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1000字小説バトル

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1000字小説バトルstage4
第49回バトル 作品

参加作品一覧

(2022年1月)
文字数
1
小笠原寿夫
1000
2
サヌキマオ
1000
3
ごんぱち
1000
4
Rytr/ アレシア・モード
1000
5
岡本一平
783
6
岡本かの子
956
7
岡本かの子
1327

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コミュニケーション

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私の履歴書
小笠原寿夫

 夜の静けさが好きだ。それは、正月の張り詰めた空気にも似ている。
 どうやら、私は一月の夜に生れたらしい。母子手帳に、そう書いてある。私の母は、母子手帳と、私が生まれた日の新聞を大切に保管していた。だからという訳ではないが、大学受験を控えた時、夜、勉強をしていたし、大学に入ってアルバイトをするのも深夜だった。勿論、小説を書くのも深夜になることが多い。
 朝、遅刻して、
「昨日、小説を書いていました。」
というと、流石に職場では叱られた。それでも小説に拘るのは、大学の頃、理系に進み、ある時を境に文系の勉強も必要だと思った経緯があり、小説を読み始めた。そうして書くことを覚えた。処女作が下ネタだった事もあり、書くことよりは、笑わせる事に重きを置いていた様にも思う。
 アルバイトをしながら、毎日、台本を書いては、友人に送るという生活をしていた経緯がある。生きるためにアルバイトをしていたし、台本を書くのは、テレビ業界に進みたいという目標の為であった。その上で、勉強まで手が回るはずもなかった。部活やサークルに入るでもなく、只管にパソコンに向かってから、アルバイトをしていた。だから、大学を中退したし、それが自業自得であることも分かっていた。
 本当の事を明かすと、私は漫才師を目指していた。だから、ラジオの深夜放送にハガキ職人がネタを披露する様に、私は大阪の友人にネタを送り続けた。それは、将来、コンビを組んで漫才師になろう、というラブレターにも近かった。
「いや、お前は漫才師になって舞台を踏む青写真を描いているか知らんけどな。俺はそんなつもりサラサラないし。」
と言いつつ、偶に送ってくる返事の台本は、私のそれを上回るネタだった。夜に思いついたネタを、パソコンに起こせないのが、ネックだった。パソコンは大学内にしかない。夜、面白そうな事を思いついても、それを書き出せない。次の日になったら、寝て忘れているといった塩梅で、私はスランプに陥った。
 書けない。
 学業そっちのけで、面白い事を考え続けた。だけど、出ないものは出ない。学内の芝生で横たわりながら、それを考えたり、一人で家に帰って、友人に電話したりしていた。笑いというのは魔物だと思う。簡単にその人を虜にするが、その領域に入ると、忽ち堂々巡りになってしまう。そうして孤独を背負った私は、笑いの魔力に憑りつかれながら、精神病院に入院する羽目になる。
 お粗末。
私の履歴書    小笠原寿夫

八百屋
サヌキマオ

 帰りにお母さんからLIMEがあって「帰りに八百屋さんに行ってきて」と書いてあった。「何を買えばいいの」と訊くとすぐに「八百に決まってるじゃない」と返信がくる。
 八百屋さん、というとこれから向かう駅のビル地下の西友かなにかと、自宅最寄りの駅の商店街入口の八百屋さんしか思いつかない。けれど、お母さんが求めているものは「野菜」ではなく「八百」であるので、スーパーでは買えないのではないかと思い直した。八百とはなにか、と訊こうかとスマホを開くと追伸があって「千円もあれば足りると思うけど、もしお金を持ってなかったら買わないでいいや」と書いてある。訊くのを諦める。
 あんまりスマホを見ながら歩いていると自転車や電柱に衝突する質なので頭を切り替える。ちょうど前から走ってきた自転車が舌打ちして、方向転換して去っていく。危ないところだった。
 電車の中で「八百」を検索する。候補の一番上に「やお やほ 【八百】百の八倍。はっぴゃく。また、数がきわめて多いこと」と表示される。次に「青果店」という単語が目に入る。知ってる。たくさんの、いろいろな、野菜や果物を売っているお店。それが八百屋だ。かといって八百=きわめて数が多い、だろうか。だって、千円もあれば足りるのだ。ともすれば九百八十円で買える八百。もしかすると八百円ぴったりで買えるのかもしれないが、だとしたらお母さんのことだし「八百円で買えるに決まってるじゃない」といったニュアンスのことを云ってくるだろう。
 などと考えているうちに降りる駅についてしまった。ロータリーを抜けて、まもなく八百屋につく。探すまでもなく値札のついた八百が並べておいてある。車輪のついた白いビニール地の起き上がりこぼしにエリマキトカゲの印刷とへなへなの手足が取り付けてある(ように見える)。「八百」の尻と思しきところには棒状の取っ手がついていて、客は取っ手を持って散歩をさせながら家まで持ち帰ることができる。めまいがしてきた。
 八百八十円払って八百を連れて帰る。八百は目の前の地面を進むたびに手足がぐるぐる回る仕掛けになっている。ご丁寧にエリマキトカゲの背中側も印刷されていて、少し楽しいがどうあっても食欲が湧く見た目ではない。
 晩にはぶつ切りにして甘辛く煮付けられた八百が出た。身が舌の上でホロホロ解けて、想像を遥かに超えて美味しいものだった。が、どう考えても今までに食べた記憶がない。
八百屋    サヌキマオ

人の不幸は蜜の味
ごんぱち

「こんちは、ご隠居」
「おう、八じゃあないか」
「今日は材木が届かないてんで仕事を切り上げちまったんですが、家ぇ帰るのも間が抜けてるんで、ちょいとこちらで弁当使わして貰っていいですかい?」
「ああ遠慮はいらないよ。ばあさん、茶ぁ出してやりな。いや、葉っぱはそのままで良い」
「へえ、出がらしをどうも」
「人聞きが悪いな、うちは良い茶葉に沸かし過ぎない湯を入れているから、三番煎じまでおいしく飲めるんだよ」
「なるほど、そうでしたか。じゃあ、その二番煎じを」
「ゆっくりおあがり」
「ずずっ……時にご隠居、ちょっと気になった事があったんですがね」
「訊くは一時の恥、なんでも聞きな」
「『人の不幸は蜜の味』てぇ言いますが、ありゃ一体、どういう意味で?」
「ふむ」
「人が痛い目に遭って不幸で悩んでるのを見ると、口に蜜が湧いて来て、パンケーキなんかがおいしくなるってんなら、一つ習得しときたいスキルなんですがね。ああ、どうせならメープルシロップが好みですが、その場合はかゆい目に遭って悩んでる人でも見れば良いですかね」
「そんな事になったら、中島らもはあっという間に糖尿病だよ。あれは、ええと、実は、蜜ではない」
「前提が真っ向から否定されましたね」
「蜜ではなく、みっつ。数の三、イングリッシュでスリー、ドイチェでドライだ」
「あ、へえ……そりゃあ気付かなかった、確かに不幸なんてぇのは三つの味が……って意味が分からないですが」
「察しの悪い奴だな」
「ええ、貧乏長屋なもんで、窓も戸もガタガタで」
「サッシなんて使っちゃいないだろ。ええと……そうだな、三つの味というのは、いわゆる三昧だ」
「ザンマイてぇと、贅沢三昧とか中華三昧のザンマイで?」
「そう。味覚というのは五味で表されるが、そのうち、甘味、苦み、酸味を指すんだ」
「なあるほど。確かに、人の不幸を聞いた時、気に入らないヤツだといい気味だと甘い感じがするし、仲の良いヤツなら苦々しい気分になるし、若い連中の失恋なんてぇのは酸っぱいもんです」
「そうだろう。人の不幸は三つの味、それが大事だからこそ、三昧という言葉が生まれた訳だな」
「なあるほど……ん? ご隠居?」
「なんだまだあるのか?」
「改めて字を見直したんですが、三昧って言葉は、口偏じゃなくて、日偏で、味とは別の文字じゃあないですか? この線一本は、一体どんな味なんで?」
「ものを食べるんだ、小骨の一本も混じっている事はあるだろう」
人の不幸は蜜の味    ごんぱち

仕事初め
アレシア・モード/訳
Rytr/原作

 コンビニで買ったカレーライスを食べながら地下鉄に乗っていました。好きな食べ物を熱心に食べていたのですが、味に奇妙なところがありました。食べれば食べるほど、いきなりの人生のように感じたのです。
 私――アレシアは周囲をちらっと見て、みんなが私を見つめている事に気づきました。そこでカレーライスの分析を始めたところ、カレーライスの上に珍珠奶茶タピオカ・ミルクが乗っている事に気づきました。
 私の向かいの女性が立ち上がって席を離れ、私の方にやって来ました。彼女はとても強い視線で私を見たので、私は「それは何ですか? あなたは何が欲しいですか?」と言いました。
 彼女は壊れた英語で「お腹が空いていると言えます」と言った。それから彼女は口から水蒸気を吹き、何も言わずにカレーライスを私に手渡したのです。そして躊躇する事なく、カレーライスを私から取り、手や口を拭う事なくそれを食べました。その後、女性は立ち去って席に戻り、二度と私を振り返ったり、別の言葉を言ったりする事はありませんでした。
 私はこの地下鉄に乗っているすべての人を見回しました。恐怖で目を大きく見開いた人もいれば、驚きと混乱で口を大きく開いた人もいました。一人の男が私の目を直接見つめ、アイコンタクトをとった時、彼はすぐに背を向けました。
 地下鉄の駅では、トレンチコートを着た男性が近づいて「みんな殺すぞ」と言うのが普通です。多くの人が恐怖で目を大きく見開いたり、他の人は驚きと混乱で口を大きく開いたので、誰かがそう言ったに違いありません。男が「冗談だよ」と言って立ち去った時、私は安心感を覚えました。
 男の人生の一日。
 他の人がまだ彼の冗談を恐れている間、何人かの人々は笑い始めました。なぜ彼はそのような事について冗談を言うのだろうと言うのを聞きました。私は地下鉄に乗って仕事に行くのです。人々が動き回ったり、縮んだりし始めているのに気づきました。突然、二人の男性が車両の後ろに向かって戦い始め、人々は叫び声を上げて逃げ惑いました。
 停車場で降りる前に、私は振り返って、女性が活発な活動をしているのを見ました。座席でひっくり返り、バッグを通り抜け、コートの内側から何かを掴みました。私が目をそらすまで、彼女はずっと私を激しく見つめ続けました。
 翌日、仕事の途中でまた同じ女性に会いましたが、今度は書類を読み終えると、しわくちゃにして無理矢理捨ててしまいました。
仕事初め    Rytr

改造の正月
今月のゲスト:岡本一平

その一
 元朝がんちよう、お雑煮を祝うも餅の高い今日不経済でかつ、陳腐だ、よろしく食パン、うどん等など代用食くい始めの式を執り行なったらよかろう。

その二
文部大臣の言文一致で訓示を述べる程度に平民的になりたがっている現内閣諸公は、一年五千万円の損を敢えてする大商いの外米商、農商務省をして何ゆえ官吏総出で外米の初荷を催さしめないのか、そしたらいよいよ平民的と世間に褒められるであろうに!!

その三
 門松というものが虚礼で結局七草に湯屋の燃料たきものとなるばかりだという。どうせ湯屋にご奉公するつもりの門松なら最初から石炭と薪を立てて置く方がいよいよ目的に適ってよかろう。

その四
 さるきの猿が頸玉くびたまの綱で束縛されながら、芸をするのを見ると悲惨だ。労働問題に骨を折る人は、地球上のどこかの国の資本家対労働者の憐れな関係を、その国民にあまねく説示すべくこの春の節物せつものを利用する気は無いか。資本家姿をさせた猿曳きに労働服を着せた猿を曳かせ、過酷に扱いながら町廻りをさせたら自称労働会会長とか手の白い何々博士の講演よりこの問題に対して世人へより多き刺激を与える事だろう。

その五
 年始廻りは虚礼でだという。愚だといいながらやはり義理を欠くまいと一生懸命廻ってる。これは一つ自分に似たモデル人形を拵え、人を雇って年賀名刺と一緒に持って歩かしたらよかろう。

その六
 七草というもの昔はせりなずな御形ごぎよう蘩蔞はこべらほとけすずな清白すずしろの七種を俎板まないたの上にて叩き菜粥に調じて服し、一年の病をはらったという。この頃のように流行感冒が横行する時節には自然七草も改革されねばならぬ。すなわち七種も玉子、スープ、牛乳、玉葱、葱、ねんじよのごとき滋養価値多きものをえらみ、その上にアンチペプリンを打ちかけて、これの叩囃子はやしも昔は『七草、なずなとうの鳥が日本の国に渡らぬ先に』とあったのを『七草なずな異国の感冒かぜが日本の国に渡らぬ先に』とうたい直すべし。

改造の正月    岡本一平

戦時の正月(その一)
今月のゲスト:岡本かの子

 明治三十八年の一月は日露戦争の時の正月。
 前年三十七年の歳暮、初冬の夜気をゆるがして旅順陥落祝捷の全国的な提灯行列に国民が熱狂したあとの明けの年である。私はまだようやく東西をわきまえたばかりの少女であった。
 ――どうも東京でも門松の建て方が遅いんでございます。如何いかがいたしましょう。
 と青山の別邸から執事が村の家へ聞きに来た。私は学校が休みになると、武蔵野の村の家へ遊びに来ていた。賑やかな暮の大餅つきを済まし、元日、初陽が土蔵の壁々を照り返し合う村の家で過ごすと、匇々そうそう東京の別邸の方へ行く私であったから、どうか門松は毎年のように建てて置いて欲しいと心のなかで願いながら、母がどういうかを気遣っていた。
 ――日本が勝ったんだからね、門松建ててお祝いするのが本当だろうよ。
 正義派で何事も表面切ったことの好きな母の返事である。
 ――けど藤さん忘れないでね、御所に裏葉を向けないで……。
 と母のいうのは、勤王家の娘、母は非常に皇室中心思想で――だが青山の住居は今も昔の通りの青山御所に近かったので、母が御所というのは青山御所のことであった。別邸に母は泊まるときでも青山御所の方へ足部を向けた寝所の敷き方はしない――門松の松や竹が自分の家の門には葉裏を向けても御所の方へは――まして戦時の御苦労多い御所の方へはと気遣ったらしい言葉なのである。
 そんな母が、元日には大きな広ぶたという台に餅や蜜柑を盛り上げて恭しく家の東方の部屋に飾り立てた。今年は家の先祖様達より先に戦死者将兵達の御霊みたまに供えさせていただくのだと云う親切な心遣いであったらしかった。また――大勝利を祝うとあって召使一同に年賀のかずけものが多かったようである。女中達には高島田を結わせたように覚えている。
 二日にはもう私は青山の住居に連れて行かれ、そこで母の作った祝捷の俳句を書き初めに書かされたが何という俳句であったか今は忘れた。三日か四日に黒地紋付に緋縮緬の下着を重ねた振袖を着せられ、髪を白丈長しろたけながを前で合わせたまげに結び、紫りんの袴をはかされて氏神熊野神社に連れて行かれた。多分母が皇国戦捷の祈願をこめるための参詣であったのであろう。
 前の邸の松室枢密顧問官のお嬢さん達が乃木さんだか東郷さんだか勇将の似顔の押絵羽子板を抱えて遊びに来られたように覚えている。
戦時の正月(その一)    岡本かの子

戦時の正月(その二)
今月のゲスト:岡本かの子

 私達が満州事変の際、伯林ベルリンで過ごした正月を憶い起こす。その頃の独逸ドイツの国情といえば、ナチスの勢が台頭して来て、ヒトラーはヒンデンブルグ元帥と大統領を争って、数では負けたけれど、侮るべからざる潜勢力を持つことが一般に知れて来た時である。
 私は主人と共に伯林のカイザア・フリードリッヒ街のアパートに一九三二年の正月を迎えた。
 満州事変もようやくたけなわになって遠い祖国に心を走らせながら、何か他国にいるのがもどかしく心配したり興奮したりしていた。だがかく、日本人倶楽部から届けられた餅や数の子でお正月を日本通りに祝っていた。当時新聞雑誌は猶太ユダヤ人系の経営で、論調はどちらかというと日本に快いものではなかった。近所から遊びに来た二人の独逸青年たちが、
「日本は何故こんな大きな国と戦争するのだろう。さぞ骨が折れるだろう」など地図を指し、普通西洋人のいいそうなことを言った。そんなこという彼等も今日明日の自分達の日々の生活上の苦労がついて離れなかったのである。外には粉雪が小やみなく降っている。
 やがて知人の日本人留学生の誰彼となく集まって来て、オーヘンという独逸特有の瀬戸で築いた大ストーヴに薪をくべながら事変に対する外交問題がやかましくなって、国際連盟が経済封鎖の決議をやりかねないという噂などが出る。経済封鎖になると外国在住民にまでその国の人民は物資を供給してはならない規則なのだと誰やらがいった。そうなるとパンも牛乳も買えなくなるわけである。
 だから、もし経済封鎖が適用されるとなれば、一時連盟加入国以外の国へ立ち退くより仕方がない。調べてみると何でも南米のどこかに小さい国で加入していないのがあるだけだった。心細いと皆がいう。
 支那シナ人経営の支那料理店が伯林ベルリンに二三軒ある。そこの店頭に日本人の客は断るという意味の貼紙が出たのを新聞が写真にうつして載せた。
 すると、この辺が日本人気質の面白いところだろうと思うが、却って日本人の客の出かけるものが多くなった。「面白い、一つ試しに出かけて見よう」といって出かける日本人が却々なかなか多かった。そして支那人が多勢集まって、各方面に配布しようと持ち込んだ排日宣伝文の印刷物を密かに分捕って来る勇士もあった。
 私たちはかねて一月の半ば頃に帰国の途につくことになっていた。それでそろそろ支度を始めていた。汽車でソ連経由は事変のため覚束ないというし、欧州航路は上海が危険だし、アメリカ経由にした。それさえ、アメリカともまた開戦説さえあったので、万一戦線に行き合わせれば看護婦にでもなる覚悟だなどと話し合っているとドアの外でコトコト音がした。開けて見ると、毎日パンを買っている隣家のパン屋の少女が立っている。世界大戦で夫を失くした中年の未亡人の娘で、少女は母と私のお正月の送りものだと云ってパンに塩生肉をのせたカナッペ入りの小箱と、装飾のしてあるチョコレート菓子の上に器用に日本の国旗「日の丸」の小旗を造ったのを載せて持って来てくれた。少女はそれを私に渡して「おめでとう」と云って帰りかけたので、私は呼び止め、日本から持って来ていた桜模様の絹の小傘を返礼に差し出した。少女はよろこんで帰って行った。窓から見える街の粉雪はまだ降りやまなかった。