悩んでる、病んでる、ユンケル、ユンソナ、ヨーデル、ヨーロレイヒィ〜♪
一読甲乙つけがたく、感覚的にスパッと決められない一長一短・一兆異端のいくじなし。
「カーテンコール」はまさに実感なのだろう。演奏会が終わって、染み渡るこの感覚はなんだろう、ああ、ビールの金色の泡と同じじゃあないか! というわけだ。スポットライト、拍手、これだけの材料がありながら、ぢゃあ読者にその感動が100%伝わるかったら、そうではない。その感動がどうだったか、を作家自身が「解説」しちまったところで「ああ、そうかね」なんである。解説してしまったところで、詩人の感じたものと同じ舞台にまで、読者を引っこ抜けるか、というのが勝負どころ。
……と、演奏後のカタルシス=ビールの一口目、というのは本当だろうか。御題にあわせて、似通ったものを持ってきてはいないだろうか。この辺り、ちょっと無理をしちゃあいないだろうかね、というのも正直な感想でありんす。
対する「鉄人ビール」。ああー、いいセンスだ。だがセンスだけで書いている。文章にリズムをつけたり、<死に損なって ふてくされ>なんて、実にキャラクターが出ていて、いい。でも、<バッグにすがって ふるえてた>「倒れつつ、ふるえる」だとか、<枯れた思い出 ゆりおこす>旅立ちの前の初心を思い出すということだろうか。でもそれにしても、「思い出」という語彙選択は、あまりにも広い。<静かに青く 燃え立つベース>も同様。ベース、が何を指しているか。大地かもしれんし、楽器かもしれんし、ディテールだとか語彙選択というのを考えるとすれば、おそらくこういうところにある。
どっちがいいかなぁ。
投票公開時には↑のところに投票先が書かれてしまうのだろうが、今現在も決めあぐねている。あぐねスチャン。セバスチャン、うーん。
よし、こよりを二本、一方に色をつけて、色のついたほうがそら、ついてないほうがKAZU、と。むん! あ、KAZUだ。KAZUに一票。(M)
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