名もなき騎士は雨に嗤う
見渡す限りの荒れ果てた廃墟。降りそそぐ灰色の雨をふくめて、すべてが、汚い灰色に塗りつぶされていた。
とうの昔に滅びさった都市のかつての栄華は、荒涼とした灰色に覆われている。住宅であった瓦礫、神殿であった台座、墓標であった石ころ。目に映るすべてのものはくすんだ灰色をしており、止むことのない雨にうたれつづけていた。
その、救われない光景を遠くから眺めている騎士がいた。
血色の剣を帯び、傘をさした騎士だ。
歴戦の証か、騎士の鎧は数えきれないほどの疵とそれを修復した跡が、騎士のマントは裾のほうには土がこびりついていた。
騎士はその蒼い瞳で、灰色の廃墟を眺めている。その口が開閉を繰りかえし、言葉にならない声をささやいている。
唐突に風が吹いた。
この地に朽ちたものがあげる怨嗟に彩られた、無色の風。
この地に崩れたものがあげる悲嘆に彩られた、無色の雨。
風におされ、横殴りとなった雨が、騎士のさしている傘にぶつかり弾けた。
陰鬱とした雨音に促がされるように、騎士は今まで崩さなかった厳しい表情がすこしずつやわらいでいった。伏せられた目は、下手な絵師の水彩画のように滲んだ地平線を睨み、口は半開きのまま動くことをやめ、寒さでかじかんだ騎士の手は傘から手を放した。
騎士は身体に直にぶつかるようになった雨を気にするでもなく、鎧とマントをつないでいる肩当てに手を触れ、慣れた動作でそれをはずした。
音もなく、右肩を守っていた銀色の輝きが地に落ちた。次いで、左肩からも。
騎士は地面に落とした肩当てに目を向けることもなく、そのまま雨に濡れたマントをはぎとって投げた。
いつのまにか騎士は泣いていた。
泣き声は雨音に消され、涙も雨粒に流されていたが、騎士は泣いていた。
のどの奥からもれる嗚咽に腕が震えながらも、騎士は鎧をはずしはじめた。
灰色の雨が鎧にぶつかり、どこか管楽器的な音色を立てている。身にまとう鉄を、身体につなぎとめている枷をひとつずつ取り外しながら、騎士は泣きつづけた。
やがて、肩当てと同じように鎧も地に落ちた。
しばらくそのまま、呆然と騎士は立ち尽くした。濃い雨のせいで、地平線は見えない。降りつづけた雨のせいで、地面はぬかるみ、ブーツが汚れてゆく。
そして気がついたように帯びていた剣をはずし、雨の向こうに放り投げた騎士は自由になっていた。
自由に。
泣きながら、騎士は嗤った。
「俺は一体――何を守れたというのか」
灰色の雨降り注ぐ廃墟は、騎士の故郷だった。
騎士の凱旋を祝うものは、いない。
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