O MAke_B

家持とタヌキ

「ヤタモチ、ヤタモチヤタモチ、ヤタモチ」
 いいかげんに五月蝿いので、上がってこい、と怒鳴りつける。いつものむくむく頭が風呂場の裏戸から入ってくる。裏戸を抜けるとそのまま家の塀で、塀に沿った脇には洗濯機を置いている。
「ヤタモチ、雨が降るぞ、ヤタモチ」
 タヌキが家に住み着いてかれこれ三年になる。当初は穴を掘って暮らすつもりのようだったが、水道管のせいで夜も眠れないだの、便所の脇は湿っていてリューマチに辛いだの云って、あちこち掘り返した果てに洗濯機の裏のダンボールに落ち着いた。積み上げられ、ガムテープで貼り固められた箱の山は、そこいらの路上生活者にも負けないたたずまいだ。
「ミヤゲだ、出物腫れ物によく効く。茹でて食ってもいい」
 両手で抱えた菜の花の束をぐい、と俺に持ち上げてみせる。根っこにはおびただしい土をぶら下げたままで、風呂場を汚されたくないので、大慌てでタヌキを押し留める。
「ちょっと待て」菜の花ごとタヌキを抱き上げる。「この菜の花、どこかで見たことがあるんだが」
「おう、隣りの児童公園から引っこ抜いてきた」
「おい」一緒に裏へ出て、じたばたするタヌキを下ろしてやる。
「誰かに見られなかったろうな」
「見られたかも知らん」
「あれはな、花を見せるためにわざわざ植えたんだ。市のお役人さんがな」
「ほうか」
「ほうかじゃねえよ、戻してこい」
「苦労して近所の子供らもつかっただに」
「ばっちり見られてんじゃねぇか」
「汗っかき料に金玉も見せただに」
「どうしてそこまでして」
「あ、駄目だぁ、いげね」
「なんだよ」
「子供たちぁ、ついで来でる。こらぁ、現行犯だなや、はははは」
 タヌキの向いたほうに目を遣ると、家の角から覗く頭が、三人。俺と眼が会うとワッ、と逃げてしまった。
「なぁヤタモチ」
「なんだよ」
「せっかくだから、あン子供らもさァ、とっ捕まえて煮て食っちまうべえか」

 タヌキのいうとおり、雨が夕方から降りはじめた。
 牛乳壜の底のようなめがねをかけて、タヌキは繕いものをしている。手足の先がどうなっているのか、少々気になったが、靴下やらパンツのゴムやら、重宝しているので深く考えないことにしている。巨きな蝿が台所から居間、頭の上を抜けて玄関の方に通り過ぎていく。
 笑点のテーマソングを雨の音が超えた。会場に座った圓樂からコント・Qちゃんと十ちゃん。テレビのリモコンに手を伸ばして、音量を上げる。
「この雨で土ィ、流れっちまうんじゃないか、菜の花」
「まんず問題ねえ、おらァ、穴を掘るのだけは得意だ、ちゃんと埋めた」
 巨人阪神戦はドーム球場なので、試合をやるに違いない。午後五時三十八分。
「んだども勿体ねぇ。ヤタモチ、菜の花ぁな、なんで菜の花ちゅうか、知っとるだか」
 タヌキは裁縫の手を止めて、こちらを見ている。
「なんで」
「ありゃあもともと『名』の花っちゅうてな、落語やら芝居やら黄表紙やら、そういうのを書く連中がこぞって食ったもんでよ。話の題が思いつくとかで」
「菜の花、へえ。よく知ってるじゃねえか」
「おら、ものすごい古だぬきだで、なんでもわがる」
 そういえば、手前はものすごい古だぬきでございます、が自己紹介の開口一番、浦賀に来た黒船を黒柳徹子と手に手を取って見にいったというが、引越し土産の饅頭は、別に馬の糞でも生コンクリートでもなかったようで、腹は下さなかった。
「なんでもわかるってか、じゃあ……ツル、鶴ってのは、なんだろね」
「ツルは旭日の彼方からつーっと飛んできて、松の枝にるっと留まる。とりわけ、おんなじところを行ったり来たりするのが単調ツル」
「本当かね、どうも……じゃあ、カボチャ、カボチャなんてどうだい」
「カボチャぁカンボジヤのアンコールワットさ云うお寺があんべし、あすこの鬼子母神様が子供の頭の代わりにがりがりやりますだ。子ォ欲しや、が訛ってコォボジャ、カボチャ」
「妙に合点が行くね。じゃあ、アレだ。アレ知ってるかい。ファゴット。あの、ボウボウ云う楽器」
「ああ、ハゴット?」
「ほれきた。無理はするなよ、楽器自体知らないんだったら、しようがないわな」
「……いンや、知ってるよ。舶来の楽器だべさ。あれは、そう、アレだ。オリエント」
「オリエント?」
「おとなり支那の前身、清朝がオスマン・トルコと貿易だでな、楼蘭のバザールでこの楽器はなんだって聞いたところで、運んでいた楽器商が丁稚だったモンでよう、"I...I forgot..."なんちゅもんだから、ああ、ファゴットね、って。で、そのまま満州さ越えて日本にもやってきたんだべし」
「巧いこと云うもんだね」
「運ぶときに乗せたのがトラックでねぐで、バスーン
「……ちゃんとわかってるのか?」
「おら、嘘はいわねえよ、おらの五番目の息子の三代下が、ほれ、テレビに出とる」
 チャッラーーーン!
「こん平さんはお前さんの子孫か」
「んだ、嘘と坊主の頭はゆわねえのす。先祖がえりだぁ、よくおらに似とるべし、ええ男だなや」
 タヌキは満足げに目を細めている。

 雨降り止まず、ますます強く。ニュース番組で巨人の勝利を見届けてていると、玄関のブザーが鳴る。出ていってみると見知らぬ男で、木戸越しに楽器屋までの道を尋ねられる。閑静な住宅街で、この辺に商店なんかあったかしらん、と思いながらも、それらしき建物を記憶の底に、適当な道筋を教えてやる。男は痰の絡んだ声で礼を言うと、自転車に重い荷物を背負ってぐん、とペダルを漕いで行ってしまった。梅雨時には似合わないぶ厚いコートを着て、外灯の光に目鼻だけが浮かんでみえた。こちらとて得体が知れなくておっかなくて、だいたい、こんな夜更けに楽器屋なぞやっているものか。タヌキは洗濯機脇のねぐらに帰っている。なにやら魔に逢うた心持になって冷蔵庫からビールを取り出す。精進潔斎という云い方が正しいのかどうかはわからないが、なにやらの作った、なにやらを占めるなにやらの妖気を振り払おうとしたのだと思う。
 缶からぐっと呷る。耳の奥で、樋を伝った雨水がどぶどぶ云う。

 またチャイムが鳴る。

「あ、あのう、たびたび申し訳ありません。先ほど道をお伺いしたもので……」
 木戸の向こう、先ほどと同じ。鎧みたいなコートにつばの狭い帽子。鼻の大きさだけが目立って、小さな目の奥が恐々と仄光っている。
「あの、楽器店、見当たらなかったのですが、よくよく考えたら、この時間でやっているはず、ないんですよね。はは」
 はは、じゃねぇ。
「あの、それでなんですが、初対面の方なのにものすごく失礼なのですが、この荷物、明日まで置かせてもらえないでしょうか」
 男は体を傾けて背中の荷物を見せる。革のトランクをビニールひもで背負えるように細工してあって、古ぼけた表面はびっしょりと濡れている。ペダルに足をやられまして、血が止まらないのです。男は半ば押しつけるように玄関脇にトランクを置くと、そのまま雨の中を自転車をひいて、きいきいといなくなってしまった。

「ヤ、ヤタモチ、ヤタモチィ」

 肉球に顔をぴたぴたとやられて起こされる。脇の時計を見ると早朝五時。薄闇の中でタヌキの目だけ煌々と光って、俺は寝返りをうって見ないようにする。首筋に噛みつかれて、仕方なく起きあがる。
「おっ、おめえ、玄関のカバン、あれどうしただ」
「かばん?……ああ」
 いきさつを話す。話したところで、トランクはまだ、確かに玄関にあった。本体の革は生乾きで、夜明けの薄闇の中で、閉じた口の隙間からなにかはみ出ているようだ。頭上の明かりをつける。はみ出ていたのは植物の葉で、傍らに黄色い花が二三、ちらほらと落ちている。
「こ、これはもしや」
「んだにゃ、違いねぇ」
 五つ留め金を外してトランクを開くと、案の定中にはぎっちりと菜の花が詰まっていた。いや、空っぽのところに、急ごしらえで菜の花を詰めこんだ、という有様だった。たっぷりと土を、根につけて。
「このカバン、間違えね。オラがずっと昔、そンだなァ、オラが羽前村山から江戸さ出てきたときだァ。浦賀の商館から萬延小判二枚ととっかえたんだぁ。どこさ行ってだがと思ってたんだァ」

 おそらく、知り合いのタヌキであろう、という。俺の生まれていない日清戦争か日露戦争か、はたまた大東亜戦争か、どさくさに紛れて借りっぱなしだったトランクに、沢山の利子をつけて返して寄越したのだ。
「しっかすまぁ、まんずまんず」タヌキは菜の花を手にとってまじまじと見る。
「土産さこさえるの近場で済ますて、よっぽどン不精モンだべ」
 玄関に、目の前の束から湿気が濛々と立ち上る。
「ヤタモチ、また戻してくるか」
「いや、もう根付くまい。しょうがないから、食うか」

「しっかす、あれだなす」
 タヌキに米を研がせるものではない。毛が入るからだ。
「よくよく考えたら、オラ菜っ葉さ食わねえのす」
 花瓶に活けられた菜の花を前に、小鉢にこれでもかと積まれた菜の花のおひたし、タッパーにぎゅうぎゅうと押し込められた菜の花の一夜漬け、一向に汁気の見えない菜の花の味噌汁。とどめに菜の花御飯。決して近所にお裾分けするわけにはいかない。
「おい」
 タヌキのやつ、ひとりでかつぶしで飯を食ってやがる。
「で、誰だか思い出したのか。トランクの主は」
「あー。あい……I forgot.」