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第1回6000字小説バトル Entry11

ガギグゲゴ症候群


「夜に向って雪が降り積もると、悲しみがそっと胸に込み上げる.....」
聞き慣れた桑田の歌声。だが、どこかしっくり来ない。
小山宏隆36歳、カジュアルウェアー専門のデザイナー。大手のアパレルメーカーを退職し、フリーのデザイナーとして独立して8年になる。デザイナーとしての感性を維持する為、ファッションは勿論、音楽、映画、スポーツなどの流行を いち早くキャッチし、そのすべてを 自分の身体にも心にも適確にフィットさせているという自負は常にあった。しかし、数ヶ月前から、そのフィット感に不快なズレのようなものを感じている。
「年齢的なものなのだろうか?」
聞き慣れたポップ音楽の殆どが、 妙に耳に障るのだ。ヤイコ、グレイ、ミスチル、宇多田、ミーシャ、倉木、ゆず、....、これら新しい音楽を決して拒絶している訳ではない。寧ろ仕事場では、FMラジオから流れるこれらの曲が 無くてはならないBGMになっている。しかし、何度聞いても、聞けば聞くほど、不快なズレを感じ、長年 聞き慣れたサザンやユーミンの歌声さえも、すんなり馴染まなくなっている。
「仕事が上手く行かないせいだろうか?」
数年前までは、小山のデザインは 大いに売れていた。しかし ユニクロなど量販店の安価な衣料品の流通が定着してしまった昨今、自社でデザインを起して独自の製品を作り上げるというコスト高の衣料品は圧倒的に駆逐されている。加えて、「そごう」や「マイカル」など相次ぐ大型店舗の倒産で 本来の流通ルートを失った大量の衣料品や日用品が バッタ物として巷に溢れ、その価格崩壊に一層拍車を掛けている。その為、小山のような一匹狼のデザイナーの需要は著しく減ってきている。

9月のある日、小山は 顧客の企画会社での打ち合せを終え、家路に着いていた。来年の春夏紳士用ジャケットのデザインを何点も持ち込んだのだが、どれも採用されなかった。
「売れるか売れないか分からないデザインに、高い金を払える時代じゃないんだよなぁ。」
長年付き合っている営業担当に露骨に否定されてしまい、小山は 怒りや敗北感というよりも、例えようのない寂しさを感じていた。どのアパレルメーカーも、高いデザイン料を払った目新しい企画でバクチを打つ事をひかえ、既製の売れ筋デザインに少し手を加えた程度の大過ない商品を 細々とでも確実に売ることを考える時代なのだ。
「この調子じゃ、いずれ俺も商売替えだなぁ。」
市場の状況がどうなろうと 自分の感性で生み出したデザインなら必ず売れると信じてやってきた小山だが、その自信の感性に翳りを見てしまい、自分の将来に少なからず不安を感じている。
肩を落として帰る道すがら、1枚470円のトレーナーや 2枚で390円のティーシャツなど明らかにそれと分かるバッタ物がドラッグストアーの店先にぶら下がっているのが目にとまる。中には 小山のデザインをコピーしたものもいくつかある。
「これじゃ、俺のデザインに金払うヤツはいないわな。」
小山は 足を止め そのドラッグストアーを見やる。 1枚350円のCDが 店先のワゴンに山と積まれているのが目にとまる。傍らに置いてあるプレーヤーから流れる山口百恵の唄声。
「ありがとうの言葉を抱きしめながら生きてみます、私なりに......」
その心地よさに、はっとする。
「百恵ちゃん...か、なんだろう、この感じ。」
小山は かぶりを振って、先を急ぐ。同じ通りにあるコンビニ前まで来ると、店内から坂本九の唄声が聞えて来る。
「明日があるさ 明日がある。若い僕には夢がある.....」
思わず立ち止まる。
「どうしちまったんだ、こんな古い唄が 何でこんなにすんなり入ってくるんだろう。」


その晩 小山は 友人の野口を 馴染みの酒場に呼び出した。野口は 地元モード学園の同期生で、今は 婦人下着の専門メーカーで型紙を描くパターンナーをしている。しかし コンピューターグラフィックの発達で 今では素人でも簡単に型紙作りができ、野口にもリストラの風が迫ってきているようだ。
時間が早いせいか、客は まだ小山達2人だけだ。10年以上通っているこの店のマスターも気さくに小山たちの話に付き合っているが、景気のいい話は無く、2人の口からは、愚痴が出るばかりだ。
「どうしたんだよ、2人とも。普段は自信のカタマリでしゃべってるのに、今夜はボヤキばっかじゃん。」
「ボヤキしか出ねぇよ、マスター。これじゃ 俺も じきにプーだ。野口は会社にしがみつくてりゃ、なんとか食って行けるだろうけど。俺なんかホント何にも無いもんな。」
「俺だって同じさ。会社なんて冷たいもんよ。すぐに俺もこれよ、これ。」
野口が右手で自分の左肩を叩く。
「ところでさぁ野口、今日 ナニゲに聴いた山口百恵と坂本九の唄が、何て言うか、すーっと 耳に入って来てさぁ、ホントすーって感じで。トゲトゲしてなくって、最近の音楽には無い心地良さっていうのかなぁ。すごく いい感じだったんだけど、お前、そういうの感じたことないか?」
「なんだよ 唐突に。百恵ちゃんと九ちゃんって、また変わったデュエットだな。」
「ばーか、ソロに決まってるだろ。別々に聴いたんだよ。」
「あっ、そうか、そうだよな。でも お前、百恵ちゃんとか趣味だったっけ?」
「そうじゃないけど、今日 偶然 聴いたのがさ、何だか すごくいい感じでさ。」
「歌は流れるあなたの胸に、懐かしのメロデー!ってか。お前、そんな歳でもないだろう。」
「懐かしいって感じじゃないんだ。何て言うか、古いのに新鮮っていうか。」
「うーん、確かに そういうのって、あるよな。坂本九なんかは、コーヒーのCMだっけ、リバイバルで結構 流行ってるし。他にもリメイクでいろんな曲 出てるよな。ヒッキーに“夢は夜開く”なんてのリバイバルで歌わせたらヒットしたりしてな、ハハハハッ。」
自分のギャグに ばか笑いしている野口を見て、この話を持ち出したことを 小山は少し後悔した。別の話題を探そうとするが すぐには思い浮かばず、無言のまま バーボンのグラスを揺らす。
「それは きっと鼻濁音過敏の症状ですよ、小山さん。」
いつのまに店に入ってきたのか、見知らぬ男が 小山の傍らに立って声をかけてきた。
「はぁ?」
小山は その男の方を見る。
「突然、失礼。私は 竹本といいます。」
その男は、スーツの胸ポケットから名刺を取り出し小山の前のカウンターに差し出した。
「はぁ、竹本...さん。厚生省 環境調査所 S&Vチームリーダー?」
小山は 名刺の文字を声に出して読んだ。野口も黙って その男を見ている。
「ご存知無いでしょうね。S&Vとは サウンド&ヴィジュアル、つまり現代社会の視覚と聴覚が日本人に与える影響を調査している者です。」
適当に話を合わせるだけのつもりで言葉を返したが、竹本と名乗る男は 淡々と語りかけてくる。
「はぁ、始めて聞きました。具体的には 何をされているんですか。」
「テレビ、ラジオ、雑誌、コンピューターなどの現代社会の様々な映像や音響は 気が付かない内に現代人をどんどん虫食んでいます。知能も精神も、また肉体も。私たちはその症状や原因を調べて 今後の医療や教育政策に取り入れる為の研究している、と言った所です、小山さん。」
「はぁ、ところでで、なんで俺の名前を知っているんですか?」
「あなたは 優秀なデザイナーでいらっしゃる。」
「ふー、で、俺に何かご用で? 濁音なんとかって、俺のことなんですか。」
「はい、鼻濁音過敏。ガ行、つまり ガギグゲゴが適切に使われないと、聞く者の聴覚神経に悪影響を及ぼすんです。普通の人には あまり意識されませんが、デザイナーとしての優れた感性をお持ちの小山さんは かなり強く感じていらっしゃるようで。」
「どういうことですか、俺、さっぱり分かりませんが。」
「私どもは、ずっと以前からあなたの事を調査しておりました。今までの結果だけ見ても、 あなたの優れた感性は かなり鼻濁音過敏に冒されている。詳しく検査する為 これから私どもの研究所にご案内いたします。」
突然 店の出入り口の扉が勢いよく開き、黒いスーツに身を包んだ3人の男が入って来た。無駄のない身のこなしが戦闘のプロのようだ。その内の1人が素早く野口に近寄り、躊躇無く 首筋に何かを押し付けた。途端に野口は 気を失った。スタンガンだろうか。店のマスターは、事情を知っているのか 黙って様子を見ている。
「えっ、どういうことだ!お、おい野口、どうした! 俺達が何をしたって言うんだ。」
ぐったりとカウンターに突っ伏した野口をかばおうと立ち上がったが、小山も 首筋に何か冷たいものを感じた途端、意識を失ってしまった。


「気が付きましたか、小山さん。」
小山が目を開けようとするが、強い光に目が眩む。
「あぁー、眩しい、ここは、どこなんだ?」
小山の意識が 少しづつ覚醒していく。
「俺、バーで、そうだ、野口は。うっ、つぅー、痛い。」
頭を左右に動かすと首筋からこめかみにかけて強い痛みが走る。狭い病室のようだが窓はない。小山以外には 誰もいないようだ。脳波でも調べているのだろうか、頭の数箇所に電極のようなものが取り付けてある。
「落ち着いて下さい、小山さん。」
男の声が天井のスピーカーから聞える。バーで 竹本と名乗った男の声のようだ。
「だっ、誰だ? ここはどこなんだ!俺をどうしようってんだ!」
小山が力まかせに起き上がろうとするが 手足が ベットに縛り付けられていて自由が効かない。
「うぅー、いたっ。」
また首筋に痛みが走る。
「落ち着いて、楽にしてください、小山さん。」
「えぇい くそー、どうにもならん様だな。わかったよ、何とでもしやがれ。」
「そう、それで結構、リラックスして下さい。私どもの研究にご協力して頂ければ悪いようにはしません。」
「そう言われてもな、力尽くでこんな所へ連れて来られてるんだ、すでに悪いようにされてると思うが。」
「手荒なまねをした事は お詫びします。こうしなければ、あなたの協力は得られなかった。」
「どういうことかさっぱり分かんないが、黙って言う事を聞くしかなさそうだな。で、俺は 何をすればいいんだ?」
「そう、ご理解頂き感謝します。まず、こちらの話を聞いて頂こう。あなた最近の流行歌が耳障りだと感じておられる、そうですよね。」
「えっ、何のことだ?」
「先ほどバーで お話になってました。」
「あっ、あぁ、それは、 まぁ、そうだけど。」
「あなたの症状は 鼻濁音過敏と言いましてね、放っておくといずれは聴覚神経がやられて精神に異常をきたします。」
「びょっ、病気なのか、俺は。」
「まぁ、分かり易く言えば 騒音公害みたいなものです。最近の歌手が歌の中で発音している 鼻濁音、つまりガギグゲゴの音があなたの耳には合っていない。違いますか?」
「あ、あぁ、まぁ、そうかも知れないが、よくわからん。」
「むふ、では 試して差し上げましょう。」
天井のスピーカーから、桑田の「波乗りジョニー」が流れる。確かにガ行の音がトゲトゲしい。意識すればするほど耳に障り、ついに我慢出来なくなりベットに縛り付けられた全身を激しく動かす。
「やっ、やめてくれー!」
突然 曲が止まった。小山の額には汗がにじんでいる。
「分かりますか? では、次はこれです。」
天井のスピーカーから「上を向いて歩こう」の坂本九の声。すんなりと耳に入ってくる。
「もうお分かりですね、小山さん。典型的な聴覚濁音過敏症候群です。ですが、幸いあなたの場合は まだ ごく初期の症状ですから 適切な治療で必ずよくなります。昔は小学校の国語教育でちゃんと 鼻濁音、nGA,nGI,nGU,nGE,nGO,の正しい発音や使い方を教えていて、こんな問題は起らなかった。 しかし、日教組が教師を単なる労働者に変え 日本語教育をボロボロにしてしまって以来、誰もこの事を気にかけなくなってしまった。音楽教育でも発声は熱心に教えても正しい発音は蔑ろにされている。さらに最近のミュージシャンは 刺激的だからと言ってこれらトゲトゲしい発音を好んで使っています。まるで自殺行為だ。ですから、あなたの様に最近の流行歌をなんとなくトゲトゲしいと感じる現代人が増えているんです。それだけなら大した問題ではないのですが、このトゲトゲしい音が ストレスを増強し、聴覚神経をズタズタにし、やがて人格破壊を引きこすという事実が最近の研究で明らかになりました。無差別殺人や、多重人格症を引き起こす事例も確認されていて、最近のバス乗っ取り事件や、小学校での無差別児童殺害などの狂気の事件にはこの感覚過敏症候群が少なからず影響しているようです。」
「えっ、何だって。じゃ俺も気が狂ってしまうのか!」
「いいえ、小山さん。申し上げた様に、あなたは まだ初期段階です。適切な治療で必ず回復します。その為に ここへお連れしたのですからご安心下さい。明日から本格的な検査を始めますので、今夜は ゆっくり眠ってあなたの優れた感性を休ませておいて下さい。」
スピーカーからの声が終わると同時に、小山の枕元で シューっという気体が噴射されるような音がした。恐らく催眠ガスなのだろう、まもなく小山は意識を失った。


別室でモニターに写る小山の様子を見ていた竹本が 隣りの白衣の男に話し掛ける。
「ドクター、いかがでしょうか。」
「すばらしい。さすがにデザイナーとしての感覚を磨いてきただけのことはある。こんなに見事に聴覚神経が鼻濁音疲弊しているクランケは始めてだ。よくやってくれた、竹本君。」
「恐れ入ります。」
「しかし 実験材料は 多いに越したことはない、どんどん集めてきてくれ。くれぐれも極秘にな。またポケモン騒動のようなミスを犯したら、今度は ペンタゴンが黙っていない。」
「はい、心得ております。」
この研究所には、小山のような聴覚過敏者だけではなく、テレビや映画の刺激映像、出版物の過激な表現など、あらゆるマスメディアの感覚刺激で精神に異常をきたした感覚過敏者が密かに集められている。そして、日常 何気なく使われている社会一般のマスメディアが人体に及ぼす影響を探る研究材料にされている。
しかし、ここでの研究は 医療や教育改革の役に立てられる事は決してない。その目的は、マスメディアに 「ある種の刺激要素」を仕込むことで、それに接したターゲットを無意識のうちに洗脳、思想扇動、人格破壊へ追い込むという感覚兵器の開発なのだ。以前 テレビアニメの映像を見ていた全国各地の子供達が一斉に 引き付けを起した事件も この研究所の光感受性刺激実験の1つだったが、あの時はβ領域視覚刺激が少々強すぎて予想外の犠牲者が出た為 マスコミに騒がれてしまった。
全ては 国民を政府の意のままに操ることを目的として、日本政府が防衛庁と科学技術庁、そしてアメリカ国防省と協力して極秘裏に展開している民意扇動作戦の一環なのだ。

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