キリギリスの腕
るるるぶ☆どっぐちゃん
キリギリスの腕。
バイオリン。
バイオリンケースいっぱいに詰められた、五線譜。
カセットテープ。ミサイルとしての音楽。ロケットとしての音楽。MD。CD。レコード。降り注ぐ弾丸の雨。降り注ぐ雨。降り注ぐ降り注ぐ降り注ぐ。雨。
抱きしめあい、微笑みあう恋人たち。
降り注ぐ五線譜。
「だから結局あなたは別に本物を必要としているわけじゃないんですよね」
「そうかもな」
キリギリスの耳。
「ゆっくりとだが、少しずつだが、確実に、狂っていく」
「理想論ですね」
「年をとるってことはそういうことだ。正規分布だよ。お前ももう少ししたら解る。お前も正規分布だ」
「理想論ですね」
正規布の五線譜。
ところで新宿には花園がある。嘘じゃない。正確には花園神社がある、だが。
路上で少女が歌っている。安っぽいカラオケマイクを安っぽいアンプに突っ込んで。キリギリス。ハイウェイの上のキリギリス。少女は楽しそうに歌っている。十人のバンドを引き連れて。少女は楽しそうに楽しそうに歌っている。たまに上着を脱いでその幼い胸部を露にしたりしながら、少女は楽しそうに歌っている。
騒音罪やら何やらで少女たちは花園交番の警官たちに追われる。
ロードムービー。
最新SFXロードムービー。
「だから結局あなたは別に本物を必要としているわけじゃないんですよね」
少女たちは楽しそうに走る。楽しそうに逃げる。バラバラと落ちていくドラムセットのパーツ。アンプ。カラオケマイク。コンピュータミュージック。降り注ぐ雨。降り注ぐ弾丸、ロケット、MD、CD、レコード、テープレコーダー。
鉄板メタル装甲の戦車。戦車は普通五人乗りで、弾込め、操舵手、砲撃手、バンドリーダー、そしてギタリスト。バンドリーダーの役割は大切で、あれやこれやの指示やスピーカーがトばないようにイコライジングやら何やらでとても忙しくとても常人に出来ることでは無い。指揮棒を手にコンダクトして、ディレクションして、プロデュースまでして、さらにジャケットの絵を描いたりなんだり。鉄板メタル装甲の戦車の中に猫や羊などのペットもいたらなおさらだ。ちょっと前までは四人乗り、三人乗りの戦車まで作られたが、継戦能力や補給などの観点から、結局効率的、正規分布にのっとって、ということで、また主流は五人乗りに戻った。
ギタリストは狭い鉄板メタル装甲の戦車の中で、チューニングがうまくいかないので機嫌が悪い。弦の張り替えなんて面倒で面倒で面倒なものだ。このギタリスト的にはチューニングなんて狂っていたって良いのだが狂っていて良いの状態にならないので大変機嫌が悪い。少女は楽しそうだ。狭い鉄板メタル装甲戦車の中でも楽しそうだ。膨らみかけた自分の胸部や、女らしさが出てきた臀部などが嬉しくて、少女はとても楽しそうだ。
鉄板メタル装甲戦車は進む。進撃を続ける。ダブミュージックを響かせながら、ロンドンの街を突き進む。テクノミュージックを響かせながら、デトロイトの街を突き抜ける。途中途中に壊れたアンプが放置されている。ビルほどの大きさのアンペグのベースアンプが、ひび割れていて、傾いでいて、ノイズを発していて。歌うようなノイズを発していて。途中途中にバイオリンを見かける。ビルほどの大きさのバイオリンが、ひび割れていて、傾いでいて、ノイズを発していて。歌うようなノイズを発していて。途中途中に壊れた五線譜を見かける。ビルほどの大きさの五線譜がひび割れていて、傾いでいて、ノイズを発していて。歌うようなノイズを発していて。
五線譜の上のキリギリス。
少女は結局捕まり、花園交番へと連行される。
少女は五人の警官に取り囲まれた。そのうち四人はロングスカートからちらりとパンツを見せたり、わきの下を見せてフェティシズムに訴えかけたりして簡単にどうにかなった。ただ、残りの一人はゲイでホモでオカマでネコだったので、簡単にはいかなかった。なるほど。こういう人も世の中にはいるんだなあ、と少女は思い、新しい知識を得たことで楽しい気分になる。
少女は起訴され、結局死刑を求刑された。死刑を求刑されて彼女は有名になった。有名になることを、少女は嬉しく思った。
「五線譜なんて書くからですよ。だからキリギリスなんかに食べられるんだ」
「理想論だな」
「ははは。そうですよ、理想論です」
「チューニングなんてどうだって良いじゃないか! さっきからぐだぐだぐだぐだ! いい加減にしたらどうなんだ!」
バンドマスターが怒鳴る。操舵手と砲撃手は心地よい陽気で居眠りをしていた。
「チューニングなんてなあ、どうだって良いんだよ! さっきからぐだぐだぐだぐだ! ぐだぐだぐだぐだ! いい加減にするんだ!」
「いや、これは、いい、加減、にして、すむ、はなし、じゃ、ない」
ぼそぼそと答えるギタリストの言葉を少女は楽しそうに聞いている。
「これは、いい、加減、にして、すむ、はなし、じゃ、ない、よ」
「ふん、理想論だな!」
少女の裁判は長期にわたった。長い裁判だった。長い長い時が経った。少女は少女だった。ずっと少女は少女のままだった。
「これはなに?」
少女は少年に尋ねられる。
「これは、なに?」
最近、雑居房で一緒になった少年だった。綺麗な顔をしていて、とても頭が良くて、お金をたくさん盗んで、お金を沢山騙し取った罪で、牢屋に入れられているそうだ。
「これは、なに?」
「それは、キリギリスの腕よ」
「これは、なに?」
「それはバイオリン」
「これは、なに?」
「これは、五線譜。うたを、うたう、ためのものよ。バイオリンを、ひく、ための、ものよ」
「理想論だな」
ギタリストとバンドマスターがつぶやく。
少年の乗った鉄板デスメタル装甲の戦車と相対峙して。ロードムービー。
鉄板デスメタル装甲の戦車にはどんな攻撃も通用しない。核ミサイルでも傷一つつけられない。少年の乗るバイオリンケースの形をした鉄板デスメタル装甲の戦車には、どんな攻撃も無意味だった。降り注ぐカセットテープ。ミサイルとしての音楽。ロケットとしての音楽。MD。CD。レコード。降り注ぐ弾丸の雨。降り注ぐ雨。降り注ぐ降り注ぐ降り注ぐ。雨。ロケットランチャーの見る夢。
「悲しい夢だね」
「そうでもないよ」
「悲しい夢だね」
「もっと悲しいことはある」
たった一年。たった十年。たった百年。たった千年。一万年。かなしいゆめだね。
キリギリスの腕が、バイオリンを奏でる。
かなしいゆめだね。
もっとかなしいこともあるよ。
最後の晩餐の上に描かれた五線譜。ラファエロの受胎告知の上に描かれた五線譜。ムリーリョの無限罪の御宿りの上に描かれた五線譜。自爆ボタンを押した鉄板デスメタル装甲戦車の爆炎の上に描かれた五線譜。かさかさと風に舞うキリギリスの腕が、バイオリンを、奏でる。奏で続ける。もっとかなしいこともあるよ。もっとうまくいかないこともある。チューニングを終えたギタリストのギターをキリギリスが弾く。ただのノイズだ。C、E、G。A、C#、E。ただのノイズだ。ノイズ。ノイズ。ノイズ。ノイズ。
世界はその後八回滅び、少女は一千万回死に、ハウリングが響き続ける荒野。ロードムービーがずっと映し出されている荒野。誰かが描いたサイン波が残された地面。誰かが描いた鍵盤が残された地面。正規分布が描かれた地面。
少女と少年は戦車で旅を続けている。ロードムービー。少女はマリア・カラスの生まれ変わりで、少年はモーツァルトの生まれ変わりで、ピアノ型の戦車で旅を続けていて、その頃の紙幣には五線譜が描かれていて、そのお金で入った偽の花園の遊園地でうっとりしていて、そしてみなが歌を知っていて、みなが本当のことを知っていて、そうして、世界は、再び滅ぶ。