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第6回3000字小説バトル
Entry14

炎のがらめ

作者 : 鮭二 [しゃけじ]
Website : http://members.aol.com/Shakeji/papyrus.htm
文字数 : 3000
 会社を辞めて退職金を食い潰し、失業保険の給付も終わって、貯
金なんてものは生まれてこの方したことがなく、いよいよ行き詰ま
った夏の午後。焼酎を食らっていても気持ちがくさくさして、キャ
ンプファイヤーをやることにしたのだ。灰皿を引き寄せ、財布の中
に残っていた名刺を焼くと、小さい炎の中に背広姿の自分が見えた。
燃えろ、燃えてしまえ。そこへ小吉のおみくじと飲み屋の割引券を
焼べるとなかなか景気のいい炎となった。もーえろよもえろーよほ
のおよもーえーろー。キャンプファイヤー。確か小学5年の夏休み、
炎を見ていたら胸が騒いで脈々血が波打って、火のついた薪をやた
らと振り回していたら吉村の髪に引火して、次の日、母親と一緒に
謝りに行った。長崎屋のカステーラを持たされて、道すがらも散々
怒られていた。
「まあ、そんな、やすくんには小さい頃から遊んでもらってるんだ
し」と吉村の母親は穏やかに言ったが、私も母親も神妙な顔で俯い
ていた。
「どうぞ、上がってお茶でも」
「いえ、ここで失礼させていただきます。このたびは本当に……」
 親たちが慇懃なお辞儀を繰り返していると、奥の柱の陰から吉村
が此方を窺っているのに気付いた。肩まであった髪が猿みたいに短
くなっていて思わずはははと笑うと、二人の大人が同時に私の視線
の先を見た。私の母親は、はっと息を呑んで私の頭を力一杯殴り付
けた。それを見て、今度は吉村が柱の陰で笑った。次の日学校で会
ったら、掃除用具入れに閉じこめてやろうと思った。きっとそうし
てやろうと心に誓った。
 灰皿から黒い煙が細く立ち昇っている。キャンプファイヤーから
始まった吉村の記憶は、いくら殺しても次々と現われて、私の色々
な場所を刺していくのだった。とその時、電話が鳴り出した。
「あ、もしもし、やすくん?」
 受話器を叩きつける。あいつって奴は、いつもそうなのだ。すぐ
にまた電話が鳴る。
「あ、ちょっと切らないでね。大事な話なのよ」
「なんだよ、電話するなって言ってんだろ」
「ごめんやし。あのね、いま、東京駅に着いたところなんだけど、
ええっと、もしよかったら、あの、とりあえず、いつもの高円寺で
待ってます。9時まで待って来なかったら、そのまま最終の新幹線
で帰るから、ね、ね、ね」
 私は返事をせずに受話器を置いた。あざとい奴だ。人の弱みに付
け込みやがって。昔からそうなんだ、ちょっと落ち込んだり、金が
なかったりすると、見透かしたように近寄ってくる。すすすっと、
質の悪い宗教みたいに。と呟きながらも出掛ける支度を始めてしま
う私はいったい、ああ。
 駅前ロータリーの花壇に吉村は座っていた。百メートル先から手
を振っている。
「久しぶり、元気だった? やすくん」
「おい、その呼び方やめろって言ってんだろ」
「あ、ごめん、怒った?」
「怒ってねえよ、馬鹿」
「良かった。じゃあ、なんかうまいもんでも食べにいこうか」
 昨夜から焼酎以外は何も口にしていなかったので、とりあえず付
き合ってやることにして、私は焼き肉屋で特上ハラミをつまみにビ
ールを飲んだ。吉村は私の食べる姿を眺めて嬉しそうに頷いている。
「それでね」
 私がユッケジャンをかきこみ終わると、ようやく吉村が切り出し
た。
「大事な話があるって言ったでしょ。じつはさ、やすくんの、いえ、
津田くんの運勢、占ってもらったのね」
「なんだよ、勝手に」
「ごめん、事前に言おうかなって思ったんだけど、ほら、電話する
と怒られるし、ね、ごめん」
 吉村はビールをぐいっと飲み干し、おもむろに手帳を開いた。
「ええと、津田くんの生年月日からすると、星座は天王星で、」
「ばか、おれは天秤座だ」
「そう、十二占星術ではそうなんだけど、これはちょっと違うのよ。
もっと細かく、生まれた日にちによって微妙に計算がずれるのね。
それで、この先生がよく当るって評判なの。新道通りの『菊屋』の
前に居るんだけど、毎晩すごい行列」
 手帳には細かい字でびっしりと御託宣が書き込まれている。私の
性格やら仕事運やら、確かに当っていなくもないが、占いなんて醒
めた目で見てしまうと面白くもなんともない。
「ね、ね、当ってるでしょ?」吉村は自分の言葉に酔っていた。「
それで、ここからが肝心なところ。あたしとやすくんの相性」
 私は焼酎を呷りながら別のこと、例えば住民票のことを考えてい
た。
「……だからさあ、若い頃は困難があるけれども、最終的には結ば
れるってことみたいなの、吉村とやすくん」
「おい」
「あ、ごめん、吉村と津田くん、でした」
「おい、そうじゃなくて、ちょっと違うぞ」
「またあ、そんな照れなくっても」
「いや、違うんだ。おれの生年月日」
「なにそれ。昭和43年9月27日、違うの?」
「それは戸籍上だ。おれが生まれた日に婆さんが庭で蛇の死骸を見
付けて、やたら気にしてな、届けを1日ずらしたんだ」
「えー、なにそれ。今度やすくんのおばさんに確かめてみる」
「おい、実家にちょろちょろ顔出すなって言ってんだろ」
 吉村は手帳を閉じると、黙って焦げた肉を頬張った。
「なんだよ、それだけ言いに来たのかよ」
 吉村は答えず、肉汁がこびりついたロースターの炎を見つめてい
る。
「お前、キャンプファイヤー、覚えてるか」
「え、なに、キャンプファイヤー?」
「ほら、お前の髪の毛が燃えただろ」
「へえ、そんなこともあったっけ」
 こいつ、やっぱり馬鹿だ。どうしてそういうことを忘れてしまう
んだろう。私は焼酎を飲み干して立ち上がった。店を出て駅に向か
う。吉村はのろのろと後ろについてくる。人波とぶつかりそうにな
るたびに、吉村は卑屈に頭を下げている。やっぱり、こんな女と会
うのはもうやめよう。
「じゃあ、またね。いろいろありがとう」
 いつもと違って    あっさりとタクシー乗り場に向かうのだった。
不審を抱きながらも私は切符を買うべく財布を手にする。あ。財布
には10円玉が3枚、空しく貼り付いていた。
「お前、タクシーで帰るのか。生意気だな」
 振り向いた吉村の目が妖しく光を放つ。
「うん、ちょっと疲れちゃったし……あ、やだ、ストッキング、で
んせん、してる」と言って身を屈めると、なぜかブラウスの前ボタ
ンが上から三つくらい外れていて、その隙間からたわわな乳がばっ
ちり見えた。ああ、いかん。そんな一瞬の油断でさえ、吉村が見逃
すはずもない。
「津田くんも乗っていく? ちょっと遠回りしてあげようか」
 こいつ、いつの間にブラジャーを外したんだろう。ぼんやりとし
た私の体を素早くタクシーに押し込むと、吉村は運転手さんにはっ
きりきっぱりと行き先を告げた。
「この辺りでいちばんのラブホテルに連れていってください」

「あ、さっきのことだけど」と言って吉村が私の方に寝返りを打っ
た。
 いつものように吉村の金で飲んだり食べたりやっちゃったりした
夜、私は吉村に背を向け煙草をふかしていた。
「キャンプファイヤー。思い出した、っていうか、嘘ついてた。あ
の時、やすくん、薪を振り回して、自分のせいであたしの髪に引火
したと思ってるでしょ?」
「いいよ、もう」
「ごめん、そうじゃないの。あのね、あの時、ちょっとだけあたし
の方からも火に近付いたの、ね」
「なんだよお前、ばかっ」
 吉村の指が私の背骨をそっとなぞる。
「ごめんね、やすくん」
「その呼び方やめろって言ってんだろ」
 私は吉村の指を払いのけ、煙草を灰皿に押し付けた。吉村はたぶ
ん、舌を出して笑っている。