうど鯨の息が聞こえたのよ」
「それは悪うございました。お食事の準備ができましたので、いい加減に着替えてください」
「ここは暖かいわ。ここで食べたい」
「それはいけません」
「どうして」
「いつも申します通り、ここは空気が悪うございます。地下牢で、罪人が繋がれていたところですし」
「そんなことはないわ。いつも言う通り、お祖父様が慰霊の儀式をなさったんですもの。邪なものなど居ようはずがないわ」
 そのとおりだ、と思う。邪なものなど居ようはずがないのだ。この乃公も邪であるがない。そもそも、百二十年も経ったのだもの。
 どうでもいいのだ、冤罪だろうが腹いせだろうが。ただ、自分たちのようなものを気にかけてくれる領主がいたというだけでも救われる気がする。
「パーシモン」
「はい」
「鯨はまだやってこないけれど」
「この部屋にはまだ三人の魂が残っているわ。どれもずっと前からここにいて、私達をずっと見ている」
「相変わらず大したもんだね」
 強い圧を感じたと思ったらマアサの野郎だ。いや、野郎ではない。ババアだ。あの当時から領内で万引と食い逃げを繰り返したババアとして有名だったが、乃公と同じように溺れ死んだ。
「ま、なんかしらは感じるんだろうな」
「姫様はいいスリになれるよ」太りに太った顎を震わせてマアサは相好を崩した。「盗れる、とピンときたものは、盗れる。あとは迷わないだけさ」
 マアサは九十二になるまで窃盗の達人として第一線で活躍していたが、逃げ出すときにしたたか転んで、そのまま寝たきりで牢に入っていた。
「じゃあ、鯨ってぇのは本当だろうかね」
「おそらくはね。たが、あの子は鯨なんか、見たことがあるんだろうかね?」
「あー、それについては元ネタがある。図書館の博物誌に鯨の挿絵がある。見てくるといい」
 面倒なやつが来た。セルバンデスというカイゼル髭の堅物のっぽだ。中世の頃からこの城を守護してきたと言い張るのだが、どうも疑わしい。
「そうだろう? 『なにか』は見えているんだ。だが、おそらくは鯨じゃないだろうよ」
「なにか」という比喩がお気に召さないのかよく分からないのか、セルバンデスはきょとんとしている。
「わからねぇかな、姫様の見ているなんだか分からないデカブツはこの地下にでも埋まってるんだ。それがなんだかわからないから、お姫様は『鯨』と言い表したんだ」
「鯨はね」
 ふいに姫の声が聞こえて魂消かけた。食事を終えて二人で戻ってきたのだ。
「ここにきて、救ってくれるのよ。私と、パーシモンを」
「救うって、なにから、どうやってです?」
「ここから逃げ出すの」姫さまは水底を凝視しているのだろうが、どうしても我々三人をじっと見つめている気がする。「鯨に飲まれて、ここから逃げ出すの。それで、鯨の潮に噴かれて――ねぇ、知ってる? 鯨って頭の上に鼻があるのよ? それで口から入ったものを空中に噴き出すの。ぴゅーっ、て。きっと吹き出された先は南の海で、わたしたちはそこにある寄宿舎から学校に通うのよ」
「ご立派」思わず感想を漏らしたマアサを乃公は肘で打つ。
「そんな姫様、逃げ出すだなんて。旦那様も奥様も悲しまれますわ」
「わたしはすでに悲しんでいるのよ」抑揚のない声だった。大事にしていたランプも、ステンドガラスも、ナルキッソスの絵もみんな持って行かれちゃった。私たちもどこかに持って行かれちゃえばいいのよ。
「姫様」
「いや、持って行かれるのよ。だってそうだもん。ここ数日、ようやく鯨が私のことを見つけてくれたみたい。来る。きっと来る」
 乃公はひやりとしたものを感じで振り返った。動くものなど無いはずの水面がざわざわと揺れている。
「姫様」
 パーシモンは言葉を選んでいるふうだった。
「旦那様も奥様も、もうじき帰ってまいります」
「具体的には」
「――十日後です。四月八日」
「この前は二月十日に帰ると言って三月になったわね」
「姫様のお食事にもお金が要るのです」
「だったらなおのこと、私たちがいなくなってしまえば誰も苦労しなくていいじゃない」
「そうでしょうか」
「そうかもねぇ」
 マアサが大きく頷いた。「私もこども時分に、口減らしで捨てられたクチさ」
「けしからんね」セルバンデスもいつもの通りだ。「なんもかんも政治が悪い。貴族としての挟持を踏みにじる政治が悪い。ああ悪い」
「四月八日かぁ」姫様は水面に指をつけて、温度でも計っているふうだ。「あと四日早ければね。四日早ければ、間に合ったのに」
「一体なんなんです? お嬢様」柿は姫様の肩に両手をやった。「四月四日、なにがあるんですか」
「鯨が来るのよ」姫様はわざと抑揚なく言っているようだった。「やっと来るの。それでみんなおしまい。みんな楽になるわ」
ハミルトンの鯨――柿    サヌキマオ

私の日記そして詩作したくなる(詩作の後は古今和歌集暗唱)
石川順一

2010年4月9日(金)。いきなり短歌で始まって居る。「口語調テレビわね」
O テレビはねしょせん中継地点だと開き直って見るのも一法
O 脳内の脳波がすかさず探知され丁度今其処読み終わったでしょう
2009年7月5日(日)。昨夜(7月4日?)夕食までは鰺のたたきが続いて居たので
O 焼きアジか刺身と思ふ勘違ひ
一昨日金曜日(7月3日の事か)残し、今朝(7月5日)だしまき卵焼き二つに茄子の味噌汁
O 茄子残し結局食べる味噌汁で
一昨日(再び7月3日の事か)金曜日。
O 雨の日に面接に行く近くまで
 ここ三日ほど部屋のラジカセ二台のコンセントプラグを抜きFM放送を聞いて居なかった。先週来、短波でFMをぽつぽつと聞いて居た程度が、久しぶりに母が掃除して居る間にプラグをコンセントに差し込み。CDラジカセは時計表示、付けるたび12:00からスタートするので
Oでたらめな時計表示を灯(とも)したり
 やはり寝られないと思ったら深夜1時頃寝ても寝られないものだ。面接の夜の様に(7月3日)3時近くまで粘ればすんなり眠れ土曜日(7月4日)は7時前後に目覚め。アーチレリー?を食らう事もなかりしものを
O眠れないいや眠らない覚悟する・・

ここまで書いて、私は自作詩を詩作したくなった。
「バオバブの木を見て居ると それは星の王子様的気分では無くて 小型飛行機しか思い浮かばなくて 逼塞する 自我の弱みが微かに感じられる A4の紙500枚の束5つの内 ついに4束使い切って5月29日より最後の1束を使い始める 事実と幻想の間に自分の自我を置けば 知られざる真実的な気分と向き合うことになる 星の王子様を返せとは思わない 星の王子様の絵本を返せでは リアリティーがありすぎる もう少し幻想に浸って居たい バオバブの木は日本にはあまりなさそう 植物園以外には 何もかもが自我の弱みを反映して居る」
そしてここまで詩作してから、私は猛然と古今和歌集が暗唱したくなった。

ふるとしに春立ちける日よめる 在原元方 0001 年の内に春はきにけり一とせを去年こぞとやいはん今年とやいはん(0001) 題しらず 読人しらず 0003 春霞たてるやいづこみ吉野の吉野の山に雪はふりつつ(0010) 二条后の春のはじめの御歌 0004 雪の内に春はきにけり鴬の氷れる涙今やとくらん(0027) 題しらず 読人しらず 0005 梅が枝にきゐる鴬春かけて鳴けどもいまだ雪は降りつつ(0031) 雪の木に降りかかれるをよめる 素性法師 0006 春たてば花とや見らん白雪のかかれる枝に鴬の鳴く(0030) 雪の降りけるをよめる 紀貫之 0009 霞たち木のめもはるの雪ふれば花なき里も花ぞ散りける(0023) 春の始めによめる 藤原言直 0010 春やとき花やおそきと聞きわかん鴬だにも鳴かずもあるかな(0026) 寛平御時后宮の歌合の歌 源当純 0012 谷風にとくる氷のひまごとに打ち出づる波や春のはつ花(0013) 紀友則 0013 花の香を風のたよりにたぐへてぞ鴬さそふしるべにはやる(0028) 題しらず 読人しらず 0017 春日野はけふはなやきそ若草のつまもこもれり我もこもれり(0039) 0018 春日野の飛火とぶひの野守出でて見よ今幾日いくかありて若菜つみてん(0016) 0019 み山には松の雪だに消えなくに都は野べの若菜つみけり(0017) 0020 梓弓おして春雨けふ降りぬ明日さへ降らば若菜つみてん(0018) 仁和の帝、みこにおましましける時に、人に若菜賜ひける御歌 0021 君がため春の野に出でて若菜つむ我が衣手に雪は降りつつ(0019) 歌奉れとおほせられし時、よみて奉れる 紀貫之 0022 春日野の若菜つみにや白妙の袖ふりはへて人のゆくらん(0020) 題しらず 在原行平朝臣 0023 春のきる霞の衣ぬきをうすみ山風にこそみだるべらなれ(0067) 寛平御時后宮の歌合によめる 源宗干朝臣 0024 ときはなる松の緑も春くれば今ひとしほの色まさりけり(0068) 歌奉れとおほせられし時、よみて奉れる 貫之 0025 我がせこが衣はるさめふるごとに野辺の緑ぞ色まさりける(0069) 題しらず 読人しらず 0028 百千鳥ももちどりさへづる春は物ごとにあらたまれども我ぞふり行く(0037) 0032 折りつれば袖こそ匂へ梅の花ありとやここに鴬の鳴く(0044) 素性法師 0037 よそにのみあはれとぞ見し梅の花あかぬ色香はをりてなりけり(0046) 梅の花を折りて人におくりける 友則 0038 君ならで誰にかみせん梅の花色をも香をもしる人ぞしる(0047) 月夜に梅の花を折りてと人の言ひければ、折るとてよめる 躬恒 0040 月夜にはそれとも見えず梅の花香を尋ねてぞ知るべかりける(0048) はるの夜、むめの花をよめる 0041 春の夜の闇はあやなし梅の花色こそ見えね香やはかくるる(0052) 初瀬に詣づるごとに宿りける人の家に、久しく宿らで、程経て後に到れりければ、かの家のあるじ、「かくさだかになん宿りはある」と言ひ出して侍りければ、そこに立てりける梅の花を折りてよめる 貫之 0042 人はいさ心もしらず故郷は花ぞむかしの香に匂ひける(0053) 水のほとりに梅の花の咲けりけるをよめる 伊勢 0043 春ごとに流るる川を花とみて折られぬ真水に袖やぬれなん(0057) 0044 年をへて花の鏡となる水はちりかかるをや曇るといふらん(0058) 家にありける梅の花の散りけるをよめる 貫之 0045 暮ると明くと目かれぬものを梅の花いつの人まにうつろひぬらん(0059) 寛平御時后宮の歌合の歌 読人しらず 0046 梅が香を袖に移してとどめてば春は過ぐとも形見ならまし(0060) 素性法師 0047 散ると見てあるべきものを梅の花うたて匂ひの袖にとまれる(0061) 染殿の后のお前に花かめに桜の花をささせたまへるを見て、よめる 前太政大臣 0052 年ふれば齢よはひは老いぬしかはあれど花をし見れば物思ひもなし(0106) 桜の花のもとにて、年の老いぬることを歎きてよめる 紀友則 0057 色も香もおなじ昔にさくらめど年ふる人ぞあらたまりける(0105)

歌奉れとおほせられし時によみて奉れる 紀貫之 0059 桜花咲きにけらしも足引の山のかひより見ゆる白雲(0094) 弥生に閏月のありける年、よみける 伊勢 0061 桜花春くははれる年だにも人の心にあかれやはせぬ(0109) 桜の花の盛りに、久しくとはざりける人の来たりける時によみける 読人しらず 0062 あだなりと名にこそたてれ桜花としにまれなる人も待ちけり(0160) かへし 業平朝臣 0063 けふ来ずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや(0161) 題しらず 紀有朋 0066 桜色に衣はふかく染めて着ん花の散りなん後のかたみに(0137) 巻第二(春歌下)33首 題しらず 読人しらず 0069 春霞たなびく山の桜花うつろはんとや色かはりゆく(0142) 0070 待てといふに散らでしとまる物ならば何を桜に思ひまさまし(0143) 0072 この里に旅寝しぬべし桜花散りのまがひに家路忘れて(0144) 0073 空蝉の世にも似たるか花桜咲くと見しまにかつ散りにけり(0145) 僧正遍昭によみておくりける 惟喬親王 0074 桜花散らば散らなん散らずとて故郷人の来ても見なくに(0146) 雲林院にて、桜の花の散りけるを見てよめる 承均法師 0075 桜散る花の所は春ながら雪ぞ降りつつ消えがてにする(0148) 桜の花の散りはべりけるを見てよみける 素性法師 0076 花散らす風のやどりは誰か知る我に教へよ行きて恨みん(0147) 心ちそこなひてわづらひける時に、風にあたらじとて、下ろし籠めてのみ侍りける間に、・・・


 私は猛然と古今和歌集を暗唱した。
私の日記そして詩作したくなる(詩作の後は古今和歌集暗唱)    石川順一

コピペ・メロス
蛮人S

 勇者は、ひどく赤面した。

「メロス、君は、まっぱだかじゃないか」
 佳き友は、気をきかせて教えてやった。
「早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ」
 ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。
 どっと群衆の間に、歓声が起った。
「万歳、王様万歳」
 暴君ディオニスは、群衆の背後から二人の様を、まじまじと見つめていたが、やがて静かに二人に近づき、顔をあからめて、こう言った。
「おまえらの望みは叶ったぞ。おまえらは、わしの心に勝ったのだ。どうか、わしをも仲間に入れてくれまいか」
「ありがとう、友よ」
 メロスは腕に唸りをつけてセリヌンティウスの頬を殴った。セリヌンティウスは、すべてを察した様子でうなずき、
「メロス、私を殴れ。同じくらい音高く私の頬を殴れ。私はこの三日の間、たった一度だけ、ちらと君を疑った。君が私を殴ってくれなければ、私は君と抱擁できない」
「セリヌンティウス」メロスは眼に涙を浮べて言った。
 群衆は、どよめいた。あっぱれ。ゆるせ、と口々にわめいた。言うにや及ぶ。まだ陽は沈まぬ。すでに磔の柱が高々と立てられ、縄を打たれたセリヌンティウスは、徐々に釣り上げられてゆく。
 最後の死力を尽して、メロスは走った。メロスの頭は、からっぽだ。何一つ考えていない。ただ、わけのわからぬ大きな力にひきずられて走った。
「ああ、あなたは気が狂ったか。それでは、うんと走るがいい。ひょっとしたら、間に合わぬものでもない」
「それだから、走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題でないのだ。人の命も問題でないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ。ついて来い! フィロストラトス」
「やめて下さい。走るのは、やめて下さい。あの方は、あなたを信じて居りました」
「いや、まだ陽は沈まぬ」メロスは胸の張り裂ける思いで、赤く大きい夕陽ばかりを見つめていた。走るより他は無い。
「いや、まだ陽は沈まぬ」
「フィロストラトスでございます。貴方のお友達セリヌンティウス様の弟子でございます」
「誰だ」メロスは走りながら尋ねた。
「ああ、メロス様」うめくような声が、風と共に聞えた。
 メロスは、いまは、ほとんど全裸体であった。呼吸も出来ず、二度、三度、口から血が噴き出た。はるか向うに小さく、シラクスの市の塔楼が見える。
「いまごろは、あの男も、磔にかかっているよ」
 ああ、その男、その男のために私は、いまこんなに走っているのだ。急げ、メロス。おくれてはならぬ。愛と誠の力を、いまこそ知らせてやるがよい。
 路行く人を押しのけ、跳ねとばし、メロスは黒い風のように走った。野原で酒宴の、その宴席のまっただ中を駈け抜け、酒宴の人たちを仰天させ、犬を蹴とばし、小川を飛び越え、少しずつ沈んでゆく太陽の、十倍も早く走った。
 私は信頼されている。私は信頼されている。先刻の、あの悪魔の囁きは、あれは夢だ。悪い夢だ。忘れてしまえ。メロス、おまえの恥ではない。ありがたい! 私は、正義の士として死ぬ事が出来るぞ。
 ふと耳に、潺々、水の流れる音が聞えた。すぐ足もとで、水が流れているらしい。
 その泉に吸い込まれるようにメロスは身をかがめた。水を両手で掬って、一くち飲んだ。ほうと長い溜息が出て、夢から覚めたような気がした。村には私の家が在る。羊も居る。妹夫婦は、まさか私を村から追い出すような事はしないだろう。正義だの、信実だの、愛だの、考えてみれば、くだらない。人を殺して自分が生きる。それが人間世界の定法ではなかったか。ああ、何もかも、ばかばかしい。私は、醜い裏切り者だ。どうとも、勝手にするがよい。やんぬる哉。
 突然、目の前に一隊の山賊が躍り出た。
「待て」
 メロスはひょいと、からだを折り曲げ、飛鳥の如く身近かの一人に襲いかかり、その棍棒を奪い取って、
「気の毒だが正義のためだ!」と猛然一撃、たちまち、三人を殴り倒し、残る者のひるむ隙に、さっさと走って峠を下った。
「さては、王の命令で、ここで私を待ち伏せしていたのだな」
 メロスは、ざんぶと流れに飛び込み、百匹の大蛇のようにのた打ち荒れ狂う浪を相手に、必死の闘争を開始した。ああ、神々も照覧あれ! 濁流にも負けぬ愛と誠の偉大な力を、いまこそ発揮して見せる。と持ちまえの呑気さを取り返し、好きな小歌をいい声で歌い出した。

 眼が覚めたのは翌る日の薄明の頃である。メロスは跳ね起き、南無三、寝過したか、いや、まだまだ大丈夫、悠々と身仕度をはじめた。花嫁は、夢見心地で首肯いた。メロスは、それから花婿の肩をたたいて、
「私の家にも、宝といっては、妹と羊だけだ。他には、何も無い。全部あげよう。もう一つ、メロスの弟になったことを誇ってくれ」
 祝宴に列席していた村人たちは、何か不吉なものを感じたが、それでも、めいめい気持を引きたて、狭い家の中で、むんむん蒸し暑いのもこらえ、陽気に歌をうたい、手を拍った。眼が覚めたのは夜だった。メロスは、また、よろよろと歩き出し、家へ帰って神々の祭壇を飾り、祝宴の席を調え、間もなく床に倒れ伏し、呼吸もせぬくらいの深い眠りに落ちてしまった。
「なんでも無い」
 メロスは無理に笑おうと努めた。「市に用事を残して来た。またすぐ市に行かなければならぬ」
 メロスは、すぐに出発した。初夏、満天の星である。
 それを聞いて王は、残虐な気持で、そっと北叟笑んだ。生意気なことを言うわい。どうせ帰って来ないにきまっている。
「私は約束を守ります。私が逃げてしまって、三日目の日暮まで、ここに帰って来なかったら、あの友人を絞め殺して下さい」
「ばかな」と暴君は、嗄れた声で低く笑った。「とんでもない嘘を言うわい。逃がした小鳥が帰って来るというのか」
「ああ、王は悧巧だ。自惚れているがよい。私は、ちゃんと死ぬる覚悟で居るのに。命乞いなど決してしない。ただ――」
「この短刀で何をするつもりであったか。言え!」
 聞いて、メロスは激怒した。「呆れた王だ。生かして置けぬ」
「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信ずる事が出来ぬ、というのです。このごろは、臣下の心をも、お疑いになり、少しく派手な暮しをしている者には、人質ひとりずつ差し出すことを命じて居ります。御命令を拒めば十字架にかけられて、殺されます。きょうは、六人殺されました」
「おどろいた。国王は乱心か」
「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それから、御自身のお世嗣を。それから、妹さまを。それから、妹さまの御子さまを。それから、皇后さまを。それから、賢臣のアレキス様を」
「たくさんの人を殺したのか」
「悪心を抱いている、というのですが、誰もそんな、悪心を持っては居りませぬ」
「なぜ殺すのだ」
 老爺は、あたりをはばかる低声で、わずか答えた。
「王様は、人を殺します」

 メロスは、それゆえ、花嫁の衣裳やら祝宴の御馳走やらを買いに、はるばる市にやって来たのだ。結婚式も間近かなのである。十六の、内気な妹と二人暮しだ。女房も無い。メロスには父も、母も無い。けれども邪悪に対しては、人一倍に敏感であった。笛を吹き、羊と遊んで暮して来た。
 メロスは、村の牧人である。メロスには政治がわからぬ。
 必ず、かの邪智暴虐の王を除かなければならぬと決意した。
 メロスは激怒した。
コピペ・メロス    蛮人S

疲労
今月のゲスト:国木田独歩

 京橋区三十けん堀に大来館だいらいかんという旅館やどやがある。まず上等の部で客は紳士紳商、電話は客用と店用と二種かけている位で、年中十二三人から三十人までの客が有るとの事。
 ある年の五月なかば頃である、帳場に坐って居る番頭の一人が、通りがかりの女中を呼んで、
「おきよさん、これを大森さんとこへ持っていって、この方が先刻みえましたがお不在るすだと言って断りましたって………」
 と一枚の小形の名刺を渡した。お清はそれを受けとって梯子段を上った。
 午後二時頃で大概の客は実際不在であるから家内やうちしんとして極めて静かである。中庭の青桐の若葉の影が拭きぬいた廊下に映ってぴかぴか光って居る。
 北の八番の唐紙からかみをすっと開けると内に二人。一人は主人の大森亀之助。一人は正午ひる前から来て居る客である。大森は机に向って電報用紙に万年筆で電文をしたためて居るところ、客は上衣を脱いで胴衣ちよつき一つになりしきりに書類を調べて居るところ、烟草たばこ盆には埃及烟草エヂプトの吸い殼がくしゃくしゃに突込んである。
 大森は名刺を受けとってお清の口上を終局みなまで聴かず、
「オイ君、中西が来た!」
「そしてどうした?」
「いま君が聴いた通りさ、不在るすだと言って帰したのだ」
「そいつは弱った」
彼奴きやつ一週間後でなければ上京られないと言って来たから。帳場に彼奴のことを言って置かなかったのだ。まア可いさ、上京て来て呉れたに越したことはない、これから二人で出かけよう」
 頭髪あたまの少し禿げた、でっぷり肥った客は「ウン」と言ったぎり黄金縁きんぶち眼鏡の中で細い眼をぱちつかして、鼻下の真黒な髭を右手めてでひねくりながら考えて居る。それを見て大森は煙草を取って煙草盆をつつきながら静かに、
「それとも呼ぼうか?」
「まアその方がいな。此方が彼奴きやつばかりに依頼たよつて居るように思われるのは馬鹿げて居るからな」
 大森は「ちょっと」と言って一口吸った煙草を灰に突込み机に向って急速いそいで電文を書き了り、今までぼんやり控えて居たお清にそれを渡して、
「直ぐ出さしてお呉れ」
 お清は座敷を出た。大森はまた煙草を取って、
「それもそうだ、あの先生怜悧りこうでいて馬鹿だから余りこっちで騒ぐと直ぐ高く止まって、率直すなおに承知する事も故意わざとぐずりたがるからね」
「それで居てこっちで少し大きく出るとまたすぐ怒るのだ。始末にいけない」と客は言って大欠伸あくびを一つして、「とにかく呼ぶとしようじゃア無いか」
「いつ呼ぼう?」と言ってこれも貰い欠伸をした。
「今夜はどうだ。今呼んだって彼奴旅館やどに居やアしない」
 大森は机の上の黄金きん時計をのぞいて、
「二時四十分か。今はとても居ない。しかし」とまた時計をのぞいて、少し考えて「明日の朝早くしようじゃアないか。中西が来たとなれば僕はこれから駿河台の大将に会って置くほうが可いと思う」
「なる程それはその方が可い」
「それから今夜は澤田を呼んで見本の説明の順序をく作って置いて貰うことにする」
「なる程そいつはなお大切だ。我々だって中西が対手あいてなら結構證明くらいは出来るが、それは澤田に越した事はない。それじゃアそう決めた。これから手紙を持たしてやって、電話じゃア駄目だよ、そして明朝午前八時までに御来車を仰ぐとでもしておこう」
「よし、手紙をすぐ持たしてやろう」と大森は巻紙を執ってすらすらと書き出した。その間に客は取り散してあった書類を丁寧に取りそろえて大きな手革包てかばんに納めた。
「中西の旅宿やどは随分しみったれて居るが、彼奴よく辛抱して取換えないね」と大森は封筒へ宛名を書きながら言った。
常旅宿じようやどとなるとやはり居心地がいいからサ」と客は答えて上着を引寄せ、片手を通しながら、「君大将に会ったら例の一件を何とか決定きめて貰わないと僕が非常に困ると言って呉れ給え。大将はどうかして物にしてやろうと言うので手間取って居るだろうがそれじゃア実際君の知ってる通り僕がやりきれない、故郷くにの奴ら人にものを頼む時はわいわい言って騒ぐ癖に、その事が甘くゆくと見向きもしないんだ。人を馬鹿にしてやァがる、だから大将にどちらでもいいから駄目だとか出来るとか、明白に早く決定を與えて貰いたいと言って呉れ給え、大将あれで馬鹿に人が善いから頼むと何でもかんでもそうしてやらなければならんと心得てるから遣り切れない、仲に立ってる者は難有ありがた迷惑だ」と言ってる中に上衣を着てしまう、いつ大森がベルを押したか、女中が入って来た。
「これは奇妙不思議だ、中西に手紙をやろうとすると、お蝶さんがやって来る、争えんものだ」と大森が十七八の少女こむすめに手紙を渡す。
「アラ又あんな事をおッしゃる、中西さんなんか何でもないワ、真実ほんとに私くやしいわ、みんなして揶揄からかうんだもの」と手紙を奪取ふんだくるように取って「いいわ、そんな事をおッしゃるならこの手紙をどっかへ打捨うつちやってしまうから」
「イヤ謝罪あやまった。それは大切の手紙だ、打捨られてたまるものか、直ぐ源公に持たしてやって呉れ。お蝶さんはい子だ」
「蝶ちゃんは善い子だ、ついでに人車くるまを」と客が居住いずまいを直して合槌を打った。
「田浦さん、禿が自慢にゃなりませんよ」と言い捨てて出てった。
 間もなく車が来て田浦はかえり、続いて大森も美麗な宿車で威勢よく出てった。
 午後四時半頃になって、大森は外から帰って来たが、へやに入るや、その五尺六寸という長身を座敷の真中にごろりと横たえて、大の字になって暫時しばらく天井を見つめていた。四角な引きしまった顔には堪え難い疲労の色が見える。洋服を脱ぐのも面倒臭いらしい。
 間もなくお清が入って来て、「江上さんから電話で御座います」
 大森は跳ね起きた。ふらふらと眼がくらみそうにしたのを、ウンと踏張って突立った時、彼の顔の色は土色をしていた。
 けれども電話口では威勢のよい声で談話はなしをして、「それでは直ぐ来て下さい」と答えた。
 へやに帰るとまたもごろりと横になって眼を閉じて居たが、ふと右の手を挙げて指で数を読んで何か考えて居るようであった。やがてその手がばたりと畳に落ちたと思うと大いびきをかいてその顔はさながら死人のようであった。
Content-type: text/html