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第3回パラ1000字小説バトル

  第3回テーマ:「傘を差して歩いていると、向こうから来た車が横で停まり、ドアが開いた」


エントリ作品作者文字数
01(作者の希望により作品の掲載を終了しました)
02レコードとむOK1000
03桃色の雨待子あかね1000
046/9ロヨラ1000
 
 
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エントリ02  レコード     とむOK


 何もない低い空中で一枚だけ若葉が揺れていた。近くのプラタナスの幹から細いくもの糸が伸びていて、風に折れて樹を離れた幼い葉をそこにとどめているのだ。晴れた日は見えないけれど、今は雫が透明な糸にいくつも吸いついて数珠飾りを作っていた。
 傘を差して歩いていると、音はすっかり消えていた。
 降り止まない雨は街の音を洗い流して、入り組んだ石だたみの坂道を灰色に濡らし、足早に歩く会社員や、買い物袋を重そうに傘と持ち替える主婦をうつむかせていた。誰も楽しそうには見えないけれど、あの人たちには行き着く場所がある。そんなに遠くない処に、自分がそう信じられる場所を持っている。
 閉館のチャイムが鈍く響いて、すうっと消えた。雨の図書館はあたしを惹きつけて離さない。時の止まった空間の片隅にひっそりと取り残された一台きりのレコードプレイヤーで、あたしは古い映画音楽を聴く。その場面のためだけに作られた音楽たちはどこにも行き着くことはない。初めて来たのは、これからの浪人生活をもやもやと思っていた四月の日曜日だった。花曇りの空がいつか雨に変わり、あたしは読む気のない参考書を閉じて館内を奥へ進んだ。彼は繊細な指で、壁際のラックの高い処からレコードを選んでいた。
 小さくしぶきを立てて、窮屈そうに細い路地の向こうから来た車が速度を落とす。灰色のアストン・マーチン。見慣れてしまった気障な英国車がゆっくり近づいてくると、消毒薬の匂いがつんと鼻に蘇った。
 レコードに針を落とした指で、彼は後ろからあたしにヘッドフォンをかぶせて、頬を撫でた。その夜、消毒薬の匂いのするスーツに火照った顔をうずめながら、この人と一緒なら行き着けると思った。細かい作業の多い仕事に似合わない、暖かく柔らかい手で抱いてくれるこの人が、アストン・マーチンであたしの場所を探してくれると思っていた。
 でも幾夜逢っても左手の薬指は無言のまま、いつも硬く冷たく私に触れる。そのせつなに、盤の傷が曲の同じところを繰り返させるように、あたしを最初の痛みに引き戻してしまうのだ。
 気づかないふりをすればいい。このまま通り過ぎてしまえばいい。そう思っているのに、透明な糸があたしを絡め、立ち止まらせる。見えないはずのそれは今、雨粒を曳いてはっきりと車の中の影にのびていた。
 あたしは振り返って、すり切れたレコードのような笑顔を向ける。
 車が横で停まり、ドアが開いた。





エントリ03  桃色の雨     待子あかね


 アンブレラ。さあ、ラン、ラ、ラ、ラ。雨に濡れるのは気にならない。シャワーを浴びるように髪を濡らして、そして心も濡らして。だったら、傘なんて差さなければよかったんだ。チカはぶつぶつぶつぶつと呟いている。
 ぶつぶつ言いながらも、ほんとうは楽しくて仕方がない。チカは人通りの少ないこのアーケードのない商店街を歩くのがすきだ。うきうきするようなことがあった日は、この道を通るようにしている。そうすると、喜びが何倍にも膨らむのだ。閑散としているが、それがじんと深く染みて心地よくなる。何かがあるというわけではない。むしろ、何もないから心地よい。
 18時をまわれば、たいていのお店はシャッターを下ろす。灯りがぽつりぽつりと消えていく。街灯だけが残されている。チカが通るのは、仕事の帰り。今は、18時30分。だいたいそんな感じ。それで、チカは商店街が実際に営業しているさまを知らない。すきな風景ではあるが知らなくてもいいと思っている。このすきな風景さえ残っていれば、それでいいのだ。

 穴ばかりのこの傘。深い桃色地に淡い桃色の花びらが散りばめられている。お気に入りの傘。穴ばかりになったのは、自転車に積んで絡まってしまったから。
 これじゃあ、広げてみても雨を凌ぐことはできないわ。そう思いつつも、チカは散りいく花びらを眺めるため、傘を開く。髪がしとやかになっても、チカはご機嫌。くるくる、くるり。花びらをまわす。穴ばかりの傘がまわる。平気だと思っていても、次第にしずくが身体を冷やしていった。
「お嬢さん、どこまで行くんですか? 乗っていきませんか」
 手も挙げていないのに、タクシーが止まった。運転手はチカが気にかかったらしい。傘も差さずに雨に濡れる人なら幾人もいるが、穴の空いた傘をぐるぐるまわして濡れる人はそうそういないはず。彼は、異様な雰囲気を放っているチカと話がしたくなった。
「もう、すぐそこですから」
「気にしないで。さあ、乗って」
 彼は、そう言うなり車を降りてチカを半ば強引に助手席へ座らせた。

「真っ直ぐ進んで、それから二番目の信号を左。だったよね」
 何のことを言われているのかわからないチカは、ただ恋人でもない人の車の助手席にいることを怯えている。
 左に曲がって少し行くと、見覚えのある場所に出てきた。ぼんやりと眺めて、ここがどこだか記憶を手繰り寄せているチカに運転手は言った。
「その傘の、新品を買っておいで」





エントリ04  6/9     ロヨラ


 梅雨だったから、午後から雨が降りはじめた。授業が終わったので、北村は傘を差して帰ろうとした。北村は小学四年生の女子だ。石田という男子の同級生が昇降口に立っていた。傘を持っていないらしかった。石田は北村と帰る方向が一緒だった。
 男子と相合傘をするのはためらわれたが、石田が濡れて帰るのを見過ごせなかった。
「入ってかない?」
 石田は振り向いて、北村の傘を見た。北村の傘は赤かった。ほんのすこし考えたようだが、石田は「ありがとう」と言って北村の傘に入った。
 石田のほうが背が高かったので、傘は石田が持った。北村はその状況に恥ずかしさと愛おしさを感じて、胸が苦しくなった。
 傘を差して歩いていると、向こうから来た車が横で停まった。ドアが開いた。石田の母親だった。石田は持っていた傘を北村の手に返し、弾かれるように傘から出た。石田は、そのまま母親の車に乗って帰った。

 流行しているから、今年の夏には袖なしのランニングシャツを着なければならなかった。そうなると、肩を露出しなければならない。吉田の肩には毛が生えていたから、大変に見栄えが悪かった。吉田は男子学生だ。
 純白のチュチュに身を包んだバレリーナの絵がパッケージに描かれた、むだ毛の脱色剤を買ってきた。吉田は同棲している。同棲相手は北村という同じ大学の女子学生だった。
 梅雨だったから、午後も雨だった。二人とも上半身裸になり、脱色剤を塗り合った。北村はうなじの毛を脱色したかった。脱色剤には強い刺激臭があったので、窓を開けた。扇風機も回した。
 薬剤を塗ってから五分放置しなければならなかった。北村はうつ伏せになり、胸元にクッションを滑りこませた。「もう夏が来ちゃうんだね」とつぶやいた。

 オレンジ色の棒アイスをかじりながら北村が帰ってきて、突然にこう言った。
「夏に、実家には帰るんだっけ?」
 吉田と北村は、ともに地方出身だった。大学進学で都市部まで来ていたのだった。そしてバイト先で知り合った。
「どうしようか」
 吉田は曖昧な返事をした。実家に帰っても両親がなにかと話しかけてきそうだから、帰るのは嫌だった。北村もたぶん同じ気持ちだった。話さなくても分かった。
 結論を出すのが面倒だったので、洗濯をすることにした。雨が止まないので、洗濯物は部屋の中に干した。すると天井から洗濯物が手を伸ばしてくるようで、とても息苦しい。それから実家に帰らないことを決めた。