novel
カメレオン

 証言一。
 彼女と一年程前に付き合っていたという、マイナーな雑誌のライター。
「…ああ、この写真のね。チヒロ――は? 俺にはミサキって言ってたけど。そう、
写真とは違って髪はショートだったけど…そ、君ぐらい」
 その後に質問をいくつか。それも全て、のらりくらりと逃げられたような返答。
「いい子だったよ。まあ、電話して逢って…ってぐらいで、深いこと突っ込んで聞い
たりしなかったけど。どうでも良いし」
 彼は変わったフォルムの眼鏡を押し上げた。突然訪れた私とデジタルビデオカメラ
に、ひどく面倒臭そうに答える。
「どうでもいいけど、撮ったやつどっかで使うの?」
「いえ。当面は発表する予定がありませんし、もしする場合は連絡しますので」
 これは、半分ぐらいは嘘。
「…ああ、そ。大変だね」
 全く大変でなさそうな声色で返されて、いえ、と短く答えた。名刺は紙の質が悪く
て、ポケットに入れた途端に角がたやすく潰れた。
「一回都合悪い時に仕事場まで来るから怒ったら…それきり。ま、そんなもんだろう
とは思ってたけどな、メシも何も作らないし」
 以降、単なる自慢話に入ったので、カット。


 証言二。
 彼女が一時期働いていたお店の女の子。
「みゆき? …あ、これお店の中の名前ね。いたよ。でも、ちょっとお客さんとトラ
ブルあって、しかも借金踏み倒したらしくって」
「借金?」
 いかにも今風にばっちりメイクした彼女は、首を傾げるような仕草をした。
「無断欠勤するとペナルティで給料引かれんの。溜まって…二桁行ったけど、もう家
逃げてたらしくって」
 お金困ってなさそうだったけど、と最後に付け足された。
「髪? ん、ショートの金パでしょ? 目立ったよ、性格も良かったから結構お客付
いて、だから手放したくなかったらしくって」
 どーしてんのかなあ、と呟いた彼女は呼ばれて店内に消えて、カット。


 証言三。
 彼女が最後に付き合っていた、元彼氏。
「俺に聞いたってしょうがないんじゃね? 藤沢サンのサークルにも入り浸ってたん
しょ?」
 思わずカメラを抱えた彼女は苦笑した。
「…まあそうだけど…付き合ってたんじゃないの?」
「大体大学違うし、電話とメールの連絡が主で。そりゃ会った回数とかは多いかもし
んないけど、さっぱりした奴だったから向こうからは連絡もないし」
「そっか…。一応外見の話、聞いてもいい?」
「――へ? 茶色の髪、ロングで…何でそんな事聞くの?」
 あっさりと彼は答えた。その返答に思わず数度瞬きをして無意識に驚いた顔をして
しまったらしく、何? と表情で訊かれた。
「…いや、なんでも」
「…? ああ、後…料理上手かったな。それも筑前煮とかさ、実家で教わりまし
たー、みたいな料理。純和風料理ばっかで俺――…悪い、ちょっと待って」
 彼は手で制して、けたたましく鳴り出したケータイに出た。『あ、ごめん、野暮用
で』と機嫌を損ねているらしい電話の向こうの相手を宥める声で喋り出した。二十分
ぐらい待っても結局電話を止める様子はなかったので、カット。


「…以上。大したことわかんなかったよ」
 デジタルビデオカメラのスイッチを切って、藤沢美咲は彼女の癖らしい少し眉を寄
せた表情で、部室のソファーに座る映画研究部の面子を見回して言った。
 この大学の映画研究部はごくごく小さな規模のものだ。映画美術を専門にやる学部
もないし、ただ単に映画を観たりするのが好きなメンバーが集まって、年に二回ぐら
い適当な小作品を作るだけ。
「そっか、今回のが上手く作れたらいいネタになると思ったんだけど」
 唸ってばりばり頭を掻いた男は、この映研の部長でこの『亀井千尋捜索企画』を立
てた張本人でもある。実は彼は千尋の事が好きなんじゃないかという話があったが、
敢えて誰もそれには触れなかった。彼は本音を突かれると酷く怒る性格だからだ。
「大体あの子、うちの大学に通ってるワケでもないんだし、見つかんないって」
 シビアにすぱっと言ってのける彼女は会計係。煙草を、既に吸殻が山と積まれた灰
皿に揉み消した。
「その度に外見も違うっぽいし。ミステリアスー」
 呟いたもう一人の部員を、それのどこがいいってのよ、という勢いで彼女は睨ん
だ。
「結局、美咲が一番知ってるんじゃないの? 一緒に暮らしてたんだし」
「…でも、私が一日友達の家に泊まって…帰ってきたらもういなかったの。手帳だけ
で」
「なんか書いてあった?」
 美咲は頷き小さな赤い手帳を開いて、青いペンで書いてあった四行のメモを読ん
だ。
「…『愛が液体だったらいいわ/沢山買って溺れて死ねる/それが単なる幻想だから
/あたしはただただ憧れる』」
「…嘘臭っ…」
「意外と純だったんじゃねーの?」
 美咲はその言葉を何度か口の中で繰り返した。案外リズムよくその言葉は響いた。
「それこそ単なる幻想だってば」
「さっきからキツい事言いすぎ」
「だって、あの子の事好きじゃないもん。私」
 応酬する彼女の言葉を聞いて、誰にも気付かれない程度に軽く美咲の眉が寄った。
自分に言われている言葉ではないのに、ずき、と胸が痛んだ。
「嫌な人は嫌だし」
 誰が千尋を連れてきたのだっけ、と必死に思い出そうとした。誰が、私に千尋を最
初に紹介した? 思い出せる? 私と千尋はいつ会った?
「でも、気にならない子だったよ、明るくて」
「あんたたちって簡単に騙せるから楽よね。あの子、いつも何か隠してるみたいで
さ」
 ああそうだ、隠していたんだ、と彼女は思い出した。本当の性格を知られたくなく
て隠していた。いつも明るく振る舞って、楽しませる事なら何でも出来て、暗い所な
んて誰にも見られないようにしていた。知らない人に会う度に、知らない所に行く度
にそうした。メイクの方法を変えて髪の色を変えて、相手が求める像にぴったり会う
ように変えていた。それが通用しなかったのだった…そうだ、思い出した。
「……おい、大丈夫?」
 美咲はそのありふれた、自分の手帳を握り締めてぱたぱたと涙を零していた。表情
も何も動かないまま、声を殺して酷く苦しい泣き方をしていた。
「千尋なら平気だってば。生活力ある子だし」
「そうそう。…な? だから泣くなよ、藤沢サン」
 慰めてくれる仲間に、涙を流したまま無言で何度か彼女は頷いた。
「いつも入れ違いだから嫌いなのかと思ってた」
「…お前、だから…毒舌過ぎ」
「だって普通、押しかけられてて気分いい?」
 その通り、千尋の事は嫌いだった。私はあたしの事が嫌いだったのだ、本当に。そ
して、あの時のあたしは私の事が嫌いだった。静かでいつも黙って暗い子なんて嫌い
だった。
 おかしな事になった、と彼女は泣きじゃくる奥で考えた。嫌われない方法は何だろ
う、どういう行動をとれば嫌われなかっただろう、と考えた。回りに適応する為に、
どのように変われば。
「……判るかも、私、千尋の連絡先」
「本当か!」
 美咲はゆっくり頷いた。泣く必要なんてなかった。また私が千尋になればいいの
だ。身勝手だった、反省してる、迷惑をかけたと言えばいい。この会計の子に好かれ
るよう性格を変えて。
「私、連絡してみる」
 服の裾で涙を拭いながら、美咲は少しだけ笑った。ポーチの中の重ね付け用のマス
カラを思った。クローゼットにあるレッドブラウンのシャギーの入ったウィッグを
思った。私はまた千尋を演じられる。「誰でもない人間」の私はまた「あたし」にな
れる。そうして美咲は少しだけ笑った。

文字数:3000


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