第12回体感1000字小説バトル
 感想票〆切り8月末日

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 1 麻井 遊  深淵の月  1313   
 2 閑流  レスト・イン・ピース  1007   
 3 西直  三点リーダー  975   
 4 空狼  月の彼方に  669   
 5 真田由良  laugh  1274   
 6 澁澤わるつ  ゆめとうつつ  1168   
 7 (本作品は掲載を終了しました)    
 8 深海志保  道化師  957   
 9 柄本俊  マンホール  1000   
 10  志崎洋  ミルク色のしあわせ  1000 
 11 小川美緒  アルハンブラの思い出  1000   
 12 卯月羊  ほくろ  1000   
 13 マサト  会話の轍  1057   
 14   タガギミツキ  保険証  998   
 15 サイ  金魚革命  594   
 16 キチ  ある夜のこと  1000   
 17 Oka-Taka  散々hikari  1000   

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Entry1
深淵の月
麻井 遊・・・・・




 世界は蒼かった。全てが透明な蒼で満たされ、その蒼い光を投げかけている月は無関心とも、残酷とも、優しげとも見分けがつかない表情をしている。月光はこの世界の蒼の大半を占めている。しかし、雲一つない夜空の下には、広大な夜空と同じくらいの広さをもつであろう海が、月光を反射して昼の青さとは全く違った別の青さをもって世界に少しだけそれを放っている。静寂が支配し、絶えず砂浜に打ち寄せる波音だけが世界に響いていた。昼、白かった砂浜は今は月光を受けてかすかに蒼く存在している。
 どこまでも続く砂浜に少女がいた。少女は、いや、少女と大人の間くらいの彼女は何をするのでもなく、虚空を見つめたままたたずんでいる。大人と同じくらいの背と、体の半分はあるかと思われる長い足。その足をおりたたんで座っている。彼女が着ている服。それは砂浜と同じ色で、それが彼女を世界に溶け込ませている。その様子は儚げで、しかし、それがガラス細工のように美しい。彼女は何も言わない。身動き一つしない。蒼い世界には相変わらずかすかな波音が響いているだけ。世界に、砂浜に、彼女だけがぼんやりと浮かび上がっている。その姿はまるで幽霊のようで、それが不思議な雰囲気を醸し出している。
 彼女の後ろ、海岸から10メートルも離れていない場所からは闇がたゆたい、それがどこまでも続いている。それが何なのかはわからない。しかし、その闇はどこまでも広く、月光が入り込めないほど深い。それは少しずつ広がり続け、月光を侵食していく。海岸に向かって、いや、彼女に向かって闇は全てを包み込んでいく。静かに、優しく、ゆっくりと、でも確実に恐怖を広げている。月は相変わらず表情があるようで、ないようで。でも、今は少し悲しげに見える。闇が彼女に近づくにつれて、悲しげな光が強くなっていくようだ。ゆっくりと彼女を包み込んで、もう砂浜さえも飲み込んでしまっている闇。それに怯えてか、闇を拒否するかのように海が荒れ、追い払おうとするかのように砂浜に打ち寄せる波が大きくなっていく。まるで嵐に入ったかのような海。しかし、夜空には雲一つなく、月が悲しげな光でこれ以上ないくらいに高い波を、荒れる海を照らしている。月光が弱々しくなっていき、世界中がだんだんと闇に呑まれようとすると海は穏やかになり、波はなくなっていく。まるで今までが嘘だったかのようにゥゥゥ。
 漆黒の闇の中、今まで身動き一つしなかった彼女が動いた。おりたたんでいた長い足を伸ばし、音もなく立ち上がる。そして、音もなく砂浜であろう場所を進み、音もなく、今や波のなくなった海の中に入っていく。恐怖はおろか感情もないかのような表情で、肩から頭まで全身が水の中。苦しそうではなく、もがきもしない。ただ素直に波に、海の流れに身を任せている。
 しかし、意識は薄れていく。まるで海の中に意識が溶け込むかのように。
 そして、二度と彼女が砂浜にあがってくることはなかった。

「先生、患者が蘇生しました」
 救急車がついたばかりの、張り詰めたどこか悲しい空気の中をこんな看護士の叫び声が響き渡った。そして、運ばれてきたばかりの患者につながれている心電図が再び動き出した。



Entry2
レスト・イン・ピース
閑流・・・・・



いつもなんでも独りでやってしまうしなんでも独りでできてしまうから 羨ましいし尊敬もしたけど大分妬んでもいたしそうやって悶々としてい るのに見向きもせずに飄々と自分のするべきことを自分が求めるレベル 以上にやってのけてしまう強靱さ。向かうところ敵無し。敵とも見なさ ない。圧巻。

「行くんだって」
「ああ」
「そう」
「良いのか」
「だってもう決めちゃったろ」
「そうだけど」
「止めて欲しいのか」
「そんなんじゃない」
「じゃあ何」
「…離れたくない」

「馬鹿馬鹿しい」
「そうか」
「離れたくないなら、離さなきゃいいじゃん」

「離れたくないって言ったら離れないのか」
「そんなことわからない」
「もういいよ」
「じゃ行きなよ」
「なんかすげえ嫌だそれ」
「勝手に嫌がってろ」

かと言って出来ないことがある自分との差にコンプレックスを感じるわ けでもない。欠点がないことが唯一の欠点だとしたら完璧であることが 素晴らしいことだとは思わない。むしろ損だ。人生損をしている。でも 面と向かってそうやって言ってやれないのはやっぱり何でも出来るはる かな高みから見下ろされてるように感じているからだ。

「何怒ってるの」
「普通だよ」
「じゃあ何」
「なんでそんなにすぐ決められんだよ」

「そりゃお前の心はお前だけのもんだしお前の未来を選ぶのはお前だか ら第三者がどうこう言えるこっちゃないよ、だって所詮他人だからな。 決めるのはお前だよ。だけどお前は独りで何でもできるけど人と一緒に 居られないだろ。でも世界にゃお前だけじゃねんだよ。お前が生きるた めにどれだけの人間が関わってると思ってんだよ。別に感謝しろとか思 いやれとか言わねえよ。でもお前は認めないんだろ。お前以外がお前の 人生の中に見えるの嫌なんだろ。」

「……なげーよ」
「長くて悪かったな」

「お前周りから自分がなんて言われてるか知らねえだろ。お前がどんな 人間か憶測飛び交ってんの知らねえだろ。腹立つよ。なんつの、セルフ イメージ?できあがっちゃってんの奴ら。奴ら一般人。お前は高尚な人 間だよ。確かにね。」
「高い志を持つ?そりゃまたおめでてーな」
「お前のレッテルなんて所詮そんなもんだよ。」

「決めた。離さない」
「またそうやって単独行動する」
「お前はどうしたいんだ」


「どうもしたかねーよただ何のためにここに居んのかわかんなくなってきてすげーむかつく。」


「お前とことん平和ボケ。成長してないよ」
「うるせーよペシミスト。人のふり見てテメエのふり直せ」




Entry3
三点リーダー
西直・・・・・




 雨が降ってきたのでコンビニの前の傘をパクった。一応気を遣ってビニール傘にした。雨は降り続け、どこかサテンにでも入ろうかと思いつつ歩き続けた。キョロキョロしながら歩いていると、ひとりの少女が目に入った。ちょっとした知り合いで、雨でびしょ濡れだった。でも彼女とどこでどう知り合ったとかは、もう忘れてしまった。
 彼女は日によってぼんやりだったりイライラだったりする。今日はぼんやりの日のように見えた。
 近づいて、彼女を傘の中に入れてみた。最初は気づかなかったようだけど、彼女はふと顔を上げ、僕と目を合わせた。やはり今日はぼんやりのようだった。彼女は何も言わずにまた前を向き、歩き続けた。僕も並んで歩いた。
 しばらく無言でいたけれど、「こんな日、思い出すことがある」と彼女は突然話し出した。僕は「うん?」と先を促した。
「ずっと前、水道管が破裂したことがあって、床が水浸しになった。でも夏のことだったし気持ちいいから別にいいかなーと思った。でも一応水道工事の人のところに電話した」
「うん」
「来てもらえることになった。でも少し時間がかかるって。だからあたしは、座ったり寝ころんだりしてた」
「床に?」
「床に」
「それで?」
「ちょっといやな気配を感じた」
「気配?」
「うん、気配。木の板、壁に板を立てかけてた、木の板を。何に使ってた板だったかは忘れたけど、それが気になって、気になったんでひょいって、板の裏を覗いてみた」
「うん」
「床、水浸し」
「うん」
「板の裏、びっしり十匹くらい、ゴキ」
「う、うん」
 傘を持たないほうの腕にヤな感じの鳥肌が立った。
「ゴキブリって水に弱いんだよねー」
「そうだね」
「で、板の裏にびっしり」
「うん」
「それは今も、あたしの大切な思い出」
「そっか」
 雨が降り続けている。
「じゃあ僕はこっちに行くんで」
 横の道を指差し、僕は適当にそう言った。
「うん、じゃあ」
 彼女は頷き、前を見つめた。
 傘が僕だけのものになると、雨がまた彼女を濡らし始めた。すたすたと少しだけ歩いたところで、彼女が「ねえ」と僕を呼び止めた。振り向くと彼女は同じところにいて、何かを言った。雨が彼女の言葉を消していたけれど、でも口の動きで何となくわかった。
 だから僕も同じような言葉を返した。その言葉も同じように消えていたけれど、彼女にも何となく伝わったような気がした。
 そんな日。




Entry4
月の彼方に
空狼・・・・・




 「あぁっ・・・くぅっ・・・・・・」
 言葉にできない悲しみと痛みが心を襲う。
ユウはもういないのだ。それをまだ心は受け入れてない。
その血だらけのぬけがらを抱きしめながら、少年はむせび泣く。
自分が、立ちすくみさえしなければ・・・・・逆にユウの事を庇えば、救われたかもしれない。
そんな闇が、心を蝕んでゆく。
−世界がなくなってもいい−
そんなことを何回も思った。
あれから何年か経ったかは定かではない。
少年は青年になり、そして男へとなっていった。
それとともに、ユウのことも忘れていったのかもしれない。
「もうこれで獣医の仲間入りだな。」
 仲間からそういわれる。
男は病院へ働きに行った。
そして、看護師の女と恋に落ちた。
時が早く流れるのを感じた。
それとともに、その瞳に惹かれた。
どこか記憶の奥に眠る何かに、よく似ていた。
 ある日彼女はこう話しはじめた。
−彼方と私って、どこかで会ったよね−
当時はその言葉に、何の疑問も抱かなかった。
その時二人を照らし出す満月にも。
そして彼女は突然逝った。
ユウと同じ行動をとって。
男はユウが死んだ時と同じように泣いた。
その日も満月の夜だった。
満月に向かって歩き出す。
彼女と来た思い出の場所は、あの時と同じように照らし出されていた。
−このまま追いかけていこうか−
そう一瞬思ったが、取りやめる。
満月の中、彼女とユウが微笑んでいた。
思わず走り出す。
そして満月に向かって旅立った。
−ユウ−−−−−ッ!!−
二日後、崖下で男の死体が発見されたのは言うまでも無い。
男はユウと女の元へ旅立っていった。

果たしてこの方法は男にとって幸せだったのだろうか?




Entry5
laugh
真田由良・・・・・



あの時はただ写真が撮りたかった。
世の中の人にある影や光を撮ってみたかった。
眼には見えない、愛の形でさえ綺麗に見えたのは私だけだったのかな?

「よっ!元気か〜?」
あたたはいつも私を子供のようにあつかっていました。
「元気だよ!・・もぉ、わかったから離して!」
あなたの手が私の頭をなでるのが恥ずかしかったからいつも私は素直な言葉を言えないまま知らずにあなたを傷つけていたかもしれません。
「今日も、写真撮ってるのか?」
「うん。そうだよ、悪い?」
「お前なぁ・・・もぅちょっと素直になれよ・・」
「うるさいなぁ・・もぅ」
私は、写真が好きだった。
一瞬見える風景や、雲の形・・それ以上に人の笑顔が好きだった。
でも、あなたが「写真ておもしろい?」と聞くから素直じゃない私はいつも「別に」の一言で済ましていたような気がします。

あなたの笑顔が撮りたいのに・・

風がよく通る場所でよくあなたと話してした事を思い出します。
私はあの時間がとても大好きだった。
私はひたすら写真を撮り、あなたはひたすら鼻歌を歌っていたね。
「お前、将来何になるの?」
「まだ、決めてない・・」
「写真家?」
「決めてないってば・・」
そこからの返事は返ってこなかった。
私はひらすら写真を撮りつづけた。

太陽が雲にさえぎられて、雲のすきまの一点から太陽の光が差し込んでとても綺麗だった事を今でも覚えています。
そして、あなたが言った言葉も・・


「俺、次の日曜、引越しするんだ」
「えっ!?」
あなたの突拍子も無い言葉にさすがの私も驚きました。
新しいフィルムを入れようとした手が汗ばんだ。
でも、あなたが「驚いた?」などとからかい気味にそう言うから、私はまたいつもの調子で「別に」って。
「大学の都合でな・・」
そう言ったあなたのはにかんだ笑顔がいつまでも頭から離れません。

私は、笑顔が好きだった。

それからすぐでした、あなたの悲報を聞いたのは。
引越しすると言ってた日曜日、大きな希望を胸に新しい土地に向けて出発してからすぐ事故にあってそれも死んだ事を聞いたのは。

涙は出ません。
出したくありません。

私は笑顔が好きだ。

あなたが死んでから見つけた物があります。

一枚の写真。

私の無愛想な笑顔の写真でした。
裏には「お前、一枚も自分の写真持ってないだろ?」
あなたから私への最初で最後の贈り物。

初めてあなたが死んでから涙がでました。

「お兄ぃちゃん・・・・」

後、母から兄は私の写真を撮るように頼まれていた事を知りました。
それでも、私はあなたがくれた私への贈り物と信じて疑いません。

私は笑顔が好きです。

兄を愛した事を後悔なんてしていません。
いつか、笑顔の他に綺麗な愛の形を撮りたいと今は思うのです。

結局、私は写真家にはなりませんでした。
今は、主婦として新しい家族にも恵まれ元気でやっています。

「お前の撮る写真で一番、笑顔の写真が好きだ。」
そう言ってくれた兄に感謝します。

「お兄ぃちゃん、ありがとう」

十何年越しの私の素直な気持ちを聞いたらあなたはまたあのはにかみ笑顔で笑うのだろうけど・・・

テーブルの上に飾った無愛想な私の写真が少し笑った気がしました。




Entry6
ゆめとうつつ
澁澤わるつ・・・・・



今日もたくさん届いた郵便物を開封しながら、傍らにいた臼庭君に今朝見た夢の話をした。
夢の中の私は駅で、密かに思いを寄せている男の人を待っていた。切符売り場を遠くから眺めていると、やってきた彼は、彼の背丈の半分ほどしかない髪の長い娘と手をつないでいた。彼は私の視線を覚ったのか、彼女を隠すように抱きしめて、その後、娘を駅から帰した。娘の背中を見送った彼は、ため息をついてふりかえると、私に向かって、哀れみの混じったような笑顔を見せた。電車に乗った私は悲しくて泣いた。悲痛な声をあげて泣いた。彼に恋人がいたから、という以前に、自分の存在を全否定されたような絶望感からだ。とにかくダメなのだ、私では、わたしでは。
胸いっぱいの絶望感で目が覚めた。そして仕事をしている今でも、胸が重い。
「まぁ、そんなこんなでシャクなわけよ」
「なんで?」
「なんでって、あのさ、夢じゃない? 現実じゃないワケ。そんなトコまでつらい現実見せてどうすんのってハナシよ」
「そうねぇ」
「せめて、男前とか仔犬に囲まれる、みたいなそんな景気のいいもんが見たいでしょ!?」
「代々木さんって、男前と仔犬が同列なんだ」
「ちげーよ! さっきのは例、イグザンプル」
「ふーん」
「臼庭君だって、蝶の大群に襲われるより、夜の蝶の大群に襲われる夢がいいでしょ」
「うーん、まぁね」
「気のない返事ねぇ」
会話が途切れると、部屋にはざくざくざくとリズミカルなはさみの音がする。臼庭君は私の話を耳障りの悪いBGM程度の扱いで聞き流し、私には一瞥もくれず、ただ、その大きな手を黙々と動かしている。生来、口ばかりが達者で手先の不器用な私は、彼ほどのリズムを刻むことが出来ない。ちらりと彼の横顔を盗み見た。会社でも噂の器量良し。男にしては長いまつげが憎らしい。社内の女連中は、どうやっても冴えない私が、皆様のアイドルと二人で仕事をしているのが気に入らないらしいが、どうしてどうして、一緒にいたって彼はステキにそっけない。
「代々木さんさ」
「なに?」
「昔、なんかの本で読んだんだけどさ、本人にとってつらいことを夢でも見るっていうのはね、予行演習なんだって」
ざくざくざくざく。私を見ないで彼はいう。ふいに陽気な着メロが鳴って、彼はズボンの後ろポケットから携帯を出した。メールがきたらしい、それを見て臼庭君は今日始めて嬉しそうに微笑んだ。私はわざと手元の封筒に視線を落とし、明るさを装って
「・・・彼女?」
と聞いた。彼はあいまいな返事をした。
また、私達は無言のままはさみを動かし始めた。しばらくして、臼庭君は言った。
「代々木さんは知ってるんだけど認めたくないんだよね、その人に彼女がいること。だから夢で予行演習をしているんだよ。これ以上現実で傷つかないように」
苦い言葉に顔を上げると、彼は夢で見たときと同じ表情で私を見ていた。




Entry8
道化師
深海志保・・・・・



 裏通りには、悲しい道化師が住んでいた。稀に迷い込んでくる観光客に、パントマイムの風船をプレゼントして道を教えてあげる。それが彼の仕事。優しい笑顔や照れ笑いや、時には怯えた表情をして、裏通りに迷い込んできた観光客は表通りへと通じる細い道を去っていく。
 ある日、小さな女の子が道化師の家の窓辺を通り過ぎた。道化師は口笛を吹いた。振り向いた女の子の瞳がひどく真っ黒で大きいことに、彼は少しばかり動揺してしまった。けれど、彼はいつもと同じように仕事をこなす。手で風船を形づくって女の子に差し出し、表通りへの通路を指し示す。いつもと違ったのは、女の子のほうも道化師に贈り物をくれたことだった。女の子は、にっこり笑って硝子玉の連なった首飾りを道化師の首にかけ、何か言おうとした彼の口に小さな人差し指をあてると、「内緒」と囁いて走り去ってしまった。
 道化師は、硝子玉の首飾りをしげしげと眺めた。振ってみると、かちりかちりと涼しい音がする。彼は、窓枠に刺した釘に首飾りを引っかけると、硝子玉とやわらかい午後の光が戯れる様をぼんやりと眺めながら、いつのまにか眠り込んでしまった。――気がつくと、道化師は大きな舞台の上にいた。満員の観客席、華やかなライト、歓声。びっくりして彼がぐるりと周りを見回すと、それだけで観客は大喜びして拍手した。彼がちょっと手を振っても、目をぐるりと動かしても、すべての動きが巧みな滑稽さに映るらしい。彼は、嬉しくなって舞台中を跳ね回った。手を叩き、歌い、転がり、百面相をし、舞台近くの観客の耳元で冗談を囁いた。彼は調子にのって、一度も触れたことのない空中ブランコの台によじ登ると、鮮やかな軌道を描いてブランコをこぎ出した。舞台空間は熱狂に包まれ、ほとんど魔法にかかったようだった。と、その時、彼はぐらりと身体の傾くのを一瞬感じた。そしてスローモーションのように彼の目に映ったのは、切れたブランコの綱の端、それから激しい衝撃――
 床に散らばった、砕けた硝子玉。夕日が窓から差し込んでいた。冷たい衝撃音に目を覚ました道化師は、夢が夢であることを、いつになくひどく悲しく思った。錆びてごつごつした釘のせいで切れてしまったらしい首飾りの糸をもてあそびながら、この硝子玉で怪我をするといいのかもしれない、と思った。




Entry9
マンホール
柄本俊・・・・・



 僕がそのマンホールに興味を持ったのは、朝の通勤途中のことだった。
 いつも通り憂鬱な思いで家を出て、駅まで歩いていると、道の真ん中にあったマンホールのふたが突然カタカタ音をたてて、グラグラと揺れだした。
 怪奇現象? それとも水道局員? はたまたテレビのドッキリ?
 僕はこれから会社に行かなければならないということよりも、このマンホールを見守るほうが重要な気がした。
 しばらく眺めていると、そのマンホールのふたがずれて、中から人間が現れた。
 僕は呆気にとられてしまった。
 なにせ、その人の格好ときたら、黒い山高帽にモーニングスーツ、黒革靴に黒い革手袋、真っ黒なサングラスまでかけた全身黒ずくめの男だった。
 その男は僕の姿をみるなり、「やあ、最近どう?」と、いたって気軽に話しかけてきた。
「まぁ、ぼちぼち……」
 つい返事をしてしまったが、その男は納得顔でうなずくと、また元のマンホールに戻っていった。
 そして、ふたが元通りに閉まると、そこはもう完全にいつもの風景が広がっていた。
 何だったんだろう?
 結局、僕は会社に遅刻した。だが、わざわざ会社に来てはみたものの、今朝のマンホールが気になって仕事どころではなくなっていた。もっとも、今の会社の仕事に興味を無くしかけたのは数ヶ月前からだ。入社当時は面白そうな会社だと思ったものだが……。

 次の日、いつもと同じように昨日と同じ時間、僕はそのマンホールの前にいた。すると、ふたがカタカタと音をたてたので、僕は昨日の男がまた現れるシーンを想像してワクワクした。
 ところが……。
 今日、そこから出てきたのは、全身真っ白の巨大ワニだった。五メートルはゆうにあるだろう。その巨体はマンホールの直径よりも大きく、無理やり這い出てきたくらいだ。
 そのワニは僕を見つけると、『シャアアーーー!』とひと吠えして、またマンホールに消えてしまった。
「なぜ、ワニ?」
 だがその瞬間から、僕はこの奥が深く興味の尽きそうにないマンホールの虜になっていた。
 そして次の日も、そのまた次の日も同じようにマンホールから色々なものが出てくるのを目の当たりにした。
 銛を持ったワイルドな中年女性だったり、極彩色のイモリの大群だったり、クールにすかした幼稚園児だったり……。

 僕はそれきり会社には行かなくなり、いつしかクビになっていた。
 それでも構わなかった。あの会社では、もう底は見えていたから。



Entry10
ミルク色のしあわせ
志崎洋・・・・・



 突然、彼女の前にキューピットが現れてこう言った。
「あなたに愛のミルクをあげましょう。これを相手が飲むと、誰でもあなたの恋のとりこになりますよ。フフフッ」

 彼女の片思いの相手は、朝の散歩の時に出会う若い男だった。
 ちょっとすれちがっただけなのに、その男のやさしそうな澄んだ瞳を見てからは、もう彼女は彼のとりこになってしまっていた。
「彼の気持ちが私のものになったら、どんなに幸せかしら……」
 そんな時、彼女の前に愛のキューピットが現れたのだった。

 彼女はさっそく愛のミルクを彼に飲ませることにした。
 一人ぐらしの彼の家に行き、牛乳受けにあった牛乳を愛のミルクと入れかえておいたのだ。
「これでもう、私の片思いも、お、わ、り、フフッ」
 朝の散歩の時間になると、心がうきうきとしてきた。
 そして、朝の牛乳をゴクリと飲みほした。
「ああ、いつもよりおいしいわ」
 彼と会うのが楽しみだった。

 彼が来た。こっちにだんだんと近づいてくる。
 彼女は思いきって自分の方から声をかけた。
「おはようございます!」
 驚くほど素直に言葉が出たのが、自分でも不思議だった。
「あっ、おはよう」
「朝のお散歩ですか?」
「うん。君も朝の散歩?」
「ええ、私、朝が大好きなんです。だって、朝の空気を吸うととても気持ちがいいんですもの」
 そう言って、彼女はほほ笑んだ。その笑顔はいきいきと輝いて見えた。
「ぼくもそうなんだよ」
と、彼は答えた。そして恥ずかしそうに言った。
「君の笑顔はとても素敵だね」
「ありがとう。あなたも素敵」
 彼女も恥ずかしそうに答えた。
「実は、前から君に声をかけたいと思っていたんだ」
「ええ、私も……」
 彼女はちょっぴり照れながらささやいた。

「では、また」
「ええ、さようなら」
「さようなら」
 彼は、ほほ笑みながら帰っていった。

「大成功だわ!」
 彼女はキューピットに心から感謝した。
「あなたのおかげだわ、キューピットさん。これでもう彼の心は私だけのもの。本当にありがとう!」

 彼女と別れてから、若い男は感心してつぶやいた。
「それにしても、あのキューピットからもらった愛のミルクというのは、本当に効くんだな。あの娘の牛乳の中にそっと入れた……」
                            
 えっ?彼女がだまされたって?いいえ、そうではないのです。
 キューピットがそっとつぶやきました。
「あれは、ただのミルクさ。フフフッ」




Entry11
アルハンブラの思い出
小川美緒・・・・・



 雨の夜だった。粘りつくような夜の空気のなかに、僕はいた。
 来て。一緒にいたいの。電話口の向こうでそう囁いた彼女の声。それは痛みを伴って僕の胸のどこかをきゅっとつねった。午前1時。電話をかけるにも訪ねていくにも非常識な時間帯。けれど行かずにはおれなくて、ぼくはスニーカーに足を突っ込んだのだった。
 彼女はふらりとした足取りで僕を迎えた。そして何も言わずにギターを取り出した。どっしりと重そうなケースから取り出される、磨きこまれたギター。彼女はそれをさも大事そうに抱くと、あっけにとられた僕を前にひとつ深呼吸をし、ゆったりと弾きはじめた。
 「アルハンブラの思い出」だ。音楽音痴の僕だって一度は聞いたことのあるクラシックの名曲。マイナーコードの移動がゆるやかに、滑らかに空気に溶けていく。細やかに震える音色。官能的に動く彼女の白い指。悲しげな彼女の瞳。あわない視線。僕はだんだん妙な気分に誘い込まれていった。ここに僕は存在するのだろうか? ギターの音色と雨、それから彼女。何度も続く繰り返しに、だんだんと時間の感覚が消えていく。もうどれくらいたったんだろう。まだ1分? それとも1時間か。僕は堪らなくなって彼女に手を伸ばした。
 かたん!
 小さく乾いた音を立ててギターが床へ転がる。彼女は伏せていた視線をゆっくりと僕へと移した。表情がだんだんと瞳に宿っていくのがわかった。けれど、そこにあるのは恋人に会えた悦びではなく、悲哀と、恐れにも似た感情。僕は思わず彼女から手を離した。
「雨に……雨にとけたいの」
 微かな声が淡い紅の唇から漏れる。
「あめはやさしいから。あめがまもってくれるの」
 言葉に子どものような不器用な響きが混じる。僕は手を伸ばすことができずにただ彼女の言葉を聞いていた。
「わたしがすき?」
 泣き出しそうな瞳が僕を射た。何が起きているのかわからなかった。でも僕が持っている答えはひとつしかないのだ。
「すきだよ」
 答えを待っていた瞳からとめどなく涙がこぼれていくのを、僕はただ黙って見ていた。そして彼女を優しく抱き寄せた。
 ああ、そうか。君は出てきたんだね。雨の夜のやわらかな殻から。優しげな音楽のつくる膜から。僕は彼女の瞳をのぞきこみ、そして頬を伝う涙を唇でぬぐった。雨の音は途切れることなく僕らを包み込み、僕らはそのなかでただ抱き合っていた。僕は自分の瞳からも暖かなものが流れ出すのを感じていた。




Entry12
ほくろ
卯月羊・・・・・



何かが変だ。
一日の仕事を終えて、我が家に帰った僕を待っていたのはそんな感覚だった。

まず、新聞が見あたらなかった。
郵便受けに入っていなかったから、てっきり妻が取り込んだものだとばかり思っていたのだけれど。
時間は七時。もういつもなら届いてる。
キッチンへ行き、妻にそのことを訊いたら「知らない」と言われた。
あちこち探してみると、それは雑誌の下敷きにされていた。
「あったよ」と妻に声をかけたら、「そう」と一言だけ返ってきた。

そういえば、何となく妻の様子もいつもと違う。
どことなく素っ気ないのだ。
「元気ないね?」と言っても、「そう?」と簡単ではっきりしない返事。
どこかが、不自然。
それとも、おかしいのは僕の方なんだろうか?


僕は、このおかしな感覚を忘れるために新聞を開いた。


新聞の一面に目を通す。「白装束」という言葉にドキッとする。
「まさか」と僕は思う。
(知らない間に妻の頭の中に怪しげなチップが埋められてたりして)
あり得ない。いくら妻の様子がいつもと違うからって。
映画の見すぎだ、と僕は思う。
そういえば、今日の金曜ロードショーは「タイタニック」の「前編」だったはずだ。
ラブストーリーなら脳味噌に変な刺激を与えたりはしないだろう。
僕はテレビのリモコンを探す。

「あれ?」
今度はリモコンが見あたらない。
「ね、リモコン知らない?」
と妻の背中に問いかける。
妻はサラダとドレッシングをテーブルに運んでくると、「変ね、さっきまでそこにあったのに?」と、さして不思議でもなさそうに答える。
僕はあきらめて再び新聞を開こうとする。
妻がムッとする。
「もう夕ご飯の時間よ」
いつもはそんなこと言わないのに。


妻が時計に目をやる。
「あっ」と小さく叫んで、僕の方に顔を向ける。
「ねっ、ね、何か感じない?」
「ん?」
「だからぁ、家の中で何か変わったこと、ない?」
「リモコンがない」
「そんなことじゃなくてっ」
「ん?」
「私の顔見てよっ」
「見てるよ」
「もっとよく見てっ」
「…あれ?」

ほくろ。
妻の額の上。眉毛の少し上辺りにほくろが一つ。
「君、そんなところにほくろあったっけ?」
「じゃなくてぇ」
あーあ、といった感じで妻が肩をおとす。
「あのねぇ」

玄関のドアが開く音。
妻が目を閉じる。
「タイム・オーバー」

娘がキッチンに入ってきて、僕の顔を見る。
それから妻の顔を見て、「またぁ?」という感じの顔をする。
娘が妻ににっこり笑いかけ、一言。

「お母さん、髪短くしたんだ」


※(本文中に出てくる「白装束」に対するイメージは、作者の個人的なものに過ぎません。)




Entry13
会話の轍
マサト・・・・・



無数の睡蓮が湖面の揺れと共鳴し、共に風の流れを現している。友康は水面を眺めやりながら足元に転がる小石を一つ蹴り飛ばした。
「今時、書生気取りで何を勉強したいんだ?」               「書生気取りの何が悪い? お前みたく遊んでばかりの奴が偉そうに言う言葉か?」
昨日、友康は弟の健二と激しく言い争った。その後味の悪さが今朝方まで続き、友康は起きて早々、気分転換に忍ばずの池へ散歩に出ていた。
「あれ、友康君? こんな朝早くから何処へ行くの?」
「おお、爺ちゃん、ちょっと散歩しているとこ。爺ちゃんは何してるの?」
「俺は相変わらず池の番よ。烏どもが池の魚を狙ってきやがるからなあ」
爺ちゃんは垢のこびり付いた上半身を晒しながら、浮かび上がる肋骨辺りを枝のような指で掻いた。
「爺ちゃん、もう良い歳なんだから、好い加減、浮浪暮らしから足を洗って、普通の生活をしたらどう?」
「何を言ってる!人生をまだ歩んどらんお前が俺の生き方に文句付ける資格は無いわ!」そう言うと地べたに座り込み押し黙ってしまった。
「別に爺ちゃんに文句を言ってるつもりはないよ。ただ心配なだけさ」
「ふん! お前に心配される程、耄碌はしとらんわ!」
友康は老人の横に座ると一つ溜息を零した。
「なあ、爺ちゃん、生きるってどういう事? 僕は全く理解出来ないんだ。昨日、弟から書生気取りでって馬鹿にされてしまってさ」
「ふん、お前も弟も若いねえ。生きる生きるって、化け猫にでも呪い殺されちまえ」
「爺ちゃんは生きる意味や目的について悩んだり苦しんだりした事がないの?」
「馬鹿を言っちゃいかん。生きるって事なんぞ、頭の中で捏ね繰り回して理解出来るもんじゃないね。これから五十回正月を迎えてみろ。そしたら少しは俺の言っている事が理解出来るだろうよ」
「そんなに待てないから聞いているのさ。爺ちゃんは五十回以上正月を迎えているだろう。だから僕に教えてくれないか?」
「人から教わってどうする。そんなもんは人間の数程、答えが転がってるもんさ」
「爺ちゃんの答えを教えてくれよ。僕は爺ちゃんの意見を聞きたいんだ」
「俺は池の番で忙しい。若造の戯言に付き合っている暇はないね。勝手に苦しんで勝手に成長しな」そういうと老人は池の斜に立ち、湖面に頭を垂れた。
「爺ちゃんは冷たい人間だね。僕は人間の本質を探りたいんだ」
「ああ、面倒なやつだな。友康君、本質って何だ? ニンゲンのホンシツ? その言葉の何処に内容がある? 俺にはその言葉に価値があると思えんし、意味も全く理解出来んよ。実に下らん」




Entry14
保険証
タガギミツキ・・・・・



 失業した次の日に、私は彼氏とデートをした。
 木々の葉が紅く染まる頃の、さわやかな晴れた日曜日だった。
 デートとはいえ、私達の通っていた大学近くの釣り堀で釣りをするだけで、たいしたことはしない。
 ただ、のんびりと、ビール瓶のケースに腰をかけたまま、釣り針をにごった水たまりの中に落としているだけなのである。
 大学時代、ゼミで知り合ったふたつ年下の彼は、この「まったり」とした雰囲気が好きなのだ。
「これからどうするの?」
 彼の低い声が、頭の上から響いた。
 私はずっと釣り竿を見つめたまま、
「仕事探す」
と、一言だけ返した。
 彼も竿から目を離してはいないからだ。
 彼とのデートの半分以上は、ここの釣り堀だ。
 ゼミで頭を働かせた後、のんびりと、何も考えずに過ごすには最適の場所だと教えてくれたのは彼だった。
 学生時代によく二人で来ていて、それから一緒にいる時間が長くなり、今に至っている。
 時を数えて、そろそろ五年になる。
「いつから?」
 少し風が吹いて、水面が揺れた。
「何が?」
「仕事探すの」
「明日から」
「早いね」
「そうかしら?」
「別にお金には困ってないんだろ」
「でも貯金だけで一生は過ごせないわ」
「…だね」
 彼が小さく笑ったのが分かった。
「実家だとはいえ、いつまでも親に頼るわけにはいかないもの」
「ん?」
「お金も保険証もないままじゃね」
 保険証という言葉に、彼はまた小さく笑った。
 私もつられて笑った。
「おれの使えば良いじゃん」
 彼は、いつもより更に声を低くして言った。
 私は横を向き、彼を見上げた。
 高校時代はバレーボールをやっていたせいで、彼の座高はとても高い。
 彼の向こう側には、澄んだ青空が見えた。
「…今、何て言ったの?」
 彼も私を見下ろした。
「おれの保険証を使えば良いじゃんって」
 冗談を言ってる割には、顔が真面目だ。
「私…男に見える?」
「は?」
「だって、あなたの保険証には、あなたの名前が書いてあるでしょ? 私は髪も長いし、バレちゃうわよ」
 私は彼が私を心配してくれてそう言ったと思い、また小さく笑った。
「そうじゃなくて…」
 彼は言葉をにごらせ、赤い顔をして苦笑いすると、また釣り竿に視線を戻した。
「そうじゃなくて、何なの?」
「…別におれのフリして使わなくったって…」
 私の問いに、答えてはくれなかった。
 しかし、次の瞬間、私はハッとした。
 そして彼の横顔から、目が離せなくなってしまった。




Entry15
金魚革命
サイ・・・・・



 梅雨になって何日も土砂降りの雨が続くと、魚が海から飛び出して空を泳ぎはじめる。
 サンマかアジでも獲れないかなと、虫取り網を振り回していたら小さな赤い金魚がかかった。
 金魚は網の中でふるふる震えながら、
 「見逃してください。見逃してください。」
 小さな声でそればかりを繰り返す。
 見逃すも何も、わたしが獲りたかったのは晩御飯のオカズにできる魚で、こんな小さな金魚に用はない。
 金魚を潰してしまわないように、そっとつまんで網から出してやった。
 「もう捕まらないようにね。」
 「ありがとうございます。」
 「気をつけてね。」
 金魚は何度も何度も振り返りながら空を泳いでいった。
 窮屈な水槽から自由を求めて逃げ出したのだろうか。
 金魚革命だ。
 わたしは心の中で、頑張れよ、とエールを送っておいた。
 その後もしばらく網を振り回していたけれど、結局サンマもアジも獲れなかった。
 一度、鰯の大群がケラケラ笑いながら目の前を泳いでいったけれど、わたしは鰯が嫌いなので、あっかんべぇをして見送っておいた。
 帰り道、電柱に「探し金魚」の張り紙を見つけた。
 そこにプリントされた写真は、さっきの金魚によく似ているような気がしたけれど、金魚なんてどれも似たり寄ったりだから、ただの金魚違いかもしれない。
 長い雨が止んでしばらく経った頃、道路に干からびた金魚の死骸がはりついているのを見つけた。
 
 夏が来る。




Entry16
ある夜のこと
キチ・・・・・



 薄暗い部屋の中で、私はぼんやり座っていた。
身体が闇に呑まれていく、私の存在が無くなっていく、そんな感覚に浸りながら、彼女の少女のような寝顔を見つめていた。
 
 「うわーっ!!哲ちゃん大丈夫!?」
 「キャー!!どうしたの??うわっ、痛そー!」
 
 は?俺のこと言ってんの?あー俺足すりむいてるじゃん。血もで出てるし…。…あぁっと、それよりもこの子達に何か答えないと…。えーっと。

 「あぁ、うん。平気平気」

 どこかで見たことある顔。

 「本当?よかったー!哲ちゃんいきなり転ぶんだもんなー」

 あぁ、この顔。みっちゃんにノリオだ。ハハハ。これは夢か。
すさんだ俺を見て、神様が小さい頃を思い出せって言ってるのかもな。
あの純真無垢な頃に…。

 「哲ちゃんもう帰ったほうがいいよー」
 
 もうちょっと付き合ってやるか。

 「うん。じゃあ、そうするよ」

 夢の中でスキップしながら色々なことを思い出した。
駄菓子屋のおばちゃん。子供嫌いな近所のおじさん。すれ違うと、いつもいい匂いがしたお洒落なおばあさん。みんな元気かな。…まだ生きてるのかな…。
 
 ふと気がつくと、私の家の前に立っていた。少し前に水が撒かれたのだろう、キラキラと光る庭の草花。少し玄関が開いている。
 …身体が震えているのが分かる。…あの人はいるのだろうか。

 「あら」

 「哲夫、帰ってたの」

 いつもの声。恐る恐る後ろを向く。
白いかっぽうぎを着た若い母が立っていた。

 「まーっ!またこんな怪我して!!早く洗いなさい!今、バンソウコウ持ってくるから」

 テキパキと動く姿を追いながら、やさしかった母を思い出す。

 「まったく。この子は怪我が多いんだから。心配が絶えないわ」

 瞼が熱くなるのを感じる。心臓の動悸が激しくなる。
ちがう!ちがう!ちがう!母さん。あんたがそんなこと言うはずがないんだ!!あんたはボケたんだろ?俺があんたを世話してるんだろ?
 それに、あんたにやさしくされる資格は俺にはないんだよ。やさしくなんかするな!するな!今更遅いんだ!!
 
 俺は泣いていた。母さんがこっちを見ているのが分かる。昔の母。
大好きだったやさしい母。
 ごめん!ごめんなさい!お母さん!お母さん。
 
 ビクッ!

 身体の震えと共に私は目を覚ました。涙で目がかすんでいる。
深呼吸し、ゆっくりとベッドの方に目を向けた。
 …やはりやってしまったんだ。
 そこには息絶えた私の母親が横たわっていた。




Entry17
散々hikari
Oka-Taka・・・・・



飲みかけの缶コーヒーをメガピクセルで撮った。携帯ストラップは野比のび太のキャラクター。おかげで低温注意報が出ている天気予報を
見逃してしまうと、目薬をさして染み入る夏祭りの写真を設定した壁紙は貰い物。

メモリカードを取り出してファミマでプリントアウトした夜、火星の接近が月に代わる夜景を待つ人を待ち望んでいる蛍光灯の光を浴びている人。
「自動販売機は夜のためにあるんだなあ」
ふと、もたいまさこのめがねを思い浮かべながらメガピクセルで激写した夜の蛍光灯。缶コーヒーはBOSS。

「おじさん、小説なんか読まないでこっち向いててよ」
プリ蔵のキャラクターが言っている。イトーヨーカドーの4階の隅で33才と19才の二人はすれ違って、プリは撮らずに各々トイレに入っていくと、中学の先生が
大のドアを開けて出てきたので、ドキッとしてから19才の短大生の私は「あっタンノ先生」と声を発する。

先生は私に気がつかずに幽霊の様にそこを出ていった。

「プリ撮りたかったなあ」
私はこころの中で言った。

フラッシュ好きな人とフラッシュ嫌いな人。マクドナルドで話し込んでいた私と某級生の前を33才が通りすぎる。
「将棋は好きですか」マックの店員さんがマイクで店内に語りかけている。「嫌いかな」と呟いてからピクルスをメガピクセルで撮ってあげた。携帯のストラップの
POOHが気になる某級生の携帯は火星の様に砂嵐だし、「今時のび太のストラップってないよ」と何回も言われたせいで私も、夜の自動販売機の蛍光灯の様
に発光した。

「いろんな映画あるからさあ」暗い場所で涼みたいという思いだけは共通していたから、二人はポスターをじろじろ見てから「夜の自動販売機」というタイトルの
方のチケットを買って映画館シネマの売店へ歩いた。

「夏かも」

33才は何処うろついてるのだろうか、某級生のこの人は本当にこの映画で良かったのか、気になっていたのは一瞬の事で、席を決める楽しさに心奪われて
いる自分が可愛かったりした。私は映像描写っぽい日本映画が好き。J-POPな感じ。
これは夜の自動販売機の蛍光灯が見れるだろうから、好き。どうでもいいけど。

「冷房つよいけど」


本当はこの映画の前に小説読んでる事は語らないでおく。小説っていうより写真集みたいなものだったけども。その小説の帯びに前振りが載っていて、
その文に惹かれたから、買ってしまった。

「猫が見た光 夜の販売機」

こう書いてあった。



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