第19回体感1000字小説バトル

エントリ作品作者文字数
1夜行松原正一774
2空の果てにかの776
3非通知で確かめる「私の存在」黄加1371
4金縛りみっく1651
5山崎さんZYAPAN539
6せいぶつ草見沢繁1000
7コンティニューむん945
8青い指 えり1010
9ポケットの中の腕時計アフターエイト562
10それだけのこときらりんご1141
11いなり寿司spotkun932
12都会の星じゅん1011
13イエスタディ・ワン・スモアたくちゃん1129
14眠れぬ夜の小噺チワ太郎1000
15テレビドラマの眺め方千早丸937
16夏の思い出霞洋介978
17寅と竜、維新Dionysos1000
18婚約ラーメンバージャイ1989(※)
19残されたものほうじろう1000
20七年愛の傷跡・・・。蒼樹空1012
21デートクドウ658
22妄想女的告白論文如月ワダイ1000
23ほんとの贅沢鈴木 麻希子1028
24女ともだちもとのら1000
 
 
バトル結果発表
(※おことわり:バージャイさんの作品は3000字バトルあてにいただいておりましたが、
会員登録がされておりませんでしたので字数超過ながらこちらに掲載しています)


バトル開始後の訂正・修正は、掲載時に起きた問題を除き
基本的には受け付けません。
掲載内容に誤り等ございましたら、ご連絡ください。






エントリ1  夜行     松原正一


ちょうど高崎を出た時だった。隣にいた年は60位の初老のおじいさんに声をかけられた。
「どちらに行くのですか」
私はその気品溢れるが、決して威圧的ではないその声に、一瞬戸惑った。「えっと、柏崎です。大学が休みなんでちょっと田舎に」
その時、僕は実家に帰るために夜行列車に乗っていた。大学進学のために東京に出てから、初めての帰郷であった。私は聞かれてもないことまで話した自分が恥ずかしかった。おじいさんはニコニコしながらうなづいた。
「私は村上の方に行くから新潟でお別れだ」
おじいさんはフト物悲しそうにそういった。それから私達はぽつりとぽつりとだが、決して途切れることなく話をした。そのおじいさんは村上で育ったらしかった。そして集団就職で東京に来たのだった。おじいさんは私達が写る窓にいる自分を見ながら、静かに話し始めた。
「今でも忘れないよ。同級生達と一緒に夜行に乗って東京に出た時の事は」おじいさんの話によると同級生達と一緒に夜行列車に乗っていた。明日への希望と不安、また故郷に対する思いを胸に抱ていた。隣には顔は知ってるがとりわけ話をしたことがない同級生がいた。二人は今まで会話したことがないのが嘘のように夢中に将来の夢、不安といったもをまるで10年来の付き合いのように話した。そして終着駅に着いた。それは二人にとって別れだった。二人はいつか会おうと誓い、別れた。でもその言葉は守られることはなかった。
「だから今その約束を果そうと思ってね」
静かに、でもうれしそうに言った。そして
「私の心の宝物は人との思い出なんだ」
おじいさんはそういって笑った。僕も笑った。そして終着駅に来た。おじいさんと握手をし、僕らは別れた。最後に見たおじいさんの顔はとっても素晴らしい顔であった。空が少し明るくなるのをみながら、僕は夜行の乗車券を大切に財布にしまった。今日も晴れそうだ。







エントリ2  空の果てに     かの


 「私の妹は死のうとしています。」

妹の名前は琴音。昨日彼女は突然消えた。
彼女は昔からなにか不思議な空気を持っていた。
私は彼女に対して姉らしいことをしたことがあっただろうか?
朝起きると私の携帯に琴音からメールがきていた。

 もうすぐで私は消えるでしょう。あなたはなにも悪くない。最後に私のわがまま を聞いてほしい・・・泣かないで。

私達には物心ついた時にはもう両親がいなかった。
彼らは私達がとても邪魔だったらしい。育ててくれたのは血の繋がらないおばあちゃんとおじいちゃん。二人もこの前交通事故に巻き込まれて他界した。
私に残されていたのは琴音だけだった。

 「私はなにも知りませんでした。」

おばあちゃんとおじいちゃんが死んだとき私は目が腫れるだけ泣いた。
琴音はただ私の肩を抱いていた。彼女の目には涙なんてなかったが、ほんとは泣きたかったのだと思う。私があまり泣くから泣くに泣けなかったのだろう。
 
 私がいなくてもあなたはもう大丈夫だから。いつもそばで見てるから。
 あなたがどうしても泣きたいときは私が変わりに雨を降らせてあげる。
 そうすれば誰もあなたが泣いてるって誰にも分からないでしょ??

とても優しい子だった。一度だけ彼女が本気で泣いたことがあった。
それは隣の家の猫がいなくなったとき。琴音は猫になにか通じるものがあったらしい。その猫は二度と帰って来なかった。

 「・・・・。」

琴音が死んだ。
マンションの屋上から飛び降りたらしい。目撃者の話では遺体の側に猫がいたという。その猫が隣の家の猫だたのかは誰にも分からない。
いっきに涙が押し寄せてきた。琴音のわがままを聞くことはできないみたいだ。
外を見ると雨が降っていた。まるでなにかを隠すように。

 そうすればあなたに私からプレゼントを贈るよ。
 あなたに贈る最初で最後のプレゼント・・・

雨はやみそこには大きな虹があった。







エントリ3  非通知で確かめる「私の存在」     黄加


家に帰ってくる。
私にあるのは耳障りな音と、目の前にある映像だけ。
後ろでけんかしてる声が聞こえる。だけどそんなの私には関係ない。
ここには私の場所は無いのだから。
あの人たちにとって私はただの動くロボットみたいなもので。

「…で、そうなんだってさ!!」
「え〜。意外だよ!!」

ガラガラッ

「おはよ〜。宿題やった??」
「あっやってない!!見せてくれない??」
「いいよ〜。じゃぁ今度おごりね〜」
「え〜。意地悪!!」

ここは学校。私の居場所がここにはある。
嫌いな人もいるけど、少なくともあの場所よりはマシ。

「最近非通知で携帯に電話が来るんだって〜。その内容が
『あなたの存在を知っていますか?』って繰り返すらしいよ!!」
「え〜非通知で??公衆電話とかじゃなくて?気味悪い!!!」

最近こういうのが回っているらしい。それにしても…

存在

今の私にはつらい言葉だ。
私にはそのようなものがあるのだろうか。
何のとりえも無い私に存在の意味など…。

「あんたには来た?その電話」
「私携帯持ってないから…。」
「あ…ゴメン。でも今回はもって無くて正解だよ!!怖かったもん!!」
「そういえば隣のクラスの男子が変な電話きたあとに
 階段から落ちていまヤバイ状態なんだって。
 もしかして、その電話って非通知のやつじゃない?怖いよ〜。」
「偶然でしょ!大丈夫だって!!」

その日は欠席が目立った。
風邪や通院。さまざまな理由が黒板に書いてある。
他のクラスでもそうらしい。
次の日も次の日も。欠席が増え続け、入院をしている人も出てきた。
なんなのだろうか。こんなに少ないと授業も進まない。
緊急臨時休校になった。

私はそれがいやだった。私の居場所が無くなった。
また私に残るのはあの耳障りな音と映像だけ。
ケンかをしている声は…仕事だからまぁ、いいか。

カタカタカタッ

今日も画面とにらめっこ。
今日でこの生活ともさよならだ。
明日からはまた日常が戻ってくる。
お気に入りのサイトを見て回っていた。
そのときだった。

Pulululu Pulululu

いやな予感がした。非通知ではないか。
…いや、大丈夫だ。あれは確か携帯だけのはずだ。
それに何を怖がっているんだろう。その電話を受けたからって
どうなることでもない。
しかし、ディスプレイには「非通知」の文字が。

ガチャッ

「もしもし。どちら」
「あなたの存在を知っていますか?」
「もしもし、どちら様ですか!」
「あなたの存在を知っていますか?」
「私の存在?そんなの知らないわよ。いたずらならやめてよね!!」

ガチャッ

私は勢いよく電話を切った。
そのあと、私は全身が震えだした。

「こっ怖かったぁぁぁ!!」

ハハハ…。なんていっていると後ろに何かの気配を感じた。
遅かった。振り向いた瞬間に私はここにあるはずのないものを見た。
台所から大量の煙が出てきている。
そして苦しくなってきた。

「うっ…。苦しい。」

私は窓際へと逃げた。しかしその煙は私を追いかけるようについてきた。
炎での煙とは違う。とても苦しかった。
どんどん視界が見えなくなってきて、私は逃げ場所を失った。
そして、私は意識を失った。


「ねぇねぇ知ってる〜?5組の女子が昨日救急車で運ばれたんだって。」
「それって非通知の電話と関係あるんじゃない?
 たしか、知らない!とかいうと
『じゃぁ誰もお前を必要としていない。今からお前の存在を確かめにいく。』
とかいうんだって〜。怖いよね。」


あなたは自分の存在を知っていますか?







エントリ4  金縛り     みっく


 体は眠っているのに頭の一部が覚めている状態、それを金縛りという。逆に、頭の一部は眠っているのに体が覚めている状態、人はしばしば夢中遊行という奇行にはしる。
 僕は小学生の頃に夢遊病になった。…というか、なったらしいといった方が正解だろう。なんせ己の記憶の外の出来事なのだから。
 ある日母は言った。
「おまえ、夕べトイレに起きたよねぇ」
 僕にそんな記憶はこれっぽっちもなかったので、起きてない、と答えると
「やっぱり覚えてないの? 夜中におまえの部屋を覗いたら、パッチリと目を開けてお母さんを見るのよ。それでお母さんが『トイレ?』って訊いたら、コクンと頷いて…『だったら早く行きなさいよ』そう促すと、自分で起きてトイレに行って…トイレのドア開けっ放しにしたまま、パジャマのズボンも下ろさないで、コトンと便座に座ってしまって…。
 おかしいとは思っていたんだけど…やっぱり夢遊病かしら。困ったわね」
 母によると、僕の奇行はそれが初めてではなかったらしく、似たような事が数回あったそうだ。
「このままどんどんひどくなって、家の外にまで出るようになったらどうしましょう」
 どうしましょうと言われても、僕にもどうしていいのかわからなかった。自分の中に潜んでいる無意識に、底知れぬ恐怖を抱いた。とにかく、意識を持ってその無意識に対抗するしか方法はないと思えた。心を強く持てばきっと大丈夫だ。そう自分に言い聞かせた。
 得体の知れない無意識に心底震え上がっていたが、少年の持つ真直ぐな意識はこの理不尽を打ち負かした。気が弱いくせに負けん気の強い僕は、僕の知らない僕がいることに本当に腹が立ったのだった。
 それから数年後、中学生になった僕に今度は金縛りが襲いかかった。三年生の秋から冬にかけて…それは一週間に一度くらいの割で、朝起きると金縛りにあったという不快感に寝覚めの悪さを呪う程度の軽いものから始まった。それがだんだん、悪夢と共に声にならない絶叫を上げて、夜中目を覚ますようになったのだ。これは体験した者でないと解ってもらえないだろうが、本当に怖い。自分の内部で作り出された虚像である事が尚更怖いのだ。
 睡眠障害は昼間の生活にも影響を及ぼし、その頃の僕は毎日がはっきりしなかった。覚めているのに夢の中にいるようで、夜見る夢にリアルを感じた。
 どうにも我慢がならなくて、誰彼に「近頃、金縛りにあっちゃって」と意見を請うのだが「気持ち悪い」とか「疲れてるんじゃない」というようなありきたりの反応を返された。その中で、日頃は滅多に口を利かない父にポツリとそのことを話すと、彼は事も無げにこう言った。
「刃物を枕の下に置いて寝ると治るよ」
 僕は半信半疑ながら、それを試してみる事にした。
 僕は幽霊だとか超常現象だとかを信じる方ではなかったので、心のバランスを失ってにっちもさっちもいかなくなってしまったこの状態の中で、一番恐いのは自分自身に他ならなかった。だから、刃物などというアブナイ物を身近に置いて大丈夫なのだろうか、と一抹の不安を覚えた。しかしこの状況を脱するにはやるだけやってみるしかなくて、サヤのついた果物ナイフを紙で何重にも包み込み、ベッドのマットレスの下に押し込んだ。
 ここまでしたら、例え効果があるものでも薄れてしまうのではないだろうかとか、いくらグルグル巻きにしたところでアブナイものはアブナイというような事をグチグチと考えたが、それに反して効果はテキメンだった。
 金縛りはピタリと治まったのだ。

 僕は目覚めた。
 また、だった。
 机の上には出した覚えのないノートが広げてある。ノートを埋めている文字は、間違いなく僕の書いた文字だった。しかし僕に覚えはない。誰かの悪戯だと思いたくて、最近はしっかり部屋に鍵をかけて寝ている。なのにそれはある。僕の体は凍りついた。
 文章はこう始まっている。
『体は眠っているのに頭の一部が覚めている状態、それを金縛りという…』
 僕ははっきりと覚めているはずなのに、金縛りにあっていた。





※作者付記:オチが凡庸…夢遊病と金縛りは本当の体験です。



エントリ5  山崎さん     ZYAPAN


ここは都内のある病院の病室。入り口に3人の名前のプレートがある。

朝の6時、この病室で一番早起きの中年男性が目を覚まし起き上がった。

「おう、みんな、お早ようさん。今日もいい天気だなあ。」

「山崎さんは相変わらず元気いいですね。おかげで目が覚めましたよ。」

「おはよーっす。オジサンたち今日も早いね。」

「さあ今日もしょうもない一日が始まるわ。俺なんてどっこも悪いとこ
ないんやで。それなのに様子をみるだか、なんかしらんが家に帰らせんわ。」

「そうだね、わたしたちから見ても山崎さんは健康そのものですよ、なあ、お兄さん?」

「ぼくもそう思う。あの医者ちょと変だよ。」

「あはははは、そうや、兄ちゃんの言う通りや、医者があほやねん。」

その時、隣の病室から怒鳴り声がした。

「またあいつか!うるさくて眠っとれん」

ナースコールで呼ばれた看護婦が例の3人部屋にやって来た。

手前のベットにはうつ病の浪人生。誰とも口をきかない。

2番目は神経症の老人。耳が悪い。

一番奥に最近入院した山崎さんがいた。

一見普通の中年男だが妄想の世界の住人だった。

朝から晩まで独り言を言いつづける。一人三役なんてお手の物だ。

注意しにきた看護婦もあきれるばかりだった。

「かわいそうだけどね。作家になる夢が破れて、精神が壊れちゃったなんて。」







エントリ6  せいぶつ     草見沢繁


 冷蔵庫の奥から取り出したピーマンの、種をくり抜く。指を使って一つ残らず。
 ピーマンはわかりやすく緑色、口紅は薄いピンク色。鈍くぎんいろに光る灰皿の上には、吸殻が三本。フィルターにしっとりと染み付いたその色が、うすら寒い俺の部屋で唯一の暖色。
 タバコを吸う女は許せんという俺の主張はいつも馬耳東風。左耳から右耳に抜けて煙と一緒に空気に溶けた。
 ピーマンは大きめに切って、豚肉と玉ねぎと一緒に炒めた。彩りの悪さには目をつぶろう。塩コショウで味付けて、もくもくと食べた。
 窓のかたちに切り取られた青い空で、洗濯物が揺れる。キャミソール。ちらちらと空を遮る。邪魔だ。
 食べ終わって、皿を洗う。コップが二個、既に流しに置いてある。その一方には薄いピンク色。緑色の洗剤をスポンジにたっぷり含ませて、大量の泡で洗った。ピンク色は意外と簡単に落ちた。
 「落ちるもんだな」
 口に出したら泡より儚く、流しにこぼれて音もなくはじけた。
 洗濯物が窓ガラスを隔てて揺れる。何色のキャミソールだったかな、と外に目を凝らす。ピンク色で揺れている。そうだったか。すらりと伸びた二の腕を反芻する。
 観葉植物に水をやる。あいつは邪魔だからとよく外に出したがった。
 おんなじ部屋ににんげん以外の生き物がいるの気持ち悪い、と煙を吐きながら言った。どういう理屈だろう。観葉植物だけ外に出してもなあ。ダニとかは普通にいるぞ。
 じゃあダニも気持ち悪い。
 蚊も飛んでるな。
 蚊も気持ち悪い。
 ゴキブリもどっかにいるかも。
 ゴキブリも気持ち悪い。
 俺もいるな。
 タバコの火を消した。
 あんたは気持ちいいからいい。
 二人で笑った。そして野菜炒めを作った。ピーマン、玉ねぎ、豚肉、にんじん。
 洗い終わってすぐの、濡れて光る皿を見て思った。にんじんか、足りなかったのは。
 コップから注いだ水が、土の中にゆっくりとしみこむ。水で生きられるお前らのシステムがわからない。とりあえず、うまいとかなんとか言えよ。
 わたし味オンチだもん。
 じゃまずタバコをやめろって。
 ぎんいろの中に吸殻、フィルターにピンク色。あいつは結局やめようとはしなかった。
 キャミソールが揺れて青空が狭い。邪魔だ。窓を開けた。風がさらさらと部屋に入り込んだ。あいつの匂いは背中の方へ流れた。俺の影にわだかまる。じきに空気に溶けるだろうと楽観視。窓ガラスを隔てない青い空はどこまでも広い。
 






エントリ7  コンティニュー     むん


ネオンが瞬く夜の繁華街。
会社帰りの男達、オールで遊ぶ女達。酔っ払いに客引き。
いつもと変わらぬ風景に混じって、一人の痩せこけたなんともみすぼらしい男が、
ふらふらと定まらぬ目を携えてさ迷っている。

彼の名は阿佐雄一郎。
阿佐は精神を病んでから定職に就けず、何度か睡眠薬を多量に摂取し自殺を図っていた。
が、現在病院で処方されている睡眠薬は、大抵がベンゾジアゼピン系といって、
致死量に至るには数千という数を飲まないと死ねないように出来ている。
例にもれず阿佐は胃洗浄を受けて助かっていた。

薬ではダメだ。
阿佐は色々考えた挙句、入水自殺をする事に決めた。
確実性も実に高く、電車に飛びこむよりずっと迷惑もかからないだろう。
それよりも、何かの小説でそのシーンを読んでからずっと脳裏に残っていたのが大きかったのだが。

どう電車を乗り継いだのか曖昧なまま、気がつくと湖の傍に阿佐は居た。

しんと静まり返る湖は、風さえなく静かにそして不気味にそこにあった。
阿佐は月を見上げていた。
この世の最期の風景を、懐かしむような、切ないような。
瞳に深い色を携えていた。
リンとした冷たい空気の匂い。
時折チャプっと魚が跳ねるような、湿った水音。
草の匂い。
全てがしんしんと降り積もる雪のように、阿佐の心に音も無く積もる。
嗚呼、死ぬ前というのは、なんて心が穏やかになるんだろうか。
皮肉にも、阿佐は今一番心穏やかになっているのである。

阿佐は湖に一歩足を沈めた。
全身の毛が逆立つようなゾクッとする冷たさ。また一歩。少しずつ沈む体。
風もなく、波もない完全な凪だった湖に波紋が広がった。
不安が少しずつ広がるような、小さな軌跡が大きく広がって、
やがて収拾がつかなくなった、阿佐の心模様そのものの様に。
完全に水に没すると、肺一杯に水を吸いこんだ。
眼球が圧迫されて飛び出し、頭がガンガンし始めてやがて痙攣が始まった。
全身がガクガクする。左右前後、どちらが地上だったかさえもう解らない。
薄らぐ意識。

月を見ていた。


ネオンが瞬く深夜。
会社帰りの男達、オールで遊ぶ女達。酔っ払いに客引き。
いつもと変わらぬ風景に混じって、今日もまた一人の痩せこけたなんともみすぼらしい姿の男が一人。
定まらぬ目を携えて、ふらふらとさ迷っている。
彼の名は阿佐雄一郎。

そう、阿佐雄一郎だ。







エントリ8  青い指      えり


 「前略、さきこ様。
懐かしいさっちゃんに、女性誌のインタビュー記事でばったり再会するなんて夢にも思っていませんでした。
久しぶりに見たさっちゃんは私と同様加齢に逆らえず目尻に皺をつけていましたが、あの頃のままにお美しくて、私は溜息をついておりました。
さっちゃん、おめでとう。
異国で成功を収めるなんて、私は元親友として嬉しい限りです。
あまりに嬉しくて、さっちゃんの服を扱っているという青山のショップまで飛んで行きスーツを新調してきました。
そして店員さんにさっちゃんの近況をお聞きしました。
あちらで日本人男性と結婚されてお二人でブランドを築き上げたのだと。
さっちゃんから連絡が途絶えて20年、丁度あの頃私も離婚の痛手から立ち直れず、さっちゃんの渡米に気がつきもしませんでした。
しかしこうして雑誌ごしでも再会できたことを嬉しく思います。

 そうそう私、1週間ほど前に引越しをしました。
元主人が買ってくれた大切な家でしたが、老後の事を考えれば広い家は不安で、港区のマンションに引っ越したのです。
今回の引越しでダンボールに荷物を詰める事より、捨てることのほうが多く私は彼が去って以来、孤独を極めているのだと改めて感じました。
華やかな着物も化粧品も捨てずに置いていましたが、彼を失っては意味のないものだったのです。
そして彼が家を出ていく際に自分のものは何も置いていかなかったのを思い出し胸が悲しく震えました。
でもたった一つ彼から貰ったものがまだ残って居たのです。
彼が下さった結婚指輪。
これだけは、捨てる事が出来なかった…。
ここに彼が居なくとも、私の心には私だけを愛してくださった頃の彼が住んで居るのです。
なので、あの頃のように結婚指輪をはめてみました。
そしたら、抜けなくなりました。
昔、私は華奢でした。
今は中年太りのおばさまです。
ただ抜けなくなったのなら、消防署に行き指輪を切って貰えばいいのでしょうけど。
でも強引に押し込んだせいか、薬指は生気を失い真紫になってしまったのです。
私は彼のことを忘れなければいけない時がとうに来ていたんだと、悟りました。
そんな時、彼があなた様と一緒になって居るということを知ったのです。
なので、指輪をお返ししたく本日は荷物を送らせて頂いているのです。
私の薬指と指輪、さっきまで冷凍してあったのですが、きっとニューヨークに付くまでには腐敗しているかと思います。
 どうか、私の分身を大事にしてやって下さい。」





※作者付記:すみません、暗い話で。
先日最近つけてないなあ、と結婚指輪を指に引っ掛けて遊んでいたら取れなくなってしまい、怖い話を思いつきました。
主人曰く、お前は俺から逃れられんのだよ、と苦しそうに私の指に食い込んだ指輪を見てこわーく笑って居ました。
クワバラクワバラ〜。




エントリ9  ポケットの中の腕時計     アフターエイト



コートのポケットに入れてある。コートは毎日着るからだ。

「これ何?」
勝手に人のポケットをあさるな。
「時計」
不思議そうな顔をした。見ればわかる、そんな顔。
「止まってるよ」
「知ってる」
さあ、言いたくないんだ。わかるだろ?今の態度で伝わっただろう?
「ふぅん…」
そんなを顔するな。こっちが悪いみたいな気分になる。
「戻してくれ」

「・・・・・」

なぜ戻さない。お前が納得していなくても、話したくないものは話したくないんだ。
「何でこれを持ち歩いているんだ?時計なら腕にしてるじゃないか」
そうさ、こっちのは動いている。
「お前には関係ない。さあ、渡してくれ」

「・・・・・」

差し出した手がバカみたいだ。
「なら捨てておいてくれ」
別に必要で持っていたわけじゃない。
「何で?大切なものなんじゃないのか?」
何を今さら慌てた様に言うんだ。
「それはゴミだ」
そうゴミだ。動かない時計はゴミだ。
「ずっと捨てようと思っていた。お前の手から捨てても構わない。」
いい機会じゃないか。もう忘れろ。
「わかった。捨てておくよ。」
は、素直じゃないか。返せといった時は聞かなかったのにな。

 ん?
   
    ・・・チャラ・・・

「…俺のポケットはいつゴミ箱になった」
「さあね、これが入った時からだろ」


まあいいさ。
捨てるのではなく、手放す時まで、もうしばらく俺のポケットの中にいろ。







エントリ10  それだけのこと     きらりんご


2ヶ月前に別れた男から電話がきた。今夜、暇なんだと男は言う。もちろん、会うことにした。私はまだ未練タラタラだった。

待ち合わせした駅のきっぷ売場前。男は先に着いていたらしく、柱にもたれて立っていた。遠目から見てもその男だと分かった。男は背が高く、顔立ちも整っていて誰もが嫌だとは思わない容姿をしていた。
目の前に立つと男は、いじっていた携帯を無造作にバックにいれ、俯いていた顔を上げた。目の前の私を見つけると歩き出した。私は黙って後についていく。

行き慣れた飲み屋に入ると個室にとおされた。暗がりの中、対面の位置に座る。外が暑かったせいかビールがおいしかった。話もあまりこれといってないまま飲みつづけていると男が口をひらいた。
「おいで」
お互いそこまで酔っていなかった。それを口にすると男は癖のない柔らかな笑みを浮かべた。女に愛される表情を男は知っていた。私は迷った。ひとたび、男に触れたらとり返しのつかない感情が支配することは簡単に予想できた。躊躇していると男が近づいてきた。私の隣に座ると、私の頭を、そのすらりとしたきれいな手で固定してキスをする。私達はよくキスをした。エレベーターの中、改札、ホーム。時も場所も場合も選んでいなかった。迷惑な男女だった。しかしこのときばかりは場合を選ぶべきだったのかもしれない。唇を離すと男は言った。
「気に入っている子ができたんだ。君とつきあうことは今後もうないよ」

心がざわめいた。矛盾するいくつかの感情を無視して甘い情事を選んだ。選んだ瞬間、男の言葉は自動的に消し去られた。その後どんな感情が自分を支配するかなんてどうでもよくなっていた。ただ彼が欲しかった。後先を考えないのはその男だけではない、私も同じだった。私達はそんな意味では、お似合いだった。


飲み屋を出てホテルに行く途中、男は手をつないできた。

それの最中に、男はまた手を握ってきた。付き合っているときと変わらない行為に、酔っている私は自分を誤魔化してどこか幸せを感じた。男のキスもセックスも全て2ヶ月前となんら変わりなかった。それはとても甘かった。しかし時間が経過しそれが過去のものに成りさがったときに途端に豹変する。この過去は自分を苦しめる種でしかない。

男が眠った後、私は危惧していた感情に侵され始めていた。予想はしていたのだ、全ては自分の責任である。私はベッドで1人涙をのんだ。男の寝息は私の心中とは裏腹にとても安らかなものだった。

翌朝、男の背中が小さくなっていくのを黙って見ていた。なかなかその場を動き出せなかった。が、唇をかんで男とは反対の方向に歩き出す。既に、心は男の不在を感じ始めていた。途中、すれ違った楽しそうな男女の一方と目が合った瞬間、涙がだらりとながれた。

私はバカな女だ。







エントリ11  いなり寿司     spotkun


──次は上野広小路、降り口左側に変わります。

 じめついた階段を、生暖かい風に乗って地上へ出ると、途端に汗がじわりと額に滲み出してきた。
 知人への土産を買おうと立ち寄った飴横は、平日の昼間であるにも関わらずたいした喧騒で、じっくりと品を見定めることは出来なかった。仕方無く、通りに出て高架沿いを浅草通りまで歩くことにする。
 通りの角で土産の寿司折を買い路地を進む。下谷の赤鳥居を曲がって、途中、日陰を選ぶよう歩いていると、路地の軒先で火を焚く人があった。
 盆の入りなので、おそらく迎え火であろうか。割り箸や木屑を火にくべる様は風情があり、気になったので思い切って声を掛けてみた。
「どうも、迎え火ですか?」
 私の声に、焚く人はしゃがんだままで返事を返す。
「連れが迷うたらいけないですので、今年も焚いております」
 品の良い喋り口、言葉使いが少し下町とは違うので、地の人ではないのであろう。
 その人は、さも涼しげに火だけをみつめている。暫くは世間話をしたが話題も尽き、仕方無く私もじっと火をみつめる。小さな橙色のゆらめきが、随分と心地良く全てを忘れさせるようであった。

「もし、おやめなさい。それは、ただの石です」
 振り向くと、傍に坊さんが立っている。
 ならばと辺りを見回すが火の気は無く、坊さん以外に人影は無かった。
 私がしゃがみ込んでいたのは古びた腰掛石で、もう何年も住む者が無かったであろうあばら家の軒先にぽつんと置いてあった物であった。
「どなたかは存じませんが助かりました。ありがとうございます」
 しゃがみ込んだまま頭を下げ礼を言うと、向こうも心得たもので、経を上げ終えると軽く会釈を返し通りの奥へ消えてしまった。
 陽の暮れかかった路地には、私の影だけが長く伸びている。
 何かが引っ掛かっていたのだが、あまり遅くなっても悪いので、先を急ごうと荷物を持って立ち上がった。
 ところが、何かが違う。
 土産の袋が妙に軽いのだ。
 不審に思い中身を確かめてみる。
 すると、紙包みが開いていて中身は『巻き』しか残っていなかった。

「なるほど、そういうことであったか……」

 『いなり』はもったいなかったが、知人に聞かせるのにいい話の種が出来た。
 そう思うと、不思議と腹は立たなかった。







エントリ12  都会の星     じゅん


  マンハッタンの右端、42丁目グランドセントラルの駅から7の地下鉄に乗り五分ほど古ぼけた車両の激しい揺れに耐えるとイーストリバーをくぐってロングアイランドへ辿り着く。 ロングアイランドの一つ目の駅で降りたリコは、プラットホームの熱気を肌で感じながら階段を登り地上へ出た。 そこはマンハッタンとは別世界の人のまばらな閑散とした倉庫街で、道端に捨てられたスクラップと化した車の姿はこの場所が決して安全な場所ではないことをリコの肌身に知らしめた。
  えらいところに来てしまったなと思いながらも、リコは夏場の熱気に後押しされて足を倉庫街の端、イーストリバーの方へ運んだ。 時間は夕方八時過ぎだが空はまだまだ明るい。 ラテンのリズムとともに背の高い三四人のプエルトリカン男性がリコの正面から近づくと、なにもないだろうとは思いながらもやはり不安は隠せずにリコは彼らから顔を背けながら通りすぎた。 真中の上半身裸の浅黒い男性のその動物的な躍動の筋肉は、それ自体がリコにとっては威嚇のようなものだった。 
  ほんとうにこんなところにあの人はいるのかしらとふとリコは熱気の圧力から解き放たれて我に返ると、急に辺りが暗くなったような気がして恐ろしい気持ちがしてきた。 歩みを速めて倉庫街を急いで抜けると、イーストリバーの手前に背の高い高級そうなマンションがひとつリコの目に入り、その右手には噴水のみずしぶきが音を出してリコの前に現れた。 そして、その後ろでリコを待ち構えていたのは百八十度の視野には収まりきらぬほどの無数に点在して輝くマンハッタンのビルの明かりであった。 そこにはリコが幼い頃登った富士の山頂で深夜眺めた空と同じぐらいの数の光が散りばめられていた。 リコはしばらくその光景に言葉を失い立ちすくんで見とれてしまった。 
  噴水の奥にはイーストリバー沿いの小さな公園があり、川に面した茶色いベンチにあの人は座っていた。 リコがそこへ近づくと、彼女の存在に気づいたあの人はリコの顔を眺めて小さく笑いながら、「やぁ無事に着いたかい。」と言った。 
「君はいつもマンハッタンで生活しているから知らないだろうけど、一歩外へ出ればそこには一面の星空がここにはあるのだよ。きれいだろ?」
リコは緑と青に光るエンパイヤ−ステートビルディングのとんがった頂上を指差して、「それじゃあれは、一等星なのかしらね。」と弾む声で言いながらあの人の隣へ座った。







エントリ13  イエスタディ・ワン・スモア     たくちゃん


それは1970年代で僕が中学の頃。

僕は、休み時間になるとよく友達数人と、音楽教室に忍びこんでは暴れていた。

暴れるっても、苛めとか、物を壊すとか、きな臭い類のものではなく、仲の良い友達とプロレスの技をかけあって、

「4の字固めはこうだっけ?…」
「違う、違う!こう」
「イテテッ!急所を掴むな〜〜!」
「えい!16モンキック!」
「わぁ〜やられた〜!」

てな感じの他愛のない、プロレスごっこ的なものだった。

しかし、何故音楽教室で暴れていたかは記憶にないのだが…。


ある日、いつもように暴れていると、どこからともなくピアノの音が流れて来た。

「ストップ!ストップ!…誰だ?…??」
ケンちゃんの必殺技<卍固め>を掛けられながら、僕は流れて来る音に耳を澄ました。

「…?」

みんな立ち上がってピアノの方へ向くと、一緒に暴れていたはずの<ひろし>が弾いていた。

「はぁ?あいつピアノ弾けたのか?」
僕等は昼間の幽霊でも見たような、間抜け顔で見た。

その時、彼が弾いていたのがカーペンターズの「イエスタディ・ワンス・モア」だった。
(後で知ったのだが…)


彼は、その当時珍しかった、男のくせに<ピアノ教室>へ通っていたのだ。

僕達は、ゾンビの様にゆっくり、自慢そうにピアノを弾くひろしの周りに集まった。

「おい!おかま。何弾いてんだ?」
ケンちゃんは<男は黙ってサッポロ!>って的な奴で、ピアノを弾く奴=女と決めていたから、ひろしのピアノには嫌悪感を感じていたみたいだった。

ひろしの手がピタッと止まった。


しかし、僕は違った。彼のピアノにいたく感動したのだ。

数日後、彼から一小節だけ習って、それこそ、本当にこっそり一人で音楽教室に忍び込み、「イエスタディ・ワンス・モア」をよく練習した。

だが、付け刃の悲しさか、さっぱり指が動かない。何日やっても左手の伴奏と右手のメロディが上手く機能しないのだ。

「ちくしょ〜〜〜〜!」

僕はピアノを思いっきり蹴った。

「コラ!足で蹴るな、私の大事なピアノを」
いつの間にか音楽教師<神埼先生>が入口で仁王立ちしていた。

「あっ」

「ぷぷぷ〜あはははは!下手糞。味噌が腐る!」
彼女は男勝りの先生で、いつも手に持っている鞭で叩く癖があった。

僕は逃げようとした。

ビシッ!鞭が飛んで来た。

「何処へ行くんだ?さあ、弾いてみな」

「いや…弾けません…」

ビシッ!また、鞭が飛んで来た。

「弾けないから、練習するんだろ?弾け」

「…はぁ…」

それから嫌というほど練習させられた。

それこそ、顔見る度に、音楽教室に連れて来られてピアノを弾かされたのだ。

しかし、いっこうに上達はしなかったのは言うまでも無い…。


☆------------------

「へぇ〜〜。それでカーペンターズが嫌いなんだ。あはははは〜」

その昔の話を聞いた娘が腹を抱えて笑った。

あの頃の神埼先生のように…。







エントリ14  眠れぬ夜の小噺     チワ太郎


何時からこうなったんだろう。
思い出せるのにわざと問いただすんだ。
廃人の様に。
私はずるいから、分かってやっている。
人に心配される事でしか人と関わっていけないの、私みたいのは。
あの子はどうだったのかな。
どんな風に世界が見えていたんだろう、
なんて問いただしても、答えは返ってこない。

其処かしこに、ある形跡をひとつひとつ確認してからじゃないと眠れないんだよ。空気が刺すようで、表に出るのが至極おっくう。もう一度眠りの中でうずくまるんだ。こんな時思うのは、人は息をするだけで消費していく生き物だということ。お母さんは優しいからなにも言わないだけ。本当は知っている。本当は私を怨んでいる。お父さんも優しい人なので、私は二人のスネをかじりまくってやっと生きているんだよ。もう辛いと思うのに、それは出来ないんだ。以前はね、それは私だけが考えていることだと思っていたんだ。世界中でたった私一人が可哀想なヒロインだった。一番辛いところに立って生きていると。でも違った。私はもう其処には行けなくなった。

23:45ベットに横たわる。今日もきっと時間がかかる。私はね、どうやって眠りに堕ちるのかを忘れてしまうんだよ。だから眠るまでに時間が少々かかるけど、気にしないでね。集中しないとまた思い出してしまうから、直前まで目は開いておく。三時までには眠らなくてはいけない。三時はね、いえその前にきちんと整理してお話しましょう。

私には弟と妹が居てね、私が長女の三人兄弟なんですけどね、半年前から二人姉妹になってしまいまして。といいますのはね、弟が急死しまして。私は母と出かけていて、発見したのは妹なんです。中学三年でしたよ。とても優しい、いい子でね。母親っ子でしたね。え?病気ではないんですよ。あ、違います病気でした。半年前から学校に行けなくなってしまってね、可哀想でしたよ。でも死に顔はそりゃもう安らかでねえ。苦しみから解放されたのねって母が言ってました。

話が戻りますがね、三時になると思い出すんですよ、やはり。映像が重くてさ、入りきんないのよね。涙と呼吸が溢れ出してさ、つらいじゃん?だけどね、ほんとはね、そんなこと無いんだ。私、演技派だから。ほんとは病気じゃないのよ。ほんとに病気だったのは弟の方。うつ病って言うの?そういう系。死んだのもね、ほんとは病気じゃなくて、そうなんだ、首吊ったの。ジサツ。あ、いけね。もう2:48分。寝よ寝よ!





※作者付記:長い夜にはこんな小噺をお一つ。



エントリ15  テレビドラマの眺め方     千早丸


「ねー? 普通ならゼッタイ許さないって」
 彼女はそう息巻くと、通勤通学客でごった返す夕方の駅ホーム構内など気にせぬ風で、大げさに腕を組み、ふんばって立った。
 まったく何処で何の話をしているんだと思いつつ、私は溜息をつく。
「ドラマの話でしょ。しかも、メロドラマ」
 彼女はドラマや映画が大好きだ。邦画洋画関係なしの守備範囲は無節操に広いが、どうやら甘ったるい恋愛ドラマは嫌いらしい。
 彼女が今話題にしているのは、木曜の夜に放送している連続モノ。全12話とかで、そろそろ終盤のはずだけど、実は私は見たことがない。
 まあ、売れっ子タレントが出ているとかで何かと話題が多く、宣伝にメチャクチャ重点おいてるもんだから、ドラマを見なくても粗筋くらいはわかるけど。
 男2人女1人の三角関係の物語で、しかも女性役は「恋多き乙女」で、しょっちゅう他の人とも浮気する。しかし主人公男2人ともから無条件で愛されていると言う、たしかに現実にはありそうにないストーリー。
「どーして浮気されても好きなのよ! なんで好きなのに浮気するのよ!」
 彼女は独り言を言っているらしいが、声音が大きすぎる。幾人か驚いてこちらを見た。……ああ、恥ずかしい。
「どうせドラマなんだし」
 私の慰めは、あまり役立たなかった。
「だって! あんな理不尽な物語なのに、なんで視聴率高いの!?」
「あのタレントが出てるからでしょ。いま人気あるし」
「えー 納得できないぃ」
 彼女はまだブツブツ言っている。
 と、アナウンスが入った。そろそろ目的の電車が来るらしい。
「ほら、行くよ?」
「うぅ〜」
 彼女は唸りながら荷物を持って――急に、ハタリと動きを止めた。

「そっか。許して欲しいんだ」

「は?」
 振り返ると、彼女は「納得した」という顔で頷いた。
「どんな理不尽なコトしても『自分』が許してもらいたいんだよ。だから見るんだ」
 勝手に納得して「あ、ほら電車!」急かされ、慌てて閉じかけたドアへ飛び込んだ。
 私が大きく安堵の息を吐く横で、彼女は手すりに掴まって上機嫌だった。謎は、すっかり解けたらしい。

(……まあ、そういう解釈も「あり」かな)

 私は少し笑って、ドアに寄りかかった。
 ステンレスの冷えた感触が、不思議と気持ち良くて、もう一度笑った。


終わり





※作者付記:TVドラマは、実際に放送されていた作品をモデルにしています。



エントリ16  夏の思い出     霞洋介


−なあ、自由ってなんだ?−

不意に、君は僕に尋ねた。

「自由?」

−人間は、自由を求めて生きてるんだろ?−

「ああ、そうかもしれないね。」

−自由ってなんなんだ?−

「あまりに漠然としすぎて、何とも言えないな。」

−漠然としているのか?−

「ああ、一般的には社会のルールに縛られないこととか、なんでも自分の意思で動くことが出来るとか、そういうのをさすみたいだけど。」

−だけど?−

「それでも、やっぱり自由じゃないだろう。人間は。」

−どうして?−

「社会のルールなんか無くたって、自分以外の人が生きている限り自由なんてないのさ。」

−どうして?−

「人はね、他人のことを考えながら生きていく。それが憎しみだろうと愛情だろう・・・。そういった感情をもった時点で、人はそれに縛られてしまう。」

−そういうものなのか?−

「まあ、中には人を人と思わない人間もいるみたいだけど、そういった人間もそう思った時点で同じように人間に縛られてしまうのさ。」

−何か、矛盾してないか?−

「あはは。そうかもしれないね。でもこの世界にはたくさんの矛盾があるんだ  よ?」

−例えば?−

「愛しているのに憎んでしまう。助けようとした行為がその人間の心を殺す。そして、自由を求めて、自由じゃなくなる。」

−話がずれてるな−

「まあ、自由なんて誰にも掴めないってことさ。」

−それでも、自由を求めるのか?お前も−

「そうだよ。」

−掴めないのに?−

「僕らは、矛盾しているのさ。真っ直ぐに生きることが出来ないんだ。」

−人間は大バカだな−

「バカのほうが楽しいんだよ。」

−お前がそう言うなら、私も自由とやら目指してみようか−

「君も、バカになるのかい?」

その問いに、たいする君の返事は無かった。

−お前と話せてよかったよー

「僕もだ。」

−それでは、私も行くとするかー

「君の旅路に幸多からん事を祈っているよ」

−ああ、それではまたいつか会おう−

そう言って、君は僕のもとからいなくなった。
君がいなくなって、僕は悲しい。
けれども、僕は生きていけるのだろう。

「もし、僕の背中に翼があれば、本当の自由が手に入るかもしれないな」

僕は、そうポツリとつぶやいた。
空を見上げる。
夏の、青空に、あの日飛び立った君の白い翼が重なり僕は少しだけ泣いた。

なんてことはない、夏の思い出。
自由を求め続けている僕と、自由を求め始めたきれいな翼をもつ君との思い出。







エントリ17  寅と竜、維新     Dionysos


 鳥羽伏見の戦火でのことだった。
 背後からの聞き覚えのある声に、土佐藩士 新田寅之進は振り返った。
「竜……!」
 幕臣 松井竜蔵がそこにいた。
 右手に愛刀の肥前鍛冶忠吉をぶら下げている。血塗られていた。この戦火でどれほどの人を斬ったのであろうか。
「ずいぶんと斬ったのう」
 寅之進は呆れるか侮蔑するかのような目で笑った。
「うむ、長州の奇兵隊を二人、土佐の洋式兵を三人じゃ」
 竜蔵は刀を高々と挙げて、寅之進の眉間に突きつけた。
「お主を入れれば、六人になる」
 竜蔵の後ろで砲弾が炸裂した、だが竜蔵は動じない。
 寅之進は不敵に笑った。
「ほう、勝ち戦だが、旧知の仲だ。見逃してやろうと思っていた。幕軍はすでに退却し始めている。大勢はついている。退くがよい」
 竜蔵の耳元で銃弾が空を切った。釣られて弾けるように、
「問答無用ッ」
 洋式軍服を着た日本の剣豪に躍りかかった。

 受けて寅之進は一気に懐に飛びこんだ。猛烈な突きを繰り出してくる。獅子のごとくといってよい。始めは押されていた竜蔵も、やがて寅之進の突きを見事に捌き、脇腹めがけて一気に切り上げた。それより速く、寅之進は脇差しを抜き放ち、竜蔵の一撃を受け止めていた。
「うぐっ」
 しかし、受け止めていたかに見えた竜蔵の一撃は、寅之進の脇差しをものともせず弾き飛ばした。
 寅之進の右胸から鮮血が飛び散る。崩れ落ちそうな寅之進を眼下に、竜蔵は渾身の力を込めて刀を振り下ろした。
 愛刀・肥前鍛冶忠吉は寅之進の肩から切り裂いたが、その斬り慣れた感触がいつもと違うことに気付いた。
「こ、これはッ」
「脂が巻いていたようじゃの」
 いつのまにか寅之進の右腕は竜蔵の頭上にあり、ドッと切り裂かれた音だけが妙に戦場に響いた。

「己の斬った人数を誇っていたが、それがあだとなったな」
 竜蔵は寅之進のそんな言葉で意識を取り戻した。辺りの土が赤黒く染まっている。身体を見て己の血だと気付いた。
 戦闘も終わったらしく、砲声が遠のいていくのが分かった。
 そばでは寅之進が自分の体にサラシを巻いている。
「竜、わしは行くぞ」
「うむ、体を大事にな」
 竜蔵は目を閉じている。もうまぶたを開ける気力もなくなってきたようだ。
 寅之進は背を向けて歩き始めた。
 ちょうど朝日が登り始めた。この戦火で流れた血のように赤々としていた。
 しかし、最後に目を開けた竜蔵には、その朝日が新たな時代の幕開けに見えたようである。







エントリ18  婚約ラーメン     バージャイ


 婚約者から突然の電話があって、仲人の家を訪問せねばならなくなった。仲人の島田夫妻と私の間に面識はなく、そのとき初めて顔をあわせた。島田夫は婚約者の上司だった。そもそも仲人を立てるのにこだわったのは婚約者の方で、私のほうはそんなもんいらん。と強硬な態度をとっていたつもりだったのに婚約者が仲人を見つけてきて私はひどく情けない思いをしたのだった。だから私は緊張した。
 島田夫妻の家は都心からちょっと外れたところにあった。婚約者もちゃんと道を知っていたわけではなく、迷いに迷ってたどり着いたので汗がブワブワにじんで二人とも臭く、これじゃいかんとシャワーを浴びることになってそれからもっと歩いてラブホテルでお互いシャワーを浴びたりしているうちにむらむらとしているうちになんだかくんずほずれつといった状況に至り、何をやっているんだとしばらく二人して己らの獣性に呆然としていたりした。ので約束よりも三十分は遅れてしまって恐縮の度合は高まる一方、私らを出迎えた島田夫妻はものすごくわかりやすい作り笑いとその下の怒りを堂々と見せ付けてくるので逆に謝っていりゃあいいんじゃねえかと高もくくれたし、婚約者も上司の直截の怒りを目の前にして頭を床にこすり付ける。擦りつけた床の木切れから煙が出て、婚約者の頭がすこし燃え始めたあたりで島田夫も許す気になったらしく、もういい。とだけ言って今度は本当の笑顔になった。
 招かれたのか押しかけたのか判らないので私はなんと言っていいかわからないでいた。婚約者が何か言うのを待ったが何も言わないので気まずさに耐え切れずに今日はお招きくださってとかなんとか行ったら島田夫が眉を鋭くひそめたのであ、違った違った押しかけてしまってすみませんといったら「お前は礼儀正しい奴だ見込みがある」といった。本心かどうかなぞ知らん。
 リビングに通された私らはお決まりのコーヒーとお茶菓子をはさんで色々話し込んだ。なれそめとかそんなことを逐一聞かれたが婚約者は仲人たる島田夫妻にどれほどのことを伝えているのかと変に訝しく思って、それとなく腰の辺りをつついてやったら「あはあん」とか言い出しやがって島田妻が顔を真っ赤にする。このニンフォマニアのどこがいいんですか、と聞かれるかと思ったが聞かれなかった。婚約者は勝手にテレビをつけてゴルフ中継を見ていた。婚約者はジャンボ尾崎のファンだった。
 婚約者がまったくこのしゃべり場に参加しようとしないので、私と島田夫妻の一対二のバトルがいやおうなく勃発、するかと思ったがなんと島田夫までもゴルフ中継。みんななんでそんなにゴルフが好きね。私今日何しに来たね。とものすごく不愉快になる。不愉快になり自然島田妻に当たってしまうような口ぶりになって、島田妻もどこか不満げ、それでも会話というのはどれほどかの辛抱を前提に成り立つわけだから私も島田妻も辛抱し、手探りながら共通の話題を探すこと十分足らず、見つけたのはどちらもラーメン好き。それも無類の。
 島田妻の行きつけのラーメン屋は気風亭という醤油味噌の油臭いゲテモノみたいなラーメンで、私は上品な東京醤油が好きなので、いくら無類のラーメン好き同士といっても相容れない。これは困ったと二人で笑う、その笑顔のうちに実は会話の髄みたいのがあったりすんのか。笑顔を交わしてどうにかこうにか好みを近づけたい。私が味噌味を許してみると島田妻は豚骨を諦めると言い出した。婚約者と島田夫がナイスショットと叫んだ。それをよそに私と島田妻の出したほぼ究極のラーメンは東京味噌の油分中程度、これをぜひとも食わねばいかんと肩を叩きあって意気投合してみたが実際インターネットで検索しても東京味噌とか中程度の油を使用したラーメンは見つからない、でもやっぱり食わねば鳴らぬということになり、それが高じてじゃあ今から作ろう、と自然に自然にまとまったのだった。
 実際にラーメンをこしらえる算段の中で、実はそれぞれのラーメン観に更なる細かい部分における齟齬が散見されたので話し合いは続き、麺は中太やや縮れ、メンマなし、チャーシューは豚で作る、箸は割り箸、丼はどうでもいい。そういうことになった。私と島田妻がキッチンに並んでいるそのすぐ後で婚約者と島田夫がナイスショットとかいっているのだが馬鹿馬鹿しくてやってられん。あいつらに私らの今まさにやらんとしていることの高尚さが理解できるのかしらん。疑わしいのよね。みたいにらんらんとラーメン作り、粉を練ったりだしをとったり。出来上がったって絶対に奴らには食わせん、食うのは私らだけ、とか思っていたら、出来上がったラーメンを島田妻が五つの丼に分け始めるので、よよよいけませんよ奥さんと昼メロの勢いで迫ると島田妻はしばらく考えて動きを止め、また五つに分け始めた。なぜに五つに分けるのか、私は知らない。





※作者付記:めおとの契り、ラーメン。はよ寝ろ。



エントリ19  残されたもの     ほうじろう


 「愛してなかったわ……」
 秀子が仙次郎に残した最後の言葉であった。
 仙次郎は凍りつき、命の灯火が消えた秀子よりも血の通わぬ表情
となった。両手で握った秀子の手を自らの額にあて、崩れるように
片膝をついた。
 妻との三十年――積み重ねてきた日々は偽りだったというのか。
 答えを見出せぬまま、呆然とするだけだった。

 通夜も葬儀も、呼吸すら忘れたように精気を失った姿で過ごした。
 人の波が退き、やがて静寂が訪れても、視線は空を彷徨っていた。
「なぜ、あんなことを……」
 握り締めた拳を畳に叩きつける音だけが、虚しく部屋中に響き渡
っていた。
 眠れぬ夜を幾日も重ねた。脱力し、重くなった身体を引きずるよ
うにして過ごした。そしてまた「なぜ、あんなことを……」と、遺
影に囁きかけた。
 
 心の晴れぬまま秀子の遺品の整理に手をつけた。ドレッサーに向
かうのは初めてのことだ。引き出しを開けると整然と並べられた化
粧品と一緒に日記帳が収められていた。
 何かわかるかもしれない――期待と不安が入り混じる中、日記を
手にした。仕事一筋だった仙次郎にとって、秀子という存在を改め
て思い知らされた。
 そして最後の日記のページに、求めていたものがあった。日付は
秀子の亡くなる半年前になっていた。
 
 癌でした
 お医者様の様子から、そう長くはないのではと感じました
 残念です
 惜しむらくは夫とのこと
 間もなく三十周年
 子供に恵まれなかった私達は、同じ日々の繰り返しでした
 食事の仕度をするだけの三十年だったような気がします
 退職後の時間を楽しみにしていましたが、叶いそうにありません
 そう考えると
 夫との三十年はなんだったのでしょう
 夫にとって、どんな存在だったのでしょう
 死を前にして、夫の想いを知りたい
 そこで思いついたのが指輪を外すこと
 私が死ぬまでに気づかなかったのなら
 おもいっきり憎まれ口をたたいて死んでやろう
 神様も許して下さいますよね
 指輪は一番大切な物の中にしまいます

 仙次郎は慟哭した。己の感受性のなさ、無頓着さを大いに恥じ、
吠えるように泣いた。
 秀子が女として死んでいきたかったことに気づかなかった。
 仙次郎はよろよろと歩き出し、一体のフランス人形の前で足を止め
た。仙次郎が結婚前にプレゼントしたものだ。
おもむろに人形を手にし、探り出すと、洋服の中に指輪と走り書きの
メモをみつけた。
 一言、「ありがとう」とだけ書いてあった。







エントリ20  七年愛の傷跡・・・。     蒼樹空


 空の青をふたり占めしていたあの日の想い出と、君との恋跡が色濃く残ったこの街角。そのふたつを照らし合わせ、あぶれた悲しみを優先しながら、これを書いています・・・。
 愛や幸福、時には不幸でさえ、手元を離れてから、初めてその重みに気付くものだ。人間の欲望なんてひどく虚しいもので、それが実現された途端にもはや追求すべき欲がなくなったいう虚無感に捕らわれる。そして慌てて別の新しい目標を見つけてくるという、決して抜け出せないスパイラルに陥ることになるのだ。君を失った今、僕はまた君を求めている。何かの終わりは何かの始まりであり、上がることと、下がることとは、目線を変えれば、同じことである。その一瞬の錯覚で、人間は闇を彷徨うことになる・・・。
 サヨナラから僕は僕を知ろうとした。君の無邪気な笑顔も、携帯の電源を切っていた意味も、全部わかっているつもりでいた。僕の不透明な愛の言葉も伝わっていると思っていた。しかし、僕らはお互い、いちばん伝えたかったことを隠し続けたのかもしれない。
 ただ、あの頃の僕らは今と変わらぬ悲しみと、喜びをもっていたのだろう。ひとつワカッテいることは、僕は僕であり、君は君であり続けた。 そして、僕は自分との戦いに敗北したのだ。敗北の色を身に纏い、勝者とは正反対の方向に歩き出す。敗者同士で傷を舐めあい、勝者の批評を魚に、敗者の悲痛に満ちた安酒を呷り続けた・・・。
 過去を凝視し続け、今を現実だと認められない。振り返ったままの首は、簡単には前を向こうとしない。しかし、後ろを向いたまま歩くというのは、恐ろしいほどに意味が欠けていた。必然的に壁にぶつかり、当然のように転ぶのだ。まったくもっての愚行である。考えてみれば、今が、悲劇の最中ではなく、悲劇は過去で、今は、悲劇が終わってしまったあとなのである。
 確かに、今の白痴状態の僕にとって、前に進むのであれば、決して振り向かない。というのは、戒めであって、本音ではないのかもしれない。でも、弱みと寄り添い強くなろうと思う。悲観を掬い取り、楽観の花を咲かせようと思う。失った恋を綴り、新しい恋の物語を書こうと思う・・・。
 いくら抵抗したところで、隣の道にヒョイッと飛び移ったり、クルッと踵を返すような生き方は、僕には出来ない。この進路で、この道で、この想いのまま、愛と幸福を捕まえるのだ。そうしないと、いつまで経っても、君が色褪せない気がするからだ・・・。







エントリ21  デート     クドウ


 遊園地はすごく静かで、僕と女以外は誰もいない。
 僕はひとしきりメリーゴーランドを満喫すると、次はティーカップに取り掛かった。
 その間、女は手に持った三段重ねのアイスクリームが溶けていく様を、あと三回座ったら壊れてしまうベンチにただ座って見ていたわけだけど、僕がティーカップを十分満喫して戻ってきた途端、ふいに女は泣き出した。
 僕は心配になって女の横に座る。
 あと二回。

「まったくいったい全体何がどうしたのさ?」
「アイス、アイスクリームがね、溶けちゃうの」

 そいつは困った。
 僕はひとしきり悩むと、ジェットコースター乗り場へと歩き出した。

 この線より下の身長のお子様は乗ることができません。

 その看板を見て、僕は女の所へと引き返した。まだ涙目の女の横にどかっと腰を下ろす。
 あと一回。

「そのアイス貸してくれないか?」
「アイス、アイスクリームがね」

 皆まで聞かず、僕は溶けたアイスクリームを奪って看板へと走る。飛び散るアイスは道標みたいだ。だいぶ少なくなったアイスで看板に線を書き足す。白いペンキみたいな甘い線が僕の身長のちょっと下に引かれた。

 ジェットコースターを満喫して帰ってくると、女は怒っていた。両手に持った何個もの新しいアイスを次々とゴミ箱に投げ捨てている最中だった。僕はそっと女を後ろから抱きしめて、静かにキスをした。おとなしくなった女の手を引いて、一緒にベンチに座る。

 と同時に背もたれが壊れ、僕と女は派手に後ろにひっくり返る。どーんという音と共に10メートルほど垂直に飛んだゴミ箱が視界の片隅に映った。







エントリ22  妄想女的告白論文     如月ワダイ


 うっぎゃあ〜!!!
もうもうもう、どうしよう!? 何かね何かねあぁぁぁぁぁ…。わけわかんないの。って、聞いているほうがもっとわからないって?


 あのね、私、自慢じゃないんだけどチョー美人で優雅で何もかもが完璧な女なの。もちスタイルだって、スリムなEカップ。どうよ? しかも性格は慈悲深いときた。あんたは聖母マリアかって感じ?

 そんなどうしようもないぐらいイケてる私だけどさぁ、ちょーっと悩んでいることがあって。うん、これは丸秘の丸が花丸になっちゃうぐらい、重要かつ極秘なんだけど、それは男問題。

 まぁね、これほどまでに完璧な女だから男の出入りはそりゃ激しいわよ。毎晩のようにとっかえひっかえ…って、それじゃ節操のない女じゃないの! 違うわよっ。そうじゃなくって、今私の近くに男が二人いるの。
 一人は、常に努力を続け惜しまない成長を続ける、二枚目な人。この人は私に努力と進むべき道を教えてくれるのよ。そしてセックスももう最高。文句のつけようもなくて、私はこの人が夢見る女風で言うと運命の人だと思っていたのね。
 なのによ、そうよなのにっ、あの男が現われたのよ。もう史上最悪最低な男! 本人曰く「自分は〜女に不自由したことがないんだ」なんじゃそりゃ、んなこと聞いてないしどうでも良い話じゃんっ! 知るかよって感じで…。自分がマリーアントワネットだといわれて受け入れるようなプライドが高くて、酒に飲まれて意味がわからない奴。確かに顔は良いかも知れないけどさ、性格最悪じゃん。
 けど、なぜかわからないけど、逢った瞬間から私が変わった。こいつと話すときだけ、話し方が汚くなる。昔憧れていた自分になれる。何事も我慢しなくて積極的で確固たる自分がある。それが何故なのか全くもって不明。いつも被り物をしている私が、素でいられるのよ。そしてこいつは嫌って程、人を振り回す。でも、それも嫌じゃなかったりするから、なお許されない。


 で、悩んでいたわけよ。素敵な人とバカ男の二人の間を。普通に考えれば、悩む必要なんてないのに。だいたい、…っていうか、何で私あなた方にこんな話をしているの? ちょっと待って、っつうか誰よあんた達? 何? どうなっているの…って、ちょっとなんで注射器なんか…きゃっ!


 …あれ? 私何をしていたんだっけ? あっ、教授お疲れ様です。次の論文なんですけど、これなんかどうでしょうか? 自分に陶酔する女で…







エントリ23  ほんとの贅沢     鈴木 麻希子


 贅沢だとはじめて知った。
触れるか触れないかの軽いキスも、ただ無条件に抱きしめられることも、本当はとても贅沢なことなんだとはじめて知った。
 望んでいたのはただ触れること、触れられること。でも、叶ったのは舌を絡めあって快感を求め、身体をまさぐりあうこと。
 いろんなことを飛び越えて、私達は夢中になった。知り合いから身体の関係へ。会えば身体を重ね、コトが終れば帰っていく。
 彼ことを私はなにも知らない。井出さんと呼んでいる彼の下の名前も誕生日も血液型も住所も電話番号も知らない。連絡はいつだって一方的で私からの連絡は取れない。それでもいいと思っていた。私は彼のどこが好きだったのか分からないけれど、確かに彼を愛していた。その気持ちだけで私はなんでも出来てしまう気がしていたから。
 彼から連絡が来なくなって、何ヶ月が過ぎたか、指折り数えることも無くなった。数えながら指を折っていく回数が増えていくにつれ涙が溢れ、さらに時間が立つにつれて、顔から表情が消えていくのが分かった。連絡手段はケータイのみ。常にケータイを手に持ち歩いていた。たまに入るのは、仕事が休みがちになった私を心配した同僚からの電話。彼に関係しないことはどうでもよく、全てに上の空だった。
 夜もあまり眠れず、絶えず着信を気にしていた。電話が鳴ったのはそんな真夜中。居間の壁に背を当てたまま、うとうとしていると、ふと聞こえてくるケータイの着信音。眠気も一気に吹き飛び、あわてて思うように動かない手をもどかしく思いながら、ボタンを押した。
「もしもし。井出さん?」勢い込んで話すと電話の向こうは無言。 
「どうしてたの?何か合ったと心配しちゃったぁ。」
「もう会えない。」
「どうして?私、わがままいわない。今までどおりの関係でなくてもいい。たまに手をつないだり、気が向いたら軽いキスをしたり。それでいい。だからお願い。別れたくない。お願い。」
全てに上の空になりながら、考えていた。
彼と離れない方法。どんな形でも触れていたい。
「それは贅沢だね。」
「え?」
「うん。そのほうが贅沢なんだよ。きっと。」
そう言って、電話は切れた。一定の電子音が遠くに聞こえる。カーテンをかけ忘れた窓の外には満点の星。星の数ほど男はいるというけれど、その中で私が出会えるのはどのくらい?さらに彼の言う私の贅沢な願いを聞いてくれるのはどのくらいになる?そうやっていくとずいぶん少ない気がする。でも、いつかは出会いたい。安心して贅沢させてくれる人に。







エントリ24  女ともだち     もとのら


 ところで、不倫の現場をおさえられたことってある?一緒に手をつないで歩いているところなんかじゃなく。言ってみれば、交合の最中。もちろん、あなたがそんなことしないのは分かってるけどね、でもきいちゃった。アハ。
 彼女が私たちのことに気づいているというのは知ってたの。でも、関係を疑われているのと、やっているところを見られるのとは大違いよ。いろんな意味で。
 でね、その時のことなんだけど、寝室のドアをノックする音が聞こえたの。一瞬混乱しちゃった。彼の寝室にいるはずなのに、ホテルにいるのかって。それにそのノックがしつこいの。「タンタンタンタンタン」って。目を開けたら、彼女が開いたドアに凭れてた。彼の背中の向こうですごい目をして私のことを睨んでた。それはまあ、当然といえば当然ね。
 ただ、ショック。ホント、ショック。頭の中が真っ白。でも、私の上にいる彼は気がつかないじゃない。それに、ちょうどその時だったの。私、イッちゃった。彼女の目を見ながら。なぜかって?彼のこの感じを彼女も知っているんだと思ったら、「そうでしょ、そうでしょ」って、彼女と分かち合いたくなったというか。彼女だって私と同じ立場なわけだし。連帯感かな。一種の。
 ごめん、私一人で笑ってた?だって、その後のことがおかしかったから……。あのね、彼が「ううっ」とうめいたと思ったら、ドサリと私の横に仰向けになったでしょ、そのとたん、彼女と目が合ったの。そうしたら、ガバッと起き上がって、「なんで、お前」って言ったんだけど、その声が裏返ってて。ほら、あなたも笑った。そう、ちょっと憎めないところがあるのよ、彼。ひょっとしたら、あたふたする彼が愛しく思えたかもしれないんだけど。でも、すーっと醒めちゃった。彼女とも同じ手順でやるのかなぁとか、私には持たせてくれなかったけれど、彼女にはカギを渡していたんだとか、そんな現実的なことを思ってしまったからかな。
 でね、それが10日前。それから彼とは会っていないのよ。電話にも出ないし、メールも無視。前は彼の声が聞きたくて、不倫だからそれもままならなくて、燃えに燃えていたんだけど、そんな気持ちもなくなっちゃった。私の中ではもう終わったの。そう、別れる。大丈夫、つらくなんかない。うん、もっとずっといい人がいるね。そう思う。
ありがとう、慰めてくれて。それから、ごめんね。あの、ご主人のこと笑っちゃったけど……。










QBOOKS
 ◆QBOOKSに掲載の記事・写真・作品・画像等の無断転載を禁止します。
 ◆作品の著作権は各作者に帰属します。
 ◆掲載作品の利用・出版権はQBOOKSが優先します。ただし作者の要望に優先するものではありません。
 ◆リンク類は編集上予告なくはずす場合がありますのでご了承ください。
 ◆お問い合わせはQBOOKSインフォデスクまで