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ムノーと犬、そしてスウプ

 昔々、遠い砂の国の話であります。砂といっても南に山、北に海といった按配ですので涼しいくらい。山を越えてきた粉のような土埃がたまりにたまって、ハダシでは真っ黒になってしまいます。目の前の海で魚を取るくらいしか産業は無く、太陽が顔を見せるのも日に数時間。だだっぴろいだけの痩せた土地でしたので、せいぜいふだん使わない軍船をつないでおくにはちょうどいいくらいでした。そのため、町の半分は海軍の基地が占めており、人々はその陰でひっそりと暮らしておりました。
 ムノーが生まれたのは、基地から港までの軍用道路沿いです。生まれたのは商人の家で、漁師が獲ってきた魚を盛り場や隣の町にはこぶのが主な仕事です。魚の入った木箱を荷台に載せて、ろばに引かせられれば一人前。あとは道行でのごろつきや野のけだものとうまくやれれば日銭になります。でも銭をかせげば魚以外――たとえばろばにつける蹄鉄やまぐさ、新しい木箱やおとうさんの酒に変わっていきますので、いつまでも暮らし向きは変わりませんでした。
 家には水がめが二つあります。全く同じ形の双子の兄弟のようでしたが仕事はまったく別々です。ひとつはまっとうに水を溜めておくのに使われています。
 もうひとつは鍋代わりに火にかけられていました。地元の名士の娘だったムノーのひいおばあさんが嫁入り道具として持ち込んだものです。ちゃんとした鍋もフライパンもあったのですが、鍋は海に流してしまい、フライパンはおばあさんが亡くなった時に一緒に埋めてしまいました。なにかやらかしてから後悔する血筋ですので、しばらくは料理がしにくくて困ったものです。が、ある日ムノーのお父さん(当時は大人とも子供ともいえない中途半端な年齢でした)が水がめのひとつを火に掛けてから、すっかり便利になりました。以来、ムノーの家では煮物やスウプの料理しか食べられません。市場で拾ってきた売り物にならないくらい小さな魚、宗教の事情で食べてはならないとされるいかやたこ、それに至るところに生えている海藻を細かく刻んでぐつぐつと煮込みます。たまに山の向こうから鳥の肉が入っても、いつもの鍋に加えてぐらぐら煮てしまいます。パンや焼肉が食べたければたまに山向こうに行きました。
 ムノーの家にはおとうさんとおかあさん、それにおばあさんにおねえさん。ついでに犬が一匹おります。おねえさんは栄養の足りない身体に腹だけが妙に膨らんでいて、時折ぽこんと動きます。そのたびにおねえさんやおかあさんは嬉しそうな顔をしますが、おとうさんは苦々しげに煙草に火をつけます。部屋に煙が漂うとおばあさんがさっさと窓を開けてしまうのでおとうさんは余計にいやな顔をします。夜だと灯りを求めて蛾が入ってきます。
 犬は玄関脇の砂地に寝そべっているのでいつも真っ黒けです。朝ごはんを終えたムノーが戸を開けると嬉しそうにやってきて砂浜へ誘います。東風の強い日で、まきあげられた砂で世界がぼやけて見えます。そんな人間の都合とはお構いなしに、犬はどんどんと先に行ってしまいます。家の前、集落の井戸の脇を駆け抜け、レンガの塀を越えると軍用道路があって、砂浜と海です。いつもの道、いつもの空間、砂埃で前が見えなくなったって、転がっている石や生えている草の形まで分かる通り道。犬はどんどんどんどんと走っていって見えなくなって、そうして、ぎゃんと一声鳴いたきり。犬のからだからもやもやと命のもとが抜け出していくようでした。刻印のようなタイヤ痕をつけて、口元の血のほかにはすっぽりと毛が覆っていましたが、それでも動物のからだの中で死蟲がぐるぐるとうごめいているようでした。助けを求めて家に戻ると、ごほごほと血の泡を吐きました。おばあさんが出迎えると、大丈夫だから、とムノーを籠に入れてどこへともなく出かけていきました。
 ムノーが犬に再会したのは翌日の夕方になります。薪を取りに家の裏手に行くと、壁に張り付いている、犬の、毛皮がありました。力が抜けそうになるのを我慢しながら、ムノーは台所に飛んでいき、鍋の底を攫うと動物の骨がごろごろとでてきました。魚の細かな骨ではない、ごろりとした動物の骨であります。
 おばあさんは「そりゃあ、腹が減っていたんだもの」というのです。おかあさんは「あんたも食べたでしょ」といいます。お姉さんは「いい味してたわ」といいます。お父さんは仕事の仲間と酒を飲みに行って、明け方まで帰ってきませんでした。ムノーはずいぶんと泣いていましたが、結局のところおかあさんにひどくどやされて床に臥しました。山の上に月が出ているらしく、透いた窓を通して世界がほの明るく光っています。夜に目が慣れてしまって、起き出すと台所に向かいました。
 軍用道路の街灯に照らされて、台所の闇の中で水がめが双子して部屋の端々に立っています。お弔いで眠れないでいるようで、ムノーは水がめに手をおきます。何にも動じない磁器の冷気があります。水がめにかかった玉じゃくしで底を掬うと、おもったよりも重い感触であります。はっとしてぐいと持ち上げると、玉じゃくしに連れてスープが丸ごと持ち上がるのです。経験のある読者の方ならばお分かりでしょうが、骨の髄からのエキスがスウプに溶け出して、冷えて固まったものであります。ムノーの驚いたこと驚いたこと。でもしかし、よくよく考えてみると、それは神様の意思のようにも思えるのです。
 しがみついてぷるぷる震える犬を下げたまま外に出ると、真上から月のひざしが照らします。人に踏まれないところ、ごみための脇の土はやわらかくなっています。ムノーはシャベルで穴をこしらえると、犬のかたまりを埋めました。ビンの欠片があったので、目印代わりに挿しました。そうするとようやく安心したのか、部屋に帰って眠りました。手は汚れたままでした。

 べろんべろん。顔にあたる感触は夢ではないようです。夢でゼリーの山に頭を突っ込んでいて、目覚めると犬の舌が顔中を舐めていたということは往々でしたが、昨日の朝と同じ舌の感触です。しかし、確実な違和感があって、ムノーは飛び起きました。泣き腫らした目には目やにがこびりついて、うまく目が開きません。ムノーが起き上がると犬がベッドからとん、と降りる感じ。これも今までどおりです。でも、音は「とん」ではなく「どすん」でした。ようよう定まった視界で足元を見やると、なんと砂にまみれた塊が上下に膨らんだり縮んだりしているのです。
 ムノーが家の裏に下がっていた毛皮をかぶせると、犬は器用にかぶさって、なんだかそれらしくなりました。目のところの穴からのぞく砂は丹念に払いました。
 生活のうちに犬はだんだんともとのかたちを取り戻しつつあります。目にいいといわれる貝の殻を目の穴にはめ込むと、じきに目の玉になりました。
 話はおしまい、これでおしまいです。じきに爪が生えて、歯が生えて、尻の穴が見えるようになると何もかもがすっかり元通りでした。ムノーも今までどおり犬を可愛がり、お父さんはかわらずに不機嫌なままでした。ただ、ひとつだけ違うのは、朝、犬が起こしに来る時も、一緒に寝る時も、浜に遊びに行く時も、犬のからだからはムノーの家のスウプの魚臭がぷんぷんと臭うことであります。あと、ワンともキャンともいいません。それ以外は、元通りであります。
 間違いありません。



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