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3000字小説バトル

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3000字小説バトル
第58回バトル 作品

参加作品一覧

(2005年 10月)
文字数
1
のぼりん
3000
2
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん
3
中川きよみ
3000
4
ごんぱち
3007
5
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん
6
伊勢 湊
3000

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無構剣
のぼりん

 日本は昭和20年にポツダム宣言を受諾し、アメリカの駐留軍を受け入れたが、軍はこの国の武道を軍国主義を支えたものとして、全面禁止の政策をとった。ほどなく柔道は体育として認められ再開の許可を得たが、剣道だけは容易ではない。アメリカを苦しめた武士道という精神性をそのまま具現化している武術である。当然、復活を恐れた。
 GHQ参謀長の意向は民間教育部からの代表によって伝えられている。すなわち「人を殺傷する武術は野蛮、平和の敵というべきだ。柔道は護身術として洗練されているが、剣道はまさに人殺しの技術だ」というのである。
 日本剣道会はこの意見に対してなすすべを持たなかった。ただ、剣道の復活に奔走し続ける青葉龍之介には、一筋の光明があった。すでに、志を同じくする教育界の三島恵吉という男が「剣道が軍国主義と直接の因果関係をもたないことを証明すればいい」という解決策を見出していたのである。
「日本人は戦争によってすべてを失ったが、その精神性までもなくしてはならない」と、三島は一教育者として主張し続けた。
 ここに青葉と三島という、教育界と剣道界のふたつの若き頭脳が融合し、その理論構成を作り上げることになる。
「日本武道の理念はほこを止めるもの。武とはそういう意味です。だから、本来争いそのものを否定することにあります。剣道とは強調、従順、謙遜という礼の精神そのものです」
 説明会で主張するふたりにGHQ教育部長の反論はなかった。後は、それをどう証明するかだけの問題になった。
「武を止める技がどんなものか、それを実践でお見せしましょう。どうですか?」
 青葉の策はそこにあった。「アメリカ軍の代表は真剣で向かってきたらよろしい。わが剣道の達人は、それを素手で止めて見せましょう」
 アメリカ側は日本刀の切れ味を知り鋳造鍛錬技術についての知識はあったが、それを操る技能のことはあまり理解していないようだった。結局、日本側の提案を承諾した。さらに、さすがに真剣対素手ではハンディがありすぎると思ったのか、剣道代表に木刀を持つことを許した。
 武の極意は武をなさないこと、しかしそれは、武を徹底的に理解した上で到達する境地でもある。三島の懸念は唯一そこにあった。
「話はやっと進んだ。しかし、君には実際にそれが出来るだけの技があるのか?」
 それは、剣道復活の悲願のためやむにやまれぬ提案だった。まさに起死回生の妙案ではあるものの、もし我方が敗れれば剣道は今後、日の目をみることない。絶対に負けられない、存亡を一つに賭けた試合になるのである。
 しかも、彼我の体格の格差、あるいは真剣に対して木刀で望むというハンディ以上に難しい問題がある。その勝ち方においても、無様は許されないということだった。相手を傷つけることもなく、圧倒的な力の差を見せつける必要があったのである。
 が、しかし、青葉はそこで不甲斐ない顔になった。
「いや、剣道界は広いです。その程度の達人はいくらでもいますから」

 青葉龍之介は焦燥していた。
 武道の精神を説きながら、技術の凄みを証明しなければならない逆説はしかたない。が、その実践に耐えうる人物となると、意外に見つからなかった。意中の人物は、そのほとんど連絡がとれないか、説得に行くと精神的に潰れていた。終戦直後である。無理もなかった。
 見かねた三島がある噂を持ってきた。
「鹿島神流の国立善治という達人がいるそうだが」
 その名を聞いて、青葉は眉間にしわを寄せた。
 達人だが変人である。例えば、道場に「他流試合勝手たるべきこと」と大書し、これまで他流から挑まれて唯の一度も拒んだことがない。他流試合に常に神経質である剣道界においてはまったくの異端児だった。
「もはや精神論じゃない。強いかどうかだけが問題だ」
 三島の主張は、まるで詐欺師のようなものである。剣道の精神を守るために、結局精神を排した力に頼らざるをえないのだから。
 国立善治、確かに強い。他流試合勝手で一度も負けていないらしい。空手や柔道ともやる。しかも相手に合わせて素手で向かうというから、剣道界とはある意味部外の立場にいる者といえよう。
 約束の日時は迫り、青葉に有無をいう時間はなかった。ついに二人は、国立を訪れることになる。
 申し出を受けた時に国立はどういう態度であったか。なんと、笑いさえ浮かべて、即座に快諾したというから、その自信たるや凡人をはるかに超えている。
「本当に引き受けてくださるのですね」
「断る? なんでそんなもったいないことを」
 小男で軟弱な容姿だが、眼光が尋常ではない。だが、この男、どことなく体制に拗ね、斜めに構えたようなところがある。青葉には男が本物かどうか、見極めがつかなかった。
「一度も負けたことがない、と聞きましたが」
「俺も神様じゃない。人並みに負けたこともあるよ。勝負に勝ってしまうと、相手の娘を嫁に貰わなければならないという話になってしまってね。その娘の器量が……あ、いや、さすがにその時ばかりは、負けることの難しさに悪戦苦闘しわい。がはははは」
 結局、最強自慢にしか聞こえない。が、そこに一抹の真実味が感じられるから不思議な男だった。
 さらに、日本の剣道界は……と、青葉は胸中の苦悩を語ろうとしたが、それは簡単に拒絶されてしまった。
「そんな小難しいことはどうでもよろしい。俺は相手は選ばん。毛唐を痛めつけることができるのなら、それも面白い」
 根っからの喧嘩屋だった。青葉はこの男の暴走を恐れなければならなくなった。
 剣道界の未来のすべてをこんな男に任せてよいのだろうか。おそらく剣道界も教育界も、そこの重鎮たちは反対するに決まっている。
 ふたりにとってはまさに引くに引けない賭けになった。

 
 その当日。
 剣道の未来を背負った試合のとき、国立はすでに五十歳をいくつか超えた年齢であった。真剣を構え、上背でも遥に優れたアメリカ人将校はまだ三十代。たった一人の小さな日本人の命など塵のようにも思っていまい。
 木刀で真剣を受けることなど不可能だいうことは、素人でも理解できる。試合を見守る文部省の官僚の中には、緊張に耐えられず、泣きそうに顔を歪める者、不安をあからさまにする者もあったという。
「始め」という合図に、自然体に構えた国立。それに対して、相手は獣のような獰猛さで、真剣を大上段に振りかぶった。
 国立の剣は、常に先の先を制する剣法である。「無構え」といい、別名「音無しの構え」と称した。
 勝負は瞬時の出来事であった。
 一同が気がついたときには、相手の首元に国立の木刀がぴたりと止まっていた。どんな刀法を駆使して相手を制したのか、誰にもわからない神速だった。アメリカ人たちは、殺傷という低次元のものではない武道の深遠さに舌を巻くばかりだったろう。
 騒然とする道場から、国立善治が無言のまま立ち去った後、青葉龍之介は懐に忍ばせた短刀の柄からやっと手を離した。いざとなれば、その場で国立と刺し違え、剣道界に詫びるつもりだったのである。
 その盟友の決心を三島も感じていたに違いない。青葉を振り返って、満面の笑みを浮かべた。
「明日は僕の学校の体育館に招待するよ。晴れて三本勝負といこうじゃないか」
「はい、その勝負喜んで…」
 青葉の顔が男泣きでゆがんだ。

(この稿を書くにあったては、加来耕三著「武闘伝」を全面的に参考にした)
無構剣 のぼりん

(本作品は掲載を終了しました)

桃源郷
中川きよみ

 手土産にと、母が無理やり持たせた2本のワインはボストンバッグをさらに重たくした。けれど、暗澹とするのは物理的な重さのためではない。
 いい年をして、私の手には行き先を書いたメモが握られている。不可解なメモ。
 31歳という、なんだか半端な年齢で私はドロップアウトした。やり直しがきくようなきかないような、微妙な年齢。これからの長い時間、最低限生活して行くための当ても、とりあえず今暫くでも熱中できるようなやりたいことも、なにもなかった。平日の昼間に自宅で鬱屈していると、すごい勢いで活性が落ちていった。働くどころか、じきにアルバイトを捜しに行く元気すらなくなってアメーバのようになった私に、ある日とうとう疲弊した母がこのメモを渡した。
「義姉さんに連絡したから、せめてしばらくでもそこへ行ってみて頂戴。私も少し休みたいのよ。これ以上何の役にも立たない小言ばかり言い続けたって仕方ないでしょう?」
 そして私は大きなボストンバッグと共に追い出されてしまったのだ。

 父の姉というその伯母には、面識がなかった。幼い頃に会ったことがあるらしいが、父は私が子供の頃に急逝していることもあって、記憶がなかった。
 JRと私鉄を乗り継いで海に近い町に着いた。恐るべき乗り継ぎの悪さで朝出発したのにもう夕方になっていた。なだらかな丘と家並みに隠されて海そのものは見えないくせに変に生臭い潮の香りがした。
 メモには、私達と同じ「葛」という伯母の名字と「ブルさん」という渾名と、町の名しか書いていなかった。電話番号も細かな番地もなしで、どうやって訊ねろというのだろうか。けれど、それは母も知らないのだった。町名の先に「葛ブルさん」と書くと、なぜか手紙は当人に届くらしかった。
 小さな無人駅は民家の間にポツンとあって、近くには交番も郵便局も見当たらなかった。夕食時の日常の音がする中、見ず知らずの家に道を訊ねるのも気が引けて、途方に暮れてぼんやり立っていた。

 「あんた、由利子さん?」
 半分壊れた自転車に乗った浮浪者のオッサンが声をかけてきた。とっさに無視を決め込んで黙っていたのに、頓着せずに話しかけてくる。
「いやね、ブルさんから頼まれて、何日か前から時々こうして見に来てるんだよ。きっと迷うからってね。ちょいと歩くけど、大丈夫かい? ああ、荷物はここに積んでやるよ。」
 ニヤリと笑ったオッサンは、猿のような素早さで自転車から降りてボストンバッグを奪い取り荷台に載せた。バッグを触られるのは限りなく不愉快だったし持ち逃げされそうで不安だったが、結局拒むこともできず、よろよろ伴走してくれるオッサンに合わせて仕方なく歩き出した。山の陰に早々と日が沈みかけていたのだ。
 ものすごく歩いた。集落を外れるに従って外灯がまばらに、山側に向かうに従って闇が濃くなる細い道で、不安が恐怖の手前のサイズまで膨らんでいた。道の両側には雑木林が増えて、合間にある家々も廃屋のようで人の気配がないものばかりになっていた。酒が入っていて陽気に喋り続けるオッサンの様子を伺いながら私はビクついている。
 やっぱり引き返そうか……。
「ほい、あれさ! ブルさーん!」
 オッサンは突如嬉しそうに叫んだ。
「……」
 宵闇の中に現れた奇怪な場所。暗緑の廃墟。柱が折れたらしく片側の屋根が地面に突き刺さり、周り中から植物が伸びてきて半分以上緑に埋まっている。その中から黒々とした影が出てきた。
「初めまして、葛由利子です」
 本当に伯母なのだろうか?
「フン、まあ、辿り着いてなによりだ」
 街で会ったら……ここまですごいと街にいる可能性も低いけれど、遠目に顔をしかめて絶対に近寄らないであろう、山姥のような壮絶な汚さのブルさんだが、今はそのドラ声にわずかに暖かさがあるだけで無性に嬉しかった。

 「初子さんは元気かね?」
 何の肉だか分からない白っぽくて平べったい肉を串刺しにして火で炙った。生焼けのそれを、オッサンが食えと善意で差し出す。崩れた家の中での焚き火。目眩がしそうな程のすえた臭い。私はいったいどうしてここにいるのだろう……。
「母は、私のことでちょっと参ってるみたいですが、まあまあやってます」
 ブルさんは私の方に顔を向けたまま、ブッと口の端から器用に骨を吐き出す。迫力のある双眸が私を凝視しているので、蛇に射すくめられたように私はその肉をかじってみる。せめてお醤油があればなぁと、麻痺した味覚で考える。
「そう、初子さんが来た時も、同じ白い蛇がかかったもんだ。初子さんはもう少し美味そうに食ったけどな」
 蛇だったのか。ガビガビに垢が重なって鱗のように見えるブルさんの頬が、脂に濡れて炎を反射させている。底知れない紅。
「で、どんな用事だい?」
 火の粉は梁の付近まで舞い上がりチラチラする。崩れた床の木枠に腰掛けて見上げると、破れた屋根の隙間から明るい月が見えた。
「いえ、きっと、大したことじゃありません」
「うまいな」
 ブルさんは手土産のワインをラッパ飲みしている。
「ずっと、こうして暮らしてこられたんですか?」
 ブルさんは鼻で嗤う。
「いいんだよ。アタシャね、自分がやりたくてやってんだ」
 ブルさんは右足の調子が悪そうで引きずっていた。父の姉だから、年齢的に他にも具合の悪いところがあるかもしれない。それでもプイと横を向く。
 十分に食べると、ブルさんは踞ったまま眠ってしまった。オッサンがどこからかボロ板のような毛布を持ってきてブルさんに掛けてやっていた。その仕草に紛れもなく愛情があるのを見て、緊張で凝り固まった私の身体がわずかに和らいだ。

 その晩、火事があった。
 私はいつ屋根が降ってくるか知れない不安から軒先に身を寄せて眠っていたのだけれど、それが幸いした。私がブルさんにしたたか尻を蹴り上げられて起きた時には、崩壊寸前だった廃屋はもう完全に崩壊していた。
「燃え移らねぇように、木ィ刈っちまいな!」
 ブルさんはオッサンに叫ぶと、おもむろに腰巻きを捲って尻を出したかと思いきや、その場に放尿した。
「水がないんだよ。お前さんも自分のを周りに撒いとけ」
「そんなぁ……出ませんよぉ」
 濛々と黒煙を吹き上げる様は、まさに悪夢だった。近くには誰もいないのだろうか? 通報しないのだろうか? ゴウゴウと燃える音ばかりでサイレンは聞こえない。生命を賭ける恐怖がこんなに身近な距離にあるなんて、身体の芯が痺れてしまった。
「……昨日、降ってるからな。ここが燃えるだけで済むだろうよ」
 ブルさんはじっと燃える家を見つめている。ブルさんの言葉通り、長い時間をかけて炎は建物を燃やしただけで下火になった。
「……どうしましょうか?」
「そんなこと、自分で考えろ。初子さんだって、劇的な変化を期待してるわけじゃないだろ。お前さんが考えることを放棄しちまってるから、私なんかの所へ寄越しただけさ。」
 無防備な状態に突然核心を衝かれて、言葉を見失う。恐るおそるブルさんを見れば、驚いたことにオッサン共々その姿がなかった。幻だったかのように、かき消すように。

 何かが燻っている音が聞こえる。ここはいったいどこなのだろうか? 私はどこから来てどこへ行こうとしているのだろうか?
 でも、少なくとも私はここに立って、そして生きている。
 見れば、東の空がかすかに光を帯びた青に変わってきている。もうすぐ夜が明ける。
桃源郷 中川きよみ

コメディ世界におけるスナイパーの憂鬱
ごんぱち

 葉巻をくわえたボスが、アイシャドウをつけた猫を撫でながら写真を放る。
 オレはそれを受け取り、ちらりと目をやる。
 おとぼけ顔をした、知らない男だ。
「そいつを消せ」
 ボスは冷たく言い放つ。
 やれやれ、ボスの情婦のダイエットを成功させるために、五〇〇本もキャンデーを撃った後は、こんな人畜無害そうな男を殺すのか。
 一度で良いから、大統領とか、元帥とか、世界的ミュージシャンとか、新聞の一面にカラーで載るような標的を任されたいもんだ。
「イエス、ボス」
 しかしオレに、それ以外の返答はない。まあ、軍隊みたいなものだ。
「何をしたんですか、こいつ」
 何を言うのもイエスの後。まあ、牧師みたいなもんだ。
「こいつは」
 ボスは葉巻をギリギリと噛み締める。
「こいつは……」
「こいつは?」
「こいつは!」
「こいつは!?」
「七番倉庫を全焼させやがったんだ」
「七番倉庫……あの?」
 聞いた覚えがある。七番と言えば、ボスが最も大事にしている倉庫で、用もないのに近付いたボスの従兄弟は、翌日にはハドソン川の魚の健全な育成に役立ったとか。
「お陰で覚醒剤五トンが全部煙になって、周りの連中は一日中トリップしてたそうだ」
 言われてみれば三日前、いつも眠そうにしているバーガーショップの店員が、やけにハキハキと仕事をしていた。あの店員ときたら、マスタードと黄色ペンキを毎日間違えるし、一度なんぞはハンバーガーに生きたネズミが入ってて、そのままパンをかぶって逃げて行きやがった。勿論、損害賠償も慰謝料も返金も、商品の交換すらもない。
 店長がどんなにフライパンで頭を殴りつけても、眠そうな顔をして言い訳をするばかり。
 あれがマシになるなら、もう五、六回やらかしても結構は話ではあるが……まあ、ファミリー的には大損害には違いない。
 ボスは怒りに任せて葉巻の煙を胸いっぱい吸い込む。胸のサイズが三倍ぐらいになっている。
 葉巻なんてのはくゆらすもので、吸い込むもんじゃない。まともな人間なら昏倒しそうなものだが、ボスはまったく平気で、口から煙の輪を出している。
「って事は、こいつはクランシーファミリーか誰かの手先で?」
「違う!」
 吐いた煙が、「NO!」の文字になり、オレはコマの隙間にぎゅうと押し込まれる。
「じゃあ、一体?」
 頭の周りを回る星をふりはらいながら、オレは聞き返す。
「サムソンストリート七番地に住む、自動車のセールスマンだ」
「なるほど、自動車のセールスを装って密輸品を」
「違う、普通のフォードの孫請け販売所のダメ社員だ。女房の尻にしかれ、楽しみにしていた週末のスーパーボールを、女房の下着を手洗いしながら音だけ聞くしかないような」
「なんすか、そりゃ?」
 ただの一般人が、ファミリーに敵対行為を?
 嫌な予感がする。
 ……いや、まさかな。
「ふん」
 ボスは葉巻を掌でもみ消す。
「こいつは、覚醒剤をどうこうしようという気はなかったらしい。単にパンツに入ったネズミを出そうとしていただけだ」
「な……なんですって?」
 血の気がじわりと引いていく。
「その動きの中で、ホームレスにぶつかって、喧嘩になるけれど、ネズミを追い出す動きで良い具合に避けたり、落っこちたり、ふっとんだり、車にはねられたりしているうちに、七番倉庫に近付き、ファミリーの連中のマシンガンの弾も何だかんだで全てかわし、七番倉庫に突っ込んだところで襟首に入っていた火の付いた煙草が落ちて荷物に引火し、覚醒剤はおろか、俺の大事なチョコバー千本まで焼き尽くしたという寸法だ」
 オレが何かを言おうとする前に、ボスは怒鳴った。
「さあ、分かったらさっさとこいつを死体にして来い!」

 スコープの中心に標的を捉えた。
 距離に間違いはない、風もない。
 間違える訳がない、色も小道具も髪型も、全てが目立っている。周囲より五色は多い、しかも写真とまったく同じ表情のおとぼけ男。
 こいつの命も今や風前の灯火。この引き金に、七〇グラムばかり力をかければ、あの頭は『ジャッカルの日』の吊るしスイカよろしくド派手に四散する。
 ――筈、なのだが。
 問題は、ヤツがどうも主人公らしいという事だ。
 ネズミにのたうちながらマシンガンを避けたり、倉庫を丸焼きにするなんて、いかにも主人公の取りそうな行動だ。
 主人公は死なない。コメディ世界の常識だ。
 引き金を引いたが最後、ヤツはクシャミをして弾は後ろの通行人に当たって、次の弾は前を偶然通りかかった車か何かに当たり、ヤケになって連発したって背中に今度はゴキブリか何かが入ってじたばたする動きか何かで華麗に避けられるだけだ。
 あまつさえ、最後の一発を狙いに狙って撃っても、あり得ないような跳弾で、オレの股間は撃ち抜かれ、両足でピョンピョン跳ね回り、オカマ口調のミイラ男になってボスの前に報告に行く羽目になるのだ。
 一昨日だって、子供の悪戯で店を全壊させられたマーケット店主を見た。当然、追ったところで子供は逃げおおせ、親に賠償を求めるなんて事は起きない。大体、この世界の子供は、大人より優れた体力と知力を持ち、その上決して傷つけられないように出来ているのだ。
 別に店主に大した落ち度があった訳でもない、ただ、子供が汚い手でガラス戸をベタベタ触るから、追い払おうとしただけなのに。幸い、頭の上で星が回るだけで、怪我はなかったが、生活の糧を失った彼が、どんな風に人生を終えるのか。
 怪我をした例はもっと悲惨だ。窃盗犯と間違えられたクリーニング屋が、留守番していた子供の「イタズラ」で撃退された事があった。ドアに手を挟まれ、階段から転げ落ち、頭からバケツを落とされ、最後にベランダから落下だ。
 ひどい有様だった。裂傷七ヵ所、骨折三ヵ所、加えてホルモン異常になり、今も身長が止まらない。当然、裁判なし、賠償なし、笑われておしまいだ。
 オレも生まれるなら、子供に生まれたかった!
 ああ、嫌だ嫌だ。
 はぁ……どうせ撃っても殺せないんだろうな。
 いっそ、撃たずに帰るか?
 でも、そういう事をすると、ボスに消されるのは目に見えている。
 ボスが机の下にあるボタンを押したら、そのまま床に穴が開いてサヨウナラだ。悲鳴が五秒続いた後に、ぐしゃりとなった身体が見えないところでミンチにされて、インチキハンバーガー屋に売る訳だ。オレも銃の扱いに慣れる前は、出荷や掃除を随分とやらされた。
 かくもオレたちの命は軽い。主人公は絶対に死なないが、脇役の命なんて一ギャグにもならない。
 主人公や子供にとっては天国、それに相対する人間にとっては地獄だ。不公平な神を持った世界が、地獄でない訳がない。
 ああ、地獄だ。正しく地獄だ。こんな世界にいる事自体が地獄だ。
 してみると、ここより下なんてありゃあしない。
 そうだ、そうじゃないか。破滅してやろうじゃないか。さっさと退場した方がまだマシだ。
 標的は相変わらずスコープのど真ん中だ。何をやってやがるのか、そんなに動かない理由でもあるのか。
 は! 知ったことか。
 死ね死ね。
 パンッ。
 ほら、避けられ――て、ないな?
 脳漿飛び散らせて、ピクリとも動かない。まあ通行人の反応は、目玉飛び出させたり、足をグルグルにして逃げたりコメディ的だが。おかしいな? どうしてだ?
 ん?
 話が終わらない?
 だって、主人公が死んだのに?
 エピローグ中、でもないな?
 え?
 ひょっとして、主人公って?
コメディ世界におけるスナイパーの憂鬱 ごんぱち

(本作品は掲載を終了しました)

クレマ・ハート・ボディー
伊勢 湊

 東京はずれのこの新興都市もいまでは街に生活感を漂わせるようになった。住み始めた頃には季節感すら希薄だった通りにも、いまでは秋風か木の葉を舞わせるようになり、そして明日、僕はこの町を出て行く。
 会社で知り合った彼女との結婚が決まり、二人で住むマンションも借りた。この町の駅から会社への定期券も切れたし、五年間住んだ部屋には、いまはもうリュック一つしかない。僕は半ば既に懐かしむ気持ちで通りを歩く。二人約束した、いつものあのカフェを目指して。
 約束の相手はこの町での唯一の心残りであり、そして僕の恋いこがれた女性だった。青い目を持ち栗色の髪には自然に白い毛が混ざっていた。物腰は柔らかく、しかしそこには様々な境遇を経験した者のみが持ちうるであろう意志の強さが感じ取れた。彼女は僕のことを恋愛対象になどもちろん見てはいなかったであろうが、僕は自分の祖母とほぼ同じ歳のクレマに確かに恋をしていた。

 クレマと初めて会ったのはその後いつも二人が会うのに使ったカフェだった。店ではコーヒー豆も売られていた。その頃はファーストフードショップなどもなく、選ぶことも出来ずにその店でコーヒーを飲んでいると、クレマが店に入ってきて豆を選び始めた。この町で初めて見た外国人だった。そして僕は語学力を買われて外資系企業の採用を得たばかりだった。どこかに功名心のようなものがあったのだと思う。僕の目にはクレマは日本語が読めずに困っているように映った。そして話しかけたのだ。豆選びを御手伝いしましょうか、と英語で。
「日本語なら大丈夫ですわ。漢字もカタカナも読めるから」
 彼女は微笑んでそう言った。それは僕の英語よりはるかに上手な日本語だった。僕は顔がみるみる赤くなるのを感じていた。そんな僕に今度は彼女は英語で言った。
「でもコーヒー豆にはあまり詳しくないの。お薦めのものはあるかしら?」
と、僕よりもずっと上手な発音と、そして優しい吸い込まれるような視線と共に。

 それを機に僕たちは会って話をするようになった。クレマは不思議な女性だった。自分のことを多くは語らなかったが、僕の祖母と同じような年齢で、東欧の小さな国の生まれで、母国語の他に日本語と英語を含む七カ国語を流暢に話した。結婚歴があるかどうかは分からないが独身で、様々な言葉の翻訳をすることで生計を立てているようだった。基本的にはパソコンのメールでやり取りするし、必要があれば先方がクレマを訪ねてくるということで、彼女にはこの町で住むことになんの不自由もなかった。ただそれは不自由がないというだけで、歳をとった彼女が異国の、しかもこんな都心から外れた新興都市に好んで住む理由ではなかった。そしてその理由を彼女は僕に教えてはくれなかった。

 僕とクレマは仲の良い御近所友達になった。クレマは「あなたみたいな若い方とお話しできるだけでも私みたいなおばあちゃんには素敵な刺激だわ」とよく言ったが、刺激を受けたのは僕の方だった。数々の国を渡り歩いた旅の話は彼女の透き通る声の向こうに景色が見えるようだった。芸術への造詣や様々な専門分野についての深い知識は僕を楽しませた。そして彼女独特のものの考え方も魅力の一つだった。それはいつもの喫茶店でのことだった。
「あなたはいつも私のようなおばあちゃんがどうして異国の土地で暮らすのかというけれど、私は本当はおばあちゃんじゃないかもしれないのよ」
「僕は一度だってあなたのことをおばあちゃんだなんて言ったことはありませんよ」
「ふふふ、ありがとう。でも私が言っているのはいまこの町では私はおばあちゃんかもしれないけど、別の場所ではわたしはあなたと同じ以上の若者かもしれないということなの」
「別の場所では?」
「そう。別の意識の在処では。ところであなたはまあるいケーキを永遠に食べ続ける方法をご存知?」
「そんな方法あったらすぐにケーキ屋へ行きますよ」
 僕は笑って言った。彼女は微笑んでエスプレッソを口に含んだ。僕はこの瞬間が好きだった。それは彼女がなにかを話し始めるきっかけだった。
「方法はあるわ。まず最初の日はケーキを半分食べるの。次の日は残りのケーキを半分にして食べて、その次の日はまた残りの半分。そしてどんどん毎日残っている分の半分だけ食べていけばいい。ねっ、できるでしょ? もちろん本物のケーキじゃなかなか上手くはいかない。でもそういう計算が成り立つものもあるわ。例えば意識とかがそう。意識を細分化していく過程で私たちは時間や場所を移ろい行くの。半分にした右を食べるか左を食べるかの選択性はいつもあるし、そしてもしかしたらなんらかの関係で細分化だけ先に進められケーキの断片を食べる順番を、例えば小さなピースを食べた後により大きなピースを食べるなんてことも起きるかもしれないわ」
「それが永遠に繰り返されるんですか?」
「そう、私には死というものの概念は分からないけれど、細分化は永遠に続くの。死が永遠と対局にあるならば、死は完結したときだけね。つまりケーキがまるまるあるときか、なにかの拍子で全部食べちゃったときだけなの」
 そんな話を聞きながら僕はこの町でのクレマとの日々が永遠に続く夢を見た。

 やはり僕は彼女に恋をしていたのだと思う。僕は彼女の声や眼差し、そして髪の色にまで魅了されていた。それでも僕たちの関係になにかの発展性があるという訳ではなかった。僕たちはどこへいくでもなく、ただこの町のカフェで言葉を交わした。僕はクレマのことをこの町の中でだけの魅力にあふれる友人だと自分に思い込ませた。やがて季節が流れ、この町の外の流れに僕はいつしか乗っていた。
 結婚するという話をクレマにしたのは一週間前のことだった。彼女は驚きはせずに、ただ寂しそうに「そろそろだと分かってはいたわ」と言った。そして自分も実はこの町を引っ越していくのだと告げた。これでお別れねと言う彼女に強引に今日会う約束をしたのは僕の方からだった。

 約束の時間にクレマは来なかった。僕はエスプレッソをゆっくり飲みながら待った。その女性が僕の前に座ったのはそれから三十分後だった。黒いパンツスーツに身を包み首元に赤いスカーフをあしらっていた。目は青く、細く長い栗色の美しい髪だった。僕よりも十歳近く若いだろう。肌や唇に瑞々しさがあった。彼女は俯いたまま祖母は事情があって来れませんでした、と説明した。それでも僕にはそれがクレマなのだとはっきりと分かった。祖母からの伝言を、と目の前の女性が言いかけたところで僕は目を閉じた。彼女は息をのんだ。僕は待った。やがてクレマは話し始めた。
「私は運命という言葉が嫌い。あまりに画一的すぎるから。本当に完全な形というものは、そう、あなたの飲んでいるエスプレッソみたいなもの。いくつかの重要な要素に別れている。私たちはいまからその別の要素を楽しむ時間と場所に行こうとしているの。だからあなたはあなたの時間と場所を、そこであなたが一番大切な人と精一杯生きなさい」
 声は若くはあったがクレマのものに間違いなかった。
「またいつか会えるかな?」
 僕は聞いた。
「いつか再び私とあなたの場所と時間が交わるなら」
 不意に柔らかい唇が僕の唇に触れた。驚いて目を開けたときには、目の前には誰もいなかった。さめたエスプレッソのカップが一つだけ、そこには置かれていた。