アメ色のスーツに、キャンディ柄のネクタイをしめた糖子さんが、次に呼び鈴を押したのは、雪みたいに白いドアの家でした。
「邪魔しないでくれないか」
中から顔を出したのは、むすっとした顔の有蔵さんでした。ドアと同じく白い服。
でも、糖子さんは自然と顔が笑っていました。
「あら、良い香り」
有蔵さんと一緒に、甘い甘い香りが流れ出て来たのです。
「バニラビーンズ、カカオにミント、紅茶、コーヒー、キャラメル、ミルクにシナモンもありますね。みんなお菓子に良く合う香り」
「それは当然です、ここはお菓子屋ですから」
有蔵さんの服はパティシエの作業着で、ほっぺや手には、粉や砂糖がくっついています。
「パティシエさんですか?」
「はい、菓山有蔵と申します」
「でしたら、お菓子は大好きですね」
糖子さんはアタッシュケースを開きます。
「私はアメのセールスマンの、飴宮糖子と申します。アメをお一ついかがです? 蜂蜜入りののどキャンディーに、透き通っているべっこうのど飴、きな粉のどアメ、黒のど飴、チューイングタイプのソフトのどアメ」
「どれも、のどアメばかりですね」
「のどアメの方が売れるのです」
「そう、正しくそれなのです」
有蔵さんは、また眉間にシワを作ります。
「のどアメはお嫌いですか?」
「いいえ、喉がいがらっぽい時に食べるのど飴は、有難いものです。天使の至福、地獄の仏、月のスッポン」
有蔵さんの手は、アメを練る時のやけどがいっぱいあります。
「しかし喉が痛くなく、いがらっぽくもなく、何一つ、そう何一つ喉に落ち度がない時に、のどアメを食べるのは、のどアメに対して無礼だと思うのです」
「でものどアメは医薬品ではありません。喉を癒すかも知れませんが、喉を癒す効果をうたったものではないのです」
「だとしても」
有蔵さんは仕事場に行きます。
水飴と水と砂糖を煮詰め、泡立つ鍋をかき混ぜます。
「のどアメと言う以上、期待をせずにはいられません。健康食品に一辺の健康効果がなくとも、健康を期待する気持ちは否定できません。安売りの値札は例え高価であっても安買い心を満たします」
煮詰まりかけたアメを取り出し、荒熱を取って丸めます。空気を含んだアメはきらきらとして、まるで絹糸を束ねたよう。
「アメは第一にアメであるべきだと思うのです。アメはアメという娯楽ではないのでしょうか」
丸いアメ、動植物の姿をしたアメ、棒の付いたアメ。
有蔵さんの手は、魔法のように様々なアメを作り出して行きます。
「ですから僕は、アメを作るのです」
「ただのアメを?」
「はい。喉に良くも悪くもない、しかし、食べずにはいられないアメを」
固まったアメを、有蔵さんは一つ口に入れます。
「でも、まだ足りないのです」
「美しく、おいしそうなアメですが?」
有蔵さんは作り上げた飴細工を叩きます。数分前までは柔らかかったアメは、音を立てて折れました。
「のどアメと僕のアメがならんでいて、まだのどアメが選ばれる」
有蔵さんは、とてもとても悔しそうな顔をして、またアメを作り始めました。
「餅はお菓子屋、アンコはお菓子屋、アメのことはお菓子屋さんに頼みましょう」
糖子さんは、森の中のその奥の、パティシエクロヤマのお店にやって来ました。
「あら?」
ドアの前には貼り紙が一枚。
『五年先の冬に備えて、仕込みに入るので、しばらくお休みにします』
「待てば海路の日和あり、だけど陸路はどうかしら?」
糖子さんは、ふと、地面に白い筋を見つけました。
「お砂糖ですね」
砂糖の筋はぐるぐるぐるぐるとあちらこちらを廻った後、店の裏の穴の奥に続いていました。
糖子さんは、ランタンに火を灯して穴に入ります。
穴は長くて狭くて頭をぶつければ、上から土が落ちて来そう。
「でも有蔵さんのアメが売れるためですもの」
糖子さんは、落盤が起きない程度に元気よく、砂糖の筋をたどりますが。
分かれ道の前に来たところで、砂糖の筋が途切れていました。
「右に行きましょうか、左に行きましょうか」
右へ少し進むと、行き止まりでした。
「良かった、これで、左が正しいって分かりました」
糖子さん、今度は左へ進みます。
左の道はすぐに行き止まりにはなりません。
穴はいつしか下へ傾き、しまいに垂直の穴になりました。
糖子さんは穴の奥を見下ろしますが、暗くて何にも見えません。
見えませんが。
「あら?」
嗅いだ覚えのあるほのかな香り。
「間違いない、バニラです」
糖子さんはランタンをしっかり抱えると、ひょいと穴に飛び込みました。
縦穴の壁をズルズルガリガリ引っ掻いて、スピードを弛めながら、糖子さんは降りて行きます。
土がボロボロ崩れて、糖子さんは泥だらけ。
それでもどんどん下がります。
ボロボロボロボロ、ザラザラボロザラ、ズルガリガルズリ。
と。
ふいに、引っかかりがなくなりました。
どしん!
糖子さんが落ちたのは、とても明るい場所。そして、とても良い香り。
「おや、お客さんですか?」
アリのパティシエたちが、驚いた顔をして糖子さんを見ます。
「ごめんなさい、驚かせてしまいましたか?」
「いいえ、アリは常に備えているもの。あなたが落ちて来て、例え店が全部壊されたとしても、百年は暮らせるだけの蓄えがございます」
「それなら良かったです。ねえ、クロヤマさん」
「はい」
「はい」
「はい」
「はい」
みんなが一度に返事をします。
「どなたがクロヤマさん?」
「我々みんなが、パティシエクロヤマです」
「それなら、一番近いクロヤマさん」
「なんでしょう?」
「のどアメよりも売れるアメのレシピをご存じなら、譲って下さいませんか? 有蔵さんに教えてあげたいのです」
「でもあなたは、それをして何の蓄えになるのですか?」
「有蔵さんは、お金が蓄えられる、でもあなたは?」
「そうです、あなたは何の蓄え?」
「愛?」
「恋?」
「友情?」
「家庭の事情?」
「まだよくは分かりません。でも、有蔵さんの作ったアメを、アタッシュケースにぎっしり詰めて売るのは、多分幸せだと思うのです」
「なるほど、アメ売りさんですか」
「ならば合点がいきました」
クロヤマたちが、古びたレシピ帳を持って来て、ページを開きコピーしました。
「ありがとう、さようなら。クロヤマさんたち」
「気をつけて」
「もしも、鬼火が現れたら、走って逃げなさい」
「もしも、竜が道に横たわっていても、逆鱗にだけは触れてはいけません」
「もしも、空が落ちて来たら、穴の中に逃げなさい」
糖子さんはミルクみたいに白いドアを叩きます。
「こんにちは」
「どうしたんですか糖子さん、そんな格好で」
驚き顔の有蔵さん。
糖子さんのスーツはすっかり土色、ネクタイの柄も見えないし、髪も土埃でバサバサです。
「ごめんなさい、こんな格好」
「いいですよ。でも、どうしたんですか? それが心配です」
「なんでもないんですよ」
「本当に?」
「アメに賭けて」
「でしたら、心配は止めましょう。そして、嬉しいお知らせです」
有蔵さんは、長く長くしまい込んでいた分を全部まとめてにっこりと、笑いました。
「ただのアメが完成しました」
有蔵さんが、キャンディーボトルを見せました。中のアメが、朝日を浴びて虹色に光っています。
「どうぞお一つ、糖子さん」
糖子さんは、レシピをポケットに残したまま、アメを一つ食べました。
糖子さんはにっこり笑いました。
にっこりにっこり笑いました。