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第1回6000字小説バトル Entry3

昼下がりのペンギン

ペンギンは正午にやってきた。
NHKの時報が鳴ったと同時にインターホンが鳴ったから、本当に、奇妙なぐらいぴったりに「正午」にやってきたのだ。僕はその時、昼食に食べようと思っていたカップラーメンに熱湯を入れ、蓋をしたところだった。
 僕がドアを開けると、ペンギンは「ちょっとお時間よろしいですか?」と言いながら、あの独特の歩き方で部屋に入ってきた。僕が彼の質問に答える前に。
「あの、失礼ですけど、来るところを間違ったんじゃないですか?」と僕は言った。僕にはペンギンを飼っている知り合いなんていないし、ペンギンの知り合いなんてもちろんいなかった。
「あなたは、スズキトオルさんでしょ?」とペンギンは言った。
「そうです」
「じゃあ、間違いない。私はここに派遣されてきたんです」
ペンギンはそう言って、ソファーの横に持っていた鞄を置いて、「どっこいしょ」とソファーに座った。
「派遣?誰から?」
 ペンギンはネクタイをちょっと緩めた。そして「申し訳ありませんが、質問の前に、氷水を一杯もらえますか。どうにも、のどが渇いてしまって・・・」と言った。
 僕は台所に言って、ビールジョッキにいっぱいの氷水を入れた。ペンギンの身体の大きさからして、普通のコップで足りるとは思えなかったからだ。ついでに食塩も一緒にペンギンの前に出してやった。
「これはありがたい。塩を付けていただけるとは。ペンギンの客は私が初めてじゃないんですか?」ペンギンはくちばしを大きく開けて喜んだ。
「とんでもない。あなたが初めてですよ」と僕は言った。ペンギンの来客なんて滅多にない。
 ペンギンは食塩をほんの少しだけ氷水に入れた。そして、それをうまそうに一気に飲み干した。
「おかわりいかがですか?」
あまりにもそののみっぷりが見事なので、僕は思わずそう言った。ペンギンは少し迷ってから、「お願いできますか」と言った。それで僕は台所へ行って、氷水を作った。
「日本の夏は暑いでしょう?」と僕は言った。
「ええ、本当に。ペンギンには堪えますねえ」とペンギンは言った。「私の住んでるところは零下何度の世界ですから」
「今日は天気予報で最高気温が35度だって言ってましたからね。少なくとも40度以上の温度差があるでしょうね」
 ペンギンは氷水に食塩を入れた。
「やれやれですね。あなたたちは、どうしてこんな暑いところに住むんです?もっと他にもあるでしょうに」とペンギンは言った。
「それはあなただって同じでしょう?どうしてあんなに寒いところに住むんです?」と僕が言うと、ペンギンは目を丸くして「寒い?」と言った。
「私たちはあそこが寒いなんて思った事は一度もないですよ。住みやすいからあそこに住んでいるんです」
「住みやすいんですか?」
「ええ、私たちにとってはね。どんな生き物でもそうです。自分たちが暮らしやすいところで生きていく。自然の摂理です。これに逆らっているのは人間だけです」
ペンギンは氷水を一口飲んだ。そして得意げに胸を大きく膨らませた。
「話を変えてしまって申し訳ないんだけど、あなたは私に何の用があるんですか?」と僕は言った。
「ああ、そうでした。暑さで忘れてしまうところでしたよ」とペンギンは言って、両羽で器用に持っていたビールジョッキを机に置いた。
「私がここに来たのは、あなたに私の話を聞いていただきたいからです」
「話、ですか」
「ええ、あなたはそこに座って耳を傾けてくださればそれで結構ですから」
 ペンギンは羽をパタパタと動かした。
「あなたは私たちが鳥類である事をご存知ですか?」とペンギンは言った。
「ええ、もちろん」と僕は言った。
「そうですか、それは良かった。最近、人間の中には私たちのことを、哺乳類と思っている方が多いんです。ひどい時は爬虫類だと思っている方もいらっしゃるようです。なぜだかお分かりですか?」
「さあ。そんな事を考えた事もないですね」
 僕がそう言うと、ペンギンはくちばしをカタカタと鳴らし、身体の割に小さい羽をパタパタさせた。どうやら笑っているようだ。
「これは失礼。当然です。そんな事を考える人間なんていないですよね。しかし、これは私たちにとっては重要な事なんです。なぜ私たちは鳥類に見えないか?答えは簡単です。私たちは空を飛ばないからです」
「ああ、そうですね。確かにそれはあるでしょうね。そう言えばダチョウもあまり鳥類という感じはしませんね」
「そうでしょう。鳥と言えば大空を優雅に飛び回る。そういうイメージが強いですからね。しかし、この事は大きなアンチテーゼを含んでいます」
「アンチテーゼ?」
「そうです。アンチテーゼです。『鳥はなぜ空を飛ぶのか?なぜ飛ばなくてはいけないのか?』ということです。あなたはどうお考えですか?」
僕は少し考えて、「天敵がいないからじゃないですか?」と適当な事を言った。
「ほう。天敵ですか」
「ええ、僕が見たところ、鳥以外に空を飛ぶ生き物は昆虫ぐらいのものじゃないですか。まあ、人間は除きましたけどね。そうなると捕食される事はあまりないですよね、捕食する事はあっても」
 ペンギンはまたくちばしをカタカタと鳴らした。そして両方の羽でつかんでいたビールジョッキを机に置いた。その拍子に少し氷水がこぼれたが、ペンギンはそれに気づいていないようだった。
「あなたのおっしゃるとおりです」とペンギンは言った。「確かに、太古の昔。私たちの先祖である、始祖鳥の時代はそうだったかもしれません。しかし、すべての生き物がそうであるように遺伝子の悪戯で進化が起こります。そして進化は鳥類は一種類だけでなくしてしまった。始祖鳥は滅び、スズメ、ツバメ、カラス、ワシ、アホウドリ、さまざまな種類が出てきました」
「スズメはカラスよりも弱いし、カラスはワシよりは弱い」
「そういうことですね。なんのことはない。天敵が誕生してしまったではないですか」
 ペンギンはそこで羽を叩いた。ちょうど人間が手を叩いた時のようなパチンという乾いた音がした。
「そこでです。鳥類の一部はこの事に気づいたんですね。空を飛ぶ事の大きなメリットが1つなくなった事に。そしてこう考えたんです。『じゃあ、空を飛ぶ必要はないんじゃないだろうか?地上には敵がいるだろう。しかし空でも敵はいる。だったらどうしてつらい思いをして、重力に逆らって空を飛ぶ必要があるんだ?』。まあ、この事に気づいたのは、鳥類の中で力はないが頭がある種類でしたけどね。力に自信がある奴はそんな事、考えもしなかったでしょうね」
 そこでペンギンは少し間を置いた。そしてテレビに目をやった。テレビはNHKを映し出していた。
「お時間、大丈夫ですか?」とペンギンは今ごろになって言った。
 僕は後ろを振り返ってテレビの左上隅に映し出されている時刻を見た。『12:34』と表示されていた。
「2時に人がくる事になっているんですが、まだ大丈夫ですね。話を続けてください」
 そう言ったが、聞いていてあまり楽しい話ではなかった。でも2時まで僕には別に用はなかったし、「もうやめてくれ」と言うのもペンギンになんだか悪い気がした。
「よろしいんですか?」そう言いながらペンギンは羽をパタパタと動かした。喜んでいるのか、ちょっとした体操なのかはよく分からなかった。
「それでは続けさせてもらいましょう。どこまで話しましたっけ?」
「空を飛ぶ必要性のない事に気が付いたところです」
「ああ、そうそう。失礼。そうです、気が付いたんですね。ここで私たちには2つの選択肢がありました。大地に降り立つか、私たちのように海に行くかです。そしてダチョウに代表される大地に降り立った種、私たちに代表される海に入った種。鳥類から見れば異種となる者たちが現れたわけです。とりわけ私たちペンギンは異端者として見られました。空を飛ぶ鳥でも、たまに地上を歩く事はあります。しかし、海を泳ぐ鳥などはそれまでいなかったんです」
「どうして海に入ろうと思ったんですか?」
「私たちの先祖は、魚を食べる種類だったんですよ。空から直滑降して海に飛び込み、魚を捕らえる。こういう種だったんですね。ですから海に入ろうと思ったんです。そして私たちの身体はだんだんと泳ぎに適した身体になっていったんです。肺活量が上がり、羽はこのように泳ぎに適した、ひれになっていった」
 そう言ってペンギンはひれになった羽をひらひらと動かした。
「地上に降りた種も最初は苦労したようです。やっぱり最初は走るのもそんなに速くないですしね。いくつかの種が滅びました。ですが反対に、いくつかの種は残りました。そして私たち鳥類はそれぞれの種が思い思いのところで生活していくようになりました」
 ペンギンは氷水を飲んだ。今度は一気に残っていた氷水を飲み干した。
「今回の私たちの進化は今までの進化とはまったく違っていました。それは私たちは海に帰ったということです。私たちは海から陸へ、陸から空へ、というプロセスをたどって進化してきました。しかし、今回は逆なのです。それも一足飛びに海に帰ったのです。これはある意味では退化だと言えます」
 ペンギンはふうっとため息をついた。そして座っていたソファーにより深く身体を沈めた。
「これで私の話は終わりです。何かご質問は?」とペンギンは言った。
「では、1つだけ」
「どうぞ」
「空に未練はありませんでしたか?一度苦労して手に入れたものを手放すのに、未練はなかったのですか?」
「いい質問ですね。私たちの先祖にあたる種は今でも空を飛んでいます。つまり、彼らには二つの派閥があったんですね。だから、海に入りたいと本当に思っていた連中が私たちペンギンの第一波だと言う事です。その第一波には未練はなかったでしょうね。未練があるなら、空に残れば良いですから」
「なるほど。よく分かりました。それにしても、あなたは説明が非常にお上手だ。ご職業は?」
 ペンギンはくちばしをカタカタと鳴らした。
「普段は普通のペンギンをやっていますよ。しかし、一年に一回だけ、こういう事をやっているんです」
「そういえば、あなたは派遣されてきたと言っていましたね」
「そうです。マンボウから依頼を受けて、一年に一回。どこかの国の人間に私たちの進化について説明しに行くんです」
「マンボウはどうしてそんな事をさせるんですか?」
「さあ、マンボウたちは教えてくれないんですよ。ひょっとしたら理由なんかないのかもしれません。ただ、やらなきゃいけないからやる。それだけの事なのかもしれませんね」
 僕はふんふんと頷いた。
「ちなみに、どの人間にするかを決めるのもマンボウです。世界で一年に一人だけ選ばれるんです」
「世界で一人!」
「あなたはかなり運がよろしいんですよ」
 ペンギンはそう言って、またくちばしをカタカタ鳴らした。そしておもむろに立ち上がって、「おや。もうこんな時間ですね。失礼失礼。本当に長い時間を取らせてしまいました」と言った。
「2時にお客さんがいらっしゃるんでしたね。それでは私はこれで退散いたします」
 ペンギンはそう言って、ソファーの横においた鞄を持ち、玄関のほうによたよたと歩いていった。僕はペンギンを玄関まで見送るために、後についていった。
 ペンギンは一段高くなった玄関の前で、小刻みに足踏みをし、タイミングを計ってからよいしょと飛び降りた。
「ああ、そうそう。これをお渡しするのを忘れていました」とペンギンは鞄の中から本を取り出した。
「これをさしあげます」
 そう言って僕に差し出されたその本の表紙には、「PENGUIN STORY」と書いてあり、ペンギンの絵が描かれていた。
「今お話した事をもっと詳しく述べた本です」
 僕は本をパラパラとめくってみた。どのページもアルファベットが並んでいた。
「失礼ですけど、英語のほうは・・・」とペンギンは言った。
「知り合いに英語の翻訳をしている人がいますから。その人に頼んで訳してもらいますよ。あなたは英語ができるんですか?」
「もちろんです」とペンギンは胸を膨らまして言った。「私は世界を回らなきゃいけないんですから」
「ああ、そうですね。当然だ」
「それではこれで失礼します。氷水ありがとうございました」
 そう言ってペンギンは出て行った。

 僕は部屋に戻り、ペンギンの使ったビールジョッキと食塩を片付けた。台所で僕はカップラーメンを食べようとしていた事に気づいた。蓋を開けてみたが、当然ながら麺はのびきっていた。一口すすってみたが、冷めていておいしくなかった。それに食欲もなんだかなくなってしまっていたので、中身を小さなビニール袋に入れ、生ごみのごみ箱に、カップは紙でできていたので、燃えるごみに捨てた。ごみの分別は条令で決まっていたし、何よりもさっきまでペンギンと話をしていたのだ。水を汚すのは申し訳ない。
 やれやれ、と僕は思った。世界でたった一人に選ばれるという大きな運をどうでもいい局面で使ってしまった。ペンギンはこれから僕にどうしろと言うんだろうか。

 2時を少し過ぎたころに、彼女がやってきた。
「暑いわね、今日も」と彼女はペンギンと同じような事を言った。そして、さっきまでペンギンの座っていたソファーに座った。
「今日の最高気温は35度らしいから」と僕もさっきと同じような事を言った。「アイスコーヒー作ろうか?」
「うん。お願い」
 僕は台所に行き、今度は普通のガラスコップにアイスコーヒーを入れた。
「ねえ、あなた、動物、飼ってる?」
 僕がアイスコーヒーの入ったコップを二つ持って部屋に戻ると、彼女はそう言った。
「いや、飼ってないよ。どうして?」
「細かい毛がいっぱい付いてるのよ、このソファー」
「毛?」
 彼女は自分の服についたものをつまみとり、僕に見せた。それは毛ではなく細かい羽毛だった。
「これはペンギンの羽だね」と僕は言った。
「ぺんぎん?」
「さっきまでペンギンがそこに座ってたんだよ」
「ふうん」
 彼女は大して驚いていないようだ。彼女は感情の起伏があまりないのだ。
「ああそうだ。この本を訳してくれないかな?」
 僕はペンギンが置いていった本を彼女に渡した。
「ペンギンが置いていった本だよ。僕が聞いた話をもっと詳しく解説してあるらしい」
 彼女はその本をパラパラとめくった。
「時間があったら訳しておくわ」彼女は本から目を上げずに言った。
「ありがとう」
「どういたしまして」
「お礼に、ペンギンのもてなし方を教えてあげるよ。ペンギンに氷水を出す時は一緒に食塩を出すんだ。そうするとすごく喜ぶ」
「ありがとう。ペンギンが訪ねて来る事があったらそうするわ」
 彼女はそう言って、アイスコーヒーを飲んだ。
 窓から見える電線の上に、スズメが一羽止まっていた。ペンギンに氷入りのビニール袋を持たせてやればよかったなとふと思った。

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