一読、どっちとも言えず。こういうときに優劣を決めねばならないというのは、ナンセンスとは言わないまでも、もにょすごく切ねえのである。
でも、バトルはバトルである。五鈷杵を振りかざさねばならず。
ホテルから、明日へ 蛮人S
革命軍と王室。手塚治虫も、魔夜峰央も(みんな漫画家だけれども)意外と大御所はこのシチュエーションを取り上げるようで。ただ、それを追われる側と追う側、ということで考えたときに、作家としての自分の立場が如実に出てしまうのである。本作はリウル王子、第一子、無論、王位継承者である。
さて、ここで王室と反乱軍の関係がわからなくなってくる。暴政に耐え兼ねての暴動なのか、それとも他の国に扇動されての暴動なのか。でも、革命軍と一般人民を分けているのだ。単に血祭りに挙げるために王子を探しているわけでもなさそうだ。とすると、やはり他国からの侵略だろう、と考える。はて、では時代は何時だろう。ホテルがあるということは、重火器もそれなりと考えていいだろう。窓辺で燃える王宮を見て、押し寄せる革命軍、ある種軽率とも言えるこの動きはなんだ?
一つのシチュエーションの為に登場人物がみんな同じ方向を見てしまっている、ということだろうか。バームクーヘンのディテールは美味しかったが、作品としての膨らみ具合は、今一つ。
サマータイム、ふたたびの恋 マニエリストQ
まさにゴシック、である。ただ、ゴシックとして終わってしまうとただの循環として閉じてしまうが、血の吹いて、墜落した飛行機の脇で軽快なジャズの音楽、別に救われたわけではないが、ただ、コントラストと明度が、握り締めていた、爪の食いこんだ手の平がゆっくりと開かれるような朝を迎えるのである。サマータイム、再びの恋。なんじゃいな、近しいもの、そうか、禿山の一夜か、ワルプルギスの夜か。小粒ながら濃厚な時間を見せきってふう、とため息をつき。
ただ、某W賞の応募作品もそうだったけれども、この作家はある種、Artの高みから降りきれていない。蓮如が仏教をわっかりやすく村人に崩して伝えたように、一遍が踊念仏で村人に浄土を「体感」させたように、手塚治虫がエロやってもPTAが怒らなかったように(しつこいですな)、この美酒をもっと蒸留させるといいのだが。
と、冒頭のデザイン云々の設定は今一つ要らない気がします。ここにおける「俗」はあとのメイン部分を殺しはすれど、いかにも生かしはしないかと考えるわけで。
判定
ディテールの差。作品コアは小粒なれど、やはり厚みのあるほうが美味しい。完成度の高いほうがいい。
というわけで、今回はQさんの勝利とします。(MAO)
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