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1000字小説バトル

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1000字小説バトル
第71回バトル 作品

参加作品一覧

(2005年 6月)
文字数
1
小笠原寿夫
1000
2
香月朔夜
1000
3
エミュー
1000
4
朧冶こうじ
1000
5
ぼんより
1000
6
のぼりん
1000
7
とむOK
1000
8
ごんぱち
1000
9
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん
10
綾重寄之介
1000
11
早透 光
1000
12
太郎丸
1000
13
アナトー・シキソ
1000
14
越冬こあら
1000
15
未卯
1000
16
めだか
1000
17
(本作品は掲載を終了しました)
ウーティスさん

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ずぼらパイプ
小笠原寿夫

尊敬する人には、自然と敬語が出る。
「と、おっしゃいますと?」
そう言ったのは、真面目だけが取り柄の若いダメ社員、門野だった。
「こんな設計図じゃ取れる客も取れないよ。やり直し。」
と、上司の村山は言った。
 そう。ここはとある設計事務所である。何べんも繰り返し提出する設計図に上司の村山は納得がいかない。自然、部下の門野もイライラする。デスクに帰ると、隣で、うだつのあがらない中堅社員ずぼらパイプが煙草をふかしながら、落語のCDを聴いている。演目は、桂文治の艶笑落語、「揚子江」である。
 この中堅社員ずぼらパイプには、本名はちゃんとあるのだが、仕事にやる気があるのかないのかわからないせいで、社内では、少し浮いた存在になっていた。いつも煙草をふかして、仕事をさぼっていることが、ずぼらパイプの名の由来である。趣味の落語を聴いているずぼらパイプは、至福の表情でイヤホンに耳を傾けている。隣で門野が、イライラで貧乏ゆすりをしているのも、お構いなしである。
(はぁ~、このスペースをどう有効利用するかがポイントだな。いや、やっぱり壁でふさいでしまうか。それとも広いリビングにしてしまうか。)
 そんな風に思案していた門野の隣で急にずぼらパイプが落語の落げを口走った。
「ひらひらのとこで四人で麻雀してた」
 ずぼらパイプは、至福の笑みを浮かべている。門野のイライラはそれに反比例するように募って行った。
「ちょっと!ずぼらさん!いい加減、隣で煙草ふかすの辞めてもらえますか!」
門野のイライラの矛先は遂にずぼらパイプに八つ当たりという形で爆発した。
「しかし、お前、面白いと思わねぇか?女のひらひらのとこで四人で麻雀してんだぜ?絶対ありえねぇじゃん」
「知りませんよ、そんなこと!落語なんか古臭いおっさんが聞くようなもんでしょ!それより仕事してくださいよ!」
しかし、ずぼらパイプの一言に門野は何かひらめいた。
(まてよ?ひらひら?そうか!カーテンを付ければいいんだ!取り外し可能なカーテンを作ればリビングもダイニングに早変わりだ。)
 門野は、急いで報告書を作成し、嬉しそうな顔で、上司の村山に提出した。
「うむ。これならいける。しかし門野くん、この案、一体どうやって思いついたのかね。」
「ずぼらさんの様子見てたら、何かこうひらめきました」
「ずぼらパイプはパイプ役」噂は社内に広まった。ずぼらパイプはそれから数ヵ月後、課長に昇進した。
ずぼらパイプ 小笠原寿夫

誘い文句はエレガントに?
香月朔夜

「ねぇ、ねぇ、アヤっ、今日ねっ、今日お祭りに」
「行かねぇ―…」
俺の部屋に入ってくるなり、開口一番、非常にめんどくさそーなことを吐きかけた、今年十才になるはずの少女のたわごとを、俺は即座に却下した。
すると彼女は頬をぷうっと膨らまして、何処で覚えてきたのか、まったくもって意味不明な言葉を撒き散らした。
「あほっ、ぼけっ、とんちんかんっ、いけずっ、むほーものっ、タヌキっ、なすびっ、いんげんまめぇぇぇっ!!」
いや、ほんとーに意味わかんね―し。
はぁ…。しっかし、これでも一応俺の母親なんだよな、情けないことに。
あ―…正確には製作者と言うべきか?
とにかく、このどー見ても知能指数足りてなさそーなこのガキは、実はこの『機械人間』である俺を作ったIQ200の天才児だったりするのだ、これが。
ちなみに、この事実を口外しようものなら、もれなく笑い飛ばされるか、精神病院に連行されるはめになる。
まっ、それはともかく、
「祭りな―、めんどくさいと思うぞ、俺は。」
 やる気失せ失せで、正直な感想を漏らした俺に、彼女は貴重な脳細胞が死滅するんではないか、というほど、ぶんぶん頭を振って否定した。
「そんなことないっ!おもしろいのっ!たのしいのっ!おいしーのっ!!」
ああ、そーかそーか。でもなぁ―…‥
「電車は混むし、車は混むし、人も混むんだぞ―…」
 投げやりな俺のセリフに、だが彼女は何故かえへんっと胸を張った。
 いやな予感がした。
「大丈夫。まず駐車場は満車で、渋滞で、おまけに車両乗り入れ規制がかかってるから公共交通機構を使って行こうっ!帰りの電車の混雑は、地図や路線図を見る限り歩いて1分の●●駅から乗れば避けられそーだし、念のため、祭り終了時の1時間後のに乗るからへーき。二十万人以上が一気に駅に押し寄せない限り、これは有効な手段なんだよ。あと、祭りの日には主なターミナルから往復切符が出てるから、これも利用しよっ。あ。でも。プリペイドカードも捨てがたいな。改札制限や駅への入場制限がない場合は、これだと改札機をスルーできるぶん時間の短縮なるんだよねっ。それに何と言っても祭りの記念になるし。そだっ!念のため現地の金券売り場もリストアップしておいたから―――――<以下略>―――――」
………こいつ……無駄なところに能力つぎ込んでやがる…‥‥ 
まだ延々と続きそーなマニアック情報を俺の白旗が打ち切ったのは、それから十分後の事だった。
誘い文句はエレガントに? 香月朔夜

<成分>嘘100%
エミュー

 私は嘘という成分で出来ている女だと、私がついてきたたくさんの嘘を知れば、きっと誰もが言うのだろう。例えば私の顔は、しめて336万円。ぱっちりおめめもスッとした鼻筋も、全部お金で買った。本当は朝青龍みたいにゴツイ顔に糸みたいな目、つぶれた鼻…。でもそんなことは、自分の心だけが知っている真実でよかったのに。
 最近私は命がけの恋をした。28年間生きてきて、こんなに誰かを好きになったことはなかったし、もう多分この先もないような気がしている。なんとなく暇を持て余し、始めた社交ダンス教室で知り合った、33歳独身。初めて会った夜、私は彼と一晩過ごした。しかしこれは成り行きなんかじゃなく、お互いに強く引き寄せられて出逢い結ばれたと、二人は確信していた。それから毎晩彼の腕の中で、今までの人生や身の上話を、互いの知らない時を必死で埋めるかのように語り明かした。東北のりんご農園の長女だった私の過去は、地元では有名な地主の次女という物語にすり替わった。こうやってまた嘘を重ねたんだ。
 一緒に暮らし始めて3ヶ月が過ぎ、好きになれば好きになるほど失う怖さを覚え、彼に抱かれていないと不安で頭がおかしくなりそうだった。そんなある日、精神的に不安定だったこともあり、彼の勧めもあって都内の病院へ行った。検査を終え診察室に呼ばれた私達に先生が告げた言葉は、
「おめでとうございます。妊娠3ヶ月です。」
私は死ぬほど嬉しくて、だけどなぜか涙が止まらなかった。
 もう逃げられない・・・
生まれてくる子供のことを考えると言わないわけにはいかない。その夜彼に切り出した。
「私ね、整形してるの。336万円分。」
「・・・本当に??」
「子供の顔が私に似たら、全てがわかると思うの。」
「そうか。それでも俺は君を愛してる!!」
そう言って彼は強く強く抱いた。この人なら大丈夫だと確信し、全ての嘘を一つ一つ話した。
 翌朝、私は朝一で整形外科に向かった。8時間以上に及ぶ大手術と1日の入院。私の顔は、りんご農園を飛び出して来た18の頃の顔にほぼ戻った。家に入ると、そこには彼の物が何もかもなくなっていた。干していたパンツ1枚さえも…。お腹の子供と、ただ一枚の置手紙だけを残して。
<君は嘘という成分だけで出来ている女。でもありがとう、楽しかった。>
 本当の自分を見せたくて真実を語り、真実をまたお金で買い戻したのに。私の命がけの恋はこうして幕を閉じた。
<成分>嘘100% エミュー

診断書
朧冶こうじ

 真っ白な部屋の中で宣告されたのはついさっき。
 白衣に銀縁眼鏡が嫌味なほどに似合う男は私に向かってにっこりと笑いやがった。

『もう手遅れですよ、さっさと諦めて現状把握に努めやがれこの薄ら馬鹿』

 にっこり笑った優しげな男が吐き出した言葉は一瞬ならず私の思考を停止させ、そして復活した私の、止まっていた脳味噌を以前より一層活性化させた。

『手遅れになる前にさっさと診断しろ似非ドクター。
 お前の眼鏡は視界を曇らせる役割しか果たさないようだな?』

 売り言葉に買い言葉ではなく既に反射神経が喋っているとしか思えないやり取りも、始めて既に十年が経とうとしている。初めて会った瞬間から反りが合わなかったこの優男とは、未だに反りが合わないままに何故だかこの暴投し放題言葉のキャッチボールのスキルのみが鰻登りに上昇中。
 男の本性を知らない女達が羨望の眼差しで私を見るが、換わって欲しければいつでも交代準備は完了中だ。但しクーリングオフ期間は設けません。

『自己管理も出来ていないお子様が自覚するまで待ってやったんだ。
 俺の優しい心遣いに感謝しろ』

 変わらず笑顔を保ったまま私を見下ろす男は白い部屋の扉も窓も締め切って、外から見れば間違いなく困った患者を宥める医者の図だ。例え宥めなければならない原因が医者にあったとしても、聞こえない音は何も真実を伝えない。
 私の頭の中を流れた幾つもの罵声は、生まれてくる努力を放棄した。つまり私が男に屈したということだ。

『進退窮まる所まで待ってくれて有難うよ加虐趣味満載変態藪医者』

 大人しく白旗を揚げた私を感慨深げに見た男はお前も幾らかは大人になったんだなと再び私の神経を尖らせるような事を言う。私と男とは一歳しか変わらないのだ。

『私が思うに今更私は止まれそうもないわけだが、このまま突き進めば双方共に不幸になるような気がしてならない。
 打開策があるのなら早急に且つ簡潔に述べてみよ』
『お前はどこまでも横柄だ。
 今回に限っては逆さに振っても策など出てこない、諦めろ』

 男に宣告された最後通告。
 冗談じゃない、私がこの男の圧力を受け入れたならば、私は男を、『お義兄さん』と呼ぶという世にもおぞましい行為をこの先の人生続けなくてはならなくなる。
 いっそ、今すぐ私か男か、或いはある特定女性が世界から消えてしまえば。
 そう考えて、案外男が嫌いではない事実に気がついた私は、真っ白な天を仰いだ。
診断書 朧冶こうじ

泡沫
ぼんより

 荷物は全部まとめてある。
あとはこの部屋から出て行くだけになった。自分の所在なさに少しほろ苦さを覚え、微かな嘆息をついたのがおかしくて、静かに笑った。つい先日までは平穏に暮らしていたかと思うと、あれは夢なのかな……と、少し大袈裟な悲しみに耽る。
 ドアががちゃりと音を立てる。不意のことに若干狼狽したが、すぐに冷静になった。彼女だということを確信したからである。
 ――はたして彼女はドアの中に立っていた。

――おっ、おとなりさん、よろしくねー
――あっ、こ、こちらこそどうも、よろしくお願いします
――あっははは、キミ丁寧だねぇ~。もっと楽にしなってば
――あ……そ、そうですか。あ、あの、こ、これどうぞ!
――ん? ああ、引越しの挨拶回りね。…………あははは!
――えっ? あ、あのぅ?
――キミ、挨拶回りでドロップって……!
――あ、す、すいません。ドロップなんて変ですよね
――いやぁ~、キミおもしろいわ~。気に入った! あははは~
 そう言った彼女から零れた白い歯は、とても印象的だった。

――おーおー、ドロップ君待ってたよぉ~!
――もう、いつまで自分はそう呼ばれるんですかぁ
――だってキミ、ドロップ君じゃん!
 くたびれたワンポイントのTシャツに色褪せたジーンズの彼女は、すでに大好きな黒麹の焼酎を飲み始めていて、ほっそりとした頬を上気させていた。上機嫌な彼女は、自分が来たことでさらにテンションを上げていた。
 こんなふうに一緒に飲むことは、隣同士ということもあって度々あった。誘うのはいつも彼女の方で、酒は必ず黒麹の焼酎を、つまみは必ず彼女の得意の甘辛い煮魚だった。
 彼女の屈託のない笑顔を見るのは、本当に楽しみだった。

――あたしも昔色々あってねぇ~、だから今の自由な自分がすごく嬉しくてね……
 そう言った彼女の横顔は、今までで一番綺麗だった。
――よし 辛気臭いのやめっ! 今夜も飲むぞー!
 自分が彼女の自由を奪おうとしたのはこの3日後だった。

「本当に出て行くんだね……あんたバカじゃないの?」
「あなたのことが好きですから……仕方ありませんよね」
「そうね、勘違いヤローが隣だなんて虫唾が走るわ」
「1年間お世話になりました」
「は? 何言ってんの? 別にあんたと一緒に生活してたわけじゃないから」
 彼女は振り返り、冷徹にドアの向こうへ出て行った。飾り気の無い部屋はとても静かだ。
 そして彼女の声は微かに震えていた――。
泡沫 ぼんより

命のくすり
のぼりん

 世の中には、病気に苦しんでいる人はいっぱいいる。しかし、健康は金では買えない。もしそれが買えるとしたら、その金額の多寡は問題にならないだろう。
 ここにアニキとマサという二人の詐欺師がいる。彼らは、ただのビタミン剤をガン予防などと称して売り続けてきた。だが、人生とは皮肉だ。まさか病人を食い物にする詐欺師、アニキが不治の病にかかってしまうとは。
 マサにできることは、叶わない願いだとわかっていても、神に祈る事だけだった。

 ―ところが、もはや絶望するしかないマサの枕もとに、本当に神さまが現れた。
「お前の兄貴分の命を助けてやろう」
 と神さまは言った。一目で神さまでとわかる格好。疑いようもない。
「俺たちのような罪深い者を助けてくれるので…?」
「そのために祈っていたのだろう? お前たちがしてきた事は、確かに人を騙す悪行であった。しかし、嘘の薬を飲み、信じる力で命を吹き返した人々もいるのだよ」
「俺たちのやったことが人助けになったと…」
「その通り。さて、ここに命を呼び戻す薬がある。これをお前にあげよう。これを飲ませて彼を救ってやるがよい」
 信じられない事だったが、試してみる価値はある。
 マサはもらった薬を手にすると、お礼も言い忘れて、一目散に病院へ駆け込んだ。

 が、思った通りアニキはまるで信用しようとしない。自分たちのやってきた事を考えると、当たり前のことだ。
「今から独り立ちするための練習か? バカバカしい」
「アニキ頼むよ。騙されたと思って…」
「人を騙す詐欺師が、簡単に騙されると思っているのか」
 マサはしばらく途方に暮れたが、突然、「見ていろ!」と叫んだ。
 懐から短刀を取り出して、自分の腹に突き立てた。マサの腹から大量の血が流れ床を赤く染めるのを見て、アニキは呆然とするばかりだ。
「これでも信じないか!」
 言いながら、マサが手に持っていた錠剤を飲み干すと、あっという間に血が止まった。マサの青ざめた顔色に見る見る赤みが注した。
 アニキは目を剥いた。奇蹟が起きたのだ。

 その後、アニキが病気から回復し退院するまで一週間もかからなかった。彼がマサに感謝したのは言うまでもない。
「なあ、あの薬は、本当に神さまからもらったのか?」
 アニキは、ある日マサに問いただした。
「いや、実はただのビタミン剤だったんですよ」
 と、マサは答え憎そうに言った。
「神さまにもらった薬は、ひとり分しかなかったもので……」
命のくすり のぼりん

多分、青春の窓辺
とむOK

今日は。良い雨ですね。
やあ、窓からなめくじに声をかけられるとは。
今日は貴方にお願いがあって参りました。
ふうん。何だい?
来月、全国なめくじ選手権があるんですが。
全国なめくじ選手権…って、何すんの?
まあ、ぶっちゃけ我慢大会です。塩サウナで。
…もう少しひねりとかないの?
ええ、私ら質実剛健で売ってますから。この試練を超えてようやく一人前なんです。
で、何を手伝ったらいいの?
鍛えて欲しいんです。私を。
それは難問だなあ。何で俺に頼むの?
だって、暇そうに見えたので。
暇でもないんだけどな。ま、いいか。とりあえず、ここにお清めの塩があるけど。
ああ、やめてください縁起でもない。
塩は塩だよ。これ使っちゃいたいんだけどな。
そうは言っても気分の問題ですから。
わかったよ。じゃあ、一応好みを聞くけど?
蒙古産の天然岩塩とか。肌にもよさそうですし。あと赤穂の塩とか、伯方の塩くらいで。
うーん、そりゃあ注文が厳しいなあ。
プロフェッショナルの拘りですよ。
我が家は拘らないんだ。食卓塩で我慢してよ。
仕方ないですね。
じゃあ、いくよ。
あ、だめですいきなりそんなにふりかけないで。もっと、尻尾の先っちょの方に小さなやつを二、三粒くらいから…。
…君、本当にやる気あるの?
勿論です。勿論ですとも。でも、何事にも初めてってあるでしょう?
まあ、そうだけど。じゃあ、中蓋を取って…意外と固いなあ。暫く使ってないから。
料理くらい、こまめにしましょうよ。
人の食生活にけちつけないで欲しいな。…それにしても、やけに固いなあ、これ。
あまり焦らさないでくださいよ。こっちはもうさっきからどきどきしっぱなしで…
あ、ごめんこぼしちゃった。
………!!!!!
やばいやばい、大丈夫だった? ああ随分小さくなっちゃって。
ひどいことしますね。
ごめんごめん。本当に悪かったよ。
でも、良く分りました。こういうものは死ぬ気でやってみれば何とかなるものだって。
そうかなあ。君の場合は、死ぬ気でやったら確実に死ぬって気がするんだけど。
本当にありがとう。それじゃあ、私はこれで。
あ、君。実は僕、明日手術なんだ。応援してくれるかな。
へええ、それは大変な事ですねえ。勿論ですとも。で、何の手術ですか。
包茎手術だよ。…君、今笑ったよね。
いえ滅相も。ああ塩を構えないで。ね、お互いがんばりましょう。明るい将来のために。
ありがとう。君は絶対無理しないでね。
ええ、あなたのことは忘れません。では。
多分、青春の窓辺 とむOK

傘はない!
ごんぱち

 端っこが濡れた新聞紙が開きにくいので、一面記事ばかり見ている。
 衆議院予算案可決したとか、北朝鮮の核戦略の連載とか、天声人語みたいな編集者の漫談とか、本の広告とか。
 これで、自殺する若者の記事でも載っていれば、歌にもなるけれど。
 いや、違うな。
 会いに行く君がいないから、全然歌にならない。
 行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ。
 雨の中を。
 義務で。
 恋人だから。
 恋人は会いに行くものだから。
 会わなければ恋人じゃないから。
 会っている時は「幸せ」。
 会わない時は「行かなくちゃ」。
 その比率は時間にして一対百。
 日がな一日行かなくちゃ、って、思うのに疲れて。
 ううん、これも違う。
 多分最初から、どこかに引っかかっていた。
 相思相愛、には違いなかったけど。
 ひょっとしたら、わたしには、誰もいらないのかも知れない、なんて。
 それでも折り合っていくのが男と女ってヤツなのかも知れないけれど。
 結局、素人ばかりのキャンプのかまどの火のように、ただ薪の表面を焦がすだけ。
 生煮えのニンジンの入ったカレーよりは、いっそ生でスティックに切ってかじったほうがおいしい。
 そんな風に思い始めて。

 雨が強くなってきた。
 吹き付ける雨が、窓の外をぐにゃぐにゃにしていく。
 玄関から外に出たら、止んでいるだろうか。
 勝手口の扉は、夏空につながっているかも知れない。
 でも。
 窓から外に出よう。
 雨の中に。
 傘はあるけど持たずに。
 お金はあるけど、買わずに。
 防水効果のなくなりかけたコート一枚はおって、
 襟に畳まれた、申し訳程度の薄いフードを引っ張り出して。

 雨がフードを叩く。
 肩を叩く。
 顔を。
 雨に濡れている人が、
 みんな涙を隠しているなんて嘘。
 濃いグレーのアスファルト、
 食用蛙の鳴き声、
 レース織りのしぶきを上げ走る自動車。
 靴がすっかり中まで濡れて、
 裸足で海辺を歩いているみたい。
 もしも君がわたしをみたら、
 傘をさしかけて、心配そうに、
「カゼひくよ」

 風邪なんかひかない。
 雨でワクワクしたことのない人は、お断り。
 ワクワクしたことのある人も、離れて歩け。
 傘をさしかけるのがセオリーなら、そんな教本水に流しな。
 わたしは歩く。
 君はいない。
 傘もない。
 傘がないから、
 道に溢れる傘の花畑が見える。
 傘がないから、
 空から舞い降りる雨粒が見える。
 傘の内側なんぞに、
 収まっちゃいないのだっ。
傘はない! ごんぱち

(本作品は掲載を終了しました)

趣味の人
綾重寄之介

 その男はさまざまな趣味を持っていた。
 小さな庭には菜園があって、旬の野菜や果物が成っている。駐車場には随分と古めかしい車とピックアップトラックが置いてあり、屋根からはパラボラやテレビアンテナが何本も立っていて衛星放送と地上波デジタルを見ているらしい。
 寒い冬にはスキー板を担いで出かけたかと思うと、スノーボードを抱えて帰って来たこともある。夏ならサーフボードか水上バイクを車に積んでいる。
 天気のいい日には大きなラジコン飛行機を持って出ることもあるし、外国製の自転車に乗って暫く帰ってこなかったりする。夜明け前から釣竿を持って出かけ、クーラーボックスを重そうにして帰ってくると、庭で炭火を起こして綺麗に下ろした魚を軽く炙って酒を飲んでいたり。
 防音設備も整っているらしい家の中から、かすかだがピアノの音が聞こえたかと思うとギターのメロディが響いてきたりする。トランペットを持って河原へ歩く姿も幾度となく見られた。
 庭の隅には小さな窯があり、陶芸もやっているようだ。陶器の破片が散らばっていることもあり、出来が悪いと砕いているのか。
 ある日、西の空を真っ赤に染める夕日に向かって大きなカメラと三脚を持って走っていった。すっかり日が沈むと戻ってきて、天体望遠鏡を車のトランクに積んでまた出かけていった。
 いろんな趣味を持っているが、そのどれにも共通するものがある。それは一人で出来るということだった。誰かと一緒にいる姿を見ることはなかった。どんな道具を持って出かけるときも必ず一人、どんな格好をして帰ってくるときでも、彼は常に一人だった。
 彼には家族がいない。収入は彼が近くにいくつか持っているアパートや駐車場の賃貸料で賄われているらしい。物件の管理は全て不動産屋に任せているようで彼自身が何かするわけでもなさそうだ。
 きっと彼は寂しいのに違いない。一日中誰とも会わず、一心不乱に趣味へ没頭しているのは、その孤独を紛らわせるためなのだろう。
 そんな彼に興味を持ち、思い切って声を掛けた。
「いろんな趣味をお持ちのようですね。私もいくつかあなたと同じ趣味を持ってますよ。まああなたほど身についているものはどれもありませんけど」
 彼は庭に咲く紫陽花を眺めながらカンバスに走らせていた筆を止め、こちらを振り返った。
「いやいや。この私だって四六時中、隣家の様子を窺っているようなノゾキみたいな趣味はやりませんよ」
趣味の人 綾重寄之介

孤独に饅頭
早透 光

 爺ちゃんが亡くなる前に言った。
『この世には、素晴しく美しいものがある。お前はそれを見つけなきゃならん』
 僕は家を出た。もう何処にいても独りなのだ。鞄一つに僕の全てを押し込んで深夜の街を出る。街明かりと夜空の堺には、いつもと変らぬ羽山のなだらかな稜線が紺色の背景に黒く横たわり、何時かは戻ってこいよ、と言っているようだった。

 残業を終えたオフィス。僕は硝子張りの喫煙室で煙草に火を点ける。ぽつんと照明に浮かび上がる自分の席。何をやってるんだ。そんな言葉が頭の片隅でサイレンのように鳴り響いた。このまま時間だけが過ぎ去り、老い、そして死んでいく。それでいいのかとサイレンは鳴り響いているようだった。
 夜の街に出る。異性を相手に本音の無い会話を永遠と続ける。時間と金さえあればこんな事は何時でも出来る。しかし、誰しもこんな事を求めている訳では無いだろう。身体の真ん中の何も入っていないポケットがぺちゃんこになったまま、何か暖かいものを求めているようだ。

 近所のコンビニに立ち寄り缶ビールと煙草を買う。レジにはいつもの中根さんはいなかった。
「あれ、今日は中根さんお休み?」
「ええ、彼女今日辞めたんですよ。幼馴染みと結婚するらしく田舎に帰りました」
「そう、結婚するんだ……」
 茶髪でちょっとヤンキー系だったけど、気の利いた明るい娘だった。
 僕は作り笑顔で良かったねと誰に言うでもなく呟いた。
「忘れ物、忘れ物!」
 勢い良く女の子が店に飛込んできた。普段とはまったく違って綺麗に化粧をした中根さんだった。
「店長、お世話になりました。はいこれ!」
「おお、なんだよ」
「婆ちゃんがお世話になった人にって」
 今時珍しく風呂敷に包まれたものは饅頭だった。それも紅白饅頭。思わずみんな笑顔になる。
「あっ、秋吉さん!」
 中根さんが僕にも紅白饅頭をくれた。笑顔はいつもと変わらぬものだった。

 アパートに帰ると薄暗い人生の中間地点が横たわっていた。缶ビールを開け煙草をくわえる。さっきの中根さんの笑顔と言葉を思い出す。
『美しいものを見つけたんだ、それはね自分の中の、何て言うかな……』
 僕は煙草を灰皿へ置き、ポケットから中根さんに貰った紅白饅頭を取出し苦笑する。
(あんなヤンキーな娘がねぇ)
『――何て言うかな、人を愛する心って純粋に綺麗なんだよねぇ……』
 饅頭をくわえると柔らかく優しい味がして、身体の中心が暖かくなるのを感じた。
孤独に饅頭 早透 光

ダンス・DANCE・だんす
太郎丸

 ある町に悟輔という男がいました。彼は定職にも付かずポッピングといわれるストリートダンスをしておりました。今時の名前とは言えないからでしょうか、彼は仲間にはただGと名乗っていました。
 親のスネを齧っているからでしょうかGは太っており、そのせいか彼のダンスはユーモラスでした。
「おっ、あっちの車両は誰もいねぇや」
 いつものように練習場へ向かう電車で彼は不思議にも誰も乗っていない車両を見つけ、カクカクというよりはタプタプとした動きになってしまうティキングで空の車両を歩いていました。
 その時突然ブレーキがかかり、彼は事故にあってしまったのです。

 ドンドコドドンド、ヒューヒャラリ。ドコドコドドドン、ヒャラララピー。
 始めは電車の事故で入院し、側の神社で祭りでもしているのかと思いましたが、Gが目を開けるとそこは暗い森の中でした。
 Gの身体は、近くから聞こえてくるどこかポップなお囃子に反応し、手がスネーキングからウェーブへと移動し、しまいには踊りだしました。
 自然と音のする方へ向かったGの身体は止まりました。
 焚き火が炊かれた周りでは、赤や青の鬼達が宴会をしています。
 それでも聞こえてくる音は再びGの身体を動かし始め、自分でも知らぬ間に鬼達の輪の中に入っていってしまいました。
 音が止んで初めてGは気がつきました。鬼達が見ています。

「おい人間。お前踊りは巧いが太り過ぎで動きが鈍いぞ。その腹を引っ込めて踊れ」
「それが出来れば良いんですが…」
「何、出来ないのか? じゃ俺が手伝ってやる」
 そういうと角が二本の赤鬼が、たぷたぷと揺れるGのお腹の肉を摘むとポンと音をさせて取ってしまいました。痛みも感じずにお腹がすっきりしたGが唖然としていると、「これを付けて踊れ」といって首に何かをかけられました。鬼達も全員付けているようですから、踊りの決まりなのでしょう。ほのかな明かりに光るそれは結構重いものでしたが、お腹が軽くなった分今まで以上に巧く踊れました。
 ストリートの中でもアニメーションが好きだったGは、ロボットやカンフー等の人間とは思えない不思議な動きで、鬼達の喝采を浴びました。Gは楽しくて一生懸命踊りました。

「おっ! 生きてるぞ。大丈夫ですか」
 捜索隊の男が声をかけると、首から沢山の宝石を散りばめた腰まである太い金のネックレスをした痩せたGは、操り人形の様にカクカクと不思議な動きで応えました。
ダンス・DANCE・だんす 太郎丸

暗い場所に住むアイツ
アナトー・シキソ

暗い場所に住むアイツは、今日も笑ってる。
僕らの毎日のいろいろを眺めて、嘲るんだ。
遙か昔にどこからかやってきて、あの場所に住み着いた。
黄色い瞳と、濡れた皮膚。地面にベチャっと、手も足もない。
笑うための口だけが立派に裂けて、歯はガタガタ。
絶対に人間じゃない。
宇宙人とか、悪魔とか、人類以前の地球知的生命体とか……。
「創造主だよ」
アイツは堂々とそう言ってのける。
大したもんだよ、全く。
「この私が、君ら人間を造ったんだ」
アイツが「私」なんていうのは許せない。
鏡を見ろ。「オレ」か、良くて「オイラ」だろう。
ああ、でも、そうなんだ。
アイツの言ったことは本当。
決定的な証拠があって、それは誰にも否定できない。
創造主なんだ。
この暗い場所に住む、醜くおぞましい、そして少し臭いアイツが。
「もっとも酷いと思うものを造った。それが君ら人間さ」
アイツがゲハゲハと笑う。
僕は持ってきたポリタンクの蓋を開ける。
灯油さ。灯油で充分だろ?
それをドバドバとアイツの上にぶちまける。
「私を焼くつもりだな?」
アイツは全然平気で、面白そうにそう訊く。
僕は、空になったポリタンクを投げ捨て、油まみれのアイツから少し離れた。
それから煙草に火をつける。
気合いを入れて、落ち着くんだ。
生きてるものを焼き殺すのは、いくらそれがアイツでもいい気はしない。
アイツはやっぱりゲハゲハ笑いながら、できやしない、できやしないさ、と繰り返す。
甘いよ。
僕は火のついた煙草をアイツに向かって投げた。
ほら、炎上。
暗い場所が明るくなった。
燃えてる燃えてる。
アイツはもうゲハゲハとは言ってない。
かと言って、ギャーギャー悲鳴を上げてるわけでもない。
炎を載せたまま、こう、黙ってノソノソ動き回っている。
熱くないのか?
けど、燃えてるのは間違いない。
このままだと直に灰になってお終いだ。
だから、何とかしようと、とにかくノソノソ動いてる。
そんな感じ。
ただ、まあ、あれじゃあどうしようもないよ。
炎は平気で燃えている。
そのうちノソノソもなくなった。
もう、ただの焚き火と変わらない。

なんだか、子供の時、浜で流木集めて燃やしたのを思い出す。
予想外に大きな炎で、離れていても顔が熱くて、ちょっと怖かったよな。

燃え尽きた。
僕は焼け跡に近づき、焦げた地面を靴の底で引っ掻く。
何もない。骨のヒトカケも残ってないよ。
創造主って言ったって、所詮こんなもんさ。
僕はアイツそっくりに、ひとりでゲハゲハ笑う。
暗い場所に住むアイツ アナトー・シキソ

時限爆弾
越冬こあら

 バイト先の山田【脳足りん】先輩に、彼女の事をとやかく言われ、口論の末、喧嘩になってしまい、デート中にその顛末を話したら、アイ子にも嫌われ、結局、まともに話せるヤツは一人もいなくなった。
 アパートに帰り、布団に潜ったが一睡も出来ず、明け方に開き直って、万年床に胡座をかいて考えた末、時限爆弾の製作を決意した。淋しさを紛らわす為なら、小鳥や金魚を飼うという手もあったが(実際、山田【アホ面】先輩の容姿は、セキセイインコに酷似していたが)それでは自分が小さくなってしまうようで、惨めに思えた。
 哀れで惨めなフリーターを生息地ごと、街ごと、丸ごと吹っ飛ばす必要があった。時限爆弾だ。この結論を持って、夕方まで熟睡し、遅刻した。
 母方の祖父が腕のいい時計職人だったので、見よう見まねとDNAでゼンマイ仕掛けの時限装置は何となく出来上がっていった。朝の番組で女子アナと共演している目覚まし君の髭の部分に発火装置を取り付ける要領だ。肝心の爆裂部は五回に分けてバイト先から調達した。
 一月半に及ぶ慎重で緻密な作業は、身体的にかなりの疲労をもたらしたが、精神的には癒されて、安定し、心地よい期待感に震える毎日を過ごした。

「なんかさあ、この前は勢いで言い過ぎちまって、悪かったな」
 と休憩時間に山田【お天気屋】先輩は言った。
「いや、そんな。気にしてないっすよ。ぜんぜん、大丈夫っす」
 と俺は答えた。作業はもう仕上げに差し掛かり、箱詰めを残すだけだというのに、時限爆弾は突然、ターゲットを失った。
 翌日にはアイ子からも電話があり、なんとなく復縁し、つまり動機もなくなった。

 休日、部屋には俺と時限爆弾と箱とアイ子が所在無く並んでいた。
「へえ、全部自分で作ったんだ。すごいね」
 さしたる感動もなくアイ子は言った。本物だと思っていないのだろうか。そもそも時限爆弾の何たるかを理解していないのかもしれない。
「すげえんだよ。二丁目全部が吹っ飛んじまうぜ、多分。市内のガラスは全部割れるね」
「そう、で、どこに仕掛けるの」
 冷静な質問だ。
「冗談とか、玩具じゃねえんだ。本物なんだ。すげえんだ」
「うん、それは、わかった。だから、どこに仕掛けるの」

 引っ込みがつかなくなった俺は、山田【牡羊座B型】先輩には悪いんだが、とにかく仕掛けて吹っ飛ばして見せることになった。
 翌朝、山田【不幸な一市民】先輩の真赤なトヨペットが朝焼けに四散した。
時限爆弾 越冬こあら

必然性に過不足はなく
未卯

 最後に見た貴美子の顔を、私はもう思い出せない。
 
 貴美子と会うのは決まって放課後三時半、学校の図書室一角、パソコンスペースの付近と決まっていた。掃除当番のときは過呼吸持ちを都合良く利用して、気分が悪いと言っては休んだ。その度に歪むクラスメイトの唇に傷ついて、気付けばさん付けにされていた事実に被害妄想、そして私は貴美子を求めて図書室に通った。貴美子はいつも無表情で、偶然出会う廊下でも私を知らぬ振りをしながら、隠れて少し楽しそうに笑う子だった。それに対して怒る私を演じながら、滅多に見せない貴美子の楽しそうな笑顔に酔っていた。貴美子は初対面の人間と会話をするとなると決まって笑顔を見せていたけれど、それは誰が見ても明らかな愛想笑いで、初めて出会ったときもその愛想笑いに興味を持ったのだ。そして私はまだ、この関係は全て計画なのではないかという疑問に答えを出さないまま、今日も図書室へ通う。

 ほうきからたちこめる煙とひとの息で、私の服にもここのにおいが付きはじめる。机から腰を下ろし、履き潰した上靴に四十五キロの重み。黒板の前を通って抜け出しても、誰も気付かない。後ろでは、彩加ちゃんが教室を出る一人一人にばいばいと手を振っている。目が合って、彩加ちゃんはおまけのようにばいばい、と言う。私も負けずにばいばい、と笑って飲みかけのりんごジュースのストローをかじった。

 図書室のドアを蹴破ると、カウンターの中に司書の双葉先生がいた。中年のくせに大人になりたての女のような雰囲気が、私は割と好きだった。
 「紗枝ちゃん、図書室は飲食物禁止ってこないだも言ったでしょ」
 「いいじゃん先生、大目に見てよ。最近のヒット商品、全部あたしのリクエストじゃんね。あたしはヒット作の神様だよ?」
 それとこれとは話が別よ、と愚痴りながら双葉先生は作業に戻る。カウンターに置かれたままの本を手に取る。ぱらぱらとめくれるページの音を聞いていると、こちらへ向かう足音。小走りで歩幅の広いこの音は、間違いなく。

 ドアノブを握り、確かな手順で貴美子はドアを開けた。直ぐ駆け寄って、首を絞める真似事。硬直している私を余所に、貴美子は正しく日本語を発音する。
 「生きてる?」
 首を絞められたことじゃなかった。それよりも、この笑顔をどうしよう。私は貴美子をどうしよう。嬉しそうに私に触れようとする貴美子の体温が伝わってきて、いやに生臭かった。
必然性に過不足はなく 未卯

おもしろくないわ
めだか

 ある日曜日、のんびりとテレビを観ていると末娘の美奈が絵を片手にかけてきて、この絵でお話をつくれという。つきつけられても、だれに似たのか下手くそな絵で、耳の長い動物らしいほかは、何をかいたのやらなにもわからない。のらりくらりと相手をしていると、目にいっぱいの涙をうかべながら、よくわからないカンシャクをおこしてしまった。泣けば思いどおりになるとでも、いつのまにか女々しいことを覚えたようだ。叱りつけるのも面倒くさくなって、しばらく考えてから、こんな話にした。

 『風も雲も森の小鳥たちも、この草原をおとずれるなら、それはみんなリュスティたちの友だちだった。『初夏のさわやかな風がふきゆく原野。といえば、聞こえはいいけど、そこは荒れた台地。花たちもすこしだけ顔をだすとつぎの日にはもう姿を消すような、乾いた砂と痩せこけた草だけのところなんだ。だけど、うさぎの彼らにとっては、ここは大切な、そして大好きなところだった。なぜってここで、おとうさんもおかあさんも生まれた。そしてリュスティも、ここで生まれたから。『リュスティはすぐに、だれとだって友だちになれる。きみだって、この少し垂れた大きな耳と、赤くてまあるいひとみをみたら、すぐに友達になりたいと思うはずさ。ときどき、ほほをポッと赤くして「ねえ、ぼくたち仲良しだよね」っていうのが口ぐせで、だからもう、ついそう思ってしまうんだよね。みんなが、リュスティを好きなんだ。『リュスティは、お陽さまがあたたかくて、もう少し寝ていたいねと話しながら、甘えん坊のシフォンとふたりで、家の前で毛つくろいをしていた。ふたりでいると、いつも空を飛んでみたいなあという話になる……』

 ふと気がつくと、ここまで書いた話をのぞきこんで、美奈が何か言いたげにしている。
「ねえ。この子の名前は、シナモンよ。それに、うさぎじゃなくて犬なの」
「そうなの? うさぎでないなら、原野はまずいね……。それじゃ、どこに住んでるの?」
「お家が雲のなかにあって、お空を飛べるの」
「犬が空を飛ぶの? えっ? それじゃ、話が終わっちゃうよ」
「どうしてぇ?」
「空が飛べるなら、どんなことでもできるんだろ? つまらないよ」
「だめぇ。飛べるからいいの」
「そんなことないだろ」
「だって、だってね……。"お話はおもしろく"よ」

 美奈のふくれっ面をみつめた。なるほどそういうものかなと思えてくる。
久しぶりに、笑った。
おもしろくないわ めだか

(本作品は掲載を終了しました)