B大陸C国に置かれた我が社初の海外拠点へ赴任するに当たり、現地スタッフのD氏に案内を請うべく、着任のその日に国際空港で落ち合った。彼の紹介で現地在外公館の駐在大使と特別に親しく歓談させてもらい、取引先のめぼしい人物に着任の挨拶を済ませたあと、D氏の薦めで市内見物に出た。
永らく諸外国の植民地として留め置かれ、経済的な立ち遅れの目立つB大陸諸国の中で、C国は抜きん出た存在である。郊外の国際空港から首都中心部へ抜けるハイウェイが整備され、首都圏の地下鉄網・鉄道網は完備、市街にはニューヨークの摩天楼と見まがうばかりの高層ビルが建ち並び、巨大なターミナル駅のショッピングセンターには常に人が溢れていた。
C国建国の父を記念したモニュメントを見学したあと、D氏の案内でとある広場を通りかかったとき、私はそこに大きな人だかりを見た。
「何をやっているのですかね」
何気なく問いかけると、D氏はどうということはないという調子で、
「ああ。公開処刑ですよ」
「公開処刑?」
私はすっかり腰を抜かしてしまった。これほど高い近代性を誇るC国において、公開処刑というような非文明的な制度がいまだに存在しているというのは大きな驚きだった。
私の心を察したらしく、D氏は快活に笑って、同国の死刑制度について簡単に説明してくれた。死刑は同国でももともと非公開であったが、数年前、死刑制度に関する法律の大改正が行なわれ、従来死刑台の置かれた各刑務所の刑務官が公務として行なっていた死刑の執行を犯罪被害者の遺族が行なうことになったのに伴い、公開処刑に切り替えられたのだという。
「死刑を犯罪被害者の遺族にやらせるんですって!」
私はまたまた腰を抜かしてしまった。
「だってそのほうがずっと合理的なのですよ」
D氏はいくぶん気分を害したような表情でいった。「元来、我が国の死刑制度においては応報的な意味合いが強く主張されてきました。国家が法に基づいて犯罪者に対する復讐を代行するという側面が強かったわけです。しかし、それには大きな問題がありました。処刑の現場を担う刑務官たちの心の問題です。いかに凶悪な犯罪を犯したとはいえ、死刑囚もまた人間。彼らと身近に接する刑務官に情が沸くのもまた道理というものです。個人的な遺恨など初めからないわけですから、いざ死刑を執行する段になって強い良心の呵責を感じたとしてもおかしくありません。現に死刑執行経験者の中には、その後精神に異常を来たし、廃人同然の生活を送っている者もあると聞きます。遺族による死刑執行は、国家が一方的に収奪していた復讐権を遺族に返還する意味合いをもつとともに、人道的な観点から、死刑執行官をその精神的な負担から解放しようというのが第一の目的です。また公開で処刑を行なうことにより、非公開の場合よりも大きな犯罪抑止効果が期待できると同時に、一般民衆の報復感情をも慰撫することが出来るのです」
「しかし」私は大いに首を傾げた。「遺族の中には自ら死刑を執行することを望まない人もいるでしょう」
「むろんそうです」とD氏は大きくうなずき、「新制度においていわゆる死刑相当判決と呼ばれるものは死刑判決そのものではありません。被告人を死刑にするか、罪一等を減じて終身刑にするかを被害者遺族に決定させる旨の判決なのです。遺族には、加害者を死刑にするか否かを判断するために、半年という時間が与えられます。判決後半年以内に、最高裁判所へ死刑の執行を申し出ることによって最終的に死刑が確定し、それから1ヶ月以内に刑が執行されるのです」
「万一、刑を執行するまでに遺族の気持ちが変わった場合はどうなるのです」
「その場合、死刑判決が破棄されて、改めて終身刑の判決がなされることになります。遺族は死刑執行のその瞬間まで、いつでも死刑執行の意思表示を撤回することが出来ますが、一度死刑執行を放棄したあとはそれを撤回することは出来ません」
私はなお釈然としない思いを抱きながら、儀礼的に「なるほど」と呟いた。そのとき、群衆の間からどよめきが起こった。両手を後ろ手に縛られ、頭から黒い頭巾を被せられた死刑囚がいましも絞首台にかけられるところだった。絞首台の下に置かれた長机の前に並んでいるのが遺族で、彼らが机の上のボタンを押すことによって絞首台の底が抜け、刑が執行されるのだとD氏は説明した。
ふいにガタンという大きな物音がし、死刑囚はあっという間に台上に宙吊りになった。その身体は初め、電気ショックを与えられた動物のように激しく痙攣し、やがて海老のように反り返って硬直したあと、ぱたっと脱力してそのまま動かなくなった。期せずして群衆の間からまばらな拍手が起こったが、当の遺族たちは重苦しい沈黙の中で宙に揺れる死刑囚の姿を憑かれたように凝視し、あるいは目を背けた。
「身近な人間を無惨に殺された人びとが自らの手で恨みを晴らしたいと望むのは至極当然の考えです。死刑はけしからんなどと分別顔でいう者がおりますが、凶悪な犯罪者をおめおめと生きながらえさせようという死刑廃止論者の主張のほうがよほどけしからんですよ」
車で私を支社へ送りながら、D氏は誇らしげにそういったが、私は一刻も早くいま見た光景を忘れたかった。
それから数年の月日が過ぎた。私はその間、着実に仕事上の成果をあげ、支店長にまで昇りつめた。ある日のこと、私は現地の新聞で気になる記事を見かけた。死刑執行を行なった遺族のもとに、嫌がらせの手紙や電話が相次ぐ事例が急速に増えているというのだ。さらに数ヵ月後、今度は死刑執行を行なって間もない遺族の一人が何者かによって惨殺されるというショッキングな事件が起きた。数日後に自首した犯人は警察の調べに対し、「死刑制度に名を借りた殺人者に天誅を下した」と述べたが、世論はなぜか殺された遺族よりもむしろ犯人のほうに同情的であった。この事件を境に、死刑相当判決の事例で遺族が終身刑を選択するケースが激増した。加えて、かつて犯罪被害者遺族として死刑執行を行なったある人物がその内情を赤裸々に綴った手記がベストセラーとなり、遺族による死刑執行の過酷さを世に訴えて物議を醸した。C国ではその後、死刑制度廃止を求める声が急速に強まり、ついにその数年後、私が現地での任を終えようとしていたまさにその年に、死刑は廃止されたのである。
本国へ帰るその日、D氏に送られて空港へ向かう途中で、いつか公開処刑を見た広場の前を通り過ぎた。ふとした懐かしさから思い出話を口にすると、D氏は車のハンドルを握ったまま刑場の跡地にちらりと目をやり、分別臭いため息をついた。
「廃止されて当然なんですよ死刑なんて。少なくともわたしは初めからそう思っていましたね。そもそも、人を殺すという行為とそこから得られるものとが等価になっていないのが死刑制度の最大の欠点なんです。遺族がいくら犯人を殺したいと思っていたって、殺人犯が人を殺そうと思うのとは訳が違います。人ひとり殺すことによって、誰も得をしない。得をするとすれば、死刑をショーとして楽しむ一部の民衆だけでしょう」
私はD氏のあまりの豹変ぶりに内心びっくりしながらも黙っていた。
「いっそ、私みたいな人間に私的に金で請け負わせればいいのだ」
D氏はいった。「あなた、Xって女を知ってますね」
エッと振り返った瞬間、鋭い銃声が響いた。