第22回体感1000字小説バトル

エントリ作品作者文字数
1だからこそ僕は暗闇を好むじゅん999
2いつもの帰り道むん1000
3オネガイ藍夏799
4エゴ久慈九児999
5目醒め結城 真琴759
6ショートショート一円あや01132
7change the worldコウ1036
8壁の向こうチョコチョコ♪981
9センジョウ852
10魔法の鏡千早丸1000
11続 裸の王様hyd891
12「好きだよ」高梠 リョウコ998
13ミルクお団子と、強烈な形而上学的イデア論のこれから煮込みきゅうり1045
14おもひでや薄め火859
15汚職についての私の仮説ヘビトンボ1083
16色彩忠 美希生 1223
17青いそらBER1453
18冷えたマグマ偽悟空981
19ぬる靴草見沢繁1000
20愛の母子像古月沙南1884(※)
21女神さま坂井徳久1002
22あいつと俺と、ファウストと舞都柚那1660
23ワン・モア・ヒール馬木部 遊1000
24ブラインドカノイ864
25最後のメール松本ゆか781
26ヒーロー松原正一980
27手袋いちこ0
28引退ジューン1119
29老人と空かめ1014
30無抵抗な日常と僕遠野浩行1091
31雪原沙風吟999
326月楳図ジュン693
 
 
バトル結果発表

※古月沙南さんの作品は、他のバトルあてにいただいたものをこちらに掲載しています。

バトル開始後の訂正・修正は、掲載時に起きた問題を除き
基本的には受け付けません。
掲載内容に誤り等ございましたら、ご連絡ください。
投票受付は終了しました。






エントリ1  だからこそ僕は暗闇を好む     じゅん



  遠くを、果てしない遠くを見つめると より僕は僕自身を感じた
  近くを、間近にある手のひらを見つめると ふと宇宙が見えてきた

 ベッドに体を投げ打つと、両手と両足はまるで白鳥の着水するがごとく自然に優雅に横たわった。 ベッドライトを灯して暗闇を砕くと、僕はしばらくの間、体のあらゆる神経の訴えに集中し始めた。 先ほどから最も強烈な主張をし続けているのは、間違いなく右足であった。 彼の獰猛な呼び声のせいで、他の連中の声は打ち消されてしまう。 ああ、確かにこのうずき方は尋常じゃない。 僕の右足の甲はきっと折れているに違いない。 もし僕の神経というものを他の誰かと共有することが可能ならば、是非今の僕の右足の獰猛さを誰かに味わってもらいたいものだ。 こんなにも必死で、執拗に不格好な種の訴えはそうそう味わえるものじゃない。 かつて僕の愛人が別れ際に見せた泣き顔にそっくりの不格好さとだけ言っておこう。 
 こんな作業は決して面白いとは言えない。 少なくとも、そんな自分を偽善化するための、バイオリンの美しい音色でもない限りは。 なぜにバイオリンかというとね、それはその奏でる音の連続が完璧なる純真さを成しているからなんだ。 その音の前ではいかなる人も喜んで偽善の人となるだろう。少なくとも僕はね。

 喜びを、より多くの喜びを得るほどに 僕は悲しみを肌に沁み込ませる 
 悲しみを、 より深い悲しみを味わうほとに 僕は喜びが恐くなる

 ああ、僕はこの右足を切ってしまおうか。 そうすれば一時的ではあるが楽になるかもしれない。 僕はもう、自身のこんな不格好な面を見るに耐えなくなってきた。 僕が女性ならば迷わずそうするであろうが、残念ながら僕は男である。 失った後のことを考えると、後悔の念に苛まれる自分の姿も見えてしまう。 今の右足は嫌いだが、そんな自分の姿ももっと嫌いだ。 よって僕は右足を切れない。
 「鬱」という文字の複雑さが突然僕の脳裏を襲った。 この文字を自らの手で書き記した際、僕は一度として困惑しなかったためしがない。 複雑ではあるが、美しい。 美しい? 一体誰がこのような文字を創り出したのだろう。 そんなことを考えながら気分が鬱したのだった。

 さて、そろそろベッドライトを消すとしよう。 あとは僕と、僕の右足との言葉の存在しない真剣勝負が残されているのみである。 

 だからこそ僕は暗闇を好むのだ
  






エントリ2  いつもの帰り道     むん


目を細めて遥か遠く、高い空を仰ぐ。
強い焼け付くような日差しは、今は優しく空を紅く染めている。
真っ白な建物は紅く染め上げられ、昼間あれだけ五月蝿かったアブラゼミの声は、いつしか何処からかカナカナと蜩の鳴く声に変わっていた。紅に染め上げられた建物には「西兵庫中央病院」と書いてある。
私は来た道を振り返り、お世話になった先生、看護士さん達に「ありがとうございました」とキチッと改まってお礼を言い、まだ火照った大地に足を踏み出した。

緑を着飾った桜並木の坂を上がりきるとまもなく実家だ。
久しぶりに見る景色なのに、昔自分がここに居たという感覚があまり感じられない。確かに私達はここに居たのに、もう遠い過去に忘れてきたかのようだ。
若かりし母はこの場所に居たのだろうか。
小さな私はこの急なこを描く坂を駆け上がっては、夕飯の匂いに惹かれて家に駆け込んだのだろうか。
全てが遠い過去に流され、白い靄でもかかったようにはっきりとしない。私達が居たという現実が実は夢や幻だという方がしっくりくる。
なんて記憶というのは哀しいのだろう。大切な思い出までも色あせて、当時の気持ちを持ちつづける事は不可能なのだから。
時の果てに忘却があり、消えて逝くものに胸を痛めた。

やがて紅い塊はゆっくり切り取られた空に没し、空は藍に染まった。

「どや久しぶりの故郷はええもんやろ?」「ん、まぁ」曖昧に父の問いに答えた。
懐かしさを通り越して何処かよそよそしく、現在住んでる都会のが故郷といえよう。
少し前を歩く父の背中は小さく、記憶のそれとの差が寂しく思えた。
家族で一緒に歩くのは何年ぶりだろうか。微かな面影に胸が詰まった。
一人都会に住み、一人立って踏ん張って今を作り上げてきた。立派にやってきた自信もあった。たまに寂しく思う事もあったが、日々の忙しさに流され浸る事も無かった。
実際目の当たりにすると、目頭が熱く何かが溢れて零れ落ちそうになった。
懐かしさとはなんて痛いのだろう。
楽しかった思い出は一瞬の事なのだろうか。
なるべく父を見ないように、ただ空中に視線をやった。
お互い口には出さないが大切な思い出を辿るかのように歩みを進める。
小さな父と私と白い箱に収まった母と三人で。

やがて見える懐かしい我が家に私は「ただいま、母さん」
小さくなった母も、きっといつかのように笑顔で「おかえり」と迎えてくれたに違いない。

一番星が浮かぶ空には優しい月が顔を見せていた。







エントリ3  オネガイ     藍夏


ボクには好きな子がいる。
その子の名前は楓という。楓ちゃんはかわいくて優しくて動物の大好きな子だ。
楓ちゃんに初めて会ったのはボクも楓ちゃんもまだ小さい時。楓ちゃんはボクのことを見るといきなり、ぎゅぅっとボクのことを抱きしめた。
ドキドキした。
ボクはその日から楓ちゃんのことが好きになった。
楓ちゃんはよくボクに会いに来た。そしておやつを少しくれた。おっかけっこもした。いろいろなことを話してくれた。

でもボクは知っている。
楓ちゃんにはボクよりも好きな男の子がいるんだ。その子の名前は俊という。俊君は確かにボクよりカッコイイし優しい。
楓ちゃんは俊君のことをよく話した。
「今日も俊君と一緒に帰ったの。俊君も私のこと好きなのかなぁ?」
・・・・・頼むから僕の前で俊君の話しないでよ。
「どうしたの?悲しそうな顔して。」
僕は慌てて首を振った。
本当は楓ちゃんのことが好きで好きでたまらないのに。それを伝えられない自分が妙に情けなかった。
・・・・・楓ちゃん、忘れちゃったのかな?優しく抱きしめてくれたこと。

楓ちゃんもボクもだいぶ大きくなった。
だんだん楓ちゃんはボクに話しかけてくれなくなった。悲しかった。
ある日、楓ちゃんは久しぶりにボクに話しかけてくれた。
「あのね、私引っ越すことになったの。」
楓ちゃんは悲しそうな目をしていた。
「だからもうみんなと会えないの。ごめんね。」
楓ちゃんはボクのことをぎゅぅっと抱きしめた。ボクは楓ちゃんの涙でぬれたほっぺたをそっとなめた。
楓ちゃんは泣きながら笑った。ボクも泣いた。
「わんわんわんわんわんわん」

もしも神様がいたらボクは人間になりたいって頼んだと思う。
人間になれたら楓ちゃんともっとおしゃべりできたのに。
「ありがとう」とか「好き」とか言えたのに。
ボク、人間になりたかったな。

「わんわんわんわんわんわんわんわんわんわん」
人間の言葉じゃないけど「好きだよ」の言葉がボクの家の庭に響く。







エントリ4  エゴ     久慈九児


深いため息のあと俺の顔をみて、なにか言うのかと思えば言わずと知れたと笑みこぼし、自分の立場をほのめかし、尺をとれたと満足している。

おまえは誰だ。何様なんだ。



帰りの電車の中では、どいつもこいつも馬鹿に見えてそれでいて俺よりましな気がする。そしてみな帰る場所がある。あたりまえの生活があるが夢はない。

おまえらはなんの為に・・・。



駅の前のラーメン屋には列ができて、食料配給を待つ貧民のようだ。なにかをなにかと置き換えて寂しさ紛らす汚い奴ばかり。

おまえらの貧しい嗅覚。



テレビを点ければいうことなすこと文句ばかり。「保証」だの「責任」だの問うてばかりの恥知らず。自分の非力を人のせいばかりにする。

おまえに一体なにができるんだ。



布団をならべて眠る妻。どうしておまえの寝顔はいとおしいんだ。起きてる時よりも。セックスする時よりも。

そう一応、おまえには妻がいる。



子に従い親に従わず、友を利用し友にはぐらかされ、会社にのまれ社会に揉まれ、乳を揉んでつかまった。

あゝ、おまえの哀しさ。



つまらぬ欲に目がくらみ失敗したと思いきや、ローンにしていて失敗も分割する。三十年の徒労の重みで家が傾いている。

あゝ、おまえの人生。



勢いばかりが人生じゃない。じっくり腰を据えて取り組もう。そんなこと言ってるあいだに世は勢いだけで変わる。

あゝ、浮世。おまえの住む世界。



こうなりゃやけくそだ。あきらめた。といいながらしっかり未練が食い込んで、足跡までたどって元に戻る。

もうおまえ、いいんじゃないか。



禿げをかくし、体重をかくし、愛人を妻に隠し、子を愛人に隠す。そういや俺はパパなんだ。つまらない人生を、隠す値打ちもない人生を。

そうだ、おまえは父親だ。



そっと妻に言ってみる。愛していると言ってみる。こわばった顔を見透かされ、ふんと言われて沈黙する。言うんじゃなかった。

おまえが言うには上等すぎた。



生まれた頃はかわいかった。夢もあったし輝いていた。それがどうしていつのまに。子に投げかけて自分にかえる。かがやく刹那の思い出を。

そんなおまえの夢だから。誰が壊したわけじゃなし。



老いたさきのことばかり心配して、後を生きるもののことには無頓着。てめえが生きて、てめえが死ねば終わると思う。

そんなおまえが長生きをする。



形ばかりに拘るな。目に見える威厳に騙されるな。常識だけに囚われるな。自分を知れ。世界を感じろ。

おまえに実が見えただろうか。おまえの中に。






エントリ5  目醒め     結城 真琴


 私が4年間通った大学をはさむように、女子高があった。
 偏差値はそんなに高くないけれど、品行方性な校風で歴史もあり、都内ではわりと有名な私立の女子高校。当然、制服も地味。いつの時代に誰が何を思ってデザインしたのか、彼女達とさほど年齢差のない私にさえも何も読み取れなかった。着ている本人達には、きっとその実用性の説明があったはず。
 方や、やっぱり偏差値よりも、制服や校舎の優美なデザインや規模の大きな学園催事で有名な私立の女子高。私の4年間の大学生活中に、何度か制服のデザインが変わった。まだ新しかった校舎も、さらに改築が行われていた。
 私は大学生だったので、登校時間の彼女達を見かけることはなかったけれど、下校時には、駅までの道のりですれ違ったり、彼女達を後ろから眺めたりした。
 彼女達との4年間のすれ違いの中で、いつだったか、気が付いたことがあった。彼女達の瞳に女が宿っていないことを。服や生活に関りなく、女性の性がなかった。
特別な経験をしなくとも、女として生きていくことを自覚しつつある年頃で、まさにそれを学ぶために日々通学しているはずなのに。
その目にも、手足にも力がなく、間が抜けている。すれ違いざまに、早く目を醒ましてと、彼女達を揺さぶりたい衝動が度々起こった。
 あれから、数年経って、また気付いたことがある。
どんな経験をしても、瞳に女を宿すことができない女がほとんどだということを。夜の街を歩いても、すれ違うのは化粧をして、服を纏い、ただ大人になった彼女達だ。女性というものを学んだ彼女達。
昔、どうして彼女達の目を醒まさせたいと思ったのだろう。
今は、女の瞳を持つ女性とすれ違う度、ああ、この人は醒めている。と思う。彼女達とはよく目が合う。
多分、私も醒めている。でも、いつ、どうして醒めたのかは、思い出せない。







エントリ6  ショートショート一円     あや01


道に落ちていた2円をひろう。
1円をひろうエネルギーは1円以上だという。
2円ひろったら得するだろうか?
おばぁに聞いてみた。
「そりゃ得するさぁ。1円ひろってもとくするね。1円あったら1万円くずさなくていいと思うときあるでしょ。」
沖縄のおばぁは、いきる人生哲学だと思う。







エントリ7  change the world     コウ


もしも世界を変ることができるなら、僕達二人だけしか存在しない世界になって欲しい。

ひたすら走るバスの揺れに身を任せる僕達二人。一体どこへ行けばいいのだろう。

これは衝動的で、でも必然的で、僕と彼女が出来る世界への最後の抵抗だった。

どうしたいわけでもない。ただ、一緒にいたいだけ。別れの刻からの一時の脱却。

彼女は疲れたのか、僕の肩に寄りかかって眠っている。その寝顔を盗み見る。

こんなに青ざめた表情で、君は今一体どんな夢を見ているのだろう。

…どうして、こんなことになってしまったんだろう。

僕達はただ、一緒にいられるだけでよかったのに…それなのに。

もう、すぐそこまで二人の別れは迫ってきている。永遠の別れ。同じ世界では生きていけなくなるその瞬間。

君のその寝顔も、いつか見た笑顔も、時折見せる膨れた顔も、ココロでしか見えなくなる。

僕は一体どうなってしまうんだろう。いっそのこと、彼女が死んだ時この世界も消えてしまうといいのに。

寝ている彼女のまぶたにそっとキスをした。君は一瞬くすぐったそうな顔をしていたけど、またすぐ眠りに落ちる。

「――」

寝ていたはずの彼女が、そっと何かを呟いた。微かに唇を震わせ、僕に何かを伝えようとしている。

僕は彼女の唇に耳を近づけ、その"何か"を必死で聞こうとする。もう、何も聞き漏らしたくない。

かすかに聞こえた「好きだよ」という言葉。僕もすぐに、同じ言葉で返す。

彼女はうっすらと目を開け微かに笑った。でもその笑顔も、既に消えかけた蝋燭の明かりのように弱々しい。

やがて、少しずつ彼女の体から力が抜けていった。僕は座ったまま彼女を抱きとめるような形になり、そのまま黙って彼女の顔をじっと見つめ続ける。今目の前にいる彼女の姿形を、全て心の中に焼き付けておきたかった。

ゆっくりと僕の頬に彼女は自分の手を添えた…そしてそのまま彼女は目を閉じ、呼吸することを止め、この世界から旅立った。

僕の世界はそれと同時に、呼吸することを止めた。

僕はゆっくりと彼女から視線を外し、ただ真っ直ぐに前を見つめる。バスの窓より、前方に広がる漆黒の風景より、もっとはるか奥に確かに存在する何かをじっと睨みつける。

もしも世界を変えることができるなら、今僕達二人が流しているナミダを止めて下さい。僕はもう、それ以上何も望まない…

もしも世界を変えることができるなら。もしも世界を変えることができるなら…

彼女が死んでも、世界は何も変わらなかった。僕達二人のナミダは、いつまでも僕達二人を溺れさせていた。



※作者付記: もしも世界を変えることができるなら、今僕達二人が流しているナミダを止めて下さい。僕はもう、それ以上何も望まない…



エントリ8  壁の向こう     チョコチョコ♪


なぁ、どこを向いても行き止まりだったらどうする?
前も、左も、右も高くそびえ立つ壁でひたすら覆われていて。
ただひとつ壁が欠けた箇所が、振り返ったところだとしたら。
振り返った先には、今まで自分が地を踏みしめてつけてきたあしあとが
果てしなく長く続いているとしたら。
「自分の今まで生きてきた証」と言ってもいい、
そんなな道が後ろに延々と伸びているとしたら。
 
君は、戻る?
それとも、壁を突破して、また新たなあしあとを残してゆく?
 
 
いや、まだ、選択肢があるか。
 
 
そこでたたずんだまま、動かない、という選択肢が。
 
 
ああ、なんて、絶望的な選択肢だろう。
こんなことを思いつく自体、もう、僕は間違ってるんだろうな。
大半の人は、壁を突破すると言うだろう。
でも、僕には、そんなことできない。
どうやったら突破できるかわからないし、できっこないとしか思えない。
だからと言って、戻ろうとも思わない。
今までつけてきたあしあとを逆向きに辿っていくなんて、考えただけで気が遠くなる。
それじゃあ、何のために歩いてきたかわからないじゃないか。
来る日も来る日も、雨の降る日も、風の日も、足どりの重い日も、
前を向いて、足を下ろし、地を踏み、地を蹴り上げ、また足を下ろし……
そうやってここまで来たのに、そんな苦労の証を横目で見ながら、
逆走するなんて耐えられない。
途中まで戻れば、壁を突破する方法が見つかるかもしれないという人もいるだろう。
でも、僕には無理だ。1歩だって戻る気がしない。
 
なんて無気力な発言。
 
 
なぁ。どうすればいいのかなぁ。
もう、こっから動けないんだ。
前にも、左にも、右にも、そして、後ろにさえも。
 
なんで人間には差があるんだろうな。
もし僕が、生まれつき根性のある人間だったら、壁を突破する手段を考えただろう。
もし僕が、生まれつき冷静な人間だったら、いったん戻って手段を考えただろう。
でも、性格ばっかりは変えられない。
能力は努力次第でどうとでもなるけど、根性なんか生み出せない。
そもそも生み出そうという気が起こらない。
ほら、もう、すでに、無気力。
 
なんで僕は生まれつき無気力なんだろう。
こんなの、不公平じゃないか。
 
 
なぁ。どうしたらいい?
こんな無気力な僕。
君が聞けば呆れて物も言えなくなるような選択肢を思いつく僕は。
 
 
 
 
 
君が僕のために壁を壊しにきてくれるのを待つ、という選択肢を。







エントリ9  センジョウ     潤


人々の話し声と時々の怒鳴り声がスピーカーのボリュームをあげていく様に段々と耳を通して脳の中に入り込んできた。
そして意識を取り戻した。

目の前に飛び込んできた人間のカカト。砂埃。踏みつぶされた草。
『なぜここに?』と思うのに、もう何日間もここにいて見慣れた光景の様に体は自然と動く。
「起きたか。」
一人の男が俺の背後から話しかける。
「ひとり、地雷を踏んでやられた。」
男は煙草に火をつけた。
『そうか、ここは戦場か...』俺は辺りを見回した。
「気をつけろよ、相手は卑怯な手ばかり使って俺らを殺そうとする。まるで感情がないみたいだ。」
『殺す』。なんだか、ドキっとする。思い出したくない感じがする。
「おい、大丈夫か?冷や汗かいてるぞ。まさか、今になってびびってんじゃねぇだろうな。」
俺は初めてその男の顔をまじまじと見た。何も言葉がでてこない。
「わかってんだろうな。もう行くしかないこと。この凶器達を持った時点でもう俺らは自分を護るために命の重たさの感覚はなくさなきゃならねぇ。それが嫌なら死ぬまでだ。殺すには生半可な気持ちじゃいられねぇって分かってるだろ!」
男は血走った目で言った。
俺の冷や汗はどんどん吹き出して俺は首を横に振った。
「俺はやだ。殺すなんてできねぇよ!!」
俺が後ずさりしながらそう叫ぶと男はびっくりした顔で俺の肩を掴んできた。
「なにを言ってるんだよ、お前は昨日もう既に殺したじゃねぇか。」
俺の顔についた男のつばが冷たく感じて、そして俺の脳の中は白くなった。
「殺した?」
俺のその呟きは俺にしか聞こえなかった。
「殺しといて、今更逃げれねぇんだよ!もう自分を護るしか道はないんだよ!」
そして、俺は記憶を取り戻した。

シーツは汗で湿っていた。首も頭も汗だらけで、蝉の声でまた一汗かく。
あの夢の男は見覚えがある。むしろ、思い出さなくてはいけない。
俺は立ち上がってTシャツにジーパン姿に着替えて溶けてしまいそうな程熱い日差しの中に足を踏み入れた。
溶けてはいけない。
俺は自分のこれからの人生を護りに警察を向かうのであった。







エントリ10  魔法の鏡     千早丸


 僕は鏡だ。
 遊園地のアトラクションで、魔法の鏡をやっている。
 魔女に呪われた地下迷宮、魔女の隠し部屋の隅に僕がいる。
 通常コースではないが、情報通のお客様は僕を探し、高らかに呪文を唱える。
「アブデッピィ、お姫様になぁーれ!」

 僕は鏡だ。
 鏡のフリをしている、ディスプレイだ。

 言語を聞き取り、意味を解析し、許容誤差内の条件からランダムに映像を選び、お客様の体型に合わせて補正、投影する。
 もちろん僕はこんな難しい作業はしない。本体から送られたデータを間違いなく投影するのが僕の仕事だ。
 その難解な作業を終えると、お客様はとても喜んで、笑う。
 僕は笑顔を映す鏡だった。

   ◇

「アブデッピィ、美しい女王になれ!」
 その日も、お客様が僕の前で呪文を唱えた。
 本体は隠しマイクから音声をひろい、要望に沿った映像をシュミレートした。
 中世の長袖ドレスをお客様は気に入られたようだ。口元を歪め、笑みの表情へ変わる。鏡の中の映像もそれに追尾する。
 と、お客様が右手を上げる。袖のレースが翻り、次に、手はすごい勢いで落ちた。

 僕は鏡だ。
 叩けば壊れる。

 でも遊園地の備品は壊れぬよう、僕の表面は強化合成樹脂でコーティングされている。小さなお客様なら、叩いても大丈夫。
 しかし瞬間加重50kg以上は許容外で、樹脂にヒビが入り、下に貼られた膜状ディスプレイの極細配線が5214本接触不良となった。
 画面は約100平方センチメートルの範囲、お客様の顔右半分が歪んで表示されることになる。
 本体はダメージを感知し、管理センターへ故障の報告を行う。
 しかし、お客様はまだ笑っていた。
「そう、本当の私は醜い」
 音声は感知するが、キーワードの呪文がないので、僕には意味が分からない。
「アブデッピィ、醜い魔女になれ!」
 この呪文は即座に実行された。この地下迷宮の悪役である老婆の魔女を表示するだけ。後はお客様の動きに合わせてアニメを操作する、簡単な作業だ。
 しかし、今度はお客様は笑わなかった。
「これは私じゃない。もっと醜い!」
 また叩かれる。二度、三度まで合成樹脂は耐え、四度目に壊れた。樹脂はガラスに近く作られており、ガラスのように割れた。条件悪くディスプレイの配線もショートし、通電したお客様の手が焼ける。
 僕の前で転げまわるお客様を、歪んだ画面なりに、正確に表示した。

 僕は鏡だ。
 データを投影するのが僕の仕事だ。


終わり







エントリ11  続 裸の王様     hyd


あまりの恥ずかしさに走ってお城へ逃げ込んで以来、気のいい王様はすっかり変わってしまいました。汚い奴らを皆殺しにしようと・・・そう考えたのです。
まず、諸悪の根源である仕立て屋たちを呼びつけました。そんな中で、ニコニコしながらやってきた仕立て屋はすぐに殺しました。―――おべっか使いだからです。だってあの仕立て屋も・・・いつも笑っていましたから。ただ、そうじゃないのも殺しました。だって馬鹿にしてるじゃないですか、王様の前だというのに! そうゆう風にして次々に街の人たちを呼び始めたものですから、街の人たちは大慌てで逃げ始めました。1年もしないうちに街は空っぽです。ただ、王様はそれでも満足せず、お城の中に住んでいた人たちまで「確かめてみた」ものですから、お城の中もすぐ・・・。

こうして、今では街もお城も空っぽです。王様以外は誰もいません。―――やっとキレイになった―――最初のうちは王様も満足していたのですが、そのうち、とっても大切なことに気付きました。こんなにたくさんの人を殺してしまった自分もキタナイのです。 そこで王様は、高い高い城壁の上から飛び降りて死ぬことにしました。ただ、城壁の上へ行くには見張り塔を登るのですが、その塔に登ってみてビックリ! あれだけ賑やかだった街がすっかり荒れ果てていて、本当に誰もいないのです。王様はすっかり怖くなりました。それ所か、城壁の上に登ってみてもっとビックリ! だって・・・すっごく高くて、落ちたら本当に死んじゃいそうだったんですもの。
―――殺したのはキタナイ奴だけだから・・・ワシはキレイかもしれん。

そんなこんなで、王様は毎日、城壁の上をウロウロしながら暮らしていました。そんなある日、王様が城壁の上から街の方を見ていると、遠くの方に人影を見つけました―――見つけたような気がしたのです。王様はすっかり嬉しくなって、あいつは許してやろうと思いました。そしてウッカリ、足を踏み出してしまったのです! 王様は涙みたいに、真っ逆さまに下へ落ちて死んでしまいました。しばらくしてそのことを知った街の人たちは、大喜びしながら街へ戻ってきたそうです。







エントリ12  「好きだよ」     高梠 リョウコ


 蝶々が逝った。
 夏の日に捕えて、黄色い虫かごに入れて愛でていた蝶々が、逝ってしまった。
 あたしを置いて逝ってしまったの。
「リン」
名前をつけて閉じ込めて、そうしてあたしの所有物にして、あたしはとても満足していた。
 夏の日に、虫捕り網と黄色いかごを持って草原に行き、あたしは三匹の蝶々を捕まえた。
 白と黒のアゲハ蝶で、三匹はお互いの居場所を探るようにバラバラに留まり、儚い体を微かに揺らしている。
 あたしは一番のお気に入りを残して、二匹を逃した。
 残り一匹になったとたん、優雅とは言えないけれど綺麗な羽根を揺らしながら、自分の居場所だとばかりにかごの中に浮かんでいる。
 それを見た瞬間、あたしの胸が痛いくらい竦んだ。
 心臓が鷲掴みにされて、背筋がゾクッてした。

「リンはあたしが好き?」
あたしはいつも、リンを窓辺に置いて飽く事を知らず眺めていた。
リンは話し掛けると、狭いかごの中で上手に羽根を揺らして揺らめいている。
「あたしはリンが好きよ」
リンはいつも儚げに飛んでいる。
狭い黄色いかごの世界から、窓の外の世界を眺めているような、憧れているようなその飛び方が、あたしは狂おしいほど好きだった。

 人が、可哀想だから放してあげなよなんて言う。
 でも、あんたがリンの何を知ってるって言うの?
 リンの声が聞こえるって言うの。何も知らないくせに勝手なこと言っている。

 リンを見つめているとたまに、涙が出る。
それもぽろぽろとかいう可愛らしい擬音がついた涙じゃない。
すっと音もなく地面に吸い込まれていくような、そんな痛い……涙。
「リン、あたしは酷いかな……」
今もそんな音のない涙が伝って落ちる。
 リンが逝ってしまった、あたしを残して。
 あたしのこの涙は、哀しみの涙だろう懺悔の涙だろう、あのねリン。あたしはあんたに『自分よりマシ』を見てた。
 狭い黄色いかごの中を、儚く羽根を揺らめかせて飛ぶリンに、狭い自由しか無いリンに、あああたしはリンよりマシだ、リンより広い自由があるって……。
 そう、時には恍惚さえ感じてた。
 リンを見て、安心していた。
でも、あたしだって知っていた……。リンの声はあたしにも聞こえないってこと。
 リンの、今は抜け殻である綺麗な羽根がかごの底で風とあたしの息に揺らめいている。
「あたしのこと好き?」
空しいだけのその問いに、けれど。
羽根がまるで飛ぶように舞ったから、あたしはぽろぽろと涙をこぼした。







エントリ13  ミルクお団子と、強烈な形而上学的イデア論のこれから     煮込みきゅうり


もうダメだ。。

あるアパートの薄暗い一室に男が一人
ついてない人生だった

思えば今まで生きてきて、いいことなんて一つもなかった。

一人っ子だったため両親に甘やかされ、
小中学校では常にイジメの対象だった。
成績も決していいほうではなく、大学に入ったのは5浪してから。
なんとかなるさ
風采もあまりパッとせず、何回か好きな年頃の女の子に告白したことがあるが、一回も成功したことがない
「いい人なんだけど・・・友達でいましょうよ」
大学は一応卒業できたものの就職をする気が起きず、
4、5年ブラブラしているうちに両親が死んでしまった。
結構ため込んでいたらしく、まとまった金が手に入ってしまう

「企業に勤めるなんて、馬鹿らしい。一つ、会社をおこしてみるか」

ラジオ付き歯ブラシを開発、販売会社を設立するが初日から赤字続き
たちまち資金が焦げ付き
紹介された金融会社はたちの悪い悪徳業者
借金は雪だるま式に増えていく一方。
運悪く、泥棒に入られてまとまった手持ちの金は全て盗まれ
どうしていいのかわからず車で遠くに逃げようとしたら、
前方不注意で接触事故を起こしてしまい車は大破、借金が増える増える

「なんてことだ」
両親はすでに死んでおらず、これといった友人もいない
電気水道はとうの昔に止められて、家には債権者が待ち構えている
夜逃げをしようにも、車もないし
借金を返すにも金額が大きすぎる。0がいくつあることやら
もともと働くのが嫌いで面倒臭がりな性格である
働いて返すなんて、とんでもない

「このままいやな思いをするよりも、いっそ死んでしまったほうが。。悩み続けていたんじゃ腹も減る」

やがて男は行動に出る。
睡眠薬を大量に買って帰る
「誰にも迷惑をかけないで死ねるんじゃないか」

遺書を書こうとしたが、特に見せる相手もおらず、書く内容もこれと言って思いつかない。

「せめて借金取りにざまぁみろだ」
恐怖はなかった。ただ、すべてがどうでもよい
睡眠薬を2瓶、3回に分けてググっと一気に飲み込む
何も思い残すものがない
洗濯物が外ではためいている、いつもと同じ日常
睡眠薬だから、死ぬのには時間がかかる
テレビでも見ながら死ぬか
夕方の気だるい番組、、

眠くなってきた。薬が効き始めたのか・・・

番組が変わる。

「RORO一等宝くじの発表です!今回の賞金はなんと、つもりつもって20億8000万円!!当選番号はjcs87652。当選の方は・・・・」

財布の中を見る
この前買った宝くじ
番号はjcs8752
薄れ行く意識の中
声を出そうとしたが、、しびれて声も出ない
ちきしょう、なんてついてない人生なんだ







エントリ14  おもひでや     薄め火


いつ間違えたのだろう。何か特別な能力を持っていることもなく、普通に働いて、汗水流して、25歳にもなって未だに結婚もせず…

何度もため息が出た。
「嫌になってきたな」私はそう思った。全てが嫌なのだ。この人生の全てが。
そんなときだった。私があのチラシに出会ったのは。
「おもひでや?」
何だそれは?いい思い出をもらえるらしい。そのチラシを読んでいるうちに、私は試してみたくなった。

次の日、その店に行ってみた。店内は意外と空いていた。人気がないのだろうかと思った。
「どの思い出になさいます?」ドクターと名乗る人物が尋ねる。よくわからないのでお試しコースを選んだ。それはそれでいい思い出だった。少しばかり金持ちで、家族もいる。幸せだ…と、そこから思い出がない。お試しだからだろうか。私は10日コースの中の一つを買うことにした。お試しより断然いい。思い出に浸っているとドクターがやってきた。
「では、約束ですので、料金を」
この店では、料金として買う思い出の日数と同じ日数の自分の思い出を提供しなければならないらしい。しかしそんなことは気にはならなかった。どうせつまらない思い出だ。
何度も何度も店に行った。
そうして、いつしかその店の常連になっていた。もう49個の思い出を手に入れた。記念すべき50個目は20年という高いやつを買うつもりだ。
「後悔しませんね?」
いまさら後悔などしない。楽しくてしょうがない。この頃会社にも行っていないが、これには金は要らない。自分の思い出だけでいい。
そして手に入れた。5歳から今日までの思い出と引き換えに20年間の億万長者の思い出を!
もともと住んでいたマンションの住所や部屋の番号や位置は、もう覚えていない。換わりに宮殿のような豪邸を覚えている。
思い出の通り家に向かう。
私には全てがある!!
家に着いた私は愕然とした。広大な土地の真ん中に看板があり、その看板に大きく「空き地」と書いてある。ここは5年前から空き地だったようだ。
思い出をもどしてもらうため、店に戻ろうとして立ち止まる。覚えていない。20年間の思い出と共に、店の思い出も売ってしまったらしい。
その夜、男の叫び声が空き地にむなしく響きわたった







エントリ15  汚職についての私の仮説     ヘビトンボ


 土曜日、彩に呼び出されて喫茶店に行くと疲労困憊した顔の彩がいた。
 「どうしたそんな顔して? 仕事忙しいのか?」
 彩は大物政治家の秘書をしている。その所為で俺ともたまにしか会えない。
 「ああ、巧、来てくれたのね・・・」
 「そりゃ来るだろうがよ」
 彩は声もまるでゾンビになりそうな人のようだった。
 「で、どうしたよ?」
 「実はね、相談があるの」
 「ん、何だ?」
 「あたしね・・・・・・汚職の手引きをさせられてるの・・・」
 ブヒュ。俺はコーヒーを毒霧のように空中に散布した。
 「ごほっ、けほっ」
 「大丈夫?」
 「あ、ああ、大丈夫。・・・その話本当か?」
 「ええ、でもあたし決めたわ。あいつの弱みを握ったの。それで交渉してこの仕事辞めるわ」
 一瞬だけ彩の目に生気が戻った。
 「弱み?」
 「そう、弱みよ。実はあいつは、いえ、全ての汚職政治家は・・・・・・カネゴンだったのよ!」
 時が止まった。不変なものなど存在しないというがその瞬間確かに喫茶店内は時を止めた。
 「カネゴンて・・・円谷プロの?」
 「知ってるみたいね。なら話が早いわ、明日あいつをここに呼び出そうと思ってるの。巧にお願いなんだけどあたしだけじゃ不安だからあなたも来てくれない?」
 「彩・・・本気で言ってるんだよな?」
 「本気よ! この目で見たんだから間違いないわ」
 「分かった。俺も時間をつくっておく。何時だ?」
 「午後二時よ。あ、でも巧は一時には来て。打ち合わせとかするから」
 「おう」
 もう好きにさせておいたほうが良いだろう。

 
 深夜。彩の勤めている事務所に来ていた。この事務所はここの政治家の自宅と兼用になっている。俺は自宅の方へ呼び鈴を鳴らさずに入る。・・・窓ガラスにガムテープを張ってから割って入った。
 「何か用かね?」
 !! 室内に足を踏み入れた瞬間照明がつけられた。目の前には一人の老人がいる。
 「おおかた柳沢の事務所の刺客だろうが残念だったな」
 老人、大物政治家、大野大吾朗の姿が歪んでいく。
 「ただの人間にわしをどうにかできると思うな。ふはははははは・・・」
 もう大野大吾朗は人間の形をしていない。金色に輝く体、カタツムリのような目、そして大きな口。カネゴンの姿だ。
 「わしの邪魔はさせんぞ人間。・・・死ね」
 都会の一軒家に断末魔の悲鳴が響いた。


 俺は夜明けの日を浴びて公園で缶コーヒーを飲んでいた。仲間に定時連絡をいれようと通信機を取り出して通話ボタンを押す。
 「フォ、フォッフォフォフォ」
 朝日に長く伸びた俺の影が大きなハサミを持った宇宙人の姿を映し出したのに気付き、慌てて日陰に走った。







エントリ16  色彩     忠 美希生 


 いつもと同じ帰り道。
 日々変化して行く街並みをさっそうと駆け抜ける人の群、その一つ一つが皆違っていて、今までにきっと何十何百というそれとすれ違っているだろうに。
私には、総てを見分けることが出来ない。
ただ一つ、私の求める姿はただ一つでいいのだから。
 ふと、大通りを挟んで向かい側の歩道を行く一つの人影が目に入った。
「…待って、待って!」
私はとっさにその人を追いかけて、車道へと飛び出した。
 ただ眩しかったことを覚えている。
薄れ行く意識の中で、私を囲む野次馬の本当に馬とも見えるような面々の中から、私の追い求めた容貌を必死で探したのだ。
そうしてやっと見つけたそれは、全くの別人であった。
私の視界を、完全な闇が覆い尽くした。

 気がつくと、どことも分からぬ樹海の底で眠っていたようだった。
周囲には、ただうっそうとした木々が永遠と続くように思われた。
朝とも夜とも分からない、霧が薄暗く妖しげにたちこめているところを、私は目印も定められぬまま、ひたすら歩いた。
 それから何時間、あるいは何日が経ったのかも分からない。
けれど、私の中に始終在り続けるのは、彼の人の微笑みと真っ直ぐな瞳だけだった。
会いたい、例えあなたが天国に昇ろうと地獄に堕ちようと、あなたにもう一度会えたなら、私はきっと希望という光を取り戻すことが出来る。
 私がいつの間にか足を休めてたたずんでいると、側には一人の老人が座り込み、怪訝そうに私を見上げて溜め息を一つついた。
「お前さんは、目が見えんのけ?」
えらくしわがれた声で、ぽそりと私に訊ねた…いや、独り言だったのかもしれない。
よくよく見ると、老人は足が無かった。
といっても、幽霊の類のようにぼやけているのではなく、まるで切り取られたかのように膝から下がもののみごとに失われていた。
その他にはこれといって特徴もなく、ただ、見下ろしているせいかやけに小さく見えた。
「…何でぇじろじろ見やがって、ちゃんと見えてるんでねぇか。そんなに便利なもん、何で使おうとしねぇんだか。」
老人は言いたいことだけを言うと、さっさと茂みの奥へ消えていった。
 その言葉を奥歯と奥歯で噛みしめたとたん、この世界は色を変えた。
気の一本一本が、葉の一枚一枚が、樹木の一皮が、土が空が霧が、総て異色を放っているように見えた。
「…分かる、分かる分かる分かる!こっちよ、こっちに行けば出られる!」
それからは無意識に、けれど確実に、私は進むことが出来た。
そのうちに、以前にも見たような眩しさに辺りが埋め尽くされた。

「…子、加奈子!気がついた!あなた、先生を呼んで!」
体中が急に痛み出した。
どうやらここは、病室のようだ。
側では母が私の顔をのぞき込みながら、自問自答を繰り返している。
「お母さん、私もうくよくよしないよ。慎司さんが死んだことも、ちゃんと受け入れて生きて行く。私もう、色が見えるのよ。」
微笑むと、私は静かに眠りに堕ちていった。
窓辺には、花瓶の中の一輪の花が枯れていた。 







エントリ17  青いそら     BER


告された


時間はあと2時間だった

テレビから告げられたそんな残り時間を 誰もが本気にしていなかった。

友達の家で何かを待っていた。

時間が過ぎるごとに 騒然としてきた

告げられた時間まであと1時間だ


「なぁ・・・本当にあいつら やると思う?」

「やるんだろうな。アメリカだし。てかもう発射されてて到着待ちみたいよ」

「ひでーなぁ。なんでこんなに仲悪くなったんだろ。2次大戦の時でさえここまでしなかったぜ?」

「しらん。」

「で、お前どうする?」

「俺、あと1時間だし・・もうここにいようかな。」

「そっか。俺どうしよっかなー。こういう時シェルター持ってる友達いればラッキーなのにな。」

「お前、恵(めぐみ)ちゃんは?」
「わかんない・・・。帰ってこないんだよ。」

「うわー。お前探しにいけよ。最後なんだし。」

「最後とか言うなよ。でもあいつどこいったんだろうな・・」

「携帯ならしてみた?」

「鳴らしたけど、電源入ってないっぽいんだよ。」

「いけ。探しにいけ。」

「一緒にきてよ。」

「しかたねぇなぁ。」


残り時間があと40分しかない 今さらになって紹介するのもなんだが、こいつは俺の10年来の親友。
大学に同期で入り、そのまま同じ建設会社に就職までしてしまった。
一緒にバカができる親友だ。

「お前、プレステ2持ってく?」

「んー、いらん。」

「けど、たぶんもうこの家には戻ってこれんよ?」

「あ、そだ。一応小銭だけはもっていっとこ。」

「なんで?」

「喉かわいたら 大変じゃん。」

「そうか(笑)」


二人でおもてに飛び出した

予告された時間まで あと10分ちょっとだった

街中に サイレンのような大きな音が鳴り響いている。

「なぁ、この町、空襲警報とか鳴らす事できたんだな。」

「ちょっと驚きだよね。」


外はサイレンの音以外は静かだった。
サイレンなんて鳴らされてもどうしようもないんだがな。
全力でどこかに走っていったり、すごい荷物を抱えてあてもなくさまよったりしている人がいた。

「なぁ。最後ってこんなもんなんかな。」

「しらん。」

「ほんとに最後なのかな・・・」

「しかし、いねぇなぁ。恵ちゃん・・・ 」

「うん・・・」

俺は財布の中にはいっている恵の写真を取り出し、初めて見るように見た。
婚約が決まっている。3日後には引越しも決まっている。

「あ、自動販売機だ。俺ちょとコーラ買って来る。お前なんかいる?」

「ポカリでいいよ。」

「いまどきポカリなんてうってねーよ」

次の注文を待たずに、あいつは 向こうにある 販売機に走っていった。

予告の時間まであと2分だ。

もうあいつが買ってきてくれるジュースも飲めないかもしれない。

「いて!!」

「あはは。なんでコケてるんだよ。」

「やべ、お金落ちたー!」

「はやくしろよー。タイムリミットあと1分」

「まじ?くそ。」






空を見上げたら



空を見上げたら


 すっごい綺麗な青い空に


ひときわ大きな 飛行機雲



甲高い音と共にそれが近づいてくる










「あれか。」

ガチャン!

あいつがジュースを買っている音。

サイレンの音

ロケットが近づいてくる音。

俺が聞く最後の音


もう一回電話してみよう





コールが鳴る前に 恵の声が聞こえてきた

”しょ、、、しょうちゃん!?どこ!?どこにおるん!?”

「あ、めぐみー。よかったー」

”うん。よかった。”

「じゃ、またあとでな」

”会えるよね。”

「あたりまえ。だって婚約してるもん」

恵の最後の返事を聞く前に

光があたりをつつんだ

あいつは 1本のコーラと 

もう1本 ポカリスエットを持ってこっちに走ってくるところだった

「なんだよ・・・あったんじゃん。」







エントリ18  冷えたマグマ     偽悟空


 ここは地底の奥深く。あたりは赤いマグマが気泡を生み出しブクブクと沸騰している。そこにはひとつのフィールドがあった。長方形のそれの両脇の崖にはバスケットゴールが2つ。肉眼では確認しづらいところにそれはあった。目の前には3人の黒人選手。三人とも190cm以上あるだろうか、腕を組みこちら側を見下していた。僕には仲間がいた。極地修行僧だろうか。背は僕より頭一個分高く、このくそ暑い場所にもかかわらず真っ黒なロングコートを2重に着ていて悪役レスラーばりのニットマスクをしている。この暑さである、あと数分でご臨終であろう。もう一人はヒヨコだ。いや、違った。ヒヨコの底辺からすらっと長い足が2本。かなりの美脚だ。足のモデルでもやってるのであろうその人は足にバッシュを素足で履いていた。ヒヨコは言う。
 「ようし!!やってやろうゼ!」
そう・・・僕達は勝たねばならない。絶対に勝たねばという気持ちが胸の中から沸々と湧き出していた。僕は堪えきれず、
 「早く試合を始めましょう!」
黒人選手を急いた。早くしなければ修行僧の体も持ちそうにない。すると黒人の一人が僕にボールを渡す。
 「先行はそっちだ。」
僕はボールを受け取る。と同時にいきなり切り込んだ!奇襲!先制攻撃!
なにがなんでも勝ちたいという気持ちが僕を駆り立てた。だが黒人達は動じず低い構えで行く手を阻む。
 「こっち!!」
僕は声に反応し、すかさずパスを送る。だが敵の一人はそれを読んでいたらしくパスカット!すぐさま速攻。敵の一人はすでに駆け出していてそいつの
上空にロングパス!そいつはもの凄い跳躍で崖のゴールにボール叩き込んだ!勝てるわけない・・・自分の中の理性が沸々と燃え上がるマグマのような心をあっさりと岩石に変えた。勝てるわけない。ゴール高すぎ・・・あんなの誰も届くわけねーし。
 「おいおい、もう諦めムードかい」
瀕死の修行僧は皮肉混じりに口の端を吊り上げ笑う。
 「いまさらそんなこというのは遅すぎじゃないのか?やるまえから分かってたくせによ」
 「中途半端が一番悪いゼ。始めちまった以上、最後まで終わらしてみろよ」
 僕はハッと我に返る。僕はボールをファアル気味で強引に奪い取り黒人3人を強引に抜き去る。目の前には巨大な崖。
 (どうする?どうする?ドウスレバイイノダ?!)
僕は、ゴールを見上げると天高くヒヨコが舞い上がっていた。







エントリ19  ぬる靴     草見沢繁


 ぬるま湯、東奔西走。
 そんな言葉がぐるぐる、あたしの頭ん中を巡ってめんどくさい。
 シューズショップでスニーカーを選ぶ。履き古したハイカットのコンバース、擦り切れたカカトに店員の視線を感じる。好きで履いてんだからね、と声なき声。
 スニーカーすか?
 と声をかけてくる店員、そんな余裕があるんだったらホラ、カップルでミュール物色して店の雰囲気をさくらんぼ色に染めてるあいつらを何とかしろよ。
 しかしショセン声なき声。金髪アタマの店員は、自分の顔に張り付かせた笑みに無頓着。最近入荷したんすよコレ、アメリカのスポーツブランドなんですけどすごいカジュアルでおもろいんすよーと、しつこい。
 大してカッコよくもない、履きこなすのが難しそうなスニーカーを選んで眼前に突き出す。
 東奔西走。
 へーそうなんですかー。
 眼球をぐるぐる動かして、何とか金髪店員の追撃をかわす。視界の端っこでさくらんぼ、カップルは別の店員と談笑している。カップルの肩と肩が触れ合っている。
 甘酸っぱい木の実はシャットアウト。ハイカットのカカトを気づかって、とんとんと鳴らしてみる。まだ鳴る。って、だからなんだ。
 結構履きこんでますねそのコンバース。金髪店員がにやにやしながら言った。
 ああまあ。買ったの去年なんですけどね。
 ぼんやり流す。
 へええ、お気に入りなんですか? と店員の追撃、めんどくさい。
 ですねーもらいもんなんで、割と履いてますねー。
 事実と虚構の区別なんてつくまい、初対面の店員には。油断してしゃべった。
 まあミツギモノっていうか、そういう感じのモノなんでー。
 ぺらぺら言うと、店員は乾いた声で笑って、言った。
 愛されてたんすねー。
 「アイサレテタンスネー」
 ぬるま湯。
 何も知らないはずの、ただのシューズショップの店員の目に、浴槽に浮かぶ全裸のあたしが映った。
 ぬるま湯。湯気もたたない、本当は冷たいのかもしれない液体にたゆたう、あたし。
 体感温度なんて言葉は信じない。あなたにとっては冷水、あたしには適温。間をとってぬるま湯。気付いて東奔西走。
 店員は笑いながら。
 まあでも、お客さん細身だし、ミュールとかも似合いそうですけどね。
 初対面の男に言われた。顔知り合って二年の男にも言われた。
 「お前、スニーカーとかじゃなくてもっと軽いのが似合うよ」
 熱湯、気付いたらぬるま湯。
 あたしは店員に背を向けて店を出た。東奔西走。







エントリ20  愛の母子像     古月沙南


 赤く燃える海その海をみてわたしはあの事故をおもいだした。あれは二年前の春。

その日は友達の悦子もきて子供たちもじょうきげんだった。
「ママおやつまだあ?」
 お昼を食べたばかりなのに雄介が叫ぶ。
「もう食いしんぼうねえ。さっきお昼食べたでしょう。」
 おでこをこずくとヘヘヘと笑った。
「はやくゼリーが食べたいんだよねえ。」
 悦子が言うとはずかしそうに私の後ろに隠れた。
「まっアハハハ。」
悦子の明るい笑い声と子供たちの笑い声その幸せがつづくとおもっていた。
 
遊びつかれたのか、下の康江は眠そうになってきた。
「そろそろヤックンお昼寝の時間ね。」
 悦子の言葉に雄介もおとなしくなった。
「さっユウボウおばさんと一緒にテレビでもみよう。」
『ヤックンはお昼寝しましょうね。」
 そのときだ飛行機のばくおんがひびいた。これはいつものことだ。我が家のある横浜は横須賀に近い、そのせいかよく米軍の飛行機がとおる。
「ねえきょうなんかへんよ。」
「なにが?」
「音が近くない?」
「そういえばそうねえ。」
 
 ヤックンも寝たので私は小説を書こうと自分の部屋にいったそのしゅんかん家がゆれた!机が倒れてきてわたしの足の上にのった!私はひっしに足をひっこぬき子供のいる部屋にむかった。そのしゅんかん!バリバリバリ!ものすごい音がした!そしてあたりいちめん火の海になった。
「良江だいじょうぶ?」
 悦子がかけよる。逃げても逃げても火の海!髪が焼ける音。肌が焼かれるかんしょく。
「ウウ――――」
「しっ・かりして!」
しゃがみこんだ私を悦子がささえる。ドーン!ものすごい爆発音と同時に体が宙をまった―。
きがつくとわたしは道ばたにたおれていた。体中が痛い!あっ向こうからトラックが来る!私はよろよろとそこに歩いていった。
「助けて―――」
 それが私の最後の言葉だ。

そのあとはきがつくとくと病院だった。
「良江!」
 目を覚ますと香司の心配そうな顔があった。
「やっくんは?ゆうぼうは?」
「二人は自衛隊病院に運ばれたよ。」
 そういえばうっすらと車のなかにいた記憶がある。
「ごめんな!ごめんな!昨日おまえがつらい目にあってたのに僕は――」
 わたしはなんてこたえていいのかわからなかった。そして自分が丸一日、意識がもうろうとしてたことをしった。

香司は今朝ここにきたのだ。
ここにくるまえに自衛隊病院にいた。

『ワーン!痛いよう!この縄とってよう!』
『やっくんがまんして。動くと傷に悪いのよ。』
 実家からかけつけた母が一生懸命慰める声、子供たちの泣き声―――――香司はつらかった。
何時間たっただろう?
いつのまにか寝てしまったらしい時計を見ると深夜だった。
『パパ、ママ―――』
『バアイ。』
 やっくんがそうつぶやいた。
『康江!』
 香司の叫びはむなしくやっくんは息をひきとった。
『ゆうぼうがなんかいってる!』
 母の声でそばにいくと
『ポッポーハトポッポー――』
 それを聴いた瞬間、香司の目から涙があふれた。それは香司がフロでおしえたものだったのだ!あつくて嫌がっても無理やりつかった。それからゆうぼうのお気に入りになったいた。
『ポッポポー――』
 二回目のハトポッポーを最後にユウボウもいきをひきとった。

香司は迷った言おうかどうしようか。しかし医者に止められたことを思い出したので高ぶる気持ちをおさえた。
「二人とも無事なの?」
 私の言葉にうなずき彼は何か言いたげな目で私をみていた。
「医者のとこいってくるよ。」
 そういって彼は病室をでていった。
そしてそれから数ヵ月後、私は皮膚移植をうけた。手術は成功して私は元旦には家
に一回もどることができた。家に帰ってから子供たちがいないことにきずいた!
香司は実家にいるといっていた。
 病院にもどってから真実をしった。そうあの事故で助かったのは私ひとりだということを――。
 
私が退院してしばらくしてから裁判が行われた。そして私は事故を起こしたアメリカ兵をはじめてみた。被害者の遺族の必死なうったえもむなしく裁判はアメリカ兵がわの勝利となった。
 あんたたちにはわかんないの?子供をうしなった私のきもち!鬼よ!あんたは鬼よ!
私は心のなかでさけびつづけた。
涙があとからあとから流れた。涙の止まらない私の肩をだんなはやさしく包んでくれた。
 
あれからもう二年。香司は裁判に負けた日からかわった。帰りは毎日おそく
そしてたまに彼から女のにおいがするのだった。
 もう私は生きるきりょくがない――――。そう私は死にに来たのだこの海に!
さよなら。涙がほほをつたっていく。私はそれをふりきり海に飛び込んだ。
そして良江はなくなった。


おひまい



※作者付記:  初です。私の中学後半の作品です。実話をもとにして書きました。



エントリ21  女神さま     坂井徳久


「じゃあ、明日はよろしくお願いします」
「うん、任せておいて」
電話を切るとそうそうに僕はベッドに入った。
・・・・寝られない、やはり明日の事を考えると興奮してしまう。
電話の相手は、水島はるかさん。会社の先輩で良き相談相手であり
入社した時からの憧れの人で僕の女神様的存在だ。
はるかさんと何を話したかというと好きな人にプレゼントを
あげたいがセンスがないと相談したところ、プレゼントを
選んであげると半ば強引に買い物の約束をさせられてしまったのだ。

「おはようございます」
「おはよう!竜也くん会社じゃないんだから敬語はやめてよね」
「すいません・・・じゃなくてゴメン」
「そうそう、その調子!じゃあ、買い物行こうよ」
僕たちは予定していた店に向かうことにした。
店に着き店内を見回すと、ところかまわずアクセサリーが陳列していた。
「これなんか、いいんじゃない?」
と、はるかさんが聞いてきた。
はるかさんが手にしている物を見て僕は目を疑った。
「それは、ちょっと0の数が多い気が・・・」
「そうだよね!?」
笑いを必死に堪えるはるかさんがそこにいた。
いたずら好きの子猫のように僕をからかって楽しんでいる様だった。
やっぱり、はるかさんはかわいいなと彼女の顔を眺めていると
「何?」
僕は慌てて、こう切り出した。
「自信ないんだけど、ずっとこの指輪がいいなと思っていたんです」
どれどれと、はるかさんがショウケースを覗き込む。
「かわいい!センスいいじゃないもっとひどいかと思ってた。じゃあ、それに決まり!」
あっさりと買い物を終え、僕たちは少し早い夕食をとることにした。
たわいもない事を話したり上司の愚痴などを話したり、楽しい時間を過ごした。

「じゃあ、竜也くんがんばってね」
食事のあと、家まで送ってきた僕をはるかさんは笑顔で激励する。
ここしかないと心に決め僕は口を開いた。
「はるかさん、これを受け取ってください」
「うそ!?冗談でしょ?」
「本気です!!ずっと前から好きでした」
僕は正直後悔していた。今までのまま先輩と後輩の関係の方が良かったのではと・・・
どの位の時が過ぎただろうか。
「ありがとう。すごく嬉しい。でもゴメンね・・・私も好きな人がいるから」
「はい、すいません」
「こら!だから敬語はダメ!!」
はるかさんが、ニコッと笑うのを見て僕もつられて笑ってしまった。
最後まで押されっぱなしで終わったが、はるかさんが僕の女神様なのは
しばらく変わりそうにない。







エントリ22  あいつと俺と、ファウストと     舞都柚那


 人通りの少ない街路樹の並木道に差し掛かった辺りで、男はふと歩みをとめた。何処からか子供の泣き声が聞こえてきたのだ。
(迷子か?)
 首を捻るが『ご馳走作ってるから早く帰ってきてね』と奥さんに言われていたことを思い出し、慌てて歩き出す。
 足を踏み出す度に、内緒で買ったルビーの指輪の箱が鞄の中で音を立てた。
 ダイヤかルビーか迷っていたせいで少し遅くなってしまった。悪いが今日だけは構っていられない、急いで帰らなくては。
 しかしそんな彼の決意もすぐに揺るがされることとなる。
 並木道を左折した所――さらに人気のない街路樹通りにその子供は居た。
 五、六歳と思われる男の子は、まるで物語の中の魔法使いのような奇妙な出で立ちで――黒いマントを羽織って泣いていた。
 その子供の周辺を見回して男は、ははあと唸る。
 隣にそびえる大木の枝に、彼の物と思しき帽子がちょこんと引っ掛かっていた。
 風に飛ばされてしまったのだろう。無視をするのも決まり悪く、というより少し可哀想になってきて、男は彼に近付き人の良い笑みを浮かべた。
「大丈夫、取ってあげるから」
 泣きやみ、目を丸くして男を見上げる子供。
 幸い、男の身長でも十分に届く所に帽子はあった。
「良かったな」
 笑いかけながら鞄を足元に置くと、少しだけ背伸びをして帽子に手をかける。
 右手の親指と人差し指で挿むようにして帽子を持ち、
「さ、早くお家へ、」
 言いながら振り返った――先に、子供は居なかった。
 そしていつの間にか、足元に置いたはずの鞄まで――



 少し離れた辺りまで全速力で走ってあの男が追いついてきていないのを確認すると、俺は安堵の息と共に真っ黒のダサいマントをとった。
 風にマントがはためく。
 誰かがこの光景を見ていたら、あっと驚くことだろう。
 次の瞬間そこに居るのは小さな子供ではない。十七歳の少年――つまり俺だった。
「お疲れ」
 塀の陰から全部見ていた彼女が俺を労う。
「上達したじゃない」
「あまり嬉しい台詞じゃねぇな」
 あの男の鞄を彼女に渡しながら、前回も前々回も、そしてそのまた前の回も言った言葉をかける。
「なぁ、もう終わりにしないか?」
 しかしその台詞にも彼女は表情一つ変えることなく、むしろ楽しそうに鞄の中から出て来たルビーの指輪を左の中指にはめて、
「何で? 元からこういう取引きだったでしょ?」
 ニヤリと笑う彼女はまるで悪魔のようだった。
 ――いや、この言い方はおかしい。俺にとっての悪魔には違いないのだから。
 ゲーテの『ファウスト』という話を知っているだろうか? 地獄の悪魔の王子と自分の命と引き換えに望む物を手に入れたファウストという男の話を。
 それと一緒。
 俺はこいつの愛を手に入れたくってこいつに誓った。
『一生俺と一緒に居てくれるなら何でもする』と。
 本当に、彼女の為ならどんなに辛い仕事だってするつもりだった。
 唯一の誤算は彼女が魔術師だった所だ。しかも俺はその時まで知らなかったのだ。もちろん比喩ではなく本物の。
 俺は全て彼女のシナリオ通りにやっているだけに過ぎない。帽子を上手い所に引っ掛けるのも彼女。子供の姿の方がやりやすいと言ったのも彼女。
 だが、他人の鞄や金目になりそうな物を奪ってくるのは全て俺の役割だ。
 悪魔は毎回俺に金を奪わせ、そして別段使う様子も見せずに俺に次のシナリオを手渡す。
『約束でしょ?』と笑って。
 そう言いながらも彼女は俺を愛してくれている。だから俺も代償を支払わなくてはならない。
 そんな気持ちがあるから、いつも黒の魔法のマントを羽織ってしまう。
 そしてその行為は、毎回俺の良心という物を傷付けてゆく。
 死ぬまでの契約。だが死んでも終わりは来ない。
 死したファウストは地獄の悪魔に命を奪われることなく神に救われ天へ昇るのに、俺の場合は今度こそ本物の悪魔――閻魔王に裁かれる運命しか待ち受けていないのだから。
 希望はない。ただ繰り返す。

 彼女に軽く押された背中に硬い感触。
 振り返らなくても分かる。
 赤く光るルビーは、破滅の色に見えて――







エントリ23  ワン・モア・ヒール     馬木部 遊


 そろそろ冬が気配を忍ばせてきた10月の終わりの朝、僕は「足」に出会った。「足」は僕のアパートの最寄のバス停のベンチに居た。寒そうに震えていた。そのはずだ。「足」は裸足だったのだ。夜勤明けのかすれた僕の目にはもそれはわかった。
「どうしたの?」
おもわず声をかけてしまった。
よくよく「足」を観察してみると、それは左足の太ももから下までのものであった。爪には綺麗に五本ともピンクのペディキュアが塗られている。引き締まった太ももとハリのある肌からして、どうやら女性のようだ。ひざに少し泥と枯葉がついている。血は出ていないが、うっすらと赤くなっているところを見ると転んだのかもしれない。
「寒くないかい?僕んちにこないか?すぐそこなんだ」
すこし戸惑う彼女。しかし木枯らしが吹いた後、やはり寒さに負けたのだろう、器用に飛びながら彼女は僕の後についてきた。

「寒かっただろう、何か暖かいものでも作るよ」
彼女が食べたり飲んだりできるのか分からなかったが、取りあえず身体が温まる物を出すのは良い案だろうと考えた。キッチン棚からコーヒーの瓶を取り出すと、リビングで僕がかぶせてあげた毛布にくるまっている彼女にきいた。
「コーヒーでいいかな?」
見ると彼女はあけっぱなしになっていた僕の部屋へと移動していた。クローゼットからはみ出た茶色い箱が前にある。興味があるのかもしれないと思い僕は箱をあけてあげた。少し彼女が震えたように見えた。赤いエナメルのハイヒール。
「前の彼女のなんだ。誕生日にプレゼントしたんだけど、結局は別れちゃってね。出て行く時に置いていったんだけど、もしかしたらある日これを取りに帰ってくるかも、なんて思うと捨てられないんだ。はは、未練がましいだろ?」
そう言うとお湯をわかしに、僕は再びキッチンに戻った。

夜勤明けの疲れが溜まって、どうやら転寝してしまったらしい。一体、何時だろう。リビングを見渡すと既に彼女はいなかった。自分の部屋も探してみたが、あるのは茶色い箱だけ。かわりに箱の中に納まっていたハイヒールの片方がなくなっている。いつ出て行ったのかはわからないが、少なくとも彼女はもう裸足ではないのだ。少しは寒さをふせげるだろう。
「とりにくるかな」
僕はつぶやき、右足用のハイヒールを眺めた。もしかしたら、今度は右の「足」と共に来るかもしれない。そう思い、彼女が見つけやすいように蓋をせずにクローゼットに戻したのだ。







エントリ24  ブラインド     カノイ


店員がおざなりに聞く、「カバーはお掛けしますか?」
もう半分折ってあるその紙の山の一番上の一枚を左手で引き寄せながら。
冷房が効き過ぎの店内、冷やせば良いってモノじゃないだろう。

「あぁ…」


掛けてもらっても帰ったら絶対外して捨てるよなあ、元々カバーって本の顔が隠れるからキライだし。
並べて背表紙眺めるのにもジャマなだけだし。
特別変わった本でもないし、別にヒトに見られても良いし。

でも向こうとしては「掛ける」前提で、もう聞く前から動いてるしなあ。
サービスとしてやってるんだから断るのも依怙地かなあ、イヤな感じかも。

でもさあ、サービスって「お客のため」だろ?。
別にいらないのに「掛けるのが当然」みたいな感じで断りにくい雰囲気っていうのはおかしいよなあ。
だけどまあ…いちいち聞くのがむこうのマニュアルだろうし、大概の人は掛けるんだろうし…。

ていうか元々カバーなんて要るのかねえ、何のために掛けるんだ?。
汚れたり傷がついたりしないためか?、いっても「たかが」文庫本だぜ、そんなこと気にするヤツおかしいだろう。
他人に何読んでるのか見られないためか?、それもくだらないねえ、そんな恥ずかしい本なら家でひとりで読めよ。

あああ、こういうのってキライなんだよなあ!
少数派をハナから想定していないようなやり方っていうのかなあ、こっちは悪いことしてるわけじゃないのになんで罪悪感持たないといけないんだ?
「カバーをかける」ってことが、誰もが望むサービスだ、って疑いもしていない感じがイヤだよなあ…。


「あぁ…」

いつの間にか、店を出ていた。
どこかでエアコンの室外機がうなりだす、もう「夕方」は半分くらい「夜」に呑みこまれている、が、それでも30℃はあるだろう。
「29.5℃」というのと「30℃」とでは違いは大きい。その数字が実際の温度を決めるわけではないのに。
「そう思っている」ことは「そうである」ことよりも強いことが多い。
そして、それはつまらないことだろう。

帰り道を歩き出した。

さて、自分はカバーを掛けてもらったのだろうか。
ポケットに手を入れて、探ってみる。
カバーは…







エントリ25  最後のメール     松本ゆか


『おはよう。今日もこちらはいいお天気。朝からとても暑いよ。そちらは今、どんな季節ですか?』
 朝起きてすぐ短いメールを打ち、送信ボタンを押した。私の毎朝の日課だ。時差があるらしく、敦からの返事はいつも遅い。
『おはよう。千都は相変わらず早起きだね。こっちはいつも同じような天気で、季節感を忘れがちだよ。もう夏か。何か予定は立てたの?』
 敦からのメールを読んだ。これは就寝前の日課。私と敦は毎日短いメールを送り合う。敦は1年前、トラックに轢かれて死んでしまったけれど。

 敦のお葬式の次の日、私は敦にメールを送った。いつも即レスなのに返事が来なくて、改めて敦がいないことを実感し、私は途方に暮れてしまった。
 その次の日、返事が来た。誰かのいたずらかもしれないし、調べれば分かることだけど、そんなことをしなくても、私は敦からだと確信した。

『夏の予定は1つだけ決まってるの。去年行けなかった花火大会に敦と行くこと。7月20日午後6時に海岸で待ってます』
 私はいつもどおり、メールを送信した。
『了解しました。晴れるといいね。楽しみにしてます』
 敦からもいつもどおり、返事が来た。

 去年、待ち合わせの約束をした海岸沿いのバス停の前に、敦がいた。呆然と立ち尽くす私を見て笑っている。
「さあ、早く行かないといい場所がなくなるよ」敦は私の手を引いて、ずんずんと海岸へ歩いていく。
「ここにしよう。実は去年、下見に来たんだ」と楽しそうに話す。

 私は花火に全く集中できなくて、敦と繋いでいる右手と、敦の横顔ばかり見ていた。永遠に花火が終わらないことを祈りながら。
 私たちは花火大会の2時間の間、ほとんど何も話さず、ただぎゅっとくっついていた。 

 朝起きて、メールを打つために携帯電話を見た。受信ボックスから敦のメールが全て消えていた。
 机の上には、昨日二人で飲んだラムネのビー玉が2つ置いてあった。







エントリ26  ヒーロー     松原正一


役者に憧れ、東京に出てきて7年の月日がたった。夢が叶ったわけでないが、とりあえずこれで貧しいながらも飯を食ってこれた。私の主な仕事はデパートのヒーローショウ等である。これでテレビに出れたり、顔が売れることはほとんどない世界だが私は、主役の座、つまりはヒーローの役をやっている。この役で自分以上の人間はいないと思っている。食事制限をし、体を鍛え、どうやれば華麗なアクションをみせられるかをたえず研究している私より、この役に当てはまるものはいないと思っていた。正直、テレビに出てヒーローを演じてる人間より、優れてるとさえ思ってた。でも、私は今、夢を諦め、田舎に帰る決意をしていた。私は肝心なものを持っていなかった。それに気づいたからだ。あれは2週間前の事だ。いつものように、地方のデパートの屋上でヒーローショウを行っていた。いつものように怪人と戦闘員がヒーローショウに来てる子供をさらい、そこに私が現れ、子供を助け、怪人達を倒し、子供達と握手をする。お決まりのパターンである。いつもと変わらない事である。でも今日は一つ違っていた。戦闘員役を演じるのが、新人のAであった。彼はまだ、この世界に入って、まもないが、座長の指示で抜擢された。たかが戦闘員の役と思うかもしれない。でもそこにたどり着くのも決して容易いものではない。私は少し、不満を感じながら、舞台に出ていた。いつものように怪人達が子供をさらい、舞台上に上がった。ここで私は、ヒーローのテーマソングと共に現れる。観客は私の演じるヒーローの名を必死になってよんでいた。そういつもと変わらない。新人のAが演じる戦闘員から私が子供を助ける場面に来た。私は子供を戦闘員から、奪った。そしてこの戦闘員を倒そうとした瞬間。舞台が落ちた。床が抜けたのだ。私は一瞬やばいと思い、受身を取ったつもりだったが記憶が途切れた。しばらくして、私が目を覚ますと仲間達が心配そうにしていた。私は自分の体を調べると怪我などはしてないようでホッとした。明日の公演もあるからだ。はっと思い、隣を見ると新人Aが子供を助けようとして、腕の骨を折っているようだった。子供は泣いていたが無事であった。Aは折れた自分の腕を見ながらも、子供に笑顔を見せていた。そうこれが田舎に帰る理由だ。自分の怪我一つしてない体をあらためて見て、私は新幹線に乗り込んだ。







エントリ27  手袋     いちこ


 冬。風が吹いている。公園の高い木の枝にひっかかったひとつの手袋がはためいていた。その手袋を一匹の妖精が見つけた。ピンク色して、手の甲の所にパンダの
アップリケがしてある。手袋はふわふわで暖かく、やさしい気持ちになれた。妖精は羽をたたんで、手袋にそうっと入った。その日から手袋は妖精の家になった。
 ある日、妖精が目覚めると、公園のベンチで女の人が泣いていた。次の日も次の日も次の日も、そのまた次の日も、同じベンチの同じ位置に、女は座り、見苦しい程に泣いた。妖精はその女が気になって仕方なかった。そして、ある日、女のぽけっとにそっとにもぐりこんだ。
 女は家に帰ると、小さな仏壇の前で手を合わせた。妖精が手袋から顔を出すと、ピンクのあの手袋が仏壇に置かれているのが見えた。そして、妖精そっくりの女の子が、写真の中で笑っていた。
 妖精の頭の中で、トラックの轟音と衝撃音が響いた。手袋がひとつ飛んでいった。あのピンク色した、かわいいかわいい手袋は、離れ離れになった。母親の悲鳴が空気をつんざいていた。
 妖精は母の腹の中にたまらず飛び込んだ。

 公園のベンチで女が小さな手袋を編んでいた。腹には膨らみを帯び、女は幸せを感じていた。妖精も腹のなかで幸せでくるくる回った。







エントリ28  引退     ジューン


「ピンチヒッター久仁原、背番号1」
 その男の名前が告げられた瞬間、ドーム球場に詰め掛けた大観衆のテンションは一気に頂点にまでヒートアップした。
 マウンド上ではこの偉大な打者を迎えるにあたっての作戦を練っているのか、野手とコーチが投手を囲むように円になって何やらヒソヒソとした様子で話し合っている。
 ペナント最終戦は優勝を決める一戦になっていた。
勝負を決する場面に登場した偉大な打者の姿を球場全体が凝視していた。

 滑り止めのスプレーをバットに吹きかけながら久仁原はグルリと球場全体を眺め見た。
今まさに何万という瞳が自分を見つめている瞬間である。この瞬間の緊張感が久仁原にとって何よりも代え難い支えであったのだ。
久仁原の胸中にはある決意が秘められていた。
 20数年のプロ野球生活にピリオドを打とうと考えているのである。
 節目となる2000本安打まであと1本と迫っていた。
「この打席だ…この打席しか無いんだ」
 ゆっくりと落ち着いた様子で素振りをする姿とは裏腹に、久仁原の心臓は今にも飛び出してきそうなほどの勢いで早鐘を打っていた。
「頼むからストライクを…」
 祈る気持ちでバッターボックスに入って足場を踏み固める久仁原であった。

 しかし、相手バッテリーが選択したのは敬遠気味のフォアボールという手段であった。
明らかにボールと分かる初球と2球目を見た観衆から沸きあがった鈍いブーイングは、やがて大きな波となってドーム中を席捲していった。
0‐3のカウントになった時、久仁原はとっておきの作戦を実行した。
 4球目と5球目をワザと空振りしたのである。久仁原は嫌でもバッテリーに勝負をさせる気であった。
 6球目の投球動作はランナーがいるにも関わらず大きく振りかぶるワインドアップモーションであった。打者との勝負に専念する証拠である。

先週の診察の際、長年診てくれた担当医から宣告されてしまった。
「久仁原さん、もう限界です。私の見たところ、あと一度でもジャストミートすればこの手首の靭帯は完全に切れてしまうでしょう。勿論、再生は不可能です」
 残酷な宣告ではあったが、久仁原にはすでに覚悟はあった。

「アリガトウ」とバッテリーに感謝を込めて、久仁原は渾身の力でバットを振り抜いた。
カキーン…
 芯を捕らえたことを示す乾いた打音を残して白球が外野へ、そしてその奥へと向かって飛翔していった。

 翌日のスポーツ紙を賑わせたのは、相手チームの優勝の記事であった。
 そして、片隅の小さな記事に簡潔にこう記されていた。
「大打者久仁原、手首の怪我の為2000本安打まであと1本を残して引退。昨夜の大きなセンターフライになった打席が最後となった」 終







エントリ29  老人と空     かめ


 世界一雄大な空を見てみたい、と言って五日前に家を飛び出した父が帰ってきた、という電話が母から届いた。

 定年を迎え、母と二人きりの生活を送っていた父は、林業を営んでいたせいか身体こそは老人とは思えないほど丈夫なものの、精神の方は何故か年を経るごとに幼児化していった。
 「お父さん、四十年以上も仕事一筋で頑張ってきたから。定年迎えたとたんに気が抜けちゃったんでしょうね」というのが母の弁であったが、僕が帰省する度に父にキャッチボールをせがまれるのはなんとも言えない複雑な気持ちになる。
 父は旅行が好きだった。たまの休みになると父は見知らぬ地を独りで歩き回り、僕や母が同行することを頑なに拒んだ。大きな子供となった今も父の放浪癖は収まらず、たびたびふらっと出かけては母の手を煩わせていた。

 夕方になって仕事を終えた僕が実家に駆けつけると、玄関先で母と警察官らしき人が僕を迎えた。
 「今までも一日二日家を開けることはよくあったんだけど、今回あんまりにも帰りが遅かったから警察の人に相談してたのよ……」
 「まあ、何事も無くて良かったと思いますよ」
 人の良さそうな中年の警察官が僕に微笑みかける。
 「で、父は?」
 「お父さんの部屋」
 僕は二人に軽く会釈をし、父の部屋を目指した。年季がかった木製の階段を登り、一番奥の黄ばんで所々穴の開いた襖に手をかける。と、中から楽しそうな老人の声。
 「おお、お前か! これ見てみい、可愛ええだろ?」
 しわくちゃの手で指差したその先にはプラスチックのケースが置いてある。よく中を覗いてみると、小さなハムスターが一心不乱に回し車を回していた。
 「これ、親父が買ってきたの?」
 「そうだ。可愛ええなあ。本当に可愛ええ」
 しわくちゃの手がひまわりの種を一個掴み、ハムスターの近くまで運ぶ。ハムスターは種を器用にも二本の前足で受け取ると、せわしない動きで口の中の頬袋にしまいこんだ。
 「それで世界一雄大な空は見れたのか?」
 「空? わしゃ空よりこいつがええ」
 老人はまるで僕がここに存在しないかのように、ひたすら熱心にプラスチックケースの中に視線を注いでいる。僕は無言のまま立ち上がり、埃を被った窓の桟を手で払い落とすと勢いよく窓を開け放った。
 「親父、空が凄いぞ」
 窓の外では赤く爛れた太陽がうろこ雲に反射し、はるか上空に焼けた草原を作り上げている。
 「可愛ええ、可愛ええ」
 老人の嬉しそうな声が小さく響いた。







エントリ30  無抵抗な日常と僕     遠野浩行


 白々と明け始めた空。
 荘厳な雰囲気と静謐な空気。
 遠くから聞こえたクラクション。
 車も人もいないアスファルト。
 平和な朝。無抵抗な日常。
 そんな朝と日々に僕は満足している。
 僕は何もしない。ただいつも通り歩道の上を歩いて、歩道橋をのぼり、学校へと向かう。
 毎日毎日それの繰り返し。
 壊れたLPのようにリピートし続ける。いつまで経っても前には進まない。出口のない日常。
 でも、僕たちは知っている。その先にある──漠然とだけど──近い未来を。
 僕はそんな単純な日常を愛している。

 今日、体育祭の打ち上げに誘われた。
 みんな、お酒を飲むという。
 未成年なのに……。
 僕はクラスで特に浮いた存在でもなく、人気があるというわけでもない。でも、僕の周りによく人は集まる。
 僕自身、人の良し悪しに興味はなかった。
 善悪には抵抗が生じる。
 無抵抗の日々を求める僕にとって、僕自身も無抵抗でなければならない。
 そうでなければ、世界は震え、いつしか壊れてしまう。僕はそれを知っている。
 もちろん、打ち上げは断った。
 今の僕にとって、お酒を飲むことは抵抗すること。社会に抵抗することだ。
 僕は無抵抗でなければならない。
 安寧な平和を守るために。

 薄く赤みがかった群青の空。
 埃っぽい空気と忍び寄る夜気。
 盛んに聞こえるクラクション。
 家路を急ぐ人々に溢れたアスファルト。
 一日の終わり。明日への準備。
 夜の訪れは、僕を安心させる。
 僕は何もしなかった。だから、何もなかった。
 繰り返しただけだ。
 同じ日々を。
 無抵抗な日常を。

 世界は丸い。僕の日常も丸い。
 毎日毎日同じ事の繰り返し。
 そこには何もない。
 けれど、安定と安寧の日常がある。
 みんなはそんな日常が嫌だというけど。
 ──僕は幸せだよ。

 そして、今日も家路についた。
 特に大きくもなく、みすぼらしくもない二階建ての我が家。外見もまったく質素だ。
 家のドアを開けると、人が立っていた。いや、人の形をした何か別の生き物だった。
 目のあるべき所は丸く窪み、口もナイフか何かで切ったように、不自然に裂かれているだけ。体は透明で、まるでゼリーようだ。動くたびに、プルンと表面が波打つ。とても人間とは言えない代物だった。
 おかえり、と言われたので、ただいまと返した。そして、学校はどうだ? と僕に尋ねる。
「問題ないよ、父さん。安定している」
 父は満足そうに頷く。ご飯が出来ていると僕に伝えると、ペチャペチャと音を鳴らしてダイニングへと向かっていった。

 僕は地球から五億光年ほど離れた惑星で生まれた。
 僕の母星は、戦争、平和、革命の繰り返し、そして滅びた。







エントリ31  雪原     沙風吟


 大根を怒りながらおろすと辛くなる。彼女の能力はそれと少しだけ似ていた。

 彼女は新聞部の後輩で、小柄で内気で引っ込み思案で、一年生のうちはほとんど誰ともうち解けなかった。そんな彼女が折り入って頼みがあると言うのだから悪い気はしない。僕は安請け合いして、番号のふられた4枚のレポート用紙を受け取った。家で読んでくださいね、と彼女は珍しく念を押した。

 4枚とも雪原を描写した文章だった。丁寧な文字で、雪の積もった平原の様子が淡々と描かれていた。それだけなのに。
 奇妙なことが起きた。
 1番の文章を読んでも何も感じない。しかし2番に目をやると、むかむかと腹が立ってくるのだ。3番を通読すると今度は愉快になった。それから4番を読み、僕は涙をこぼした。

 すぐに彼女に電話をかけて、一体なにをしたのかと訊いた。同じような情景描写で、これほどまでに心を動かす技法はなんなのか。答えは予想外のものだった。
「そういう気分の時に書いたんです」
 意図して作ったわけではないという。ただ、怒って書いた文章は読んだ者を怒らせ、悲しい時に書けば泣かせてしまうのだと。僕は呆気にとられた。
 大根おろしが辛くなるのは、力強くおろすほど大根の細胞が破壊され、イソチオシアナートという辛味成分が活性化するためだ。しかし気持ちが文章に溶けるなんて話は聞いたこともない。いや、彫刻家が像を彫る時には迷いや雑念が形になって現れるという。仕組みはわからないが、それに近いものなのだろうか。
 考え込んでいると、受話器の向こうで彼女が息を吸った。
「それで、あの、先輩に宛てて書いたラブレターがあるんですけど、読んでもらえますか?」

 翌朝、部室前の廊下で僕らは落ち合った。一晩じっくり考えたので気持ちは落ち着いていた。
 彼女の能力は本物だ。怒りながら書いた文章が読み手を怒らせるなら、恋愛感情を込めたラブレターならば何が起きるだろう。予想はつく。だからこそ、前もって僕に相談したのだ。彼女は誠実だった。
 両手に白い便せんを握りしめて、彼女は顔を真っ赤にして僕を見る。
「ごめん、それは読めないよ」
 僕は言った。彼女は黙って真下を向いた。
「その代わりに、これを読んでほしい」
「え?」
 僕はポケットから便せんを出す。精一杯の気持ちを込めたが、僕の文章は凡庸だ。他人を惚れさせたりはできない、ごく普通のラブレターだ。
 彼女は少し怒って、涙ぐみながら笑った。







エントリ32  6月     楳図ジュン


――夢のない夢の中でヒトは。


こだわりの眠りから覚め、僕はまだ夢の中だった。
外は雨が降っている。

遠くで新築工事の木材を切るチェインソウの音が聞こえる。
僕は五月蝿かったので、すりガラスの窓を閉めた。
四畳半の静けさは、また戻ってきた。
それと同時に、また怠惰な眠りがこいしくなった。
何が見たいのかはわからないが、
夢の続きがあるならば、
もう一度眠りに就きたかった。

携帯電話で時間を計る。
僕が見たのは、午前7時57分。
やはり工事するには早い時間だった。
否が応でも、自分に眠りを強いる。
また夢を追いかけよう。


「お母さん、六月になったから。もうすぐちゃあちゃんの命日だよ」
16日は祖母の命日で。
祖母が亡くなったあの年の、
19日のおとうとの誕生日は、
いったいどうなったんだろうか。

小さい引き攣り顔のおとうとが、
僕になにかをいっている。
遠くて聞こえない。
ア?
ア?
ア?
聞こえない。
「聞こえないよおう」。


どうしておまえは結婚するなんて言うんだ。
しかもあんなブサイクな、
あんな癖のわるい女と。
ジュンブライドなんてクソ喰らえだ。
目糞ハナクソのしあわせなんて。


しとしとしと。

そうだ今日から六月だ。
だから雨の音なんだ。
トタン屋根のうつ響き。
六月の響き。
夢の響き。
まだ僕は夢の中。


君のしがらみ思い出せば、
十日は君の誕生日。
誕生日のプレゼントは離婚届。
むなしいハンコに僕のなまえ書いておいたよ。


しとしとしと。

だから。
ナニガ?

ぼくの。
お前の。
俺達の。


僕はまだ夢の中に棲む。
だからおまえと一緒に暮らせないし、
おまえも俺と暮らせないだろう。

おまえは俺のおとうとで、
僕は君の恋人で、
君は僕のちゃあちゃんで、
「命日だよ」と雨が言う。










QBOOKS
 ◆QBOOKSに掲載の記事・写真・作品・画像等の無断転載を禁止します。
 ◆作品の著作権は各作者に帰属します。
 ◆掲載作品の利用・出版権はQBOOKSが優先します。ただし作者の要望に優先するものではありません。
 ◆リンク類は編集上予告なくはずす場合がありますのでご了承ください。
 ◆お問い合わせはQBOOKSインフォデスクまで