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1000字小説バトル

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1000字小説バトル stage4
第32回バトル 作品

参加作品一覧

(2020年8月)
文字数
1
サヌキマオ
1000
2
小伏史央
1000
3
ごんぱち
1000
4
永井隆
1434

結果発表

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コミュニケーション

QSHOBOU掲示板

ノスフェラトゥ
サヌキマオ

 犬を撮っては紙の写真にしてほうぼうへ送っている。犬ならば何でも良かった。近所の犬、美容院で毛を刈られている犬、看板の犬、本物かと思ったら置物の犬、タブレットで見るYoutubeに映る犬、みんな写真に撮って、家のプリンタで印刷して関係各所に送った。何かがそうさせた。自分ではわからなかった。
 郵便局に行くと局員には顔を覚えられていて、必ず六十三円のミニレターを九通買う。三通ずつ三ヶ月使う。ついでに二円切手を十枚買う。
 二円切手には訳があって、犬の写真を気に入った人があって、いいのがあったら必ず送るようにと八十二円切手をどっさり送ってくれたのだ。ところが今や封筒の切手代は八十四円である。二円余計に貼らねば相手方に届かない。時代は移り変わるが、まだ八十二円切手は五十七枚ある。
 ところで、仕事の都合で(不動産屋で働いている)トランシルバニアの古城に行くことになった。はじめての海外旅行だ。バスや電車を乗り継いで、ほうほうの体で夜遅くに闇に蔽われた古城にたどり着くと、城門まで出迎えてくれた今回の顧客であるオルロックという男に、いきなり首筋に噛みつかれた。彼は吸血鬼だったのだ。わざわざ丸一日かけてトランシルバニアくんだりまで来てこの仕打ちである。大変いやになってきた。社長だってこんな目に合うだなんて事前に教えてくれなかった。オルロック氏は長く伸びた犬歯で私の首筋に二つ穴を開けると、吹き出た血をずるずるとすすり始めた。考えてみればそうだ、どうも思い違いをするが、蚊のように管を通してスマートに血を吸ってくれるわけではないのだった。またたくまにワイシャツが血まみれになっていった。いい加減に腹が立ったので私は吸血鬼野郎をグーで殴る。怯んだところを投げ飛ばし、倒れ込んだところを腹に蹴りを入れる。オルロックが呻きながら腹を抱えて丸まったところでようやく落ち着いてきた。これはいったいどういうことだろう、と社に電話すべく携帯電話を取り出す――と視界の隅に巨きな犬が映った。セントバーナードだ。でかい、とにかくでかい。二本足で立ち上がったらゆうに二メートルはあるかもしれない。興奮する。
 犬はこちらの様子をぼんやり見ていたが、私が近づくにつれてわさわさと立派なしっぽを振り始めた。撮影フラッシュにもいっさい動じない。涎で口の周りがえれいことになっているが賢い犬だと思った。早く帰って印刷してほうぼうに送りたい。
ノスフェラトゥ    サヌキマオ

その後の作者たち
小伏史央

 かつて公園があった。かつてのことだが、いまもある。その公園のことを私たちは小説投稿板と呼んでいた。小説を投稿するための掲示板だから、小説投稿板。いやむしろ因果関係は逆で、小説投稿板と呼ばれていたから、小説を投稿していたのかもしれない。
 ともかくかつて、私たちはそこで遊んで過ごしていた。そこは特定の二次創作専門の掲示板だった。書くものは限られていたが、限られていなかった。無限大で、多種多様にわたる可能性を書いては読んだ。はじめは人も多かった。いろんな人がいて、キャラの関係性に比重を置く人もいれば、前衛的な創作技術の開発に神経を注ぐ人もいた。作者たちが泣いて喜ぶような感想を書く読み専の人もいた。
 そのころはチャットルームをレンタルして使うことも珍しくなかった。よく仲の良いメンバーでチャットに入り浸って、毎日のようにくだらない話で盛り上がっていた。そのなかでも特に仲の良かった人が三人いた。私たち四人は全員作者だった。
 だからか企画もよく開いた。感想交換会とか、お題を決めて短編を募集したりとか。人が多かったから、参加者にも困らなかった。掲示板やチャットを介して私たちは、実際に会ったことがなくても、あるいは実際に会ったことがなかったからこそ、かけがえのない時間を過ごせていた。
 けれども掲示板は徐々に廃れていった。人が減っていって、四人組のひとりも姿を見せなくなり、もうひとりも現れなくなった。
 それから震災が起きた。一時的に人が大勢舞い戻ってきて、生存報告用のスレッドが立ち上がったりしても、ふたりは姿を現さなかった。
 四人で作った企画は、残った私ともうひとりのきみとで細々と続けていった。掲示板の過疎化は止まらなかった。私もきみも、作者としての他の居場所を既に見つけていた。それでも私たちは、懲りずに企画を開き続けた。参加者がまったく集まらなくなっても、なんとかひとりかふたり見つけて、あるいは私たちだけで二次創作を書き続けた。何年もそれを続けて、きみとはリアルで出会ったどんな人よりも長い付き合いになっていた。顔も名前も知らないのに、はっきりと親友だと思えた。
 そうしてあるとき、きみは現れなくなった。
 企画は立ちいかなくなった。
 公園はほとんど無人になった。
 賑わっていたあのころには戻らない。仲が良かったあのころにも戻れない。
 それでもその後の作者たちを、私はいまも探し続けている。
その後の作者たち    小伏史央

石イモ アナザー
ごんぱち

 弘法大師様が、まだ空海というお名前だった頃、人々を救う為に日本中を旅していらっしゃいました。
 日本は今よりもずっと貧しく、危険で、人々の生活には苦しみがいっぱいだったのです。
 旅の最中、空海様は仏様の導きで山の中の村を救いました。村人はとても感謝をして、空海様に次の宿まで足りるように、心づくしのお弁当を差し上げました。
 村を後にした空海様が、別の道から山を下りて街道に再び戻ろうとしていた時、傷ついた狩人と出会いました。狩人は獲物を追って崖から滑り落ち、足を怪我して、丸二日動けなかったとの事でした。
 空海様が、狩人の足をさすると、怪我の痛みは半分になり、歩けるようになりました。腹を空かせていた狩人に、自分のお弁当のほとんどを分けてやりました。

 空海様が山を下りた頃には、食べ物も、いざという時に持っていた干し飯も、すっかり食べ尽くしていました。
 空海様が、お腹が空いてたまらないまま、街道を進んでいくと、川にさしかかりました。
 川では、お婆さんが掘ったばかりの芋を洗っていました。
 空海様は、
「お婆さん、私は旅の僧だが、食べ物がなくなり難儀をしている。その芋を一つ分けてくれないか」
 とお願いしました。
 お坊様は、仏様との約束事で、自分のためにお金を持つ事がないので、托鉢、つまり、相手がくれたものを食べるしかないのです。これは、食べ物をあげた人にとっても、功徳(良い事をした)として、極楽に辿り着ける事に繋がり、互いの為になるという考え方なのです。
 お婆さんはその事を知らない訳ではありませんでしたが、ケチで芋がもったいないと考えました。そこで、
「お気の毒ですがお坊様、この芋は石芋と言いまして、煮ても焼いても固いままで、とても食べられないのです」
 と、嘘をつきました。
「無理な事を言いました」
 空海様は、一礼して立ち去りました。
 その後、お婆さんがその芋を食べようとしたところ、本当に石のように固くなっていました。そして、そのお婆さんの畑で採れる芋は、全て同じように固く、食べられなくなってしまいました。

 更に空海様は旅を続け、今度は海辺にやって来ました。
 やっぱり色々あって、空海様はお腹を空かせていました。
 そんな時です。
 海辺で、馬糞を拾っているお婆さんがおりました。

(五〇行、原本欠損)

 以来そのウニは、大変おいしいものとして珍重されるようになりましたとさ。
 めでたし、めでたし。
石イモ アナザー    ごんぱち

幽霊
今月のゲスト:永井隆

 爆心地に幽霊が出るといううわさは遠い世間では立っていたようである。なにしろ、たくさんの骨を敷きつめたようなところだから、うわさの立たぬほうがおかしいくらいのものだ。しかし爆心地そのものにはそのうわさは少しもなかった。なかったも道理、ここは迷信をいっさい知らないキリシタン村落だからである。霊魂は物質でないのだから肉眼で見えるはずがない。もしここが異教徒の町であったら怪談でにぎやかなことであろう。
 浦上を夜中に通ると、女のすすり泣きが聞こえる。──これが世間のうわさであった。私は夜中に焼け跡を歩いてみた。冬の月が青く照らしている冷たさは、まさに幽霊が出ねばおさまらぬ場面であった。泣き声はゆけどもゆけども聞こえない。橋口から原の田、松山の爆心を右に見てそれから佐城の坂、ようやく道だけ開いてあって両側はあの日のまま、小屋は一つも建っていない。このあたりは一家全滅のあとばかりだ。宿の高台へ出た。寒い夜風が港からまともに吹きつけて思わずぞっと首をすくめた。すると、ヒイーッ、ヒイーッとすすり泣きが聞こえてきた。思わず足をとめる。東はすぐに大学の構内で解剖室の並んでいたあたりだ。西にはがい骨のような枯木が白く月に光っている。ヒイーッと足もと近くにひとりすすり泣くもあり、遠く離れたところで数人寄り合っても泣いている。大人も泣いている。幼な子の声もまじる。むせび泣くのもある。臨終の息をまさに引き取ろうとするのもいる。
 このあたりは大学町で、助手たちの家庭や学生の下宿が主だった。たばこと郵便切手を売る店や、冬はみかん、夏はところてんを売る店などが間にはさまっていた。葉書を買うとたとい二枚でも三度数え直して、にっこりともせず渡す色の白い女か妻かわからぬ女や、一日中シェパードを訓練していたシェパードも恐れる人相の大男や、いつ通ってみてもピアノをたたいていた金持ちの娘や、どんな急病人の迎えにも絶対に走らない下駄ばきの老医などを思った。あの人々の骨がここに月光にさらされている。思い出にふけりながら歩みを進めると、両側のすすり泣きはいよいよ哀切をきわめる。あの色の白い娘は葉書をかぞえながら潰れたのかもしれない。あの大男はあの大事なシェパードを身をもってかばって死んだであろう。あの娘はピアノの弦の断ち切られる音をかすかに聞いたかしら、あの老先生は救護班詰所へ出勤せねばならぬとあせりつつ火にまかれたにちがいない……
 港から吹きつけていた風がぱったりやんだ。私のほほがにわかに温かくなった。背すじもぽかぽかして、私はなんとなく落ち着いた。そして立ち止まってふたたびあたりを見直した。しらじらと月が瓦の原を照らしている。すすり泣きはぴたりとやんでいた。
 私は瓦の原っぱに踏みこんでいった。何もない。何の声も起こらぬ。それではあのすすり泣きは心の迷いであったろうか?──ふたたび港から風が吹きつけてきた。ここは丘の上だから風は切線の方向に吹きぬける。ヒイーッ、ヒイーッ、すすり泣きはふたたび足もといちめんに起こった。私は身をかがめた。
 瓦が泣いているのだった。瓦が積み重なって乱れていると、狭いすき間がいくらもできる。そのすき間を風が吹き通るとき笛のように小音を立てる。その音波がいくつも集まり、干渉してすすり泣きのように聞こえるのであった。
 瓦よ泣け。このあたりは一家全滅のものばかりで、あとをとむらい泣く人は残っていないのだ。せめて瓦よ、骨のそばにありて泣いてあげよ。