相川拓也

与えられたとせよ

    一 落ちる水

鉄道は雨に濡れて 鈍く光っておりました
その道は遠くの方へ 雨のけむりの中へ消えていました
列車はじっと動かずに ただ
救急車の赤い灯火が さあさあと降る雨の中で
ぐるぐる回っておりました――

意外と呆気ないものだな。
死んでしまうというのも。
まだ生きているのかな俺は。
なかなかしぶとくできているものだ。
もう死ぬんだよな、
短かったのかな、二十六年って。
短いんだろうが、
俺には充分だ。
もういい。
……鳥沢だったっけ、降りたのは。
もっと遠くまで来ようと思ったんだけどな。
山とトンネルばかりでうんざりしてしまった。
それにしてもつまらない所だ。
だらしなく坂が続くばかりで。
もう、何でもいい。
早く死のう。
あぁ……そろそろかな……
真っ暗だな――

    二 照明用ガス

まあコーヒーでもどうぞ。
ああどうも。
ミルクは入れてもスプーンでかき混ぜたりしたらいけませんよ。
え。
コーヒーにミルクを入れると舞踏会が見えるんですよ。ほらカップの中で。見ててご覧なさい。
ああ、なるほど。
こうして白と黒が混ざっていくんですよ、ゆっくりと、踊りながら。――ああもう飽きてしまったんですか。
すみません、じれったかったもので。
いえ別にかまいませんがね。ところで貴方、おいくつでした?
二十六、でしたね。
ああそうでしたか。いかがでした、二十六年。
まあ……何とも。
そうですか。親御さんもいらっしゃるんでしょう?
ええ、そりゃいますけど……
悪いことをしたとは?
申しわけないとは思っていますが、大体あんた何ですか一体。人のことほじくり回すような真似して。僕だって人並みに思い悩んだつもりなんですがね。
あああお気に触ったのでしたらすみません。悪気はなかったんです。どれ、別の話にしましょうか。そうだ、この前なかなかいい景色を目にしたんですが、お聞かせしましょうか。
ええ、じゃあ。
確か、縁日のあった日でしたね。夜でした。花火の上がる音が、遠くから、ぱらぱらと聞こえてくるくらいの場所。縁日からの帰り道なのか、年老いた夫婦と、小さい子供が、ゆっくり手をつないで歩いていたんです。住宅街を通る道で、あまり街灯もないので、その三人の姿が現れたり消えたりするんです。真ん中を歩いている子供が、上を向いてね、おじいちゃんおばあちゃんに、まだ意味をなさないような、未熟な言葉を話すんです。老夫婦は、それにゆっくりと頷いたり、やさしく返事をしたりしていました。彼らは確かに、その子の言葉を理解しているようでした。夏でしたが、割合に過ごしやすい夜で。街灯には何匹か蛾もちらちら飛んでいたかなぁ。その灯りの下の三人のせいか、妙にきれいに見えたものです。貴方は、何か印象的な風景に出会ったことがおありですか。
そんな大したものが、あるのかなぁ。そうですねぇ――小さな地方都市の、ローカル線の無人駅のそばをよく通ったのですが、特に冬の夜ですね、そこだけ駅の照明でカーンと明るくなっていて、まるで聖域か何かのように思えたのを覚えていますね。明るいには明るいのですが、人なんか一人もいなくって、降りる人もほとんどいませんから、本当に、寒々しい感じでした。普段あまりじっくりと見ることはなくて、いつも足早に通り過ぎていましたけれど、印象に残ってはいます。こんな話でいいんでしょうかね、調子に乗って、とりとめもなく話してしまいましたけど。
ええ、構いません。素敵なお話でしたよ。しばらくこんな具合で話をしてみましょうか。次は何がいいかなぁ、ああ、駅で思い出した話が一つありますよ。どこかの駅の駐輪場でしたが、やっぱりそんなに立派な駅じゃなくて、駐輪場もそれなりで、蛍光灯なんか切れかかってたりするんですけれども。そこでねぇ、高校生くらいだったかな、男の子と女の子が隅の方で、手をつないで何か話をしていたんです。二人とも、本当に幸せそうな顔をしていました。黒く汚れたような蛍光灯の光の中でね、おそらくは、どちらかの電車を待っている、ほんの短い間なのでしょうが、そこだけは、本当に濃密な時間が流れていて。二人には、薄汚れた駐輪場も、灯りのちかちかするのも、見えていなかったんでしょうなあ。まあ、どこにでもある風景ですけれどもね。さて、次は貴方の番ですよ。何か、おありですか。
そうですね。これは新宿かどこか、大きな街だったなあ、もう日も暮れて――日の暮れるのは割に早かったと思いましたが――暗かったんです。雨も、冷たいのが降っていました。傘を買おうと思えば買えたのですが、なぜか買わずに、街の中をふらふらと歩いていました。雨の夜でも、人はそれなりにいて、明るかったですね。電飾が、とりどりに光っていて、ガチャガチャとやかましくて、普段じゃあ逃げ出したくなる所なんですが、雨のせいか、夜のせいか、普段よりやさしく見えたと言うか。同じ道を、暇でしたから何度か回っていました。回るたびに、電飾のタイミングの違いで、赤と青が一緒に光ったり、黄色と赤が一緒に光ったり、街全体の色がチカチカ変わってね。とても、その時はその光の洪水が、すごく気持ちの良いものに感じられました。雨は冷たかったのですが、光に包まれている安心感というか、そんなものが、あの時は何とも心地よかった……。夜の中へ、光と一緒に混ざり合って溶けていくようでした。
光の洪水ですか。素敵ですね。先程の駅の話といい、貴方はいろいろないい光を御存知のようですね。
いえ、そんなことはありませんけれども……そう言えば、私の名前は光だったかなあ。不思議なものです。
それはそれは。ではこんな話はいかがでしょうね、光さん。雨の降っている日でした。けっこう激しい雨でしたね。そんな日、踏切のところに、若い男が傘もささずに立っていました。すると警報器が鳴り出して、遮断器が降りて、電車の音が聞こえてきました。男はぼおっと待っているのかと思ったら、おもむろに足を進めて、線路の中へ入って行ったんです。もう夕方でしたので、電車の灯火でその男の影が映って宙を舞うのが見えました。警報器の音がその時はずいぶんやかましく思えました。真っ赤な光に雨が映って、さしずめ血のようにも、見えましたねぇ。と、お聞き苦しい話ですみません。
いえ、まあ――。
何か、気持ちの晴れるようなの、お願いしますよ。
そうだなぁ。うーん、もう、特にこれといっては……。あぁ、父が間違えて、居間の照明に暖色の蛍光灯を買ってきたことがあったっけ。気付かないで取り付けちゃって、捨てるのももったいないのでそのまま我慢していましたけれど、夏なんかは暑くてどうしようもなかったなあ。
ははは、それは災難でしたなあ。
ところで、ここはずいぶん暗いですね。
もうランプの火が弱いんです、ほら。
おぉ、ランタンですか。ガス補充しないんですか?
これは貴方の物ですよ。貴方の好きなようにして下さい。消してしまってもいいですし。
あ、そうなんですか――そうだなあ、消してしまおうかなぁ……。それにしても、見れば見るほど懐かしくなるような光だ。この光、何だろうなぁ、消してしまうのも、もったいないような気がするけども。小さな光だ。小さくて、情けない光だ……。また力強く燃え上がったりするんだろうか。どうかなあ、しないんじゃないかなぁ。よくわからないなぁ。わからない。ああ、火が……消えてしまう……小さな……火……俺の……光、か――


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