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第21回中高生1000字小説バトル Entry8

コンパス

無人の通学路をうっとり眺め入る僕。

早朝のひんやりした空気が汗ばんだ体に気持ちいい。ペダルさばきも心持かろやかに、僕は朝の学校の静寂を裂いていく。ほくそえんでしまう。自分達より先に教室にいる僕の姿を見た、クラスメイトの顔が大袈裟な演出で僕の中に浮かぶのだ。

「あ!」「はや・・」「うそ!」「あ〜あ」

もはや僕の遅刻登校の際に行われる儀式は担任含めたクラスみんなのささやかなレクリエーションとなっていて、ただ不愉快なだけの僕を尻目にそれは彼らの一日の学校生活への活力を導いているらしいのだ。

「他人の不幸は蜜の味っていうだろ」そう言って笑う担任。

そして、廃棄処理を逃れ新たな役目を担うことになったあの古い金属製の巨大コンパス。

階段を上がるたび、僕の足音が反響しているのがわかる。窓から青白い空が見えた。三階の踊り場を曲がったところで僕はまたしても笑いが止まらなくなった。信じられないくらいの静けさだ。木造りの廊下がミシミシきしむ。通り過ぎる教室に人の気配は無い。D組に到着。教室に入る前に深呼吸した。

「ガララ」

先客!そんなまさか。まだ六時五十分。
一番乗りは伏木すず子だった。寝ている伏木を起こさないように目配せしながら忍び足で席に着いた。おかしい、ここは堀江の席だ。隣も平田に変わっている。ハッと黒板に目をやった。座席表が書いてある。「省エネ席替え」というやつだ。
何の巡り合わせか、僕は伏木の隣になっていた。息を殺してそっと席に着いた。音を立てないようにバックとカバンをかけた。伏木はグッタリと上半身を机に寝かせている。長い髪が机から垂れている。当たり前だけど、彼女のここまで無防備な姿を見るのは初めてだ。ぼんやり眺めていたら伏木はウーン、と声を出して寝返りを打った。その声があんまり色っぽかったので僕は動揺して彼女から離れた。体を背けてさっきの声を反芻した。顔が火照った。

「あれ?」

振り返ると、伏木がうつ伏せのままで僕を見ていた。

「今日は、早いね」

あんまり普通なので僕は気後れして

「うん、まあ・・」

と、口ごもってしまった。それから三十秒ほどして、

「あ、連続遅刻記録、ねえ」
「ついに止めたよ」
「おもしろかったのに」
「人ごとだと思って」

伏木が僕を見て笑った。僕も引きつった微笑でなんとか笑い返した。

「みんなびっくりするね、きっと」
「うん、これであのコンパスともお別れだ」
「あれ、すごく痛そう」
「・・実はそうでもないんだけどね」

伏木は席を立って黒板の横に立てかけてあるコンパスを手に取った。

「もし痛かったら林田くん罰ゲーム」

なんで?と笑いかけるがはやいか、ピシッという乾いた音が鳴り渡った。

「やっぱり痛かった!」

口半開きでつっ立っている僕を睨みつけた。何か言葉を催促しているようだったので

「あ、ば、罰って?」

はにかんで彼女が僕に下した罰の意味が僕にわかったのはそれから1分後の事だ。

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