コメディ世界におけるスナイパーの憂鬱
ごんぱち
葉巻をくわえたボスが、アイシャドウをつけた猫を撫でながら写真を放る。
オレはそれを受け取り、ちらりと目をやる。
おとぼけ顔をした、知らない男だ。
「そいつを消せ」
ボスは冷たく言い放つ。
やれやれ、ボスの情婦のダイエットを成功させるために、五〇〇本もキャンデーを撃った後は、こんな人畜無害そうな男を殺すのか。
一度で良いから、大統領とか、元帥とか、世界的ミュージシャンとか、新聞の一面にカラーで載るような標的を任されたいもんだ。
「イエス、ボス」
しかしオレに、それ以外の返答はない。まあ、軍隊みたいなものだ。
「何をしたんですか、こいつ」
何を言うのもイエスの後。まあ、牧師みたいなもんだ。
「こいつは」
ボスは葉巻をギリギリと噛み締める。
「こいつは……」
「こいつは?」
「こいつは!」
「こいつは!?」
「七番倉庫を全焼させやがったんだ」
「七番倉庫……あの?」
聞いた覚えがある。七番と言えば、ボスが最も大事にしている倉庫で、用もないのに近付いたボスの従兄弟は、翌日にはハドソン川の魚の健全な育成に役立ったとか。
「お陰で覚醒剤五トンが全部煙になって、周りの連中は一日中トリップしてたそうだ」
言われてみれば三日前、いつも眠そうにしているバーガーショップの店員が、やけにハキハキと仕事をしていた。あの店員ときたら、マスタードと黄色ペンキを毎日間違えるし、一度なんぞはハンバーガーに生きたネズミが入ってて、そのままパンをかぶって逃げて行きやがった。勿論、損害賠償も慰謝料も返金も、商品の交換すらもない。
店長がどんなにフライパンで頭を殴りつけても、眠そうな顔をして言い訳をするばかり。
あれがマシになるなら、もう五、六回やらかしても結構は話ではあるが……まあ、ファミリー的には大損害には違いない。
ボスは怒りに任せて葉巻の煙を胸いっぱい吸い込む。胸のサイズが三倍ぐらいになっている。
葉巻なんてのはくゆらすもので、吸い込むもんじゃない。まともな人間なら昏倒しそうなものだが、ボスはまったく平気で、口から煙の輪を出している。
「って事は、こいつはクランシーファミリーか誰かの手先で?」
「違う!」
吐いた煙が、「NO!」の文字になり、オレはコマの隙間にぎゅうと押し込まれる。
「じゃあ、一体?」
頭の周りを回る星をふりはらいながら、オレは聞き返す。
「サムソンストリート七番地に住む、自動車のセールスマンだ」
「なるほど、自動車のセールスを装って密輸品を」
「違う、普通のフォードの孫請け販売所のダメ社員だ。女房の尻にしかれ、楽しみにしていた週末のスーパーボールを、女房の下着を手洗いしながら音だけ聞くしかないような」
「なんすか、そりゃ?」
ただの一般人が、ファミリーに敵対行為を?
嫌な予感がする。
……いや、まさかな。
「ふん」
ボスは葉巻を掌でもみ消す。
「こいつは、覚醒剤をどうこうしようという気はなかったらしい。単にパンツに入ったネズミを出そうとしていただけだ」
「な……なんですって?」
血の気がじわりと引いていく。
「その動きの中で、ホームレスにぶつかって、喧嘩になるけれど、ネズミを追い出す動きで良い具合に避けたり、落っこちたり、ふっとんだり、車にはねられたりしているうちに、七番倉庫に近付き、ファミリーの連中のマシンガンの弾も何だかんだで全てかわし、七番倉庫に突っ込んだところで襟首に入っていた火の付いた煙草が落ちて荷物に引火し、覚醒剤はおろか、俺の大事なチョコバー千本まで焼き尽くしたという寸法だ」
オレが何かを言おうとする前に、ボスは怒鳴った。
「さあ、分かったらさっさとこいつを死体にして来い!」
スコープの中心に標的を捉えた。
距離に間違いはない、風もない。
間違える訳がない、色も小道具も髪型も、全てが目立っている。周囲より五色は多い、しかも写真とまったく同じ表情のおとぼけ男。
こいつの命も今や風前の灯火。この引き金に、七〇グラムばかり力をかければ、あの頭は『ジャッカルの日』の吊るしスイカよろしくド派手に四散する。
――筈、なのだが。
問題は、ヤツがどうも主人公らしいという事だ。
ネズミにのたうちながらマシンガンを避けたり、倉庫を丸焼きにするなんて、いかにも主人公の取りそうな行動だ。
主人公は死なない。コメディ世界の常識だ。
引き金を引いたが最後、ヤツはクシャミをして弾は後ろの通行人に当たって、次の弾は前を偶然通りかかった車か何かに当たり、ヤケになって連発したって背中に今度はゴキブリか何かが入ってじたばたする動きか何かで華麗に避けられるだけだ。
あまつさえ、最後の一発を狙いに狙って撃っても、あり得ないような跳弾で、オレの股間は撃ち抜かれ、両足でピョンピョン跳ね回り、オカマ口調のミイラ男になってボスの前に報告に行く羽目になるのだ。
一昨日だって、子供の悪戯で店を全壊させられたマーケット店主を見た。当然、追ったところで子供は逃げおおせ、親に賠償を求めるなんて事は起きない。大体、この世界の子供は、大人より優れた体力と知力を持ち、その上決して傷つけられないように出来ているのだ。
別に店主に大した落ち度があった訳でもない、ただ、子供が汚い手でガラス戸をベタベタ触るから、追い払おうとしただけなのに。幸い、頭の上で星が回るだけで、怪我はなかったが、生活の糧を失った彼が、どんな風に人生を終えるのか。
怪我をした例はもっと悲惨だ。窃盗犯と間違えられたクリーニング屋が、留守番していた子供の「イタズラ」で撃退された事があった。ドアに手を挟まれ、階段から転げ落ち、頭からバケツを落とされ、最後にベランダから落下だ。
ひどい有様だった。裂傷七ヵ所、骨折三ヵ所、加えてホルモン異常になり、今も身長が止まらない。当然、裁判なし、賠償なし、笑われておしまいだ。
オレも生まれるなら、子供に生まれたかった!
ああ、嫌だ嫌だ。
はぁ……どうせ撃っても殺せないんだろうな。
いっそ、撃たずに帰るか?
でも、そういう事をすると、ボスに消されるのは目に見えている。
ボスが机の下にあるボタンを押したら、そのまま床に穴が開いてサヨウナラだ。悲鳴が五秒続いた後に、ぐしゃりとなった身体が見えないところでミンチにされて、インチキハンバーガー屋に売る訳だ。オレも銃の扱いに慣れる前は、出荷や掃除を随分とやらされた。
かくもオレたちの命は軽い。主人公は絶対に死なないが、脇役の命なんて一ギャグにもならない。
主人公や子供にとっては天国、それに相対する人間にとっては地獄だ。不公平な神を持った世界が、地獄でない訳がない。
ああ、地獄だ。正しく地獄だ。こんな世界にいる事自体が地獄だ。
してみると、ここより下なんてありゃあしない。
そうだ、そうじゃないか。破滅してやろうじゃないか。さっさと退場した方がまだマシだ。
標的は相変わらずスコープのど真ん中だ。何をやってやがるのか、そんなに動かない理由でもあるのか。
は! 知ったことか。
死ね死ね。
パンッ。
ほら、避けられ――て、ないな?
脳漿飛び散らせて、ピクリとも動かない。まあ通行人の反応は、目玉飛び出させたり、足をグルグルにして逃げたりコメディ的だが。おかしいな? どうしてだ?
ん?
話が終わらない?
だって、主人公が死んだのに?
エピローグ中、でもないな?
え?
ひょっとして、主人公って?