第64回3000字小説バトル

エントリ 作品 作者 文字数
1緋鯉青野岬3000
2手首のぼりん3000
3時空を超えて小笠原寿夫3000
4復讐者ごんぱち3000
5僕に君に降り積もる雪駆け足コーギー3000
6インタビューニューオールダーるるるぶ☆どっぐちゃん3000
7『妖精王紀』橘内 潤2955


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エントリ1 緋鯉 青野岬


 錆びた橋の欄干から身を乗り出して覗き込む。川の流れは淀んでいて、つんと鼻をつく悪臭がした。
「すごいでしょ。こんな汚い川でも鯉って棲めるのよ」
 ふいに声を掛けられて、驚いて辺りを見回す。川に迫り出すように建てられた古い家の窓から、ひとりの女が僕を見て微笑んでいた。
 歳は四十歳くらいだろうか。肩まである髪を赤茶色に染めて、下品なイラストの描かれたTシャツを着ている。化粧っ気のない顔に煙草を咥えた唇だけが、紅く濡れたように光っていた。
「鯉ってのはバカだから、何でも食べるのよ。ほら」
 女がそう言いながら、手に持っていたパンくずを放る。するとどこからかたくさんの錦鯉が集まってきて、暗く淀んだ水面がにわかに華やいだ。
「この鯉、飼ってるんですか?」
 僕は驚いて、思わず女に訊いた。
「まっさかあ! 誰かがここに放して、そのまま棲みついちゃっただけよ」
 女は僕の問いかけに、声を上げて笑った。そして白い煙を口元から勢いよく吐き出して、そのまま持っていた煙草を川に投げ捨てた。
「ねぇスライム、って知ってる?」
 そう言って顔を上げた瞬間、女の瞳が無邪気に輝いた。
「スライムって、あのべとべとした水飴みたいなやつですよね……いちおう知ってますけど」
 答えてから心の中で「しまった」と思った。この見知らぬ女に捕まって、話が長くなりそうだったからだ。このままでは予備校の時間に遅れてしまう。街中を流れる川に何か動く影をみつけて、つい好奇心から覗き込んでみただけだったのに。
「あたしが中学生の頃ね、学校の中庭に小さな池があってそこに鯉がうじゃうじゃいたの。その鯉にね、スライムをちぎって投げ入れたら面白いくらいよく食べてね……」
 女はノーブラだった。
 ワインレッドのTシャツに、ふたつの突起がハッキリと浮かび上がっている。女は全く悪びれた様子もなく、さも可笑しそうに身を捩りながら話を続ける。そのたびに豊かな胸がゆさゆさと揺れて、僕の目はそれに釘付けになった。
「ねぇ、アンタもそんなとこに突っ立ってないでさ、上がってかない?」
 突然の女からの申し出に、僕は驚いて首を左右に大きく振った。
「これから用事があるから……」
 やけに胸がどきどきして、息が苦しくなった。
「いいじゃない、ちょっとだけよ……ね?」
「予備校の時間に遅れるとマズイから……僕、もう行かないと」
「そうなの? あら残念。でもまた遊びに来てね、待ってるから……約束よ」
 僕は女の視線を振り切るように橋を渡って、その場から離れた。体の奥は熱を孕んで熱いのに、表面はいやな汗をかいてひんやりと湿っている。予備校に着いてからも、あの女のことばかり考えて何も頭に入らなかった。

 その晩、僕は夢を見た。
 目の前に大きな池がある。その中には、色とりどりの錦鯉がひしめいている。
 僕は何者かに導かれるように、水の中に足を踏み入れた。水はぬるく、わずかにとろみを帯びている。
 池は急に深くなっていて、僕の体は濁った水の中に飲み込まれた。すると同時に無数の錦鯉たちがいっせいに体に群がって、僕の全身をついばみ始めた。
 いつの間にか着ていた服は引きちぎられて、全裸になっていた。体のあちこちに鯉がぬめぬめと絡みつき、身動きもとれない。僕はなす術もなく、ただされるがままに水の中を漂っていた。
 そのとき、一匹の巨大な緋鯉が僕の目の前を悠々と泳いでいるのが見えた。緋鯉はゆっくりと僕の股間に近づいたかと思うと、大きな口をぽっかりと開けて僕のペニスを包み込んだ。
「うっ……」
 その瞬間、あまりの快感に思わず声が洩れた。緋鯉は歯のない大きな口で、僕のペニスを軽く締め上げた。そしてむっちりとした全身をつかって、絶妙な力加減で前後にしごいた。
「うわぁ……っ」
 今までに経験したことのないあまりの気持ちよさに、僕は我を忘れて身をまかせた。濁った水の中で、体が前後左右に大きく揺れる。やがて大きな快感が全身を貫き、僕は緋鯉の口の中に精を放った。

 何も手につかなくなってしまった。
 夢から醒めても、あの女のことと緋鯉のことが頭から離れない。食事さえ、ろくに喉を通らない。夜も眠れない。勉強なんて、とてもできる状態ではなかった。

 ある雨の降る午後、僕は再びあの橋の上に立った。
「来てくれたのね。待ってたわ」
 赤いストンとしたワンピースを着た女が窓際に立ち、僕の姿を見つけて嬉しそうに微笑んだ。今日は前とは違い、女の顔には綺麗に化粧が施されている。瞬きをするたびに長い睫毛が揺れて、目元に怪しい陰影を作った。
「こっちへいらっしゃい……」
 女に手招きされて、僕はゆっくり歩みを進めた。傘に当たる雨の音が、さっきよりも大きくなったような気がする。川面は雨の雫に激しく打ち付けられていて、鯉の姿を見ることはできなかった。
「どうぞ」
「……おじゃまします」
 家の中はちらかっていて、脱いだ服やビールの空き缶があちこちに転がっていた。僕はそれらを避けながら、慎重に部屋の奥へと進む。女は部屋の隅にある小さな冷蔵庫から缶ビールを取り出して、僕に差し出した。
「飲む?」
 僕は黙ったまま、首を横に振った。それを見た女は口元だけで小さく笑い、いつもの窓際に腰を下ろした。
「あたし、アンタのこと気に入っちゃったの。どう? あたしとつきあわない?」
 どう答えたらいいのわからなくて下を向いていると、女は煙草に火をつけて美味しそうに煙を吐き出した。
「えっ、で、でも……」
 女が上目遣いに僕を見て、にっこりと微笑む。窓から吹き込んでくる風は、甘い生水のにおいがする。
「大丈夫よ。別にとって食おうってわけじゃないし」
「それはそうですけど……」
 女は困って唇を尖らせる僕を見て、くっくと笑った。そして火のついたままの煙草を川に投げ捨てて、呆然と立ちつくす僕の元へ近づいてきた。
「アンタ、名前は何ていうの」
「修一です」
「シュウイチくんかぁ……いい名前ね」
 マニキュアを塗った冷たい指先が、僕の頬に触れた。思わずびくっと体が反応してしまう。その様子を見て、女は目を細めた。
「可愛いのね」
 女の唇がゆっくりと近づいて、やがて重なった。煙草の味の染み付いた舌が、まるで別の生き物のように僕の口の中を這い回る。そしてそのまま、僕は畳の上に押し倒された。
「こんなに大きくなって……素敵」
 女の指先が僕のズボンのファスナーを下ろし、中からはちきれんばかりに怒張したペニスを取り出した。女はいとおしそうに頬ずりをしてから、自分の口の中にそれを収めた。
 ああ。 
 なぜだろう。僕は泣いていた。
 あまりにも強い快感とむせ返る水のにおいに包まれて、涙が止まらなかった。もう戻れない。この女なしではもう生きて行けない。そう思うと、涙が止まらなかった。
「あう……っ」
 女は根元の部分を指先で擦りながら、歯をあてないように唇をすぼめて顔を上下させる。あたたかな舌先がくびれの部分を這うたびに、体が小さく痙攣した。
「じゃあ、こっちも……して」
 女はいったん唇を離すと、体の向きを変えて僕の顔を跨いだ。驚いたことに、女は下着をつけていなかった。赤いワンピースの下に、赤黒い影が口を開いている。僕は両手で女の尻を掴んで、おそるおそる舌先を伸ばした。
「ああん……いいっ」
 女が僕の体の上で、激しく身を捩る。窓の外から「ぼちゃん」と、大きな魚が跳ねたような水音が聞こえた。








  エントリ2 手首 のぼりん


「おい、どうしたんだ」
 はっと振り向くと、番田院が飄々として立っている。
 金台地はその番田院の肩を抱えるようにして、建物の影へ押し込んだ。
「大きい声を出さないでくれ。気づかれるじゃないか」
 金台地の指差す方向にグレーのスーツを着た初老の紳士がいた。四つ角で立ち止まって、神経質そうにきょろきょろと周りを見回すと、すぐに角を曲がって姿が見えなくなった。
「見失わないように後を付けるぞ。話は歩きながらだ」

 金台地がアルバイトに向かう途中の地下鉄の改札口でのことだった。
 ひとりの男が出口の手前で、体中のポケットに手を突っ込んでいる。どうやら切符を無くしたようで、そのうち、手にしたかばんを開けて覗き込んだ。
 その様子がとても不自然なのだ。中身を人に見られたくないのか、わずかに開けた隙間の中に、指だけを突っ込んでまさぐっている。
 たまたま、コインを足元に落とした金台地がそれを拾って覗き込むと、中のものが、隙間的に見えた。
 ……透明のビニール袋に包まれた人間の手首である。

「手首だって!」
 思わず大声を上げた番田院の口を、金台地が慌ててふさいだ。
「しっ、相手は大変な悪党かもしれないんだぞ」
 紳士は明らかに挙動不審である。角張った黒いかばんを抱きかかえるように持って、常に人の視線を避けるように歩く。
「間違いない」
 金台地はきっぱりといった。
「あの後、男は改札口から一目散に駅前の喫茶店に入った。僕はさらにそこで、待ち合わせをしていた別の男と密談しているのも聞いた」
「密談……?」
「うん。後ろの席でコーヒーを飲みながら、聞き耳を立てたんだ。断片的な話しか聞こえなかったのだが、どうやら密談の相手は便利屋だということだった。その便利屋がかばんをさすりながら、ひどく神妙な顔で、『出棺まで絶対、後悔してはいけない』といった。それから、男が『衣装はどうですか』と尋ねると、便利屋は『検討しておきましょう』と答えた。僕が聞こえた言葉といえばそれぐらいだが、それだけで十分に奇怪な会話だと察しがつくだろう。しばらくして、二人は喫茶店を出て別の方向に歩き出したのだが、僕はためらわず、かばんを持ったあの男の後を追い、ずっとつけているというわけだ」
「ふうん、便利屋…出棺、後悔…いったい何を意味しているんだろう」
「わからないか、鈍い奴だな」
 金台地は、説明ももどかしいというようにため息をついた。
「人体の切り売りさ。人の体の部分で医療業界の闇市場に売れないものはないというぞ。これほど需要の尽きないものもないし、儲かる商売もない。外国では子供の臓器を密売したとかどうとか、そういう記事を読んだ事があるだろ」
「手首も売れるのか」
「他人の手首を縫いつけたという手術例はある。世の中には、不幸な事故で手首を失った人など、五万といるんだ」
「待てよ、出棺とか、衣装とか言うのは?」
「きっと、死体の証拠隠滅のことだ。部品を取り去った残りを衣装にくるんで、とにかく棺桶に押し込み、焼いてしまえという事だろう。便利屋は、それを一切引き受けているのだと思う。人の死体をどうやって手に入れたか、あるいは作り出したかはわからないが、それをバラバラにして売るなんて明らかに犯罪だし、人道上許せるものではない。『後悔』というのは、その行為についての人間的な感情をいっていたんだろうな」
「す、すごい話だな」
「便利屋は、『こいつは売れますよ』といって、笑っていたよ。僕は背筋がぞっとしたね」
 言いながら金台地は身を震わせた。
 不審な男は人ごみの中に入ると、相変わらず両手でかばん抱きかかえるようにして、その目線は落ち着かない。

 かなり長い時間、二人は尾行を続けた。
 しかし、人通りが増えてきた商店街の入り口まで来た時、ふと、曲がり角に交通警官が立っているのが見えた。
「今がチャンスだな。尻尾を捕まえてやる」
 突然、金台地が目的の男に向かって走り出した。
 どうするつもりなんだ? 番田院がそう問い掛ける暇もない。あきれるほどの行動力だった。
「待て!そのかばんを見せろ」
 金台地は叫んだ。
 一方、男はおびえたように振り返った。きびすを返し、飛び上がって逃げようとしたが、すでに金台地の両手がかばんの取っ手を掴んでいる。
 逃げたい男と、かばんを奪いたい金台地が揉みあった。
 取り残された番田院は、唖然と立ち尽くすしかなかった。
「何だ、お前は、何をするんだ!」
「この中には人の手首が入っているはずだ」
「ど、どうして、それを……」
 男の顔が見る見る青ざめた。
「おまわりさーん」
 さらに、金台地が叫ぶと、異常に気づいた警官が二人に向かって駆けて来る。
 男は死に物狂いで、金台地の手を振り解こうとしたが、勢いあまって、握り手が緩み、肝心のかばんが吹き飛んでしまった。
 弾みで金台地も地面に転がっている。
 その金台地の鼻先にかばんが落下し、留め金が外れた。二つに割れたかばんから、ころころと転がりだしたものがある。
 人間の手首だった。
 それが次の瞬間、地面にまっすぐ立ち上がった。そして、まるで意思でも持っているように、金台地に向かってその指を上げたり下げたりしたのである。
 金台地は悲鳴を上げ、意識を失った。

「大丈夫か」
 目の前一杯に広がっているのは、番田院のあばた顔だった。
 金台地が体を起こしたのは、バス停のベンチの上である。遠くに交通警官が佇んでいるのが分かる。そこから心配そうにこちらを伺っていたが、番田院が手を振ると笑って頷いた。
 警官が見慣れた景色の点描に戻ると、何事もなかったように、周りの時間が動き出した。
「あの手首はどこへいったんだ」
 金台地が狐につままれたような顔で尋ねた。
「ちゃんとかばんに入れて持って帰ったよ」
「誰が?」
「誰がって、あのおっさんさ」
「人間の手首だぞ」
 金台地はいきり立ったように言葉を返した。
「義手だよ」
 番田院は笑っている。
「あのおっさんは、○○義肢工業会社の技術部長だ」
 金台地は、目を丸くした。
「だって……」
「全部お前の誤解さ。そんなわけないと思っていたよ。あまりにも、すっぽりとはまりすぎていたからね」
「便利屋が、出棺まで後悔するなと…」
「弁理士だよ。特許出願の代理人だ。出願まで公開するなといっていたのさ」
「なんだって…!」
「日本の特許は、先願主義といって、書面を特許庁に出願するまでに発明を公にすると『新規性』がない、つまり、権利を放棄したものとみなされるんだ。あのおっさんは、技術が専門だけに法律に疎くて、弁理士に言われるまま、何がなんでも発明品を人に見せてはいけないと思い込んでいたようだ。発明の公開というのは、技術的内容を理解できるように公にした場合をいうので、素人に外観を見せるだけならどうって事はないのにね」
「新発明の義手だったのか」
「そういうことだ。まあ、同業者が見たら、それなりの情報を得るかもしれないから、出願前の発明は慎重に扱ったほうがいいのは確かだけどね。ついでに言っとくけど、『衣装はどうするか』というのは、意匠出願もしておくか、という意味なんだろうと思うよ」
「では、『こいつは売れますよ』ってのも…」
「ははは、そういう事だね。それにしても、あのおっさん、かなり焦ってたぞ。人のいい親父をいじめるなよな」
 番田院はよほどおかしかったのか、いつまでも笑い声を止める事ができないようだった。







  エントリ3 時空を超えて 小笠原寿夫


 五百年前、日本は戦国時代の幕開けとも言えた。
 百年前のドイツの新聞にはこんなジョークが掲載されている。
 『アインシュタインの相対性理論ってのは、わけが分からないことの代名詞に使われるんだ』
 

 ニートの暮らしを始めてから早や3年が経つ。親の仕送りと生活保護で何とかその場凌ぎの生活を送ってきた。私に与えられた時間を無駄遣いしているという自負はある。しかし、この後、驚くべき展開で事は好転する。
 出会い頭から、「こいつ、なかなかのやり手だ」と悟ったわけではない。だが、その魅力に取り憑かれるには、まだ時間がかかった。それもそのはず、あいつの第一声は至ってシンプルで取ってつけたかのような一言だったからである。
「君、どっから来てんの? 」
その後、話題はテレビ番組の話やあいつの会社への不満、映画、音楽に至るまで、多岐に渡った。一言一句に、緩急をつけ、聞き手の私を惹きつけたのは、あいつの計算だったのかも知れない。ひとしきり、話題が尽きて、お互いのことを“お前”と呼び合うようになった頃、あいつが突然、真顔で本題に入った。
「お前、このまま行くと、30半ばで刑務所に入ることになるぜ」
こんなことを、まだ顔と名前も一致していない男から言われて、気分のよくなるはずもない。なに言ってやがるんだ、こいつは。私は、これまでの会話の全て台無しにしてしまう程、苦虫を噛み潰したような顔をしていたに違いない。
「これまでの経歴と姓名判断から、だいたいの予想はつくもんだ。お前は、その後、終身刑を免れ、79歳でシャバの空気を吸うことになる。そして、老い先短い人生に幕を下ろす」
「おいおい、黙って聞いてりゃ好き勝手言いやがって、お前に俺の人生のなにが分かるってんだ。俺が犯罪を犯すとでもいうのかい? 」
 そうは言いつつも私は、もしかしたら、という直感を頼りに、そいつに今言ったことの再確認と、同時に上辺ながらの否定を止めなかった。
「しかし、『あ』のつく奴は『と』を犯すってのは、あながち間違いではなさそうだって言うぜ」
 あいつはツラッとそう言い放った。
 話を逸らされたもどかしさと、この先の人生をきっぱり否定された怒りとが相まって、私は声のトーンが上吊った。
「もう少し話を聞かせてくれないか」
 この時、こいつがただ歳の近い普通の男ではない人間だとは、その時、まだ知る由もない。私はその話に惹きこまれる一方で、好奇心にも似た呵責の念が私の頭の中を駆け巡った。
「まぁ、今に分かることさ」
 そう言って、そいつは終点から2駅前の停留所で、バスを降りた。

 幽霊というものを信じているわけではない。が、私はその男の話の節々に、『右脳と左脳』の話が出てきたことを思い出していた。
「右脳って奴は、イメージを司る器官だ。怨念というのも右脳が牛耳っている。もしもお前は殺人を犯すことになったら、迷わず、右を狙え」
 こうして、私の脳にインプットされた言葉は、さりげなくも大胆に、私の耳の辺りをくすぐった。

 何故、今、こうして私が生きているのか。私とは何者であるのか。あいつは一体、何者なのか。小熊か子ぎつねでもあんなに心揺さぶる恐怖と愛着を与えてくれることはない。大化け物。いつしかそんな風に腹の中で、あいつを呼ぶようになった。
 いつも同じ停留所で、同じバスに乗り、違う停留所で降りる。そんな関係が、一年も続いた頃だろうか。ふと思い出したかのように、あいつはある質問を私に投げかけた。
「お前ん家の父さん何の仕事してんの? 」
「会社員」と答えたのは、よく覚えている。その時、気付いた。
──こいつの笑った顔見たことねぇ。
 確かに、こいつの話に私が笑うことはあっても、私の話には、あいつは眉ひとつ動かさない。つまらないはずの男にどうして、ここまで話しかけて、色んなことを吹き込んでくるのか。最後に見た笑顔は最初に見た作り笑いだけだった。

 そんな生活を何ヶ月か続けた頃だろうか。突然、私のアパートのチャイムが鳴った。まだ夜の2時過ぎのことである。のぞき穴を確認して、チェーンロックを外し、扉を開けると、そこには、“あいつ”が立っていた。ひどく興奮した様子で、言う。
「まだ2時にはなってないな。遂にやったぞ、お前。産まれた!」
「静かにしてくれ。大家がうるせぇんだ。何が産まれたって? 」
「子供だよ、子供。今日が何の日か分かるか、お前? 」
「俺の誕生日だよ。それがどうかしたのか」
「いいか? お前のミニチュアが出来たんだ。大切なのはこっからだ」
 あいつは、間髪入れず、冷たく光る物を押し当てるように私に手渡した。
「殺りに行くぞ」
「なんだって? ヤル? 殺すってことか? 」
 すんなり事態を把握出来たのは、あいつの数ヶ月に及ぶ、耳打ちの結果だったろう。すなわち、あいつはバスの中で、毎日、殺人のテクニックを何気なく教え込んでいたのである。それも絶対に捕まらないやり方で。
「しかし、今日やらなくても…」
「愚問だ。今日じゃなくちゃ意味がねぇ」
一服させてくれないか──
「あとにしろ」
酒をあおりたい──
「仕事に酒は禁物だ」
手袋とかは──
「なもん必要ねぇ。時間がねぇんだ、早くしろ」
 押し問答が続く。
「で、一体、その子供ってのはどこにいるんだい? 」
 あいつは、簡素な地図を渡し、ある産婦人科を指定した。間違いない。それは、私がこの世に生を受けた場所。ちょうど二十六年前。
 寒空の暗闇の中、あいつと私は、タクシーに乗り込み、夜中の3時前には、目的地に着いていた。
「お子さんですか」というドライバーの声を背中に感じつつ、産婦人科に忍び込み、あいつの言う通り、まだ目も開かぬ赤ん坊に目をやった。眠っている赤ん坊には、他の子供にはない若干緑色の妖しい生気が芽生え始めていた。あいつが首でクイッと指図すると同時に、遠くで犬の遠吠えが聞こえたかと思うと、私は、赤ん坊のを右前頭部にナイフを刺した。流血はなく、赤ん坊は泣き声ひとつあげなかったが、次の瞬間、私は視覚を失ったような錯覚、いや錯覚ではない。私の存在自体が消えてなくなるのを感じた。病院の警備員がやって来た頃には、そこには、人影すらなく、ひとつ空いたベビーベッドが静かに立っていた。
 パトカーのサイレンのようなものが聞こえる。救急車かも知れない。
「まぁ、60点の出来だな」
 空からあいつの声が聞こえてきたようだった。
 私は、空に向かって問いかけた。
「なぁ、お前の予想当たったよ」
「まぁな」
「お前は無罪になるんだろ? 」
「馬鹿言うな、殺人に加担したんだ。罪は軽くても功績は大きいぜ」
「また馬鹿が馬鹿なこと言ってやがる」
 パトカーの中、警察官がひとつくしゃみをした。その後部座席には、まだ目も開かぬ赤ん坊。妖しい生気は緑色を増し、そして、静かにその時を待っているようだった。
 あいつと私は、ふわりふわりと宙に浮かび上がっていく。あいつは、それに抗うこともなく、ただ上昇気流に身を任せた。私はと言うと、恐くて仕方なくそれでもあいつにこんな質問を投げた。
「なぁ、あの子供、俺たちの夢でも見てっかなぁ? 」
「まぁ、恨まれてねぇってことだけはたしかだがな」
「他人の人生を見守るなんて最高の仕事じゃねぇか」
「見てみろよ。月があんなに大きく見えるぜ」
「月夜の晩にパトランプかよ、参るぜ、全く」

 まだ春程遠い雪の降る寒い夜の出来事のことだった。







  エントリ4 復讐者 ごんぱち


 林道の崖下で、坂崎均たちは草を刈る。
「伏見さん……」
 露になった地面は、警察が掘り返した跡がいくつもあった。
「藤原さん、伏見さんはどうやって暗殺……されたんですかね?」
 戸波譲一が尋ねる。
「そうだな」
 初老の藤原正巳は、他の者に見劣りしない動きで草を刈りながら応える。
「我が憂国騎士団の内情を多少知っていれば、小隊長の伏見が、バイクでここを通る事は推測出来るだろう」
「その後は、ブレーキワイヤーに細工、とか?」
 久保田正春が汗をぬぐう。
「いや、それではいつ切れるか分からない」
「路面を滑りやすくするってのは、どうですかね」
 戸羽は刈った草を集める。
「警察も、路面からは何も検出出来なかったそうだ。昔の同僚からの情報だから、確かだと思うな」
「じゃあ、ロープで引っ掛けたとか?」
 考え考え、桜庭俊哉が呟く。
「その場合、良くて脊椎脱臼、悪くすれば、そのまま真っ二つになる。死体状況と合わないな。正直これは単なる――」
「これは!」
 その時、坂崎が怒鳴った。
 皆が駆け寄る。
「見つけた、手がかりだ!」
 坂崎の手には、写真フィルムの空き箱がしっかりと握られていた。
「……坂崎さん」
 栗本は苦笑いする。
「ただのゴミじゃないですか?」
 久保田も呆れ顔をしている。
「事故の後、カメラマンがそれなりに来てたぜ」
 桜庭はまた作業に戻る。
「なんだっ、大発見だぞ、おい! 藤原さん、見てくれ!」
 藤原は箱を受け取る。
「コダック プロフェッショナル ポートラ一六〇〇。昔気質の報道関係者なら、デジタルじゃなくてこいつを使う事もあるだろう」
「じゃあ、犯人は報道関係者だ!」
「そういう事もあるかも知れないな」
 藤原は困ったように笑う。
「『かも知れない』じゃない」
 坂崎の目の焦点は定まっていなかった。
「絶対だ!」

 隠れ家のマンションの、テーブルの上に家の見取り図が広げられる。
「問題は、退路をどう残すかだね」
 戸張が見取り図の玄関を指す。
「火傷一つなく家を焼く、か」
「留守宅じゃ、まずいんだろ?」
「大臣本人に火を見せないとな」
「……面倒だな」
「火は坂崎さんが詳しいんだけど……」
 坂崎は何事か呟きながら、携帯端末のキーを叩いている。
「坂崎、これから作戦だぞ?」
 見かねた藤原が、坂崎をゆさぶる。
「うるせえ! 伏見さんの仇を!」
「諦めろ、あれは事故――」
「事故じゃねえ!」
 坂崎に突き飛ばされたのか、藤原は派手にひっくり返る。
「坂崎さん!」
「藤原さんに何て事を」
 抑え付けられ、殴られながらも、坂崎はわめき続けた。
「伏見さんの仇を、仇を!」

「坂崎」
 部屋に入って来た藤原が声をかける。
「天気が良いぞ、飯でも行かないか」
 携帯端末に向かう坂崎に返事はなく、傍らに置かれた『尾張文部大臣宅全焼』の見出しの付いた夕刊も、広げた気配はない。
 藤原は、脇から携帯端末の画面を覗く。
「報道写真……か」
 伏見の事件だけではなく、さしたる地位にない政治家や幹部の死を伝える事件や事故の記事だった。
「伏見さんが殺られたみたいに、若い活動家とか、政治家とかが事故に見せかけて殺された記事だ」
 画面から僅かにも視線を逸らさず、坂崎は応える。
「殺された、か……!」
 報道写真を見ていた、藤原の表情が硬くなった。
「……坂崎」
「なんだ?」
「お前、伏見が誰に殺されたと思っている?」
「凄腕の、政府の殺し屋だ」
 坂崎は言い切る。
「政府に危なくなるような人を、タイムマシンで未来を見て、それで今弱いうちに殺してるんだ」
「いや」
 藤原は首を横に振る。
「タイムマシンはいらない。組織をそれなりに深く調べれば、優れた次期指導者になりそうな人材は見つけられる。そしてそれは、現在の指導者よりも暗殺が容易で、遙かに目立たない」
 藤原は坂崎の両肩を掴む。
「その任務に当たった工作員が」
 画面の無数の写真の中には、たった一人だけ、同じ人物が写っていた。
「フリーカメラマン、高林良太郎、か」
 高林が持っているのは、間違いなくフィルムカメラだった。

 繁華街を歩く、高林良太郎を、藤原と坂崎、そして戸張が尾行する。
「いい具合にカメラ屋に現れましたね」
 戸張はポケットから、フィルムの空き箱を取り出す。
「まさか本当に手がかりになるなんて」
「張り込みに家探し、追跡、世話になったな」
「礼なんて言わないで下さい、藤原さん。坂崎さんも、この前は申し訳なかったです」
 坂崎に返事はなく、憎しみのこもった目で、高林の背中を一心に見つめているだけだった。
 繁華街を抜け、橋に差し掛かった時。
 何の前触れもなく、高林が走り出した。
 藤原たちも、足音を殺しながら走り出す。
「気付かれた?」
「いや、違う。常に尾行を想定して動く。暗殺者の習性みたいなもんだろう」
 その時。
「あっ」
 藤原の手を振り切り、坂崎が走り出す。
「待て、坂崎!」
「藤原さん、坂崎さん!」
 慌てて藤原が坂崎を追おうとする。
 高林は振り向きざまに、内ポケットから改造エアガンを引き抜いた。
 高圧ガスの破裂音と共に、鉛球が。
 藤原を捉えた。
 走る勢いを狂わされた藤原は、橋の欄干にぶつかり、勢い余って川に投げ出される。
 次弾は坂崎の眼球を撃ち抜き、胸にめりこみ、肩を貫く。
 しかし。
「うわっ!」
 悲鳴を上げたのは、高林の方だった。
 負傷を気にする風もなく、坂崎は隠し持っていたカッターナイフで高林の顔と言わず手と言わず片端から切り刻む。
「ぬあっ」
 先手を取りながら不意を打たれた形になった高林は、怯えながら逃げようとする。だが、坂崎は背後からしがみつき、血まみれになった手で高林の喉を切り裂き、肩肉を噛みちぎった。
「わ、わっ、わああっ!」
 川に落ちて浮かんで来ない藤原と、動かなくなった高林に何度も何度も切り付ける坂崎を残し、戸張は逃げて行った。

「伏見さん、やりました」
 警察病院の病室で、坂崎は呟き続ける。
「伏見さん、仇を……」
 ドアが開いた。
 入って来たのは、藤原だった。
 怪我一つない。いや、かつてより若々しい印象すらあった。
「世話になったな」
 藤原は花束を差し出す。
 坂崎は焦点の定まらない目で、花束を見つめる。
 しゅっ。
 小さな音がして、花の中から出た微かな霧が坂崎にかかった。

 病院から出た藤原は、通りかかったタクシーに乗りこむ。
「お疲れ様でした」
 女の運転手がバックミラー越しに藤原を見る。
「どうという事もない」
 藤原は手をウェットティッシュで拭き、魔法瓶の水でうがいをした後、無針注射を打つ。
「高林良太郎、通り魔殺人という扱いになったわ。流石ね」
「これきりにして欲しいものだな」
「内調第二分室の『業務』に気付かれたのは、高林が有能だったからよ」
「三年もうろつかせたのは、お前のチームの無能だ」
 部分カツラと、カラーコンタクトを外し、表情を緩めると、全く別人の印象に変わった。
「ジャーナリストを極秘に消すのは難しくて。やっぱり、その辺はスペシャリストの吉沢様に任せたかったのよ」
「面倒を押し付けただけだろう。あまり買いかぶるな、もし憂国騎士団が使えなかったら――」
「出来なかった?」
「一ヶ月は延びた」
「一ヶ月の為に、優秀な人材を二人も失った憂国騎士団も可哀想だわ」
「殺さずに済むなら、済ませたかったがな。死人の出る任務は、これでなかなか気が重い」
 藤原と呼ばれていた男は、小さく笑った。
 タクシーは、車の流れの中に消えて行った。







  エントリ5 僕に君に降り積もる雪 駆け足コーギー


「僕に君に降り積もる雪」

雪は彼女との間に降り積もるようだった。
雪のような真っ白な建物の中で彼女は、もう3ヶ月も雪のような白い顔で眠っている。松山は雪がふる地方ではないが、今年は記録的な雪で、ここ数日雪景色となっていた。普段から車にチェーンを準備している人なんかいない松山では連日のように生活に支障が出ているとニュースでは騒いでいる。しかし自分の場合は基本的にダイヤに乱れがある程度で怪我をするほどの被害にあってはいない。ただ今年の冬は上着を少し大きめにして薄い服をたくさん着込んでいるだけで、普段あまり見る事の出来ない雪景色を楽しむほどの余裕まで出来ていた。誰かによって踏み固められた雪の道をてくてくと歩いていくと、もう3カ月も通っている病院についた。そこまで大規模な病院でもないので自分が受付に来るやいなや、笑顔と手を差し出してくれる。その手の方向に進めば、ほぼ必ず絶対に目的の部屋に到着するのだ。何回も開けたドアノブを開けて部屋に入ると、彼女は今日も眠っていた。
彼女が眠り始めてもう97日がたった。10月のある日の昼下がりに突然彼女から電話がかかってきた。声は聞き慣れた彼女の少しかすれた声ではなく彼女のお母さんの声だった。

―彼女の目が覚めない…昨日からずっと……―

その日から毎日この病院に通い続けている。正直野球以外の事で一つのことを継続出来たことは何一つなかった。そんな僕が彼女のためと言うだけでここまで通い続けることが出来たのは、他者ではなく間違いなく自分が一番驚いていた。

―そう…「野球以外」にね…―

自分で言うのも変な感じがするが、飽きっぽい性格の僕が野球だけはやめなかった。興居島と言う小さい島で生まれ、普通に島で生活すればほとんど野球にのめりこむことはないのだが、両親が非常に熱心で松山の野球チームにほぼ毎日通わせてくれた。最初はセカンドをしていたのだが、ある日お父さんの古い野球のビデオに出てきたアンダースローの選手に憧れ、その次の日からピッチャーのメニューをこなすようになった。いつの時代もアンダースローの小中学生は少ないので、それなりに活躍して結果が伴い始めると監督の期待も次第に大きくなっていった。いつのまにかチームのエースとなり、松山の常勝軍団に切り離せない存在として、遊び盛りの小学生時代を過ごしたのだった。

―あぁ、だめ。また野球を思い出してしまった……―

野球を始めてからと言うもの僕のアイデンティティーの87パーセント近くは「野球」になっていた。やはり人間性を見られる時も野球、野球と言われるのはあまり良い気分はしないのだが、結局のところ自分でもやはり「野球」に依存している。野球も忘れて3ヶ月も彼女のところに通っているとは言っても、結局こうやって野球のことばかり考えているのだ。彼女のことを一番に思っている、思っているはずの今でさえも。そんな過去とのギャップに苦しむ僕をみて、彼女はどのくらい苦しんでいたんだろう。彼女は中学からの幼馴染だ。もともと僕が体の大きくなかったことも関係あるだろうが彼女は精神年齢が高く、まだ子どもな僕によく意地悪をしてきていた。
ほぼ毎日松山に野球の練習にいくので授業が終わるとさっさと帰ろうとする僕に、毎日愚痴をつけてきた。それが愛情の裏返しなんて気づくのは中学生の終わりに告白されるまで、ほんの少しも考えた事がなかった。ただみんなと遊ばずにどこかに行こうとしている僕をただ興味本位でちょっかいを出してくるのだろう。僕はそう思っていた。

―少し……やせたのかな……?―

ふと彼女の顔を見た。確かに少しやせたようにも思えるが白く透き通った肌であの日とほとんど同じ顔で安らかに、だけどどこか不安そうに眠っている。眠っているのだから当然と言えば当然だが、栄養は全て点滴で補われている。しかしなんだかんだ言ってだんだん白くなんていくのは仕方ないことだろうが、どうやら白くなっていくだけではないようだ。彼女の存在は僕にとってだんだん薄くぼやけていってるのかもしれない。少しずつではあるが、彼女が元気だった頃の記憶がだんだん思い出せなくなっている。彼女の声、動き、しぐさ…。思い出そうとすれば思いだせるはずなのに、どうしても思い出せない。思い出したくないのかもしれない。たった三ヶ月眠っているだけなのに彼女の存在の中の元気だった頃は今の彼女の姿に着実に押しやられていっていた。それほど、彼女と一緒にいた5年間は意味のないものだったのだろうか。それともこの三ヶ月に意味がありすぎるのか。もし後者なのだとしたら…。

―彼女はずっと眠ったままの方が幸せなのだろうか…―

5年間も寄り道してきたが、僕はやっと彼女だけを見ることが出来ている。もしもう彼女はもう目が覚めないのだとしたら、ずっと彼女のことを見てあげることが出来る。世間も自分の野球しか出来ないと思っていた僕を、唯一彼女は野球以外のところを見てくれた。今考えれば簡単なことなのだろうが雪に覆いかぶされ君も眠り始めてからやっと彼女の言っていた大切なことに気づけた気がするのだ。

雪が降り積もる

君のまわりに 君のまわりに

僕の心にもが降り積もってく

おもむろにノートをとりだした。中学生のある日、その時から突然哲学的なことを深く考えこむという変わった習慣が付いた。その習慣は次第に薄れていったが、詩を書くという習慣がついた。別に専門知識や、豊富な語彙を持っているわけではないが、適当に書いて適当にメロディーをつけて適当に口ずさんでみる。それだけで自分なりに満足するのだった。普段ならば休日にぼーっとしている時に机に触ってプラモデルを作るように作るのだが、今日はキレイな言葉の組み合わせが思いついて、それに続くようにまるで口からタイプライターで打ち出すようにつなげていった。

「僕に君に降り積もる雪」

殺風景な景色を雪が白く染め上げる
タンスの中から一回り大きいコートを取り出そう
君と僕のケンカもこんな風に
いろんなゴタゴタも白く染め上げて
新しい喜びをたくさん着込もう

雪が降り積もる
君のまわりに 君のまわりに
僕の心にもが降り積もってく

雪で隠した景色が殺風景を取り戻す
肩から落ちたマフラーをちゃんと直して歩き出そう
君と僕とのケンカもこんな風に
凍り付いた気持ちがだんだん溶け出して
綺麗な川になれるといいね

雪が降り積もる
君のまわりに 僕のまわりに
君の心にも白く染め上げる

分からないと思ってた君のこと
雪で覆わずに見つめてみれば
大切な事に気づいた 気がした

雪が降り積もる
君の心に 僕の心に
道の片隅では まだ雪が輝いてる…

普通何か思いついたことがあって詩に昇華させるのだが、詩を書きながら気づいたことがあった。僕は間違いなく彼女が目が覚めるのを、彼女の声が聞ける日を待っている。たとえ今は彼女にずっと眠っていて欲しいと言う気持ちが強くても、心の中のどこかの片隅でそう思える自分がいることはたまらなく嬉しかった。この殺風景とまではいかないが世知辛くなったこの街に降った記録的な大雪は全てを覆い隠しただけではなく、覆い隠すことによって見せてくれたものもあり、そしてこの大雪が降るのをやめたときの道の片隅で輝く少し溶けた雪のように、素直な心で彼女の声を待つことが出来るのだとしたら。ほんとにそうなんだとしたら、こんなに寒いのも許せる……気がした。








  エントリ6 インタビューニューオールダー るるるぶ☆どっぐちゃん


1:音楽・音響担当者

 部屋には壁いっぱいに楽譜が貼り付けてあった。
「つくりかけの作品かな」
 と聞くと
「いや、飾りだ」
 と彼は答えた。
「作り終えた曲だけ楽譜にしてる。作曲中は別に楽譜は書かないからね。曲が出来上がったらピアノで弾けそうな部分だけを良い所どりしてまとめて、楽譜にする。最近のノーテーションソフトは出来が良いからデータを読ませればクリックひとつで楽譜に出来る。編集なんかしてないけど、飾りとしては立派なものだろう?」
 彼はそう言うとデスクチェアに座った。私は勧められたソファに腰を下ろす。
「ではさっそく始めるけど、良いかな」
「わかった、良いよ」
 ICレコーダーのスイッチを押し、私は部屋を見渡す。
 音響担当者というからには機材に囲まれた穴蔵の様な部屋を想像していたがデスクとパソコンが二台、それから小さめのキーボードと、機材であろうものはこの程度で、あとは小さめの本棚と私の座っているソファ、とこざっぱりした部屋だった。(写真(1)(2)参照。壁に貼られた楽譜はバラバラとリズム良く並べられ、それ自体が一つの楽譜めいて見える)
「あんまり機材無いんだね。ほら、でかいシンセサイザーとかさ、あるだろう? ムーグだったかな? なんかケーブルがいっぱいついているような。あんなのあったら触りたかったんだけどね」
「あるよ」
 と彼は答えるとパソコンの電源を入れた。
「もう始まってるのかい? インタビュー」
「ああ、でも気にしないで。普通で」
「普通の姿を知りたいから、ってやつ?」
「まあそんなところだね」
 パソコンのOSが起動すると、彼は幾つかのアプリケーションを立ち上げた。
「ほら、ムーグ」
 ディスプレイに巨大なシンセサイザーが映し出される。キーボードを弾くと凄まじい爆音がスピーカーから響いた。
「こっちはアープ。プロフェット5にオスカーもある。こっちはドイツの青年が作ったもので、これはフィンランド。ドラムマシンはアメリカのプログラマが作ったものが良かった」
「ふうん、凄いね」
「そうだね。これは全部フリーウェアでネットに繋げば誰でも自由に手に入れることが出来る。ノーテーションのソフトだってある。パソコンとネット回線、あとキーボードがあれば誰でもCDクオリティの音楽をつくることが出来る。プリンタがあれば、楽譜で部屋を飾ることも出来るね」
「なるほど」
「ところでなんで俺たちがインタビューの対象になったんだい? あの映画祭では無残な結果だったと思うけれど」
「君たちが著作権を放棄しているから」
「なるほど、やっぱりそういうこと」
「まあ私が個人的にあの作品を気に入ったということもあるけれどね。で、なんで著作権を放棄するんだい?」
「友達からCD借りてダビングしたいから」
「(笑)」
「ははは(笑)。でもCD借りたらダビングしたいだろ? そこなんだよ。誰にもそれを止める権利なんか無いんだ。例え作曲者、製作者、販売者でも、自作に対する、いや何に対するどんな権利も持たないんだ。そうあるべきだ。そうあるべきだろう? あるのは自由だ。自由だけなんだよ」
「そういう意見は昔からあるね。でも結局はいつもそうならなかった。ミッキーマウスは今も口笛を吹いているよ」
「ミッキーマウスは好きだけどね。ミッキーマウスを馬鹿にする奴は許せないな(写真(3)参照。ミッキーのTシャツを着て、私との2ショット)」

2:美術担当者

「ゴッホを描いてくれるかい?」
「良いよ。ひまわりで良いの?」
「うん。ありがとう」
 彼はイーゼルに向かい、素早く筆を動かし始めた。
 私はゴッホが好きである。彼の絵はとても良いと良いと思う。画集も持っている。
 私は知り合った画家にいつもゴッホを頼む。皆とても良く模写してくれる(彼らにとって、それはそんなに難しい作業では無いようだ)。
 私はひまわりを描いてもらう。あの自画像を描いてもらう。夜のカフェを描いてもらう。
 私はゴッホが好きである。しかし何故、彼らが描くゴッホ、本物と見紛うばかりのゴッホ、画集のゴッホ(きちんとした紙に贅沢に印刷すれば、本物よりも綺麗に印刷が可能な)ゴッホが何故タダ同然で、何故本物のゴッホだけが何億も何十億もするのか。私にはそこが良く解らない。そんなことはくだらない悩みなのであるし芸術とは何の関係も無いのだろうけれど、ずっと私を悩ませている問題である。おそらくその疑問が解けるまで、私はライターを続けていくだろう。
「ところであの劇中の天使の羽だけど印象的だったね。あれはどうやって作ったの?」
「ああ、あれね」
 彼は筆を止めて私を振り向いた。
 綺麗な長い黒髪の青年だった。
「拾ったんだよ。落ちてたんだ」
「落ちてたのか」
「そうなんだ。道の真ん中に。天使の羽が、落ちていた」

3:出演者、及び監督

 ロックスター役のあの二人は両方とも女性だった。同性愛者で、一緒に暮らしているらしい。きっちりとしたパンツスーツで現れたので普段の仕事は秘書でもしているのかと思ったが、二人ともストリップバーで働いているそうだ。
 二人の夢は子供を作ること。でもそれは適わないから養子をもらうか、孤児院みたいな施設を作るかしたいと、彼女たちは楽しそうに語った(写真(4)参照。映画とは違って、とても可愛らしい二人組みだった)。
 監督は遅れてやってきた。よれたスーツを不機嫌そうにきて、無表情なめがね面の痩せた青年だった。彼はこれまで小説や評論、詩集など数冊を出していて、今回は映画にまで手を出した。それでもきっと彼は探しものが見つからず、言いたいことが言い切れず、その本心を墓場にまで持っていくのだろう。
「乾杯」
 イタリア料理屋でのインタビューで、ペリエで乾杯した。
「まずいよなペリエって」
「まずいね」
「でもやっぱりイタリア料理屋に来たらペリエだよね」
「そうだね」
「ところでね」
「はい」
 私はあの不思議で短く、中途半端な映画についての私の論評を、これまでインタビューしてきた関係者全員に語った。不思議で短すぎて、中途半端だ、と述べた。そして次の質問をしてきた。
「天使っているのかねえ」
「いるでしょうね」
 監督はそう答えた。
 全員がそう答えたように、彼もそう答えた。
「そうか。でもなんで会えないんだろうね」
「なんででしょうかね。解りません」
 そう言ったところで料理が運ばれてきた。スモークサーモンのサラダにピッツァマルゲリータ、ラザニア、どれも盛りが多く、雑な感じがうまかった。トマトソースのニョッキを食べながら、ふと歩道に目をやると、あの天使の羽が落ちていた。午後の光の中、それは黒く鈍く光っていた。







  エントリ7 『妖精王紀』 橘内 潤


 統一王紀に預言者ラハムがのこした最後の預言は成就された。
 深淵の森に尋常ならざる魔力を放つ隕石が堕ちた。深淵の森は、かつて人間との争いに破れたエルフたちが自害して果てた地であり、彼らの怨嗟と呪いに満ちた魔性の土地である。ねじくれた木々が鬱蒼と茂る森は鳥一羽すら飛ばない不浄の地だ。しかし――隕石から溢れる膨大な魔力に中てられた森は、生命に満ち溢れていた在りし日の姿を取り戻したかのようだった。
 隕石が放つ魔力波は、深淵の森を国土に有するフィブライル国の賢究院でも観測された。その報告を入れた国王はただちに魔導師を派遣して調査に当たらせたが、調査団に任命された彼らが再び王都の地を踏むことはなかった。
 調査団が連絡を絶った直後、深淵の森には一夜にして城が打ち建てられていた。一晩で急成長した木々が左右の木々と枝を絡めあってできた異形の城である。
 巨大な尖塔のごとき樹木の集合体――それが城であると知れたのは、そう宣言する者がいたからだ。
 消息を絶った調査団の救出に向かった騎士団を待ちうけていたのは、変わり果てた姿で森を目指して行進する近隣の村人たちと、いまでは文献でしか見ることのできないはずのエルフたちの姿だった。滅びたはずのエルフが、ゾンビになった村人たちを森に向かうよう指示しているという光景に出くわしたのである。
 軽装とはいえ鎧を着込み、軍馬にまたがってやってきた騎士団の姿にエルフたちが気づかないはずがなかった。騎士たちは予期していなかった光景にうろたえ、恐慌に背を押されるように剣や槍を抜き放ってエルフたちに襲いかかった――この戦闘はエルフの勝利で終わる。
 調査団が消息を絶ったとはいえ、国境線に火種を抱えている現在、国内の問題に若輩の兵士を送るというのは妥当な判断だったはずだ。これに関しては軍部の認識が甘かったのではなく、エルフの復活という事態のほうが異常だったというべきだろう。
 ただひとり生きて帰された兵士は、一夜にして白髪と化した髪を振り乱して叫喚しながら王都を走りまわった――かつて、人間に戦いを挑んで討たれたエルフの王、妖精王の復活を叫びながら。

 国土の一端に深淵の森を擁した国フィブライルは悩んでいた。
 兼ねてから、東南の国境にまたがる広大なユーニユ湖を巡って隣国との小競り合いをつづけていたこの時期、国土の西北に位置する深淵の森に対して兵を割くかべきか迷っていた。
 深淵城――以前は深淵の森とよばれていた妖精王の居城を千里眼で監視する魔導兵からの報告は、エルフが近隣の村々を襲ってゾンビ化させた村人を手勢に収めているというものだった。
 この報告は家臣団を安心させるものだった。妖精王が兵士を欲しているという事実はすなわち、愚鈍なゾンビをかき集めてでも頭数を揃えなくてはならないほど戦力が不足していることを示唆していた。
 国軍は森周辺の村々に伝令を走らせて王都まで避難するように命じた。これが春や秋であれば農作物の収穫に影響しただろうが、いまは晩冬――村人は王命に諾として従った。
 フィブライルはこうして時間を稼いぎつつ、隣国ティスアとの間でじつに六度目となる講和の使者を送った。フィブライル同様、春を前にして民兵の士気低下を危惧していたティスアも講和に同意した。もちろん、過去に五度も講和が破られているように、両国とも“一時的”な停戦としか認識していなかった。だからこそ、此度の講和もつつがなく結ばれたといえようか。
 予定された停戦――もしこの湖上会談が縺れると予想されていたならば、フィブライルは妖精王復活の事実を声高に喧伝して、「いまは人間同士で争っている場合ではない。統一王紀を思いだせ!」との大義名分をもって無理やりにでも和議を結ばせていただろう。そして、半島中の諸国家も、預言者ラハムの遺言が現実となったことをいち早く知りえていたはずだ。
 すべては歴史家の夢想の中にしかない成立しない仮定である。
 史実においてはこの時点で妖精王の復活を知っていたのはフィブライル一国のみである。フィブライルは講和成立と同時に主兵力を取って返させ、エルフの殲滅を命じた。偵察兵からの報告から判断すれば、彼我の兵力差は絶対的であり、エルフはふたたび死の国に追い返されるかとおもわれた。

 しかし、フィブライルの重鎮たちは忘れていた。いや、アルファン半島に住むすべての人間がそのことを忘れていた。
 亜大陸とも呼ばれるアルファン半島は南に突き出た形をしている。フィブライルは半島の最北部に位置し、国土の北は大陸と半島の境界線である大シャウカ山脈が東西に横たわっている。
 かつて半島が単一国家によって統一されていた“統一王紀”とよばれる時代、人間は自分たちと似て非なる異種族――亜人たちを迫害した。故郷の地を追われた亜人はシャウカ山脈に逃げ込み、人間への恨みを子々孫々と育んで今なおその地に暮らしていた。
 統一王紀が四代で終わりを告げた後、アルファン半島をふたたび群雄割拠の嵐が吹き荒れる。しかし過ぎ去らない嵐がないように戦乱の時代も長くはつづかない。この時代、半島諸国は緊張と弛緩、小競り合いと和議を繰り返すも比較的平和な時代を迎えていた。
 平和と戦乱が連なる中、人間は自分たちがかつて土地を欲しさに亜人を裏切ったことを忘れていった。しかし人間が亜人を忘れても、妖精王は亜人を忘れなかった。
 妖精王は配下の騎士団に命じて大っぴらにゾンビ兵を集める裏で、単身、シャウカ山脈に赴き、亜人たちに自らの傘下となるよう要請した。亜人たちはみな自主独立の気風が強い種族だったが、彼らもまた、エルフが迫害の矢面に立って憤死するまで人間と戦いつづけたことを綿々と語り継ぎ、忘れていなかった。

 生半な刃物を撥ね返す強靭な皮膚の小人ドワーフ。白翼を背負って戦場を自在に翔る翼人バルタン。人間に倍する体躯の巨人ジャイアントと彼らの騎獣、有翼の蛇竜ワイアーム。そして、妖精王とともに復活した、彼の剣にして盾であるエルフ戦士“妖精騎士団”――妖精王の下に統一された亜人の軍団はフィブライル軍を一蹴した。
 敗走する兵も容赦なく狩りたてられた。全滅した彼らの屍は妖精騎士団の手によってゾンビとして復活させられ、今度は妖精王の尖兵として人間を襲う側にまわらされる。ゾンビ兵が国中を好き勝手に暴れまわって混乱に陥れている隙に、妖精軍の本隊は疾風の速さでフィブライル王都ナハルを襲撃――すでに主力の騎兵団と魔導兵団を壊滅させられていたフィブライルは今更ながら隣国ティスアに急使を走らせていたが間に合うはずもなく、ナハルは一夜にして死都に変貌したのだった。
 生前、エルフの王だった者はいまや、亜人の王であり、死者の王であり、精霊の王であり――名実ともに三界の覇者“妖精王”である。
 炎上するナハルの都は、半島諸国に向けられた宣戦布告の狼煙となるのだった。

 フィブライルは、ラハムの遺言どおり妖精王が復活した事実を早期に知らしめなかった。それは、隣国ティスアとの講和において足元を見られ、不利な条件を突きつけられるかもしれないと恐れたからだ。
 フィブライルは、小事を危惧して大事を放置した愚かな国として、その名のみを現在に伝えている。