第93回3000字小説バトル

エントリ 作品 作者 文字数
1巣から落ちた蜘蛛たちごんぱち3000
2俺が死んだら何人泣くベ萩鵜あき2997



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  エントリ1 巣から落ちた蜘蛛たち ごんぱち


「ナスが安いよっ、ナスが!」
「解体したばかりの馬肉だ、早い物勝ちだよ!」
 夢の島公園のメインストリートで市が開かれ、威勢の良い売り声が飛び交う。
 野菜類に米、食肉用の鶏や豚、鶏肉豚肉馬肉牛肉羊肉、汁物、麺類、湯気の立つ菓子、農機具、農作物の種、苗、開墾用に牛のレンタル、拾ってきたのか作ったのか分からないがともかく家具、木材、得体の知れない機械部品、かつての書物、新たに刷られた木版やかすれた活版の書物、長距離自転車タクシーの呼び込みもいる。
 三橋京谷はしかし、そのどれにも目を向けず、市を素通りした。
 公園内のグラウンドは、すっかり耕されて畑になっており、ナスやキュウリが育っている。
 もうしばらく歩くと、麦畑が見えて来た。まだ緑色だが、実は大粒で、かなり育っている。
 それから、その後ろには、巨大なドーム型の温室があった。
 所々ガラスが割れて抜け落ちているが、九割方は残っている。
 三橋は少し早足で歩き始め、そして、正門の前までやって来る。
『夢の島熱帯植物園』
 古びた看板には、そう書かれていた。

「こんにちは……」
 三橋は狭いロビーを通り、廊下を進み、渡り廊下から温室に入った。
 温室内は、葉の大きい物、団扇のような奇妙な形をしたもの、尖ったもの、ビルほどの高さのありそうな天井に触れそうな高いもの、様々な植物が植えられている。
「いらっしゃい、入場料は旧貨で二五〇円か、米でお願いしますよ」
 三橋が声の方を見上げると、タオルの頬被りに移植小手を持った男が、池に流れ落ちる小さな滝の上で作業をしていた。
「ええと、東京駅で求人広告を見かけたんですが……」
「そうでしたか」
 男は降りて来る。初老の、大柄な男で、白髪交じりの短い髪をしており、建設会社のロゴの入った、ツギの当たった作業着を着ている。屋外での仕事が多いのか、顔はシミだらけだった。
「では、早速手伝って下さい。最初の三日は様子見という事で、食事程度しか出せませんが、良いですね?」
「えっ……面接とかは」
「三年前の大消失から後は、そんなものは大して意味がないでしょう」

 ――三年前、対立する二国間、国家レベルのクラッキング攻勢は、エスカレートし、ついに最終兵器が使用された。
 ネットワークというネットワークを通じ、敵味方の区別すら付けず感染する、超高速増殖型ウィルス。
 ほぼ全てのコンピュータのデータが消失した。OSやアプリケーションのみならず、電子化が進んでいた書籍、絵画、建物の設計図などの文化的な財産、戸籍などの個人情報、更には大半が電子化されていた貨幣。
 動かなくなったブラックボックスを前にして、人類は一九三九年から積み上げられて来た電子計算機の歴史を、一から辿り直す事を余儀なくされた。

 ――男は岩から立ち上がる。
「仕事を始めましょうか。私の名前は、木村と申します。ま、偽名ですがね」
「なんで偽名なんか?」
 男は笑う。
「木偏のある名前に憧れてたんですよ」

 すり切れた作業着に着替えた三橋は、植物に水をまいていく。
「大きい木でしょう?」
 身長の三倍はありそうな緑色の幹の木の根元の雑草を、木村が抜く。
「はい」
「本当は草だそうですよ。草の葉が束ねられて、木の幹のように見えるだけ、だそうです」
「へぇ……」
 ホースから出る水は、勢いはないが止まる事はない。
「なんて名前なんですか?」
「さあ……忘れてしまいました。世話の仕方はともかく、説明はそいつに頼り切りでしてね」
 木村は緑色の木の傍らに立つ、電源の入っていない音声ナビの発信装置を指さした。
「そうでしたか」
 三橋は水をまきつつ、深い溝の入った見慣れない形の木の実に視線を向ける。
「ああ、それは覚えてますよ」
 三橋の視線に気づいた木村が、木の実を軽く持ち上げる。
「スターフルーツです。ほら、星の形をしているでしょう?」
 木村が木の実の尻の方を三橋に向ける。木村の言う通り、縦から見た木の実は、五芒星の形をしていた。

「これはヤシ、これはソテツ、これはラン……」
 木村は、一つ一つ指さしながら説明する。
「木村さん」
「なんです?」
「さっきのこれもソテツって言ってましたよね」
 三橋は、ずっと小さな、刀のような葉をした植物を指さす。
「ああ、これは種類が違うんです。けれど、細かい名前の違いを忘れてしまったんですよ」
 電源の入っていない音声ナビの発信装置は静かに佇む。
「あれ? 名札もかかってませんか」
 名札のかかっている木を、三橋は指さす。
「ああ、あれは、多分違う名前です」
「え?」
「名札は針金が錆びて落ちる事があったんですが」
 天井のガラスの抜け落ちた部分から、海風が流れ込む。
「親切な誰かが名札を勝手に着け直した事がありましてね。合っているか、分からなくなってしまったんですよ」
 おかしげに笑って、木村は自分の頭をぽんと叩く。
「後は老いぼれたこの頭だけ、という為体です」

 温室の傍らにあるボイラーの前に座った三橋は、薪を鉈で割る。
 植物園内や、公園内から拾って来た枯れた木の枝、それから廃材が主だった。
 リズミカルな鉈の音が響き、木が割られていく。
「どうですか、三橋さん」
 リヤカーを取り付けた自転車に乗って、木村が帰って来た。
「大体割れました」
 三橋は廃材の一つを取り、また鉈で割る。
「なかなか良い手際ですね。どこかでされていたんですか?」
「日雇いだと、薪割りを頼まれる事が多いんで」
「やはり薪割りが多いですか」
「水力発電所はそれなりに復活してますけど、明かりがせいぜいですね。煮炊き出来る程出力は確保出来ないみたいです」
「……旅を、されているんですよね?」
「はい」
「どちらまで」
「札幌です」
 割れ切れず少し繊維の残った廃材を、三橋は手で引き裂く。
「世界は……どうですか」
「政府公報通りです」
 三橋は少し考えて付け加える。
「人がいて、口伝えで物事を伝えて、自分の土地で獲れたものと、ちょっぴりの他の土地からのもので暮らしている……ここと大して変わりません」
「どこでも一緒と分かって、何故旅を?」
 木村はボイラーの窯の蓋を開ける。熱気が吹き出し、木のパチパチと燃え爆ぜる音が聞こえ始める。
「ああ、申し訳ない、立ち入った事を聞いてしまいましたかな?」
「いやぁ、隠す程の事でもないんです」
 二本薪を割った後、三橋は立ち上がった。
「恋人に、会いに行くんです」

 三十七日分の給料の米や金を入れたリュックは、ずっしり重かった。
 線路脇を、三橋は歩く。
 かつては水田だった平野は、草原になっていた。
 背の高い草が、初夏の風に揺れる。
 時折家があり、その周辺だけが水田になっていて、稲の苗が並ぶ。
「この辺だと、米って安いのかも知れないな」
 線路は錆が噴いており、もうしばらくは使われていない様子だった。
「こっちで仕入れて、向こうで売ったら儲かるのかな……いや、政府の買い上げがあるから、値段は一緒か」
 三橋はバッグの中から携帯電話を取り出す。ヒビが入り、露出している基盤からは緑色の錆が噴いている。
 携帯電話には、一枚の写真シールが張られていた。すっかり退色して、二人の人間の顔の輪郭程度しか分からない。
 しかし、寄り添うその姿は、輪郭だけであっても、二人の近さを感じさせる。
 平野の向こうに、山が見えて来た。
 歩く速さを上げていく。
 どんどん上げて、走り出す。
 線路のずっと先まで、三橋は走って行った。







  エントリ2 俺が死んだら何人泣くベ 萩鵜あき


ああ明日はなき此の命
胸に秘めたるその覚悟
祖国の平和念じつつ
南の空に翔び立ちし
その名特別攻撃隊

知覧基地 特攻隊の歌


 桜舞う季節、この基地の出撃数も確実に目減りしていって、少し前までは毎日使われていた滑走路も、週に3度使われるまでになっていた。
 僕らは毎日、基地内の空軍学校にて飛行訓練と、肉体訓練(とは名ばかりの拷問)を行っていた。
 いつ特攻命令が下りるのか、それを楽しみに意気込んでいる奴や、まるで死刑囚のように脅える奴など、やはり全国から集められただけあって、性格・人格なんかは、まさに十人十色だった。
 祖国の為に。
 鬼畜米兵を打倒するために。
 僕らはこの知覧へと集まった。
 それは、半ば強引だったかもしれない。
 それは、回りの視線に耐えられなくなったからかもしれない。
 それは、己より志願して此処へ来たのかもしれない。
 それは…誰かの為なのかもしれない。


 母様。
 私、前田啓は日々激しくなる大戦を前に、いつ出兵するのかと、毎日眠れない思いでございます。もしかしたら明日命令が下り、お国の為に敵戦艦を駆逐せんと、大きな荷物と共に行くやも知れません。
 明日、もし私が特攻することになろうと、母様は泣くことなかれ、見事だと胸を張っていてください。良き日本を守るために飛び立ったのだと、笑顔で居てください。

 現状、なかなか出兵命令が私へと下りませぬ。
 そうして毎日、毎日、回りの大人や学徒兵の視線が厳しくなっていくのです。
「なぜ飛び立たん」
「お国の為になぜ死なん」
「それでも日本男児か」
「非国民め!」
 私は、その視線に耐え、見事飛び立てるのでしょうか。飛び立つ前に壊れてしまうのではないかと、内心苦笑を漏らしています。
 母様。室蘭の地への攻撃は激しくなっておらんでしょうか? 向こうには製鉄所もあります。私は、地元が攻撃されているんじゃないかと、母様や父上や妹が、今も元気でやっているか、それだけが心配です。
 私が今も元気でやっているように、母様や父様や妹が、元気でいることを願っております。


「前田大尉、まだ起きていらっしゃいましたか」
 その言葉で、前田啓は机から顔を上げた。前田の前には、もうずいぶんと手入れをしてない脚絆を巻き、服もいくらか継ぎ接ぎだらけでぼろぼろになっているが、一部の隙もなく前に立つ男。確か名を上原といったか…と、前田は声に出さず思う。
「こんな夜深くに、どうかしましたか上原大尉」
「…たしか、前田大尉は出撃命令が下った同志達の遺言を預かっていると聞きました」
「…そうだが」
 前田が言葉に詰まったのは、単に相手の言葉が流れるような早さで言われた為ではない。
 遺言を残す行為。それは、帝国軍人、日本男児にとっての恥であり、遺言を残そうもんなら、末代までその家の恥さらしになる。それゆえ遺言とは特攻隊にとっては忌むべき物であり、残してはならない物であった。
 しかし、その忌むべき物を、自らの恥を残すことを日本男児は辞めようとはしなかった。多分、この世への…未練だろう。
 前田はそれを認めた上で、上層部へとばれないよう、いや、民間人へと表立たぬよう、彼が取りまとめ役となり、出兵した者の残した遺言書を、丁寧に木製の箱へと収めていたのだ。
 それを知っている上原は、きっと。
「お察しの通り、明日、出撃命令が下りました」
「…」
「覚悟は出来ております! 明日、鬼畜米兵の戦艦を潰すために飛び立つ。そう考えるだけで、武者震いがしてくるのですよ、大尉。敵を前に、遺言なんて恥を残すことは日本男児として間違っている行為かもしれませんが、ですが、最後に、私の言葉を、母上へと残してあげたい。私は行きます! 今後空を見上げたときに、母上とお国を守った不祥良司のことを、思い出してください、と。非常におこがましい事かもしれませんが、遺言の事を、お願いしてもよろしかったでしょうか?」
 ここまで熱弁を振るった後で「実はもう箱に遺言が入りきらないからダメ」なんて冗談でも言ってしまえば、彼は飛行機に乗る前に、飛び断ってしまうかも知れない。もちろん冗談だが。笑えない結果になるくらいなら言わないほうがいいだろう。
 前田は無言で頷き、それを見るや上原は笑顔となり、便せんに包まれていない、手帳の切れ端のような紙を取り出した。それを受け取ると、上原は満足そうに頷き退出した。

人の世は 別れるものと知りながら
別れはなどて かくも悲しき

 前田は走り書きの手紙を、そっと寝床の下に開けられた穴の中にある、木の箱へとしまいこんだ。



「天皇陛下バンザイ!」
「「バンザーイ!!」」
 習慣とは恐ろしいもので、二・三日空けただけでは複雑な手順も叩き込まれたまま、どこを落とす事もなくやってのけられる。特攻当日の手続きや祝杯などの段取りは、単純に見えしかし複雑だった。
 基地の中にいる兵士は慢性的に不足している為、朝から皆が忙しなく動く。
 そうして今、目の前にいる上原大尉は、緊張の面持ちで初めて飲むであろう酒に、ちびりと口を付けた。杯を軍隊長へと戻し、敬礼をする。それに続き、皆が敬礼する。
 基地を包む桜の花、風にた靡く方向は皆同じで、しなり加減も同じである。滑走路の回りには女子学徒隊の面々が、口一文字、一列に綺麗に並んでいて、その右手には桜の木の枝が握り締められていた。その中の一人が、上原へと近づいていった。
「上原大尉。貴方のご活躍、どうかお祈りしております」
「きっと、鬼畜米兵の軍艦を駆逐します。我が命にかけて!」
 そう言い終わると、女学生が手にもった桜の木の枝を、上原へと手向けた。それは、この基地の常で、特攻する時は機体にその枝をのせて飛び立っていく。その事から、突撃隊の戦闘機は『桜花』と呼んでいた。

 皆に背を向け機体へと乗り込む。一つ一つの機器を確認し、機体の駆動を速める。
 学徒隊が靡く桜と同じく、高らかに歌いながら、その手に持った桜の枝を、大きく、大きく、別れの合図のように、右へ左へと振った。

ああ薩南の此の地より
敵撃滅の命を受け
まなじり決し若人が
翔び立つ姿尊しや
その名特別攻撃隊

 女子学徒隊の歌声が、エンジン音によってかき消されたが、不思議と上原の雄叫びだけは、前田の耳にしっかりと届いた。
「地獄の閻魔王よ、帳面を広げて待っておれ!」


 前田は、書きなぐられた手帳の切れ端を眺めいた。
 飛び立つものを、笑顔で見送る、回りにいる全ての人々。
 飛び立ったが最後、命を捨てて敵艦へと突っ込む攻撃だと、みんな知っているだろう。それでも、ソイツ達が笑顔で居る。狂ってやがる。前田はいつもそう思う。だから、遺言を集めている。だから、飛び立つ若者の死を尊重する。
「お母さん。先立つ不幸をお赦しください」
「お母様、俺を生んでくれてありがとう」
「おかあさん、幸せに生きてください」

 母は泣くだろうか、父は泣くだろうか、少なくとも、ここにいる奴らなんかよりは、人間としての感情を欠如させていないだろう。だけど、もし、日本の為に死んだのだから、と。国の誉れだと、泣かず喜んでいるのだとすれば。
「死ぬために生まれて来た命、か」
 まだ春の冷たい空気が充満する部屋の中、人気が徐々に薄れていく特攻隊宿舎で、前田は独りごちた。

 程なくして、前田は神風特攻の為この世を去る。

 『俺が死んだら何人泣くベ』
 それが、前田が最後に残した言葉だった。

○作者付記:知覧基地 特攻隊の歌 一部引用。
知覧に保管されている遺書の言葉を使用。










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