novel
越冬こあら
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バラバラ

 三郎は自宅の居間でバットを振り上げていた。バットは、ソファーに腰掛けてテレビを見ている父親の頭頂部に狙いを定めていた。三郎の頭の中では、最前の父親の発言「音楽も良いが、少しは勉強しろ」が駆け巡っていた。オンガクモ……だと、なんでモなんだよ、モとはなんだよ。第一、オヤジに音楽がわかるのかよ。歌謡曲と演歌だろうが。はっきり言やあいいんだよ。音楽なんか止めてもっともっと勉強しろって。勉強して金のかからない大学に行けって。「ふざけんじゃねえよ」三郎の声に父親が振り向いた。
 この時点で三郎に殺意はもちろんなく、父親を傷つけようという意思もなかった。三郎にとってこれは、パフォーマンスだった。父親との言い争いで「ちょっと切れた」だけであり、その分だけ、暴れたかっただけだ。見せしめに居間のテーブルか飾り棚をぶっ壊し、二、三言怒鳴り散らして自室に退散しようと考えていた。壊して叫ぶ事で、自分自身の不快感を表明し、父親の今後の言動を牽制出来れば良かった。
 しかし、その瞬間、父親が壊れた。オヤジがバラけた。ボロボロと崩れて、バラバラになってしまった。三郎は凍りついた。
「あーあ、やっちゃった。お父さんはねえ、こう見えても神経質なんだから、気をつけなさいって言ったじゃないの」物音に気付いて、台所から出て来た母親の発言は、サイコロステーキ大にバラけてしまった配偶者を目撃した直後としては、異例であった。
 一郎は流産で、二郎は一歳を待たずに逝去。従って、三郎は独りっ子。父親は仕事にストレスし、母親は生活に疲れていた。
 約三分、あるいはそれ以上、三郎は動くことも喋る事も出来ないでいた。さっきまでそれに身を任せていた三郎の中の確固とした怒りは急速に冷め、動揺した思考回路は事態の分析に躍起になっていたが、全身が熱くなり、顔面、手の平、背中に異常な発汗をきたし、とても冷静な判断を下せる精神状態ではなかった。
 なんとか取り戻した運動能力を用いて、振り上げたままだったバットを降ろし、何か叫ぼうとしたが、言葉は出て来ずに、涙が流れ出た。三郎は崩壊した父親の姿を直視しておられず、慣性に身を委ねるように電話機まで歩いて行き、受話器を取り上げた。
 119番、110番、117……その他親戚、友人等の電話番号が渦巻き、いったい何処に電話していいかわからないでいると、母親が白いフックに指をかけ、三郎の手から受話器を取り上げた。「あんた何考えてんのよ。警察とか医者なんか呼ばなくていいの。呼んだら、話がややこしくなるだけよ。お父さんは怪我したわけでも、死んだわけでもないんだから。そういう体質なんだから、パズルと同じよ。壊れたら、ただ組み直せばいいの。慣れないとちょっとたいへんだけど……。あんたがバットなんか持ち出して脅かしたせいなんだから、自分でちゃんと組み直しなさいよ」母親は冷静に語った後、自分の宣告に満足したように台所に戻った。三郎は混乱した状況を整理すべく、ひとまず自室に引き上げた。
 自分の父親がジグソーパズル体質だという事は、そう簡単に納得できないが、この異常事態にあくまでも冷静に対処する母親の態度は、何にも増して説得力を持ってた。「人体は出血も伴わずにバラけられるものだろうか。もしバラけられるとして、その部品を組み直したら元に戻るものだろうか。組み直し作業中の呼吸や血液の循環はどうなるのだろうか」どう考えてもゆっくり考えている暇はない事に気付いて、三郎は絨毯に足を絡ませつつ居間に取って返した。
 午後九時十分、母親はテレビを消して、寝室に戻ったようだ。家族の日常生活の場は、巨大な人体ジグソーパズルを散らばらせつつ、秋の夜長をむかえつつあった。三郎はパズルの全貌を眺めつつ、全ての感情と疑心に終止符を打ち、作業を開始する決意を固めた。
「外周から取りかかる」とか「色彩別に分類する」といったジグソーの王道を採用できず、三郎は手当たり次第に組み立てを開始した。二時間後、右足と左足が何となくその形を表してきた。形状が酷似している左右のパーツの組み立ては、予断を許さないものであったが、出来上がった両足に、三郎は満足した。その後、両足結合部の組み立てに当たっては、三郎の大まかな性格と思春期後半のデリケートな感性が災いし両足ほどの精度を保つ事は出来なかった。
 ソファーの下に横たわる二本の足の出来映えを確認した直後、三郎は下半身から組み立て始めた自分の大きな間違えに気付いた。「人体を司るのは脳味噌だ」最も重要な頭部から組み立てなければならないのは自明の理であった。三郎は即座に頭部組み立てに取り掛かった。
「三郎か、すまんな」約三時間を費やして完成した父親の頭部は、三郎にねぎらいの言葉をかけた。「母さんはどうしてる」「寝ちまったよ」「そうか。いつもあいつにばかりに苦労かけたからなあ。ハハハ。お前も驚いただろう、父さんがバラバラになっちゃったんで。母さんも初めて見たときは随分驚いちゃって、救急車とか呼んだらしい。そのうち、父さんが自力で少し直ってきたら、要領がわかったらしく、組み直してくれた。ハハハ」「自分で直せんのかよ」「まあな。すごく時間が掛かるから、餓死しそうになるが、何とか組み直すことは出来る。自然治癒力ってやつかな」ハハハっと父親の頭部は笑った。三郎は無表情のまま作業を続けた。
「ハモニカを貸してくれんか」右手が組み上がると父親の頭部はそう言った。午前三時半をまわっていた。三郎が自室から持ってきたブルースハープを見ると「穴が少ないんだなあ」と頭部が言った。
 それでも、頭部と右手は器用にブルースハープを操って、「旅の宿」「ふるさと」「TSUNAMI」を繰り返し奏でた。演奏は三郎が肺と心臓を組み立て、胃と腸の周りの臓器をなんとかこなす頃まで続いた。その後、頭部は寝息を立てた。
「上手いもんじゃない」一睡もしていませんと顔に描いた母親が、おにぎりと漬物と生茶のボトルをお盆に載せて現われた。「お父さんもね、悪気はないのよ」お盆をテーブルに乗せ、ソファーに腰掛けると、静かに眠る頭部を見つめながら母親はつぶやいた。「本当に線の細い人なんだから……」その後、母親のつぶやきは継続し、父、家族、国家、ひいては人類全体に対する慈悲の心を持った言動を投げかけていたようだが、三郎は自身の咀嚼に忙殺され、その全てを聞き逃した。結局、「早く寝なさいよ」という現状にそぐわない常套句を残し、母親は寝室に引き返した。時計は午前四時半を指していた。
 午前六時、三郎はひと山の肉片を見つめていた。「なんで余るんだよ」組み上がった父親は先程目覚め「いやあ、徹夜させちゃったみたいだな。悪い悪い。ハハハ。この埋め合わせはきっと……」と言葉を濁しつつトイレに行って、寝室に消えた。つまり、父親の組み直し作業は完了し、組み上がったオヤジは取り敢えず遜色なく作動しているのであった。
 ひと山の肉片は、三郎の全ての疑心と感性を呼び覚まし、再び三郎を事態の異常さに対峙させた。「旅の宿」「ふるさと」「TSUNAMI」が耳の奥で静かに流れた。
 その後、三郎が親に隠れてひと袋のゴミを集積所に出すまでに二日、再度激情し父親をバラバラにするまで一ヶ月、自身が恋人との別れ話に耐えきれずバラけ始めるまで二年半が費やされることになる。


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