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3000字小説バトル

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3000字小説バトル
第89回バトル 作品

参加作品一覧

(2008年 5月)
文字数
1
ごんぱち
3000
2
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん

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深淵
ごんぱち

 うたた寝をしたのがいけなかった。

 目の前に、見慣れない男の顔があった。
 いや、それは正しくない。顔には見覚えがあった。
 毎朝眺めている自分の顔だ。
 問題は。
 頭。
 もしくは髪と言うべきか。
 側頭部がすっかり剃られ肌が露出しており、額から頭頂部にかけた部分にのみ、二センチ程の幅で一列髪が残されている。あまつさえ紫色に着色され、かなり強い整髪料でピンと立てられている。
 正式な定義と実際には異なるかも知れないが、少なくとも私の知っている限り、この髪型は。
 モヒカン刈りである。

 モヒカンとは、ネイティブアメリカンの部族名であり、モヒカン刈りは彼らの戦士の行う髪型であるという。モヒカンは狼を意味する言葉なので、狼を何らかの形で似せたのだろうか。しかし未だかつて私はモヒカン刈りの狼を見た事がない。無論、日本人の大多数と同様に私は実際に生の狼を見た経験はないから、類似点なしと言い切るのは早計かも知れないが。あ、この場合の生の狼とは、焼き肉とかの対比の意味の生ではなく、カメラを通していないという意味の生だ。そのこころを問われるなら、写真は焼くからと答えよう。上手い、上手いねどうも、ザブトンあげちゃうね、多い日も――すまんかった、下品だった。
 改めて見ると、モヒカン刈りは狼というよりも馬に似ている。馬なら戦士と縁が深いし、こう、たてがみのある馬の上にモヒカン刈りの男が乗っている様は、一直線に毛の筋が出来て幾何学的な統一性をもたらすかも知れない。
 いやしかし、頭髪は元来頭部を守る為のものである。防御力が必要とされる戦士がわざわざ頭髪を減らすような真似を本当にしたのだろうか。薪ざっぽでぶん殴られた時の頭髪の有無による衝撃差は、多分相当なものだと思う。世が世なら、ウルトラアイで検証してくれたものを。エッセイストとかやってる場合じゃないぞ山川静夫、このかぶきものめ。
 野球部のスポーツ刈りも似たようなところがある。ボールの直撃、クロスプレー時の激突、直射日光の熱、紫外線、髪の毛を減らす事にどれほどの利点があるか。
 水の限られた海軍の軍艦の上なら、清潔という合理性はあろうが、湯水の如くと表現される程に水が豊富な日本の、しかも学校の部活であのような頭をする事には、畢竟羞恥心を与える事で自我を破壊し服従を促す――分かり易い言葉で言えば羞恥プレイによる調教――以外の何かがあるとは思えない。

 脱線した。
 そうじゃない。好きでマルコメになっているマゾヒスト野球部員等知った事か。
 問題は、私の髪だ。
 ともかく店の主人を怒鳴りつけてカツラでも帽子でも最悪タオルを巻くだけでも、用意させるしかない。それがこちらの正当な権利というものだ。
 万一、どれほどに逼迫した事態が生じ、私の頭髪を斯様な形にせざるを得ない必然過ぎる状況があったとしても、その程度のフォローはあって然るべきだろう。
 何しろ、今私はスーツ姿、間違いなくサラリーマン。そして出した注文は「このまま、全体的に二センチぐらい切る感じで」だ。この状況、誤認の余地は全くない筈だ。裁判で言うところの――ええとなんだ、注意義務とかなんとかいうヤツは、充分果たしている筈だ。モヒカン刈りがこの私の望む結果と完全に異なるという事実は、すっきりさっぱりかっちり主人に伝わっている筈だ。
 よし、言うぞ――ん?

「いかがですか?」
 三面鏡出して、いかがですか、って?
 なんだその顔。何でちゃんと仕事した後の顔になってるんだ。主人、あんたは万に一つも、私がこのモヒカン、じゃなくてモヒカン刈りを気に入るとでも思っているのか。
 まさかとは思うがドッキリか?
 いやいや、ドッキリカメラというのは、最近放送していないし、そもそも、現代は肖像権やらプライバシーの権利やらがあるので、完全な素人を引っ掛け放送する事は非常に困難な筈だ。さもなければ、折角撮ったフィルムを「やっぱり放送しないで下さい」と言い出されたり、放送後に「こんな放送内容なら許可しなかった!」とかもめて大変だ。完全なヤラセではないにせよ、劇団の誰それとか、駆け出しの某とか、テレビ出演を百パーセント喜ぶ人物に限定しているだろう。
 だとして、何故主人はこんなニコニコ顔で私を見られる? 失敗して修正したのなら、申し訳なさそうな顔をするだろう。悪戯をしたなら面白がっている顔をするだろう。なのに、何故「普通に仕事を終えました顔」なんだ。
 何を考えてるんだ。いや、本当に何か考えているのか?
 ひょっとして、店主の頭がとても悪いのか? いつもこうなのか? 待て待て、この床屋は割と前からある。入る人間全てモヒカン刈りにしていたら、あっと言う間に潰れるか、少なくとも民事訴訟でも起こされて厄介な事になっている。こんなすっとぼけた顔でいられる道理がない。
 だとして……本当に主人なのか、この男。
 万一、万一だ、宇宙人が脳に取り憑いて――いや、それは考え過ぎだ。あり得ない。何でモヒカン刈りから一足飛びで宇宙人だ。そんなの、未確認飛行物体が「宇宙から飛来した、他文明の生物の乗り物である」と判断するぐらい飛躍だ。
 別に私は宇宙人否定派ではない。宇宙に他の生命体がいるのは確実だろう。有り触れた天体である筈の地球で出来て、他の星で出来ない道理がない。だが、それが目の前のUFOと繋がるというのは、「好きなアイドルが独身だから、今日の午後自分の家に押しかけて来て『お嫁にしなさいっ!』と要求してくる」かの如き飛躍だ。それなら、我らの要求を全て満たす美少女メイドロボが十年以内に完成し販売される可能性の方がずっと高い。
 では、あり得る可能性はなんだ。
 この主人、ひょっとして精神を病み始めたのではないか。
 私はこの主人のプライベートを何も知らない。昨日妻を亡くしたばかりで落胆のどん底にいて、しかし、仕事はしなければ生きていけない。漫然と振るうハサミ、そして、出来上がるモヒカン刈り。文句を言われたところで、もう失うもの等何もない。むしろ、喧嘩になってその剃刀で首の一つも斬るなり斬られるなりして、病院でも刑務所でも入ってしまえ、と。
 考えすぎか、幾ら何でも無茶過ぎる。大体、人は辻褄の合わない事をしているように見えても、案外自分の中で理屈は繋がっているものだ。ロマンティックな狂気はそうそう存在しない。
 理屈が? 繋がって?
 サラリーマンの頭をモヒカン刈りにする理屈の繋がり方?
 おかしい、やっぱり、おかしい。
 仮に主人が呪いのスタンド的なものに憑かれ、殺人衝動に駆り立てられていたとしても、居眠りの隙に首でも落とせば良いじゃないか。
 何故にモヒカン刈り。敢えてモヒカン刈り。
 駄目だ、この主人とどんな言葉で語ったら良いのか分からない。
 多分、私が怒ったとしても、不思議そうな顔をするだけなんだ。殴りつけても、彼にとっては理不尽な攻撃で、よく分からないからひとまず縛り付けて中身を調べようとかし始めるんだ。嫌だ、ただ死ぬならともかく、そんな訳の分からないものになぶり殺しにされるのはまっぴらだ!
 刺激するな、そっと、そっとだ。
「んー、いいです、これで。おいくら?」

「営業戻りました、部長」
「よ、つや?」
 なんだこいつのこの頭、何があったんだ。モヒカン、だよな? 見間違いじゃないよな?
 しかし、社会人としてまさかそんな……。
深淵 ごんぱち

(本作品は掲載を終了しました)