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3000字小説バトル
チャンプ作品
『悪魔が去り詩が去り、くちづけが残る』るるるぶ☆どっぐちゃん
 クスリを買ってきてよと彼がベッドの中から言う。乱れたシーツを体にくるんでこちらを見ている。風邪なんだよ。なんだか身体がとてもだるくてね。
「熱が、あるのさ」
 うたうように彼は言う。たばこが数十本ほどまわりに転がっていた。読みかけの本。まるめられたメモ用紙。音楽は無い。無音。ピアノのふたは閉められている。いいよと答えてわたしは立ち上がる。大丈夫か? と言って彼の額に触ろうとする。大丈夫だよ。待っているから早く行って来てくれ。彼はわたしの手を見つめたままそう言う。
 街へ出る。街へ。途端に騒音。騒音。耳を覆う、何処か歌のような騒音。部屋は彼の希望で完全な防音室になっていた。そこにピアノとベッドだけを置いて暮らしている。
 光を避け、路地へと入る。歪んだコンクリートの壁が何処までも続いている。壁にはポスターが貼られていた。ポスターの図版はエルンストの荒野のナポレオンであった。赤いコートの女。トーテムポール。それが何枚も何枚も何枚も、誰が貼ったのか執拗な正確さで何枚も。全て同じ柄のポスターが何枚も。わたしは歩く。歩き続ける。
 彼は詩を書く。彼は詩人である。とても良い詩を書く詩人である。うっとりとするような詩をたくさんたくさん書く詩人である。世間的な評価はまだ無い。数冊本を出版したけれど、それらの詩はほとんど売れなかった。しかしそんなこと彼には関係が無かった。彼は今も書き続けている。今年の末にまた詩集を出版予定である。そしてそんな出版ペースではまったく追いつけな
いほどの量の詩を、彼は毎日書いている。
 壁のエルンストを手に取り引き剥がす。びりびりと中途半端に破け、さらに隣の繋がったエルンストも一緒にくっ付いてきて剥がれ、半分、無事なエルンスト×2、3分の2エルンスト、という按配になったものがわたしの手の中に残った。路地を曲がる。光の洪水。大通りに出る。
 そこに悪魔が立っていた。
「よう」
 悪魔は2メートルほどある。その背丈は年々大きくなっていくようだった。全身は真っ黒で、細部は目を凝らしてもはっきりとしない。時折その体はちらちらとほの赤い光が走る。悪魔は全体的に言って黒い炎のような感じであり、手や足の数などははっきりとしない。触られてはじめてそれが腕だと解る。
「久しぶりだな、ああ久しぶりだ」
 わたしの肩を掴み、悪魔が言った。
「随分、会ってなかった。本当に、久しぶりだ」
「ああ、そうだな」
「お、これは良いな。良い物を持ってる。なんだいこれは。とても良いものじゃないか」

 悪魔は破れたエルンストを手に取り言う。
「向こうにもっとちゃんとしたのがいっぱいあるよ」
「いや、俺はこれが良い。俺はこれが気に入った」
「じゃあやるよ」
「そうか。ありがとう。ありがとうな」
 悪魔はエルンストを懐にしまう。
「ところで本当に久しぶりだな。前会ったのは何時だったかな。ええと。何時、何処だったかな。ええと、思い出せないが」
 悪魔はわたしを壁に押し付けた。がしゃん。シャッターが背中で鳴る。
「とにかく久しぶり、また会えて、嬉しい」
 言い終えると悪魔はわたしの口中に舌を捻じ込んできた。ぐにゅる。ぐにゅるぐにゅる。みちゃ。にちゃ。わたしの口内がめちゃくちゃにかき回される。
「ああ、本当に会えて嬉しいよ」
 悪魔が囁く。わたしの舌を、歯を、喉を、その長くしなやかな舌でめちゃくちゃにしながら悪魔が囁く。
「元気だったか? 少し痩せたんじゃないか」
 ぐにゅる。ぐにゅるぐにゅる。みちゃ。にちゃ。ぐにゅる。ぐにゅるぐにゅる。
「肩なんてこんなに、腰なんてこんなに細くなって」
 みちゃにちゃにちゃにちゃにちゃみちゃ。悪魔はわたしの身体中をまさぐり、めちゃくちゃに愛撫する。悪魔はわたしと会うとずっとそうだった。わたしは目を閉じてじっとそれに耐える。
「あいつともこんなことしてるのかい?」
 してない。そのような関係じゃない。わたしはそんなことはしない。大体彼にはそのようなことには何も興味が無い。ぐにゅるぐにゅるにちゃにちゃにちゃみちゃ。
「もう、詩は書かないのか」
「書かない」
 わたしは悪魔を身体から引き離し、言う。
「もう書かない。わたしはもう詩は書かない」
「昔はあんなに書いていたじゃないか」
「書かないんだ。わたしはもうわたしの詩を書かない」
「そうか」
 悪魔はそう言うとわたしから一歩下がった。
「好きだったんだけどな、お前の詩」
 わたしは髪を撫でつけ、襟を直し、歩き出す。
「どこへ行くんだ」
「クスリを買いに行く」
 わたしは振り向かず叫ぶ。
「同居人の調子が悪いものでね。熱が、あるのさ」
「待てよ、クスリなら持ってるぜ」
 悪魔は何時の間にわたしの隣に立ち、言った。
「ほらよ」
 悪魔は手を開く。
 手の中から不思議な形の鈍い光沢をした小さなものが次々と溢れ出した。
 ぱらぱらぱらぱらぱらぱら。それらは手の平から溢れ出て地面へと落ち、乾いた音を立てる。
「俺の自慢のクスリだ。効き目はばっちりだぜ」
 ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら。悪魔は笑う。ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら。
「楽に、死ねるぜ」
 ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら

 ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら。
 
ぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱらぱら。

「ほら、ふた粒やるよ」
 悪魔はわたしの手の中へそれをふた粒押し込んだ。
「じゃあな」
 車が通り過ぎる。わたし達をヘッドライトが照らす。
「また、会おう」
 そう言うと悪魔はくるりと背を向け、大通りを歩いていった。
 見えなくなるまでわたしはその姿を眺めていた。

「おかえり」
 ベッドに立ち、彼を上から見つめる。眠っていたようだ。薄闇の中でも眩しそうに目を細めている。細い胸、肩、首筋が露わになっている。
「ただいま」
 首筋にキスをし、わたしは言う。
「クスリ、買ってきたよ」
「そう」
 貰ったクスリのひと粒を彼に渡す。わたしは残されたひと粒を口に入れ、飲み込んだ。

「君もクスリを?」
「わたしも、少し調子がね」
「そう」
 彼もクスリを飲み込んだ。
「いろいろ、また、書いたよ」
「そうか」
「たくさん詩を書いた。たくさん、たくさん」
「聞かせて」
「良いよ、聞かせてあげる。たくさん書いたんだ。たくさん聞かせてあげる。聞かせきれないくらいに、たくさん書いたからね。たくさん、たくさん、たくさん書いたから。聞いてくれるかい? 僕の詩を、聞いてくれるかい? 聞かせきれないほどの、書ききれないほどの、この僕の詩を」
「ああ。聞かせておくれ」
 彼を抱きしめ、わたしは言う。
「聞かせておくれ」
 闇に目を向け、わたしは言う。



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