第48回1000字小説バトル

エントリ作者作品文字数
孤独974
明星朝の出来事1289
有機機械ナイフ990
青野 岬異形の魚1000  
浅田壱奈気休めの場所1000
満峰貴久罪には罰1000
ながしろばんり酔ひもせず1000
ハンマーパーティー月の子1000
松田めぐみ休日の朝の出来事1000
10中川きよみくちづけ1000
11 (作者の要望により掲載終了しました)1000
12ヒヨリ旅路の果て1000
13ごんぱちいちばん不幸1000
14さとう啓介屋根裏のチクリス1000
15夢追い人暗闇の光1000
16伊勢 湊宇宙で一番冷たい天体1000
17宮田義幸タイムカプセル1000
18橘内 潤『飛縁魔』987
19越冬こあら負け犬1000
20カピバラベランダ黙示録1000
21日向さち嫉妬1000
22詠理『天下泰平の夜』1012
23アナトー・シキソちがう。芝生の紙はヒッカケだ。1000
24太郎丸インタビュー1000
25第1素描室りんご1000
26るるるぶ☆どっぐちゃん孵化1000
27犬宮シキ不条理すら向日葵1000

バトル結果ここからご覧ください。

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Entry1
孤独

「お父さんとお母さんどっちが良い?」
 小学校低学年の頃、楓はその問いに答えなければならなかった。
もちろん両方とも好きだし、選べと言われても選びようのないことであった。結局、家事のできる母親を俺は選んだ。
「お母さんにする」
眼に、涙を溜めて震えた声で問いに答えた。それと同じに父親は、
「俺は、そろそろ寝るは・・」
重たい空気を残して寝室へ移動した。
 離婚してから、母と北海道のボロアパートへ住むことになった。
「楓!学校は慣れたかい?」
と母が聞いてきた。
「だいじょうぶだよ〜」
とりあえずそう言っといた。実際のところは、音楽の時間にクラスのみんなで合唱などをしている最中に、なぜか涙が溢れてくるのが現状だった。また、看護婦をしている母は帰ってくるのも遅く、俺はコンビニで夕食を買い、一人で食べていた。
 母が深夜勤務の時は、学校が終わってから、一人で森へ向かう事にしていた。それは、友達がいない事を母に知られたくなかったからである。
 森にはとても夢が詰まっていた。クワガタをとったり、独特の空気の匂いが幸せを与えてくれた。
 そんな生活が2ヶ月続き、学校行事の『運動会』を迎えた。足は、生まれつき早かったため、リレーのアンカーをした。その日の学校帰りに『つよし』という名前の男が家に招いてくれた。
「どうしてあまり喋らないの?」
つよしがテレビゲームのコントローラーを握りながら聞いてきた。
俺は作り笑いをしてその場を切りぬけた。つよしの家はお金持ちでもあり、なんとなく嫌な気分になってしまっていたからである。
 その夜、夢の中に父親が出てきた。父は笑っていた。
「お父さん・・・」
「無理に、友達を作ろうとしなくてもいいんだよ!一緒にいて安心できる人と遊べばいいんだよ!そうすると笑顔も自然に生まれてくるんだよ!」
優しい声で父は教えてくれた。
「うん、わかった!」
そう答えると父は夢の中から消えていった・・。
 次の日誕生日を迎えた俺は、一人で森へ行き、クワガタをとってきた。その日は母が早く帰ってきてくれたらしく、料理を作っていた。
「つよしくんから誕生日プレゼント預かったよ!」
母が背中を向けながら言った。
プレゼントは、以外にも、手紙であり、その内容は
『お金持ちだからって嫌いにならないでね!こんど一緒に、カケッコしようぜ!!』
と書かれていた。
涙と笑顔がこみ上げてきた・・・



文字数974
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Entry2
朝の出来事

ふと、目を覚ました。外はまだ薄暗い。
なのに、目の前にとても明るい光を感じた。
ゆっくりとした動作で目をこする。その光の向こうに誰かがいるような感じがした。
「拓也君…。」
「えっ?」
視界が次第にはっきりしていき、その声の主の全体像を把握した。
彼女はやさしく微笑み、天井付近に浮かんでいた。
僕はその時に恐怖を感じなかった。それどころか彼女の表情からどことなく懐かしさを感じた。
しかし、彼女は誰なのかわからない。
「き…君は…誰?」
そういうと彼女『やっぱり…』というような表情でくすっと笑った。
「やっぱり…覚えてないんだね…。無理もないよね・・・私達、小学生だったから…。それに私…死んじゃってるし…。」
「だから君は誰なんだ?」
「私は桜谷 綾。拓也君とは幼馴染みだよ。昔、よく一緒に遊んでいたよね?」
『桜谷 綾。幼馴染み。』その言葉で頭の中を無邪気な思い出が駆け抜けた。
「あぁ。あの綾ちゃんか。なつかしいな。死んだのに大きくなってよりいっそうかわいくなってるからわかんなかった。」
なぜだろう?僕は平静を保っていられた。
「拓也君もね。あの時はかわいかったけど今はかっこいいよ。」
幽霊とはいえ、女の子から言われると赤くなってしまう。
「いやぁ、それほどでも…。で、何でここに?」
彼女の顔が見る見るうちに暗くなっていった。
「私、見ての通り死んじゃったでしょ。こっちの世界ってすごく孤独で寂しいところなの。でね、小さい時から寂しいよって泣いていたらいつのまにか、拓也君の部屋にいたの。」
『そうだったのか…。』心の中で僕はつぶやいた。
「あの頃は私達、誰から見てもLove×2だったよね…。ねぇ、約束したよね?…将来結婚しようって…。ずっと私達いっしょにいようって。」
「ああ。覚えている。」
「でも私、病気で死んじゃって約束を破っちゃった。ごめん…。その罰なのかな?とても寂しくて悲しいの…。拓也君、私どうしたらいいの?」
僕は少し悩んだ。
「ごめん…。僕にもどうしたらいいのか分からない。でも、悲しいのならいつでも僕に抱きついてきていいんだよ。ほら、あの頃のように…。」
僕は彼女のほうに向かって静かに手を広げてあげた。
「た…拓也君…。」
彼女が抱きついてきた。きれいな涙を流して…。
僕も彼女の悲しみを受け止めてあげるかのように、体をやさしく抱いた。彼女は死んでいるのに温かいぬくもりを感じた。
「ごめんよ。君がそんなに悲しんでいたなんて…。苦しかっただろ?」
「…うん。ありがとう…。拓也君、いつまでも私のこと忘れないで…。大好きだよ。」
「僕も……大好きだよ。」
僕らは自然とキスを交わした。彼女苦しさがなくなるのが伝わってきた。
キスをし終えると、彼女は霧が晴れるかのように消えていった。
「………!?」
僕は飛び起きた。
「夢か!?」
いや、夢ではないことがすぐに分かった。
彼女の姿、声や唇のぬくもりをまだ覚えている。
自然と涙が頬を伝っていくのが感じられた。
外を眺めながら、「今日は久しぶりに綾ちゃんのお墓参りでも行くか。」と、つぶやいた。
『ありがとう…。』
「えっ?」
後ろで誰かがつぶやいた。
しかし振り返っても誰もいなかった。


明星
http://www.geocities.co.jp/AnimeComic-Palette/2568/
サイト名■☆Lightning Stars☆
文字数1289
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Entry3
ナイフ

 夜の海辺の駐車場、僕は車の後部座席で眠りに入る。波の音と、時折通り過ぎる車の音が僕の心を落ち着かせる。
 と、その時、眠りに落ちかけていた僕の耳に、女の子の悲鳴が飛び込んでくる。耳を澄ますと、数人の男達の囃し立てるような声も聞こえる。僕はおそるおそる身体を起こし、後部座席のスモークの張った窓越しに外の様子を窺う。  
 薄暗い駐車場に、小さな軽自動車が一台と地面ぎりぎりまでローダウンしたワゴン車が一台停まっていて、1人の女の子が4人の男に囲まれている。男達は下品な笑いを浮かべながら代わるがわる女の子に抱きついたり、服を引っぱったりしている。ここは男として出ていかねばなるまい。そう思ったが身体が動いてくれなかった。昔から運動神経はいいほうだったし、今でもジョギングや筋トレなどで身体を鍛えているが、生まれてから一度も喧嘩をしたことがなかった。僕は、ダッシュボードからドライバーや缶切り等のついた折りたたみナイフを取り出した。
 セーフティスイッチを解除してナイフの刃を開いたが、なかなか車から出る決心はつかなかった。
 もしこれであの男達を刺したら刑務所行きだろうな。これを見せて脅したら退散してくれないかな。いや相手は4人だしそう簡単にいかないだろうな。先に殴らせてからだったら正当防衛になるかな。でもナイフだったら過剰防衛かな。先に素手で殴りかかろうかな。でも4人だしな。警察官になった大学時代の友達も絶対先には手を出すなって言ってたしな。僕は一旦ナイフの刃をしまう。
 その時、ひときわ大きな泣叫ぶような声が聞こえた。僕はパニックになる。あせっているのか、恐怖しているのか、たぶんその両方だと思うのだけれども、手が震えて止まらなくなる。そこでひとつ深呼吸をする。
 僕が口で男達を説得しようとする。そしてぼこぼこに殴られるが僕に罪はないし、そいつらは警察に捕まるかもしれない。でも女の子は暴行され心に一生消えない大きな傷を負う。
 僕が先に殴りかかる。1人か2人は痛い目に合わせられるかもしれないけど、やっぱり僕はぼこぼこに殴られる。そして一応戦ったという満足感は得られる。でも女の子は暴行される。
 僕がナイフで男達を次々と刺す。それで終わり。僕は刑務所行きだけど、女の子は助かる。そうだ、女の子を救わなければそもそも僕が出ていく意味はないんだ。
 よし。僕は再びナイフの刃を開き、車のドアを開けた。


有機機械
http://www.d2.dion.ne.jp/~syuki
サイト名■ORGANIC MACHINE
文字数990
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Entry4
異形の魚

 その魚は、異様な姿をしていた。
 白い肌に、海藻を思わせる長い黒髪が貼り付いている。切れ長の目に、唇はまるで紅をさしたかのように赤く濡れて光っていた。胸には、ふたつの乳房らしきものまである。けれども下半身は、上半身には無いおびただしい数のウロコで覆われている。足も無い。それまさに古くから言い伝えられている『人魚』の姿そのものだった。
 僕はその異形の魚をクーラーボックスに入れて持ち帰り、巨大な水槽を購入して家で飼うことにした。名前は、瑠璃色に輝く美しい瞳から『ルリ』とつけた。海水魚を飼育するのは、淡水魚を飼育する何倍ものお金と労力がかかる。それでも水槽の中で優雅に泳ぐルリを眺めるのは、僕にとって最高に幸せな時間だった。
 ルリは夜になると水面から顔を出して、僕の知らない歌をうたった。これまで耳にしたことの無い澄んだ歌声は、僕を遥かな深海へといざなう。青い世界に漂いながら、水槽の前で朝まで眠り込んでしまうこともしょっちゅうだった。
 僕はルリに夢中になった。ルリと離れるのが辛くて、仕事も辞めてしまった。「もし、ルリの身に何かあったら……」と思うと、怖くて外出もできない。いつもルリと一緒にいたかった。
 ルリに対する想いが高まるにつれて、僕は「ルリとひとつになりたい」と願うようになっていった。でも水の中で生活する体長八十センチあまりのルリを、人間の女と同じように扱うのには無理がある。
 僕は泣いた。冷たい水槽に額を押し付けて、泣いた。泣きながら、人魚の肉を食べて八百歳で自害するまで生きた『八百比丘尼(はっぴゃくびくに)』という昔話を思い出した。人魚の肉を食すると不老長寿の身となり、永遠の若さを手に入れられるそうだ。
 ルリの肉が僕の体内に入り、やがて僕自身の血となり肉となる……その官能的な思いつきに、全身が粟立った。
「ルリとひとつになりたい」
 僕はその甘美な誘惑に抗い切れずに、ルリを殺してその肉を食べた。
 鮮やかなバラ色をした肉は何とも言えない甘い芳香を放ち、僕はとろけるようなルリの身を全て食べ尽くした。
 からっぽになった水槽の前に寝転ぶと、身も心も満たされた満足感からか猛烈な睡魔に襲われた。家に残っている食料は、あとわずか。貯金ももうすく底をつく。このままルリと朽ち果てる悦びに僕は酔い、静かに目を閉じる。永遠の若さなんて、いらない。

 遠くで、ルリの子守唄を聴いたような気がした。


青野 岬
文字数1000
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Entry5
気休めの場所

 ドアを開けると、ビュッと風が吹き抜けた。外は、初夏を迎えて明るく、爽やかだった。けれど、私の心はどんよりと暗く、いつまでも梅雨の色をしている。
 ここは、学校で唯一お気に入りの場所。そして逃げ場である。でも、ここに来たからといって、私の心が梅雨明けするわけではないけど。

 フェンスから見える淀川は、いつも通り堤防に包囲されていた。窮屈そうに。
 私はここから見える景色が好きだ。淀川の流れを見ていると、私の悩みも一緒に流してくれるような気がするから。もちろん、気安めに過ぎないけど。
 フェンスを乗り越えて、一歩だけ淀川に近づいた。もう一歩踏み出せば、一瞬空を飛べることができるだろう。そして、淀川にも少し近づけるだろう。
 ここは、学校の中で最も空に近い場所だからか、風が強い。後ろ手で、しっかりフェンスにつかまっていないと、一歩踏み出さなくても空を飛んでしまう。
 そういった状況ではあるが、恐怖感は一切ない。むしろ、心地よいと感じてしまう。このまま手を放し、一歩踏み出して、風の気の向くまま飛んでしまおうかと考えた。そうしたら、楽になれる。きっと楽になれる。いじめられることもない。友達の輪から外れたことを落ち込まなくていい。家で窮屈な思いをしなくてもいい。とにかく、つまらない人生を送らなくていいのだ。手を放せば。
 そう思うと、心の梅雨が明けてくる感じがした。
 私は目をつむって、用心深く溜め息を吐いた。そして、ゆっくりと目を開ける。急に足の先から頭のてっぺんにかけて、冷たい電気のようなものが走った。みるみるうちに血の気が引き、体中震え出す。
 怖い。
 急いでフェンスを乗り越え、元の位置に戻ると、安堵で腰が抜けた。息を落ち着かせながら、近づくことのできなかった淀川を見る。
 きっと淀川は堤防に包囲されて窮屈に違いない。でも、淀川は仕方なくといった様子で、大阪湾に向って流れている。
 窮屈だけど仕方ない。自然の力には逆らえない。流れるしかないのだと、淀川が私に語り掛けているような気がした。

 チャイムが鳴る。

 また、あのじめじめした教室に戻らなければならないと思うと、梅雨明けしそうだった心が、元に戻っていく気がした。それでも仕方ない。流されるしかない。

 ここは、学校で唯一お気に入りの場所。そして、逃げ場。ここに来たからといって、私の心が梅雨明けするわけではないけど。
 ここは、ただの気休めの場所。


浅田壱奈
文字数1000
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Entry6
罪には罰

「ちょっと、何してるんだ」
 低く、怒気を含んだ言葉に二人の少女は一瞬にして固まった。一人はうなだれ、もう一人は上目遣いで私の顔を窺っている。
「済みません」一人が小さな声を出す。
 私は構わずもう一人が持っている紙バッグの中を覗いた。
 小さなぬいぐるみ、ポーチ、安物の口紅とマニキュア、そして、私の店の物じゃない衣類、本まで入っている。全て万引きした物ばかりだった。
「こんな事して、判らないとでも思ってるのか」
 興奮しているため、思うように言葉が出ない。声の震えを抑えるのが精一杯だ。
 少女達はじっとしたまま俯いている。

 小さな個人商店をやっている者にとって、何よりも不快な事は万引きである。狭い店内に、自分の目で選んで、気に入った商品を仕入れて陳列するのだから、何処に何があるのかという事は全て頭の中に入っている。しかし、売れていないのに無くなっているという事がたまにある。扱っている商品は、生活必需品という物ではなく、趣味の小物雑貨である。それを、ただの出来心で万引きしてしまうというのは絶対に許せない。できることなら、盗まれた商品に呪いをかけて、犯人に復讐したいと思うほど悔しいことなのだ。
 最近は、万引きを気にするあまり、目つきばかりか、性格まで悪くなってしまったような気がする。店の売上が悪くなっているのも、不況のせいばかりではないのかも知れない。

ただ、万引き犯には立ち直れないほどのダメージを与えてやりたい。警備や、警察に通報しても、奴らはけろっとして、一向に反省するどころか、かえって逆恨みされてこちらの身に危険が及ぶことさえ心配しなければならないのだ。
そこで私は、二人組の場合の、その仲を決定的に裂く言葉を考えた。どんなに仲が良いとしても、悪いことを一緒にするような仲なら今すぐにでも縁を切ったほうが良いのだ。この先、一生いがみ合うようなことになったとしても、私には関係ないことだ。

 二人組みの場合、必ずどちらかが見張り役をしている。
 反省している素振りを見せる二人に向かって、「もう、絶対するんじゃないぞ」と言うと、もうこれ以上のお咎めは無いと思ったのだろう、二人はほっとした表情で「済みませんでした」と言った。
 ひょいと肩をすくめ、お互いに目を合わせながら「失敗しちゃったね」と言う感じで店を出て行こうとする二人の一方の背中に向かって私は言葉を投げた。

「君が教えてくれて助かったよ」


満峰貴久
文字数1000
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Entry7
酔ひもせず

 色は匂へど、自分ではしゃんとしていると思ってる。滑稽なる酩酊、帰れるかな、電車はあるのかなって新宿駅東口改札は人だかり、この時間にゃ快速もないから、豊田行きか武蔵小金井行きに乗ればいい。厭なら飲まなきゃいいのに、帰りの電車の十五分はぞくぞくと密室。盛大にクーラーなんかかけやがって、震える肩にでばさいの眼、きっと睨んだ先にムーミンのネクタイ。ムーミン! ふと顔をあげる。三十路前だろうか、善良な首が載っている。善良。だってそうだろう、この時間に、素面で、働いているんだぜ?
 各駅停車、お次は阿佐ヶ谷、阿佐ヶ谷。母親の実家がある。それ以外は、なにもない、はずの夜空に、赤々と焔立つ。北側の、前方五キロ、青梅街道辺りの、大きな大きな、火事。ばんぼん燃えやがって、こんなとき働きに出る消防士の身にもなれってんだ。夜になったらみんな眠れ! 汗のじっ、と引いて、背骨を伝って腰が深々と冷えて。
 パンツのゴムに、汗が溜まっている。
 吉祥寺。京王井の頭線、最終電車まで御急ぎください。五人の男が入ってくる。一人の手足を一人一本持って、ぶら下げてやってくる。あっと声をあげたのは俺じゃない。俺だったかもしれないけど、ただ、四人に吊り下げられた男が真黒焦げで、とっさにさっきの火事の被害者と気がつく。阿佐ヶ谷から吉祥寺まで十分弱、大丈夫、計算上も、つじつまが合う。
「だっからヤだったんだよ、こいつ連れてくるの」
「あれ、連絡したの? ケイちゃんとかに」
「ん、国分寺のロータリーまで迎えに来るって」
「いいよな、そうやって迎えに来てくれる彼女がいるって」
「そうやってこいつは一生誰かに負ぶさって生きて行くんだと思うよ、そういうやつ、いるじゃん」
 名誉の殉職者に何言ってやがる。彼は身を呈して業火を食い止めたのですぞ。おまえらみたいな学生なんぞに吊り下げられるようなタマと違うんだからな、まったく……
 夜の底は白く光るのだろうか。ぼうと見つめた視線の向こう、窓ガラスが白く光るのは蛍光灯が映っているからだ。線路脇のアパートで眠る人々。ひとつ、大通りを越えて雑木林の影だけ見える。近くまで行くと遺産相続の立て札が立っていて、クズ高く積もるブリキ板、弁護士の名前が連々としていて。燃えてしまったら、きっとさっきの火事よりも綺麗に見えるに違いない。
 三鷹駅で降りる。湿気に迎えられて大きなくしゃみを一つ、だいじょうぶ、酔ってない。


ながしろばんり
http://www5a.biglobe.ne.jp/~banric/equinox/
サイト名■Equinox.
文字数1000
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Entry8
月の子

 時間の影に隠れて、誰もいない土星で鬼ごっこ。世界は真っ黒だ
けれど、自分で明るくすることができるんだ。
 月子は静かに部屋を出た。音をたてずにお勝手口から外に出れる
ようになった。
 学校では意地悪たちに見つからないよう、教室の後ろからそっと
自分の席につかなければならないから。
 金曜日の朝は登校の前にママとお散歩。
 ある朝、庭に水をやっていたおばさんに言われてママが新聞を配
達してるんじゃないって分かった。
「悪いけどねえ、どうせ捨てちゃうから、うちにはもう入れないで
くれますかね?」
 月子は母親が平謝りしながら足早に去るのを見て、あの笑顔の法
則の本をママは近所に配っているのだと分かった。
 うちから遠いところをまわっていたとき、早起きして体操をして
いた知らないおじいさんにどなられた。
「宗教のパンフなんて入れないでくれ」
 空が真っ黒になったよ。夜中に太陽を点けよう!
 教室でどうして自分があの意地悪たちの標的になるのか分からな
かった。ママの本のせいかな。パパがいないからかな。わたしが笑
わないからだろな。
 近所のスーパーでレジを打ってるママを、学校の帰りにお店のガ
ラス越しにちらっと見るんだ。目が合うのがいやだから、れいてん
一秒の早技なのだ!
 うちのテーブルに置いてある笑顔の法則の本。写真の人たちみん
な笑っているんだ。ママは笑わないのに。空が真っ黒。
 アルミ板のぐわぐわぺこぺこいう音は嫌い。
 知らない男の人たちが来てたころよりはずっといい。ママはお酒
を飲まなくなったんだ。うれしい。
 太陽を見あげて。中心はどこかな? 地球の軸と月の軸の角度で、
誰かが隠れているドラム缶みーつけた。ドラム缶の中は灰に埋もれ
た時間の塊が燻っているだけで、氷を入れてもすぐに溶けちゃう。
誰もいないね。後ろの正面は後ろ?
 クラスの意地悪たちにちょっかいを出されても誰も助けてくれな
いよ。
 おしの人たちの歌が聞こえてくるよ。とてもやさしいんだー。
 太陽がいないときでも、自分で点けることができるよ。時間が着
替えをするんだ。月子はお洋服の型を切り抜いていく。楽しいよ。
 ママがおくすりを飲んだとき、こうしてお勝手口から静かに外に
出るんだ。手に握ったライターは今は冷たいけれどカチッという音
で暖かくしてくれる。近所の家々の灯りもついてみんな外に出てき
てくれる。消防車やパトカーが来てくれるときもあるんだ。
 だから世界は闇じゃない。


ハンマーパーティー
文字数1000
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Entry9
休日の朝の出来事

 その男は休日の朝突然やってきた。
 私は玄関の脇にある小窓を開けた。


こんにちは。
いや、セールスじゃないんですよ。お休みのところスミマセン。
今日は良い天気ですね。
おや、洗濯中ですか。
しかし、大変ですよね。毎日毎日夜中まで仕事して、休みは週に一日しかないし、家の事をしなくてはならないし。
彼氏もいくら妻子持ちだからって、せっかくの休みの日くらい何処かに連れて行ってくれてもいいのにね。
県外とかなら人目を気にしなくてすみますし。

あ、スミマセン。ついつい余計なことを……。

まあ、立ち話もなんですからあ……。

しかし、良い天気ですね。お水をいただけませんか……

いかにも洗濯日和ですね、お昼頃には乾いちゃいそうな勢いですね。
しかし、関心です。洗濯はまめにしていらっしゃるようで。
あ、だんだん不機嫌になってきましたね。スミマセン。
えー……。

あのお……

言いにくいのですが……

部屋に入れていただけませんか、なんて……

そのお……

忘れ物がありまして、部屋に入れてください。
あ、はいはい。
申し遅れましたが、あなたが此処へ引っ越していらっしゃる前に此処に住んでいたものです。
あ、いや、その、隠してあるものですから。

え?
ち、違います。別にあなたを監視していたわけではなく、そのお、忘れ物が……
いやいや、ストーカーではけっしてないです。だってあなたが昨夜何処へお出かけになったか知りません。
どうしても、ダメですか……

正直に申し上げますと、あなたの為ですから。
その、実は此処には住んでいたわけではなく……

仕事場として使っていまして……

こんな手は使いたくなかったのですが、脅すわけではありません。しかし此処ってペット禁止ですよね。
なのにあなたは犬を飼ってますね。大家さんに密告してもいいんですよ。

ああ、閉めないでください。
わかりました。
言います。全て話します。でも、警察に言わないでくださいね。警察に言ったらとんでもないことになりますよ。危険な目に会いますからね。

いいですか? 言いますよ。

以前、此処に女の子を住まわせて隠しカメラをつけてインターネットで中継してたんです。
それがいろいろありまして……

そのぉ…

つまり、まだ中継中なのです。
そう、あなたの此処での生活の全てが全世界に二十四時間中継されているのです。
もちろん今も……



 え? そんなことがあるの?
 私は犬を抱いて裸足のまま玄関から外へ出た。入れ違いに男が部屋の中へ入っていった。


松田めぐみ
文字数1000
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Entry10
くちづけ

ぷっくりとやわらかな唇が額にあたるのを感じて目を覚ます。寝かしつけるつもりでまた私までウトウトしていた。みかんの匂いがする吐息。娘だ。
いつも私が彼女たちにそうするように、半分寝ぼけた娘が私の額にキスしてくれた。私は知らず微笑んでいた。子供はなんだって真似をする。
暗い夜の部屋はいつも不安の想像力を不要に強くする。つまらないことを心配しはじめ、ついに娘たちに何かあったらどうしようかと寝顔が涙でにじむほどすっかり怯えてしまう。母は無力でひたすらに願い祈ってやることしかできない。いつの頃からか祈りながら彼女たちの額に口づけするのが常になっていた。
どうかこの子たちが護られますように。
娘は横を向いて何か寝言を言っている。せつなくやわらかな愛情でいっぱいになる。

暢子は涙が出そうな焦燥感に煽られながら小走りになっていた。
深夜の外来病棟は真っ暗で、公衆電話のある総合受付から入院病棟へは薄暗い細い廊下が伸びていた。携帯電話すら忘れてきた自分に心底腹が立っていた。結局、留守電にメッセージを入れるしかできなかった。
間が悪すぎた。もはや治療策も尽きて来週退院させることに決めていた。母の最期を看取るためにできるだけの時間を作ろうと、美津子も陽子も今の内に仕事を片付けているに違いなかった。なのに急変するなんて。昔からお母さんっ子で甘えん坊だった妹の美津子と初孫でとりわけ可愛がられた陽子には、どうしたって間に合って欲しかった。
病室の母は先ほどまでの苦しみが嘘のように不吉な静けさで眠っている。看護婦はナースコールのボタンを確認するとそっと出てゆき、暢子と母だけが残された。
美津子と陽子のために苛立っているというのは真実ではない。暢子自身が母との別れを一瞬でも先に延ばしたいと願っているのだった。
お願いだからゆかないで。
母の顔にはもう薄い光しかなかった。間近に顔を見ると幼い頃に戻ったようで無意識に癖が出た。母の額に口づけした。

おかあさん

みかんの匂いに何故か消毒薬の匂いが混ざった。
眠りかけの意識に夢が紛れているのだろうか? 違う。夢をみていた。幸せな夢。
早回しの洪水のように記憶が流れ込み、中年女性の顔に辿り着く。
「ああ、暢子。」
あれからずいぶん経った。そして今、はっきりと悟った。お別れの時なのね。
「悲しまないで、大丈夫よ。暢子の中に残っているじゃない。」
ゆるやかに意識が拡散する。私の祈りを暢子の唇に残して。

中川きよみ
文字数1000
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Entry12
旅路の果て

 イゼッタまで8バタウ。
 掠れた古代文字の標識を読み上げてちらりと様子を窺うと、ここ数日黙りがちだったロイが、ふと反応を示した。
「イゼッタって?」
「さぁ」
「バタウって?」
「知らん」
 ロイは曖昧に頷き、傍らの石に腰を下ろす。
 延々と続く荒野は茜色に染まり、頭上には濃紺を水で溶いたような夕闇が広がりつつある。すぐに夜になるだろう。休んでる場合じゃない、そう言いかけて、やめた。黙って隣に座る。
 腰の革袋を外し、残り少なくなった水を飲んでいると、ロイが又ぽつりと言った。

「ハルディアの、特製すぐり酒が飲みたい」

「すぐり酒って、お前とハルディアの結婚式のときに振る舞われた、あれか」
 訊くと、ロイは微かに頬を緩めた。「よく覚えてるな」
 忘れようにも忘れられない。何しろ、町一番の美人、天上の菫と謳われた麗しのハルディアが、とうとう結婚しちまったって日の酒だ。花婿の親友の俺でさえ苦く感じたんだ、他の男共にとっちゃ、毒を飲まされてるようなもんだったろうよ。
 浮かびかけた思い出し笑いは、だが、ロイに視線を戻した途端、喉に絡んで消え失せた。 

 ロイは夕陽を見ていた。
 人形めいた無表情で。虚ろに開いた目から流れる涙を、拭おうともせずに。

 すぐり酒よりも苦い何かが、胸に広がる。

「……ハルディア、元気かな」
「……そうだな」

「俺のこと、忘れちまってないかな」
「まさか」

「子供が生まれるまでに、帰ってやりたいなぁ……」
「……ああ、そうしてやれ」


(一年前、とある町。放蕩三昧で知られていた領主の息子が、何者かに殺された。人々は噂した――これは“あの男”の“復讐”に違いない、と)


 残照が目に痛い。
 視界の隅に立つ朽ちかけた標識は、誰からも忘れ去られた墓標のようだ。


(復讐とは? 噂をきいた旅人が訊ねると、宿の女将は目を伏せた。家族を殺された男の復讐さ。先月、ある男の女房が、あのろくでなしの若様の馬車に轢かれて死んだんだよ……お腹の子と一緒にね。遺された男は行方知れずになっちまったけど、恨んでも恨みきれるもんじゃないさ。だってねえ――)

(その死んだ女房ってのはね、天上の菫と謳われた、そりゃあ気立ての良い娘さんだったんだよ)


 眠ってしまったロイの上に、静かに夜が降りてくる。
 止められないものが、俺には何て多いんだろう。沈む太陽。暴走する馬車。壊れていく親友。



 イゼッタまでは、8バタウ。
 天国までと、どちらが近い。


ヒヨリ
文字数1000
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Entry13
いちばん不幸

「それで娘がね、授業中に歩き回って、何度注意してもダメなんですって。ワタシどうしたらいいのか……」
 辻聡美はマグカップのインスタントコーヒーをかき回しながら、溜息をつく。
「分かるわー」
 台所の瞬間湯沸かし器から、カップにお湯を注ぎながら、木島法枝が頷く。
「あたしの息子もね、小学校の頃はそうだったって」
「……あら、あなたも?」
「しかもうちの子の場合、叱られると先生にかみついたりするのよ」
 湯気の立つカップを持って、法枝は座る。
「その点女の子はいいわよね。暴力ふるってもたかが知れてるし」
「そ……そうね」
 聡美は眉間にシワを寄せる。
「でも、でもね、五年生ぐらいだと、女の子の方が力があるでしょう? 実際、先生を怪我させた事もあるのよ」
「ううん、男の子ってだけで周りの目が違うのよ」
 勝ち誇ったように法枝は笑う。
「女の子が男の子を泣かしたって、親が乗り込んで来る事ないでしょう?」
「それだけじゃないの!」
 聡美は身を乗り出す。
「この前、悪い友達が出来たみたいって言ってたでしょ?」
「ええ?」
「どうも、その、出来ちゃったみたいなのよ。うちの子。まだ十歳なのに」
「まあ……」
「女の子はやっぱり大変よ」
「でも、それを言うとね、うちの子も他の学校の子と喧嘩して大変なのよ」
「そんなの――」
「うちの子強いから、喧嘩で相手を殺しちゃったりしたらと思うと気が気じゃないわ。殺人犯、なんて事になったら人生棒に振っちゃうもの。妊娠なんて、別に罪にはならないじゃない?」
 法枝はコーヒーカップを置いて、首を横に振った。
「男の子なんて生んじゃうと、本当に不幸よ。あなたが羨ましいわ」

「――一事が万事そんな調子なのよ! まったく、自分の事ばっかりで、ワタシがどんなに不幸かちっとも聞く耳持たないのよ? 近所でなきゃ、顔も見たくないわ。ああいう人って何考えてるのかしら? ねえ聞いてる!?」
 聡美は食事を終えた夫に訴える。
「ああ……」
 夫は新聞を開いたままで相づちを打つ。
「それにね、西川の奥さんもなのよ! いつもいつもいつもいつも。工藤さんとこの収入なんてうちの倍もあるくせに」
「あのな」
 遠慮がちに夫は切り出す。
「この前の検診で俺……癌が見つかったんだ。肝臓だって」
「娘が大変だって時に、あなたの看護までしなきゃいけないの?」
 聡美は吐き捨てるような溜息をついた。
「どうして不幸って、ワタシにばっかり降り懸かるのかしら!?」


ごんぱち
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Soseki/4587/
サイト名■小説屋ごんぱち
文字数1000
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Entry14
屋根裏のチクリス

 マリーの家には屋根裏部屋がありました。
 マリーは金色の髪を三編にして、今年も屋根裏部屋の掃除を始めます。南を向いた大きな窓を開け清風を部屋へ呼込むと、キラキラと小さな埃が輝きます。大きな樫の木の葉に手が届きそうになり、丘の上の風車が回り始め星空の季節がやって来たのです。
 マリーは風に微笑み、樫の木に向かって言いました。
「チクリスさん、今年も風車が回り始めましたよ」
 樫の木の穴から出てきたチクリスは眠そうな目をこすりながらマリーに言いました。
「やあマリー久しぶりだね。もうそんな季節になったのかい? 今年は願いが叶うと良いね」
 チクリスは枝をよたよたと歩いて窓辺へ来ると、ポンとマリーの肩に飛び移りました。マリーはチクリスに、掃除が済む迄ここで待ってて下さいね、とチクリスを撫でながら、古本の棚に座らせました。
 マリーはせっせと掃除を進めます。床を掃きながらマリーは詩を歌います。チクリスはその歌に足でリズムを取りますが、たまに音程が狂うので棚から落ちそうです。チクリスは本に捉まって必死にバランスをとってます。
 コトン!  あまりにも音程が酷いので捉まっていた本ごとチクリスは床に落っこちました。
 マリーがその音に気付いて振り向くと、一冊の古本が落ちてます。チクリスの姿は見当たりません。マリーは窓辺に向かってチクリスを呼びますが返答はありません。不思議に思ったマリーは落ちている古本を手に取りました。するとそこには絵本になったチクリスがマリーの詩を書いています。マリーは驚きましたが、足でリズムを取るチクリスは楽しそうです。マリーも何時しかそれに合わせて歌い始めていました。
『風車の回る季節 星に願いを込めて 私は眠りにつくの〜 そう星空の屋根裏部屋 私は歌うわ〜 思いを込めた美声 夜風に乗って届くかな 私を迎えに来てくれるかな〜 星の王子様〜♪』
 マリーはもう一度絵本を見ました。するとマリーに向かってチクリスが指を横に振って立ってます。書きかけの詩は『思いを……』で止っています。マリーは不思議そうにチクリスの顔を覗くと、意地悪な顔をしてチクリスはこう書き始めました。
『思いを込めた音痴 夜風に乗って届いたら マリーを抹殺に来るだろな〜 星の王子様〜♪』
「……」  マリーは絵本をバチンと閉じて、少し暗く微笑みながらこう言いました。
「今夜からここで私と一緒ねチクリスさん。大丈夫かしら……」


さとう啓介
http://members.goo.ne.jp/home/kei5yns
文字数1000
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Entry15
暗闇の光

 「お父さんはいつになったら帰ってくるの?」
 「まだ帰ってこないわよ。今頃お父さんは敵をいっぱいやっつけてるの。その悪い敵が全部いなくなったらお父さんはすぐに帰ってくるから、それまでいい子にして待ってなさい」
 息子のタカシが私にこんな質問をするのはこれが初めてではなく、毎日、それも日に何度も聞くのだ。私の夫は一人息子のタカシをこの上なく溺愛していた。そして今私のお腹には二人目の子供がいる。もうすぐタカシもお兄ちゃんになるんだからしっかりしなさい、と事あるごとに口にしてしまう。これから先、本当に辛い現実が襲いかかってくることはまず間違いなく、タカシにはその現実に耐えられるような人間になってもらいたいというのが、このご時世に抱える私の切なる願いである。
 夫は五ヶ月前に戦争に駆り出された。「すぐに戻るから、タカシのことを頼む」そう言って旅立った夫の後ろ姿を私は決して忘れない。最後に見た夫の背中は力強い意思に満ち、いつもよりも大きく見えた。
 そんな夫の戦死を告げる電報が届いたのは、二人目の子供がお腹に宿っているのを知った日のことである。その日私は喜ぶこともしなかったし、涙を流して悲しむこともしなかった。ただ世の中の無情さを恨むことしかできなかった。

遊びから帰ってきたタカシが走って私の横へやってきた。
「ねえ、僕もお父さんみたいに強くなりたい。強くなって悪い奴をやっつけるんだ」
 満面に笑みを浮かべながら言ったタカシの顔を私は感情的になってひっぱたいてしまった。思わず私の目からとめどなく涙が流れた。両手で顔を覆っても涙は溢れ、止まらない。夫を失った絶望感、タカシがこれから経験するだろう辛苦への不安、抑えてきた様々な感情が、大きな流れとなって一気に溢れ出た。
 「お母さん大丈夫?泣かないで」
 タカシはうずくまっている私の頭を撫でながら、やさしく慰めてくれた。
 「ごめんね。お母さんが泣いてちゃ駄目だよね。」
 「泣いてたらお父さんに笑われちゃうよ。それにずっと前、お母さんの笑顔は世界で一番素敵な笑顔なんだって言ってたもん。だから笑ってなきゃいけないんだよ」
 顔を上げると、少し逞しく見えるタカシがそこにいた。
 「お父さんが帰ってくるまで、お母さんとタカシとお腹の赤ちゃんと三人で頑張ろうね」
 私は力強くタカシを抱きしめた。涙で滲んだ視界の向こうに、笑顔で手を振り、去っていく夫の姿が浮かんだ。


夢追い人
文字数1000
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Entry16
宇宙で一番冷たい天体

 ベランダから空を見上げる。今日も雨は止まない。そんなに悪くないのにな。雨を見て思う。大人の人たちは、晴れるととっても気持ちよくて、作物とかもいまみたいに苦労しなくて出来るからとってもいいことなんだという。だからミトラ様と同じ誕生日の僕たちは毎日神殿でお祈りする。
「お兄ちゃん、センドウさん来ちゃうよ」
「うん」
 服を着替えてネクタイを締める。僕とミチルは晴れというのを見たことがない。生まれたときからずっと雨だからだ。晴れがどんなかうまく想像できないけど、僕たちには雨が普通だし、レインマントの着こなしにも慣れた。それに僕はミトラ様と同じ誕生日だから神官としてお祈りするだけでお金がもらえる。でも、もし晴れたらお祈りした神官はたくさんのお金を貰えるって聞いてるから、ミチルと二人で遠くへ行って、おじいさんやおばあさん達から聞いた「公園のベンチ」や「バオバブの木陰」なんかで「ひなたぼっこ」というのをしてみるのも悪くないと思う。
「お兄ちゃん、晴れるかもしれないって聞いた?」
「本当かい?」
「うん。雨の降る量が減ったんだって。ラジオで言ってた」
「そーかぁー、本当だったら嬉しいな」
 お祈りに行くのもなんだか楽しくなってきた。
「やっぱり嬉しい?」
「だってご褒美にたくさんお金もらえるっていうし、なんだか楽しそうじゃないか。晴れって」
「そうだね」
 ミチルがラジオのスイッチを押すと遠い昔の音楽が流れ始めた。でもどんな音楽を聴いても、そこには必ず雨音が混ざる。
「それにさぁ、雨音がなかったらすごく静かそうだろ?」
 僕がそう言うと、ミチルはちょっとだけ視線を下に向けて言った。
「水の中はね、とても静かなのよ」
「うん…」
 でも僕はミチルほど泳ぐのが上手じゃない。もしかしたらミチルにはある指の間の水かきが僕にはないからかもしれない。
「でもきっと、晴れも楽しいよ。僕も見たことないけれど、大人はみんなそう言うもん」
「うん。見てみたいね」
 雨音を切る音がしてセンドウさんの船がゆっくりベランダの側までやってきた。
「準備できてるかい?」
「はい」
 僕は雨を避けるマントを羽織る。そういえば晴れというのはとても暖かいという。僕はいつも寒い。大人たちは雨が止まなくなったからのこの星は、宇宙で一番冷たい天体だという。
「じゃあ、行ってくるね」
「行ってらっしゃい」
 そういえば寒くないのか、ワンピース姿のミチルが小さく手を振った。


伊勢 湊
文字数1000
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Entry17
タイムカプセル

 午後十一時十五分。神社の縁の下で、四十歳はとうに超えていると見えるオヤジ三人がなにやらごそごそとやっている。まったく怪しいものである。
「本当にここだったのか?」
 ポマードできっちり固められた頭が問う。
「間違いない。奥から二番目、右から三番目の支柱の下。多分」
 ハゲ頭が汗をびっしょりと頭に浮かべながら答えた。
「多分って」
「まあまあ。信じてみよう」
 そう言ってぼさぼさの白髪頭が仲裁に入った。
 オヤジたちは穴を掘っていた。なぜ穴を掘っているのか? 事の成り行きはこうである。

 午後十時二十五分。とある居酒屋にて。
「あの時のお前笑えたよなあ」
「あれからしばらく、あだ名『フンコロガシ』だぞ。笑えねえよ」
「ははっ」
 オヤジたちは昔話を肴に酒を飲んでいた。そんな時だった。ハゲのオヤジが口元に手をやりしばらく壁に目線を泳がし何事か思い巡らせ、今度は突然ポマードと白髪に向き直って目を大きく見開き、興奮した調子でしゃべりだした。
「なあ、小学校の時に三人でタイムカプセル埋めなかったか? ほら、○×神社の下に」

 かれこれ三十分以上掘り続けている。しかし、まったく出てくる気配はない。ハゲは黙々と穴を掘り続ける。きっと仕事場でもこうなのだろう。ちなみにかれは結婚の経験がない。やはり。
「まだ出てないのか」
 ポマードがいらいらしながら尋ねる。妻に離婚を申し出されている理由も分かる気がする。
「まあまあ」
 白髪が適当な仲裁を入れる。常に窓際族なのもなんとなくうなずける。再びポマードが文句を言おうとしたとき、硬い物の感触にハゲは動きを止めた。
「あった!」
 錆びついた四角形のカンが現れた。急いで縁の下から這い出る。オヤジたちは目を見合わせ同意の下にカンを開けた。

 かくて中に入っていたものは……。

 零点のテスト用紙。しかも一枚どころではない。数え切れないほどのテスト用紙が錆びきったカンから溢れて出てきた。オヤジたちはただただ呆然としていた。しばらくの沈黙のあとハゲが呟く。
「俺たちってこんなに馬鹿だったかな?」
「だったみたいだね」
 白髪が安堵とも疲弊のものともとれないため息を一つついて答える。ポマードはなにやら憮然とした表情で虚空を見つめていた。昔と違って星はまったく見えない。しかし、風が生温いが心地よかった。
「……飲みなおすか」
 白髪が呟く。その言葉に同意したらしくスーツを汚した馬鹿たちは神社をあとにした。


宮田義幸
文字数1000
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Entry18
『飛縁魔』

 手首を噛む。
 偲の静脈を噛み破り、黒ずんだ血を啜る。
 ごくり――喉が唸る。とろり錆びた後味を残し、渇きを癒す。
「美味いか?」
 一心不乱に啜っていた芙美子は、偲の声に顔を上げる。濡れた瞳に、見下ろす偲が映る。
「美味しい。偲の、美味しいよぉ」
 べたり血塗れた唇をほころばせ、紅く咲いた舌先がちろりとのぞく。舌先は滴る蜜を求めて手首を這いずり、水音を糸引かせる。芙美子の鋭い歯が離れたそばから傷口はふさがっていき、やがて血も止まる。
「もっと……もっと欲しいよ、偲ぅ」
 再び噛みつこうと唇を開くも、偲はさっと手を引いてしまう。追いすがろにも、四肢を鉄鎖で縫い止められていれば、それは叶わず。どさり石畳の床へと突っ伏す。
「あ……もっとぉ」
 うつ伏せの眼前にある偲の靴へと、頬で這う。だが足りず、紅く濡れた舌を伸ばすも、まだ届かず。
「偲、おねがいよ……なんでもする、からぁ」
 込み上がる衝動に瞳を潤ませ、足許から上目遣いに訴える。紅を刷いた淫靡な唇は薄開きに。ちらつく舌は唾液と血に濡れ、それでも渇き。通った鼻筋、細い頤。深紅に映える白い肌。しとり流れる烏羽玉の髪。
「――だめだ」
 魅入られそうな己を断ち切り、偲は言い捨てる。
「おねがい、あと一滴……」
 拘束された四肢を切なげにくねらせ、舌を伸ばして一心に懇願する。
「……だめだ!」
 許してしまいそうな己に怒号を浴びせれば、乾ききらなかった血が一滴、石畳に落ちて跳ねる。
「ぁ、あっ」
 偲の足許に滴ったそれに、芙美子はすぐさま舐りだす。ぴちゃぴちゃ唾液を擦りこませては石畳から血を浮かせ、窄めた唇を宛がってはずちゅり啜りあげ。瞳は淫蕩に濡れそぼり、床を撫でる髪はさらさらと無音を奏で。偲は眼下の痴態に見入り、吐息を熱く濡らし。幾分か失われた血は、ひとつところへと流れこ――
「――やめろ!」
 頬を蹴り飛ばされた芙美子が、だが鎖に引かれて床に身を打ちつける。
「あ、ぁ、いっぱい……」
 頬を伝って落ちる血に啜りつく、その姿はどこまでも艶めかしく禍々しく。傷はすでにふさがって、床を舐めつくして頬に舌を伸ばすも、届くはずもなく。手を伸ばそうにも、鎖が邪魔をし。
「もっと……舐めたいよ、もっとぉ……」
 いやいやと首を振り、乱れ髪が従って。ほろほろと泣き濡れた視線の先で、偲はすでに去っている。
 地下にはただ、芙美子の嗚咽と鎖だけが置き去りにされ。


橘内 潤
文字数987
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Entry19
負け犬

 仕事上とはいえ、競争相手に見事に敗れ、行きつけの店でしみじみ杯を重ねた後、自宅近くの公園までたどり着き、少し酔いをさましてから帰ろうとベンチに腰を下ろした。ひんやりとした夜風にさらされた脳味噌は、しかし無情にも、また敗北を反芻するのだった。
「一ヶ月という準備期間が用意されていながら、なぜ万全を尽くすことが出来なかったのか。本当に持てる力を出し切ることが出来たのか」考えれば考えるほど情けなく、「畜生」とか「この野郎」とかいった呟きが湧いてきた。呟きはやがて叫びにかわり、気が付くと夜空を怒鳴り跳ばしていた。
「正に負け犬の遠吠えだな」と頭のこちら側で考えた途端、全身からムクムクと剛毛が発生し、私はマイケル・ジャクソンのように変身し始めた。このまま狼男になってひと暴れ出来るのかと期待したが、変身先はファルセットしたような鳴き声の茶色い小型犬だった。
 まあよい。声はどうでも遠吠えは、ストレス発散になるし、皆さんの平和な夜を少なからず踏みにじることが出来るのだ。つまりは八つ当たりだが、私はしばし夢中で吠えた。
 ボタッ、腰のあたりで鈍い音がして激痛が走った。キャンキャンとベンチの下まで急いで退散し、あたりを見渡すと、安眠を妨害されたホームレスっぽい方が石つぶてを放ったことが判明した。その方はまだこちらを睨んでおられたので、私は仕方なく丸くなってハアハアと舌で呼吸を整えた。

「敗因は敵を甘く見すぎた事に尽きる。無名な会社だと高を括ったのがまずかった。結局、井の中の蛙はこちらだったのだ」少し落ち着いて殊勝な反省に浸っていると、全身の剛毛が引っ込んで、青く小さなカエルになって、鳴き声もゲコゲコにかわっていた。
 カエルの身にアスファルトは辛いので、水を求めて動き始めた。もうホームレスっぽい方に狙われることも、争うことも働くこともなく、小さな水溜まりと少量の餌を探すだけが全てとなった。小さなカエルの大きな瞳に、月が美しく輝いた。
 その後、溜め池までたどり着いて、一度はナマズまで盛り返したものの、ハチやらボウフラを行ったり来たりして、最後には「池に映る月」という束の間の存在にまで身をやつした。
 風がさざ波を作り、あやふやな存在を小刻みに揺らした。今夜中に別れを告げなければならない存在の数だけ私は揺て見せた。

 翌朝は、いつもより早く目を覚まし、目覚まし時計のアラームに勝つことから一日を始めた。


越冬こあら
http://www.geocities.co.jp/Bookend/4129
サイト名■連絡先
文字数1000
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Entry20
ベランダ黙示録


 目覚めたときには、午前9時を過ぎていた。朝だというのに、日差しは弱々しい。せっかくの週末だが、外は今日も雨が降っているようだ。

 布団の中でごそごそしていると、台所から妻の声がした。
「あなた、起きてる?」
「ああ、起きてるよ」
「鯉を見てきてくれない?」

 妻は、ベランダで鯉を飼っていた。子供が出来ないと言っては塞ぎ込む妻のために、私が買ってやったのだ。私は喘息持ちなので、犬や小鳥は選べなかった。

「キミが世話してるんだろう」
「ここしばらく見てないのよ」

 そういえば、梅雨に入ってからずっと、洗濯物は部屋の中に干してある。ベランダには何日も出ていないようだ。

「もう死んでるんじゃないの?」
「いいから見てきて」

 私は、枕のすぐ横のサッシを開けて首だけ外に出した。霧雨の向こうに、粗大ごみさながらに置かれた大きなガラス水槽が見える。
 緑色の藻が水槽の内側を覆っているが、光の具合で、中の水はもう十センチも残っていないのがわかった。私の二の腕ほどもある大きな鯉だったから、あんなに水が干上がっていてはもう生きてはいないだろう。

「水槽の水、もう無くなってるよ」
「ちゃんとそばで見てきて」

 自分で見に行けばいいじゃないかと思いながらも、しぶしぶと起きだして、ベランダに出てみた。

 鯉は、生きていた。

 黒に近い灰色の体は、半分水の外に出ている。鰓と口をパクパクと動かしているが、苦しんでる風ではなさそうだ。私が覗き込むと、水槽の底で二、三度体をくねらせた。そのたびにパチャパチャと水がはねて、尾びれが水槽にあたる鈍い音がした。

 私が部屋に戻ると、布団はすっかり畳まれて押入れに収まっていた。

「鯉、まだ生きてるよ」
「あら!」

 妻は、心底驚いたような声を上げた。そして自分でベランダに出て水槽をのぞき込んだ。

「本当。まだ生きてる」
「水を足してやらないと、かわいそうじゃないか」
「朝ごはんが済んだらやるわ」
そういうと、再び台所に戻った。

「ねえ、私たち」
ネギを刻みながら、妻は言った。
「子供なんて作らないほうがいいわね」
「どうして」
「向いてないような気がするから」
「向いてなくたって子供は生めるさ」
「生むだけなら、ね」
鍋の味噌汁が、煮立っていた。

 朝食が済んでも、水槽に水は足されなかった。

 やがて梅雨が明け、盆も彼岸も過ぎたが、妻から鯉の話を聞くことは無かった。

 水槽は今もまだベランダにある。
 そして妻は、妊娠二ヶ月だ。


カピバラ
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ango/7771/layer1-top.htm
暫定政権
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Entry21
嫉妬

 柚子が小さく声を漏らした瞬間、僕は、手の甲をガリッとやられた。みるみるうちに、快感に満ちた興奮がまったく別の興奮へ変わっていく。
「この野郎っ」
「あら、野郎じゃないわよ。女の子だもの」
 犯人のルナに向かって一言ぶつけると、柚子がクスクスと笑う。ルナとは、柚子が飼っている猫のことだ。
「だったら、このアマ、か?」
「こん畜生、かしら」
 畜生っていうと意味が広すぎるから――。
「このケダモノ、とか」
「それはむしろ、あなたのことじゃない」
 柚子は、また一人でクスクスと笑っている。
 僕が脱がせかけていた下着を付け直しながら、柚子は、ルナの頭を押さえつけるように撫でた。ルナは、わざわざペット厳禁である僕のアパートまで連れてきてもらっているのだから、おとなしくしてくれたら良いのだが。仕方ないけれど、やはり癪に障る。
「なあ、そいつ、カゴに入れといたら?」
「うん、でも、なんだか、かわいそうな気がして」
 詰め込んだら十数匹は入りそうなカゴだが、かわいそう、という気持ちは分からないわけでもない。柚子がほんの少し目を伏せたので、僕は、何も言えなくなってしまった。
 ルナは、カーテンの隙間から侵入してくる細い夕焼けを背に、柚子の太腿に乗り、喉を撫でてもらって目を細めている。先ほど引っ掻かれた箇所を確認すると、案の定、ミミズ腫れになっていた。
 柚子にとって、僕なんかよりルナのほうが大事なんじゃないか、それとなく僕を遠ざけるためにルナを連れてきているんじゃないか、という考えに、僕の脳が満たされていく。一人と一匹の様子を見ていられなくなり、台所へ行って、インスタントコーヒーを入れることにした。
 するとルナが来て、僕の足元に体を擦り寄せ、猫なで声を出す。
「柚子に甘えてたと思ったら――。さっき引っ掻いたくせに、調子のいい奴だな」
 ルナを抱き上げて、頭から背中を何度も撫でてやった。そうしているうちに、腹立たしさや孤独感は、次第に頭から消えてなくなっていく。
 ふと気が付くと、ねえ、あたしも構ってよ、と言いたそうに、柚子が僕たちの様子をじっと見つめていた。
「どうした?」
「……分かってるくせに」
 柚子は、ちょっとためらうように返事をして、僕の腕からルナを受け取ると、カゴへ入れて鍵をかけた。今度こそ、僕たちの邪魔をする者はいない。
 僕たちは、ゆっくりコーヒーを飲んでから、ベッドに向かった。
 夜は、まだまだこれからだ。


日向さち
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サイト名■幸-さち-
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Entry22
『天下泰平の夜』

 天下泰平の世は華々しく賑わった。富国の告の下、不満は静かに圧殺され、勢力は密かに吸収されて、国は大いに栄えていた。

「近頃の騒がしさにゃあついていけねぇ」
 男は頬をぴしゃりと叩いた。
「あんたその着物をお買いになったとき、そりゃあ子供みたいにはしゃいでいらっして」
 女がそっぽを向きながら、粋な文様の着物を脇腹から肘で突く。

 夫婦は仲が遠くなると、ぶらぶらと街に出た。昼、繁華では呼び声が執拗な欲に誘い、見世物は人の醜さを誘惑した。暮れていく中、琵琶弾きは懐かしい衰退を響かせ、洒落た絵が触れてはいけないもののように見えた。陽が落ちると、娘のなよやかさが灯りの下で妖しく蠢き、青年は目に酒のよろめく匂いを流した。

 二人は昼の清らかな輝きが、夕暮れとともに奇妙な美しさに変わり、やがて闇に沈んで秘めたるものに包まれていく景色を歩いていた。

「お前は記憶が良すぎていけねぇ。おい、あの町娘みたく少しは浮かれたらどうだ」
「あんたは抜け目がなくて困ります。若い方みたいに色っぽい目を流したみたらどうお?」
 二人は冗談を言い合いながら、通りを真直ぐに歩いていく。

「気ぃつけろよ」
「じゃぁ、ね」
 道が十字に途切れたところで、常の言葉を交わして二人は別れた。男は色町のほうへ。女は外れの川原のほうへ。

 二刻の後、二人は別れた十字で落ち合った。互いの服に乱れは微塵もない。
「おう、無事か。どんなもんだい?」
「あんた、上手くいきました?」
「今夜は気分が乗った」
「あたしも」

 長屋に着くと男は懐から一枚の紙を出した。女は袂から小さな紙切れを出す。 
「うん。よろしい」
「まあ、巧くなったこと」
 男は壁に他の紙に重ならないよう紙を貼った。余りにも清冽な、震えのくるような画があった。
「お前のほうはどうだい」
「あたしは、半刻いただかないとだめよ」
 半刻経つと、女はいとも見事な小話を書き上げた。繚乱として胸が湧き、息を呑むような話が流れた。

 二人の作は合わさると融けるように絡み合って、焼けるように熱を帯びた雰囲気を噴き出していく。月光が部屋を照らし、女の肌は妖しく艶めいた。男が着物を脱ぐと、腕の筋がよろめく匂いを漂わせた。
 そこには堕落した美しさがあった。美しさは愚かで、醜くかった。二人は美しさを抱いて夜を過ごした。

 さて、男の行く先は春画だったか。女の行く先は女郎蜘蛛か。
 負は闇で解放され、隅々で衆愚があらゆる美を放った。国は大いに栄えていた。


詠理
文字数1012
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Entry23
ちがう。芝生の紙はヒッカケだ。

トゲだらけの藪を通り抜けた俺は、真鍮製の潜水服を脱ぎ捨てる。
お陰でトゲにはやられずに済んだ。
けど、暑かった。あと、やっぱり重かった。
片づける場所でもあるのかと思ったけどなかった。
仕方がない。地面に置く。

「ハンコを押すよ」
声が聞こえた。
「紙を僕の手の下にセットしてね」
まただ。
「手を挟まれないように気をつけて置いてね」
変な声。機械の声だ。
俺は声の主をさがし、見つけた。
ずっと離れた場所の白い壁。そこにそれはいた。
ハンコ押しロボット。
壁から体が生えている。手と足と頭と、体の前半分が壁から出ている。あとは壁の中だ。
「ハンコを押すよ」
また言った。
俺はハンコ押しロボットの所に行く。
途中で芝生に散らばった白い紙を一枚拾う。
「紙を僕の手の下にセットしてね」
顔は開けた缶コーヒーの上の部分に似ていた。色もそんなだ。
【きょうハンコをおしたおともだちは0にん】
胸の電光掲示にそうある。
横にスクロールし、止まって、点滅する。
「手を挟まれないように気をつけて置いてね」
俺は表面の埃を払って、ロボットの手の下に紙を置いた。
ロボットのハンコを持った手が、ビクッと動いて、ピタッと止まる。
そのまま妙な間が出来る。
壊れたのか?
「今、押すよ」
壊れたわけじゃないようだ。
ハンコ押しロボットの腕が、ゆっくりと下がる。
手に持った丸い大きなハンコが、紙に押しつけられて、一瞬止まる。
それから、そろそろと持ち上げられる。
ハンコにくっついて、紙が一緒に持ち上がる。
「押したよ。紙を取りだしてね」
俺はハンコにくっついてぶら下がっている紙を手に取った。
見ると、赤い文字で、こうあった。

【却下】

電光掲示の【ハンコをおしたおともだち】も0人のままだ。
何か間違ってるんだろう。
俺は、芝生の所に戻って別の紙を拾ってくる。
そして、もう一度ロボットにハンコを押させた。
「押したよ。紙を取りだしてね」
結果は同じ。【却下】だ。
ちがう。芝生の紙はヒッカケだ。
俺は丸めてポケットに突っ込んでいたルールブックを取り出した。
ページをパラパラめくってみる。
やはりそうだ。
後ろから3ページ目にハンコを押すところがあった。
さっそく広げたルールブックをロボットの手の下に置く。
ロボットがハンコを押した。
キンと音がして電光掲示の【おともだち】が1人に増えた。
うまくいったようだ。
それでも一応、押されたハンコを確かめる。

【承認】

その時、ずっと遠くで大歓声が沸き上がったのが聞こえた。


アナトー・シキソ
文字数1000
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Entry24
インタビュー

 畑からタネを盗んで食べたというのは、食べ物が無かったから仕方なく本能に従ったまでです。そもそも山に食べ物が無くなってしまったのは、人間達がやって来たのが原因ですよ。綺麗だった川は汚され、私達の住処さえ奪ってしまった。
 あの老夫婦だって、若い頃は狩りをして私の仲間達も随分減ってしまいました。
 確かに私が捕まった後で、逃げ出したいばっかりに、おばあさんを騙したのは事実です。しかしその後おばあさんが殴りかかってきたのを避けたはずみに、おばあさんが煮えたぎった大鍋の中へ入ったのは、あれは不可抗力です。私が中へ入れたわけではありません。
 帰ってきたおじいさんに見つかっても大丈夫なように、おばあさんに化けたのも本当ですが、でも、すぐに家から出てしまったんです。ババ汁…ブルブルルル。今でもこの言葉には身震いがしますよ。―あれを食べさせたのだって私じゃありません。第一あの鍋にはおばあさんの服やら何やら入っていたはずですから、気付かないはずがありませんよ。
 それより何故私が悪者で、彼がヒーローなのか、私はそっちの方が不思議です。
 彼らだって住処を追われ、仲間だって結構捕まえられているんです。それなのに人間の味方をして、弱い動物を虐待する。騙して背中に火をつけたり、火傷の薬だといって背中に酷い事をしたり、やっと治ったと思ったら、今度は溺死するところでしたからねぇ。もうあの近くへは行きませんよ。


 奴の事か? まぁ可哀想な奴だよな。奴は世間を知らねえのよ。長い物には巻かれろってな。今の世の中、大小の差こそあれ、誰でもやってる事だろ。そのおかげで、食べ物だって苦労しないで手に入る。
 えっ。ババ汁。そいつはちょっと言い難いんだが…。これってオフレコだよな。
 実はこういう事なんだ。
 奴が逃げ出した後で、俺はばあさんを助けてやろうと思ったんだが、ばあさん何を勘違いしたのか俺に殴りかかってきてよ。よろけた拍子に、奴を料理しようと出していた包丁に刺さって死んじまったのさ。ホントさ。
 今考えれば、焼け爛れた顔で多分目が見えなかったんだろうがな。
 それよりも、ばあさんを切り刻んで鍋に放り込んだのは、あのじいさんだぜ。絶対に内緒だぜ。
 じいさんの奴、ババ汁も美味いなぁ、なんて食ってたぜ。あれには流石の俺も、気味が悪かったな。
 じいさんに言われて奴には消えてもらう事になったのよ。俺だって死にたかねぇからな。


太郎丸
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Entry25
りんご

 するすると、りんごが剥けた。

 私は、包丁の所作というのは内面が影響するものだとずっと信じていたけれど、そういうわけでもないようだ。とてもイライラしてるはずなのに、模範的に綺麗なりんごが次々できあがった。白いお皿の上に、剥いたりんごを花びらのように並べてみる。その美しさは今の私の気持ちとは対称的。それでも机に置くときはガチャンと正直な音が出た。少し電話を睨む。それからカレンダーを睨む。

 かじりながら自分がいらだつ理由を考えてみる。バイトがうまくいかなかったこと。電車の乗り継ぎにしくじって一駅分歩いたこと。宅急便で来たりんごを切り口にお見合いの話を持ちかけられること。さっきから探しているテレビのリモコンがなかなか見つからないこと。どれも当たっている。でも、どれも違うはずなのだ。本当はもっとシンプルで、だからこそ根本的に解決のしようのない、そういういらだち。

 水上とは今日、一緒に晩ご飯を食べた。水上は一つだけ年下だけど、人の面倒見がよくて、私にも優しくて、私はついつい「転んでしまいそうに」なってしまう。私はそれを必死で自制している。常識的にいってあり得ない。私があいつに恋をするなんてことは。

 油断すると電話を睨んでしまうので背を向けて座る。電話のボタンの一つが赤く点滅していて、伝言があることを告げている。そんなことは部屋の電気をつける前から気付いている。きっと伝言は3件だ。1件は実家で、もう一つは家賃の催促で、あと一つ(きっと最後に入っているはずだ)は水上からだ。

 実家からはこのりんごの到着を確認する電話(そしてお見合いの話に発展する)。そして家賃の催促は今月まだ一回目なので、明日払ってしまえばいい。そして、水上からの電話。私は避けていたいらだちの元凶に、すでに触れている自分に気付いている。電話になんか出なくとも。

 果物を食べていると、なぜかのどが渇く。私はコップを取りに来た台所で、剥いたりんごの皮を見る。くるくると真っ赤な渦巻き。

 飛び込んでしまうことは簡単だ。感情のままに、恋をすることは簡単なことだ。

 「ただし、常識的に言ってあり得ない。私があいつに恋をするなんて」

 元凶は、恋をする、それ自体ではなくて、それによって自分自身が女であることを呪ったりすることだ。水上暁美は、そんなこと気にも止めないくらい真直ぐな可愛い子だけれど。

 りんごは、途中で飽きて捨ててしまった。


第1素描室
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Entry26
孵化

 鱶とは一体何だろう、もしかしたら孵化の間違いじゃないだろうか、と人々は思い、辞書を引っぱり出して、それでやっと、ああ、鮫のことなのか。フカヒレのフカね、と納得して、「太陽と鱶の季節」と印字されたチラシをゴミ箱へ捨てた。
 東京都庁に、鱶が居る。二本の塔に渡されたロープの中心にぶら下がっている。巨大な鱶だった。目は濁り、曇ったガラス玉のようだ。その目で鱶は高みから、カラス達さえ辿り着けないような高みから地上を見下ろしている。
 背後には太陽。
 「太陽と鱶の季節」は東京都知事主催のイベントであるにも関わらず、都庁の周りにはあまり人は居なかった。居たことは居たけれど興味がないのか、皆足早に通り過ぎてしまう。鱶を観ていたのは半ズボンの少年だけだった。少年は手に賞状を持っていた。東京都作文コンクール佳作の賞状である。少年は授賞式に出席したのだ。佳作なのにわざわざ会場まで来て賞状を貰うなんて面倒だなあ、と思いながら少年は賞状を受け取った。今はぼんやりと鱶を見上げている。
「凄いかい?」
 少年の隣に男は立ち、言った。二メートルを越す巨躯。都知事の石原ジンタだ。
「私が、獲ったんだよ」
 少年は凄いとか凄くないでは無く、鱶の目は何故あんなに曇っているのに、星のように輝いて見えるのだろう。死んだおばあちゃんもそうだった。死者達の目のあの不思議な色合いは何なのだろう、と思ったのだが、結局色々な部分を飛ばし、凄いね、とだけ答えた。
 都知事はその言葉に満足した。
「君は頭の良い子だね」
 彼は満足したままで展示を終わらせることにした。部下達に合図をし、ロープを切らせる。
「これからも頑張りたまえ」
 鱶は少年と都知事の目の前に落下し、地面に大穴を空けた。大気が揺れ、少年の持っていた賞状がかさかさと鳴った。


 都知事はその後、人類史上初の都知事兼宇宙飛行士になった。スペースシャトルに乗り込み、人々に拍手で送られ、彼は火星へと旅立っていった。

 少年は青年になった。女に大変もてるようになった。何一つ嘘を吐くことなく、彼は女に全てを貢がせた。
 年上のソープ女にその白く細い指を舐めらながら、彼は窓の外を眺める。
「星が見えないな」
 見当違いの角度で空を見上げ、そう呟く。

 あれから「太陽と鱶の季節」は開催されていないが、地面に空いた穴はそのままになっていた。暗く底の見通せないあの大穴は、今でも東京の名所として人気が高い。


るるるぶ☆どっぐちゃん
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Entry27
不条理すら向日葵

 アレだ学校とかによくある長方形の板にキャスター付けて手すりみたいなコの字型のパイプのついた台車?
 まあ正式名称なんか別に良い。一番大事なのは今全力でその手すりを持って走っている彼をどうにかしないといけないわけで、普段なら蹴りの一発でも入れてやるところのなのだが生憎無理だ。だってその板の上に載ってるの俺だし。
「慣性ドリフトー!ぎゃぎゃぎゃーっ」
ホントに誰か止めろよ。

 最初はそうだ、図書館から廃棄図書を移動するために、これを出してきたんだ。で、何キロまでいけるのかと言う話になってちょっとお前乗れよって、
「ジグザグスペシャルー!」
何がなんだか。

 このままだと死ぬ、きっと死ぬ。転げ死ぬかぶつかり死ぬかの二択ってやあねえ。現に板の両端を握りしめている俺の掌からは徐々に感覚が失せつつあった。
「ジグジグスパトニックー!」
変わってるって!いつの間にかジャンル違うって!!

 思い出せ、何でこんな事になっているんだ?確かに俺は台車に乗った、そしてその上で飛び跳ねたりした。だがすぐに降りたじゃないか。すぐに降りて彼と共に本を積み始めた。確かに。
「ロマンポルシェー!」
あれ?何でこの台車、本を載せてないんだ?

 本はどこへ行ったのだろう、あれ?散らかった本、廃棄図書、と新刊。新刊?どうしてだろう、新刊なんて棚に入っているモノだろ。おかしくないか。
「やーぷーぅーずー!」
発声が原型止めてないよ。

 原型、止めてない?あれ?そういえば、俺の右足はどこだ?
 板のはじっこを振り落とされないようにつかむ両手の感触、痛い。当たり前だ、指が両手で7本しかない。おかしな風に畳んで地面にすれないようにしている左足。右足は、右足はどこだ。
「急患です!」
台車と思っていたのは、白いシーツの敷かれたストレッチャー。

「ええ、学校で……図書委員の仕事してたんです。バンド名古今東西とかやりながら。こんな事になるなんて……」

 俺の耳元ではまだ風がごうごう鳴っているのに、彼の声だけがやたら鮮明に聞こえてくる。目を開けなくっちゃ。見えたのは花瓶に生けられた黄色い向日葵。道端で見るものの三割くらいの大きさしかなくて。悲しく貧相だった。
「急にその男が持ってた紙包みを投げて、それが爆発して」
あ、最近流行の通り魔ね。新しいね、爆弾とか。
「彼はこんな変わり果てた姿に」
泣くなって。なんか無いはずの右足が痛む。
 どうにかしてくれ、いったい何なんだ。


犬宮シキ
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