第1回6000字小説バトル Entry21
白く透き通った風の直線が、サトルのヘルメットをかすめながら通り抜ける。
スピードは空気を切り裂き、排気音はテールで渦巻く気流に巻き込まれながら、微かな高音を残して風鳴りへと変化してゆく。高温の熱を発したエンジンからは、ピストンに送られるガスとそれを制御するバルブの鼓動が熱風の微動を発している。回転数を示す針は9000回転を示し、メーターの警告灯は赤いシグナルを点滅させていた。
(風が冷たくなってきた)
石井サトルはバイクを走らせながら、季節の変わり目をその風で感じた。
秋の終り、学校帰り。今日はバイトも休みだし、いつもの喫茶店でも立ち寄るかと、うっすらと紅黄色に色付いた街路樹のトンネルを、サトルのFZは北風の様に走りすぎた。
その店は大きな楠の木の下にあり『カフェ楠』と、何のヒネリもない名前だった。
サトルはその大きな楠の木の前にバイクを止めてヘルメット脱ぎ、北風の方に目を向けると、寒さだけが彼を見つめた。サトルは一瞬ブルッと身震いして身体を縮こめると、さっさと喫茶店のドアを開けた。
”カランコロン”
「やあ、マスター。今日はすっごいサブサブだよ〜。熱〜いキリマン入れてくんない?」
「なんだよ、そんなにサブちゃんが来てるのか?」
下らない冗談を織り交ぜながら、くわえタバコで大きな望遠鏡を磨いている。マスターは今年四十歳で、未だ独身。ちなみに名前はヤマト。なんか今にも宇宙へ飛び出しそうな感じだ。
サトルはカウンターに腰かけながら
「チッ、お外はもう小冬ですよ〜。ったく、オヤジギャグっていやだね」
「おう? 何か言ったか?」
「いいや、何も言ってませんよ。早くマスターの愛情こもったキリマン飲みたいな〜ってね」
そう言うと、サトルはいつもの店内と雰囲気が違うのに気付き、ゆっくりと辺りを見回した。窓からはスポットライトにでも照らされた様に、陽射しが柔らかく店内に差し込んでいる。
小奇麗にかけられたテーブルクロス、埃の溜っていない金色のブラケットライト、いつもより遥かに輝く花梨のフローリング、なぜだかテラスの出口の所には、珍しく奇麗な花々が飾られている。どこを見ても、みな何かに清められた様な空間だった。
「マスター結婚でもするの。それとも変な宗教にでも目覚めたか? 客いないのに奇麗にしちゃってさ」
「あのな……」
マスターは紺色のカップをサトルの前に置くと、メイプルのカウンターにその影が映り込み、深い輝きをそっとのぞかせる。その輝きの中にマスターの爺臭い顔が映った。
「サトルこれ飲んだらよ、俺の代りに夕暮神社の祭りの準備を手伝いに行ってくれないか?」
彼はカップを両手で包みながら一口飲むと身体が温まったのか、ホッとした顔を上げて
「ああ、今日バイト休みだし、いいけど? マスター暇じゃないの?」
「それがな、今日ここでバースデイパーティやりたいって娘がいてな、その準備で祭りどころじゃ無んだよ。悪いんだが、みのり屋の若旦那がいるからよ、着いたらそいつに聞いて手伝ってくれ」
マスターは今度、望遠鏡の三脚を磨き始めた。
「はいはい。けどさ、何か良いことあるの俺は? ツケが半分になるとか、これから半年間無料とか、学校の成績上げてくれるとか、もしかして宇宙に連れてってくれるとか?」
サトルは、宙を見ながら指折り数え、何にしょうかと迷っていると
「あのね、そんなのあるわけねーだろが。まあ今日のキリマンは俺のオゴリでいいけどな」
「チェッ、せこいね。で、誰よここでパーティなんぞやりたがる奴は?」
「ま、お前も済んだら顔出せよ、そうすれば分かるさ。さあさあ早く飲んで行ってきてくれ」
なんだよ。と言った顔つきでサトルはマスターを見たが、相変わらず三脚を磨いている。しょうがないなとコーヒーを飲み干すと、サトルはヘルメットを抱えてドアに手をかけた。
「んで、場所はどこ?」
「神社の下の集会場だ。サトル飛ばすんじゃねーぞ」
サトルは、マスターの声を背中に受けながら扉を開けて、ヘルメットを軽く持ち上げる格好で合図すると大きな楠の木の下へと出ていった。
木陰で静かに待っているFZを、秋の終りの光りの粒が落葉にも反射して輝かせていた。
彼の親父は、若い時分に自分のミスで転倒してしまい、片足を膝の下から失っていた。サトルがバイクに乗りたいと言ったときに親父は、自分の責任で乗るのなら別に構わないと言って、特に反対はしなかった。逆にそれがサトルには不安だった。自分もいつか事故を起こすんじゃないかと。そう思うと、サトルはバイクに対して真剣に成らざるを得なかった。
キーを回し、セルボタンを押すとコイルの廻る音と共にエンジンに火が入った。スタンドを上げるとシフトを軽く左足で蹴り込み、ちらほらと落ちた枯れ葉の上を勢いよく飛び出した。
街路樹のトンネルを抜けると、空が高く青かった。左に曲がり国道へ出ると、車の流れが幾分速くなった。国道と平行しながら走る貨物列車がサトルを追い越してゆく。サトルは鉄橋までその貨物列車と並走していたが、やがて列車はそのまま抜き去って行き、貨物列車で隠れていた北側の山々が広がった。紅黄色に色付いた山、遠くのトタン葺きの民家、赤く実を付けた柿の木、神社迄の参道の白い幟が見えて、秋終の祭りの匂いを感じさせた。
サトルは左の脇道に入るとその幟を目印にバイクを走らせた。中学校の下の信号まで来ると野球部の掛け声が元気よく聞こえてきた。懐かしいなと思いながら、丘の上をフッと見た瞬間だった。いきなり脇の小道から黒い固まりが飛び出して、サトルは慌てて急ブレーキをかけ、コケそうになりながら止まった。
黒装束に白い襷掛けの小さな男の子がうつむいて立っている。
「おい坊主! 急に飛び出したりしちゃ危ないじゃないか!」
サトルはシールドを上げてその子に言う
「……」
男の子は寂しそうに肩を落として黙っている。よほどビックリしたのだろうと思い、サトルは優しい笑顔を作り、柔らかく声をかけた。
「キミ、祭りの稽古に行くんだろ? お兄ちゃんもこれから準備の方で手伝いに行くんだけど、乗っけて行ってやるよ」
「……」
「なんだ、ガキのくせに遠慮するなよ。俺、サトルって言うんだ、キミは?」
「……秋葉タカシ」
やっと口を利いたと思ったが、男の子はそのまま道路を渡り、コスモスの揺れる土手を駆け上がると、急に振り返り笑顔で手を振って、小さく「ありがとう」と言い残して走り去って行った。
「なんだ、変な奴だな」
サトルは、ぼんやりと呟いてハンドルをおこした。
”チリン”タイヤの下で何か音がした。
覗き込むと、赤くキラキラ光る何か小さな物が落ちていた。バイクを止めてそれを拾い上げると赤い鈴だった。多分さっきの男の子が落として行ったものらしい。そう思いサトルはポケットにその赤い鈴を入れると、夕暮神社へと向った。
「こんちわー、マスターの助っ人で来ましたよ」
「よう、サトルじゃねーか。まだ不良やってんのか?」
みのり屋の若旦那が赤い顔をしてニコニコ笑ながらやって来た。
「不良って事ないでしょ? バイク乗ってたら不良って、オジサン等の時代じゃないんだから。極めて僕なんか真面目ですよ。今日だって、ちゃんとマスターの代りに手伝いに来てるんですからね」
「ごたごた言ってねーで、清次んとこ手伝えや。学生さんじゃ酒は出せないがジュースならいくら飲んでもいいからな」
みのり屋さんが左手で促した先に、大きなしめ縄を出している数人と清次がいた。
「よう。清次も来てたのか?」
「おっ、サトルじゃん。こんな所に珍しいな」
「俺もそう思ってるんだ。場違いじゃないかってね」
「俺なんか親父の代りに毎年だぜ、でもやっぱり祭りは準備からやってなきゃ楽しめないよ」
「そんなもんなんだろうな、みんないい顔してるもん」
清次は中学の時の同級生で同じ野球部だった。地元の進学校に進み、サトルは隣町の工業高校に進学したため、一年半ぶりの顔合わせだった。
「エツオーエツ、エツオーエツ」
集会場の裏庭には、少年義士達が棒の杖を撃合わせながら、威勢の良い掛け声を出していた。
「清次もそう言えば、ガキの頃あの黒装束に襷掛けしてやってたな」
「ああ、あの頃はあれがカッコ良くて、強くなった気がしたな」
「そうだろうなー、見ていて羨ましかったよ。そうだ、俺もちょっくら手解きでも受けてきますか」
サトルは、そそくさと裏庭に出ると、一緒になって掛け声をかけた。
「エツオーエツ、エツオーエツ……あれ〜? この中には居ないな〜」
サトルは少年義士達をじーっと見つめ、先程ひき殺しそうになったガキンチョを見つけようとしていた。やがて練習が終わったらしく、子供たちが集会場の軒下に集まって来たので、サトルは一人の大きな男の子に聞いてみた。
「キミキミ、あのさ、タカシって子知らないか?」
男の子は不審そうな顔つきでサトルを見た後、別の男の子に話しかけ、その子がサトルの前にやって来た。
「おじさん誰ですか?」
「おいおい、おじさんはないだろ、これでも高校生なんですから。俺は石井サトルって言うんだけど、タカシって子を探してるんだ。キミ、もしかしてタカシ君のお兄ちゃん?」
「……そうだよ」
「やっぱりそうか、顔似てるもんな。じゃあ弟はどこ? 家にでも戻っちゃったか?」
男の子は一瞬暗い顔をして
「……タカシは今年の夏に死んだ。車に跳ねられて……」
サトルは驚いた。さっき逢ったばかりの子供が、今年の夏に死んでいた。自分は幽霊でも見てしまったのだろうか? それとも人違いなのか? サトルは慌ててポケットからあの赤い鈴を取りだした。
「これ、タカシ君のじゃないかな?」
サトルの大きな手に小さな赤い鈴が小さく揺れて、”チリン”と静かな音を立てた。その鈴を見つめ、小さな少年義士は小さな声で話し始めた。
「それ、間違いないよ、タカシのだよ。姉ちゃんがタカシにプレゼントしてくれたんだ。でも……その鈴はタカシのお墓に一緒に入れたんだ。その鈴をタカシは大事にしていたから……」
小さな少年義士はそう言うと、もう一度顔を上げて
「でも、それお兄ちゃんが持ってていいよ。多分タカシがお兄ちゃんにくれたんだよ。僕……上手く言えないけど、そう思うんだ」
サトルは、手に乗せた赤い鈴を見つめ、その輝きの中にあの時のタカシ君の笑顔が映った気がした。そして赤い鈴を握り締めると、ため息混じりに呟いた。
「これ、ほんとに俺がもらっていいのかな?」
すると、小さな少年義士は笑顔を作って
「お兄ちゃんも、車とか乗るんでしょ。だったら、タカシのお守りとして安全運転をしてね」
そう言うと、走って裏庭から出ていった。出ていく石垣の手前で一度振り向き、バイバイと手を振った。その姿は先程の土手を駆け上がる時のタカシ君に似ていて、サトルは苦笑いをするしかなかった。
祭りの準備の手伝いも終り、清次と一緒にと、みのり屋の若旦那から晩飯を誘われたが、マスターとの約束で戻らなければならなかったので、丁重にお断りし、かなり酔っぱらったみのり屋さんを清次に預けると、サトルはFZで帰りの道へと滑り出た。
秋の夜空には、赤黄色の月がまん丸と大きく輝いて、星は黄金色に瞬いていた。黒装束の不思議な少年と出会った場所にさしかかると、彼はバイクの速度を緩めて、その子の立っていた場所を見た。そこには奇麗な花がたくさん供えられていて、彼はそれがあった事さえ覚えていなかったんだと、今さらながら気付いた。
夜風は彼の身体を包み込み、ポケットの鈴を鳴らす。大きな楠の木が外灯の明かりを受けて大きなキノコのみたいに見えてきた。
喫茶店の窓からはオレンジ色の光りが揺れて、人が集まっているのがそこからでも分かった。彼は楠の木の下にバイクを止めると、店内を覗くようにそっと扉を開けた。
中では賑やかなパーティーの真っ最中だった。
彼は、その中の中心に懐かしい顔があるのを見つけた。それは、中学時代の同級生で生徒会長の秋葉舞子だった。その顔を見た途端、サトルはドアをバーンっと開け、思わず声をかけた。
「なんだ、なんだ? 会長じゃねーか! どうしたんだよこんな所でさ!」
「おい、こら。こんな所とはなんだよ。お手伝い済んだのか?」
カウンターの中からマスターがグラスを洗いながら、ニヤニヤした顔つきでサトルを見た。サトルはマスターを睨み付けもう一度、舞子の方へ振り向くと彼女が微笑んでいる。
後ろからマスターが小声で
「サトル、今日はその娘の誕生日って事で友達が予約してきたんだ。何でもこの店に中学時代から好きだった人が毎日来てるって事でさ、わざわざ貸し切りまでして彼女に逢わせたかったんだとよ。泣けるね〜。がしかし、それがオメーだとは笑っちゃいますね。え?」
サトルはマスターに振り向き、驚いた顔で自分を指差すと、マスターはゆっくりと頷いた。そこへ彼女がやって来て、彼の肩をたたいた。
「サトル君久しぶりだね。見た目は少し大人になったみたいだけど、その落ち着きの無さは変わってない様ね」
優しく微笑んだほっぺに小さなエクボが可愛かった。みんなの黄色い声援が店内に響き渡る。サトルはポーッと顔を赤らめて、照れ臭そうに黙り込んだ。
彼女は女子高に進学していたので、友達は当然の事ながら全て女の子で、改めて店内を見回したサトルはその異様な雰囲気に埋もれそうになり、慌ててマスターに助けを求めた。マスターは知らん。と言った感じだったが、窓の外を指差し、外へ出れば? と合図した。サトルはぎこちなく彼女を誘って外へ出た。
無風の夜空と楠の木の下。サトルは彼女の隣で遠くの星を見ながら呟いた。
「会長がさ、俺の事こんな風に想ってるとは、思わなかったな」
「そう? あたしはずっと前からサトルの事好きだったよ。気付いてなかった?」
そう言うと、フッと彼女はサトルに寄り添った。
すると小さな鈴の音がして、彼女は何となく懐かしい物を感じる様な瞳で聞いた。
「何の音?」
サトルはポケットから赤い鈴を取りだし、照れた顔で
「お守りさ、小さな少年義士にもらったんだ」
彼女はその赤い鈴を見ると、不思議そうにサトルの鈴を持つ手を上に上げ
「これ……あたしがタカシに作ってあげた赤い鈴だ……」
(えっ!)サトルは驚いた。そして今日あった事を彼女に話すと、彼女は落ち着いた声で小さく「ありがとう」と言って、鈴を持つ彼の手を軽くゆすった。すると、彼女の弟の赤い鈴は、清らかな音色を、秋の夜空に響かせた。
マスターが数人の女の子を連れてテラスで望遠鏡を覗いている。
サトルは彼女の横顔をそっと見つめ
「会長。俺達も星を見ようか?」
そう言って、彼女の手を握りテラスの方へ駆け出す。
すると赤い鈴が揺れ、”チリン・チリン”と小さな音色が広がった。
その音色は、秋の夜空にただずむ全ての者を見守る様に、そっと静かに包んでいった。